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2015年

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」関連の記事一覧

先ほど、岸元首相の「核政策」だけでなく文芸評論家・小林秀雄の「沈黙」についても言及した〈「安全保障関連法案」の危険性(2)――岸・安倍政権の「核政策」〉という記事をアップしました。

それゆえ、ここでは1962年に発行された『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)をとおして小林秀雄氏の「良心」観の問題を考察した記事の一覧を副題も示す形で掲載します。(下線部をクリックすると記事にリンクします)。

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(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 関連記事一覧

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)――「沈黙」という方法と「道義心」

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)――『カラマーゾフの兄弟』と「使嗾」の問題

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)――岸信介首相と「道義心」の問題

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)――良心の問題と「アイヒマン裁判」

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)――ムィシキン公爵と「狂人」とされた「軍人」

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観

 

「安全保障関連法案」の危険性(2)――岸・安倍政権の「核政策」

『ゴジラの哀しみ』、桜美林大学

〈「安全保障関連法案」の危険性――「国民の生命」の軽視と歴史認識の欠如〉と題した7月3日のブログ記事を私は次のように結んでいました。

「なお、原水爆の危険性を軽視した岸信介政権と同じように、原水爆だけでなく原発の問題も軽視している安倍晋三政権の危険性については、別の機会に改めて論じたいと思います。」

これを書いた時に意識していたのは、なかなか言及する暇がなかった5月24日の「東京新聞」朝刊第1面の〈核兵器禁止 誓約文書も賛同せず 被爆国で「核の傘」 二重基準露呈〉という北島忠輔氏の署名入りの記事のことでした。以下にその主な箇所を引用しておきます。

*   *

「核なき世界」に向け国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は二十二日、四週間の議論をまとめた最終文書を採択できず決裂、閉幕した。被爆七十年を迎える日本は、唯一の被爆国として核兵器の非人道性を訴えたが、核の被害を訴えながら、米国の「核の傘」のもと、核を否定できない非核外交の二面性も浮かんだ。

会議では、核兵器の非人道性が中心議題の一つとなった。早急な核廃絶を訴える一部の非保有国の原動力となり、オーストリアが提唱した核兵器禁止への誓約文書には、会議前には約七十カ国だった賛同国が閉幕時には百七カ国まで増えた。…中略…日本は「核保有国と非保有国に共同行動を求める」(岸田文雄外相)との姿勢で臨んだが、両者が対立する問題では橋渡し役を果たせなかった。また、早急な核廃絶に抵抗する保有国と足並みをそろえて誓約文書に反対する立場をとった。」

*   *

この記事から浮かんでくるのは、世界で唯一の被爆国でありながら「誓約文書に反対する立場」をとる安倍政権の奇妙な姿勢ですが、その方向性は安倍首相の祖父・岸信介の政権で決められていたように思えます。

なぜならば、毎日新聞が1月18日朝刊の第1面で〈日米が「核使用」図上演習〉という題名で、「米公文書」で明らかになった次のような事実を示していたからです。以下にその主な箇所を引用しておきます。

*   *

「70年前、広島、長崎への原爆投下で核時代の扉を開いた米国は、ソ連との冷戦下で他の弾薬並みに核を使う政策をとった。54年の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件で、反核世論が高まった被爆国日本は非核国家の道を歩んだが、国民に伏せたまま制服組が核共有を構想した戦後史の裏面が明るみに出た。(中略)58年2月17日付の米統合参謀本部文書によると、57年9月24~28日、自衛隊と米軍は核使用を想定した共同図上演習『フジ』を実施した。」

そして、「当時の岸信介首相は『自衛』のためなら核兵器を否定し得ないと国会答弁」しており、「核保有の選択肢を肯定する一部の発想は、その後も岸発言をよりどころに暗々裏に生き続けている」と指摘した日米史研究家の新原昭治氏の話を紹介しているのです。

つまり、「東条英機」内閣の重要な閣僚として「鬼畜米英」を唱えて「国民」を悲惨な戦争に駆り立てた岸首相は、戦後にはアメリカの「核政策」を批判するどころかその悲惨さを隠蔽して、「核兵器」の使用さえも認めていたのです。

このような岸首相の「核政策」が、いまだにアメリカのアンケートでは「核の使用」を正当化する比率が半数を超えているという現状だけでなく、核戦争など人類が生み出した技術によって、世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」が、再び「残り3分」になったと今年の科学誌『原子力科学者会報』で発表されたような事態とも直結しているとも思えます。

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(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真。図版は「ウィキペディア」より)

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

*   *

このような日本政府の「核政策」は、日本の「代表的な知識人」である小林秀雄の言説にも反映しているようです。

すなわち、1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、戦争に対して不安を抱いた同人の林房雄が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけられると「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていた小林秀雄は、湯川秀樹との対談では、「原子力エネルギー」と「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら厳しく批判していたにもかかわらず、「原子力の平和利用」が「国策」となると沈黙してしまったのです(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁。不二出版、復刻版、2008~2011年)。

*   *

「東京新聞」は今日(7月7日)夕刊の署名記事で、原発再稼働の政府方針を受けて「火山の巨大噴火リスクや周辺住民の避難計画の不十分さなどいくつも重要な問題が山積したまま、九州電力川内原発1号機(鹿児島県)が、再稼働に向けた最終段階に入った」ことを伝えています。

さらにこの記事は、「巨大噴火の場合は、現代の科学による観測データがなく、どんな過程を経て噴火に至るかよく分かっていない」などとの火山の専門家からの厳しい指摘があるだけでなく、「避難計画は、国際原子力機関(IAEA)が定める国際基準の中で、五つ目の最後のとりでとなる」にもかかわらず、「避難住民の受け入れ態勢の協議などはほとんどされていない」ことも紹介しています。

「周辺住民の避難計画」も不十分なままで強引に原発再稼働を進めようとする安倍政権の姿勢からは、満州への移民政策を進めながら戦争末期には多くの移民を「棄民」することになった岸信介氏の政策にも通じていると感じます。

両者の政策に共通なのは、スローガンは威勢がよいが長期的な視野を欠き、利益のために「国民の生命」をも脅かす危険な政策であることです。

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(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」関連の記事一覧

 

百田直樹氏の小説『永遠の0(ゼロ)』関連の記事一覧

先ほど、〈「平和安全法制整備法案」と小説『永遠の0(ゼロ)』の構造〉という記事をアップしました。

それゆえ、ここでは百田直樹氏の小説『永遠の0(ゼロ)』および、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』に関連する記事の一覧を掲載します。

(下線部をクリックすると記事にリンクします)。

 

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「愛国」の手法

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』(1)

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(3)

「特定秘密保護法」と「オレオレ詐欺

「集団的自衛権」と「カミカゼ」

「集団的自衛権」と『永遠の0(ゼロ)』

「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(1)

『永遠の0(ゼロ)』と「尊皇攘夷思想」

「ぼく」とは誰か ――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(2)

沈黙する女性・慶子――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(3)

隠された「一億玉砕」の思想――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(4)

小林秀雄と「一億玉砕」の思想

「戦争の批判」というたてまえ――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(5

「作品」に込められた「作者」の思想――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(6)

「作者」の強い悪意――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(7)

「議論」を拒否する小説の構造――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(8)

黒幕は誰か――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(9)

モデルとしてのアニメ映画《紅の豚》――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(10)

歪められた「司馬史観」――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(11)

侮辱された主人公――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(12)

主人公の「思い」の実現へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(1)

「ワイマール憲法」から「日本の平和憲法」へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(2)

「終末時計」の時刻と「自衛隊」の役割――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(3)

 

「安全保障関連法案」の危険性と小説『永遠の0(ゼロ)』の構造

一、百田尚樹氏の発言と安倍政権の反応

安倍首相の再選を望む若手議員が6月25日に開催した「文化芸術懇話会」に講師として招かれた作家の百田直樹氏の発言が問題となっています。

すなわち、百田直樹氏が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと発言したばかりでなく、現在の多くの住民は「周りは田んぼだらけだった」ところに、「飛行場の周りに行けば商売になるので住みだした」とも発言していたことが明らかになったのです。

これに対して2015年7月2日に行われた日本外国特派員協会での沖縄タイムスと琉球新報の二つの新聞社の合同記者会見では、「政権の意にそわない新聞報道は許さないんだという言論弾圧の発想」や、「百田さんの言葉を引き出した自民党の国会議員」の問題が指摘されました。

これらの批判を受けて、ようやく安倍首相が3日の「衆院特別委員会」で「心からおわび」との発言をしたのに続き、菅官房長官も翁長知事との4日夜の会談で、沖縄をめぐる発言について「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と陳謝しました。

その一方で、多くの学者や報道関係者から審議が拙速であるとの厳しい批判が出ている「平和安全法制整備法案」については、今月の中旬には衆院を通過させるという与党の強引な方針も伝えられています。

「心からおわび」という言葉が真心を込めて語られたのならば、このような「言論弾圧」的な発言も飛び出した「平和安全法制整備法案」の審議は、次の議会に延期するのが「情理」にかなった行動でしょう。

二、作家百田尚樹氏の発言と小説『永遠の0(ゼロ)』の構造

問題は28日に行われた大阪府泉大津市での講演で百田氏が、自民党勉強会での「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と語ったときは、「冗談口調だったが、今はもう本気でつぶれたらいいと思う」と話したばかりでなく、ツイッターに「私が本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞」と投稿したとも話していたことです。

しかし、「東京新聞」が7月5日朝刊一面の検証記事で記しているように、「飛行場の周りに行けば商売になるので住みだした」のではなく、「接収、やむなく周辺に」であり、「周りは田んぼだらけだった」という発言も、実際には「戦前は市の中心地域」だったことを明らかにしています。つまり、「公」の党の研究会での発言は、中傷やデマに近いたぐいの発言だったのです。

*   *

このような百田氏の発言から思い出されるのは、百田尚樹氏が小説『永遠の0(ゼロ)』の第9章で元特攻隊員だった武田に、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけさせ、新聞記者の髙山を次のように批判させていたことです。

「日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた。」(太字引用者)

しかし、『国民新聞』が焼き討ちされたのは、政府の「御用新聞」だったからであり、しかも、蘇峰は『大正の青年と帝国の前途』において、自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを褒め称えて、日本の兵士にもそのような「勇気」を求めていました。『蘇峰自伝』によれば蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、当時の内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたのです。

*   *

  『永遠の0』でも〈太平洋戦争の分岐点となったガダルカナルでの戦いを取り上げ、戦力の逐次投入による作戦の失敗や、参謀本部が兵站を軽視したことによって多くの兵士が餓死や病死したことが書かれて〉いることを指摘して、この小説を擁護する人もいます。

しかし、それらの引用されたような文章は読者の記憶には残らず、百田氏の本音が語られていると思われる新聞社批判の「情念」が、今回、彼を講師として招いたような人々の印象に深く刻まれていたのです。

しかも、今回の研究会に招かれた百田尚樹氏は単なる「文化人」ではなく、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)もあり、NHKの経営委員も務めた作家なのです。

「論理」よりも「情念」を重視する傾向がもともと強い日本では、疑うよりは人を信じたいと考える善良な人が、再び小説『永遠の0(ゼロ)』の構造にだまされて、戦争への道を歩み出す危険性が高いことをこのブログの記事で指摘してきました。

これらのことを考えるならば、共著者の安倍総理にも百田氏の発言に関しては「道義的な責任」があるだけでなく、安倍政権によって提出された「平和安全法制整備法案」にも、「情念」に訴えて一気に成立させようとする危険な側面があるように見えますので、より慎重な審議が求められるでしょう。

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ドストエーフスキイの会「第228回例会のご案内」

「第228回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.129)より転載します。

*   *   *

今回は『広場』 24号の合評会となりますが、論評者の報告時間を10分程度とし、エッセイの論評も数分に制限して自由討議の時間を多くとりました。

記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。

多くの皆様のご参加をお待ちしています。

日 時: 2015年7月25日(土)午後2時~5時

場 所:千駄ヶ谷区民会館第一会議室(JR原宿駅下車徒歩7分)

℡:03―3402―7854

 

掲載主要論文とエッセイの論評者

福井論文:小林秀雄、戦後批評の結節点としてのドストエフスキー

― ムイシュキンから「物のあはれ」へ ――冨田陽一郎氏 

堀論文:ドストエフスキーへの執念が育んだ〈絆〉

― 黒澤明とアンドレイ・タルコフスキー ―― 船山博之氏

きむ論文:スヴィドリガイロフのラヴ・アフェアー  ――小山

木下論文:小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観 ――大木昭男氏

エッセイ:原口美早紀、松本賢信、森和朗、西野常夫、山本和道、長瀬隆の

各氏のエッセイ――熊谷のぶよし、木下豊房、福井勝也、高橋誠一郎氏その他

司会:近藤靖宏氏

*会員無料・一般参加者-500円

*   *   *

例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

「安全保障関連法案」の危険性――「国民の生命」の軽視と歴史認識の欠如

〈「安全保障関連法案に反対する学者の会」のアピールを「新着情報」に掲載〉と題した短い記事を、先ほどブログに書きましたので、ここでは「呼びかけ人」のコメントを紹介します。

小林 節(慶應義塾大学名誉教授・  憲法学)氏は、次のようなコメントを添えています。

「この法案は憲法に違反して、自衛隊を米軍の二軍にするものです。これを許せばわが国は立憲国家でなくなり、専制が始まり、世界中に敵が出来、かえって安全でなくなり、戦費で経済的に疲弊し、要するに希代の愚策です。」

*   *   *

非常に厳しい意見ですが、私も以下のような理由からほぼ同感です。

1,今回の法案は日本の国会で議論される前にアメリカの議会で報告された、国民と国会を軽視した法案であること。

2,自衛隊を海外に派兵するには、テロリストと呼ばれるイスラムの過激派がなぜ生まれたのかという歴史的な背景をきちんと自衛隊員に教える必要があること。そのような歴史の理解を欠いた形で派兵されて戦うことになる自衛隊員や日本は、アメリカ軍の単なる傭兵や従属国のようにみなされて、より強い憎しみの対象になると思われる。

3,安倍政権の政策は兵器輸出をめざす企業などの利益を一時的にはもたらすが、長い目で見ると、戦費や次に挙げるテロ対策費などで国家財政が疲弊することになる。

4,日本でもかなり以前から不審物に対する注意が交通機関などで行われるようになってきている。しかし、6月30日に起きた新幹線放火自殺事件が、明らかにしたように、新幹線やその過密な運行システムは基本的には平和な日本だから成立している。

一方、自国や自民族が侮辱されていると考え、圧倒的な兵力の差から自らの命を犠牲にして行われる自殺テロを防ぐためには、新幹線の乗客の身体や荷物に対する徹底した検査が必要である。「安全保障関連法案」は、活発な商業活動や外国からの観光客などを増やそうとする政策を否定するものである。

*   *   *

政治や経済には素人の私の考えなので、むろん反論や批判もありうると思います。しかし、今回の法案は日本の70年の歴史を覆すだけでなく、国民の生命や経済にも深くかかわっています。その法案を「国会の議席数」をたてに「国民」の考えを尊重せずに、現在のような形で強引に通すことは、将来に深い禍根をもたらすものと思われます。

なお、原水爆の危険性を軽視した岸信介政権と同じように、原水爆だけでなく原発の問題も軽視している安倍晋三政権の危険性については、別の機会に改めて論じたいと思います。

リンク→http://anti-security-related-bill.jp

(2015年7月5日、〈新幹線放火自殺事件と「安全保障関連法案」の危険性〉より改題)

「安全保障関連法案に反対する学者の会」のアピールを「新着情報」に掲載

先日、「安全保障関連法案に反対する学者の会」に賛同の署名を送りました。

チラシを取り込むことができなかったために遅くなりましたが、この会のHP・トップページの背景画像と〈「戦争する国」へすすむ安全保障関連法案に反対します〉と題されたアピールの文章、および呼びかけ人の名簿を「新着情報」に掲載します。

7月3日9時00分現在のアピール賛同者人数(学者・研究者)は、8336人とのことです。

 

リンク→http://anti-security-related-bill.jp

リンク→「安全保障関連法案に反対する学者の会」のアピール

新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

昨日、「日本新聞博物館」で行われている「孤高の新聞『日本』――羯南、子規らの格闘」展に行ってきました。

チラシには企画展の主旨が格調高い文章で次のように記されています。

*   *

1889(明治22)年に陸羯南(くが・かつなん)は新聞「日本」を創刊し、政府や政党など特定の勢力の宣伝機関紙ではない「独立新聞」の理念を掲げ、頻繁な発行停止処分にも屈することなく、政府を厳しく批判し、日本の針路を示し続けました。また、初めて新聞記者の「職分」を明確に提示し、新聞発行禁止・停止処分の廃止を求める記者連盟の先頭にも立ちました。

また、羯南の高い理想、人徳にひかれて日本新聞社には正岡子規ら大勢の俊英が集い、羯南亡き後、内外の主要新聞に散り、こんにちの新聞の基礎づくりに貢献しました。本企画展では、新聞「日本」の人々の、理想の新聞を追求した軌跡を200点を超す資料やパネルで紹介します。

*   *

実際、1,新世代の記者たち、2,「日本」登場、3,新聞というベンチャー、4,子規と羯南、5,羯南を支えた人々、6,理念と経営のはざまで、7、再評価 の7つのコーナーから成る企画展はとても充実しており、「理想の新聞を追求した」新聞「日本」の軌跡を具体的に知ることができました。

ことに司馬作品の研究者である私にとっては、新聞『日本』の記者となる子規を主人公の一人とした長編小説『坂の上の雲』や『ひとびとの跫音』を書いただけでなく、産経新聞社の後輩で筑波大学の教授になった青木彰氏への手紙などで、「陸羯南と新聞『日本』の研究」の重要性を記していた司馬遼太郎氏の熱い思いを知ることが出来、たいへん有意義でした(なお、企画展は8月9日まで開催)。

また、常設展も幕末からの新聞の歴史が忠実に展示されており、「特定秘密保護法」の閣議決定以降、強い関心をもっていましたので、ことに治安維持法の成立から戦時統制下を経て敗戦に至る時期の新聞の状況が示されたコーナーからは現代の新聞の置かれている状況の厳しさも感じられました。

リンク→

「特定秘密保護法」と子規の『小日本』

「東京新聞」の「平和の俳句」と子規の『小日本』

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

*   *

それだけに帰宅してから見た下記のような内容のニュースには非常に驚かされました(引用は「東京新聞」デジタル版による)。

「安倍晋三首相に近い自民党若手議員の勉強会で、安全保障関連法案をめぐり報道機関に圧力をかけ、言論を封じようとする動きが出た」ばかりでなく、勉強会の講師を務めた作家の百田尚樹氏は「『沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない』などと述べた」。

この後でこのことを聞かれた百田氏は、ツイッターに「沖縄の二つの新聞社はつぶれたらいいのに、という発言は講演で言ったものではない。講演の後の質疑応答の雑談の中で、冗談として言ったものだ」などと弁解したようです。

このような無責任な記述は言論人としての氏の資質を正直に現しており、百田尚樹氏と共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を発行していた安倍首相の責任も問われなければならないでしょう。

今回の事態は「国会」や「憲法」を軽視する安倍政権が、「新聞紙条例」を発行して自分たちの意向に沿わない新聞には厳しい「発行停止処分」を下していた薩長藩閥政権ときわめて似ていることを物語っていると思えます。

この問題についてはより詳しく分析しなければならないとも感じていますが、今は新聞と憲法や戦争の問題を検閲の問題などの問題をとおしてきちんと検証するためにも、執筆中の拙著『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』の脱稿に向けて全力を集中することにします。

*   *

リンク→『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「愛国」の手法

 

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

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(Oren J. Turnerによる写真1947年。「ウィキペディア」より)

 

アインシュタインのドストエフスキー観 

これまで5回にわたって文芸評論家・小林秀雄氏と数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社、1965年)にも注意を払いながら、1962年に発行された『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)における「良心」の問題を考察してきました。

読者の中にはここまでこだわらなくてもよいと考える方も少なくないと思われますので、最後にこの問題とドストエフスキー研究者としての私とのかかわりを簡単に確認しておきます。

アメリカの大統領にナチス・ドイツが核兵器の開発をしていることを示唆した自分の手紙が核兵器の開発と日本へ投下につながったことを知った物理学者のアインシュタインは、その後、核兵器廃絶と戦争廃止のための努力を続け、それは水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していました。

注目したいのは、そのアインシュタインがドストエフスキーについて、「彼はどんな思想家よりも多くのものを、すなわちガウスよりも多くのものを私に与えてくれる」と述べていたことです。(クズネツォフ、小箕俊介訳『アインシュタインとドストエフスキー』れんが書房新社、1985年、9頁)。

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』でイワンに非ユークリッド幾何学についても語らせていますので、アインシュタインの言葉はこの小説における複雑な人間関係や人間心理の鋭い考察から、彼が哲学的・科学的な強いインスピレーションを得たと考えることも可能です。

しかし、それとともに重視すべきと思われるのは、『カラマーゾフの兄弟』では自分の言葉がスメルジャコフに「父親殺し」を「教唆」していたことに気づいたイワンが、深い「良心の呵責」に襲われ意識混濁や幻覚を伴う譫妄症にかかっていたことです。

殺人を実行したわけではなく、言葉や思想による「使嗾」だけにもかかわらず苦しんだイワンの心理をこれほどに深く描いたドストエフスキーに私は倫理的な作家を見いだしていましたが、広島や長崎に原爆が投下されたことを知った後のアインシュタインの言動も、原爆パイロット・イーザリー少佐に重なる言動が少なくないと言えるでしょう。

一方、それまでの自分の『カラマーゾフの兄弟』観を覆して、「アリョーシャというイメージを創(つく)るのですが、あれは未完なのです。あのあとどうなるかわからない。また堕落させるつもりだったらしい」と語った小林氏の解釈は、イワンの「良心の呵責」という重たい倫理的なテーマをもあやふやにしてしまっていると思われます。

 

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

リンク→『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

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(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 

 「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)――ムィシキン公爵と「狂人」とされた「軍人」

『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)には、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」を1955年に発表していたバートランド・ラッセルの「まえがき」も収められていました。

ラッセルはその「まえがき」を次のように書き始めています。少し長くなりますが引用して起きます。

「イーザリーの事件は、単に一個人に対するおそるべき、しかもいつ終わるとも知れぬ不正をものがたっているばかりでなく、われわれの時代の、自殺にもひとしい狂気をも性格づけている。先入観をもたない人間ならば、イーザリーの手紙を読んだ後で、彼が精神的に健康であることに疑いをいだくことのできる者はだれもいないであろう。従って私は、彼のことを狂人であると定義した医師たちが、自分たちが下したその診断が正しかったと確信していたとは、到底信ずることができない。彼は結局、良心を失った大量殺戮の行動に比較的責任の薄い立場で参加しながら、そのことを懺悔したために罰せられるところとなった。…中略…彼とおなじ社会に生きる人々は、彼が大量殺戮に参加したことに対して彼に敬意を示そうとしていた。しかし、彼が懺悔の気持ちをあらわすと、彼らはもちろん彼に反対する態度にでた。なぜならば、彼らは、彼の懺悔という事実の中に行為そのもの〔原爆投下〕に対する断罪を認めたからである」。

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「あとがき」を書いたユンクによれば、イーザリー少佐は「広島でのあのおそるべき体験の後、何日間も、だれとも一言も口をきかなかった」ものの、戦後は「過去のいっさいをわすれて、ただただ金もうけに専心し」、「若い女優と結婚」してもいました。

しかし、私生活での表面的な成功にもかかわらず、イーザリー少佐は夜ごとに夢の中で、「広島の地獄火に焼かれた人びとの、苦痛にゆがんだ無数の顔」を見るようになり、「自分を罪を責める手紙」や「原爆孤児」のためのお金を日本に送ることで、「良心の呵責」から逃れようとしたのですが、アメリカ大統領が水爆の製造に向けた声明を出した年に自殺しようとしました。

自殺に失敗すると、今度は「偉大なる英雄的軍人」とされた自分の「正体を暴露し、その仮面をひきむく」ために、「ごく少額の小切手の改竄」を行って逮捕されます。しかし、法廷では彼には発言はほとんど許されずに、軽い刑期で出獄すると、今度は強盗に入って何も取らずに捕まり、「精神」を病んだ傷痍軍人と定義されたのです(ロベルト・ユンク「良心の苦悩」)。

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このようなイーザリー少佐の行為は、「敵」に対して勝利するために、原爆という非人道的な「大量殺人兵器」の投下にかかわった「自分」や「国家」への鋭い「告発」があるといえるでしょう。

イーザリー少佐と手紙を交わしたG・アンデルスは、核兵器が使用された現代の重大な「道徳綱領」として「反核」の意義を次のように記しています。「いまやわれわれ全部、つまり“人類”全体が、死の脅威に直面しているのである。しかも、ここでいう“人類”とは、単に今日の人類だけではなく、現在という時間的制約を越えた、過去および未来の人類をも意味しているのである。なぜならば、今日の人類が全滅してしまえば、同時に、過去および未来の人類も消滅してしまうからである。」(55頁)。

さらに、ロベルト・ユンクも「狂人であると定義」されたイーザリー少佐の行為に深い理解を示して「われわれもすべて、彼と同じ苦痛を感じ、その事実をはっきりと告白するのが、本来ならば当然であろう。そして、良心と理性の力のことごとくをつくして、非人間的な、そして反人間的なものの擡頭と、たたかうべきであろう」と書き、「しかしながら、われわれは沈黙をまもり、落ちつきはらい、いかにも“分別を重ねつくした”かのようなふりをしているのである」と続けているのです(264-5頁)。

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これらの記述を読んでドストエフスキーの研究者の私がすぐに思い浮かべたのは、「殺すなかれ」という理念を語り、トーツキーのような利己的で欲望にまみれた19世紀末のロシアの貴族たちの罪を背負うかのように、再び精神を病んでいったムィシキンのことでした。

この長編小説を映画化した黒澤映画《白痴》を高く評価したロシアの研究者や映画監督も主人公・亀田の形象にそのような人間像を見ていたはずです。

文芸評論家の小林秀雄氏も1948年の8月に行われた物理学者・湯川秀樹博士との対談「人間の進歩について」では、「私、ちょうど原子爆弾が落っこったとき、島木健作君がわるくて、臨終の時、その話を聞いた。非常なショックを受けました」と切り出し、こう続けていたのです。

「人間も遂に神を恐れぬことをやり出した……。ほんとうにぼくはそういう感情をもった」。

それにたいして湯川が太陽熱も原子力で生まれていることを指摘して「そうひどいことでもない」と主張すると、「高度に発達する技術」の危険性を指摘しながら、次のように厳しく反論していました。

「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」(拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、139頁)。

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湯川博士との対談を行った時、小林氏は日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識して、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指して平和のための活動をすることになるアインシュタインと同じように考えていたと思えます。

しかし、1965年に数学者の岡潔氏と対談で哲学者ベルグソン(1859~1941)と物理学者アインシュタイン(1879~1955)との議論に言及した小林氏は、「アインシュタインはすでに二十七八のときにああいう発見をして、それからあとはなにもしていないようですが、そういうことがあるのですか」ときわめて否定的な質問をしているのです(『人間の建設』、新潮文庫、68頁)。

この時、小林秀雄氏は「狂人であると定義」されたイーザリー少佐に深い理解を示したロベルト・ユンクが書いているように、かつて語っていた原水爆の危険性については「沈黙をまもり、落ちつきはらい、いかにも“分別を重ねつくした”かのようなふりをしている」ように思われます。

トーツキーのようなロシアの貴族の行為に深い「良心の呵責」を覚えたムィシキンをロゴージンの「共犯者」とするような独自な解釈も、小林氏のこのような「良心」解釈と深く結びついているようです。

 

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小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観

小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

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