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09月

『悪霊』におけるキリーロフの形象をめぐって――太田香子氏の発表と西野常夫氏の論文

昨日、「ドストエーフスキイの会」の253回例会(報告者:太田香子氏)が行われました*1。司会者の熊谷のぶよし氏がメールで書いているように、「和室でやるのにちょうどいいぐらいの人数が集まって、充実した発表に対して、さまざまな意見が」出たよい例会でした。

実際、「『悪霊』の終盤で描かれているステパンの臨終の場面での彼の信仰告白の言葉」を「スタヴローギンの告白」とも比較しながら、人物の体系にも注意を払いながらテキストをきちんと読み込んだ発表は説得力に富むものでした。この発表については近く「傍聴記」が公表され、次号の『ドストエーフスキイ広場』には論文が掲載される予定です。

私にとってはキリーロフについての言及もたいへん興味深く、西野常夫氏の論文「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」の記述を思い起こしました*2。なぜならば、今年の5月に堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』についての発表をしました*3。その時は言及する時間的な余裕はありませんでしたが、そこで描かれている唐突な感じのキリーロフ論も椎名麟三の作品と深く関わっていると思われるからです。

今回の発表とは直接的な関係が無いので触れませんでしたが、2012年7月21日に行われた合評会での配布資料では椎名麟三のキリーロフ論こユニークさに触れていました。帰宅して調べて見るとホームページにもこの合評会の配布資料を掲載していなかったことが分かりました。

合評会での簡単な感想ですが、堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』におけるドストエフスキー作品の重要性を理解する上でも重要な考察でしたので、以下にアップします。

*   *

椎名麟三の『悪霊』理解の深さとその意義――西野常夫氏の論文を読んで

はじめに

 私が論評することになったのは、九州大学の研究者・西野常夫氏の「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」という題名の論文です。

 木下豊房氏は椎名麟三論で「日本のドストエフスキー」と呼ばれた椎名が、「ドストエフスキーとの出会いとその影響を自ら『ドストエフスキー体験』と称して多くのエッセイで繰り返し語った」と書いていました*4。

 しかも、椎名は日本での上演のためにカミュの脚本をかなり短くした台本を書いていますが、2009年に出版されたアンジェイ・ワイダの訳書『映画と祖国と人生と‥・』(久山宏一、西野常夫、渡辺克義訳、凱風社)では、ほぼ同じ時期に上演されたカミュの台本による『悪霊』の上演についての記述があります。

 これらのことを視野にいれることにより、椎名麟三の二つの作品を比較してキリーロフ的人物像の深まりを明らかにしようとしたこの論文の意味に迫りたいと思います。

1,『死の家の記録』から『悪霊』への視野

 西野氏は独立運動に参加したために逮捕されて「鞭打ち刑二千回とシベリアでの強制労働が科せられ、1949年10月にオムスクの監獄送り」となったトカジェフスキが『監獄の七年』においてドストエフスキーについて、「自由と進歩のために囚われ人となったこの男が、すべての民族はロシアの支配下にはいる時こそ幸福になるのだと自説を開陳するのを聞くのは辛いことであった。彼は、ウクライナ、…中略…リトアニア、ポーランドなどが被占領国であるとは決して認めず、これらの土地はすべてもともとロシアのものなのだと主張」したことや、「世界で真に偉大な民族はすばらしい使命をおびたロシア民族だけ」と強調したと書いていることを指摘している*5。ここでまず注目しておきたいのは、このような理念が『悪霊』においてピョートルの手段を批判したために殺されたシャートフを想起させることである。

 一方、今回の論文では、昭和16年に脱稿されたものの未発表だった短編「小さな種族」では、「須巻」という主人公がキリーロフを彷彿とさせる人物であることを指摘した西野氏は、椎名が「数え年二十八のとき」に『悪霊』を読んで、「小説なるものの真実の意味」を知ったと書いていることを確認している*6。

 一方、木下氏はこのときに椎名がどのような状況であったかにも言及している。すなわち、椎名は「牢獄の経験はわずか二年たらずにすぎない。だが、この二年たらずの間に、私は精神的な危機というものを体験したのである」と書き、さらに「わが心の自叙伝」では、その理由について「一言で言えば、私の精神的土台の崩壊を見たといっていいだろう。一つは拷問のときの自己の無意味感である。何度か引き出されて拷問されたとき、今度は死ぬだろうと感じたとき、ふいに自分の一切が無意味に感じられたのである」と書いているのである。

 この椎名の言葉は『死の家の記録』の「病院」の章に記されている「いつもカトリック教の聖書を読んでいた」、「やせて背丈の高い、おどろくほど端正で、威厳さえある顔だちをした、もう六十近い老人」についての次のような文章を思い起こさせる。すなわち、その老人は、「いかにも心が美しく正直そうな目をしていた」が、その後「彼が何かの事件に関連して取調べを受けているという噂」を聞いてから、二年ほど後に再び彼と会った時には、「狂人として」、「わめきちらし、高笑いしながら病室へ入って」きたのである*7。

 人神論を考案して自殺したキリーロフにも要塞監獄でのドストエフスキー自身の苦悩が深く反映していると思われるが、「小さな種族」や「永遠なる序章」などの作品における椎名麟三の主人公たちにも、そのような極限的な苦悩を経験した者の刻印が深く刻まれているといえよう。

二、「小さな種族」から「永遠なる序章」へ ――キリーロフ的人物像の深まり

 短編「小さな種族」の「表層的なストーリーの次元」では、「のろまでお人好しの24歳の青年」須巻と、元同僚でニヒリストの来島、そして下宿屋の女主人で「整った美人型」の未亡人・三保子との三角関係が描かれているが、この短編では須巻と三保子との間で次のような会話が描かれている*8。

 「須巻はひどく度を失つて吃りながら云つた。『僕は、僕はただ、稲の葉の上を風が渡つて行きますね、ざわざわ揺れて日の匂さえしますね。いゝと思つたのです』/ 『それはどういふ意味なの?』三保子はいらだゝしげに呟いた。

 『それだけなんです、意味なんかないのです』」。

 この会話に注目した西野氏は、『悪霊』でもキリーロフとスタヴローギンとの会話が次のように描かれていることを指摘して、「小さな種族」の須巻は「キリーロフの世界観を念頭に置いて形成されたと考えて間違い無いであろう」と書いている。

 「『ぼくは十ばかりの頃、冬わざと耳をふさいで、葉脈の青々とくっきりとした木の葉を想像してみた。陽がきらきら照っているんです。それから目をあけて見たとき、なんだか本当にならないようでした。だって実にいいんですものね(後略)』

 『それはなんです、比喩ででもあるんですか?』

 『い……いや、なぜ? 比喩なんか。…中略…木の葉はいいもんです。何もかもいいです』」。

 一方、昭和23年に書かれた「永遠なる序章」では、「死への志向とニヒリズムを共有する点で、精神的同類であった」、「日本のスタヴローギン」ともいえる医者の銀次郎と、「余命いくばくもない」患者の安太との生き方を描いている。

 ここで主人公の安太は「生の喜びを知った後に、ほどなくして死んでしまう」が、西野氏は、「『五秒間に一つの生を生きるのだ。そのためには、一生を投げ出しても惜しくない。それだけの価値があるんだからね!』とキリーロフが言ったように、生の喜びを発見した安太は『明日は確実に自分にとって虚無であるにかかわらず、明日への激情』を体に感じ」たと描かれていることを確認している*9。

 それゆえ、西野氏は「安太にとって、ニヒリスト銀次郎の超克と生の賛美への到達が連動しているという構造は、『小さな人種』には欠けていた人物間の有機的関係を補充したものだと考えることができるのである」と結んでいる。

 この意味で注目したいのは、木下氏が「椎名によるドストエフスキー受容の最深地点」として、キリーロフがスタヴローギンに向かって、「すべてがよい」といい、後者が「少女を凌辱してもいいのか」と問い詰めると、キリーロフは「もちろんそうしてもいい。人間はすべていいからだ。しかしもし、それを悟ったら、娘っ子を辱めたりしないだろう」というくだりを挙げていることである。

 そして、椎名が「すべてはいい」ということと、「そうしないだろう」ということの間にある「矛盾」に椎名はある種の啓示を受けていることを指摘した木下氏は、「ここを読むたびに感動し、この矛盾した言葉の背後から、何かしら新鮮な自由をかんじさせる光が感じられてくるのであった」という椎名の言葉を紹介している。そして、その自由の光が「この矛盾の両項を成立させているイエス・キリストからやってきたものだ」と分かったと続けていることを紹介して、ここに「人間の全的な自由の宣言」とともに、そこから「個人的な自由として道徳を守る」という理想を、椎名は読みとっていると指摘している。

 たしかに、このような椎名の『悪霊』理解には、「白い手」の甘やかされた貴族の息子スタヴローギンのみを主人公として読み解くような昨今の読みを超える深さが感じられる。

 現在では言及されることの少ない二つの作品を比較することで椎名のキリーロフ理解の深まりを明らかにした西野氏の論文は一見地味だが、そこには明らかにワイダの映画『悪霊』も視野に入っており、『悪霊』論の本質的な意義にも迫っていると思える。

 

*1 太田香子「ステパンの信仰告白から読み解く『悪霊』」、高橋誠一郎ホームページ、http://www.stakaha.com/?p=8777 参照。

*2 西野常夫「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」『ドストエーフスキイ広場』(第21号、2012年)。

*3 高橋誠一郎「堀田善衞のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に」高橋誠一郎ホームページ、http://www.stakaha.com/?p=8513、参照。

*4 木下豊房「椎名麟三とドストエフスキー」『ドストエーフスキイ広場』(第12号、2003年)→「椎名麟三とドストエフスキー」(木下豊房ネット論集『ドストエフスキーの世界』)

*5 西野常夫「トカジェフスキの見たドストエフスキイ・『死の家』における二人の革命家の出会い」『ドストエーフスキイ広場』(第9号、2000年)

*6 椎名麟三「ドストエフスキーと私」『全集』冬樹社、第16巻、10頁。

*7 高橋誠一郎『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』刀水書房、120頁。

*8 椎名麟三『全集』冬樹社、第22巻、356~7頁。

*9 椎名麟三『全集』冬樹社、第1巻、425頁。

  (掲載に際しては一部改訂し、本文中の説明は注に移動した)

 

混迷の時代と新しい価値観の模索―『罪と罰』の再考察

 もうすぐ「ロシア文学研究」の授業が始まります。

昨年度の講義では国際シンポジウムのテーマともなった『白痴』を中心的に考察しました。西欧文学からの影響も強く見られる作品なので難しいかと思われましたが、思いがけず好評でした。

残念ながら、日本では『白痴』の主人公の一人であるナスターシヤを「この作者が好んで描く言はば自意識上のサディストでありマゾヒストである」と規定した文芸評論家・小林秀雄の『白痴』解釈がいまだに強い影響力を保っています。

しかし、ロシアもまたキリスト教国であり、西欧の文学から強い影響を受けたドストエフスキーはこの作品でも『ドン・キホーテ』や『椿姫』などに言及しています。それらの作品や『レ・ミゼラブル』との関連をとおしてこの作品を分析するとき、浮かび上がってくるのはパワハラや「噂」などで苦しめられた女性の姿なのです。

それゆえ講義では。黒澤映画《白痴》なども紹介することで、小林秀雄が「悪魔に魂を売り渡して了つた」と批判した主人公のムィシキンは、「殺すなかれ」というイエスの理念を伝えようとしていた若者だったことを明らかにしました。

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それゆえ、今年も同じく『白痴』を扱おうかとも考えましたが、結局、『白痴』をも視野に入れながら『罪と罰』を中心に考察することにしました。1866年に「憲法」のないロシア帝国で発表された『罪と罰』で描かれている個人や社会の状況は、現代の日本を先取りするように鋭く深いものがあるからです。

たとえば、ドストエフスキーは1862年に訪れたロンドンでは、ロシアの農奴よりもひどいと思われる労働者の生活や発生していた環境汚染を目撃していました。それらの状況は『罪と罰』における大都市サンクトペテルブルグの描写にも反映されているのです。

合法的に行われていた高利貸しの問題が殺人の原因になっていることはよく知られていますが、この長編小説では悪徳弁護士のルージンが述べる現在のトリクルダウン理論に近い考えも、登場人物の議論をとおして厳しく批判されています。

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そして、ドストエフスキーは『罪と罰』の主人公にナポレオン三世が記したのと同じような「非凡人の理論」を語らせていますが、社会ダーウィニズムを理論的な根拠にした「弱肉強食の思想」と「超人思想」などはすでに当時の西欧社会を席巻しており、後にヒトラーはこの考えを拡大して「非凡民族の理論」を唱えることになるのです。

こうして、19世紀に書かれた『罪と罰』は、時代を先取りし、現代につながるような思想的な問題をも都市の描写や主人公と他者との対話、さらに主人公の夢などをとおして描き出していたのです。

→ モスクワの演劇――ドストエフスキー劇を中心に

   *    *

私が『罪と罰』と出会った当時はベトナム戦争が続いて価値が混迷し、日本では反戦を訴えていた過激派が互いに激しい内ゲバを繰り返して死者も出るようになっていました。その一方で激しい言論弾圧も行われていた隣国の韓国では、朝鮮戦争時の日本と同じように、ベトナム戦争による戦争特需が生まれていたのです。

残念ながら最初に『罪と罰』と出会った頃の現在の日本は軍事政権下の韓国の状況に似て来たように見えます。地球の温暖化や乱立する原発などが状況をより難しくしています。

しかし、ドストエフスキーはロシア帝国だけでなく、おおくの西欧初校も抱えていた多くの矛盾を長編小説という方法で考察し、その矛盾に満ちた世界を改善しようとしていました。

→ 三浦春馬が“正義”のために殺人を犯す青年を熱演!
舞台「罪と罰 …プレビュー 2:44

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また、プーシキンやトルストイの作品などを学ぶことはロシアの歴史や社会を知ることになります。一方、ロシア文学の受容を考察することは、日本の歴史や社会をより深く知ることにもつながります。

ここでは初めての邦訳者・内田魯庵や批評家・北村透谷、そして『罪と罰』を深く研究することで長編小説『破戒』を書き上げた島崎藤村など明治の文学者たちの視点で『罪と罰』を読み解くことにより、差別や法制度の問題にも迫ります。

そして、「平民主義者」から「帝国主義者」へと変貌した徳富蘇峰の「教育勅語」観や「英雄史観」にも注目しながら、「立憲主義」が崩壊する一年前に小林秀雄が書いた『罪と罰』の特徴を分析することで、現代にも通じるその危険性を明らかにすることができるでしょう。

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講義概要

この講義では近代日本文学の成立に大きな役割を果たしたロシア文学をドストエフスキーの『罪と罰』を中心に、ロシア文学の父と呼ばれるプーシキンの作品やトルストイの『戦争と平和』などを世界文学も視野に入れながら映像資料も用いて考察する。

  具体的には比較文学的な手法によりシェイクスピアの戯曲やゲーテの『若きヴェルテルの悩み』、ディケンズの『クリスマス・キャロル』、そしてユゴーの『レ・ミゼラブル』と『罪と罰』との深い関わりを明らかにする。そのうえで『罪と罰』の筋や人物体系の研究の上に成立している島崎藤村の長編小説『破戒』などを具体的に分析することで、近代日本文学の成立とロシア文学との深い関わりを示す。

 さらに、ドストエフスキーとほぼ同時代を生きた福沢諭吉の「桃太郎盗人論」や芥川龍之介の短編「桃太郎」と『罪と罰』の主人公の「非凡人の理論」を比較し、手塚治虫や黒澤明、さらに宮崎駿の作品とのかかわりを考察することで、『罪と罰』の現代的な意義を明らかにする。 (ロシア語の知識は必要としない)。

「ロシア文学研究」のページ構成と授業概要

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

 

 

俳優・中村敦夫氏のライフワーク、朗読劇「線量計が鳴る」の上演スケジュールと劇評、本の紹介

お問い合わせがありましたので再掲します。

下記の「中村敦夫 公式サイト」には最新の上演スケジュールが掲載されています。ご確認下さい。

中村敦夫 公式サイト(上演スケジュール)

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 劇評は下記のページに記しました。

元・原発技術者と木枯し紋次郎――朗読劇「線量計が鳴る」を観る

中村敦夫、公演2

(↑画像をクリックで拡大できます)

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『朗読劇 線量計が鳴る 元・原発技師のモノローグ』(而立書房、2018年)の感想も書き始めていました。

時間がなくてそのままになっていましたので、この機会に取りあえず書影と帯の文章のみを紹介します。

線量計が鳴る

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ねと言われたら死ぬ。そったら日本人にはなりたくねえ!」

原発の技術と問題点、被曝の危険性、福島第一原発事故の実態など、原発の基礎から今日の課題までを、分かりやすく伝える朗読劇。

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 なお本書には「『線量計が鳴る』の原本」ともいえる一幕劇「老人と蛙」も収録されています。(初出は日本ペンクラブ編『今こそ私は原発に反対します』平凡社、2012年)。

いまこそ私は原発に反対します。(書影は「アマゾン」より)

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原発の町で生れ育ち、原発で働き、原発事故ですべてを奪われた。

これは天命か、それとも陰謀か?老人は、謎解きの旅に出る。

ー内容についてー

形式  一幕四場の出演者一人による朗読劇。

元・原発技師だった老人の独白が展開されます。

二場と三場の間に十分間の休憩。

それを入れて、計二時間弱の公演です。

背景にスクリーンがあり、劇中の重要なワードなどが、 映写されます。

他の舞台装置は不要。

物語

一場 原発の町で生れ育ち、原発で働き、そして原発事故で すべてを失った主人公のパーソナル・ヒストリー(個人史)

二場 原発が作られ、日本に入ってきた事情。 原発の仕組み。福島事故の実態。

三場 主人公のチエルノブイリ視察体験。 被曝による医学上の諸問題と現実。 放射線医学界の謎。

四場 原発を動かしている本当の理由。 利権に群がる原子力村の相関図。

継承者歓迎  当初は中村敦夫が朗読しますが、多くの朗読者が、 全国各地で名乗りを上げ、自主公演が増加するこ とを期待します。   

 (「「公式サイト・中村敦夫」より転載)

 

「ラピュタ」6、「腐海の森」から「生命の樹」へ――「科学と自然」と「非凡人と凡人」の関係の考察

「天空の城ラピュタ 画像」の画像検索結果(画像は matome.naver.jp より)

 『風の谷のナウシカ』(1984)における圧倒的な存在感のある「腐海の森」のテーマは、「高度に進んだ科学と自然」との関係を問いただすものでした。この映画では夢の中でナウシカが子供の頃に戻って、「王蟲」の子供が殺されそうになっているのを見て「殺さないで」と叫ぶのを再び見るシーンが描かれています。

このシーンを見て連想したのは、近代西欧の「弱肉強食の思想」から強い影響を受けた『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが「非凡人の理論」を編み出して、「悪人」と規定した「高利貸しの老婆」を殺害しようと計画を練りはじめた頃に見た「やせ馬が殺される夢」のことでした。そこでも夢の中で子供に戻った主人公は、やせ馬を「殺さないで」と叫んでいたのです。『罪と罰』のエピローグでラスコーリニコフは「人類滅亡の悪夢」を見て、その夢がきっかけとなり「非凡人の思想」の危険性を理解するようになることが示唆されています。

一方、『風の谷のナウシカ』の最期のシーンでナウシカは「怒り」のために走り出した王蟲の群れによって「風の谷」の住民が全滅しようとするところに、自分の身を顧みずに自分が助けた「王蟲の子供」とともに降り立つという献身的な行動をとるのです。

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(《風の谷のナウシカ》、図版は「Facebook」より)。

宮崎駿はこのシーンに、「国家」のために「特攻」することで「神」となるような「美しい物語」とは異なり、深い傷を負ったナウシカが王蟲たちによって癒され、復活するという『罪と罰』のエピローグ的な構造を与えています。(『罪と罰』の場合は肉体的な傷ではなく精神的な傷ですが、それでも致命傷に近い精神的な傷から長い時間をかけて蘇ることになるのです)。

 『天空の城ラピュタ』には『風の谷のナウシカ』で描かれていた「腐海の森」は欠けていますが、その代わりに徐々に「生命の樹」のテーマが姿を現してくることになります。

 龍の巣と呼ばれる嵐を乗り越えてラピュタに上陸した主人公のパズーとシータが、灌木をかき分けていくと中央にそびえる天まで届くような巨木に出会います。それでも最初のうちは「生命の樹」のテーマはパズーが必死で掴まる根っこの形で示されるに過ぎません。

 しかし、自分以外の者を「バカども」と見下すムスカが「王族しか入れない聖域」にまで入り込んでいた木の根を見て「一段落したら全て焼き払ってやる」と語るところから「科学と自然」と「非凡人と凡人」のテーマが明確に現れてきます。

 たとえば、「素晴らしい! 700年もの間、王の帰りを待っていたのだ!」と語ったムスカはその一方で、「素晴らしい!!最高のショーだとは思わんかね」と問いかけ、ラピュタから落ちていく兵士たちを見ながら「あっはっは、見ろ。人がゴミのようだ」と楽しそうに語るのです。

 さらに、「これから王国の復活を祝って、諸君にラピュタの力を見せてやろう」とし、旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火」である「ラピュタの雷(いかずち)」を見せて、「全世界は再びラピュタの元にひれ伏すことになるだろう!」と語ります。

すると、恐怖心から「すばらしい、ムスカ君。君は英雄だ。大変な功績だ」と急に態度を一転させた将軍に対しても「君のアホづらには、心底うんざりさせられる」と続けたのです。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

 このようなムスカの言葉は、「凡人」について、「服従するのが好きな人たちです。ぼくに言わせれば、彼らは服従するのが義務で」と規定していた『罪と罰』のラスコーリニコフの言葉を想起させます(三・五)。しかも彼も自分の望みを「ふるえおののくいっさいのやからと、この蟻塚(ありづか)の全体を支配することだ!」とも語っていました(四・四)。

創作ノートにはラスコーリニコフには「人間どもに対する深い侮蔑感があった」(一四〇)と書かれています。ドストエフスキーはラスコーリニコフに、自分の「権力志向」だけではなく、大衆の「服従志向」にも言及させることでラスコーリニコフのいらだちを見事に表現しえているのです。

 一方、フランス文学者の鹿島茂氏は小林秀雄がランボーを「人生斫断家(しゃくだんか)」と定義していたことに注目して、「斫断」というのは辞書にはないので「同じ意味の漢字を並べて意味を強調する」ための造語で、「いきなりぶった切る」という意味を出したかったのではないかと記しています。

 そして鹿島氏は、「昭和維新」を熱心に論じあい、「斎藤実や高橋是清を惨殺した二・二六の将校」と、小林が「その深層心理ないしは無意識において」は、「それほどには違っていなかったのではあるまいか?」と推定しています。きわめて大胆な仮定ですが、「いきなりぶった切る」という意味の「斫断」という単語は、「一思いに打ちこわす、それだけの話さ」と語り、「いやなによりも権力だ!」と続けていたラスコーリニコフの言葉を想起させるのです。

ドーダの人、小林秀雄

 小林秀雄が1940年に書いた『我が闘争』の短評でヒトラーの思想を賛美したことも鹿島説の正しさを示していると思えます。こうして、青年将校たちが「昭和維新」を熱心に論じあっていた頃に書かれた小林秀雄の『罪と罰』論は、若者たちに強い影響を及ぼしました。たとえば、ドストエフスキーの作品論をとおして「大東亜戦争を、西欧的近代の超克への聖戦」と主張した堀場正夫は、著書『英雄と祭典 ドストエフスキイ論』(白馬書房、昭和一七年)の「序にかえて」で日中戦争の発端となった盧溝橋事件を賛美しました。そして、「今では隔世の感があるのだが、昭和十二年七月のあの歴史的な日を迎える直前の低調な散文的平和時代は、青年にとつて実に忌むべき悪夢時代であった」と記して、それまでの平和な時代を罵っていたのです。

 しかし、『罪と罰』の中心的なテーマである「良心」の問題などは無視して、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」とし、エピローグは「半分は読者の為に書かれた」と解釈した小林秀雄の評論は、自分に引き付けた原作とは正反対のテキスト解釈でした。

 その解釈には――1,作品の人物体系や構造を軽視し、自分の主観でテキストを解釈する。 2,自分の主張にあわないテキストは「排除」し、それに対する批判は「無視」する。 3,不都合な記述は「改竄」、あるいは「隠蔽」する――などの特徴があります。

 しかし、権力者によって都合がよかったためにその評論は戦後も影響力を保って、「評論の神様」と奉られるようになったことになった小林秀雄は、1960年の「ヒットラーと悪魔」でも大衆の軽蔑と「プロパガンダ」の効用に注目しながら再び『我が闘争』について詳しく論じました。

作家の坂口安吾は小林秀雄のことを「教祖」と呼びましたが、小林はヒットラーと悪魔」を書いた翌年からは「日本会議」などで代表委員を務めることになる小田村寅二郎に招かれて「全国学生青年合宿所」と銘打たれた研修会で本居宣長などについて5回も講演を行い、それらの講演の後では青年たちとも「対話」も行われていたので、そこからは「日本会議」系の論客も育っていました。

商品の詳細

しかし、邦訳を行った内田魯庵ばかりでなく、北村透谷や島崎藤村など明治の文学者たちは特定の個人に焦点を当てて解釈するのではなく、登場人物の人物体系や全体的な筋の流れを踏まえて『罪と罰』を精緻に分析していました。

明治の文学者たちと同じように宮崎駿のアニメを読み解く際にも、登場人物の人物体系や全体的な筋の流れを踏まえて鑑賞することが必要だと思えます。

 『天空の城ラピュタ』では、パズーが「このままではムスカが王になってしまう。…略奪より、もっとひどいことが始まるよ!」と語って「非凡人の思想」を厳しく批判すると、「飛行石を取り戻したって、わたしどうしたらよいか」と悩んだシータが思い出したのが「滅びの呪文」だったのです。 

 そして、ムスカに「国が滅びたのに、王だけ生きてるなんて滑稽だわ」と告げたシータは、「ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。 『土に根をおろし、風と共に生きよう(中略)』 どんなに恐ろしい武器を持っても、沢山のかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」と続けています。

小林秀雄の『罪と罰』論の手法は、安倍政権による国会の議論の手法や公文書の改竄と隠蔽にも共通していると思えますが、「ラピュタのいかずち」による巨大な雲の形は明らかに原水爆の非人道性を示しています。

二度の原爆投下だけでなく水爆実験の被害にもあったにもかかわらず、身内の者のみを優遇していまだに「核兵器禁止条約」の批准も拒み、原発の推進を行っている政治家たちの前近代な「道徳」観や「公共」観の危険性を『天空の城ラピュタ』は、30年以上も前に予告していたと言えるでしょう。

こうして、科学技術の過信や「最終兵器」が世界を滅ぼすという『風の谷のナウシカ』から一貫して描かれているテーマとともに、「非凡人の思想」や独裁者の危険性が『天空の城ラピュタ』ではより明確に描写されることで、愛する地球を守るために、自分たちの生命をも危険にさらしてパズーとシータが声をそろえて「バルス!」と叫ぶシーンが感動を呼ぶのです。

 一方、このアニメでは「天空の城ラピュタ」が崩壊したかに見えた後で、圧倒的な姿を現すのが「生命の樹」のテーマです。巨木の根で覆われたラピュタは、基底の高度な文明の部分が崩れ落ちたあとも、完全に崩壊することはなく、上部の美しい森や公園を残したまま、天空へと上昇していくのです。

こうしてこのアニメ『天空の城ラピュタ』は、すぐれた民話と同じように分かり易い映像で子供たちに普遍的で大切な英知を伝えているのだと思います。

 

『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈(1、改訂版)テーマの継承と発展――『風の谷のナウシカ』から『天空の城ラピュタ』へ(+「目次」)

「ラピュタ」5、ムスカ大佐の人気と古代の理想化――『日本浪曼派』の流行と「超人の思想」

「天空の城ラピュタ ムスカ 画像」の画像検索結果

(ムスカの画像は、cinema.ne.jp より)

 1,ムスカ大佐の人気と『日本浪曼派』の流行

『天空の城ラピュタ』(1986)を久しぶりに見て懐かしかったのは、『風の谷のナウシカ』(1984)でも重要な役を担っていたキツネリスも出て来ており、ロボットとの交流も描かれていたことです。

 ここにでてくるロボットは『風の谷のナウシカ』の「巨神兵」とは異なり、花を愛で愛嬌もあるのですが、闘う際には性格は一変して空を飛び敵とみなした者をすさまじい殺傷力で撃滅するのです。こうして、宮崎監督の映画では『風の谷のナウシカ』から『天空の城ラピュタ』まで科学技術の過信や「最終兵器」が世界を滅ぼすというテーマは一貫して描かれているといえるでしょう。

すなわち、シータに「ラピュタはかつて、恐るべき科学力で天空にあり、全地上を支配した、恐怖の帝国だったのだ!!」と説明したムスカ大佐は、「そんなものがまだ空中をさまよっているとしたら、平和にとってどれだけ危険なことか、君にも分かるだろう」とシータをだまして飛行石を手に入れたのです。

しかし、飛行石を手に入れて「恐怖の帝国」の内部に入ったムスカは、本性をあらわして将軍に「言葉をつつしみたまえ。君はラピュタ王の前にいるのだ」と語り、兵士たちを無慈悲に地上に落下させて喜んだばかりでなく、自らが手にした破壊兵器の威力を見せつけるために地上に住む人々に向けて原水爆のような威力を持つラピュタの「いかずち」を地上に向けて発射したのです。

 このように見てくるとき、ムスカは自分を「超人(非凡人)」と見なすヒトラーのような嘘つきで非情な独裁者として描かれていることが分かります。それにもかかわらず、なぜかツイッターでは「ムスカ大佐が(キャラ的に)結構好き」というようなつぶやきがみられるのです。

それがとても不思議だったのですが、ムスカが「地上に降りたときに二つに分かれた」古いラピュタ「王家」の末裔であることや彼の権力に惹かれるのかも知れません。第2回の考察では「風の谷」に侵攻した大国の皇女が自分たちに従えば「王道楽土」を約束すると語っていることに注目して、『風の谷のナウシカ』に秘められた「満州国」のテーマを指摘しました。

 昭和初期に日本が「日独防共協定」を結んだドイツでは、浪漫的な古代ゲルマンの神話に題材をとったワーグナーの歌劇が人気を博していましたが、「八紘一宇」などのスローガンで「満州国」が建国された当時の日本でも『日本浪曼派』が流行り、古代が理想視されて、出陣学徒壮行会では「大君のために死ぬこと」の素晴らしさを謳った武将・大伴家持の「海行かば」を詞とした曲が斉唱されたていたのです。

日本浪曼派批判序説 (講談社文芸文庫)(書影は「アマゾン」より)

 しかも、ヒトラーは『我が闘争』で自分を「非凡人」として強調しただけでなく、ドイツ民族の優秀性も強調していましたが、「満州国建国前後の、挫折・失望・頽廃(たいはい)の状況」の「デスパレートな心情」から、日本文化を絶対視して「昭和維新」を目指すような青年将校も生まれていました。

 作家の司馬遼太郎は幕末の「尊王攘夷」的な性格が強く残っていた当時の「昭和維新」を厳しく批判していました。しかし、「維新」という言葉が用いられている政党が人気を呼ぶなど現在の日本の雰囲気は「満州事変」の頃と似てきており、そのことがムスカの人気の遠因となっているのかもしれません。

2,『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』における「超人(非凡人)」のテーマ

 ところで、私が宮崎駿監督のアニメ映画に強い関心を持つようになったのは、『風の谷のナウシカ』を観てからですが、「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときには、『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフが見る「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じました。

 しかも、『罪と罰』のラスコーリニコフは「高利貸しの老婆」の殺害を考えていた際には、彼が子供の頃に体験した「やせ馬が 殺される夢」を見たのですが、ナウシカも自分が子供の頃に体験したと思われる「王蟲の子供が殺される夢」を見ているのです。

 この二つの夢の類似は偶然だろうかとも思いましたが、「ドストエフスキーの『罪と罰』は正座するような気持ちで読みました」と宮崎監督が『本へのとびら』(岩波新書)で書いていることに注目するならば全くの偶然というわけではなさそうです。ドストエフスキー研究者の視点から見ると、『天空の城ラピュタ』にも『罪と罰』のテーマは秘められており、「超人(非凡人)」の危険性の問題がより深められていると思えます。

 その頃の日本では思想家ニーチェなどの影響もあり、「超人(非凡人)」や「英雄」の思想が流行っていました。『文学界』で行われた「日本浪曼派」の作家・林房雄などとの鼎談「英雄を語る」で評論家の小林秀雄も、ヒトラーを「小英雄」と呼びながら「暴力の無い所に英雄は無いよ」と続けていたのです。

そのような見方は、「超人主義の破滅」や「キリスト教的愛への復帰」などの当時の一般的なラスコーリニコフ解釈では『罪と罰』には「謎」が残るとした小林秀雄の『罪と罰』論にも強く反映しています。ラスコーリニコフの「非凡人の理論」の問題点や危険性を深く認識する上でも重要な司法取締官のポルフィーリイとの三回にわたる激しい論争の考察を省くことで小林は、殺人を犯しながらも「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と解釈していたのです。 

 一方、小林の『罪と罰』論の誤りを分かりやすい絵と言葉で明確に指摘したのが、1953年に出版された手塚治虫のマンガ『罪と罰』でした。子供向けに書かれているために、このマンガ『罪と罰』では中年の地主スヴィドリガイロフは単純化されていますが、司法取締官ポルフィーリイの指摘をとおして、「非凡人の理論」の危険性がよく示されています。

そして、よく知られているように宮崎駿は手塚治虫のアニメには批判的だったものの、そのマンガには深い敬愛の念を持っていたので、『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐の形象には「超人(非凡人)の思想」の問題が反映されていると思われます。

 

「ラピュタ」(4,追加版)、「満州国」のテーマの深化――『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』へ

「映画 風立ちぬ 画像」の画像検索結果

(画像はoricon.co.jp  より)

はじめに

この考察の第2回で『風の谷のナウシカ』(1984)には「満州国」のテーマも秘められていましたと記しました。ただ、「王道楽土」という用語から「満州国」のテーマが秘められていると記して先に進むのは少し強引すぎたようです。

それゆえ、『天空の城ラピュタ』からは離れることになりますが、「満州国」のテーマを浮かび上がらせるために、今回は『風の谷のナウシカ』と映画『風立ちぬ』との深い関りを記すことにします。分量が意外と多くなりましたので独立させて(3)の後に置いて(4、追加版)としました。

   *   *   *

 作家・堀辰雄の小説『風立ちぬ』を骨格の一つとする映画『風立ちぬ』を公開した宮崎駿監督は、この映画の後で公開された映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造」と厳しく批判していました。

 https://twitter.com/stakaha5/status/1117103001485758464

拙著『ゴジラの哀しみ』の第2部で詳しく分析したように、作家・司馬遼太郎の高級官僚批判をほとんど抜き出したような記述もあるこの映画の原作では、主人公の「僕」に「ノモンハンの時、辻らの高級参謀がきちんと責任を取らされていたら、後のガダルカナルの悲劇はなかったかもしれない」などと語らせることで、反戦小説と誤読されています。

 しかし、長編小説『永遠の0』は反戦を装いつつも、多くの県民を犠牲にした「沖縄戦」を正当化しつつ、「皇紀2600年」を記念して零戦と名づけられた戦闘機を讃えることにより、その結末では「特攻」を讃美していたのです。

 一方、映画『紅の豚』や『風の谷のナウシカ』では、空中戦の空(むな)しさを示唆するような映像も示されていましたが、地上の戦いはいっそう悲惨で、230万ほどの戦死者のうちの6~8割が『餓死』をしており、華々しい戦いで亡くなる「英霊」とは敬われないような戦いを強いられていたのです(藤原彰『餓死した英霊たち』)。

 作家の堀田善衞が自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』で描いたのは、大学受験のために上京した翌日に2.26事件に遭遇した若者を主人公として、彼が「赤紙」で召集されるまでの、戦争への批判も許されない重苦しい「満州国」建国後の時代でした。

その堀田善衞について宮崎監督は、「堀田さんは海原に屹立している巌のような方だった。潮に流されて自分の位置が判らなくなった時、ぼくは何度も堀田さんにたすけられた」と書いています(『時代と人間』)。

時代と人間

映画『風立ちぬ』では作家・堀辰雄の小説だけでなく零戦の設計者・堀越二郎の伝記をも踏まえていたために厳しい批判も浴びましたが、宮崎監督はこの映画について、「少年時代の堀越二郎の夢に出て来る草原は、空想の世界の草原です。でも、終わりの草原は現実で、『あれはノモンハンのホロンバイル草原だよ』」とスタッフに語り、戦争の悲惨さにも注意を促していました。

 しかも、宮崎が深く敬愛していた作家の司馬遼太郎は劇作家・井上ひさし氏との対談で「私は小説にするつもりで、ノモンハン事件のことを徹底的に調べたことがある」と語り、「ノモンハンは結果として七十数パーセントの死傷率」で、それは「現場では全員死んでるというイメージです」と語り、戦闘に参戦した須見・連隊長の次のような証言をも記しています。

すなわち、「天幕のなかにピストルを置いて、暗に自殺せよ」と命じられたことを伝えた須見新一郎元大佐は、「敗戦の責任を、立案者の関東軍参謀が取るのではなく」、貧弱な装備で戦わされ勇敢に戦った「現場の連隊長に取らせている」と厳しく批判したのです(『国家・宗教・日本人』)。

 「このばかばかしさに抵抗した」須見元大佐が退職させられたことを指摘した司馬は、彼のうらみはすべて「他者からみれば無限にちかい機能をもちつつ何の責任もとらされず、とりもしない」、「参謀という魔法の杖のもちぬしにむけられていた」と書いています(『この国のかたち』・第一巻)。

こうして「ノモンハン事件」を主題とした長編小説は『坂の上の雲』での考察を踏まえて、「昭和初期」の日本の病理を分析する大作となることが予想されたのですが、この長編小説の取材のためもあり行った元大本営参謀の瀬島龍三との対談が、『文藝春秋』の正月号(1974年)に掲載されたことが、構想を破綻させることになりました。この対談を読んだ須見元連隊長は、「よくもあんな卑劣なやつと対談をして。私はあなたを見損なった」とする絶縁状を送りつけ、さらに「これまでの話した内容は使ってはならない」とも付け加えたのです(「司馬遼太郎とノモンハン事件」)。

司馬氏に対する須見元連隊長のこのように激しい怒りは理解しにくいかもしれませんが、シベリアに抑留された後で、戦後に商事会社の副社長となり再び政財界で大きな影響力を持つようになった瀬島は、1995年には「日本会議」の前身である「日本を守る国民会議」顧問の役職に就いているのです。

 一方、「ノモンハンの時の辻らの高級参謀への鋭い批判が記されている『永遠の0(ゼロ)』では、元大本営参謀・瀬島龍三批判は記されていないどころか、彼をモデルとして元海軍中尉で「一部上場企業の社長まで務めた」武田貴則という登場人物を構想し、その彼に新聞記者の戦争観を激しく批判させている可能性が高いのです。

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少し、長くなりましたので映画『風立ちぬ』については後でもう少し詳しくみることにして、(2)の「宮崎アニメの解釈と「特攻」の美化(隠された「満州国」のテーマ)」に戻って、橋川が保田與重郎とともに「インテリ層の戦争への傾斜を促進する上で、もっとも影響多かった」と記している評論家・小林秀雄の戦争観を確認して頂ければと思います。

 小林秀雄の『罪と罰』解釈を確認することにより、小林の「超人(非凡人)」観を厳しく批判していた手塚治虫のマンガ『罪と罰』とその考察を踏まえて創られていると思える宮崎アニメの意義をより深く理解できることになると思えます。

 

「ラピュタ」3(閑話休題)――丸山穂高氏のツイッターの手法と比較という方法の意義

 今回の一連の考察では、現在の日本で起きている事件なども視野に入れながら、宮崎駿監督のアニメに対する理解の問題を、短い言葉で自分の意見や感情を述べるツイッター文化の特徴についても少し踏み込んで考えています。

宮崎駿監督の会見映像とともに、「彼の深く壮大な作品に込めた想いと共に、こうした現実に対する問題意識も多く人々に届くことを」と記したにゃん吉氏の8月19日のコメントと映像に対しては、「平和ボケの九条信者」と監督を揶揄したり、「作品とは関係のない政治的発言はやめるべきだ」などという批判のツイートも多く寄せられていました。(なお、私のツイッターでは読めなくなっていた投稿記事もここには残っていました)。

https://twitter.com/umetaro_uy/status/1163449741352419330

今回は閑話休題という形でツイッターと扇情的な週刊誌の手法の類似性と危険性についてだけでなく、その批判を行う際の比較という方法の意義について考えることにします。

    *   *   *

 前回は北方領土での言動が激しい顰蹙を買ったにもかかわらず丸山穂高氏が、日韓で領有権が争われている竹島についても、「戦争で取り返すしかないんじゃないですか?」とツイッターに投稿して論議を呼んでいることについて触れました。しかし、それはやはり氷山の一角だったようで、今度は『週刊ポスト』が「韓国なんて要らない」などと題する特集を組んで、 「嫌韓ではなく断韓だ」「厄介な隣人にサヨウナラ」と表紙に大書きしたのです。

 Paul氏はこの「断韓」という用語が、在特会がヘイトデモで掲げた「断韓」の旗と同じ用語であるとツイートしていますが、ジャーナリストの布施祐仁氏もツイッターで「こういう時こそ冷静な言論が必要なのに、販売部数を伸ばすために逆に韓国への敵対心や排外主義的なナショナリズムを煽るメディア。売れれば何でもいいのか?言論機関としての矜持はないのか?」との鋭い批判の矢を放ちました。

 執筆中の作家などからも一斉に「差別的だ」と批判されたことで、『週刊ポスト』は一転してこの特集について、「誤解を広めかねず、配慮に欠けていた」と謝罪しました。しかし、そこでは誠意が全く感じられず、北方領土問題のあとで、プロフィール欄に「憲政史上初の衆院糾弾決議も!」と書きこんで、支持者を煽っている丸山氏のレベルとあまり変わりないように感じます。

 この意味で宗教学者のKawase Takaya氏が「今回の『週刊ポスト』の件、酷いのは言わずもがなだが、毎月それを上回る酷い煽り文句と記事(という名のヘイト)を垂れ流している『WILL』やら『Hanada』に多くの現役議員が寄稿したり対談やってたりする異常さも忘れてはダメ」とツイッターに投稿していることは重要でしょう。

 実際、月刊『Hanada』の10月号では「韓国という病」というヘイト特集に、韓国への輸出規制交渉の責任者である世耕経産大臣が誌上で「改憲」派の急先鋒である櫻井よしこ氏と対談をし、冷静な外交を行うべき佐藤正久・外務副大臣が「嫌韓」を煽るような記事を書いていたのです。

 そのことを考えるならば、140字という短い文字数で自分の主張を記すツイッターの手法は煽情的な週刊誌の手法にも通じているようです。なぜならば、冷静に相手の主張も記してその後にその反論と言う形で自分の考えを述べるという比較と言う方法を行うには文字数が足らないからです。

 思い出されるのは、『枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』が大ヒットした際に、『1分で話せ』という本の題名を出して揶揄するツイートが多く見られたことです。

緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」(書影は「アマゾン」より)

ここにも一部のツイッターの書き手の短絡的な特徴がよく現れていると思われます。政治でも外交と同じように相手の立場や状況をよく聞き、理解してから自分の考えを述べることが必要なのですが、揶揄者はそれを失念してセールスマン的な資質を政治家に求めていたのです。

 (以下、加筆と改訂)

 こうして、ツイッターや週刊誌などで扇情的な文章や記事が横行するようになる中、先週、在日韓国大使館に銃弾1発と脅迫文を入れた封書が届いていたことが分かりました。司馬遼太郎は「征韓論」など日本における外交が、内政上の危機を逸らすために用いられてきたことを指摘していますが、安倍内閣にもそのような危険性が感じられます。

 このブログの記事やツイートではオリンピックを名目にした「共謀罪」法案が、テロ対策よりも批判者を取り締まる法案であることが「国連」からも指摘されていたことに注意を促して、幻となった1940年の東京オリンピックの状況と今度のオリンピック前の状況が似てきたと記しました。

  アベノミクスなどの破綻が徐々に明白になってきている一方で、先ほどは東京五輪の組織委員会が旭日旗の持ち込みを禁止しないと発表したことで、オリンピックがベルリン・オリンピックと同様の国威発揚の場とされる危険性が高くなってきました。

→ https://this.kiji.is/541527294797661281?c=39550187727945729

  

〔手塚治虫のマンガ『アドルフに告ぐ』は、 ナチスの宣伝の場となった1936年の華やかなベルリン・オリンピックの最中に電話をかけてきた弟が殺されたことを主人公の新聞記者が知るところから始まり、ドイツと日本の悲劇を壮大な規模で描いている。〕

このような事態に冷静かつ的確に対処するためにも、比較という方法を活かして文学作品だけでなく今回、考察している宮崎駿のアニメ映画などをブログだけでなくツイッターでも紹介することにより、扇情的なナショナリズムを乗り越える道を模索していきたいと考えています。

半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義 (文春ジブリ文庫)

 (2019年9月4日、改訂)

黒澤明監督が関東大震災で見たもの――朝鮮人虐殺から映画《生きものの記録》へ

1923年9月の関東大震災での朝鮮人虐殺を巡り、日本政府は百年後の6月15日の参院法務委員会で社民党の福島瑞穂党首の質問に対して、「当時の内務省が朝鮮人に関する流言を事実とみなし、取り締まりを求めた公文書を保管していることを認めた。」(共同通信社)

警察を所管していた内務省警保局が震災直後の9月3日、全国の地方長官に宛てて打った電報で「(朝鮮人が)爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」などと認定した上で「厳密なる取り締まりを加えられたし」と記載されている。

(2023年6月18日加筆)

1923年9月1日に起きた関東大震災の犠牲者を追悼する大法要が都立横網町公園の慰霊堂で昨日営まれ、公園内では朝鮮人犠牲者追悼式も開かれた。しかし、「日本会議」代表委員の石原慎太郎氏でさえも、元都知事の際には寄せていた朝鮮人犠牲者への追悼文を小池都知事は3年連続で見送った。

この背景には1965年の「日韓請求権協定」問題のこじれなどから日韓政府が激しく対立することになったため安倍政権の経済政策を担って、原発の輸出などを推進してきた創生「日本」の副会長の世耕経産相が、雑誌などで「嫌韓」を煽るようになっていることがあるだろう。

しかし、元・文部科学事務次官の前川喜平氏が昨日の「東京新聞」で書いているように、震災後には「人々の心の中に巣くう偏見や差別意識が、不安や恐怖に突き動かされ、極めて残忍かつ醜悪な暴力として顕在化し」、「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「不逞朝鮮人が日本人を襲う」などの流言飛語を信じた「自警団」などによって朝鮮人が次々と虐殺されていた。

https://twitter.com/yunoki_m/status/1168158075133415426

今となっては信じがたいような大事件だが、これについては当時19歳で千駄ヶ谷に住んでいた演出家の千田是也が、その時に間違えられて危うく殺されそうになったことを証言し、「異常時の群集心理で、あるいは私も加害者になっていたかもしれない」と思い、「自戒を込めて」芸名を、「千駄(センダ)ヶ谷のKorean(コレヤ)」にした」と語っていた(毎日新聞社・編『決定版昭和史 昭和前史・関東大震災』所収)。

さらに、中学2年生時に被災した黒澤明監督も自伝『蝦蟇の油』(岩波書店)で、「関東大震災は、私にとって、恐ろしい体験であったが、また、貴重な経験でもあった。/ それは、私に、自然の力と同時に、異様な人間の心について教えてくれた」と記していた。

宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》では朝鮮人虐殺のシーンなどは描かれていないが、座っている座席も地震で揺れているような錯覚に陥るほどの圧倒的な迫力で大地震とその直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景が描かれている。

黒澤はその時「ああ、これがこの世の終わりか」とも思ったが、真に恐ろしい事態は大都会が闇に蔽われた時に訪れた。

「下町の火事の火が消え、どの家にも手持ちの蠟燭がなくなり、夜が文字通りの闇の世界になると、その闇に脅えた人達は、恐ろしいデマゴーグの俘虜になり、まさに暗闇の鉄砲、向こう見ずな行動に出る。/ 経験の無い人には、人間にとって真の闇というものが、どれほど恐ろしいか、想像もつくまいが、その恐怖は人間の正気を奪う。/どっちを見ても何も見えない頼りなさは、人間を心の底からうろたえさせるのだ。/ 文字通り、疑心暗鬼を生ずる状態にさせるのだ。/ 関東大震災の時に起った、朝鮮人虐殺事件は、この闇に脅えた人間を巧みに利用したデマゴーグの仕業である。」

実際、この時黒澤は「髭を生やした男が、あっちだ、いやこっちだと指差して走る後を、大人の集団が血相を変えて、雪崩のように右往左往する」のを自分の眼で見、朝鮮人を追いかけて殺そうとする人々が、日本人をも「朝鮮人」として暴行を加えようとした現場にも、立ち会っていた。

たとえば、「焼け出された親類を捜しに上野へ行った時、父が、ただ長い髭を生やしているからというだけで、朝鮮人だろうと棒を持った人達に取り囲まれた」が、父が「馬鹿者ッ!!」 と大喝一声すると、「取り巻いた連中は、コソコソ散っていった」。

それゆえ後年、黒澤明監督は娘の和子に「日本人は、付和雷同する民族だ、関東大震災や二度の世界大戦も知っているけど、恐怖にかられた人間は、常軌を逸した行動に走る」と指摘し、「この情報社会になってからは、日常の中にそういう現象が起こるようになった。これは、本当に恐ろしいことだよ」と語ったのである。

そして、前川氏も「韓国に対し殊更に強圧的な言辞をあからさまに吐く政治家たち」や「これでもかと嫌韓を煽るテレビのバラエティー」などに注意を促して、同じようなことは、「百年近く経った今日でも起こりかねないことだ」と指摘している。

一方、関東大震災の時に兄の丙午から「怖いものに眼をつぶるから怖いんだ。よく見れば、怖いものなんかあるものか」と教えられた黒澤明は、「第五福竜丸」事件の後では放射能の被曝を主題とした映画《生きものの記録》を公開した。

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

映画《生きものの記録》が英語で《I Live In Fear (私は恐怖の中で生きている)と訳されていることもあり、いまだにこの主人公の老人・喜一は「恐怖」から逃げだそうとしたと誤解されることが多い。

しかし、むしろ彼は放射能の問題を直視しており、「あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、「ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と批判していたのである。

その意味でこの老人・喜一は自然の豊かさや厳しさを本能的に深く知っていた映画《デルス・ウザーラ》の主人公の先行者的な人物であったといえるだろう。(拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社)。

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小池百合子・都知事は、朝鮮人犠牲者への追悼文を見送ることで、朝鮮人虐殺の問題から都民の目を逸らさせ、「風化」させることを狙っているようだが、「日本の『負の歴史』に真摯に向き合おうとしなければ、忌まわしい過去は繰り返される」ことになるだろう。

前川氏が結んでいるように「九月一日は単なる防災の日ではない。大量虐殺という人災を繰り返さないための誓いの日でなければならないのだ。」

 「ラピュタ」2――宮崎アニメの解釈と「特攻」の美化(隠された「満州国」のテーマ)

 『天空の城ラピュタ』の二年前に公開された『風の谷のナウシカ』(1984)における『罪と罰』のテーマについてはすでに何度かふれてきましたが、このアニメには「満州国」のテーマも秘められていました。

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(《風の谷のナウシカ》、図版は「Facebook」より)。

 すなわち、「風の谷」を侵略した大国の皇女は自分たちに従えば「王道楽土」を約束すると語るのですが、それはかつて日本が「満州国」を建国した際に理想を謳った「五族協和」や「八紘一宇」と同じようなスローガンの一つだったのです

 雑誌『日本浪曼派』の主催者・保田與重郎も「満州国の理念」を、「フランス共和国、ソヴエート連邦以降初めての、別箇に新しい果敢な文明理論とその世界観の表現」と、「『満州国皇帝旗に捧ぐる曲』について」で讃えていました(橋川文三『日本浪曼派批判序説』講談社文芸文庫、34頁)。

日本浪曼派批判序説 (講談社文芸文庫)(書影は「アマゾン」より)

 それゆえ、このようなスローガンに惹かれて日本だけでなく、植民地だった朝鮮からも多くの人々がそこに移住しましたが、実態は理想とはかけ離れたものでした。彼らに与えられた土地は満州に住んでいた人々が安く買いたたかれて手放した土地であり、そこでは軍が深く関わっていたアヘンも横行するようになっていたのです(姜尚中、玄武岩著『興亡の世界史 大日本・満州帝国の遺産』 講談社学術文庫、2016年参照)。

興亡の世界史 大日本・満州帝国の遺産 (講談社学術文庫)

 評論家の橋川文三が指摘したように、「満州国建国前後の、挫折・失望・頽廃(たいはい)の状況こそ、『昭和の青春像の原型』であり、この『デスパレートな心情』こそ、『深い夢を宿した強い政治』への渇望の燃料」となっていました。

 橋川は保田與重郎とともに小林秀雄が、「戦争のイデオローグとしてもっともユニークな存在で」あり、「インテリ層の戦争への傾斜を促進する上で、もっとも影響多かった」ことに注意を促していますが、「立憲主義」が崩壊する一年前に小林秀雄が原作における人物体系などには注意を払わずに行った『罪と罰』の解釈にもナチズム的な暴力主義への傾倒が秘められています(拙著、第6章参照)。

 さらに小林秀雄は真珠湾の攻撃を「空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。」と美しく描き出しました(小林秀雄「戦争と平和」)。 しかし、作家の堀田善衞が指摘しているようにこの真珠湾攻撃には「特殊潜航艇による特別攻撃」がともなっており、この攻撃に参加した若者たちは暗い海の藻屑となって全員が亡くなり、「軍神」として奉られていたのです。

 しかし、アニメ『天空の城ラピュタ』が放映される数日前には靖国神社や自衛隊で人間魚雷「回天」のキューピーちゃん人形が販売されていたことが話題になっていました。司馬遼太郎とも対話を行っていた元第十八震洋特攻隊隊長で作家・島尾敏雄氏の作品を読んでいたこともあり、そんな「不謹慎」なことはありえないだろうと考えていたのですが、実際に2009年12月までは販売されていたようで、その写真を見て愕然としました。

 さらに、「#あなたが作りそうなジブリ作品のタイトル」というハッシュタグには、「・回天の城ラピュタ ・指揮官の動く城 ・海自の恩返し ・人形立ちぬ ・艦これ姫の物語 ・前線の豚 ・写真の墓 ・戦艦戦記」などの軍隊系の題名が挙げられ、特殊潜航艇「回天」もその題名に取り入れられていたのです。

 一方、東大から経産省などをへて衆議院議員になった丸山穂高氏が、北方領土での言動が激しい顰蹙を買ったにもかかわらず、むしろ前科を誇るかのようにツイッターのプロフィール欄に「憲政史上初の衆院糾弾決議も!」と書きこんでいることに気づきました。

 しかも、8月31日のツイートでは竹島への攻撃を扇動したことがS 氏に批判されると、広島と長崎の悲劇について「過ちは繰返しませぬから」と言うべきは原爆を投下して非戦闘員を含めた非道なる大量虐殺を行った米軍かと。理解されていないのはどちらですかね?まさに敗戦国の末路かと。」と揶揄していました。しかし、「貴方の返信を多くのみなさん知って貰いたいので返信を公開して良いですか?」とS 氏から問いただされると直ちに自分のツイートを削除したようです。

 これらの投稿からは彼が核戦争の悲惨さについて考えたこともないだろうということが分かりますが、それは「#バルス祭り」などを提案しているツイッターの書き手にも通じているでしょう。そのことはアニメ『千と千尋の神隠し』が放映された後でこの映画の主題歌に関連して、宮崎監督の深い平和観について次のようなツイートをした際にも感じました。

 「安倍首相の復古的な歴史観を批判した宮崎駿監督の映画は民話的な構想に深い哲学的な考察を含んでおり世界中で愛されています。たとえば、ウクライナの女性歌手Nataliya Gudziyも、『千と千尋』の主題歌を通して原爆と原発事故とのかかわりついて深い説得力のある言葉で語っています。」。

ウクライナ美女が 千と千尋~ 主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy … – YouTube

 このツイートに対しては多くのリツイートと「いいね」が寄せられましたが、そればかりでなくネトウヨと思われる人からの執拗な反論がありました。粘り強く反論すると不意にブロックされたばかりでなく、相手やその支持者たちの多くのいやがらせのツイートも完全に消されていたのです。

 そのような経緯から安倍首相が「核兵器禁止条約」の批准に反対し、原爆反対の書名集めも政治活動と見なすようになるなかで、宮崎駿監督の映画をも敵視するような若者や大人が増え始めていると感じました。

 少し大げさなようですが、亡びの呪文である「バルス」がツイッターのトレンドに入るような状況からは日本の言語文化が危機に瀕しており、情緒的な短い文章で感情的に煽ることには長けていても、自分の考えをきちんと論理的に相手に伝える能力が低下しているのではないかとさえ思えます。

 それはアニメの理解だけでなく、日本の学校における文学の教育にも深く関わっています。

『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈(1、改訂版)テーマの継承と発展――『風の谷のナウシカ』から『天空の城ラピュタ』へ

はじめに

「『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈」の考察が思いがけず長くなったので第一章を大幅に改訂して、題名と副題も「テーマの継承と発展――『風の谷のナウシカ』から『天空の城ラピュタ』へ」と変更し、最後に論考の〔目次〕を添付しました。

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8月30日に久しぶりにジブリのアニメ『天空の城ラピュタ』(1986)をテレビで観ました。これまでにも何回か見ているはずなのですが、主人公のパズーとシータと周りの個性的な登場人物たちの触れ合いをとおして文明論的な大きなテーマが軽快で雄大に描かれていました。『風の谷のナウシカ』で重要な役を担っていたキツネリスも出て来て、ロボットとの交流が描かれていました。

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また、『風の谷のナウシカ』(1984)と『罪と罰』のテーマとの係わりについては何回が記しましたが、ここでも主人公たちとムスカ大佐との係わりをとおして「科学と自然」や「非凡人と凡人」のテーマがいっそう深く掘り下げられていることを改めて感じました。

圧倒的な存在感のある「腐海の森」は描かれていませんが、その代わりに徐々に姿を現してくるのが「生命の樹」のテーマです。また、軍隊と空の海賊との戦いのシーンや空賊たちの描写からは、後の『紅の豚』に通じる要素が強く感じられました。

しかし、『天空の城ラピュタ』を見終わった後でツイッターの投稿記事を調べたところ、宮崎駿監督の意図とは正反対と思われる記述があり唖然としました。たとえば、破滅の呪文である「バルス」という言葉を用いて、「いよいよ、#令和最初のバルス祭り」などの記述があったのです。

「ポピュラー文化を分析することで、日本人の核意識と戦争観の変化を考察」した拙著『ゴジラの哀しみ』(2016)を書く際にも、1954年の映画『ゴジラ』の感想を中心にツイッターでの記述も調べて、核武装などを支持するような記述とも出会ってはいたのですが、 今回のハッシュタグなどには首をかしげてしまいました。

 しばらく考えこみましたが、このような感想には「評論の神様」と奉られた評論家・小林秀雄の文学作品や映画の解釈からの影響があり、その根底には「作者と作品との関係をどうとらえるか」という大きな問題が横たわっているだろうと思うようになりました。

この問題は日本のポピュラー文化だけでなく、ロシア文学の研究などにも深く関わるので、少し時間をかけて文学研究者の視点から考えて見たいと思います。結論を記すのではなく、考えながら書いていきますので、多少、話が前後する場合や内容が一部重複する箇所も出て来ると思いますが、ご了解下さい。

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『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈」の「目次」

(2)宮崎アニメの解釈と「特攻」の美化――隠された「満州国」のテーマ

(3、閑話休題)――丸山穂高氏のツイッターの手法と比較という方法の意義

(4,追加版)「満州国」のテーマの深化――『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』へ

(5)ムスカ大佐の人気と古代の理想化――『日本浪曼派』の流行と「超人の思想」

(6)「腐海の森」から「生命の樹」へ――「科学と自然」と「非凡人と凡人」の関係の考察