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08月

カルト教団の闇に鋭く迫る渾身の作 中村敦夫著『狙われた羊』 (講談社、2022年)

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狙われた羊 (講談社文庫) | 中村 敦夫 |本 | 通販 | Amazon


真夜中に起きた自動車事故のシーンから始まる中村敦夫著『狙われた羊』は迫力ある文体で読者を新興宗教の異様な世界へと引き込み、最後まで一気に読ませる。

 その一因は失恋してなやんでいた女学生の中道葉子が、「青年の意識調査」と称して近づき、自宅にまで訪ねてきてやさしく相談に乗っていた「野ばらの会」の小川早苗と親しくなったために次第に取り込まれていく過程が具体的に描かれていたためであろう。

 「野ばらの会」の小川早苗に誘われて「自我開発ビデオ・センター」での2泊3日の研修に行った中道葉子は2週間の中級研修を経て、集団結婚式まで3年6か月の修行に励もうと決意することになる。

 その一方で、この小説では業界紙から週刊誌のトップ屋となり、一児をもうけたが離婚して今は小さな探偵事務所を開いている少しドジな主人公の探偵・牛島三郎が、松本安吾から信者となったと思われる息子・武志の救出を依頼されたことから、事務所荒らしや無言電話などこの教団とのいざこざに巻き込まれることになる

 牛島三郎の人物造の設定は成功しており、読者は教団のことをほとんど知らなかったこの探偵の失敗などをとおして、この教団の組織や教義についても徐々に知識を深めていくことになる。

 この小説のクライマックスの場面の一つは、中道葉子が参加した中級研修の12日目の夜に上映されたドキュメンタリィ映画「大日本帝国による朝鮮半島三十八年支配」から受けた印象の記述だろう。

 それは「モノクロニュース映画の断片や、報道写真などを重ね合わせ、情緒的な音楽と感情的なナレーションで構成されていた。朝鮮民族に対する日本軍の目を覆うばかりの残虐な行為が次々と映し出された。葉子は、言葉で表現できぬほどのショックを受けた。

 「文部省教育の方針として、中学、高校の歴史学習は、近代史まで深入りしないよう指導されて」いたために、そのことを全く知らなかった「葉子同様の教育背景で育った十二人の受講生たちは、一様に心を揺さぶられ、深い罪悪感を抱かされた」のである。

 その後で「(神は救世主を)、この地球上で最も苦しく、悲惨な状況にある民族の住む場所」に派遣すると講師が説明したことで、受講生は「朝鮮民族」が選ばれた民族であると理解し、3泊4日の上級研修の最終日に団体の正式名称が「国際キリスト敬霊協会」であると告げられても、政治家や学者の著名人の協力者の名前などを挙げられて安心し、『原則講典』を贈与されてつらい修行への覚悟を固めることになる。

 問題はこの小説が書かれた3年後の1997年に従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとする「新しい歴史教科書をつくる会」が創立されると、安倍元首相が「日本の前途と新しい歴史教育を考える会」を立ち上げてこの動きを強く支援したことである。

 つまり、日本の歴史の負の側面を学校で教えないようにすることを支援した安倍氏は、歴史の真実を知った若者たちが「罪の意識」から旧統一教会に取り込まれることを、意識はしていないにせよ側面から援助していたことになる。

 しかも、今年の7月8日には安倍晋三元首相が信者の二世によって殺害されるという衝撃的な事件が起きたが、『狙われた羊』では大手出版社の系列雑誌が特集で「信者の土地を担保に金融機関から金を借りさせるHK(ハヤク・カネ)作戦」に引っ掛って、「五十億円分の土地担保を取られ、家族が訴訟を起こしている事件」も取り上げていたことも記されている。

 さらに、韓国に本部を持つこの組織が「韓国、日本、アメリカなどの政治家たちを買収し、自分たちの違法行為を見逃すよう圧力を掛けている。日本だけでも百名以上の保守系議員が援助をもらったり、無給の秘書提供や選挙運動の手助けなどを受けている」として「そうそうたるメンバーが名を連ねている」議員名簿を挙げ、「信者の中から県や市議会に議員を送り出し、政権奪取を夢想している」ともいわれていることが記されている。

 1998年9月22日法務委員会で中村敦夫氏は「教祖文鮮明の入国」や「合同結婚式」の問題だけでなく、国会議員に対する「秘書の派遣の問題」などを鋭く追及していた。

 しかし、2015年に安倍内閣が「統一教会」の「世界平和統一家庭連合」への改称を認めたことで、この「統一教会」の問題はジャーナリズムの表面からは消え、2021年に安倍晋三元首相がその総裁への賛辞のビデオ・メッセージを送っていたのである。

 『狙われた羊』の後半では、マインド・コントロールによって自主的な思考ができなくなり、教会の教えのままに行動するようになった息子や娘をなんとか取り戻そうとする家族の壮絶な戦いが描かれるとともに、この教団の教祖の歴史も調べることで、なぜこの教団では不可思議な「集団結婚式」が行われるようになった理由も解明されている。

 この作品の「あとがき」で中村氏は、「この書が目指すところは、マインド・コントロールの意図的悪用が、人間の思考や人格を改造し、社会的犯罪を作り出すというメカニズムを、物語によって図解することである」と書いている。

この小説は政治と宗教との関係に揺れる今こそ、多くの読者やことに若者に読まれるべき作品だと思う。(10月14日改訂、2023年2月2日改題)

中村敦夫氏と裁判

統一教会問題の報道を続けていた筑紫哲也氏

中村敦夫氏のライフワーク、朗読劇「線量計が鳴る」より

(2023/5/29、改題してツイートを追加、2024/05/06、加筆)

「『文明の衝突』とドストエフスキー」を「主な研究」に掲載

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 拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)では、「正教・専制・国民性」の理念が唱えられ、検閲が厳しかったニコライ一世の時期に デビューしたドストエフスキーの 『貧しき人々』から『『白夜』』に至るまでの作品を考察した。

 その終章「日本の近代化とドストエフスキーの受容」では、ニコライ一世の頃と昭和初期の類似性にも言及したが、グローバリゼーションの圧力が強まる中でナショナリズムが高揚して戦争が勃発する危険性があることを感じた。それゆえ
2008年1月26日に代々木区民会館で行われた第184回例会では、ダニレフスキーの歴史観が『作家の日記』に及ぼした影響などを考察した論考「『文明の衝突』とドストエフスキー ポベドノースツェフとの関りを中心に」を発表した。

 その後もプーチンが帝政ロシア的な政策に傾いていくことに強い危惧の念を抱いていたが、生誕200年にドストエフスキーを「天才」と賛美した翌年の2月についにウクライナへの全面的な侵攻に踏み切った。その行動に際しては『作家の日記』の記述を意図的に今回の戦争に利用していると感じたが、例会発表の際の論考が『ドストエーフスキイ広場』以外には未発表だった。それゆえ、この論文をホームページの「主な研究」に再掲する。論文の構成は次の各節からなる。

 一、ポベドノースツェフと「臣民の道徳」 二、後期作品への扉としての『白夜』 三、「正義の戦争」の批判から賛美へ――クリミア戦争の考察と露土戦争 四、残された謎――『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンの悪魔の形象 五、ドストエフスキーのユダヤ人観とポベドノースツェフの宗教観 六、皇帝暗殺の「謎」とアジアへの進出政策

→「文明の衝突」とドストエフスキー ――ポベドノースツェフとの関わりを中心に

 なお、例会発表の後では出版記念会を開いて頂き、木下代表など参加頂いた会員の方からは温かいご祝辞や貴重なご示唆を頂いた。そのことに改めて謝意を表するとともに、拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』の終章「日本の近代化とドストエフスキーの受容」で堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』二言及していたことが、『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社、2021年)につながったことも記しておきたい 。

       (2022年12月2日、構成などを加筆、拙著のスレッドを追加)