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「作者」の強い悪意――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(7)

「作者」の強い悪意――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(7)

 

いよいよ終りに近づいてきましたので、「美しい家族愛の物語」を描いているかに見える小説『永遠の0(ゼロ)』の構造に秘められた「強い悪意」を明らかにしたいと思います。

ただ、その前に〈私は、記憶に新しい都知事選での応援演説をはじめ百田氏の言動には同意できないことだらけです。〉と書いた寺川氏が引用している百田氏の次のようなツイートの文章を分析することで、「作者」の「強い悪意」を明らかにしておきます。

「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。」

この文章が書かれたのは2013年10月7日付のツイートとのことですので、百田氏がNHKの経営委員に就任する一ヶ月前になりますが、NHKはどのような審査をしてこのような発言をする彼を選んだのでしょうか。しかも、百田氏は就任の際には「公共放送として、視聴者のために素晴らしい番組を提供できる環境とシステムを作ることにベストを尽くしたいと思っています」との抱負を述べていたのです(太字引用者)。

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文明史家とも呼べるような広い視野と深い洞察を行っていた作家の司馬遼太郎氏は、明治以降の日本における「義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったことに注意を促して、「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していました(『甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか』、『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)。

一ヶ月前のツイートの文章を思い出せば、百田氏は恥ずかしくてNHKの経営委員には就任できなかったのではないかと私には思えたのですが、司馬氏の記述を踏まえて考えるならば、このとき百田氏が用いた「公共放送」とは現在用いられている「公共」という意味ではなく、「国民」に人としての尊厳の重要性ではなく、「滅私奉公」の精神と「白蟻」の勇敢さを教えた戦前の「道徳」に基づいている可能性があります。

戦前や戦争中の放送が政治家や「大本営の発表」をそのまま伝えていたことを思い起こすならば、百田氏は「公共放送」という言葉で、新しい権力者となった安倍首相への「服従」をNHKに暗に要求していたとも考えられるのです。

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このように書くと言い過ぎではないかと感じる人もいるかもしれません。しかし、「戦争が起きたときには『9条教の信者』を前線に送りだせばよい」とした百田氏の文章を読んで思い出したのは、戦争末期にも東条英機首相の方針に反対した丸山眞男などの学者だけでなく、松前重義などの高級官僚も陸軍の二等兵として「前線」に送りだされていたことです。

つまり、安倍首相の「お友達」である百田氏のツイッターでの発言は、単なる「思いつき」ではなく、「歴史的な事実」を踏まえた「恫喝」に近い性質のものなのです。

説明するまでもありませんが、互いに殺しあいを行う戦場では何を語っても無意味であり、声を上げる前に射殺されるだろうことは確実だと思われます。

このことを重視するならば、百田作品の「信者」が、このメッセージを読んで、「9条教の信者」は殺してもよいと誤解する危険性もなくはありません。それゆえ、先のツイッターの文章は「テロ」の「教唆」となる危険性さえあり、「言葉の重み」に対する百田氏の認識の軽さに唖然とします。

最近の日本では「セクハラ」だけでなく、「パワハラ」や「アカデミー・ハラスメント」なども罪に問われるようになってきていますが、いかに親しい「お友達」であっても、危険な発言に対してはきちんと対処すべきでしょう。

 

 

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