高橋誠一郎 公式ホームページ

12月

コロナ禍の最中に行われた東京オリンピックを振り返る

  パンデミックと戦争の問題については、文明論的な視点から 第一次世界大戦の末期に拡がったスペイン風邪にも言及している堀田善衞の『夜の森』などの考察をとおして考えました。パンデミックの問題は解決した訳ではないので、ここではコロナ禍の中で行われた東京オリンピックの問題点ついて考察したスレッドを再掲しておきます。

⇒ベルリン・オリンピックとの「際立つ類似点」

 日本の近代化と『若き日の詩人たちの肖像』

  『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』(成文社)の終章で堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』に言及したのは 2007年のことであった。

 この本を書き終えた後では、直ぐに芥川龍之介の自殺した頃からトルストイの『復活』の法律解釈が問題となって滝川教授が退職に追いやられた京都大学事件、さらに「天皇機関説」事件を経て、日本でも帝政ロシアに近いような「祭政一致」政策が行われるようになった重苦しい時代を描いた『若き日の詩人たちの肖像』をきちんとと分析したいと考えていた。

 しかし、日露の近代化の比較という視点から司馬作品を読み込んでいた私は、司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観論争」で日本が急激に右傾化したことに強い危機感を持っていた。それゆえ、『竜馬という日本人』(2009)と『新聞への思い』(2014)で、「司馬遼太郎の「神国思想」批判と平和憲法の高い評価」を明らかにしようとした。

 その一方で、『貧しき人々』から『白痴』に至る流れを明らかにするために『黒澤明で「白痴」を読み解く』(2011)を書いたことは、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(2014)につながり、長い回り道をすることになってしまった。

 ただ、今から考えるとこの回り道は必然だったのかもしれない。なぜならば、新著の第一章で明らかにしたように堀田は黒澤映画を高く評価しており、ことにその『白痴』解釈はきわめて近いのである。さらに、終章で記したように堀田善衞だけでなく司馬遼太郎をも尊敬していた宮崎駿監督は、鼎談で司会を行っており、その鼎談から伝わってくるのは、「神国思想」の強い批判と「平和憲法」の重要性の確認である。

 ここでは新著の上梓に至るまでの過程を『若き日の詩人たちの肖像』に絞って
ツイート をアップすることで簡単に振り返っておきたい。この長編小説は日本政府主催で明治百年の記念式典が盛大に行われた1968年に出版された。  

この作品は何度読んでも考えさせられることがいろいろとあるので、他にもツイートした重要な箇所を再掲する 。

「戦争のつづくあいだずっと、といったところで、その戦争という奴が、いったい終ったりなくなったり
ツイート することが果してあるものなのかどうか。若者にはなんの見当もつかなかった。(……)戦争というものは勝負でもって終ることはあるかもしれなかったが、事変という奴は終りそうもない。」(上・314)

「選択を不可能にする事実の到来を待っている思想家たち」(アラン) 「(そういう人たちは)戦争反対を不可能にする、あるいは不必要にする戦争の到来を待ちに待っていた」のであり、「大東亜共栄圏とか、大東亜協同体とかという理論を組み上げて民族解放戦争として規定している」(下・179-180)。

大本営発表の情報 「先月からはソロモン海域で海軍は眼を瞠らされるような戦果を挙げつづけ、東条総理大臣の『皇軍は各地に転戦、連戦連勝、まことにご同慶の至りであります』というきまり文句が流行っていた」が、『ガダルカナルでは陸軍は殲滅的な打撃をうけているらしい』(下・292-3)。

(2022年1月13日、改訂して改題)

なぜ日本は貧困化したのか――安倍元首相と母方の祖父・岸信介元首相との関係をとおして考える


(注:「維新」については独立させて、http://stakaha.com/?p=9266 で考察した。)

敗戦後に「平和憲法」を獲得した日本は、巨額な軍備費に予算を投じることがなく、全世界から注目されるような模範的な繁栄を謳歌した。

 しかし、A級戦犯だったにもかかわらず釈放されて首相にまで上り詰めて、日米新安保条約とともに秘密裏の日米地位協定を結んだ岸元首相を尊敬する安倍政権下では「戦後レジーム(体制)からの脱却」が謳われ 、「明治維新」が強調されて戦前の「富国強兵」的な政策に変換した。

 たしかに、日本の「文明開化」のモデルの一つとされたロシア帝国では、「富国強兵」を目指したピョートル大帝の政策により当時の大国スウェーデンとの「大北方戦争」に勝ち、ナポレオンとの「祖国戦争」にも勝利して、ポーランドを併合してヨーロッパの大国となり、貴族も富を得た。

 しかしその反面、それまで自立していた農民は、近代化のために税を搾り取られて困窮がすすみ、ついに「農奴」と呼ばれるような身分となってしまっており、はなはだしい格差が後の革命の遠因となっていた。

このことについては2015年に書いた〔「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在〕を参照して欲しいが、「明治維新」を讃えた安倍政権以降の日本では、言論統制が強められて「改憲」に向けた自民や維新の動きが活発となって来ており、戦争に突入した昭和初期のとの類似が顕著になってきている。

 その問題点を直視するために、ここでは安倍首相と母方の祖父・岸信介元首相との関係をとおして昭和期の政治の問題を考える。(2番目のツイートの
twitter.com/stakaha5/status の箇所をクリックするとリンク先のスレッドが掲示されます。)

「読者の声」と紹介

拙著の貴重なご感想をありがとうございました。
(「群像社通信」129号、「読者から」に掲載された後、ホームページの「読者の声」に再掲されました)。

 堀田善衞の主要作品を取り上げ、密度濃く読み解く本書の読書体験は、堀田再発見の貴重な時間でした。堀田全集を読み通した気分です。埴谷・椎名・武田・野間などのドストエフスキーとの関係については一通り知っているつもりですが、堀田の作品がこれほどにドストエフスキーの世界とつながっているとは、本書で初めて知りました。『若き日の詩人たちの肖像』をこれほどていねいに読み解く作品論は初めてではないでしょうか、小林秀雄と堀田の関係、堀田の厳しい小林批判は痛快です。『零から数えて』など知らない作品の重要さも教えていただきました。堀田研究の新しい地平を描かれた労作であり、今後の研究者の指針になると思います。(神奈川県、平山令二)

 創見に満ちたご著作と思いますし、今まで日本文学とドストエフスキーという研究テーマの中にこの比較が入ってこなかったのが、今更ながら不思議です。(千葉県、伊東一郎)

 次のご紹介は拙著『堀田善衞とドストエフスキー』の内容にも深く関わっているので感謝の意を表して再掲します、 。

核兵器禁止条約に至る道と日本の「核の傘」政策

核意識の変化 被爆から75年、アメリカ人約7割「核兵器は必要ない」、 日本人のおよそ85%が「必要ない」と回答。 アメリカが原爆を投下したことについてはアメリカ人の41.6%が「許されない」と答え、「必要な判断だった」と答えた31.3%を上回った。

ビキニ環礁で行われたアメリカ軍による水爆実験では、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われ、「第五福竜丸」だけでなく多くの漁船の乗組員や島民が被爆していた。

 核兵器禁止条約に至る道と日本の核政策を振り返る。( 「返信を読む」
をクリック し、その後のツイートで「このスレッドを表示 」をクリックするとつながります)

ドストエフスキー生誕200年と『堀田善衞とドストエフスキー』

前著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』では権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を明治の文学者たちの視点から読み解きました。

 新著『#堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』では、大正から昭和にかけての日本におけるドストエフスキーの受容の問題を堀田作品の分析をとおして詳しく考察しました。 なんとかドストエフスキーの生誕200年に間に合いほっとしています。

  ただ、昨年の6月19日のツイートでは「 国会の終盤では戦前の価値観を重視する「#日本会議」が望むような時代の到来を予感させる危機的な事態が度々起きました。 それゆえツイッターデモなどにも参加しましたが、多くの声が集まったことで当面の危機は回避できたと思えます。 #堀田善衞 のドストエフスキー観の研究に戻ります。」と記していました。(twitterで会話すべてを読む」をクリックすると続きが読めます。)

 しかし、総選挙は思いがけない結果となり、今年はより厳しい年となりそうですので、報道が統制されて戦争へと突入することとなった昭和初期の問題を描いた 二作品――「国策通信社」に働く女性を主人公とした『記念碑』や『若き日の詩人たちの肖像』 などをより深く読み込む必要性を感じています。

堀田作品を考察したスレッドをアップすることで、この一年を簡単に振り返ります。

                    (2022/01/15 改訂)

世界文学会 の第一回研究会で「堀田善衛の疫病観」を発表(12月18日)

講座「アニメ映画《風立ちぬ》で堀田善衞の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』を読み解く」(7月7日)

『ドストエフスキーとの対話』(水声社)に「堀田善衞のドストエフスキー観――堀田作品をカーニヴァル論で読み解く」を寄稿

『現代思想』に「大審問官」のテーマと 核兵器の廃絶――堀田善衞のドストエフスキー観 を寄稿