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10月

「カチューシャの唄」百年を記念したイベントが「新宿歴史博物館」で開催中

今年は島村抱月主宰の劇団・藝術座が上演したトルストイの《復活》で松井須磨子が歌った「カチューシャの唄」百年に当たります。

それを記念したイベントが新宿区立「新宿歴史博物館」で行われています。お知らせがたいへん遅くなり第Ⅰ部はすでに終了していますが、第Ⅱ部以降の企画を以下に転載します。

 

「カチューシャの唄」百年

第Ⅱ部、講演「芸術座の近代化路線」

平成26年11月9日(日) 14:00 開演

第Ⅲ部、パネルディスカッション・SPレコード鑑賞「カチューシャの唄大流行と大衆の時代」

平成26年12月7日(日) 14:00 開演

 

主催:藝術座創立百年委員会

共催:新宿区

協力:江戸東京ガイドの会

記念行事の概要は以上のとおりですが、チラシの図版が取り込めなかったので、申し込み方法など詳しくは下記のホームページでご確認ください。

http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~aizawa/mat/katyusha100.html

 

「シネ・ヌーヴォ」で「黒澤明映画祭」が開催

 

お知らせが遅くなりましたが、関西の映画・映像情報ウェブマガジン「キネプレ」によれば、『七人の侍』誕生60周年を記念し、黒澤明監督の作品全30本を上映する「黒澤明映画祭」が、大阪・九条のシネ・ヌーヴォで明日の10月25日(土)から8週間にわたって開催されるとのことです。

「東京新聞」(9月4日)夕刊の「反核 黒沢映画に光り」という見出しの記事は、映画《生きものの記録》(1955年)が最初は「もし、鳥がこれを知ったなら」だったというタイトルだったという野上照代氏の証言を紹介するとともに、ビキニ事件に着想を得たこの映画が「各地の映画祭などで上映されている」ことを伝えています。

「調べれば調べるほど、その巨匠っぷりに驚いています」と語り、黒澤映画の全貌を伝えようとする志と今回の企画に深く共感しましたので、以下にその記事を引用し、サイトを紹介しておきます。

*  *   *

今回は、今年2014年が『七人の侍』が作られて60年であることを記念して、これまで多くの監督や俳優の周年特集を実施してきたミニシアター、シネ・ヌーヴォが「黒澤明映画祭」を企画した。1943年の『姿三四郎』から、遺作となった1993年の『まあだだよ』まで、全30作品を8週間にわたって上映する予定。黒澤明全作品が揃うのは、2010年に実施された「黒澤明 生誕100年祭」以来だという。

『羅生門』(1950年)、『七人の侍』(1954年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)、『天国と地獄』(1963年)などの有名作ももちろん、それ以外の作品も堪能できるという企画。「世界のクロサワ」と呼ばれ、多くの映画人に多大な影響を与えた黒澤監督だが、映画ファン以外の人でも、その魅力に触れ、再発見する絶好の機会になりそうだ。 「調べれば調べるほど、その巨匠っぷりに驚いています。本当にとてつもない人だなと。そんな偉大さを体感してほしい」と話す、シネ・ヌーヴォ支配人の山崎さん。 同館公式ツイッターでは「シネ・ヌーヴォ社運を賭けとります」と宣言し大きな反響に。「たくさんの方に足を運んで頂けますように!」と呼びかけている。

■サイト

黒澤明映画祭

シネ・ヌーヴォ

シネ・ヌーヴォの社運賭けた黒澤明映画祭 大阪で全30作一挙上映

 

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

標記の拙著に関しては発行が大幅に遅れて、ご迷惑や心配をおかけしていますが、ようやく新しい構想がほぼ固まりました。

本書では「黒塊(コツクワイ)」演説を行ったことが咎められて松山中学を中退して上京し、「栄達をすてて」文学の道を選んだ正岡子規に焦点を絞ることで、新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が子規の成長をどのように描いているかを詳しく考察しています。

長編小説『坂の上の雲』では、子規の死後に起きた日露戦争における戦闘場面の詳しい描写や戦術、さらには将軍たちの心理の分析などに多くの頁が割かれていますので、それらを省略することに疑問を持たれる方もおられると思います。

しかし、病いを押してでも日清戦争を自分の眼で見ようとしていた子規の視野は広く、「写生」や「比較」という子規の「方法」は、盟友・夏目漱石やその弟子の芥川龍之介だけでなく、司馬氏の日露戦争の描写や考察にも強い影響を及ぼしていると言っても過言ではないように思えます。

司馬氏は漱石の長編小説『三四郎』について「明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と記しています。子規と漱石との交友や、子規の死後の漱石の創作活動をも視野に入れることで、長編小説『坂の上の雲』の「文明論的な」骨太の骨格を明らかにすることができるでしょう。

『坂の上の雲』の直後に書き始めた長編小説『翔ぶが如く』で司馬氏は、「征韓論」から西南戦争に至る時期を考察することで、「近代化のモデル」の真剣な模索がなされていた明治初期の日本の意義をきわめて高く評価していました。明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」は、新聞『日本』の記者となった子規だけでなく、「特定秘密保護法」が閣議決定された現代日本の言論や報道の問題にも深く関わると思われます。

それゆえ本書では、子規の若き叔父・加藤拓川と中江兆民との関係も視野に入れながらこの長編小説をも分析の対象とすることで、長編小説『坂の上の雲』が秘めている視野の広さと洞察力の深さを具体的に明らかにしたいと考えています。

ドストエフスキーを深く敬愛して映画《白痴》を撮った黒澤明監督は、『蝦蟇の油――自伝のようなもの』の「明治の香り」と題した章において、「明治の人々は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』に書かれているように、坂の上の向うに見える雲を目指して、坂道を登っていくような気分で生活していたように思う」と書いています。

焦点を子規とその周囲の人々に絞ることによって、この作品の面白さだけでなく、「明治の人々」の「残り香」も引き立たせることができるのではないかと願っています。

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館

( 2015年8月10日、改訂と改題)