高橋誠一郎 公式ホームページ

黒澤明

映画《白痴》と黒澤映画における「医師」のテーマ――国際ドストエフスキー・シンポジウムでの発表を踏まえて

はじめに 

『白痴』の発表から一五〇周年に当たる二〇一八年にブルガリアのソフィア大学で開催された国際ドストエフスキー・シンポジウムの円卓会議では映画《白痴》が取り上げられました。

ブルガリア、ソフィア大学 (ソフィア大学、出典はブルガリア語版「ウィキペディア」)

それゆえ、私はこのシンポジウムでは黒澤映画《白痴》における治癒者としての亀田(ムィシキン)の形象に注目することで、黒澤映画における医者の形象の深まりとその意義を明らかにしようとしました。

実は、黒澤明監督が映画化した長編小説『白痴』でも、シュネイデル教授をはじめ、有名な外科医ピロゴフ、そしてクリミア戦争の際に医師として活躍した「爺さん将軍」などがしばしば言及されています。ガヴリーラ(香山陸郎)から「いったいあなたは医者だとでもいうのですか?」と問い質されたムィシキン(亀田欽司)も、ロゴージン(赤間伝吉)に対してはナスターシヤ(那須妙子)について「あの人は体も心もひどく病んでいる。とりわけ頭がね。そしてぼくに言わせれば、十分な介護を必要としている」と説明していたのです。

残念ながら、今回の開催が急遽決まったこともあり千葉大学で行われた「国際ドストエフスキー集会」の時ほどは、黒澤映画の研究者が参加しておらず、映画《白痴》以外の作品についてはあまり知られていなかったようでした。

しかし、円卓会議では黒澤明研究会の運営委員・槙田寿文氏の世界各国の黒澤映画のポスターを集めた展覧会と映画『白痴』の失われた十四分)についての発表がブルガリア語への通訳付きで行われた。また、シンポジウムで「ドストエフスキーにおける癒しの人間学序節――ムィシュキン公爵のイデー・フィクスを軸に」(『ドストエーフスキイ広場』第28号参照)を発表された清水孝純氏の映画《白痴》論の発表も行われ、国際的な場で黒澤映画の意義を広めることができたのは有意義だったと感じています。

発表時間が短くて言及できなかった個所を補いながらシンポジウムと「円卓会議」で行った二つの発表をまとめた論考が、『会誌』41号に掲載されました。以下に、「はじめに」と「国際ドストエフスキー・シンポジウム」についてふれた第一節を省いた形で『会誌』に掲載された論考に一部加筆して転載します。

1,映画《白痴》の意義――『罪と罰』と『白痴』の受容をとおして

ドストエフスキーは長編小説『白痴』の構想について一八六八年一月一日の手紙で「この長編の主要な意図は本当に美しい人間を描くことです」と記していました。

若い頃からドストエフスキーの作品に親しんでいた黒澤明監督はそのような作者の意図を踏まえて第二次世界大戦の終了から数年後の一九五一年に映画《白痴》を公開して、場所と時代、登場人物を変更しながらも、二つの家族の関係と女主人公の苦悩などを主人公の視線をとおして『白痴』の世界を正確に描き出していました。

観客の入りを重視した会社側から大幅な削除を命じられて、作品は二時間四六分に短縮されたために映画《白痴》は、興行的には失敗して多くの日本の評論家からも「失敗作」と見なされました。

しかし、インタビューで黒澤明は次のように語っていました。「この作品は外国ではとても評判がよくて、特にソビエトではとても気に入られているのです。毎年何回か上映するのですが、それでもまだ見たい人があまりにも多くて、まだ見られないという人か随分いるのです」(『黒澤明 夢のあしあと』共同通信社、三四三頁)。

では、日本と東欧圏におけるこのような映画《白痴》の評価の違いはどこにあるのでしょうか。私は黒澤映画《白痴》が文芸評論家・小林秀雄の『罪と罰』や『白痴』の解釈を根底から覆すような解釈を示したのに対し、ドストエフスキー論の権威とされていた小林がこの映画を完全に無視したことが一因だと考えています。

それゆえ、ここでは近著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(成文社)にも言及しながら、日本における『罪と罰』の受容までの流れをまず確認します。その後で、小林秀雄と黒澤明とのドストエフスキー解釈をめぐる「静かなる決闘」をとおして黒澤における『白痴』のテーマの深化を考察します。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社

日本では徳川時代に厳しく弾圧されていたキリスト教が解禁になったのは、ようやく一八七三年のことでした。しかし、日本が開国に踏み切ってからはキリスト教にたいする青年層の知識と理解は増え続けていました。

日本で憲法が発布された一八八九年に、長編小説『罪と罰』を英訳で読んで、殺人の罪を犯した主人公が、「だんだん良心を責められて自首するに到る」筋から強い感銘を受けた内田魯庵は、二葉亭四迷の力も借りて長編小説を訳出したのです。

残念ながら、売れ行きが思わしくなかったこともあり魯庵はこの長編小説の前半部分を訳したのみで終わりましたが、この翻訳から強い衝撃を受けたのが、「『罪と罰』の殺人罪」を著わした北村透谷でした。ここで彼は、「『罪と罰』の殺人の原因を浅薄なりと笑ひて斥(しりぞ)くるようの事なかるべし」と書いて、勧善懲悪的な『罪と罰』論を厳しく批判するとともに、ラスコーリニコフの「非凡人の理論」の危険性を鋭く指摘していました。

一方、『文学界』の同人でもあった親友の島崎藤村は、『罪と罰』の筋や人物体系を詳しく研究して日露戦争後に長編小説『破戒』を自費出版しました。注目したいのは藤村が、「教育勅語」の「忠孝」の理念を説く校長や教員、議員たちの言動をとおして、現在の一部与党系議員や評論家によるヘイトスピーチに近いような用語による差別が広まっていたことを具体的に描いていたことです。

さらに日本の『罪と罰』論ではあまり重視されていない「良心」の問題も、「世に従う」父親の価値観と師・猪子との価値観との間で苦しむ丑松の心の葛藤をとおしてきちんと描かれていることです。

このような透谷や藤村の「良心」理解の深さには、かれらが一時は洗礼を受けていたこともかかわっていると思われます。なぜならば、キリスト教会でも「免罪符」を乱発するなどの腐敗が目立つようになってきた際にも、神の代理人としての地位が与えられていた教皇を正面から批判することは許されませんでしたが、権力者が不正を行っている場合にはそれを正すことのできる〈内的法廷〉としての重要な役割が「知」の働きを持つ「良心」に与えられたのです。帝政ロシアにおいても皇帝が絶対的な権力を持っていましたので、それに対抗できるような「良心」の働きが重要視されたのですが、その一方で革命が近づくと「良心」の過激な解釈もなされるようになったのです。

自らをナポレオンのような「非凡人」であると考えて、「悪人」と規定した「高利貸しの老婆」の殺害を正当化した主人公を描いた長編小説『罪と罰』でも、「良心に照らして流血を認める」ということが可能かという問題がラスコーリニコフと司法取調官ポルフィーリイとの間で論じられています。そして、それは主人公の心理や夢の描写をとおして詳しく検証されており、エピローグに記されているラスコーリニコフの「人類滅亡の悪夢」には、こうした精緻で注意深い考察の結論が象徴的に示されているのです。

明治初期の独裁的な藩閥政府との長い戦いを経て「憲法」を獲得した時代を体験していた内田魯庵や北村透谷、そして島崎藤村たちも、権力者からの自立や言論の自由などを保証し、個人の行動をも決定する「良心」の重要性を深く認識していたといえるでしょう。

なお、『破戒』は一九三〇年にロシア語訳が出版されましたが、黒澤映画《天国と地獄》が公開される前年の一九六二年には、市川崑監督の映画《破戒》が、市川雷蔵が主役の瀬川丑松を、彼の師・猪子蓮太郎を三國連太郎、学友の土屋銀之助を長門裕之、風間志保を藤村志保が演じるという豪華なキャストで公開されました。

破戒

(映画《破戒》、1962年、角川映画。脚本:和田夏十。図版は紀伊國屋書店のサイトより)

黒澤映画との関連で注意を払いたいのは、『罪と罰』のあとで『虐げられた人々』の訳を行い、後にはトルストイの『復活』も邦訳した内田魯庵が、できれば『白痴』も訳したいとの願いも記していたことです。

戦時中の一九四三年に公開された映画《愛の世界・山猫とみの話》ですでに『虐げられた人々』のネリー像を踏まえて脚本(ペンネームは「黒川慎」)を書いていた黒澤明が、一九六五年の映画《赤ひげ》でネリー像を掘り下げていることを考えるならば、一九五一年に映画《白痴》を公開した黒澤明のドストエフスキー理解は島崎藤村などの流れに連なっているといえるでしょう。

一方、文芸評論家の小林秀雄は「天皇機関説」事件で日本の「立憲主義」が崩壊する前年の一九三四年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で、弁護士ルージンや司法取調官ポルフィーリイとの白熱した会話などを省いて「超人主義の破滅とかキリスト教的愛への復帰とかいふ人口に膾炙したラスコオリニコフ解釈では到底明瞭にとき難い謎がある」と解釈していました。

 さらに、主人公ラスコーリニコフの「良心の呵責」を否定した小林秀雄は、「来るべき『白痴』はこの憂愁の一段と兇暴な純化であつた。ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」という大胆な解釈を示したのです。

こうして、ムィシキンを「罪の意識も罰の意識も」ついに現れなかったラスコーリニコフと結びつけた小林は、ナスターシヤをも「この作者が好んで描く言はば自意識上のサディストでありマゾヒストである」と規定し、『白痴』の結末の異常性を強調して「悪魔に魂を売り渡して了つたこれらの人間」によって「繰り広げられるものはたゞ三つの生命が滅んで行く無気味な光景だ」と記していました。

「殺すなかれ」と語るムィシキンを否定的に解釈したこのような小林秀雄の『白痴』論は、戦争を拡大していた軍部の方針に「忖度」したものだったといえるでしょう。しかし、戦後も自分のドストエフスキー観を大きく変更することはなかった小林秀雄は、その後「評論の神様」として称賛されるようになるのです。

そして、このような小林の解釈を受け入れた亀山郁夫氏も二〇〇四年に出版した『ドストエフスキー ――父殺しの文学』(NHK出版)で、貴族トーツキーによる性的な犯罪の被害者だったナスターシヤがマゾヒストだった可能性があるとし、ムィシキンをロゴージンにナスターシヤの殺害を「使嗾(しそう)」した「悪魔」であると解釈しました。

黒澤もインタビューでは小林にも言及しながら、ナスターシヤ殺害後のこの暗い場面にも言及しています。しかし、映画《白痴》のラストシーンで黒澤は、綾子(アグラーヤ)に「白痴だったのは私たちだわ」と語らせていたのです。

『白痴』では一晩をムィシキンと語りあかしたロゴージンが、裁判ではきわめて率直に罪を認めて刑に服したと記されていることに留意するならば、ドストエフスキーはラスコーリニコフと同様にロゴージンにも「復活」の可能性を見ていたといえるでしょう。つまり、黒澤明は小林秀雄的な『白痴』観を映画《白痴》で映像をとおして痛烈に批判していたのです。

2、映画《白痴》と黒澤映画における「医師」のテーマ

映画《白痴》の前にも黒澤明は小林秀雄のドストエフスキー観を暗に批判するような映画を戦後に相次いで発表していました。

たとえば、終戦直後の一九四六年に黒澤は一九三五年の「天皇機関説事件」の前触れとなった滝川事件を背景にした《わが青春に悔なし》を公開して女性の自立を映像化していました。この滝川事件は、農奴の娘だったカチューシャと関係を持ちながら捨てても、「良心の痛み」も感じなかった貴族ネフリュードフの精神的な甦生を描いた長編小説トルストイの『復活』をとおして、法律の重要性を指摘していた滝沢教授の言説が咎められていたのです。

わが青春に悔なし No Regrets for Our Youth 1946 Opening Kurosawa …

この意味で注目したいのは、『破戒』と『罪と罰』との類似性に言及していた評論家の木村毅がこう書いていたことです。「トルストイは、ドストイエフスキーを最高に評価し、殊に『罪と罰』を感歎して措かなかった。したがってその『復活』は、藤村の『破戒』ほど露骨でないが、『罪と罰』の影響を受けたこと掩い難く、(中略)魯庵が『罪と罰』についで、『復活』の訳に心血を注いだのは、ひとつの系統を追うたものと云える」(『明治翻訳文学集』「解説」)。

実際、日露戦争の時期に『復活』の翻訳を連載した内田魯庵は、この長編小説の意義を次のように記していました。「社会の暗黒裡に潜める罪悪を解剖すると同時に不完全なる社会組織、強者のみに有利なる法律、誤りたる道徳等のために如何に無垢なる人心が汚され無辜なる良民が犠牲となるかを明らかにす」。

「円卓会議」では黒澤監督がインタビューで言及していた映画《白痴》のシーンだけでなく、《酔いどれ天使》(一九四八)、《静かなる決闘》(一九四九)、《赤ひげ》(一九六五)など医師が非常に重要な役割を演じている映画と、私が『白痴』三部作とも考えている映画《醜聞》(一九五〇)と《生きる》(一九五二)などの六作品から重要な場面を、松澤朝夫・元会員の技術援助と堀伸雄会員の協力で約一一分に編集したものを解説しながら上映しました。

ここではそれらのシーンを簡単な説明を補いながら紹介したいと思いますが、その前に黒澤が盟友・木下恵介監督のために書いた脚本による映画《肖像》(一九四八)の内容を簡単に見ておくことにします。なぜならば、『白痴』ではムィシキンの観察力や絵画論が強調されていましたが、この映画の老年の画家はムィシキンを想起させるばかりでなく、肖像画のモデルのミドリ(悪徳不動産屋の愛人)もナスターシヤを思い起こさせるからです。

たとえば、映画《白痴》で亀田(ムィシキン)は、写真館に掲示されている那須妙子(ナスターシヤ)の写真をみつめて、「綺麗ですねえ」と同意しながらも、「……しかし、何だかこの顔を見ていると胸が痛くなる」と続けていました。肖像画を描こうとした老画家も「でも、どうして、私なんか」と尋ねられると、「なんて言いますかな……不思議なかげがあるんですよ、あなたの顔には」と説明しているのです。

 しかも、あばずれを装っていたミドリは画家の義理の娘・久美子から「いいえ……どんな不幸が今のような境遇に貴女を追い込んだのか知らないけれど……本当は……貴女はやっぱり、お父さんが描いたような貴女に違いないんです」と説得されます。

「肖像  木下恵介 アマゾン」の画像検索結果

(黒澤明 DVDコレクション 32号『肖像』 [分冊百科] |、書影は「アマゾン」)

 その台詞もムィシキンがナスターシヤに「あなたは苦しんだあげくに、ひどい地獄から清いままで出てきたのです」と語った言葉を思い起こさせ、ミドリは結末近くで「死んだつもりで、出直して見るんだわ」と同じ稼業だった芳子に自立への決意を語ったのでした。

 こうして黒澤は老画家の肖像画をとおして、真実を見抜く観察眼の必要性と辛くても「事実」を見る勇気が、状況を変える唯一の方法であることをこの脚本で強調していたのであり、それは映画《白痴》の亀田(ムィシキン)像に直結しているのです。

 同じ年に公開された映画《酔いどれ天使》からは怪我をして駆け込んできたやくざの松永(三船)を医師の真田(志村喬)が治療する冒頭の「診察室」のシーンと、汚物の山やメタンの泡や捨てられた人形が浮いている湿地のほとりに佇む松永が真田から「そいつらときれいさっぱり手を切らねえ限り、お前はダメだな」と説得されたあとで松永が見る悪夢のシーンを紹介しました。

Yoidore tenshi poster.jpg(ポスターの図版は「ウィキペディア」より)

ここで松永は海辺の棺を斧で割ると棺の中に死んだ自分が横たわっているのを見て驚いて逃げ出すのですが、このシーンは松永の最期を予告しているばかりでなく、復員兵の亀田が北海道に向かう船の三等室で夜中に悲鳴をあげ、戦犯として死刑の宣告を受け、銃殺される場面を夢に見たと赤間に説明する場面にもつながっていると思えます。

「憲法」のない帝政ロシアで農奴解放や言論の自由、そして裁判の改革などを求めていたドストエフスキーは、ペトラシェフスキー事件で逮捕され、偽りの死刑宣告を受け、死刑の執行寸前に「皇帝による恩赦」により生命を救われるという体験をしていました。長編小説『白痴』でもムィシキンはギロチンによる死刑を批判しながら、「『殺すなかれ』と教えられているのに、人間が人を殺したからといって、その人間を殺すべきでしょうか? 」と問いかけ、「ぼくがあれを見たのはもう一月も前なのに、いまでも目の前のことのように思い起こされるのです。五回ほど夢にもでてきましたよ」と語っていました。

それゆえ、若きドストエフスキー自身の体験をも重ね合わせた亀田という人物設定は、ドストエフスキーの研究者たちには見事な表現と受け取られたのです。

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(松竹製作・配給、1951年、図版は「ウィキペディア」より)。

一九四九年の映画《静かなる決闘》からは、主人公の医師・藤崎(三船敏郎)が、軍医として南方の戦場で豪雨の中のテントで手術を行う主人公の首筋の汗を衛生兵が拭くシーンから、手袋を取り素手で手術をして指先に傷をつけてしまう場面までを紹介しました。

最初は『罪なき罰』と題されていたこの映画では、この際に悪性の病気をうつされた医師の苦悩を「良心」という言葉を用いて描写しつつ、それでも貧しい人々の治療に献身的にあたっている姿を描いていました。ことに、婚約者に「自分は結婚できない」と告げた主人公のセリフからは、黒澤監督のムィシキン観が強く感じられるのです。

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(《静かなる決闘》のポスター、図版は「ウィキペディア」より)

映画《生きる》からは、余命わずかなことを知った主人公が「メフィストフェレス」と名乗る人物とともに歓楽街を彷徨する場面と、映画《白痴》上映の前にソフィア大学の学生への短い挨拶の際に劇《その前夜》との関連でふれた「ゴンドラの唄」を歌うシーンを流しました。

ことに最初のシーンは余命わずかなことを知り絶望に陥ったイッポリートをめぐる長編小説『白痴』のエピソードが上手に組み込まれていると思われるからです。

生きる(プレビュー) – YouTube

メインテーマの映画《白痴》からは、冒頭の夜の連絡船の場面と、有名な写真館の前での妙子の写真を見つめる亀田に赤間が「どうしたんだ、おめえ涙なんか流して」から「やさしい気持ちになりやがる」と「香山家」で妙子に対して赤間の「じゃあ、百万だ」と競り値を上げる場面から、黒澤明がインタビューでも語っている亀田の「あなたはそんな人ではない」と言われて、性悪女のようなことばかりしていたナスターシヤが、「本当に図星を指されたからにやっと」する場面を紹介しました。

映画《白痴》ラストシーンについてはこの稿の最期に映画《醜聞》(一九五〇)との関連で考察することにしますが、このあとも黒澤明が『白痴』の考察をしていたことは一九六五年の映画《赤ひげ》で明らかでしょう。

すなわち、高熱を出しながらも必死に床の雑巾(ぞうきん)がけをしていた少女おとよを力ずくで養生所に引き取った赤ひげの「この子は体も病んでいるが、心はもっと病んでいる。火傷のようにただれているんだ」というセリフは、『白痴』のナスターシヤについての考察とも深く結びついていると思われます。

safe_image(図像は、facebookより引用)

終わりに

映画《醜聞》ではゴシップ雑誌『アムール』に写真入りで、スキャンダル記事を書かれて裁判に訴えた若い山岳画家の青江(三船敏郎)と有名な声楽家の美也子(山口淑子)が、弁護士の蛭田から裏切られために厳しい状況に追い込まれていく経緯が描かれています。

この内容は一見、『白痴』とは無縁のように見えますが、実は『白痴』でも彼が相続した遺産をめぐってムィシキンに対する中傷記事が書かれ、その裏では弁護士の資格を得ていたレーベジェフが暗躍するという出来事も描かれているのです。しかも、そこでドストエフスキーはレーベジェフを一方的に悪く描くのではなく、産後の肥立ちが悪くて亡くなった母親の赤ん坊をいつも胸に抱いていると描かれている彼の娘ヴェーラ(名前の意味は「信」)がムィシキンのことを真摯に面倒をみる姿も記述していました。

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(映画《醜聞(スキャンダル)》の「ポスター」、図版は「ウィキペディア」による)

実際、小林秀雄はアグラーヤ(綾子)の花婿候補だったラドームスキーをムィシキンの厳しい批判者として解釈していましたが、悲劇の後で彼は変わってムィシキンの病気を回復させようと奔走しただけでなく、ヴェーラとの文通を重ねており。将来二人が結婚する可能性も示唆されていたのです。

映画《醜聞》でも卑劣な弁護士・蛭田の裏切り行為だけでなく、父親が依頼者の青江たちへの背信行為をしているのではないかと心配する娘・正子も描かれていました。この映画からは、重い病気で寝たきりの正子を慰めるためのクリスマス・ツリーが飾られ、オルガンを弾く青江と「聖夜」を歌っている美也子を見ながら、銀紙の冠を頭に載せた正子が幸せそうに笑っている姿を、帰宅した蛭田が障子のガラスごしに覗くというシーンを紹介しました。娘の純真な笑顔を見た弁護士の蛭田は激しく後悔し、娘の死後に行われた最後の公判で自分が被告から賄賂を受け取っていたことを告白したのです。

映画《白痴》では舞台を日本に移したことで、ムィシキンが語るマリーや驢馬のエピソードなど『新約聖書』の逸話が削られていましたが、映画《醜聞》ではクリスマスの「樅の木」や「清しこの夜」の合唱などキリスト教的な雰囲気も伝えられていました。こうして、黒澤明は蛭田の娘・正子の形象をとおしてヴェーラの見事な映像化を果たしているといっても過言ではないように思えます。

さらにイッポリートが、「公爵、あれは本当のことですか、あなたがあるとき、世界を救うのは『美』だと言ったというのは?」と質問していたことも思い起こすならば、黒澤明が映画《肖像》の脚本だけでなく、この映画で山岳画家を主人公として描いているのは、「本当の美」を示す必要性を感じていたためでしょう。

一方、映画《白痴》は綾子(アグラーヤ)が、「そう! ……あの人の様に……人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら……私……私、なんて馬鹿だったんだろう……白痴だったの、わたしだわ!」と語るシーンで終わっています。

長編小説『白痴』ではアグラーヤが亡命伯爵を名乗るポーランド人と駆け落ちしたと描かれているので、そこだけを見ればこのシーンは明らかに原作とは異っています。しかし、原作の数多くの登場人物の複雑な人間関係をより分かりやすくするために、映画《白痴》では軽部がレーベジェフだけでなく高利貸しのプチーツィンをも兼ねた形で描かれるなどの工夫がされていました。

 そのことに留意するならば、このエピローグで描かれている綾子のセリフはアグラーヤだけでなく、映画《白痴》では省略されていたヴェーラの思いも兼ねていると言えるでしょう。しかし、ラドームスキーをムィシキンの単なる批判者と解釈していた小林秀雄には、黒澤映画の深みは理解できなかったのだと思えます。

「殺すなかれ」と語ったイエスは十字架に磔にされて死にましたが、キリスト教社会でイエスは無力で無残に亡くなった者としてではなく、「本当に美しい」人間としてその「記憶」は長く語り継がれたのです。ドストエフスキーも『白痴』においてムィシキンを「記憶」に長く残る「本当に美しい」人間として描いていたのです。

映画《夢》では、ゴッホとの出会いだけでなく、福島第一原子力発電所の大事故を予告するような「赤富士」のシーンも描かれていることに注目するならば、黒澤監督はムィシキン的な形象を、単に病んだ人間を治癒する者としてだけではなく、病んだ世界を治癒しようとした者と捉えていたといえるかもしれません。

黒澤明が日本においては大胆と思える解釈をなしえたのは、彼が学問的な権威には従属しない映画という表現方法によったことも大きいと思われます。

まもなくドストエフスキーの生誕200周年を迎えるにあたって、ドストエフスキー作品の黒澤明的な解釈が日本でも深まることを願っています。

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黒澤監督没後二〇周年と映画《白痴》の円卓会議

映画《白痴》と『椿姫』――ソフィア大学での挨拶

『黒澤明で「白痴」を読み解く』の紹介(ブルガリア・ドストエフスキー協会のサイトより)

黒澤明監督が関東大震災で見たもの――朝鮮人虐殺から映画《生きものの記録》へ

1923年9月1日に起きた関東大震災の犠牲者を追悼する大法要が都立横網町公園の慰霊堂で昨日営まれ、公園内では朝鮮人犠牲者追悼式も開かれた。しかし、「日本会議」代表委員の石原慎太郎氏でさえも、元都知事の際には寄せていた朝鮮人犠牲者への追悼文を小池都知事は3年連続で見送った。

この背景には1965年の「日韓請求権協定」問題のこじれなどから日韓政府が激しく対立することになったため安倍政権の経済政策を担って、原発の輸出などを推進してきた創生「日本」の副会長の世耕経産相が、雑誌などで「嫌韓」を煽るようになっていることがあるだろう。

しかし、元・文部科学事務次官の前川喜平氏が昨日の「東京新聞」で書いているように、震災後には「人々の心の中に巣くう偏見や差別意識が、不安や恐怖に突き動かされ、極めて残忍かつ醜悪な暴力として顕在化し」、「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「不逞朝鮮人が日本人を襲う」などの流言飛語を信じた「自警団」などによって朝鮮人が次々と虐殺されていた。

https://twitter.com/yunoki_m/status/1168158075133415426

今となっては信じがたいような大事件だが、これについては当時19歳で千駄ヶ谷に住んでいた演出家の千田是也が、その時に間違えられて危うく殺されそうになったことを証言し、「異常時の群集心理で、あるいは私も加害者になっていたかもしれない」と思い、「自戒を込めて」芸名を、「千駄(センダ)ヶ谷のKorean(コレヤ)」にした」と語っていた(毎日新聞社・編『決定版昭和史 昭和前史・関東大震災』所収)。

さらに、中学2年生時に被災した黒澤明監督も自伝『蝦蟇の油』(岩波書店)で、「関東大震災は、私にとって、恐ろしい体験であったが、また、貴重な経験でもあった。/ それは、私に、自然の力と同時に、異様な人間の心について教えてくれた」と記していた。

宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》では朝鮮人虐殺のシーンなどは描かれていないが、座っている座席も地震で揺れているような錯覚に陥るほどの圧倒的な迫力で大地震とその直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景が描かれている。

黒澤はその時「ああ、これがこの世の終わりか」とも思ったが、真に恐ろしい事態は大都会が闇に蔽われた時に訪れた。

「下町の火事の火が消え、どの家にも手持ちの蠟燭がなくなり、夜が文字通りの闇の世界になると、その闇に脅えた人達は、恐ろしいデマゴーグの俘虜になり、まさに暗闇の鉄砲、向こう見ずな行動に出る。/ 経験の無い人には、人間にとって真の闇というものが、どれほど恐ろしいか、想像もつくまいが、その恐怖は人間の正気を奪う。/どっちを見ても何も見えない頼りなさは、人間を心の底からうろたえさせるのだ。/ 文字通り、疑心暗鬼を生ずる状態にさせるのだ。/ 関東大震災の時に起った、朝鮮人虐殺事件は、この闇に脅えた人間を巧みに利用したデマゴーグの仕業である。」

実際、この時黒澤は「髭を生やした男が、あっちだ、いやこっちだと指差して走る後を、大人の集団が血相を変えて、雪崩のように右往左往する」のを自分の眼で見、朝鮮人を追いかけて殺そうとする人々が、日本人をも「朝鮮人」として暴行を加えようとした現場にも、立ち会っていた。

たとえば、「焼け出された親類を捜しに上野へ行った時、父が、ただ長い髭を生やしているからというだけで、朝鮮人だろうと棒を持った人達に取り囲まれた」が、父が「馬鹿者ッ!!」 と大喝一声すると、「取り巻いた連中は、コソコソ散っていった」。

それゆえ後年、黒澤明監督は娘の和子に「日本人は、付和雷同する民族だ、関東大震災や二度の世界大戦も知っているけど、恐怖にかられた人間は、常軌を逸した行動に走る」と指摘し、「この情報社会になってからは、日常の中にそういう現象が起こるようになった。これは、本当に恐ろしいことだよ」と語ったのである。

 そして、前川氏も「韓国に対し殊更に強圧的な言辞をあからさまに吐く政治家たち」や「これでもかと嫌韓を煽るテレビのバラエティー」などに注意を促して、同じようなことは、「百年近く経った今日でも起こりかねないことだ」と指摘している。

一方、関東大震災の時に兄の丙午から「怖いものに眼をつぶるから怖いんだ。よく見れば、怖いものなんかあるものか」と教えられた黒澤明は、「第五福竜丸」事件の後では放射能の被曝を主題とした映画《生きものの記録》を公開した。

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

映画《生きものの記録》が英語で《I Live In Fear (私は恐怖の中で生きている)と訳されていることもあり、いまだにこの主人公の老人・喜一は「恐怖」から逃げだそうとしたと誤解されることが多い。

しかし、むしろ彼は放射能の問題を直視しており、「あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、「ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と批判していたのである。

その意味でこの老人・喜一は自然の豊かさや厳しさを本能的に深く知っていた映画《デルス・ウザーラ》の主人公の先行者的な人物であったといえるだろう。(拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社)。

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小池百合子・都知事は、朝鮮人犠牲者への追悼文を見送ることで、朝鮮人虐殺の問題から都民の目を逸らさせ、「風化」させることを狙っているようだが、「日本の『負の歴史』に真摯に向き合おうとしなければ、忌まわしい過去は繰り返される」ことになるだろう。

前川氏が結んでいるように「九月一日は単なる防災の日ではない。大量虐殺という人災を繰り返さないための誓いの日でなければならないのだ。」

スレッドの「目次」(2)について

ツイッターのスレッドが増えてきて見にくくなってきたために、「目次」を作成しました。

前回は「目次」のスレッド(1)―― 〔司馬遼太郎の国家観〕、〔『罪と罰』を読み解く〕、〔新聞『日本』から右派メディア新聞『日本』(二代目)へ〕、〔手塚治虫の『罪と罰』観と『アドルフに告ぐ』〕、〔『アドルフに告ぐ』と3つのオリンピック〕、〔満州国の負の遺産と安倍政権〕(Ⅰ)、 〔満州国の負の遺産と安倍政権〕(Ⅱ) ――を掲載しました。

今回は「目次」のスレッド(2)――〔堀田善衞と『日本浪曼派』〕、〔司馬遼太郎の沖縄観と現代の沖縄〕、〔小林秀雄の歴史観と「日本会議」〕、〔参議院選挙と「緊急事態条項」の危険性〕、〔安倍内閣と「日本会議〕(ママ)、〔安倍政権とヒトラー政権〕、〔『#新聞記者』〕、〔株価とアベノミクスの詐欺性〕――を掲載します。

また、参議院選挙の前に急いで掲載した〔参議院選挙と「緊急事態条項」の危険性〕のページも〔安倍内閣と「日本会議〕の前に挿入しました。

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〔堀田善衞と『日本浪曼派』〕↓

https://twitter.com/stakaha5/status/1119222465232642049

「昭和維新」をスローガンに皇道派の陸軍若手将校たちが二・二六事件を起こす前夜に上京した若き堀田善衞の視点で、「耽美的パトリオティズム」が流行した時代と文学を考察する。

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〔司馬遼太郎の沖縄観と現代の沖縄〕↓

https://twitter.com/stakaha5/status/1100632728024707072

「(沖縄戦)について物を考えるとき…中略…自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲ってくる」((司馬遼太郎『沖縄・先島への道』)

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〔小林秀雄の歴史観と「日本会議」〕↓

https://twitter.com/stakaha5/status/1130663946749325312

評論家の橋川文三は『日本浪曼派批判序説』で保田與重郎と小林秀雄とが、「戦争のイデオローグとしてもっともユニークな存在で」あり、「インテリ層の戦争への傾斜を促進する上で、もっとも影響多かった」ことに注意を促していた。

   *   *

参議院選挙と「緊急事態条項」の危険性

今回の参議院選挙では「年金問題」が焦点の一つとなっているが、ここでは「緊急事態条項」関連の連続ツイートを再掲することによって、問題点を整理した。

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〔安倍内閣と「日本会議〕↓

https://twitter.com/stakaha5/status/1080361123822501889

改憲施行を「早期」とし、(1)自衛隊の明記(2)緊急事態対応(4)教育充実を掲げた自民党の「憲法改正」案は、いずれも戦前の日本への価値観への回帰を目指す「日本会議」の意向に沿っているように見える。

   *   *

〔安倍政権とヒトラー政権〕

https://twitter.com/stakaha5/status/909917695327342593

「神話的な歴史観」を持つ安倍政権は、「王道楽土」と同じような美辞麗句を並べて国民の眼を逸らしつつ、 ヒトラー政権と同じような #緊急事態条項 を盛り込んだ「改憲」を目指す姿勢を明確にしている。

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〔『#新聞記者』〕 ↓

https://twitter.com/stakaha5/status/1146243384392081408

この映画は権力による情報の「操作」と「隠蔽」の問題に鋭く切り込むことで、安倍政権の危険性を浮き彫りにすることに成功している。

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〔株価とアベノミクスの詐欺性〕↓

https://twitter.com/stakaha5/status/1091582848375545856

経済に関して私は素人ですが、ドストエフスキーは『罪と罰』で、いかさま弁護士ルージンのトリクルダウン理論に似た経済理論を厳しく批判していました。

 

(3)黒澤映画『悪い奴らはよく眠る』から『新聞記者』へ――自殺に追い込む社会の病理に鋭く迫る

もう一人の主人公は外務省から内閣情報調査室に出向していたエリート官僚の杉原(松坂桃李)である。ここでもその能力を高く評価されていた杉原は、次第に自分が政権のために批判者のスキャンダルを作り上げるという陰険な作業に加担させられていることに気づいて困惑する。

この映画に圧倒的な緊張感を生み出しているのは、内閣情報調査室の直属の上司である内閣参事官多田を演じる田中哲司の存在感だろう。彼の演技からは昭和初期の日本の雰囲気がスクリーンから立ち上がってくる。

「伊藤詩織さんの事件」がスキャンダラスに報道されているのテレビを見た出産を間近に控えた妻・奈津美(本田翼)は、「ひどいわね」とつぶやくがその言葉は杉原の胸に突き刺さった。

物語が本格的に動き出すのは公務員のあるべき姿を学んだ外務省の頃の上司の神崎(高橋和也)と久しぶりに昔を思い出しながら楽しく飲んだときからである。

飲んで泥酔した彼を自宅に送り、神崎の妻・伸子(西田尚美)や美しい乙女に成長した彼の娘・千佳(宮崎陽名)と再会するが、別れ際に伸子は何かを切実に伝えようとしてやめた。それから数日後、神崎からの謎めいた言葉に驚いた杉原は必死に携帯電話で呼びかけるが返事はなく、ビルの屋上から身を投げた。

神崎の自殺からは独自の取材を続けていた吉岡も強い衝撃を受けた。すぐれたジャーナリストだった彼女の父も、政府がらみの不正融資の報道が誤報だったとされ自殺していたのである。父の死に顔を見て慟哭した吉岡の記憶が、父の自殺に悲しむ娘・千佳(宮崎陽名)の悲しみに重なる。

日本社会の病理と深く関わる自殺のテーマを黒澤明監督は、A級戦犯被疑者の岸信介が首相として復権して新安保条約を強行採決した1960年に公開された映画『悪い奴ほどよく眠る』で、汚職事件で自殺させられた父親の復讐を企んだ主人公の行動を、『罪と罰』を思わせるような推理小説的な手法と鋭い心理描写を用いながら描き出していた。

Постер фильма 

(写真はロシア語版「ウィキペディア」より)

https://twitter.com/stakaha5/status/972039214937268225

悪い奴ほどよく眠る(プレビュー)

脚本の執筆者の一人でもある藤井道人監督(詩森ろば、高石昭彦共著)がどの程度、黒澤映画『悪い奴ほどよく眠る』を意識していたかは分からない。しかし、この映画『新聞記者』も権力者から責任を押し付けられた部下が自殺を強いられる、あるいは苦悩のあげく自殺するという問題が、令和の時代になってもまったく改善されていないどころか、「公文書」の破棄など映画『悪い奴ほどよく眠る』が公開された1960年代よりも悪化していることを示しているのである。

「自殺の本当の理由」に迫ろうとしていた新聞記者・吉岡は、葬儀で知り合った杉原が、「私は国側の人間です」と語り突き放そうとした杉浦にたいして、「そんな理由で自分を納得させられるんですか? 私たち、このままでいいんですか」と鋭く問い詰めたのである。

葬儀の場での吉岡との運命的な出会いは、官僚の杉原をも動かしていくことになる。

 

映画『新聞記者』を読み解く(2)――権力の腐敗の問題に新聞と映画はどれだけ切り込むことができるか

 新聞社では文科省元トップ官僚の女性スキャンダルのニュースに緊張が走る。テレビなどのマスコミは、先を争うように「その人物の社会的信用を失墜させる」疑惑を報道。ことに大手の新聞社は特ダネを一面で大々的に報じた。しかし、通常は地方版では異なるはずの紙面は不思議なことにどこも同じであった。

そのことに疑問を抱いた女主人公の吉岡(シム・ウンギョン)は、真実を求めて文科省元トップ官僚の直撃取材を敢行し、総理の伝記を書いた人物を告発する本を書いた女性への中傷や罵倒がツイッターに氾濫するようになると、自分の考えをツイートする。

こうして、この映画では「官邸権力と報道メディア」(出演者:望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー、南彰)という題名の討論番組の映像も組み込みながら、「情報」の「真偽」をめぐって緊迫した筋が展開していくことになる。

→討論「権力とメディア

興味深いのはトークイベントで河村光庸プロデューサーが、「新聞記者」製作の発端が「伊藤詩織さんの事件です」と明かし、こう続けていることである。「国家権力が逮捕状を出しておいてそれを取り下げるなんてことがあっていいのかと。そこまで来ちゃったのかと。大変な危機感を持ってなんとしてでもこの映画を作らなければと思いました」。

「新聞記者」トークイベントの様子。左から河村光庸、前川喜平、石田純一、高橋純子。

https://natalie.mu/eiga/news/343077(写真は「映画ナタリー」より)。

この言葉から私が思い出したのは、黒澤監督がロマノフ朝・最後の皇帝ニコライ2世とその一族の最期を当時のニュースフイルムや記録フィルムをも取り込んで壮大なスケールで描いた映画『アゴニヤ(断末魔))』を高く評価していたことである。

日本では《ロマノフ王朝の最期》という題で公開されたこの映画では、政府の汚職がはびこり、民衆の飢餓が拡がっていた帝政ロシアの末期に皇后や女官たちに巧みに取り入った怪僧ラスプーチンが犯した犯行も罪に問われなかったことが描かれていたのである。

ロマノフ王朝の最期【デジタル完全復元版】 [DVD]

(原題は『断末魔』、アマゾンより)

国連特別報告者は「日本政府に対し、特定秘密保護法の改正と、政府が放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法四条の廃止を勧告した」が、安倍政権は無視し続け、報道の自由度は9年前の11位から67位にまで落ち、日本の「報道の自由」は危険水域に達しているように見える。

官僚たちが権力者の意向を「忖度」し、狂信的な宗教者が重用されるとき、国家は崩壊へと向かうといえよう。

   *   *

一方、菅官房長官の記者会見でも歯切れの良い口調で質問を行っている望月衣塑子記者の新書『新聞記者』(角川新書、2017年)を原案としたこの映画でも、国民の「知る権利」を守るために精力的な取材を続ける著者の姿勢が描かれている。

新聞記者 (角川新書)

しかも、この映画では原作にとらわれずに、女主人公の吉岡(シム・ウンギョン)に日本人の父と韓国人の母の間に生まれてアメリカで育ったという多元的なアイデンティティを与えることで、女主人公の人物像に深みを与ええている。

ある夜、新聞社の社会部に「医療系大学の新設」に関する極秘公文書が匿名のファックスで送られてくる、その書類を託された吉岡は調査を開始するが、その表紙に描かれていた眼が真っ黒に塗りつぶされた「羊」の絵は、エリート官僚の杉原(松坂桃李)と彼女を結びつけることになる。

前川喜平、寺脇研、望月衣塑子講演会

 

映画《白痴》と『椿姫』――ソフィア大学での挨拶

はじめに

私が『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社)を出版したのは、2011年のことでしたが、その後、相沢直樹氏の『甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(新曜社、2012年)と「黒澤明の映画『白痴』の戦略」が付論として収められている清水孝純氏(九州大学名誉教授)の『白痴』を読む――ドストエフスキーとニヒリズム』(九州大学区出版会、2013年)が相次いで出版されました。

黒澤明で「白痴」を読み解く甦る「ゴンドラの唄」『白痴』を読む

このことを踏まえて2013年10月28日にホームページの「映画・演劇評」の頁に書いた記事ではこう記しました。

「日本では不遇だった黒澤映画《白痴》が甦り、映画《生きる》とともに力強く世界へと羽ばたく時期が到来しているのではないかとの予感を抱く。」

劇中歌「ゴンドラの唄」が結ぶもの――劇《その前夜》と映画《白痴》

  それゆえ、2018年にブルガリアで開催される国際ドストエフスキー・シンポジウムで、映画《白痴》の「円卓会議」が開かれることになったことを知った際には、私の予感が当たったように思えて、少し無理をしてでも参加することにしました。

幸い、日本からは清水孝純先生や黒澤明研究会幹事の槙田寿文氏も参加されて、盛り上がった会議となり、映画《白痴》の上映会も開かれた。その際に行った短い挨拶の文章が『異文化交流』に掲載されたのでここに転載します。

   *    *

今年(2018年)の10月23日から26日までブルガリアの首都ソフィアで、ブルガリアの科学アカデミー、国立文学博物館などの共催による「国際ドストエフスキー・シンポジウム」が開かれ、黒澤明監督の映画《白痴》の円卓会議も開かれました。

 東海大学の交換留学生としてソフィア大学などで学んだことが、円卓会議につながったことに深い感慨を覚えるとともに、語学学習の重要性も改めて感じました。ソフィア大学での映画《白痴》上映の前に語った挨拶の言葉を、一部、分かり易いように内容を補ったうえで、以下に掲載します。

ブルガリア、ソフィア大学(ソフィア大学、出典はブルガリア語版「ウィキペディア」)

 

親愛なる学生のみなさん

この度、皆さんに黒澤明の映画《白痴》についての紹介をすることが出来るのはたいへんな喜びです。私がほぼ半世紀前にソフィア大学で学んだ際にはブルガリアについては日本ではまだ広く知られていませんでしたが、モスクワ大学に留学していたブルガリア人の若者を描いたツルゲーネフの『その前夜』を読んだことで、この国のことについては知っていました。

そして著名な黒澤明監督もこの小説のことをよく知っていたと思われます。なぜならば、日本の「芸術座」がこの劇をすでに1915年に上演していたからです*1。注目したいのは、『その前夜』においては、ブルガリアの若者インサーロフと結婚したエレーナがヴェネツィアで聞いたヴェルディのオペラ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》の印象も詳しく描かれていたことです。

日本における『その前夜』の上演に際しては主演女優が歌った「ゴンドラの唄」はたいへんヒットしましたが、黒澤明監督は映画《白痴》の次に撮った映画《生きる》で主人公にこの歌を二度歌わせています*2。

しかも、長編小説『白痴』においてもナスターシヤはトーツキーを「椿紳士」と呼んでいましたが、この長編小説における『椿姫』の重要性を理解していた黒澤監督は、綾子(アグラーヤ)に、「椿姫」という単語を用いて、妙子(ナスターシヤ)を「あなたは椿姫を気取っている」と非難させることで、妙子(ナスターシヤ)がなぜ絶望的な行動へと駆り立てられたかを見事に示唆していたのです。

残念ながらこの映画は、会社側の意向で半分に切られてしまいましたが、映画《サクリファイス》を撮ったロシアの監督タルコフスキーは、この映画を『白痴』のもっともすぐれた映画化であると記していました。

 みなさんがこの映画を満喫されることを願っています。

 ご清聴ありがとうございました。

 

*1 芸術座については、木村敦夫「トルストイの『復活』と島村抱月の『復活』」、東京藝術大学音楽学部紀要、第39集、2014年参照。

*2 相沢直樹『甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』新曜社、2012年。

   (『異文化交流』第19号、2018年、164~165頁より転載、10月2日、改題)

『黒澤明で「白痴」を読み解く』の紹介(ブルガリア・ドストエフスキー協会のサイトより)

 

「維新」という幻想と裏切られた「革命」――小林秀雄のドストエフスキー観と『夜明け前』論

序に代えて――『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』を書き終えて

 ブルガリア・ドストエフスキー協会の主催による国際シンポジウムが昨年の10月23日から26日にかけて行われた。この年が長編『白痴』の刊行から一五〇年に当たる年であるため、『白痴』をテーマとした発表が多く行われ、黒澤映画《白痴》の「円卓会議」も行われた。その企画の打ち合わせや発表の準備のために、発行を急いでいた拙著の脱稿は大幅に遅れてしまった。

しかし、私のドストエフスキー論を確立する上でも重要なこの映画について再び考える機会が与えられたのは私にとって幸いだったのでいずれ論文として発表することにしたい。

 ここでは拙著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(成文社)執筆までの私の小林秀雄についての考察の歩みと今後の方向性を覚え書きの形で簡単に書いておきたい。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社  

一、小林秀雄の復権と「神話」への懐疑

 敗戦後間もない1946年の座談会「コメディ・リテレール」ではトルストイ研究者の本多秋五などから戦時中の言動を厳しく追及された文芸評論家の小林秀雄(1902~1983)は、「僕のような気まぐれ者は、戦争中支那なぞをうろつき廻り、仕事なぞろくにしなかったが、ドストイエフスキイの仕事だけはずっと考えていた」と語っていた。

 作家の坂口安吾も1947年に著した「教祖の文学 ――小林秀雄論」で、「思うに、小林の文章は心眼を狂わせるに妙を得た文章だ」と書き、小林秀雄が「生きた人間を自分の文学から締め出して」、「骨董の鑑定人」になってしまったと厳しく批判したことはよく知られている(『坂口安吾全集 5』、筑摩書房、1998年、239~243頁)。

 1948年には「『罪と罰』についてⅡ」を『創元』に掲載し、黒澤明監督の映画《白痴》が公開された翌年の1952年から2年間にわたって「『白痴』についてⅡ」を連載した小林は、徐々に評論家としての復権を果たし、「評論の神様」と称されるようになる。

 一九四九年生まれの私は、いわゆる「小林神話」が強い時期に青春を過ごし、「告白」の重要性に注意を払うことによって知識人の孤独と自意識の問題に鋭く迫った小林秀雄のドストエフスキー論からは私も一時期、強い影響を受けた。

 しかし、原作の文章と比較しながら小林秀雄の評論を再読した際には、「異様な迫力をもった文体」で記されてはいるが、そこでなされているのは研究ではなく新たな「創作」ではないかと感じるようになった。

 それゆえ、作家の丸谷才一が1980年に「小林秀雄の文章を出題するな」というエッセイを発表して、芥川龍之介の『少年』と『様々なる意匠』の2つの文章を並べて出題した「北海道大学の入試問題をこてんぱんにやっつけたときには、よくぞ言ってくれたと快哉を叫んだものである」と書いたフランス文学者の鹿島茂氏同じような感慨を私も強く抱いた。

二、方法の模索

 文壇だけでなく学問の世界にも強く根をはっていた小林秀雄のドストエフスキー論と正面から対峙するには、膨大な研究書や関連書がある小林秀雄を批判しうる有効な手法を模索せねばならず、予想以上の時間が掛かった。

 ようやくその糸口を見つけたと思えたのは、小林秀雄の『白痴』論とはまったく異なったムィシキン像が示されている黒澤映画《白痴》をとおして長編小説『白痴』を具体的に分析した拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』を2011年に出版した後のことであった。

 すなわち、『罪と罰』と『白痴』の連続性を強調するために小林秀雄は、「来るべき『白痴』はこの憂愁の一段と兇暴な純化であつた。ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」と書いていた。しかし、シベリアから帰還したことになると、判断力がつく前に妾にされていたナスターシヤの心理や行動を理解する上で欠かせない、ムィシキンのスイスの村での体験――マリーのエピソードやムィシキンが衝撃を受けたギロチンによる死刑の場面もなくなってしまうのである。

 「『白痴』についてⅠ」の第三章で、小林は「ムイシュキンの正体といふものは読むに従つていよいよ無気味に思はれて来るのである」と書き、簡単な筋の紹介を行ってから「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」と断じている〔87~88〕。しかしそれは、それはスイスでのエピソードが省かれているばかりでなく、筋の紹介に際しても重要な登場人物が意図的に省略されているために、ムィシキンの言動の「謎」だけが浮かび上がっているからだと思われる。

 一方、黒澤明は復員兵の亀田(ムィシキン)が死刑の悪夢を見て絶叫するという場面を1951年に公開した映画《白痴》の冒頭で描くことで、長編小説『白痴』のテーマを明確に示していたのである。

 福島第一原発事故後の2014年に出版した『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』では、長編小説『白痴』に対する彼らの解釈の違いばかりでなく、「第5福竜丸」事件の後で映画《生きものの記録》を撮った黒澤明監督と、終戦直後には原爆の問題を鋭く湯川秀樹に問い詰めていながら、その後は沈黙した小林との核エネルギー観の違いにも注意を払うことで、彼らの文明観の違いをも浮き彫りにした。

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三、「維新」という幻想――明治の文学者のドストエフスキー理解

 ただ、黒澤明は評論家ではなく、映像をとおして自分の考えを反映する映画監督であった。そのために、黒澤明の映画をとおして小林秀雄のドストエフスキー論を批判をするという方法では小林秀雄の問題点を指摘することはできても、言論活動である小林秀雄の評論をきちんと批判すること上ではあまり有効ではなかった。

 一方、2010年にはアメリカの圧力によって「開国」を迫られた幕府に対して、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」というイデオロギーを叫んでいた幕末の人々を美しく描いたNHKの大河ドラマ《龍馬伝》が放映され、2015年には小田村四郎・日本会議副会長の曽祖父で吉田松陰の妹・文の再婚相手である小田村伊之助(楫取素彦・かとりもとひこ)をクローズアップした大河ドラマ《花燃ゆ》が放映された。

 さらに、「明治維新」150年が近づくにつれて「日本会議」系の政治家や知識人が「明治維新」の意義を強調するようになった。そのことを夏目漱石の親族にあたる半藤一利は、漱石の「維新」観をとおしてきびしく批判していたが、それは間接的には小林秀雄の歴史認識をも批判するものであった。

→ 半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 – 東洋経済オンライン

 それゆえ、私は拙著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』では、『罪と罰』を邦訳した内田魯庵や、明治時代に『罪と罰』のすぐれた評論「『罪と罰』の殺人罪を書いた北村透谷、そして、『罪と罰』の筋や人物体系を詳しく研究することで長編小説『破戒』を書き上げた島崎藤村などをとおして、小林秀雄のドストエフスキー観の問題点を明らかにしようとした。

 その第一の理由は彼らの読みが深いためだが、さらに、「明治維新」が強調される現代の政治や社会の状況が、「神祇官」が設置された明治初期の藩閥政府による独裁政治や、「大東亜戦争」に突入する暗い昭和初期と似てきているからである。明治政府の宗教政策や文化政策の問題点を正確に把握していた北村透谷や島崎藤村などの視点と手法で『罪と罰』を詳しく読み解くことは、「古代復帰」を夢見て、武力による「維新」を強行した日本の近代化の問題点と現政権の危険性をも明らかにすることにもつながると考えた。

 拙著では小林秀雄の『罪と罰』論が本格的に考察されるのはようやく第6章にいたってからなので、迂遠な感じもするのではないかとの危惧もあったが、献本した方々からの反応は予想以上によかった。それは、幕末から明治初期に至る激動の時代に生き、平田篤胤没後の門人となって「古代復帰の夢想」を実現しようと奔走しながら夢に破れて狂死した自分の父を主人公のモデルにした島崎藤村の大作『夜明け前』を最初に考察したことがよかったのではないかと思える。

 実は、『夜明け前』の主人公の青山半蔵が「明治維新後」には「過ぐる年月の間の種々(さまざま)な苦い経験は彼一個の失敗にとどまらないように見えて来た。いかなる維新も幻想を伴うものであるのか、物を極端に持って行くことは維新の附き物であるのか(後略)」と考えるようになっていたとも島崎藤村は記していたのである(『夜明け前』第2部第13章第4節)。

 

 そして、明治の賛美者とされることの多い作家の司馬遼太郎も、幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と続けていた(太字は引用者、『竜馬がゆく』文春文庫)。

 →https://twitter.com/stakaha5/status/907828420704395266

こうして、島崎藤村の作品に対する小林秀雄の評論をも参照することにより、「天皇機関説」事件によって明治に日本が獲得した「立憲主義」が崩壊する一方で、「弱肉強食」を是とするドイツのヒトラー政権との同盟が強化されていた昭和初期に評論家としてデビューした小林秀雄のドストエフスキー論には、幕末の「尊王攘夷」運動にも通じるような強いナショナリズムが秘められていることを明らかにできたのではないかと考えている。

そして、それは「政教一致」政策を行うことでキリスト教の弾圧を行ったばかりでなく、仏教に対する「廃仏毀釈」運動を行っていた明治の「維新」を高く評価している現在の政権の危険性をも示唆通じるだろう。

 →https://twitter.com/stakaha5/status/816241410017882112

 

四、小林秀雄の戦後の言論活動と堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』

 ただ、小林秀雄が戦後に評論家として復活する時期の言論活動についての考察まで含めると発行の時期が大幅に遅れるので今回は省いた。

 「評論の神様」として復権することになる小林秀雄の評論の詳しい検証は、稿を改めてドストエフスキーの『白夜』だけでなく、『罪と罰』や『白痴』にも言及しながら、昭和初期の日本を詳しく描くことにより、戦後に復権した岸政権との類似性とその危険視を鋭く指摘していた堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』の考察をとおして行うことにしたい。

 最後に、拙著で考察した小林秀雄の文学解釈の特徴と危険性を箇条書きにしておく。

1,作品の人物体系や構造を軽視し、自分の主観でテキストを解釈する。

2,自分の主張にあわないテキストは「排除」し、それに対する批判は「無視」する。

3,不都合な記述は「改竄」、あるいは「隠蔽」する。

 これらの小林秀雄の評論の手法の特徴は、現代の日本で横行している文学作品の主観的な解釈や歴史修正主義だけでなく、「公文書」の改竄や隠蔽とも深くかかわっていると思われる。

https://twitter.com/stakaha5/status/1100621472278536193

 (2019年3月11日、改訂)

 

黒澤監督没後二〇周年と映画《白痴》の円卓会議

 黒澤監督没後二〇周年を記念した黒澤明研究会の『会誌』No.40が届きました。この号に入会のいきさつや映画《白痴》の円卓会議についての経過報告を投稿ましたので、以下に転載します。

   *   *   *

『白痴』の発表から一五〇周年に当たる今年の一〇月にブルガリアの首都ソフィア大学で開催されるドストエフスキーのシンポジウムでは、『白痴』が主なテーマの一つとなり、シンポジウムの最後を飾ることになる円卓会議では映画《白痴》が取り上げられることになりました。

ブルガリア、ソフィア大学(ソフィア大学、ブルガリア語版「ウィキペディア」)

この円卓会議では会員の槙田氏が基調講演を行い、その後で日本からは九州大学の清水孝純名誉教授と私の発表と、ブルガリア・ドストエフスキー協会のディミトロフ会長の発表が予定されています。

私は拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、二〇一一年)の発行後に堀会員の強い勧めで入会しました。『会誌』の「黒澤明研究会四〇周年記念特別号」(第二七号、二〇一二年)を読み返していたところ、映画《白痴》についての思いと今後の抱負を記している記述がありましたので、要約して再掲します。

【高校時代にドストエフスキーの『罪と罰』や『白痴』を読んでロシア文学の研究を目指すようになったが、留学先のブルガリアでポーランドなどの東欧の学生から、ことに後期のドストエフスキー作品に対する厳しい批判があることを知ったことなどから、『白痴』に対する思いが揺らいだこともあった。しかし、映画『白痴』を見た際には、日本に舞台が移し替えられているものの、主人公の亀田(ムィシキン)をはじめとする登場人物が見事に描かれ、原作の理念が正しく伝えられていることに深い感動を受けた。

黒澤監督はドストエフスキーを「つっかえ棒」になってくれた作家と呼んでいたが、映画『白痴』も私にとってはドストエフスキー研究を続ける「支え」の役割を果たしてくれた。黒澤明監督が一九世紀のロシア文学をきわめ深く理解していたことを明らかにすることで、黒澤映画の魅力やその現代的な意義を伝え、黒澤映画を広めていきたい。】

 今回、映画《白痴》の円卓会議の企画にも関わることで、入会時の念願を果たすことができることになりました。

通常の三年ごとの大会の他に急遽、設定されたシンポジウムだったので、参加者がどのくらい集まるかに、最初は多少・不安がありました。しかし、ロシアからの出席者にはサンクトペテルブルクとモスクワの「ドストエフスキーの家博物館」の両館長もいます。

盛り上がった学会となり長編小説『白痴』とともに映画《白痴》の理解が深まることが期待されます。詳細については帰国後に報告することにし、ここでは六五名の参加者の国名と人数のみを記しておきます。

ロシア 二〇/ ブルガリア 一三 / イタリア 一〇/ 日本 五/ アメリカ合衆国 四/ ウクライナ 三 / イギリス 一/ ギリシア 一/ セルビア 一/ ドイツ 一/ ハンガリー 一/ ブラジル 一/ フランス 一/ ベラルーシ 一/ ポーランド 一/マケドニア 一/

(黒澤明研究会編『研究会誌』)、No.40号、2018年、16~17頁、転載に際して一部記述を変更した)

「黒澤明と手塚治虫――手塚治虫のマンガ『罪と罰』をめぐって」を「映画・演劇評」に掲載

(子供向けに書かれているために、 のマンガ『罪と罰』ではスヴィドリガイロフの形象は単純化されているが、自分には人を殺すことも許されていると信じて暴力革命を起こそうとする男をとおして、「非凡人の理論」の危険性がよく示されている。→ https://twitter.com/stakaha5/status/1011890849532207104

 (書影は「手塚治虫 公式サイト」より)

黒澤明監督の映画《天国と地獄》を特集した黒澤明研究会の『会誌』第39号が届きました。ここにはこの映画をめぐる討論「白熱教室」や黒澤和子氏の「映画衣装☆事始め」と題した講演、さらにはドストエフスキー作品との関連についての興味深い論考が収められています。

私自身は映画《赤ひげ》でブルーリボン賞の助演女優賞を受賞した二木てるみ氏を招いての例会で強く印象に残った発言に啓発されて、映画《デスル・ウザーラ》の後で『赤き死の仮面』の企画がたてられた際に、美術監督を依頼していた黒澤明監督と手塚治虫氏の深い交友の一端を、『罪と罰』論とのかかわりに絞って考察した論考を投稿しました。

「おわりに」に記したように、水爆以上に危険な爆弾の実験がテーマとなっている手塚治虫の『太平洋Xポイント』(一九五三)などの手塚治虫作品は、水爆実験の問題を真正面から描いた黒澤映画《生きものの記録》にも影響を与えているようにも思えます。

ただ、大きなテーマですのでそれについてはいずれ機会を改めて考察することとし、ここでは投稿した論考をホームページ用に編集しなおした上で、「映画・演劇評」のページに転載します。

黒澤明と手塚治虫――手塚治虫のマンガ『罪と罰』をめぐって

 なお、黒澤明研究会の運営委員の方々には今回もお世話になりましたが、「株式会社手塚プロダクション」のWebサイト(http://TezukaOsamu.net/jp)の豊富な記事と図版も参考にさせて頂きました。この場を借りて感謝の意を表しておきます。

(2019年2月9日、ツイッターのリンク先を追加)

1899年のハーグ万国平和会議から2017年の核兵器禁止条約へ

核兵器禁止条約

©共同通信社、「拍手にこたえる被爆者・サーロー節子さん」

記載がたいへん遅くなりましたが、広島・長崎への原爆投下から72年目にあたる今年の7月7日に日本の被爆経験を踏まえて条約の前文には「ヒバクシャ」が明記された核兵器禁止条約がようやく国連本部で採択されました。

また、ドストエフスキー作品の愛読者でもあった物理学者のアインシュタインは、アメリカの大統領にナチス・ドイツが核兵器の開発をしていることを示唆した自分の手紙が核兵器の開発と日本へ投下につながったことから、核兵器廃絶と戦争廃止のための努力を続け、それが1955年には戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」や「パグウォッシュ会議」開催に繋がりました。

米ソの両大国の対立と冷戦という時代状況にも阻まれて核兵器の廃絶の動きはなかなか進まず、ようやく1957年の「パグウォッシュ会議」開催からようやく60年目にしての実現したことになります。

このホームページでもささやかながら黒澤明監督や本多猪四郎監督の映画や発言の考察をとおして、核エネルギーの危険性を明らかにし、核兵器や原発の廃止を訴えてきましたので、感慨深いものがあります。

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

*   *   *

しかし、アメリカやロシア、フランスなどの核保有国が「核抑止力を必要とする世界の安全保障の現実を踏まえていない」などとして反発したばかりでなく、「アメリカの核の傘」で守られていると主張する安倍政権もこの条約には「署名しない」ことを明言しました。

カナダ在住の被爆者・サーロー節子さん(85)が「唯一の被爆国として反核運動の先頭に立つと言いながら、実際は何もやっていない」と厳しく批判したように、安倍晋三政権の「積極的平和主義」とは、被爆国でありながら原水爆の危険性を隠蔽してきた岸信介政権以降の核政策を受け継いだものだったのです。残念ながら今もこのような「核の傘」の論理に惑わされている日本人が多いように見えます。

しかし、南太平洋での核実験に対する国民の反発の高まりを受けて、「日本国憲法第九条」を参考にして1987年6月に「非核法」を制定していたニュージーランドのジェフリー・パーマー元首相はインタビューに答えて、核による抑止論については、核兵器が再び使われれば壊滅的な結果をもたらすことから「深刻な欠陥がある」と指摘し、「すべての国は、核兵器の使用がもたらす破滅を知る必要がある」とし、この条約の意義を強調しています(「東京新聞」)。

Enforcement_of_new_Constitution_stamp(←画像をクリックで拡大できます)

実際、1947年にはアメリカの『原子力科学者会報』が、核戦争などによる人類の滅亡を午前零時になぞらえた冷戦下の「終末時刻を残り7分」と発表していましたが、冷戦が終結した2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り三分」に戻ったと発表したのです。

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化学兵器が人道に反するとして1899年にハーグで開かれた万国平和会議において初めて国際規制が明文化され、第一次世界大戦後の1925年には悲惨な結果を踏まえて「ジュネーヴ議定書」が締結され、その規制は現在はるかに厳しくなっているのです。

Australian_infantry_small_box_respirators_Ypres_1917

(ガスマスクを着用し塹壕に隠れるオーストラリア兵。図版は「ウィキペディア」より)

原水爆が化学兵器よりもはるかに非人道的な被害をもたらすことを想起するならば、原水爆の使用だけでなく製造や保有、実験、移譲、そして核による威嚇なども全面禁止する今回の条約の正当性は明らかでしょう。

唯一の被爆国である日本は「核兵器使用による悲惨な結果を訴えるのに最も適した国。ぜひ発信を続けてほしい」と語っていたニュージーランド元首相などの熱い期待にそうためにも、日本人が戦前の日本の価値観の復活を目指している「日本会議」に牛耳られている現在の安倍政権を一刻も早くに退陣させて、世界から信頼される政権を打ち立てる必要があると思います。

年表8、『ゴジラの哀しみ』関連年表(「原水爆実験」と「原発事故」、それに関わる映画を中心に)