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黒澤明

「維新」という幻想と裏切られた「革命」――小林秀雄のドストエフスキー観と『夜明け前』論

序に代えて――『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』を書き終えて

 ブルガリア・ドストエフスキー協会の主催による国際シンポジウムが昨年の10月23日から26日にかけて行われた。この年が長編『白痴』の刊行から一五〇年に当たる年であるため、『白痴』をテーマとした発表が多く行われ、黒澤映画《白痴》の「円卓会議」も行われた。その企画の打ち合わせや発表の準備のために、発行を急いでいた拙著の脱稿は大幅に遅れてしまった。

しかし、私のドストエフスキー論を確立する上でも重要なこの映画について再び考える機会が与えられたのは私にとって幸いだったのでいずれ論文として発表することにしたい。

 ここでは拙著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(成文社)執筆までの私の小林秀雄についての考察の歩みと今後の方向性を覚え書きの形で簡単に書いておきたい。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社  

一、小林秀雄の復権と「神話」への懐疑

 敗戦後間もない1946年の座談会「コメディ・リテレール」ではトルストイ研究者の本多秋五などから戦時中の言動を厳しく追及された文芸評論家の小林秀雄(1902~1983)は、「僕のような気まぐれ者は、戦争中支那なぞをうろつき廻り、仕事なぞろくにしなかったが、ドストイエフスキイの仕事だけはずっと考えていた」と語っていた。

 作家の坂口安吾も1947年に著した「教祖の文学 ――小林秀雄論」で、「思うに、小林の文章は心眼を狂わせるに妙を得た文章だ」と書き、小林秀雄が「生きた人間を自分の文学から締め出して」、「骨董の鑑定人」になってしまったと厳しく批判したことはよく知られている(『坂口安吾全集 5』、筑摩書房、1998年、239~243頁)。

 1948年には「『罪と罰』についてⅡ」を『創元』に掲載し、黒澤明監督の映画《白痴》が公開された翌年の1952年から2年間にわたって「『白痴』についてⅡ」を連載した小林は、徐々に評論家としての復権を果たし、「評論の神様」と称されるようになる。

 一九四九年生まれの私は、いわゆる「小林神話」が強い時期に青春を過ごし、「告白」の重要性に注意を払うことによって知識人の孤独と自意識の問題に鋭く迫った小林秀雄のドストエフスキー論からは私も一時期、強い影響を受けた。

 しかし、原作の文章と比較しながら小林秀雄の評論を再読した際には、「異様な迫力をもった文体」で記されてはいるが、そこでなされているのは研究ではなく新たな「創作」ではないかと感じるようになった。

 それゆえ、作家の丸谷才一が1980年に「小林秀雄の文章を出題するな」というエッセイを発表して、芥川龍之介の『少年』と『様々なる意匠』の2つの文章を並べて出題した「北海道大学の入試問題をこてんぱんにやっつけたときには、よくぞ言ってくれたと快哉を叫んだものである」と書いたフランス文学者の鹿島茂氏同じような感慨を私も強く抱いた。

二、方法の模索

 文壇だけでなく学問の世界にも強く根をはっていた小林秀雄のドストエフスキー論と正面から対峙するには、膨大な研究書や関連書がある小林秀雄を批判しうる有効な手法を模索せねばならず、予想以上の時間が掛かった。

 ようやくその糸口を見つけたと思えたのは、小林秀雄の『白痴』論とはまったく異なったムィシキン像が示されている黒澤映画《白痴》をとおして長編小説『白痴』を具体的に分析した拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』を2011年に出版した後のことであった。

 すなわち、『罪と罰』と『白痴』の連続性を強調するために小林秀雄は、「来るべき『白痴』はこの憂愁の一段と兇暴な純化であつた。ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」と書いていた。しかし、シベリアから帰還したことになると、判断力がつく前に妾にされていたナスターシヤの心理や行動を理解する上で欠かせない、ムィシキンのスイスの村での体験――マリーのエピソードやムィシキンが衝撃を受けたギロチンによる死刑の場面もなくなってしまうのである。

 「『白痴』についてⅠ」の第三章で、小林は「ムイシュキンの正体といふものは読むに従つていよいよ無気味に思はれて来るのである」と書き、簡単な筋の紹介を行ってから「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」と断じている〔87~88〕。しかしそれは、それはスイスでのエピソードが省かれているばかりでなく、筋の紹介に際しても重要な登場人物が意図的に省略されているために、ムィシキンの言動の「謎」だけが浮かび上がっているからだと思われる。

 一方、黒澤明は復員兵の亀田(ムィシキン)が死刑の悪夢を見て絶叫するという場面を1951年に公開した映画《白痴》の冒頭で描くことで、長編小説『白痴』のテーマを明確に示していたのである。

 福島第一原発事故後の2014年に出版した『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』では、長編小説『白痴』に対する彼らの解釈の違いばかりでなく、「第5福竜丸」事件の後で映画《生きものの記録》を撮った黒澤明監督と、終戦直後には原爆の問題を鋭く湯川秀樹に問い詰めていながら、その後は沈黙した小林との核エネルギー観の違いにも注意を払うことで、彼らの文明観の違いをも浮き彫りにした。

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三、「維新」という幻想――明治の文学者のドストエフスキー理解

 ただ、黒澤明は評論家ではなく、映像をとおして自分の考えを反映する映画監督であった。そのために、黒澤明の映画をとおして小林秀雄のドストエフスキー論を批判をするという方法では小林秀雄の問題点を指摘することはできても、言論活動である小林秀雄の評論をきちんと批判すること上ではあまり有効ではなかった。

 一方、2010年にはアメリカの圧力によって「開国」を迫られた幕府に対して、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」というイデオロギーを叫んでいた幕末の人々を美しく描いたNHKの大河ドラマ《龍馬伝》が放映され、2015年には小田村四郎・日本会議副会長の曽祖父で吉田松陰の妹・文の再婚相手である小田村伊之助(楫取素彦・かとりもとひこ)をクローズアップした大河ドラマ《花燃ゆ》が放映された。

 さらに、「明治維新」150年が近づくにつれて「日本会議」系の政治家や知識人が「明治維新」の意義を強調するようになった。そのことを夏目漱石の親族にあたる半藤一利は、漱石の「維新」観をとおしてきびしく批判していたが、それは間接的には小林秀雄の歴史認識をも批判するものであった。

→ 半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 – 東洋経済オンライン

 それゆえ、私は拙著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』では、『罪と罰』を邦訳した内田魯庵や、明治時代に『罪と罰』のすぐれた評論「『罪と罰』の殺人罪を書いた北村透谷、そして、『罪と罰』の筋や人物体系を詳しく研究することで長編小説『破戒』を書き上げた島崎藤村などをとおして、小林秀雄のドストエフスキー観の問題点を明らかにしようとした。

 その第一の理由は彼らの読みが深いためだが、さらに、「明治維新」が強調される現代の政治や社会の状況が、「神祇官」が設置された明治初期の藩閥政府による独裁政治や、「大東亜戦争」に突入する暗い昭和初期と似てきているからである。明治政府の宗教政策や文化政策の問題点を正確に把握していた北村透谷や島崎藤村などの視点と手法で『罪と罰』を詳しく読み解くことは、「古代復帰」を夢見て、武力による「維新」を強行した日本の近代化の問題点と現政権の危険性をも明らかにすることにもつながると考えた。

 拙著では小林秀雄の『罪と罰』論が本格的に考察されるのはようやく第6章にいたってからなので、迂遠な感じもするのではないかとの危惧もあったが、献本した方々からの反応は予想以上によかった。それは、幕末から明治初期に至る激動の時代に生き、平田篤胤没後の門人となって「古代復帰の夢想」を実現しようと奔走しながら夢に破れて狂死した自分の父を主人公のモデルにした島崎藤村の大作『夜明け前』を最初に考察したことがよかったのではないかと思える。

 実は、『夜明け前』の主人公の青山半蔵が「明治維新後」には「過ぐる年月の間の種々(さまざま)な苦い経験は彼一個の失敗にとどまらないように見えて来た。いかなる維新も幻想を伴うものであるのか、物を極端に持って行くことは維新の附き物であるのか(後略)」と考えるようになっていたとも島崎藤村は記していたのである(『夜明け前』第2部第13章第4節)。

 

 そして、明治の賛美者とされることの多い作家の司馬遼太郎も、幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と続けていた(太字は引用者、『竜馬がゆく』文春文庫)。

 →https://twitter.com/stakaha5/status/907828420704395266

こうして、島崎藤村の作品に対する小林秀雄の評論をも参照することにより、「天皇機関説」事件によって明治に日本が獲得した「立憲主義」が崩壊する一方で、「弱肉強食」を是とするドイツのヒトラー政権との同盟が強化されていた昭和初期に評論家としてデビューした小林秀雄のドストエフスキー論には、幕末の「尊王攘夷」運動にも通じるような強いナショナリズムが秘められていることを明らかにできたのではないかと考えている。

そして、それは「政教一致」政策を行うことでキリスト教の弾圧を行ったばかりでなく、仏教に対する「廃仏毀釈」運動を行っていた明治の「維新」を高く評価している現在の政権の危険性をも示唆通じるだろう。

 →https://twitter.com/stakaha5/status/816241410017882112

 

四、小林秀雄の戦後の言論活動と堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』

 ただ、小林秀雄が戦後に評論家として復活する時期の言論活動についての考察まで含めると発行の時期が大幅に遅れるので今回は省いた。

 「評論の神様」として復権することになる小林秀雄の評論の詳しい検証は、稿を改めてドストエフスキーの『白夜』だけでなく、『罪と罰』や『白痴』にも言及しながら、昭和初期の日本を詳しく描くことにより、戦後に復権した岸政権との類似性とその危険視を鋭く指摘していた堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』の考察をとおして行うことにしたい。

 最後に、拙著で考察した小林秀雄の文学解釈の特徴と危険性を箇条書きにしておく。

1,作品の人物体系や構造を軽視し、自分の主観でテキストを解釈する。

2,自分の主張にあわないテキストは「排除」し、それに対する批判は「無視」する。

3,不都合な記述は「改竄」、あるいは「隠蔽」する。

 これらの小林秀雄の評論の手法の特徴は、現代の日本で横行している文学作品の主観的な解釈や歴史修正主義だけでなく、「公文書」の改竄や隠蔽とも深くかかわっていると思われる。

https://twitter.com/stakaha5/status/1100621472278536193

 (2019年3月11日、改訂)

 

黒澤監督没後二〇周年と映画《白痴》の円卓会議

 黒澤監督没後二〇周年を記念した黒澤明研究会の『会誌』No.40が届きました。この号に入会のいきさつや映画《白痴》の円卓会議についての経過報告を投稿ましたので、以下に転載します。

   *   *   *

『白痴』の発表から一五〇周年に当たる今年の一〇月にブルガリアの首都ソフィア大学で開催されるドストエフスキーのシンポジウムでは、『白痴』が主なテーマの一つとなり、シンポジウムの最後を飾ることになる円卓会議では映画《白痴》が取り上げられることになりました。

ブルガリア、ソフィア大学(ソフィア大学、ブルガリア語版「ウィキペディア」)

この円卓会議では会員の槙田氏が基調講演を行い、その後で日本からは九州大学の清水孝純名誉教授と私の発表と、ブルガリア・ドストエフスキー協会のディミトロフ会長の発表が予定されています。

私は拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、二〇一一年)の発行後に堀会員の強い勧めで入会しました。『会誌』の「黒澤明研究会四〇周年記念特別号」(第二七号、二〇一二年)を読み返していたところ、映画《白痴》についての思いと今後の抱負を記している記述がありましたので、要約して再掲します。

【高校時代にドストエフスキーの『罪と罰』や『白痴』を読んでロシア文学の研究を目指すようになったが、留学先のブルガリアでポーランドなどの東欧の学生から、ことに後期のドストエフスキー作品に対する厳しい批判があることを知ったことなどから、『白痴』に対する思いが揺らいだこともあった。しかし、映画『白痴』を見た際には、日本に舞台が移し替えられているものの、主人公の亀田(ムィシキン)をはじめとする登場人物が見事に描かれ、原作の理念が正しく伝えられていることに深い感動を受けた。

黒澤監督はドストエフスキーを「つっかえ棒」になってくれた作家と呼んでいたが、映画『白痴』も私にとってはドストエフスキー研究を続ける「支え」の役割を果たしてくれた。黒澤明監督が一九世紀のロシア文学をきわめ深く理解していたことを明らかにすることで、黒澤映画の魅力やその現代的な意義を伝え、黒澤映画を広めていきたい。】

 今回、映画《白痴》の円卓会議の企画にも関わることで、入会時の念願を果たすことができることになりました。

通常の三年ごとの大会の他に急遽、設定されたシンポジウムだったので、参加者がどのくらい集まるかに、最初は多少・不安がありました。しかし、ロシアからの出席者にはサンクトペテルブルクとモスクワの「ドストエフスキーの家博物館」の両館長もいます。

盛り上がった学会となり長編小説『白痴』とともに映画《白痴》の理解が深まることが期待されます。詳細については帰国後に報告することにし、ここでは六五名の参加者の国名と人数のみを記しておきます。

ロシア 二〇/ ブルガリア 一三 / イタリア 一〇/ 日本 五/ アメリカ合衆国 四/ ウクライナ 三 / イギリス 一/ ギリシア 一/ セルビア 一/ ドイツ 一/ ハンガリー 一/ ブラジル 一/ フランス 一/ ベラルーシ 一/ ポーランド 一/マケドニア 一/

(黒澤明研究会編『研究会誌』)、No.40号、2018年、16~17頁、転載に際して一部記述を変更した)

「黒澤明と手塚治虫――手塚治虫のマンガ『罪と罰』をめぐって」を「映画・演劇評」に掲載

(子供向けに書かれているために、 のマンガ『罪と罰』ではスヴィドリガイロフの形象は単純化されているが、自分には人を殺すことも許されていると信じて暴力革命を起こそうとする男をとおして、「非凡人の理論」の危険性がよく示されている。→ https://twitter.com/stakaha5/status/1011890849532207104

 (書影は「手塚治虫 公式サイト」より)

黒澤明監督の映画《天国と地獄》を特集した黒澤明研究会の『会誌』第39号が届きました。ここにはこの映画をめぐる討論「白熱教室」や黒澤和子氏の「映画衣装☆事始め」と題した講演、さらにはドストエフスキー作品との関連についての興味深い論考が収められています。

私自身は映画《赤ひげ》でブルーリボン賞の助演女優賞を受賞した二木てるみ氏を招いての例会で強く印象に残った発言に啓発されて、映画《デスル・ウザーラ》の後で『赤き死の仮面』の企画がたてられた際に、美術監督を依頼していた黒澤明監督と手塚治虫氏の深い交友の一端を、『罪と罰』論とのかかわりに絞って考察した論考を投稿しました。

「おわりに」に記したように、水爆以上に危険な爆弾の実験がテーマとなっている手塚治虫の『太平洋Xポイント』(一九五三)などの手塚治虫作品は、水爆実験の問題を真正面から描いた黒澤映画《生きものの記録》にも影響を与えているようにも思えます。

ただ、大きなテーマですのでそれについてはいずれ機会を改めて考察することとし、ここでは投稿した論考をホームページ用に編集しなおした上で、「映画・演劇評」のページに転載します。

黒澤明と手塚治虫――手塚治虫のマンガ『罪と罰』をめぐって

 なお、黒澤明研究会の運営委員の方々には今回もお世話になりましたが、「株式会社手塚プロダクション」のWebサイト(http://TezukaOsamu.net/jp)の豊富な記事と図版も参考にさせて頂きました。この場を借りて感謝の意を表しておきます。

(2019年2月9日、ツイッターのリンク先を追加)

1899年のハーグ万国平和会議から2017年の核兵器禁止条約へ

核兵器禁止条約

©共同通信社、「拍手にこたえる被爆者・サーロー節子さん」

記載がたいへん遅くなりましたが、広島・長崎への原爆投下から72年目にあたる今年の7月7日に日本の被爆経験を踏まえて条約の前文には「ヒバクシャ」が明記された核兵器禁止条約がようやく国連本部で採択されました。

また、ドストエフスキー作品の愛読者でもあった物理学者のアインシュタインは、アメリカの大統領にナチス・ドイツが核兵器の開発をしていることを示唆した自分の手紙が核兵器の開発と日本へ投下につながったことから、核兵器廃絶と戦争廃止のための努力を続け、それが1955年には戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」や「パグウォッシュ会議」開催に繋がりました。

米ソの両大国の対立と冷戦という時代状況にも阻まれて核兵器の廃絶の動きはなかなか進まず、ようやく1957年の「パグウォッシュ会議」開催からようやく60年目にしての実現したことになります。

このホームページでもささやかながら黒澤明監督や本多猪四郎監督の映画や発言の考察をとおして、核エネルギーの危険性を明らかにし、核兵器や原発の廃止を訴えてきましたので、感慨深いものがあります。

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

*   *   *

しかし、アメリカやロシア、フランスなどの核保有国が「核抑止力を必要とする世界の安全保障の現実を踏まえていない」などとして反発したばかりでなく、「アメリカの核の傘」で守られていると主張する安倍政権もこの条約には「署名しない」ことを明言しました。

カナダ在住の被爆者・サーロー節子さん(85)が「唯一の被爆国として反核運動の先頭に立つと言いながら、実際は何もやっていない」と厳しく批判したように、安倍晋三政権の「積極的平和主義」とは、被爆国でありながら原水爆の危険性を隠蔽してきた岸信介政権以降の核政策を受け継いだものだったのです。残念ながら今もこのような「核の傘」の論理に惑わされている日本人が多いように見えます。

しかし、南太平洋での核実験に対する国民の反発の高まりを受けて、「日本国憲法第九条」を参考にして1987年6月に「非核法」を制定していたニュージーランドのジェフリー・パーマー元首相はインタビューに答えて、核による抑止論については、核兵器が再び使われれば壊滅的な結果をもたらすことから「深刻な欠陥がある」と指摘し、「すべての国は、核兵器の使用がもたらす破滅を知る必要がある」とし、この条約の意義を強調しています(「東京新聞」)。

Enforcement_of_new_Constitution_stamp(←画像をクリックで拡大できます)

実際、1947年にはアメリカの『原子力科学者会報』が、核戦争などによる人類の滅亡を午前零時になぞらえた冷戦下の「終末時刻を残り7分」と発表していましたが、冷戦が終結した2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り三分」に戻ったと発表したのです。

*   *   *

化学兵器が人道に反するとして1899年にハーグで開かれた万国平和会議において初めて国際規制が明文化され、第一次世界大戦後の1925年には悲惨な結果を踏まえて「ジュネーヴ議定書」が締結され、その規制は現在はるかに厳しくなっているのです。

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(ガスマスクを着用し塹壕に隠れるオーストラリア兵。図版は「ウィキペディア」より)

原水爆が化学兵器よりもはるかに非人道的な被害をもたらすことを想起するならば、原水爆の使用だけでなく製造や保有、実験、移譲、そして核による威嚇なども全面禁止する今回の条約の正当性は明らかでしょう。

唯一の被爆国である日本は「核兵器使用による悲惨な結果を訴えるのに最も適した国。ぜひ発信を続けてほしい」と語っていたニュージーランド元首相などの熱い期待にそうためにも、日本人が戦前の日本の価値観の復活を目指している「日本会議」に牛耳られている現在の安倍政権を一刻も早くに退陣させて、世界から信頼される政権を打ち立てる必要があると思います。

年表8、『ゴジラの哀しみ』関連年表(「原水爆実験」と「原発事故」、それに関わる映画を中心に)

黒澤明と宮崎駿――《七人の侍》から《もののけ姫》へ(ロシア文学と民話とのかかわりを中心に)

6月25日に黒澤明研究会で標記の研究発表をしました。

中世史の研究者・網野義彦は《もののけ姫》のパンフレットに寄せた文章で、「山や森は神様が住む聖地なのだという捉え方が崩れはじめたのが室町時代だからで、これは歴史的な事実だといってもよいと思います」と記していましたが、作家の司馬遼太郎も堀田善衛や宮崎駿と一九九二年に行った鼎談で、日本では「弥生式のころから引き継いでいる大地への神聖観というのをどうも失いつつある」と指摘していました(『時代の風音』朝日文庫)。

ニーチェは『ツァラトゥストラ』の第一部の終わりに「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは超人が栄えんことを欲する」という有名な言葉を記していたが(太字の箇所は訳書では傍点)、八百万の神々が共存するような多神教的な世界観は、日本でもすでに室町時代には崩れ始めていたのです。

そのことが、明治維新の際に西欧列強やロシア帝国の宗教を強く意識しながら、天皇を「一神教的な現人神」とし「全国の神社を官社と諸社に分け」て序列化を行った「国家神道」の成立を準備していたと思えます。

「こんな夢をみた」という字幕が最初に示されるオムニバス形式の映画《夢》の第六話「赤富士」でも原発事故の問題が鋭く提起されていますが、この映画の魅力は原発批判や戦争批判に留まらず、このような明治以降の「国家神道」の教えで失ってしまった地震や火山など自然の驚異や生命の神秘に対する畏敬の念も見事に再現していることでしょう(拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』のべる出版企画、2016年、141~142頁)

発表は2部からなり、第1部では「ロシア文学と民話とのかかわりを中心に」第2部では「《七人の侍》から《もののけ姫》へ」という題で考察しました。

 「映画・演劇評」のページに黒澤明と宮崎駿(1)――ロシア文学と民話とのかかわりを中心に」と「黒澤明と宮崎駿(2)――《七人の侍》から《もののけ姫》へを掲載します。

 

甘利問題と「加計学園」問題、そして「共謀罪」――黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》再考

黒澤明、悪い奴ほど

(ポスターの図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

甘利問題と「加計学園」問題、そして「共謀罪」――黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》再考

「森友学園」問題が官僚によって重要な書類が隠されたことでなかなか解明が進まない中、”総理のご意向”とする文書が流出したことでいよいよ本命といされる「加計学園」問題が前面に浮かび上がってきた。

ニュースサイト「リテラ」は、「これは国を揺るがす大問題。総理が腹心の友のため権力を使い便宜を図る行為は金が動いてなくても、収賄やあっせん収賄と同じ。加計理事長は96億円もの利益を得た。韓国前大統領と同じ身内への利益誘導、辞任に値する」と記しているがまさにそのような大問題だろう。

さらに大きな問題は「韓国前大統領と同じ身内への利益誘導」をしながら責任を取ろうともしない独裁的な安倍首相の主導によって、「共謀罪」がまたも強行採決されようとしていることである。

昨年の5月31日に東京地検が甘利前経済再生担当相と元秘書2人を「現金授受問題」で不起訴としたとの報道が「東京新聞」朝刊に載った際には、汚職事件を主題とした黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》を論じた箇所を拙著から引用して掲載していた。

ここではそのページと映画《野良犬》などを論じたブログ記事へのリンク先を示すことにより、映画《夢》で福島第一原子力発電所事故を予告するようなシーンを描き出すことになる黒澤監督が腐敗した政治の危険性も描き出していたことを明らかにしておく。

リンク→長編小説『白痴』の世界と黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(1960)

リンク→長編小説『罪と罰』の世界と黒澤映画――《野良犬》(1949)と《天国と地獄》(1963)

 

自著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2016年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の書影とともに掲載されましたので転載致します。

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復員兵として中国から帰還した際に広島の惨劇を目撃していた本多猪四郎監督は、原爆の千倍もの威力のある水爆実験によって「第五福竜丸」が被爆したことを知って映画《ゴジラ》を製作し、チェルノブイリ原発事故の後では黒澤明監督の映画《夢》に監督補佐として深く関わった。

本書では3つの視点からポピュラー文化を分析することで、日本人の核意識と戦争観の変化を考察し、核の時代の戦争を克服する道を探った。

最初に映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌を、《モスラ》や《宇宙戦艦ヤマト》、《インデペンデンス・デイ》なども視野に入れて分析した。

宮崎駿監督が「神話の捏造」と批判した映画《永遠の0(ゼロ)》については、原作の構造と登場人物の言動を詳しく分析することによって、この小説が神話的な歴史観で「大東亜戦争」を正当化している「日本会議」のプロパガンダの役割を担っていることを明らかにした。

最後に、《七人の侍》から《生きものの記録》を経て《夢》に至る黒澤映画と、《風の谷のナウシカ》から《紅の豚》や《もののけ姫》を経て、《風立ちぬ》に至る宮崎映画の文明観の深まりを自然観に注目しながら考察した。

(リベラルアーツ学群 高橋 誠一郎)

リンク→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

黒澤明監督の映画《夢》、BSプレミアムで9月30日深夜放映

黒澤明監督の映画《夢》をNHKが9月30日深夜に BSプレミアムで放映。

映画《夢》(1990年)は、福島第一原子力発電所の事故を予言していたとネットで話題になったが、黒澤明監督は全八話からなるオムニバス形式の映画の前半では「狐の嫁入り」の伝説を元にした「日照り雨」や「桃の節句」の美しい人形たちの舞を描いた第二話「桃畑」などをとおして自然の美しさを描き出していた。

展覧会でゴッホの絵に魅入っていた私(寺尾聰)が、いつの間にか絵画の世界へと入り込み、敬愛していたゴッホ(マーティン・スコセッシ)と出会うという第五話「鴉」も印象に残る。

さらに、黒澤監督は原発や核戦争の危険性と絶望的な状況を第六話「赤富士」と第七話「鬼哭」で描いただけでなく、第八話「水車のある村」で自然エネルギーの可能性も示すことで、絶望からの「復活」の方向性も示唆していた。

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(四)、「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

いよいよ選挙の日が近づいてきましたが、いまだに新聞などの分析では「改憲」勢力が議席の三分の二を占める可能性が高いことが指摘されています。

できれば、選挙前に出版したかったのですが、全体の流れを紹介する序章をなんとか書き上げましたので、今回はその(四)を掲載します。より多くの人に安倍政権の反憲法的な危険性の一端が伝わり、一人でも多くの方が投票することを願っています。

*   *   *

第四節 「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

憲法学者の樋口陽一氏は、安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いている(『「憲法改正」の真実』)。

実際、八割を超える閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属しているだけでなく、自分の気に入らない質問に対してはきちんと答えない安倍首相の国会答弁や、問答無用という感のある「特定秘密保護法」や「戦争法」の強行採決などを見ていると同じような危惧の念を強く持つ。さらに問題は、年金の問題など国民に公表すべき重要な情報であっても、ことに政権に不利な情報は徹底的に隠蔽することである。

それは大地震や火山の噴火が続くにも関わらず、川内原発などの稼働を止めない安倍政権の非科学的な自然観についてもいえる。安倍政権の閣僚たちは中世と同じように日本が「国造り神話」によって出来たと考えているのかもしれないが、地球の地殻変動で形成された日本が地震大国であり、火山の国でもあることを忘れてはならない。安倍政権は「四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本」を強調しているが、その豊かな自然を放射能で汚染し、日本人の生命を危険にさらす原発政策を進めているのが安倍政権である。

たとえば、その意向を受けたNHKの籾井会長は、地震後の原発報道は「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」という指示を出していた。このような対応は核汚染の危険性の公表は国民を恐怖に陥れるとして報道規制をした政府の対応も描き出していた映画《ゴジラ》のことを思い起こさせる。

終戦直前の八月に広島と長崎にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が相次いで投下されてから二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、原爆争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前〇時になぞらえた「世界終末時計」の時刻が終末の七分前になったと発表した。さらに湯川秀樹博士ら著名な科学者は「第五福竜丸」の後の一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表して核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘したが、映画《ゴジラ》の公開はそれに先だっていたのである。

それゆえ、『ゴジラの哀しみ』の「第一部 映画《ゴジラ》から黒澤映画《夢》へ」では、本多監督と黒澤監督との交友にも注意を払いながら、「ゴジラ」の変貌の問題を「第五福竜丸」事件の後で撮影された映画《ゴジラ》からチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて製作された映画《夢》までの流れをとおして考察することにしたい。

すなわち、第一章「ゴジラの咆哮と悲劇の発生」では、映画《ゴジラ》と《ジョーズ》とを比較することでこの二つの映画では悲劇の発端が、重大な情報の隠蔽であることに注意を促す。

第二章「映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》(一九八四)へ」では、社会的・文化的な背景をも詳しく考察することで映画《モスラ》や《モスラ対ゴジラ》が、黒澤映画《用心棒》や《風の谷のナウシカ》とも深い関わりがあることを示した『モスラの精神史』を分析する。

第三章「映画《惑星ソラリス》から一九八四年版の映画《ゴジラ》へ」では、時間的には少し遡ることになるが、黒澤監督が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中にソ連のタルコフスキー監督の映画《惑星ソラリス》(一九七三)を見ていたことに注目することにより、黒澤が語ったソ連の若者の核戦争観が、一九八四年版の映画《ゴジラ》の筋に強い影響を与えている可能性を指摘する。さらに、映画《日本沈没》(一九七三)における日本海トラフの指摘に注目することにより、一九八四年版の映画《ゴジラ》が地震大国であり火山国でもある日本の自然環境をきちんとふまえて映画化されていることを指摘する。

第四章「「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》」では、序章でも簡単に見た「ゴジラシリーズ」での「ゴジラ」の変貌を追うとともに、チェルノブイリ原発事故が起きた年に亡くなったタルコフスキーの《サクリファイス》にも注意を払うことで、福島第一原子力発電所を予言したとも言われる本多監督が演出補佐として参加していた映画《夢》の「赤富士」のシーンの意味に迫る。

昨年の一月二二日に『原子力科学者会報』は、「終末時計」が冷戦期の一九四九年と同じく「残り3分」になったと発表した。

冷戦が終わり、二一世紀に入った現代においても、世界終末時計が米ソの二つの大国が激しく対立していた一九四九年と同じ「残り3分」になったことに衝撃を受けた。軍事的な超大国となったアメリカを初めとして多くの国が、武力によって「テロ」などが制圧できると信じているようだが、歴史をふりかえるならばそれは妄想にすぎないだろう。一方、岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していないだけでなく、「歴史修正主義」的な傾向を強く持つ安倍政権は、原発だけでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めているのである。

第二部「小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法」では、安倍首相との共著もある百田尚樹氏が二〇〇六年に出版した『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)を歴史的な事実をふまえて文学論的な手法で分析することにより、そこに秘められているイデオロギーの危険性を明らかにする。

すなわち、第一章「孫が書き記す祖父の世代の美しい物語」では、もう一人の主人公ともいえるほど影響力が大きい存在ながらあまり焦点が当てられないもう一人の「祖父」の役割などに注意を払うとともに、物語の骨格を定めている「取材という手法」と百田氏がノンフィクションと称する『殉愛』との類似性を指摘する。

第二章「地上での視線を欠いた『空』の戦いの物語」では、たしかにガダルカナル島での兵士の悲惨な状態や将軍たちの批判は為されてはいものの、それは伝聞の形で語られており、生の声で語られる体験としての迫力や説得力には欠けることを、国内の状況を具体的に描いた映画《少年H》や劇《闇に咲く花》との比較をとおして明らかにする。

第三章「高山という新聞記者――新聞の役割と『司馬史観』論争」では、小説のクライマックスともいえる高山と元一部上場企業の社長だった武田との対決やその前後の登場人物の言葉をとおして、この小説が一九九六年の司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観」論争に際して科学的な歴史観を「自虐史観」と呼んだ「つくる会」のイデオロギーを強く受け継いでいることを、一九九七年に公演された井上ひさし氏の劇《紙屋町さくらホテル》と比較することで明らかにする。

第四章「神話の捏造――英雄の創出と『ゼロ』の神話化」では、プロローグでは「悪魔のようなゼロ」と描かれていた「特攻」が、英雄の創出と零戦の神話化によって、エピローグでは正反対の価値観になっていることを具体的に示す。

私がはじめて宮崎駿監督の作品を意識したのは、《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときであった。そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じるとともに、映画《ゴジラ》の最も重要なテーマを受け継いでいると感じた。それゆえ、安倍政権が一九世紀的な「積極的平和主義」を掲げて、戦争のできる国を目指して「改憲」を掲げる中、宮崎駿監督の強い信頼を得ている庵野秀明監督が、どのような《シン・ゴジラ》を製作するのかを強い期待と不安を持って見守っている。

全体の終章にあたる「映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》へ」では、「神話の捏造」という言葉で『永遠の0(ゼロ)』を厳しく非難していた宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》までを分析することにより、専制政治と核戦争の岐路に立たされていると思える現在の日本の状況を明らかにする。

そして、最後に核エネルギーの悲惨さを知っている日本の「自衛隊」には、ブッシュ政権の「大義なき戦争」によって始まった二一世紀の混乱を収束させるためには憲法九条の理念に沿って戦争には参加せず、大地震の際の救助活動など平和的な目的に限って活動するとともに、核の廃絶を世界に訴えるという文明的な課題があることを示したい。

(2016年11月2日、改訂してタイトルを改題)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(二)、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》を掲載

二、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》

本多監督の盟友・黒澤監督は映画《ゴジラ》をすぐれた百本の映画の一つとして挙げていたが、「ゴジラ」の本場である日本でも、「ゴジラ」の哀しみや怒りは急速に忘れ去られたように思える。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろう」と指摘し、「あらゆる紛争問題の解決のための平和な手段をみいだすよう勧告する」という「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発せられたのは、「第五福竜丸」事件の翌年七月のことであった。

この事件から強い衝撃を受けて「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えた黒澤明監督も、映画《ゴジラ》から一年後に映画《生きものの記録》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)を公開した*11。

この映画では、映画《ゴジラ》で古生物学の山根博士の役を見事に演じていた志村喬が、度重なる水爆実験や「核戦争」などの危険性を心配して家族とともにブラジルへ移民しようとする主人公の老人の気持ちを理解する重要な知識人の役を演じている。

一方、息子たちの強い反対にあい、裁判で準禁治産の宣告を受けたことで、精神的にも追い詰められたこの老人は工場が燃えれば息子たちもあきらめるだろうと考えて放火する。しかし、従業員たちの深い苦悩を見て自分たちだけで逃げようとしたことの非を主人公が悟る場面も描かれている。ことに、精神病院に収容された主人公が夕日を見て核戦争で燃え上がった地球とみなし、「とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶシーンは圧巻である。ドストエフスキーの研究者である私には、そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると思えた*12。

映画《生きものの記録》が英語では《I Live In Fearと訳され、ロシア語でも«Я живу в страхе» (私は恐怖の中で生きている)と訳されていることもあり、いまだにこの主人公の老人・喜一は「恐怖」から逃げだそうとしたと誤解されることが多い。しかし、むしろ彼は「あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、「ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と批判していたのである。その意味でこの老人・喜一は自然の豊かさや厳しさを本能的に深く知っていた映画《デルス・ウザーラ》の主人公の先行者的な人物であったといえるだろう。

しかし、映画《七人の侍》の翌年に公開され、三船敏郎が見事な老け役を演じていたこの映画は営業的には大失敗に終わった。映画《ゴジラ》からわずか一年の遅れで公開された黒澤映画の失敗の原因についてはいろいろと指摘されているが、その遠因には一九五三年にアメリカ大統領のアイゼンハワーが、「原子力の平和利用」を国連で表明するとともに、被爆国の日本にたいして原子力発電所の建設を促す動きを強め、それに呼応して翌年の一九五四年一月一日から読売新聞による「ついに太陽をとらえた」とする原発推進の三〇回にわたる連載が始められていたことを挙げることができるだろう。この結果、一九五四年三月三日には、「国会に初めて原子炉予算として二億円あまり」を計上するという議案が提出され、数日後には成立していたのである。

広告研究家の本間龍氏は『原発プロパガンダ』 において、一九七〇年から福島第一原子力発電所の大事故が起きる二〇一一年までの大手電力会社の広告宣伝は二兆四千億円にも及び、政府広報予算も含めればさらに数倍にも膨れあがることや、二〇一三年からは安倍政権の意向に従って原発広告が復活し、ことに原発推進派だった読売新聞が「再び記事の中でも積極的に原発再稼働を唱え」始めていることを指摘している*13。同じようなことが「第五福竜丸」事件が起きた一九五四年から翌年までの間にもすでに起きていたのである。

「原子力基本法」を成立させた日本政府は、「原子力の平和利用」を謳いながら、経済面を重視して原子力発電の育成を「国策」として進めるようになり、原子力発電の危険性を指摘する科学者を徐々に要職から追放しはじめることになる。こうして、日本が地震大国という地勢的な条件や原爆の悲惨さから目をそらして原子力大国への道を歩み出し始めた翌一九五五年の『文學界』の七月号に掲載されたのが石原慎太郎氏の小説『太陽の季節』だった。「既成道徳に対する反抗」を描いたこの小説が同じ年に第一回『文學界』新人賞を受賞するとこの作品は一躍、脚光を浴びることとなり、「太陽族」という流行語も生まれた*14。

さらに、一九五五年に「原子力潜水艦ノーチラス号」を製造した会社の社長を「原子力平和利用使節団」として招聘した読売新聞社の正力松太郎社主は、映画《生きものの記録》が公開されたのと同じ一一月からは「原子力平和利用大博覧会」を全国の各地で開催し、「原子力発電」を「国策」とするための社運を賭けた大々的なキャンペーンを行った*15。

それは福島第一原子力発電所の大事故の前に広告会社の電通などによって行われた「原子力の安全神話」を広める広告の先駆けのようなものであったといえよう。このような大々的な宣伝により日本における「核エネルギー」にたいする見方はがらりと変わり、この映画が封切りされた頃には原子力エネルギーが「第二の太陽」ともてはやされるようになり、映画《生きものの記録》は「季節外れの問題作」と見なされて興行的には大失敗に終わったのである。

このような事態に際して、一九四八年の対談で太陽熱も原子力で生まれており、原子力エネルギーは「そうひどいことでもない」と湯川秀樹博士が主張したのに対して、「高度に発達する技術」の危険性を指摘して「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」と反論して、「原子力エネルギー」の危険性を正しく指摘していた文芸評論家の小林秀雄が、原発の推進が「国策」となると沈黙してしまったことも大きいと思われる*16。

一方、「ゴジラ映画三十年の変遷」を分析した浅井和康氏が一九七四年に公開された映画《ゴジラ対メカゴジラ》に言及して、ついには「贋者の」ゴジラが登場したと記していた*17。ましこ・ひでのり氏も一九八九年に公開された映画《ゴジラvsビオランテ》を考察して「〈憲法前文や9条の理念が邪魔で戦争が満足にできない〉といった好戦派のホンネがSFの形で露呈しているといえるのではないか」と書き、ここでは「先端技術をスマートに駆使して敵を撃破する“格好いい”自衛隊」が描かれていることを指摘している*18。

さらに、永田喜嗣氏は初期のゴジラ・シリーズでは、「文民統制」の原則が貫かれていたのに対し、《ゴジラvsビオランテ》では「ゴジラ映画初の自衛隊が人間を撃つ描写や、外国人を徹底的に悪人にし」、一九九一年に公開された《ゴジラvsキングギドラ》では、「日本企業が核ミサイル付き原潜を持つ」という設定がなされており、ゴジラ映画の右傾化であると批判した*19。

このことに言及した芹沢亀吉氏は、「ゴジラファンの間で原点回帰の傑作と評価されている」、二〇〇一年に公開された映画《ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃》を詳細に分析して、主人公の父親が終盤で「特殊潜航艇さつま」に乗って、海中にいるゴジラの口の中に突入する場面を、特攻をかっこよく見せる映画《永遠の0》の先駆けなのだと書き、「映画自体が大ヒットしたことで後続の東宝映画が特攻を肯定的に描く事を許容する前例になってしまった」と続けている*20。

これらの指摘はなぜ本多監督が、一九七五年に公開された映画《メカゴジラの逆襲》を最後に「ゴジラ・シリーズ」から去ったかということだけでなく、なぜ宮崎駿監督が「神話の捏造」という言葉で映画《永遠の0(ゼロ)》を厳しく批判したかをも説明していると思える。

最後に注意を払っておきたいのは、一九六一年に公開された映画《モスラ》(製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)のモスラの形象に注目した小野俊太郎氏が、「幼虫モスラと王蟲(オーム)の形状の類似」などを指摘していることである*21。

しかも、一九八四年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》が映画《モスラ》の理念を継承していることにも言及し、両者を繋ぐ働きを黒澤映画《生きものの記録》が担っていることを指摘している。本多監督が日米合作企画映画として製作したこの映画《モスラ》は一九六一年七月三〇日に公開されたが、この映画の脚本が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という著名な作家三人の原作『発光妖精とモスラ』(『週刊朝日』)を元にして関沢新一が脚本を書いていた。日東新聞記者である主人公の福田善一郎という名前は、これらの三人の作家の名前を組み合わせて出来ているが、ここにはシナリオを重視してたびたび共同で書いていた黒澤明と同じような姿勢が強く見られるだろう。

 

*11 西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄――風のように侍は――』筑摩書房、二〇〇五年、七七七頁。

*12 高橋誠一郎『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、二〇一四年、一三二頁。

*13 本間龍『原発プロパガンダ』 岩波新書、

*14 高橋誠一郎、前掲書、一三五頁。

*15 有馬哲夫『原発・正力・CIA――機密文書で読む昭和裏面史』新潮新書、二〇〇八年参照。

*16 高橋誠一郎、前掲書『黒澤明と小林秀雄』、一〇八~一〇九頁。

*17 浅井和康「ゴジラ映画三十年の変遷」、『モスラ対ゴジラ』講談社X文庫、一九八四年、二三九頁。

*18 ましこ・ひでのり『ゴジラ論ノート』三元社、二〇一五年、一〇八頁。

*19 永田喜嗣「ゴジラ ウルトラマン 怪獣平和学入門 ~怪獣映画にみる戦争~」、市民社会フォーラム第171回学習会、二〇一六年一月二三日、ライブ配信

*20 芹沢亀吉、ツイートまとめ「『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃(GMK)』は本当に原点回帰映画なのかを検証してみた」二〇一六年六月二五日。

*21 小野俊太郎『モスラの精神史』講談社現代文庫、二〇〇七年、二四八~二五一頁。

(2016年11月2日、タイトルを改題)