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「終末時計」の時刻が「残り2分」に――核戦争の危機を踏まえた「日本国憲法」の意義

終末時計、2018

昨年は「核兵器禁止条約」が結ばれ、ICANにノーベル平和賞が与えられるなど新しい流れが生まれました。

一方で、『原子力科学者会報』は核戦争の懸念の高まりやトランプ米大統領の「予測不可能性」などを理由に、今年の「終末時計」の時刻がついに1953年と同じ残り2分になったと発表しました(AFP=時事)。

ビキニ環礁で原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験が行われたために「第五福竜丸」や他の漁船の船員たち、そして島の住民たちが被爆したのが、その翌年の1954年のことでした。そのことを考えるならば、世界はふたたび「人類滅亡」の危機を迎えているといっても過言ではないでしょう。

それにもかかわらず、安倍首相の「明治維新」礼賛に現れているように、神話的な歴史観から古代を理想視する閣僚がほとんどを占めている安倍内閣は、核の危険性から眼を背けつつ原発の再稼働ばかりでなく、超大国アメリカに追随して軍拡を進めています。

しかし、危機を回避するためには、厳しい「現実」を直視して、その対策を練ることが必要でしょう。幸い、昨年、結成された立憲民主党が早速、「原発ゼロ基本法タウンミーティング」を開始しているだけでなく、他の立憲野党や共産党との協力も育っていく可能性が見えてきました。

それゆえ、メニューの「国民の安全と経済の活性化のために脱原発をに加筆するとともに、新たな図版も加えました。今こそ核戦争の危険性を踏まえた「日本国憲法」の意義が認識されるべきでしょう。

ドストエーフスキイの会、第240回例会(合評会)のご案内

「第240回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.141)より転載します。

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第240回例会のご案内

今回は『広場』26号の合評会となりますが、論評者の報告時間を10分程度とし、エッセイの論評も数分に制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。

 

日 時 2017年7月15日(土)午後2時~5時

 場 所神宮前穏田区民会館 第2会議室(2F)     ℡:03-3407-1807

 (会場が変更になりました。下記の案内図をご覧ください!)

 

掲載主要論文の論評者

 熊谷論文 ラスコーリニコフの深き欲望 ――太田香子氏

金沢論文  ドストエフスキーと「気球」 ――高橋誠一郎氏

チホミーロフ論文 「思想家達の形象による」思索の問題――熊谷のぶよし氏

杉里論文  《貶められ辱められた子ども》の絶望と救済――近藤靖宏氏

芦川論文  イワン・カラマーゾフのキリスト ―大木貞幸氏

エッセイ:冷牟田、清水、西野、石田、学会報告―フリートーク

司会 高橋誠一郎氏(+近藤靖宏氏)

 

*会員無料・一般参加者-500円

前回例会の「傍聴記」と「会計報告」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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会場(神宮前穏田区民会館)の案内図

ドストエーフスキイの会会場

「核兵器禁止条約交渉」への不参加と安倍首相の「積極的平和主義」

昨日(3月28日)のNHKニュースは、「核兵器禁止条約交渉」に日本が不参加を表明したことを伝えるとともに、「唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴えてきた日本も参加しないことを表明し、核軍縮をめぐる各国の立場の違いが際立つ形となっています」と説明しています。

日本が交渉に参加しないという方針を表明したことについて、〈被爆者の代表として国連で演説を行った日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の藤森俊希事務局次長は「日本政府はこれまで唯一の戦争被爆国という枕言葉をよく使ってきたが、その唯一の戦争被爆国は私たち被爆者が期待することと全く逆のことをしており、賛同できるものではない。日本政府は世界各国から理解が得られるよう、核兵器廃絶の先頭に立つべきだ」と〉、日本政府の対応を批判したことも伝えています。

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今回の事態により2016年の広島市で行われた平和記念式典のあいさつで核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則に言及しなかった安倍首相の「積極的平和主義」や公明党などの賛成により強行採決された「安全保障法案」の危険な本質がいっそう明らかになったと思えます。

それだけでなく戦争を美化する思想の持ち主であることから防衛大臣に抜擢されながら、自分もかかわっていた森友学園問題で、虚偽答弁を繰り返したかだけでなく、自衛隊の「日報」隠蔽問題にも深く関わる稲田朋美氏を未だに重視している安倍内閣の無責任さや危機管理能力のなさも浮かび上がってきました。

それゆえ、2016年8月7日に書いた「安倍首相の「核兵器のない世界」の強調と安倍チルドレンの核武装論」を再掲します。

このような事態になることを危惧して急いで上梓した拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の書影と関連する記事へのリンク先も記しておきます。

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(広島と長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲、1945年8月、図版は「ウィキペディア」より)

安倍首相が広島市で行われた平和記念式典のあいさつで、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則に言及しなかったことが波紋を呼んでいます。

以下、新聞などの記事によって簡単に紹介した後で、安倍首相が本気で「核兵器のない世界」を願うならば、「わが国は核武装するしかない」という論文を月刊『日本』(2014年4月22日号)に投稿していた武藤貴也議員を参院特別委員会に呼んでその見解を質し、今も同じ考えならば議員辞職を強く求めるべき理由を記したいと思います。

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平和記念式典の後で行われた被爆者団体代表との面会では、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として非核三原則を堅持しつつ、世界恒久平和の実現に向けた努力をリードすることを誓う」と述べ、これに関し菅官房長官も同日午前の記者会見で「非核三原則は当然のことで、考えにまったく揺るぎはない」と説明したとのことです。

しかし、これらの「誓い」や「説明」の誠実さに疑問が残るのは、すでに多くの新聞や報道機関が指摘しているように、その前日に行われた参院特別委員会で中谷元・防衛相が、戦争中の他国軍への後方支援をめぐり、核兵器を搭載した戦闘機や原子力潜水艦などへの補給は「法律上除外する規定はない」として、法律上は可能との認識を示す一方で、「非核三原則があり提供はありえない」とも述べていたからです。

枝野幸男・民主党幹事長が批判をしているように、武器輸出三原則などの大幅な緩和をしたばかりでなく、「弾薬は武器ではない、その武器ではないもののなかに、ミサイルも入る(と言う)。それに核弾頭が載っていてもそれが(輸送可能な弾薬の範囲に)入る」と説明した安倍内閣の閣僚が、「非核三原則があります、(だから輸送しない)と言っても、ほとんど説得力をもたない」でしょう。

さらに、被爆者団体代表との面会で安全保障関連法案が、「憲法違反であることは明白。被爆者の願いに背く法案だ」として撤回を強く求められた安倍首相は、「平和国家としての歩みは決して変わることはない。戦争を未然に防ぐもので、必要不可欠だ」と答えたようですが、すでに武器輸出三原則などの大幅な緩和をしている安倍首相が、「平和国家としての歩みは決して変わることはない」と主張することは事実に反しているでしょう。

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今回の安倍氏の「あいさつ」で最も重要と思われるのは、秋の国連総会で新たな核兵器廃絶決議案を提出する方針の安倍首相が、「核兵器のない世界の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意」を表明し、来年のG7(主要七カ国)外相会合が広島で開かれることを踏まえて「被爆地からわれわれの思いを国際社会に力強く発信する」とも述べていたことです。

このこと自体はすばらしいと思いますが、国際社会に向けたパフォーマンスをする前に安倍首相にはまずすべきことがあると思われます。

それは安倍氏が本気で「核兵器のない世界」を願うならば、「わが国は核武装するしかない」という論文を月刊『日本』(2014年4月22日号)に投稿していた武藤議員を参院特別委員会に呼んでその見解を質し、今も同じ考えならば議員辞職を強く求めるべきことです。

参院特別委員会でも「安全保障関連法案」には多くの深刻な問題があることが次々と明らかになっているにも関わらず、「強制採決」に向けて粛々と審議が行われているように見えます。

しかし、国際社会にむけて未来志向の「美しい言葉」をいくら語っても、武藤議員の発言を厳しく問いただすことをしなければ、「日本を、取り戻す。」を選挙公約にした安倍政権の本当の狙いは、戦前の「日本人的価値観」と軍事大国の復活にあるのではないかという疑いを晴らすことはできないでしょう。

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→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画、2016)

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正岡子規の時代と現代(5)―― 内務官僚の文学観と正岡子規の退寮問題

「よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」(『翔ぶが如く』、「書きおえて」)。

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前回、見たように司馬氏は長編小説『翔ぶが如く』で、ドイツ帝国の宰相・ビスマルクと対談した大久保利通が「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたと書いていました(第1巻「征韓論」、拙著『新聞への思い』、88頁)。

実は、これに先立ち『坂の上の雲』の「日清戦争」と題した章で司馬氏は、プロシアの参謀本部方式の特徴を「国家のすべての機能を国防の一点に集中するという思想である」と説明していました。これらの文章に注目するとき、司馬氏が「明治国家」のモデルとしてのドイツ帝国の問題をいかに重視していたかが理解できます。

しかも、「日清戦争」の章の冒頭では「正岡は、毒をまきちらしている」、「正岡に与(くみ)する者はわが郷党をほろぼす者ぞ」と佃一予〔つくだかずまさ〕をリーダーとする「非文学党」といえるような一派によって子規が激しく攻撃され、明治二四年に寄宿舎から退寮させられたという出来事が描かれているのです。

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「佃一予の正義は、時代の後ろ盾をもっている」という文章に注目しながら年表を調べると、この前年に渙発されていた「教育勅語」の天皇の御名・御璽に対してキリスト教の信者であった第一高等学校教師の内村鑑三が少ししか頭を下げなかったことが問題とされたいわゆる「不敬事件」がこの年の一月には起きていたのです。このことがマスコミによってひろまったために、内村は「国賊」という「レッテル」を貼られて疲弊して肺炎にかかり、つききりで看病にあたった新妻は病死し、彼も退職を余儀なくされることとなっていました。

内務官僚となった佃一予たちなどから激しく攻撃された子規が、寄宿舎から追い出されただけでなく、「常磐会給費生という名簿からも削られてしまった」という事件もこのような時代背景とも深く関わっていたのです。(『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』、75頁)。

しかも、「佃はよほど青年の文学熱がきらいだったらしく、明治三十年ごろ、常磐会寄宿舎のなかに子規のやっている俳句雑誌『ホトトギス』や小説本がまじっているというので大さわぎをし、監督内藤鳴雪を攻撃し、窮地に追い込んだ」ことを指摘した司馬氏は、『坂の上の雲』で次のように書いているのです(二・「日清戦争」)。

「(佃には――引用者注)大学に文科があるというのも不満であったろうし、日本帝国の伸長のためにはなんの役にも立たぬものと断じたかったにちがいない。…中略…この思想は佃だけではなく、日本の帝国時代がおわるまでの軍人、官僚の潜在的偏見となり、ときに露骨に顕在するにいたる」。

日露戦争の旅順の攻防に際して、「君死にたまふこと勿(なか)れ(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)」という詩を書いた与謝野晶子が批評家の大町桂月によって「国家の刑罰を加うべき罪人」とまで非難されることになることを考えるならば、この指摘は非常に重要です。(『新聞への思い』、108~109頁)。

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しかも、大町桂月は、社会主義者には「戦争を非とするもの」がいたが、晶子は韻文で戦争を批判したとし、「『義勇公に奉すべし』とのたまへる教育勅語、さては宣戦詔勅を非議」したと与謝野晶子を激しく非難していましたが、第一次世界大戦の時期に「国体教育主義を経典化した」『教育勅語』の精神の徹底を求めたのが、『国民新聞』社主の徳富蘇峰だったのです。

一方、作家の島崎藤村は明治学院に在学中の明治二三年から二六年までの時期を描いた自伝的な長編小説『桜の実の熟するとき』で、「日本にある基督教界の最高の知識を殆(ほと)んど網羅(もうら)した夏期学校」に参加した際に徳富蘇峰と出会ったときの感激を「京都にある基督教主義の学校を出て、政治経済教育文学の評論を興し、若い時代の青年の友として知られた平民主義者が通った」と描いていました。

実際、『将来之日本』(一八八六)において若き蘇峰は、具体的な統計資料に基づいて数字を挙げながら欧米列強における戦争や軍事費がいかに国力や民力を疲弊させてきたかを指摘し、「わが邦に流行する国権論武備拡張主義」を、「その新奇なる道理の外套を被るにもかかわらず、みなこれ陳々腐々なる封建社会の旧主義の変相に過ぎざるなり」と一刀両断に論駁して内閣批判の鋭い論陣を張っていました。

しかし、日清戦争後に欧米旅行から一八九七年に帰国して内務省勅任参事官に任じられた蘇峰は、読者からその「変節」を厳しく批判されて雑誌『国民之友』の廃刊に追い込まれると、その翌年に成立した山県内閣がすすめた大増税・軍備拡張に協力するようになったのです。さらに、『大正の青年と帝国の前途』で蘇峰は、「正直に云えば、我が青年及び少年に歓迎せらるる書籍、及び雑誌等は、半ば以上は病的文学也、不完全なる文学也」と断言し、「大正の青年諸君に向て、先づ第一に卿らの日本魂を、涵養せんと欲す」として次のように続けていたのです。

「日本魂とは何ぞや、一言にして云へば、忠君愛国の精神也。君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神也」。

一方、司馬氏は『子規全集』の解説「文章日本語の成立と子規」において、大町桂月や徳富蘇峰の文章と比較しながら、次のように記していました。

「文章を道具にまで還元した場合、桂月も鏡花も蘇峰も一目的にしか通用しないが、漱石や子規の文章は愚痴も表現できれば国際情勢も論ずることができ、さらには自他の環境の本質や状態をのべることもできる」(『新聞への思い』、152頁)。

子規と漱石について記されたこの言葉に留意するならば、『坂の上の雲』において述べられている歴史観が、徳富蘇峰の歴史認識と異なるばかりでなく、これを厳しく批判するものであることは明らかでしょう。

正岡子規の時代と現代(3)――「特定秘密保護法」とソ連の「報道の自由度」

今回は2013年に安倍政権が強行採決した「特定秘密保護法案」に対する国際社会の懸念と国内の批判記事を振り返ることで、この問題の大きさを確認しておきます。

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まず、アメリカのニューヨーク・タイムズは、この法案が「国民の知る権利を土台から壊す」だけでなく、「東アジアでの日本に対する不信」をいっそう高めるとの厳しい批判を書いていました。

「国連人権理事会」もこの法案が「内部告発者やジャーナリストを脅かす」との懸念を表明していました。

さらに、元NSC高官のハンペリン氏がこの法案を「国際基準」を逸脱しており、「過剰指定 政府管理も困難」との指摘をしていることを伝えています(23日、毎日新聞)。

最も重要なのは「国連関係者を含む70カ国以上の専門家500人以上が携わり、2年以上かけて作成され」、今年の6月にまとまった「ツワネ原則」と呼ばれる50項目の「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」でしょう。

海渡雄一弁護士はじめ多くの有識者が指摘しているように、問題はすでにこのような国際原則が明らかになっているにもかかわらず、「特定秘密保護法案」にはこの「国際的議論の成果」が反映されていないことです。

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今朝の報道では、「特定秘密保護法」の全容や問題点の討議が十分に行われないまま、政府と与党は法案の衆議院通過をはかるとの記事が載っていました。

安倍政権は、アメリカからの「外圧」を理由にこの法案の強行採決をはかっているようですが、この法案が通った後ではそのアメリカからも強い批判が出て、国際社会から「特定秘密保護法」の廃止を求められるような事態も予想されます。

かつて「国際連盟」から「満州国」の不当性を指摘された日本政府は、国連から脱退をして孤立の道を選びました。「国際社会」から強く批判をされた際に孤立した安倍政権は、どのような道をえらぶのでしょうか。

この法案の廃止や慎重審議を求めている野党だけでなく、政権与党や自民党の代議士にも国際関係に詳しい人はいると思われますので、強行採決の中止を強く求めます。

先ほど、各新聞が一斉にネット版で、「与党が採決を強行」し「特定秘密保護法」が衆議院を通過したとの号外を報じました。安倍首相は「この法案は40時間以上の審議がなされている。他の法案と比べてはるかに慎重な熟議がなされている」と答弁したとのことですが、首相の「言語感覚」だけでなく、「時間感覚」にも首をかしげざるをえません。

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衆議院での「特定秘密保護法」の強行採決を受けて「良識ある」各新聞の朝刊は一斉に批判の記事を掲載しています。

ここでは「民主主義の土台壊すな」という副題を持つ毎日新聞の社説を引用しておきます。

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「あぜんとする強行劇だった」という書き出しで始まるこの記事は、採決前に安倍晋三首相が退席していたこを指摘した後で、次のように続けています

「与党すら胸を張れない衆院通過だったのではないか。採決前日、福島市で行った地方公聴会は、廃案や慎重審議を求める声ばかりだった。だが、福島第1原発事故の被災地の切実な声は届かなかった。

審議入りからわずか20日目。秘密の範囲があいまいなままで、国会や司法のチェックも及ばない。情報公開のルールは後回しだ。

国民が国政について自由に情報を得ることは、民主主義社会の基本だ。法案が成立すれば萎縮によって情報が流れなくなる恐れが強い。審議が尽くされたどころか、むしろ法案の欠陥が明らかになりつつある。」

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ここで注目したいのは、採決前日に福島市で行われた「地方公聴会」での意見が全く無視されていることを指摘した後で、この記事が「情報公開のルール」の必要性を説いていることです。

安倍政権の政策には、地方を無視してでも、中央の利権を確保しようとする姿勢が強く見られるのです。一方、ソ連ではチェルノブイリ原発事故以降に、「情報公開」の要求は強まり、原発事故の危険性の認識が高まっていました。

今回の「特定秘密保護法」の拙速な強行採決は、「特定秘密保護法」が当時のソ連の対応と比較しても明らかに遅れているだけでなく、「テロ」対策を前面に出すことで「原発事故」の問題を「秘密の闇に覆う」ことを密かにねらっているとさえ思えてきます。

最後にソ連における「報道の自由度」とチェルノブイリ原発事故などについて論じた記事へのリンク先を示しておきます。ここでは個性を全く奪われていかなる個人的な会話も記録されるという未来の全体主義国家を舞台にした1922年のザミャーチンの小説『われら』が、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』にも多くの影響を与えていることなどにもふれていました。

→「グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故

(初出、2013年11月26日~27日。改訂およびリンク先を追加、2016年10月31日)

 

19世紀の「自然支配の思想」と安倍政権の原発増設計画

今日(7月23日)の「東京新聞」(デジタル版)は、政府方針達成のために「原発の新増設必要」と電事連会長が語ったとする次のようなの記事と載せています。

「電気事業連合会の勝野哲会長(中部電力社長)は22日、共同通信のインタビューに応じ、2030年度の電源構成に占める原発比率を20~22%とする政府方針を達成するため「発電所の新増設や建て替えが必要だ」と語り、建設計画の前進に向け原発に対する信頼の回復に努めると強調した。」

しかし、地震や火山活動が活発化している日本で原発の増設を目標とする安倍政権とそれに追従して当面の利益を確保しようとする財界の方向性はきわめて危険でしょう。

日本の自然の上に成立した「伝統的な神道」は、今こそ、このような19世紀的な自然観を厳しく批判して、安倍政権や「日本会議」と決別すべきでしょう。

さらに、真の仏教徒も「国民」の生命を軽視して利権を重視する原子炉に、仏教の「文殊」と「普賢」の両菩薩の名前から「もんじゅ」や「ふげん」などと命名している自民党や安倍政権とは決別すべきでしょう。

なぜならば、日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉は、『文明論之概略』において「水火を制御して蒸気を作れば、太平洋の波濤を渡る可し」とし、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていたからです。

比較文明学者の神山四郎は、「これは産業革命時のイギリス人トーマス・バックルから学んだ西洋思想そのものであって、それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判していましたが、現在は次のように言い直さねばならないでしょう。

「バックルや福沢諭吉のような近代文明観が今日の経済大国をつくったのだが、また同時に1979年にアメリカ・スリーマイル島原発事故を、1986年と2011年にはチェルノブイリと福島でレベル7の原発事故をつくったのである」と。

年表、核兵器・原発事故と終末時計

「司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』」、(序)と(1)を大幅に改訂

今年は徳富蘇峰が「忠君愛国」的な視点からの歴史教育の必要性を唱えた『大正の青年と帝国の前途』(1916年)を発行してから百年に当たります。

安倍首相が事務局長を務めていた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997年設立)という名称は、蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』を強く意識して命名されているように思えます。

安倍首相は今年の参議院選挙で「改憲」を目指すと明言しましたので、「改憲」の危険性を知るためにもこの書を詳しく分析する必要があると思えます。

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』をとおしてこの書を読み解く論考を書き進める中でかなり加筆をしましたので、(序)と(1)〈グローバリゼーションとナショナリズム――「司馬史観」論争と現代〉も大幅に改訂しました。

以下にリンク先を記しておきます。

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって(改訂版・序)

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって(改訂版・1)

「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」(再放送)を見る

NHK・BSプレミアムで「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」(再放送)を見ました。先ほど、ツイッターに投稿したので、ここでも再掲しておきます。

番組は「世界をパニックに陥れたあの未曾有の事故」の真実に迫る力作でしたが、「真実を隠そうとした深い闇」は現在の安倍政権の原発政策の危険性をも語っていると思えました。

すなわち、番組は「情報公開」の政策に踏み切ったばかりのゴルバチョフにも正確な情報が届かず、「国民」からの信頼を次第に損ねていく過程とゴルバチョフや真実を伝えようとした科学者の苦悩をも伝え得ていたのです。

一方、熊本大地震後の後で九州全域での地震が現在も続くなか、安倍首相の意向を汲んだ籾井会長の指示により川内原発付近での震度が表示されなくなったNHK問題の深刻さをもこの番組は意図せず示していました。

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番組説明の文章

「今から29年前におきたチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故。世界をパニックに陥れたあの未曾有の事故は当初、意図的に隠された。消火活動にあたった消防士、現場の作業員、また多くの市民が被ばく、隠ぺいが被害を拡大させた。真実を伝えようとして奔走したジャーナリスト、自ら命をたった科学者など、あの未曾有の事故を多角的視点から描く。」

写真のタイトル

*事故後、人口5万人が避難した街 “プリピャチ”

*放射能拡散を食い止めたヘリコプター部隊の指揮官アントシキン

*事故後わずか4行の事故一報 なぜ情報は伝わらなかったのか

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安倍首相が2006年の国会で共産党・吉井議員の質問に「我が国において…中略…必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と回答したように、チェルノブイリ原発事故の後ではソ連の原発なのであのような事故が起きたが、日本では絶対に起きないと説明されてきたのです。

生々しい原発事故の写真の後には、「史上最悪の原発事故チェルノブイリ原発」の説明が載っていますが、放射線の汚染水が大量に海に流れ出ている福島第一原子力発電所大事故こそを、今では「史上最悪の原発事故」と呼ばねばならないでしょう。

「劇《石棺》から映画《夢》へ」を再掲

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(4号炉の石棺、2006年。チェルノブイリ原発4号炉の石棺の画像は「ウィキペディア」より。Carl Montgomery – Flickr)

劇《石棺》から映画《夢》へ

はじめに チェルノブイリ原発事故と劇《石棺》

チェルノブイリ原発事故をモスクワで体験していた私は、黒澤映画や帝政ロシアや現代ソヴィエトにおける厳しい検閲の問題にもふれつつ、現代のチェーホフとも称されているヴァンピーロフの劇『去年の夏、チュリームスクで』と、原発事故をテーマにしたソ連の劇《石棺》を考察したエッセーを一九八八年に同人誌『人間の場から』(第10号)に書いた。

作家のヴァムピーロフが「時代の病気である人間の中の自然破壊に最初に気づき、劇作の筆をとりはじめた」ことを紹介した訳者の宮沢俊一氏は、「ヴァムピーロフを読み直すたびに《美が世界を救う》というドストエフスキーの有名な言葉が何度も何度も新たな希望をもって思い出されるのです」という作家ラスプーチンの言葉を紹介している。

映画《夢》が公開される二年前のエッセーだが、このとき私がチェルノブイリ原発事故のことを考えつつ、《美が世界を救う》という言葉が記されている長編小説『白痴』を映画化した映画《白痴》や映画《生きものの記録》などの黒澤映画に対する関心を深めていたことは確かなように思える。

それゆえ、ここでは劇『去年の夏、チュリームスクで』の感想は省略し、ロシアにおける「表現の自由」の問題と劇《石棺》を中心に、国民の生命にかかわる原発事故と情報の隠蔽の問題を確認しておきたい。そして最後に「表現の自由」という視点から、黒澤明監督の発言などをとおして福島第一原子力発電所の事故とその後の経過を考察する。(なお、ここでは用語や人名表記の一部を改めた)。

一、「演じることと見ること」

前回、私はモスクワの舞台においてドストエフスキー劇が予想以上に演じられていることを紹介したが(次項参照)、それは分野が異なるにせよ文学と演劇が密接な関わりを持ち続けていること、さらに演劇が生活の中に深く入り込んでいることを物語っていると言えるだろう。

最近、本場のイギリスで『マクベス』を上演して高い評価を受けた演出家の蜷川氏と主演女優栗原小巻もイギリスでは演劇が市民から愛されているのに対し、日本での観客層は主に婦人であると先日のテレビで語っていた。すなわち、働きバチの日本男子には観劇などをする暇はなく、又、ますます都市から離れていく日本の住宅事情では夜に妻と共に劇を見ながらゆっくりと人生について考える余裕も持ちにくく、さらにはヨーロッパの国々と比べて切符の値段もはるかに高いのだ。

ところで演劇の力ということで思い出されるのは『白痴』の映画化についてふれながら、「映画というのは考えるということにあんまり適した形式ではない」と述べた黒澤明監督の言葉である。それは一見、ドストエフスキーの本場ソヴィエトでも高い評価を受けた映画『白痴』の監督の言葉とは見えないだろう。だが氏の言葉が事実を突いていることも確かだ。現代において長編小説が読まれなくなってきたのは、恐らくそれがあまりに〈考えるということに適している〉からだろう。

それに反して、映画やテレビのドラマでは一度始まってしまえば、途中で多少の不満は残ったにせよ、ほとんど考えるというエネルギーを使わないまま最後まで見ることができる。そしてそのように観客を引っ張っていけるのは直接感覚に訴えることができるという映画の力であり、観客の前で直接演じる演劇はその力が一層強いといえるだろう。

〈なんだ、そんな事か、それならば演劇の力なんて大したことではないじゃないか〉と思われるかも知れない。確かにそれだけならば演劇は世の中を改善しうるような力強い力を持ち得ないはずだからである。だが後に見るように、その面でも演劇は力を持ち得ていたし、今も持っているのだ。では黒沢氏の定義が間違っているのだろうか。そうではない。恐らく、私達は氏の表現を限定するだけでよい。「上映中は」と。そう、映画や演劇は上映中は考えるということにはあまり適さないのだ。

沢山の印象や感覚が観客を襲い、観客はそれに呑み込まれる。しかし、時の経過と共に観客は自分を取り戻す。今見たシーンを思い出してみる。語られたせりふが浮んでくる。蜷川と栗原の両氏は、イギリスの劇場のレストランは真夜中でも開いていると語っているが、それは食欲を満たすばかりではあるまい。そこには語る時間と語る相手がいる。

そう、多少極端に言うならば、映画(演劇)がその思索的な力を発揮するのは、それが終わった時からなのだ。だが、余韻と余白の美を作り上げた私達日本人は今、終わった後の創造的な余韻を持ち得ているだろうか。

*                           *                             *       *          *

一方、ロシアの演劇史を見ると、そこには上演禁止の戯曲が累々と死体のように横たわっている。ロシアの検閲官は文学に対しても厳しかったが、演劇にはさらに厳しかったのだ。以下、少し長くなるがドストエフスキーの場合を見てみよう。

《ドストエフスキーが亡くなってから暫くの期間は、概して演劇界は不毛であり、ロシアの伝統的レパートリーを豊富にできた筈の当時の作家や劇作家の問題作は、殊に激しい弾圧を受けた。八〇年代には…中略…ドストエフスキーの長編小説が舞台にのる可能性は開かれていなかった。演劇の検閲官は、上演のための改作が度々要求されていた『罪と罰』、『虐げられた人々』、『白痴』、『カラマーゾフの兄弟』などの上演を徹底して禁止したのである。かつて舞台にかけられたことがあり、ドストエフスキーの目からは「罪のない」小説『伯父様の夢』による喜劇ですらも一八八八年には検閲官によって禁止の措置を受けた。

ドストエフスキーのこの小説を改作した喜劇『うつつの夢』について、演劇の検閲官ダナウーロフは、通常の上申の中で、この喜劇が「舞台で許可しえるリアリズムの限界を越えており、その内容においても表現においても、検閲の条件には全くそぐわない」と報告し、さらに彼は「概して、審査の対象であるこの喜劇は、筋書き自体の無道徳性と作者自身によって与えられた粗野で汚れた色彩の結果、極端に好ましからぬ、重苦しい印象を引き起こすものであり、それゆえ本官はこの喜劇の舞台での上演を許可することはできないと判断するものである」と結論している。検閲官はこの月並みな意見を、ドストエフスキーの他の作品にも拡大して、それらが劇場にかかり、観客に対して直接的で情念的な影響を与えることを妨げたのである》(A・ニーノフ、「ドストエフスキー劇の誕生」『ドストエフスキーと演劇』)。

この事実はロシアの為政者が演劇をいかに恐れていたかを端的に物語るものだろう。だが演劇の力を恐れたのは帝政ロシアの為政者ばかりではなかった。『去年の夏、チュリームスクで』の作者ヴァンピーロフの場合をみてみよう。訳者の宮沢俊一氏は、優れた演出家トフストノーゴフが「ソヴェート戯曲の最高傑作の一つである『鴨猟』が書かれてから十一年も上演を妨げられていた事態を絶対に容認する訳にはいかない」と一九八六年の初めに「文学新聞」紙上で検閲の廃止を要求したことを紹介しながら、「スターリン批判と自由化の波を食い止めようとしていた六十年代のブレジネフ政権の官僚は、執拗に新しい純粋なものの出現を抑えようとしていた」と書き、ヴァンピーロフの主な作品が両首都で演じられるようになったのは「彼の死後のことである」と解説している。

二、劇《石棺》

グーバレフの戯曲『石棺』もまたソヴィエトの現実を鋭くえぐり出したと言えるだろう。この戯曲はチェルノブイリの事故を扱っているが、この事故が起きた時、私は学生と共にモスクワにいた。周知のようにこの事故はウクライナばかりでなく、近隣諸国にも多くの被害を与えたが、たまたまこの数日間南風がずっと吹いていたためにかろうじてモスクワは汚染から逃れ得た。だがそれは単なる偶然に過ぎず、もし北風が吹いていたら、私達も又汚染から逃れることはできなかった筈であり、その事は私に核の時代に生きることがいかなる危険性と隣接しているかを再認識させもしたのだ。

それゆえ、ソヴィエトでこの事故を扱った戯曲が発表されたと知った時にはどのような視点からこの事故が描かれるかに強い興味を惹かれた。

「ぐでんぐでんに酔っ払って実験用原子炉のそばで寝てしまった」ために多量の放射能を浴びたのだが奇跡的に生き残り病院に一年以上も入院しているこの作品の主人公は『罪と罰』の大酒呑みマルメラードフを思わせるような、道化の患者である。そして、チェルノブイルの原発事故の実体はこの男が治療を受けている放射線治療病院を舞台にして解明されていく。

この場面設定はすぐれている。なぜならばこの患者やこの病院で医師たちの視点からはこの苛酷な事件もある程度、客観的に見ることができるし、また、事故の患者たちとじかに接する彼らは、たとえば、市役所や裁判所を舞台とする場合よりも、内部の視点からこの事件を描きえる。さらに作者はここに三人の新入りの研修医を登場させ、放射能の恐ろしさをほとんど知らなかった彼女たちを瀕死の病人たちが次々と運ばれる戦場のような場に立たせあるいは若い患者の一ときの愛を描いて戯曲に幅と深みを与え得ている。そして、何よりも自ら「不死身の男」と名のる自分も放射線の被害者である道化を介在させることによって事故の悲劇性を笑いを通して鋭く描きだしているのだ。

事故の実態や危機に際しての個々の行動は運ばれてきた患者たちの会話や彼らと事情調査を行う検事の会話を通して徐々に明らかにされていく。たとえば、決死の覚悟で消火にあたった消防士や変圧器を接続するために現場に止まったオペレーター、あるいは出張で来ていただけなのに科学者として反応の変化を気を失うまで追い続けた物理学者の行動が再現される一方で、被害の大きさを熟知しながらも、上司や市民に知らせる事を怠った研究所長の行為が暴露される。

始めは温厚で人情味豊かな人間と思われていた消防指令の将軍も、実は対人関係をスムーズにし、摩擦を起さないために原子炉の屋根に禁じられていた可燃性の素材を用いる許可を与えていたことや、現所長が上部の受けのみを狙って計画の遂行だけにきゅうきゅうとしていたことが明らかにされる。そして事故の発端となった緊急炉心冷却装置を切ったのは誰だという物理学者の問いに対して、「不死身の男」は作者の声を代弁して、それはシステムだ、「無責任体制だ」と断言する。

この劇の題名ともなっている「石棺」という言葉は、劇の冒頭から「不死身の男」が解いているクロスワードの答えという形で巧妙に劇中に挿入されている。研究所長との対決の場で彼は「ファラオ王朝のピラミッドにしたって、まだ五千年の歴史があるだけだ。しかし、この原子炉のピラミッドは(中略)少なくとも一万年以上はしっかりと立っているだろうよ」と語るのである。訳者の解説によれば、この原子炉の埋葬には三十万立方メートルのコンクリートが使われたが、「しかしコンクリートの耐用年数は五十年だから、五十年ごとに石棺の上にコンクリートを塗り補強しつづけねばならない」、「まさに現代科学技術の生みだしたピラミッド」と言わねばならぬような代物なのである。

こうしてこの戯曲は原発の管理者や行政者の責任を激しく糾弾するばかりでなく、きわめて進んだ文明と共に危険とも隣接した核の時代という現代に生きる私達の原子力に対する関心の薄さや、後世への倫理的な責任をも鋭くついており、この劇はソヴィエトの現実を痛烈に批判するばかりでなく、その批判力の鋭さで未来への扉を少しにせよこじあけているようにも見える。

(ウラジーミル・グーバレフ、金光不二夫訳『石棺――チェルノブイリの黙示録』、リベルタ出版、参照)

三、映画《夢》と福島第一原子力発電所の事故

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan(←画像をクリックで拡大できます)

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機。)

このエッセーを書いた翌年の一九八九年にリュブリャーナで開かれた国際ドストエフスキー学会に参加した私は、そこで多くのロシアの研究者と出会ったことで、作家や演出家たちが自分の職を賭けて勝ち取った「表現の自由」の重みと演劇や映画などの力を実感した(「ドストエーフスキイの会」会報、第一〇〇回例会報告、「国際ドストエフスキー・シンポジウムに参加して」、一九八九年一二月、参照)。

一方、日本では「絶対安全」とされていた福島第一原子力発電所で、映画《夢》の第六話で「赤富士」のエピソードを描いた黒澤明監督が危惧していたようなチェルノブイルの原発事故に匹敵するような地球規模の大事故が二〇一一年三月一一日に起きた。

そのあとで明らかになったのは、原子力発電所には原子炉を消火する消防車がなく、きちんとした防御服もなく、さらに日本が最先端の技術を有すると誇っていたロボットも動かなかったことである。使用済み核燃料も放置された古タイヤのように燃え出したばかりでなく、原子炉建屋が爆発してメルトダウンで汚染した放射能が原子炉から空気中に放出され、さらに放射能に汚染された大量の水が海に流れ出るなどの事態が次々と発生した。

推進派の学者や政治家、高級官僚がお墨付きを出して「絶対に安全である」と原子力産業の育成につとめてきた日本には、「美しい日本の自然」が強調されてきたにもかかわらずその大地や大気、そして海を汚しつつある原発事故の拡大を制御する技術がなく、核実験を続けることで危機的な事態へのノウハウを蓄積してきた核大国の援助によって、ようやく最悪の事態を当面は免れることができたのである。

スイスやドイツなどでは今回の「フクシマ」後に脱原発の政策が明確に打ち出され、続いて国民投票を行ったイタリアでもその方向性が示された。チェルノブイリ原発事故の際に十分な情報を与えられていたこれらの国々では、マグマの上にある薄い地表の上に成立している世界における原発の危険性をきちんと判断することができたのだと思われる。

日本でもようやくこの事故のあとで、「政治家・学者・マスコミ」などが「原発マネー」に群がっていたことや、官僚の「天下」など「利権」による「癒着」の構造が明らかになった。ことに私を驚かしたのは、莫大な予算を投じて『わくわく原子力ランド』のような教科書の副読本が配布され、戦前や戦中の「不敗神話」と同じような形で「安全神話」が小中学生に教えられていたことであった(『東京新聞』四月一九日号の「”安全神話”教える 不適切な原発副読本」など参照)。日本の原子力行政では、戦前の日本さながらに「国策」の名の下に反対を許さずに、莫大な広告費を費やして進められてきたのである。

さらに、福島第一原子力発電所が爆発すれば大量に放出されることになる放射能の被爆を防ぐために開発された「SPEEDI」の情報が、国民には知らされなかった一方で、アメリカ軍には伝えられていたことが翌年になって新聞に載り、八〇キロ圏内に住むアメリカ人に退避命令が出された理由が明らかになった。

しかも、『東京新聞』一二月四日付けの朝刊では、東京電力の社員たちが記者会見では、「事故やトラブル」を「事象」と、「老朽化」を「高経年化」と、さらに「汚染水」を「滞留水」と、「放射能汚泥」を「廃スラッジ」などと言い直していることが報じられている。

このような用語の言い換えは、「退却」を「転進」と「全滅」を「玉砕」と呼び、「敗戦」を「終戦」と「占領軍」を「進駐軍」と言い換えた当時の日本と、現在の日本の体制がほとんど変わっていないのではないのかという深刻な思いを抱かせる。

ドキュメンタリー映画『一〇〇,〇〇〇年後の安全』を撮ったデンマーク出身のマドセン監督は、「日本には、事実を国民に教えない文化があるのか」と問いかけ、「福島事故で浮き彫りになったのは、日本人の”心のメルトダウン”だ」と感じていると語った(「処理先送り 倫理の問題」[こちら特報部]『東京新聞』二〇一一年一二月二三日)。

四、日本の原発行政と「表現の自由」

このような事態は、「日本映画と、日本人の国際性を問う」と題したジャーナリスト筑紫哲也との一九九三年の対談で、「繁栄」や「自由」を謳歌しているように見える日本には、権力の問題を指摘するような「表現の自由」がないことを批判していた黒澤監督の指摘がいかに正鵠を射ていたかを物語っているだろう。

黒澤「……たとえば政治の問題とか。/アメリカの場合は、こんなこと映画にしてもいいのかっていうものもやらせているでしょう。そこがアメリカのいいところでね。…中略…日本でああいうものを作ろうと思ったら、大騒ぎになる。第一、金出すのがいないでしょう。それから、作っても上映されないかもしれない。」

筑紫「だから今こそ、『悪い奴ほどよく眠る』を上映したらいいと思う。まったく今のテーマですよね。」

黒澤「絶対やらないです。『生きものの記録』でも、どっかで抑えられているんだと僕は思いますよ。」(『大系 黒澤明』第四巻。初出、『BART』一九九三年四月二六日号)。

実際、多くの東北の人々が苦しみ放射能もれなどの事故が相次いでいるさなかに、外務省の初代原子力課長が会長を務める「エネルギー戦略研究会」や、「日本原子力学会シニア・ネットワーク連絡会」、さらには「エネルギー問題に発言する会」などの原発推進団体が、原発問題を検証した昨年末のNHKの報道番組にたいして「(番組内容には)誤りや論拠が不明な点、不都合な事実の隠蔽(いんぺい)がある」との抗議文を送っていたことが明らかになった(東京新聞、二月一日朝刊、一面)。

「高濃度の汚染水」がまだ大量に残り、原子炉の状態もはっきりしていないにもかかわらず、「冷温停止状態」が報告されると昨年末には「事故収束」が高らかに宣言され、「武器の輸出原則の緩和」に続いて昨年末には国民レベルでの議論や国会での討議もないままに原発の輸出が決められた。さらに、自民党政権が発足すると、戦後の原子力政策をそのまま受けついで、原子力の推進が謳われるようになり、安倍首相が先頭にたって原子力発電所の輸出に乗り出すようになっている。

これまで日本は「被爆国」として同情的に見られてきたが、「地震大国」でもある日本で同じような原発事故を繰り返したならば、今度は「放射能」による「加害国」として厳しい批判を世界中から浴びることになるだろう。私たちの子孫が「加害者」として肩身の狭い思いをするのではなく、日本人の誇りを持って世界で活躍できるようにするためにも、私たちはきっぱりとした決断を下す必要があるだろう。

(初出、『人間の場から』第10号、1988年。2013年7月8日、加筆、7月23日.改訂。2016年3月15日、図版を追加)

日本の言論状況とフォーキンの劇《語れ》

「国民」の健康や安全、さらは財産にも深く関わるTPP交渉について議論すべき国会に黒塗りにされた資料が出されても不思議に思わない自民党や公明党の議員には唖然とさせられました。

さらに、それを批判すべき新聞やテレビなどのマスコミさえもが口をつぐんでいる現在の日本の状況に強い危機感を覚えています。

そこで思い出したのが権力者の汚職などが蔓延していたソ連の末期のペレストロイカの時期に、エルモーロワ劇場で上演されたフォーキンの劇《語れ》のことです。

ここでは同人誌『人間の場から』(第13号、1989年)に掲載した劇評「見ることと演じること(4)――記憶について」から引用することによってこの劇を紹介します。グラースノスチ(情報公開)を求める「国民」の声によってソ連全体が変わり始める時期の劇です。

*   *   *

最近ソヴィエトの演劇が変わりつつある。そんな実感を一ケ月程前にモスクワのエルモーロワ劇場で見たベケットの劇『ゴドーを待ちながら』でも感じた。この劇場はかつてはいつでも券が手に入れられるような劇場だったのだが、最近は以前とは雰囲気が違うのだ。観客はすでに「何か」を期待して集まり、その期待が観客席に一種の緊張感を生み出す。

幕はなく、舞台には両端に黒い屏風と中央に枯木そしてその木の下に黒いマットレスがあるばかりだ。次第にホールが暗くなり、一瞬闇がホールを包む。だが闇の中でも舞台に向って観客の視線が突き刺さるのが感じられた。そして舞台に一本のローソクがともり、劇が始まった。劇は「待つ」という行為を象徴にまで高め、殊に第二幕では他者の記憶の喪失を通して人間の孤独感、断絶感を浮きぼりにしていた。

雰囲気を変えたもの、それは恐らく首席演出家フォーキンの存在と彼の問題意識だろう。彼は自分が演出した劇『語れ』の中で、十年一日のように型通りの報告をしていた人間が、自分の声で語り出そうとするその一瞬を見事にとらえていた。

彼は劇の一登場人物ばかりでなく、劇場自体にも「自分の声」で語ることを要求しているかのように見える。そしてそのような「声」を期待する観客の視線は俳優をも変えたように見えた。

*   *   *

福島第一原子力発電所のレベル7の大事故がまだ完全には収束していないにもかかわらず原発の再稼働が行われ、危険な「戦争法」でさえもがきちんとした議論もないままに強行採決されるような日本で、今、必要なのは一人一人が自分の「声」で語る勇気とグラースノスチ(情報公開)のように思えます。