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核戦争の危険性を踏まえた「日本国憲法」と「原発ゼロ法案」の意義(再掲)

「日本国憲法」は広島と長崎の悲惨な体験を踏まえて公布されましたが、昨年はようやく「核兵器禁止条約」が結ばれ、ICANにノーベル平和賞が与えられるなど新しい流れが生まれました。

一方で、『原子力科学者会報』は核戦争の懸念の高まりやトランプ米大統領の「予測不可能性」、さらに北朝鮮による核開発などを理由に、今年の「終末時計」の時刻がついに1953年と同じ残り2分になったと発表しました(AFP=時事)。

世界終末時計の推移

(図版は「ウィキペディア」より)

ビキニ環礁で原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験が行われたために「第五福竜丸」や他の漁船の船員たち、そして島の住民たちが被爆したのが、その翌年の1954年のことでした。そのことを考えるならば、世界はふたたび「人類滅亡」の危機を迎えているといっても過言ではないでしょう。

それにもかかわらず、安倍首相の「明治維新」礼賛に現れているように、神話的な歴史観から古代を理想視する閣僚がほとんどを占めている安倍内閣は、核の危険性から眼を背けつつ原発の再稼働ばかりでなく、超大国アメリカに追随して軍拡を進めています。

しかし、危機を回避するためには、厳しい「現実」を直視して、その対策を練ることが必要でしょう。幸い、昨年、結成された立憲民主党が早速、「原発ゼロ基本法タウンミーティング」を開始しているだけでなく、共産党、自由党、社民党など他の立憲野党との協力も育っていく可能性が見えてきました。

それゆえ、メニューの「国民の安全と経済の活性化のために脱原発をに加筆するとともに、新たな図版も加えました。

野党4党、原発ゼロ法案を提出「5年以内の全原発廃炉」:朝日新聞デジタル(2018年3月9日)

https://www.asahi.com/articles/ASL392VZFL39UTFK003.html

原発ゼロ法案「自民にも対案求めたい」 立憲・枝野氏:朝日新聞デジタル(2018年6月10日)

https://www.asahi.com/articles/ASL6B4PQ1L6BUTFK007.html

    (2018年1月26日、6月22日、改訂版を再掲)

ドストエーフスキイの会総会と245回例会(報告者:泊野竜一氏)のご案内

ドストエーフスキイの会第49回総会と245回例会のご案内を「ニュースレター」(No.146)より転載します。

*   *   *  

 下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                          

日 時2018512日(土)午後1時30分~5時           

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   ℡03-3402-7854 

総会:午後130分から40分程度、終わり次第に例会

議題:活動・会計報告、運営体制、活動計画、予算案など

 例会報告者:泊野竜一 氏

題 目: 19世紀ヨーロッパ文学における沈黙する聞き手

   ホフマン、オドエフスキー、ドストエフスキーとの比較考察の試み                           

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:泊野竜一(とまりの りょういち

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程人文科学専攻ロシア語ロシア文化コース。研究テーマは、ドストエフスキー作品における対話表現としての長広舌と沈黙との問題、さらには19-20世紀ロシア文学における対話表現の問題の研究。2016年9月−2017年6月までモスクワ大学留学。具体的な研究内容として、ドストエフスキーの作品を中心として、その先駆となるもの、あるいは後継となるものとして、オドエフスキー、ゴーゴリ、アンドレーエフ、ガルシン、ブリューソフの作品を取り上げる。そして、それらの間での「分身」「狂気」「内的対話」の問題に取り組む予定。

 

245回例会報告要旨

19世紀ヨーロッパ文学における沈黙する聞き手ホフマン、オドエフスキー、ドストエフスキーとの比較考察の試み

2015年の225回例会では、ドストエフスキーが長編小説中、特に『カラマーゾフの兄弟』の《大審問官》で、一つの独特な対話表現を用いていると考えられること、それは、対話者の片方は長広舌を続け、もう片方は沈黙しそれを拝聴するという形式をもっていること、つまりこの対話は、見かけ上は、一方的なモノローグの様相を呈しているが、通常の相互通行の対話よりも、はるかに豊かな内的対話の表現となっていたのであったということについて発表した。

 しかしドストエフスキーに先行するE. T. A. ホフマンやV. F. オドエフスキーの作品にも《大審問官》の対話と少なくとも形式上は一致しているといえる対話が存在する。具体的にはまず、ホフマンの『砂男』に登場する学生のナターニエルとスパランツァーニ教授の令嬢オリンピアの対話が挙げられる。ナターニエルはふとしたことからスパランツァーニ教授の令嬢である美女オリンピアに恋をする。ところがオリンピアは教授の製作した自動人形であった。オリンピアは、彼女に恋したナターニエルの熱烈なアプローチに対してただ通り一遍の返答をすることしか出来ない。次に、オドエフスキーの〈ベートーベン晩年のカルテット〉に登場するベートーベンとその弟子のルイーザとの対話が挙げられる。〈ベートーベン晩年のカルテット〉は、若者たちが毎晩集まり、世を徹して語るという形式で書かれたオドエフスキーの額縁小説『ロシアン・ナイト』の第六夜で語られる物語である。この物語中でベートーベンはルイーザに対して芸術論を語るのであるが、ベートーベンの一弟子にすぎないルイーザは、ベートーベンの熱弁に対して一切返答することなく、ただひたすら彼の長広舌を拝聴しているのである。

 先行研究から、ドストエフスキーはホフマンやオドエフスキーからさまざまなかたちで影響を受けている作家であると考えられている。本発表では、長広舌を揮う話し手と、通常の対話では脇役としての役割を担うはずの、沈黙し長広舌を拝聴する聞き手という対話表現に注目する。これらの作品の対話の具体的な分析を行いつつ、《大審問官》との関連性について考察する。その上で、19世紀文学におけるこのような独特な対話表現の意義について検討していく。

 

三宅正樹著『近代ユーラシア外交史論集』の書評を「著書・共著と書評・図書紹介」の欄に掲載

『近代ユーラシア』紀伊國屋書店ウェブ頁(書影は、紀伊國屋書店のWEBより)

古代ギリシャや西欧各国だけでなくギリシャ正教を受け入れたロシアや、古代から現代にいたる中国や近代日本の時間概念が比較文明論の視点から考察されている大著『文明と時間』の第一部「比較文明論の視角」については、かつて『文明研究』第31号に掲載された書評で紹介しました。

なぜならば、そこでは湾岸戦争やボスニア・ヘルツェゴビナの紛争、チェチェン紛争などが頻発するようになったソ連の崩壊後の事態を受けて、これからは「イデオロギーの対立」に代わって「文明の衝突」の危険性がますます増えると予測して激しい議論を呼んだ政治学者サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突?」(1993年)や大著『文明の衝突と世界秩序の再編成』(1996年、邦訳『文明の衝突』)が、トインビーの文明論だけでなく山本新氏の『周辺文明論――欧化と土着』や神川正彦氏の論文の考察をとおして詳しく考察されていたからです。

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三宅正樹著『文明と時間』(東海大学出版会、2005年)

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広い歴史的視野と比較文明学的な視点で書かれている今回のご著書『近代ユーラシア外交史論集』も、現代の政治や外交の問題を考える上で重要な示唆にとんでおり、その意義はきわめて大きいと思います。

国際政治史は私の専門外なのですが、ロシアの「ユーラシア主義」と司馬遼太郎の文明観との関係に引きつけて論じてみました。東海大学文明学会『文明研究』第36号に掲載された書評を「著書・共著著書・共著と書評・図書紹介」の欄に転載しました。

書評 三宅正樹著『近代ユーラシア外交史論集』(千倉書房、2015)

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日独伊三国同盟については本書でも言及されていましたが、「ヒトラーの戦争計画を史料に則して詳細に展開させ、ヒトラーと日本との関係にも日独伊三国同盟締結の過程で言及した、ユニークなヒトラー伝」の新訂版が5月に刊行されました。

ヒトラーと日本との関係については、昭和初期と現在の日本の政治思想とのつながりを考える上でもきわめて重要だと思えます。それゆえ、日本が無謀な戦争へと突入していく暗い昭和初期を描いた堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』との関連で、本書『ヒトラーと第二次世界大戦 (新訂版)』(清水書院)にも言及したいと考えています。

ここでは取りあえず、本書の書影と目次を以下に掲載しておきます。

新・人と歴史拡大版<br> ヒトラーと第二次世界大戦 (新訂版)

(書影は紀伊國屋書店のwebによる)

目次

1 ドイツ国防軍とヒトラー(ホスバッハ覚書;国防軍掌握まで)
2 中央ヨーロッパの覇者として(オーストリア合併とチェコスロヴァキア解体;独ソ不可侵条約からポーランド分割へ;ヨーロッパ制覇)
3 東京・モスクワ・ベルリン(ベルヒテスガーデン会談と荻窪会談;日独伊三国同盟)
4 ヒトラー・モロトフ会談(モロトフとリッベントロップ;モロトフとヒトラー)

シリアへの空爆のニュースに接して

  昨日、化学兵器使用についての確認がまだ国際機関によってなされておらず、国連安保理決議もない段階で、アメリカが国連憲章に基づかないシリアへの軍事行動を英仏とともに行いました。

むろん、化学兵器も使用したとされるシリアは強く非難されるべきでしょう。

しかし、「イラクが大量破壊兵器を開発している」との「虚偽」の「証拠」を根拠として米国主導で始まった「大義なきイラク戦争」への英国の参戦を決定したイギリスのブレア元首相は、2015年10月25日に放映された米CNNのインタビューで『我々が受け取った情報が間違っていたという事実を謝罪する』」と述べていました(「朝日新聞」デジタル版)。

そしてブレア氏は政権崩壊後の混乱について、「政権排除後に何が起こるかについて、一部の計画や我々の理解に誤りがあった」とも認めるとともに、イラク戦争が過激派組織「イスラム国」(IS)が台頭した主な原因かと問われると、「真実がいくぶんある」と答えていたのです。

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2017年に『原子力科学者会報』は、テロや原発事故の危険性、「アメリカ第一主義」を掲げるトランプ大統領の地球温暖化や核拡散の問題に後ろ向きな政治姿勢などにより世界終末時計が「残り2分半」に戻ったと発表していました。

アメリカとの軍事的な連携の強化を狙う安倍政権は「戦争法案」と思われる「安保関連法案」を強行採決していましたが、自国は非人道的な核兵器を所有しその使用をも公言しているアメリカが先頭に立ってシリア政府への武力攻撃をすることは、再び軍拡を招く危険性を含んでいると思われます。

「核の時代」と「改憲」の危険性

(2018年4月27日、改題と改訂)

ドストエーフスキイの会、第244回例会(報告者紹介:野澤高峯氏)のご案内

第244回例会のご案内を「ニュースレター」(No.145)より転載します。

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第244回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                          

日 時2018年3月24日(土)午後2時~5時           

場 所千駄ヶ谷区民会館 1階奥の和室

(JR原宿駅下車7分)  ℡:03-3402-7854

報告者:野澤高峯 氏 

題 目: 「スタヴローギンとムイシュキン」―人間的価値審級を読み解く

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:野澤高峯(のざわ こうほう)

書家。「謙慎書道会」評議員、「日本書道芸術協会」認定師範、「書象会」無鑑査会員、「ドストエーフスキイの会」会員、「日本ドストエフスキー協会(DSJ)」会員

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第244回例会報告要旨

「スタヴローギンとムイシュキン」人間的価値審級を読み解く

近代文学の基本は「個性=人間性」の表現だと言えるでしょう。そこには答えがなくとも、表現されていることのみで人間の苦境を救います。そのため文学作品は単に現実を描くだけではなく、それを超えたロマンを必ず含んでいます。しかし、そのロマンは、読み手の日常生活の現実感覚に耐えうるものであるか否かが問題となり、過去の文芸批評はこのロマネスクを常に問題として、観念批判(ロマン主義批判)をテーマとしてきました。ドストエフスキー文学はこの観念自体を作品の主題として、なおかつそれを背理として描いています。そのロマンの根拠となる「本来性・倫理性・審美性」(真・善・美)という価値審級(価値の秩序)をどのように扱っているかを、『白痴』と『悪霊』を中心に今回の報告で取り出したいと思います。それはドストエフスキーが無神論で提示した「問い」でもあると思われる為、無神論の現代的意味も浮上させたいと思います。

また、作品の登場人物は独立性が確保された描き方に徹していますが、スタヴローギンとムイシュキンは日常の現実感覚では予想できない謎めいた人物像で設定されています。価値審級を背景に、この謎も解読してみたいと思います。読解の方法としては形而上学や偶喩・説話的理説を排し、実存論的読解で作品に向き合いますが、同様にスタヴローギンとムイシュキン自身にもこの読解で存在論的に向きあいます。これは80年代からの主流であった文学理論、言語論とは逆行しますが、主軸を「エクリチュール」ではなく「パロール」に置き、尚且つ「言語」ではなく「意識」に置く読み方です。読解のスタンスと同様に作品の中でも、価値審級の取り出しにおいて価値の根拠を「本体」として、人間の外部には想定しません。「神はいない」という前提で解読し、「神」に迫る方法です。

今回の考察は『カラマーゾフの兄弟』の主題に迫る為の序奏ですが、考察で設定した無神論の「問い」の一つ目は、イワン・カラマーゾフ的無神論を背景とした次の「問い」です。

「神がいなければ、人間の欲望の存在それ自体が、「真・善・美」に向かう本性をもっているかどうか」

つまり、「本来性・倫理性・審美性」が作品でどの様に描かれ、物語にどの様な意味を持っているかを取り出す事です。私は「真・善・美」については性善説の立場ですが、形而上学を前提としない為、それに向かうことが人間の本来性とは捉えていません(「あってほしい」という願望と「あるべきだ」という要請はロマン主義となります)。それに向かう、その条件を設定することが重要です。

二つ目は、ドストエフスキーが作品(『白痴』『悪霊』)の中での想定していた神とは何かという事です。ここでも無神論の「問い」として、ニーチェの無神論との比較を横にし、暴挙とも受け取られますが、キリスト教の教義も形而上学とみなしこれを前提としません。

考察のポイントは、スタヴローギンの人物像を、その「意識」の地平(超越論的主観)から捉え、『告白』の意味を探ります。また、ムイシュキンの人物像も、その「意識」の地平から捉え、「意識の限界点」とは何かを探ります。補助題材として小林秀雄の『白痴について』と山城むつみの『小林批評のクリティカル・ポイント』を参考に、その意味を探り、スタヴローギンとムイシュキンの遭遇した共通点を見極め、底辺にあるニヒリズムを基にした作品の現代性も浮上させたいと思います。

 

ドストエーフスキイの会、第243回例会(赤淵里沙子氏)のご案内

第243回例会のご案内が未掲載でした。

お詫びの上、「ニュースレター」(No.144)より転載します。

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第243回例会のご案内

 下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                         

日 時2018113日(土)午後2時~5

場 所千駄ヶ谷区民会館

(JR原宿駅下車7分)  ℡:03-3402-7854  

報告者:赤淵里沙子 氏

題 目:『悪霊』にみる思想、信仰と集団の必然性

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:赤渕里沙子(あかふち りさこ)

 現在、早稲田大学ロシア語ロシア文学コース4年生に在学中。2015~2016年、サンクトペテルブルク国立大学に留学。来年度から同コース修士課程に進学予定。ドストエフスキーとの関連で、19世紀から20世紀初頭までのロシア思想を中心に研究。

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243回例会報告要旨

『悪霊』にみる思想、信仰と集団の必然性

  『罪と罰』において、ドストエフスキーは既存の道徳に不信をもったある個人の精神世界を掘り下げ、社会に開示した。変わらぬ日常の中で、たった一人、変化を経験した個人がどのような末路を辿るのか、それが『罪と罰』では描かれている。時代が進んで、作家は再び罪を犯す人間についての作品に取りかかる。しかしそこでとりあげたのは、個人ではなく集団の心理であった。法と戦うラスコーリニコフという直線的な構図は、『悪霊』においてより複雑なものへと拡大される。疑いを抱いた青年ラスコーリニコフは、その不信の芽を植え付けた40年代の知識人、また、西欧のニヒリズムを体現する革命家、そして彼に魅了され賛同していくロシア国民をはじめ、様々な要素へと分裂し、より詳細に描かれていく。

 この意味で、作家の問題意識が、個人の内面世界での考察を経て、改めて社会を舞台として展開されたのが『悪霊』といえよう。そしてそこで現れてきたのは、ただ一つ五人組という集団のみではない。物語において様々なレベルで形成され、それぞれに思想を抱く集団を観察することで、作品の詳細な理解へとつながり、また集団という概念を念頭に置くことで、スタヴローギンの苦悩を異なる側面から眺めることができると考える。

 この『悪霊』執筆時に、ドストエフスキーがネチャーエフ事件から受けた印象というのも、そもそも集団性への関心が根底にあってのものだった。というのも、彼がこの事件に強いインスピレーションを受けたのは、平凡で善良な人間たちが、ネチャーエフによる思想の感化にさらされたときに、途轍もなく醜悪な殺人をやってのける、つまり集団が思想に食いつくされ、その道徳観が理解しがたいものへと変化してしまう、その過程に驚愕を覚えたからである。西欧から流れ込んでくる無神論的社会主義に若者たちが惹かれていった当時、集団と思想の相互関係への意識が、少なからずドストエフスキーに抱かれていたことは、作品の外において書簡や『作家の日記』でしばしば言及されていることからも明らかである。

 『悪霊』においては、作家の集団性への意識はまず「町」という形で現れてくる。アントン氏による事件の叙述として進められる作品の語りが、実質的にはその情報の大部分に噂や評判といった町の人々の声が介在するもので、それらが登場人物たちの言動を左右する重要な要素として作用していることからも、それは観察できる。また、ピョートルやステパンによる外部からの思想的な脅威に対して、土着の内部として現れてくる「町」は、インテリゲンツィヤに対して浮かび上がってくるロシアの農民層とパラレルで捉えることができる。ドストエフスキ

ーは、国民性として集団に共通して抱かれる思想というものに強い信頼を寄せていたが、彼が当時社会の抱える精神的な揺らぎに対してもっていた危惧が、安定的なロシアという土に根の繋がった民衆を象徴する「町」として現れたのだと考えられよう。

 一方で、対抗する勢力としてピョートルによってもたらされる無神論的革命思想は、人々の抱く既存の道徳を破壊することで、社会を変革しようと試みる。改革は政治形態の置き換えに留まってはならず、集団の精神的な変化を契機とする根本的な部分からの転覆を目指すのであり、その視点から、彼らもまた集団を形成して社会へとアプローチする。物語の舞台である町それ自体も、ピョートル率いる五人組や、それに対抗して現れるフェージカと放火犯たちの一派など、いくつかの集団から成る集合体で捉えられることを確認し、その一方で強烈に作用するスタヴローギンの集団を分裂させる力が、究極の思想としての信仰の非実現を導く要素の一つとして考えられるのではないかという可能性を提示していきたい。

元・原発技術者と木枯し紋次郎――朗読劇「線量計が鳴る」を観る(上演スケジュール) 

朗読劇「線量計が鳴る」上演スケジュール

線量計が鳴る2(←画像をクリックで拡大できます)

一世を風靡したテレビ時代劇《木枯し紋次郎》で主人公を演じた俳優・中村敦夫氏が3年余の苦闘の末に書き上げた朗読劇「線量計が鳴る」を笹塚ボウルで観たのは、初夏の7月16日のことであった。

その後の世界情勢は悪化の一途を辿っているが、そのような中でも原発技術者の視点から原発の危険性を訴えたこの朗読劇・上演の輪は広がり続けており、笹塚ボウルでも10月17日と18日の追加公演が決まった。

少し記憶が薄れている箇所もあるが、新聞記事などによって確認しながらその時の感想を記すとともに、現在の世界や日本の状況との関連にも簡単に触れておきたい(以下、敬称略)。    

*   *

小さな会場ではあったが開演の30分ほど前に着いた時にはすでにほぼ満席で、初老の主人公が線量計を片手に入ってくると劇は始まった。

背景にスクリーンがあるだけの簡素な舞台だったが、原発の町で生れ育った主人公が最初は希望を持って原発で働きながら次第に疑問を抱くようになり、ついに原発事故に遭遇したという自分の物語を、福島弁で語り始めると、観客はすぐにその語りに引きこまれた。

それは戦後に生まれた多くの日本人が程度の差こそあれ、多かれ少なかれ似たようなことを体験していたために、少し聞き取りにくい箇所はあっても、福島弁で語ることによって哀しみや怒りが生の声で観客の心に直接に届いたからだと思われる。

さらに、観客が元・原発技術者の気持ちに同感しやすかったのは、中村が1972年1月1日から放映された笹沢左保原作のテレビ時代劇《木枯し紋次郎》(市川昆監督)の主人公を演じていたことにもあると思える。

「あっしには、かかわりのねえこって」という決めぜりふが物語っているように、ニヒルな渡世人の紋次郎は、最初は他人との関わりを極力避けようとするのだが、結局はか弱い者が置かれた状況を見かねて助けに入り、大人数のやくざたちを相手に大立ち回りをすることになる。

しかも、所有しているのが何度も太刀を交わすと折れる心配もあるような安い刀なので、それまでの時代劇の舞うような華麗な殺陣ではなく、刀を振り回しながら走り回り、取っ組み合って地面を転がるという全身を使った殺陣で相手を倒すのである。

この朗読劇でも中村は希望を持って原発で働いていたが、次第に原発に疑問を抱くようになり、その問題点を指摘して経営者から嫌われできれば関わりたくはないと思いつつも原発の問題を真正面から体当たりで指摘する主人公を熱演している。

「原発は安全だ、安全だぁ」って、自分も他人もだまぐらかして飯食ってきたんだからな。  揚げ句の果て、取り返しのつかねえ原発事故が起ごっちまった。自爆テロみでえなもんだ、これは。この話すんのは、ほんとにつれえわ。んでもな、どうやっだって現実からは逃げられねえべ。

朗読劇「山頭火物語」では「鴉啼いてわたしも一人」などの代表的な句をスクリーンに映し出しながら物語を進めていくという手法をとることで、天才とも酒乱とも呼ばれた漂泊の俳人・種田山頭火をとおしてエコロジーの問題にも鋭く迫っていた中村は、そのような手法をこの朗読劇でさらに深めている。

山頭火物語

すなわち、主人公が「原発立地の浜通りの自治体は、どこも同じように繁栄した。予算をばらまくための法律、電源三法のおかげだね」(太字は引用者)と語った際には、「原発立地に見返りとしての交付金(税金)を与えるための三つの法律」との説明がスクリーンに表示され、さらに「事故隠し」では「2007年北陸電力の臨界事故隠蔽が発覚。その後、全国12電力会社で、事故隠し300件が判明」などとスクリーンに重要な用語の説明やグラフなどが映し出されることで、非常に多くの情報が整理されて観客に伝えられた。

さらに日本ペンクラブでは環境委員会委員長を務めた中村は、チェルノブイリ原発事故の視察にも参加していたが、それはこの劇でも元・原発技術者の主人公が事実を知るためにはチエルノブイリ視察へと行った体験として活かされており、ウクライナでは5ミリシーベルトで避難地域の対象となっているにもかかわらず、先進国と自称している日本ではその5倍の20ミリシーベルトに設定されていることなどが明らかにされる。

こんでも、原発推進派はやめられねえって言う。その根拠つうのは、長い間国民が信じ込まされできたうそ八百だ。日本の原発業界は、技術と知識は最低だけど、うそだけは一流だがんな。まず、原発がねえと電気が足りねえつう大うそだ。 こんだけ理屈に合わねえ危険いっぱいのポンゴツ原発を、事故起ごした責任も取らねえで、なんで再稼働させんのけ。

元・原発技術者の怒りと指摘はきわめて厳しいがそれは抽象的な言葉としてではなく、中村が少年時代を過ごした福島弁で木訥に語られることにより、説得力を持ち得ている。

さらに、それはスクリーンに映し出される「総括原価=必要な経費のすべて盛り込み、さらに利益分を上乗せして予算を作る。その合計が電気料金の総額に相当する」、「原子力損害賠償法=事故が起きたとき、自然災害であれば、電力会社の賠償は1200億円と定められる」などのきわめて具体的な情報によって、複雑な原子力発電の問題を感情的で主観的な思いとしてではなく、事実としての重みのある言葉として観客に伝わり、説得力のある舞台であった。  

*   *

アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、日本国憲法が発布された1947年に世界終末時計を発表して、その時刻がすでに終末の7分前であることに注意を促していた。

しかし、2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り3分」に戻っていたが、2017年1月にはトランプ大統領が「核廃絶」や地球の温暖化に対して消極的な発言を行なったことなどから「残り2分半」になったと発表した。

このような事態を受けて7月7日に国連で「核兵器禁止条約」が国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたが、原水爆の危険性をよく知り非核運動の先頭に立つべき被爆国の安倍政権は参加すらしなかった。

そして、北朝鮮が水爆実験やミサイルの発射などを繰り返すと、トランプ大統領は「北朝鮮を完全破壊」することもありうるとの恫喝的な発言を国連で行い国際社会からの強い顰蹙を買ったが、安倍首相はその危険性を指摘すらもしなかった。

しかし、狭い国土に世界の7%に当たる110の活火山を有する火山大国であり、地震大国でもある日本には54基もの原発があり、安倍政権によってその稼働が進められていることを考慮するならば、日本をも巻き込んだ極東での戦争がレベル7の大事故だった福島第一原子力発電所事故以上の地球規模の大惨事となることは明白のように思われる。

元・原発技術者は原発推進派の政治家、官僚、電力業界、原子力学会、産業界、マスコミなど既得権益に群がる六つの勢力を「六角マフィア」として断罪していた。木枯し紋次郎の刀を思わせるような主人公の鋭い言葉の切っ先は、「六角マフィア」の頂点にあって国民の生命や財産を危険にさらしながら日本を戦争に巻き込もうとしている安倍政権に突きつけられていると言えるだろう。

ソ連ではペレストロイカ(立て直し)の時期に演劇がグラスノスチ(情報公開)や改革の要求の先頭に立っていた。日本でもこの朗読劇がそのような役割を果たすことを期待したい。  

主な参考文献

商品の詳細(書影は「アマゾン」より)

中村敦夫『簡素なる国』(講談社、2011)
毎日新聞朝刊「インタビュー:朗読劇で原発廃止訴え 俳優・中村敦夫さん」2017年4月29日
日刊ゲンダイDIGITAL 、中村敦夫「避けられない問題」、6月11日
朝日新聞朝刊「人物欄」、8月31日
(2017年9月28日、一部訂正してリンク先と画像を追加。12月25日、書影を追加、2018年6月10日、題名に加筆)

ドストエーフスキイの会、第240回例会(合評会)のご案内

「第240回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.141)より転載します。

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第240回例会のご案内

今回は『広場』26号の合評会となりますが、論評者の報告時間を10分程度とし、エッセイの論評も数分に制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。

 

日 時 2017年7月15日(土)午後2時~5時

 場 所神宮前穏田区民会館 第2会議室(2F)     ℡:03-3407-1807

 (会場が変更になりました。下記の案内図をご覧ください!)

 

掲載主要論文の論評者

 熊谷論文 ラスコーリニコフの深き欲望 ――太田香子氏

金沢論文  ドストエフスキーと「気球」 ――高橋誠一郎氏

チホミーロフ論文 「思想家達の形象による」思索の問題――熊谷のぶよし氏

杉里論文  《貶められ辱められた子ども》の絶望と救済――近藤靖宏氏

芦川論文  イワン・カラマーゾフのキリスト ―大木貞幸氏

エッセイ:冷牟田、清水、西野、石田、学会報告―フリートーク

司会 高橋誠一郎氏(+近藤靖宏氏)

 

*会員無料・一般参加者-500円

前回例会の「傍聴記」と「会計報告」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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会場(神宮前穏田区民会館)の案内図

ドストエーフスキイの会会場

(5)「閣議決定」と特別報告者による「特定秘密法の改正勧告」

リットン調査団ケイ

「リットン調査団」(出典は「ウィキペディア」)と特別報告者デビット・ケイ氏(出典は「共同通信」)

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5月28日の記事で私は「国連の特別報告者デビット・ケイ氏やケナタッチ氏の指摘や報告の内容は、安倍政権の強圧的な対応によっていっそう説得力のあるものとなり、ベルリン・オリンピックの悲劇を体験している国際社会は「リットン報告書」の時と同じような対応を取らざるをえなくなるだろう」と記した。

実際に事態は満州事変後の「リットン調査団」の頃の状況と似てきた。

すなわち、共謀罪の構成要件を厳しくした「テロ等準備罪」について、国連人権理事会の特別報告者が安倍総理宛の書簡で懸念を表明していた問題に対して、安倍内閣は「書簡は国連または人権理事会の見解を述べたものではない」などとする答弁書を国内向けに閣議決定し、書簡についても答弁書で次のように厳しく批判した。「我が国政府から説明を受けることなく作成されたものであり、誤解に基づくと考えられる点も多い」。(以上、「TBSニュ-ス」13時57分)。

しかし、その「閣議決定」に応えるかのように早速、「国連人権高等弁務官事務所は30日、言論と表現の自由に関するデービッド・ケイ特別報告者がまとめた対日調査報告書を公表した。その中でケイ氏は、日本の報道が特定秘密保護法などで萎縮している可能性に言及、メディアの独立性に懸念を示し、特定秘密保護法の改正などを日本政府に勧告した」(「共同通信」21時30分)。

実際、前回の記事で記したように、すでに2013年に国連のピレイ・人権高等弁務官は安倍政権が強行採決した「特定秘密保護法案」について「成立を急ぐべきではない」と指摘していた。さらに、高市総務大臣の「電波停止」発言など、政権による報道への圧力の問題を調査しに来日しながら、度重なる会見の要求を高市氏に拒まれた国連の「報道の自由」特別報告者デビット・ケイ氏は、外国人記者クラブで記者会見を行い、秘密保護法やパスポート強制返納などについても安倍政権を強く批判していた。

「閣議決定」は国連特別報告者ケナタッチ氏が「共謀罪」法案に対し、18日付けの書簡で首相に対して「我が国政府から説明を受けることなく作成されたもの」と批判しているが、このような経緯から見るならば、「説明」を拒否し続けていたのは安倍内閣であることは明白であるだろう。

以前に書いたことの繰り返しになるが、五輪に向けたこれまでの努力を無駄にしないためには、「五輪憲章」に違反して開催権を取り上げられる危険性のある安倍政権に代わる次の政権を一刻も早くに打ち立てることが必要だと思える。

 

「共謀罪」法案の強行採決と東京オリンピック開催消滅の可能性関連記事

「共謀罪」法案の強行採決と東京オリンピック開催消滅の可能性(1)――1940年との類似性(加筆版)

「共謀罪」はテロの危険性を軽減せず、むしろ増大させる悪法――国連特別報告者の批判を踏まえて

(2)ベルリン・オリンピックとの「際立つ類似点」

(3)G7サミットでの安倍発言と政府の対応をめぐって 

4)安倍首相の「国連特別報道者」非難発言と日本の孤立化

「特定秘密保護法案の強行採決と日本の孤立化関連記事

「特定秘密保護法」の強行採決と日本の孤立化

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化Ⅱ

(4)安倍首相の「国連特別報道者」非難発言と日本の孤立化

「日本政府が、その抗議において、繰り返し多用する主張は、2020年の東京オリンピックに向けて国連越境組織犯罪防止条約を批准するためにこの法案が必要だというものでした。」(国連特別報告者「官房長官の声明に対する反論」)

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読売新聞(5月27日、電子版)は「(国連事務総長)グテレス氏は日本の国会で審議中の組織犯罪処罰法改正案(テロ準備罪法案)を巡り、国連人権理事会の特別報告者が懸念を伝える書簡を首相に送ったことについて、「必ずしも国連の総意を反映するものではない」との見解を明らかにした」とニュースのソースを明らかにせずに発表した。

このような報道を受けて安倍首相は29日の参院本会議で、国連特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏が「共謀罪」法案によるプライバシー権侵害への懸念を表明したことについて、「言動は著しくバランスを欠き、客観的であるべき専門家の振る舞いとは言い難い」と強く批判し、さらに公開書簡を発表したことを念頭に「信義則にも反する。一方的なものである以上、政府のこれまでの説明の妥当性を減ずるものでは全くない」と厳しく非難し、自身宛ての質問に対しては「わが国の取り組みを国際社会で正確に説明するためにも、しっかりと返したい」と語った。

しかし、「日刊ゲンダイ」などでもすでに詳しく報道されているように、人権理事会理事国選挙の際に日本政府は、「世界の人権保護促進への日本の参画」と題した文書を公表し、〈特別報告者との有意義かつ建設的な対話の実現のため、今後もしっかりと協力していく〉と明記していた。→国連人権理事会理事国選挙 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003868.html …

それにも関わらず「共謀罪」の問題点を指摘されると「客観的であるべき専門家の振る舞いとは言い難い」と特別報告者のケナタッチ氏を強く非難したことの方が、理事国選挙の際の公約を破り「信義則にも反する」と国際社会から批判されるだろう。

実際、本日(30日)国連の報道官は、「共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪を新設する法案に懸念を示した国連の特別報告者」の言動を非難した日本政府の見解に対しても、「事務総長は特別報告者について、国連人権理事会に直接、報告を行う独立した専門家」であり、「彼らは国連人権理事会の組織の一部でもある」と語ったとコメントして、日本政府の解釈を否定した。

さらに、金田法相の国会発言からは「共謀罪」が人権・環境団体をも対象としていることが新たに明らかになっただけでなく、「加計学園」問題について証言した前川前文科次官に対する政権と御用新聞による誹謗中傷などからも、オリンピックを名目にした「共謀罪」法案が、テロ対策よりも政権の関係者の利権を守り、批判者を取り締まる法案であることがいっそう明確になってきた。

これまで日本国内での事実の改竄や証拠の隠蔽に成功してきたために、安倍政権は国際社会でも訳語の改竄のような二枚舌が通用すると考えているのかもしれない。

しかし、すでに2013年に国連のピレイ・人権高等弁務官は安倍政権が強行採決した「特定秘密保護法案」についても、「成立を急ぐべきではない」と語っていた。

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化

「特定秘密保護法」の強行採決と日本の孤立化

国連からの度重なる警告や質問を無視している安倍政権は、いずれ国際社会からの強い批判を招いて孤立化し、国際連盟から脱退してオリンピックを返上していた1940年と同じような事態になると思われる。

国連事務総長金田法相

(出典は「東京新聞政治部」のツイッター)