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世界の終わりに向き合う文学(改訂版)

  二〇一九年に確認された新型コロナウイルス感染症は全世界に蔓延し、世界保健機関(WHO)は二〇二二年までの死者が約千五百万人に上っていると推定している。身近な人々の病死は強い恐怖感や不安感を呼び起こし、ハルマゲドン(世界最終戦争)とキリストの再臨を信じる福音派に支援されたトランプ氏が落選すると陰謀論者集団は、大統領選挙で大規模な不正が行われたと主張して二〇二一年一月に連邦議会襲撃事件を起こした。  

 二〇二〇年に大統領経験者とその家族に対する不逮捕特権を認める法律を成立させて独裁を強め、二〇二一年のドストエフスキーの生誕二百年に際しては作家を「天才的な思想家だ」と賛美したプーチン大統領がウクライナへの武力侵攻に踏み切ったのは、その翌年二月 のことであった。

  この侵攻が深刻なのは、ナチス・ドイツの占領下にあったパリで研究を続けて『悪霊』における黙示録の重要性を明らかにしたモチューリスキーが「(ドストエフスキーは)世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と『評伝ドストエフスキー』で記していたからである。

 露土戦争の前年に著した『作家の日記』の一八七六年六月号でドストエフスキーはトルコによるスラヴ人の虐殺に言及して、ロシアは「正教の統率者として」コンスタンチノープルを求める資格があると記しており、ロシアの戦争を正当化しているようにも見えるのである。

  一方、二〇二三年一〇月七日にガザを拠点とするハマスによる大規模な越境攻撃で一二〇〇人もの犠牲者が出ると、イスラエル政府はガザを瓦礫と化し六万人以上の死者を出しジェノサイドと批判されるような激しい攻撃を続けた。しかも、二〇二一年には核兵器禁止条約がすでに発効していたにも関わらず、翌年の六月にイスラエルがイランの核施設を攻撃するとアメリカも続いて国際法を無視して三カ所のイラン核施設の攻撃を行い、トランプ大統領は日本への原爆投下と同じような戦果をあげたと自賛した。

 その一か月後に行われた日本の参議院選挙では旧約聖書の預言に依拠して「パレスチナの土地は全てイスラエルのものだ」とするキリスト教シオニズムの流れを汲むキリストの幕屋との繋がりが強く、「核武装がもっとも安上がり」と主張する候補者を擁した参政党が大躍進した。しかも、参政党は日本会議だけでなく、黙示録の解釈により「〔サタン側と天の側に〕分立された二つの世界を統一するための(……)第三次世界大戦は必ずなければならない」と説く統一教会からも支援を受けていた。

 温暖化対策がおろそかにされる一方で、ロシアによるウクライナへの攻撃が続き、二〇一九年に宇宙軍を創設したアメリカを筆頭に世界各国で軍拡が進んでいることも考え合わせると、このままでは黙示録的な「世界の終り」が近いようにさえ見える。

  旧約聖書の「ヨシュア記」では、神の言葉に従ってエリコの町の住民全員だけでなく、動物も皆殺しにしたことが記されている。 旧約の黙示文書の伝統を受け継ぐ黙示録の多くの章でも「幻視者ヨハネ」が視た四騎士による大惨事や天使たちの吹くラッパや七人の天使による疫病や大地震、洪水などの天変地異による未来の凄惨な出来事とハルマゲドンと「世界の終り」が描かれ、その後にキリストの再臨による新しい世界の到来が記されているのである。

 しかし、ドストエフスキーはこのような黙示録的な終末観を持つ作家だったのだろうか。本書では比較文学と比較文明論の手法で『悪霊』などドストエフスキー作品を考察し、さらにドストエフスキー作品を熟読した堀田善衞や高橋和巳などの作品を黙示録の問題をも視野に入れて読み解く。その作業をとおしてドストエフスキーがむしろ黙示録の二項対立的な世界観の厳しい批判者であったという解釈を示す。

ヴィクトル・ヴァスネツォフ作
     『 #黙示録の四騎士 』(1887年)

 以下、本書の構成を黙示録の考察との関係になるべく絞って記す。第一章ではまずプーシキンの『青銅の騎士』における黙示録のテーマとドストエフスキーの作品との関係や『家主の妻』における古儀式派(分離派)の問題を考察する。次にフーリエ思想とドストエフスキーとの関りや日本の開国にも影響を及ぼしたクリミア戦争以降のドストエフスキーの文明観の変化を概観する。それらの考察を踏まえて、差別を容認した社会ダーウィニズムの影響を受けて、「高利貸の老婆」の殺害を正義と見なして実行した主人公の苦悩と理論の破綻が『罪と罰』では 描かれ、『白痴』では人を死に追いやるような黙示録の解釈の問題が提起されていることを確認する。

第二章では主人公のスタヴローギンと主な登場人物との関係を詳しく分析することにより黙示録に引き寄せた作品の解釈が『悪霊』の理解を歪めている可能性を指摘する。さらに、第一次世界大戦の末期には日本を含む世界各地で「再臨運動」が起きるが、それに先だってロシアにキリストが「再臨」することを熱烈に希求していた元農奴シャートフの言動を分析する。

  第三章では 昭和初期の日本では「ドストエフスキイの最高作品は『悪霊』だということにまでなった」と書き、それは「吾国の社会状勢に見あってのこと」と説明した作家・埴谷雄高の指摘に留意しながら、ロシア帝国崩壊後のシベリア出兵をテーマとした堀田善衞の長編『夜の森』や高橋和巳の『邪宗門』などを読み解く。『夜の森』ではこの出兵の過酷な実態が描かれているばかりでなく、新聞や手紙をとおして米騒動と「白虹事件」の関係や国内での疫病の蔓延も記されている。『邪宗門』では激しい宗教弾圧を受けた教団で育った孤児の主人公が黙示録的なキリストに惹かれて、戦後に武装蜂起を命令して破滅するまでが描かれ、高橋の『堕落――あるいは、内なる曠野』では満州国の建国に関わっていた主人公の苦悩をとおして「八紘一宇」の理念と黙示録的な世界観の類似性が示唆され、この理念が戦後の日本にも受け継がれていることが記されているのである。

思想史家のマーティン ジェイは黙示録とともに旧約聖書の預言を重視し、地球が破滅しても自分たちだけは天に召されて救済されると考えるような福音派の教えが共和党の大統領の政策にも影響を与えたと指摘している。
 第四章では原爆投下のニュースを知ったときの衝撃を「世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある」と記した三島由紀夫の作品などをとおして、冷戦時代の世界情勢をも視野に入れながら黙示録的な終末観の広がりを明らかにする。

 「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーが一九六〇年に来日した際に科学者との会談にも参加していた作家の堀田善衞は、 長編『審判』(一九六三)で従軍牧師からイエス・キリストの名において「主のご加護を」祈られて広島の原爆投下に従事したパイロットと日中戦争で上官の命令で老婆を殺害した兵士の対話と行動をとおして、黙示録的なキリスト像の危険性を描き出した。

 一方、高橋和巳の『日本の悪霊』はSF的な長編『美しい星』で地球を救おうとした家族と核戦争による「人類全体の安楽死」を目指したグループとの対決を描きながら、その後は短編『憂国』で描いたような「夭折の美学」に再び傾いていった三島美学の問題にも鋭く迫っている。

 第五章では戦争と黙示録的な世界観の関連を具体的に描いた堀田の長編『橋上幻像』を詳しく読み解き、その後で黙示録を契機とした連続殺人事件を描いた『薔薇の名前』と「キリストの再臨」のテーマや「黙示録を聖書から外すべき」との大胆な提言が記されている堀田善衞の長編『路上の人』を分析する。最後に『カラマーゾフの兄弟』で非ユークリッド幾何学にも言及していたイワンの物語詩「異端審問長官」を読み直すことにより、知識人イワンの深い苦悩を描いたドストエフスキーの考察が原爆を生み出したアインシュタインの懊悩をも示唆していることを示せるだろう。

堀田善衞から『路上の人』の映画化権を与えられた宮崎駿監督は、核戦争によって荒廃した世界を舞台に、「墓所の主」とナウシカとの激しい議論をとおして黙示録的な世界観との決別をコミックス版『風の谷のナウシカ』(一九八二~一九九四)で描いた。終章ではソ連崩壊後の世界情勢も視野に入れて、ニヒリズムと対峙しながら核兵器や黙示録的な世界観の危険性を明らかにしてきた日本文学の意義に迫る。

【本稿は近著『黙示録の世界観と対峙する――ドストエフスキーと日本の文学』(群像社)の「はじめに」の箇所である。二〇二四年四月、 二〇二五年七月、八月改訂】

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(2024/11/25、12/01、 加筆)

夭逝した作家・高橋和巳のドストエフスキー観―『悪霊』論を中心に

はじめに

太平洋戦争末期にウォルインスキーの『偉大なる憤怒の書――「悪霊」の研究』を翻訳した埴谷雄高(一九〇九~九七)は、戦後に日本におけるドストエフスキー作品の評価の変化を概観して、「吾国の社会状勢に見あってのことと思いますが」としながら、昭和初期の日本では「ドストエフスキイの最高作品は『悪霊』だということにまでなった」と記していた(「『偉大なる憤怒の書』の訳本」)。

しかも、大江健三郎との対談では埴谷は「(ナスターシヤ・フィリッポヴナは)物心つかないうちに妾にされた。これがある意味でナスターシヤのニヒリズムの条件であって、ナスターシヤが成長し、優れた素質を発揮するのは、そういうことを自覚してはじめて行なわれるようになる」と語っている(「革命と死と文学」)。そのことに留意するならば、先の埴谷の言葉は昭和初期の日本における『白痴』から『悪霊』への流れをよく把握していると思える。

一方、一九四五年の大阪空襲で焼け出されるという体験をしていた高橋和巳(一九三一~七一)は、日本が混沌としていた一九四九年七月に新制京都大学文学部の第一期生として入学し、同人雑誌を刊行した頃について『あのころのこと』でこう記している。「私達の会は『京大作家集団』という倨傲な名称をなのり、同人雑誌を作るのが第一目的で、三十五人ぐらい集まりました。朝鮮戦争がおこるまでガリ版で、五号まで出した。」

そして、「雑誌を出しながら、同時に研究をしようと、ドストエフスキー、次にバルザック、チェーホフと三年間ぐらい」続けたと記した高橋は、「日本のドストエフスキー関係の文献の中では、埴谷雄高氏のが一番いいと思います」と続けていた(一二・二三八~九、以下、本文中のかっこ内の漢数字は、『高橋和巳全集』〔河出書房新社、一九七七~八〇年〕の巻数と頁数を表す。なお、表記は現代表記に改めた)。

本稿では高橋の作品をとおして一九六九年に『日本の悪霊』を上梓するにいたる彼のドストエフスキー観に迫りたい。

一、高橋和巳のドストエフスキー観

大阪のスラム街・釜ヶ崎に隣接した地区で育ち、貧民街の様子とそこでの苦しい生活を『貧者の舞い』などの短編や後述する長編『憂鬱なる党派』で描いた高橋和巳は、「日本の場合は、『貧しい人々』の作者が同時に『悪霊』の作者(……)でもあることはまれだった」(一三・一八七)と書いて日本のドストエフスキー受容の問題を指摘している。

国家から弾圧された分離派に対する関心を強く持っていたドストエフスキーは、シベリア流刑後に自分の体験を踏まえて記した『死の家の記録』では分離派の敬虔な老人を描き、それ以降の大作でも分離派の問題を描いた。このようなテーマを受け継いだ高橋和巳は長編『邪宗門』(一九六六)で女性を開祖とする「ひのもと救霊会」に飢餓状態だったところを救われて育てられた孤児の千葉潔を主人公として黙示録的な終末観を持ち「世なおし」を唱えたために国家神道の価値観と対立して二度にわたり大弾圧を受けた皇国大本をモデルにして新宗教の問題を描いた。

三部からなるこの大作の第一部では弾圧後に独立して戦争に協力した「生長の家」的な分派「皇国救世軍」との対立を公開討論の形で描き出し、第二部では太平洋戦争が始まり活動が禁じられて苦境に立った教団を救うために「皇国救世軍」の指導者の次男との意に沿わぬ結婚に合意した教主の長女・行徳阿礼の苦悩が記されている。さらに、第三部では行徳阿礼の偽書により三代目の教主となった千葉潔が、占領軍に支配された戦後の日本で「剣を持つ」キリストの理念を説いて武装蜂起し、敗れて餓死するまでが記述されている。

『邪宗門』では五族協和や王道楽土の理念によって建国された満州に派遣された「ひのもと開拓団」の悲劇も描かれているが、満鉄の調査部に勤めて満州の建国にもかかわった青木を主人公とした『堕落――あるいは、内

なる曠野』(一九六五)では、「(戦後に)半ば無意識的に忘却されようとしたもののうち、もっとも重大なものの一つ」である、「幻の帝国――満州国の建国とその崩壊」(一四・四一四)の問題がさらに深く考察されている。

『地下生活者の手記』を転回軸として、ドストエフスキーが「《緻密な観察者》からやがて現実とは考察すべき素材にすぎないと知って《巨大な思索者》に成長していった」(一四・一三五)と捉えた埴谷雄高のドストエフスキー観への共感を示した高橋は、「ひたすら知識人の生き方を追求した」ロシア文学作品として「主人公ラスコリニコフの超人思想による無用者の殺害」(一三・一八六)が考察されている『罪と罰』を挙げた。

一方、一六章からなる長編『憂鬱なる党派』(一九六五)では、すでに『悪霊』のテーマが取り入れられており、第八章では党の厳しい査問の後で自殺した古志原の七回忌に集まるようにとの文面を読んだ青戸が「あの五人組組織でも真似るつもりなのか」(五・二九七)と考えたことが記され、七回忌ではネチャーエフ的組織をめぐる激しい議論が交わされている。

しかも、この長編では韓国系の教団・統一教会が黙示録的な視点から「神の罰」と捉えている被爆も重要なテーマをなしており、被爆しながらも「(僕たちの世代は)不意に恩赦を蒙って、平和になったからといって、観念して目をつむっていた首から縄をはずされても、ムイシュキン公爵のような善人には、誰もなれない」(五・二〇三)と暗い諦念を語っていた主人公の西村が、憤怒に駆られて退職し、五年の歳月をかけて原爆で被爆して亡くなった身近な人々の伝記を書きそれを出版しようとしたことも描かれている。

そして、長編の終わり近くでは元特攻隊員の藤堂が、「蛸壷に身をひそめ、頭上を敵の戦車が通過する瞬間、自爆する方法を教えられていた」同世代の若者たちを思い起こした後でこう考えたと記されている(五・四五二~四五三)。

「一たび死刑台に立たされ、不意に許された苛酷な経験のゆえに、もはや正常な生活者の道を歩めず、無限に寛大な〈白痴〉とならざるをえなかったムイシュキン公爵が、この国には何万、何十万といたはずだった。なぜ彼らは皆、黙っているのか? なぜ激怒して、いまだかつてこの世にない思想を、いかなる前人も思い及ばなかった大哲学を築こうとしなかったのか。」

ムイシュキン公爵自身は原作では死刑台に立たされてはいないので、ここでは黒澤映画『白痴』の主人公像を踏まえて考察されているといえるだろう。なぜならば、次節で見る『日本の悪霊』でも登場人物が酔っ払いだが博愛的な精神を持つ医師が描かれている黒澤映画『酔いどれ天使』のことを熱く語るシーンが描かれているからである。

一九六九年に発表された「内的葛藤の原型」の冒頭で「『カラマーゾフの兄弟』は、私にとっては座右の書というよりは、すでに心の中にはいってしまった作品である」と記した高橋はこう続けて自作との深いかかわりを明らかにしていた。
「激情的なドミートリイ、悪魔的な思索家のイヴァン、無限に善意なアリョーシャ、そしててんかん持ちの私生児スメルジャコフ。同じくロシヤの血をうけ、同じく時代の苦悩を背負い、同じくドストエーフスキイの分身として生命をあたえられ、たがいに愛憎しつつそれぞれの運命からはずれ得ぬ劇の構図は、単に革命前夜のロシヤの時代精神の象徴であるばかりか、いつしか私自身の内部の葛藤の原型ともなった。(……)この上は自らも、日本の現代のカラマーゾフ家の人々をつくりだすより他に救われる道はないかのようである。」(一四・四二八)

二、ドストエフスキー作品と長編『日本の悪霊』

全九章からなる高橋和巳の長編『日本の悪霊』は雑誌『文藝』に一九六六年一月から一九六八年の一〇月まで断続的に掲載された。この長編では八年前に軽い罪で捕らえられた主人公・村瀬と戦時中に特攻を志願して敗戦後は大学に戻らずに警官になっていた刑事・落合との追う者と追われる者の鋭い対決が『罪と罰』を思い起こさせる手法で描かれている。

また、大地主の屋敷を襲う犯罪に加担するように主人公の村瀬が友人の峯をなんとか説得しようとしたが、それを拒否した峯が自殺をするという『悪霊』のテーマと重なる場面もある。

さらに、「私のドストエフスキー」において、『死の家の記録』を「リアリスライク(ママ)な観察から、人周の可能性をそのぎりぎりの境界まで押しのばしてみせる巨大な形而上学的世界への飛翔にいたる、その転換点に位置するものといっていいだろう」(一三・四一五)と評価した高橋は、自作のインタビューでもこの長編を「『日本の悪霊』と称しながら」、「むしろ『死の家の記録』の方に近いようなところがある」(一九・二五六)と認めている。

実際、第二章「牢獄と海」で拘置所での裸にされての身体検査の後で村瀬は、強姦常習犯、暴行犯などが収容されている雑居房に入れられ、麦飯を食べていると彼らが脅すように村瀬のまわりを廻り出した。彼らの挑発に怒って暴力をふるった村瀬はその行為をとがめられ、後ろ手に手錠をかけられて懲罰用の独房に入れられた。

第七章「闇の遺産」では留置場の風呂場でのいざこざが克明に描写され、その後では「生爪をはぐ拷問よりも、四六時中の共同生活こそが地獄である」(九・二六六)という『死の家の記録』の記述を思い起こさせるような監獄制度に対する鋭い批判も記されている。

ただ、前節では『カラマーゾフの兄弟』についての考察に現れているように、ドストエフスキーは家族関係、ことに父親の問題を抉りだした。『罪と罰』では子供の養育を放棄したスヴィドリガイロフの問題を示唆し、『白痴』でも孤児のナスターシヤを性的犯罪により愛人としたトーツキーを「白い手」の紳士と描いたドストエフスキーは、『悪霊』でも理想を語る一方で、息子ピョートルの養育を放棄していたステパン氏の生き方と思想を批判的に描いている。

『悪霊』では黙示録的な雰囲気が作品全体を覆っているためにこの父親と息子の関係は、くっきりとは浮かび上がりにくいが、高橋が長編評論『暗殺の哲学』でたびたび言及しているアルベール・カミュは、長編『ペスト』で黙示録的な終末論を説く神父を厳しく批判していた。劇『悪霊』でもカミュは第一幕の冒頭で語り手とカルタをしているステパン氏の姿を示すことにより、教え子・スタヴローギンの母親の屋敷に居候をしながらカルタに大金を賭け、損金は息子が相続した亡くなった妻の領地を密かに切り売りしてその場をしのいできたステパン氏が、過激な思想を持つようになった息子との腹を割った議論からも逃げていことを浮き彫りにしている。

『悪霊』におけるステパン氏と息子・ピョートルとの父と息子とのそのような関係は、『日本の悪霊』では初めは明らかにされないが、徐々にその関係が犯罪にも結び付いていたことが明らかになる。ようやく、第五章の裁判で生年月日や本籍地について問われた村瀬は、本籍地を隠さなければならなかった『破戒』の主人公の悲劇を思い起こしながら、私生児ゆえに雇用されなかったことや、奉公に出された「妹の住み込み先が、港近くの小料理屋」で、そこが実質的には売春もさせる店であることを知って、「いつかはかならず見返ししてやる」と考えたことなどを思い起こす。

『罪と罰』のソーニャが家族のために娼婦になったように、家父長的な価値観が支配的であったロシア帝国や戦前・戦中の日本では、「国家」のために若者が戦場に駆り出されるように、「家」のために女性が犠牲になることは当然とされていたのである。

第七章で主人公の村瀬には「生れた時からして父が存在しなかった」と記した作者は、生れた子供に狷輔などという名を付けた「その姿を見せぬ父が、郡一番の金持であり大地主であり」、「堀をめぐらした邸に住んでいる」と記して、その父への激しい恨みが村瀬を大地主の殺害に踏み切らせていたことを示唆している。

一方、村瀬たちの指導者で僧侶くずれの鬼頭は、「放っておけばいつまでも無明の世界をさまよう者の悪しき因縁を絶ち、往生させてやるのはむしろ菩薩の行(ぎょう)」(九・二一九)と語っていたように、「一殺多生」を唱えて「血盟団事件」を起こした日蓮宗の信者・井上日召を連想させるような人物である。

この長編では刑事・落合の執拗な追及を受けた村瀬は八年前に犯した自分の犯罪を徐々に克明に思い出していくとともに、自分たちを率いた鬼頭の言動の問題点を認識し、暴力団による暴力事件も調べていた落合も警察と暴力団との癒着に気付いて村瀬たちの事件捜査の不可解さに気づくことになる。

ドストエフスキーは『悪霊』でピョートルがロシアの秘密警察にも通じておりそれがばれると国外に逃亡した社会革命党の暗殺団の指導者で二重スパイだったアゼーフのような人物であったことを描き出していた。高橋も開高健、小田実、真継伸彦、柴田翔と創刊した『人間として』(一九七〇年~七二年)での自作の合評会では鬼頭が「アゼーフにあたる人物」(一九・三六六)であることを認めて、この事件にはより大きな闇が秘められていることを示唆しているのである。

おわりに

三島事件の一年後に若くして病死したこともあり、高橋への関心は弱まったように見えたが、黙示録のハルマゲドンを強調したオウム真理教によるサリン事件などが起き、右派による「改憲」が叫ばれるようになると『憂鬱なる党派』や『邪宗門』などの高橋作品への関心が再び高まってきた

たとえば、「生長の家」の学生組織の元書記長で一九六九年には右派学生の全国組織の委員長になったが解任された鈴木邦男は、「挫折につぐ挫折で、『生きている意味があるのか』と何度も思った」が、「そのたびに、『生きていていいんだよと』となぐさめてくれたのが高橋(注:高橋の文学)だったと思う」と記している。

そして、「生長の家原理主義者」たちが「『日本会議』の中心メンバー」になって改憲運動をしていることを、「冗談じゃない。三島は勿論、高橋だって、この問題には強く反対するだろう」と厳しく批判している(アンソロジー『高橋和巳 世界とたたかった文学』二〇一七年)。

実際、黙示録的な終末観を持つ統一教会と右派的な政治勢力の癒着の問題などが明らかになってきた。「苦悩教」の教祖とも称される高橋和巳の多くの作品は悲劇的な終わり方をしている。しかし、高橋作品では問題の解決はできていないものの、ドストエフスキー的な手法で問題の所在は明らかにしていた。

しかも、高橋は『罪と罰』の人物体系を分析して「ラスコリニコフを見舞う親友ラズーミヒンがあり、事件や状況の全体は絶望的であっても、ソーニャと主人公の関係のありかたが、ある救いの感情をともなう情緒を読者につたえる」(一三・一二六)と記していた。

高橋が大病から癒えていたら彼が望んだ『カラマーゾフの兄弟』的な作品を書き得ていたと思えるが、残された作品にもそのような可能性の端緒は感じられる。今後、高橋和巳の研究が深まることを期待したい。(なお、ここでは煩瑣になるにでキリスト教シオニズムへの言及は避けた)。

近著『黙示録の終末観と対峙する――ドストエフスキーと日本の文学』(群像社)

『ドストエーフスキイ広場』第33号、2024年、111~117頁)

『堀田善衞研究論集――世界を見据えた文学と思想』(桂書房)と「堀田善衞の会」通信『海龍』第19号の発行、記念講演会のお知らせ。


桂書房webサイトの本の紹介

堀田善衞研究論集表紙

目次 ⇒ (http://katsurabook.com/booklist/1637/

「500ページ近い大著で、総勢18名の執筆者によるオリジナルな論考の集成である。①堀田善衞との対話、②作品を読む・作品を論じる、③堀田文学の多彩な関わりの世界、④インタビューから成る。」 堀田善衞の会企画、定価:4000円

  「序文」より

 本書は、堀田善衞という人について、またその作品について多角的に論じた一書である。生まれ故郷の伏木町といった日本国内に限らず、中国、朝鮮、スペイン、ロシア、アルジェリアなどとの関わりから世界のなかの堀田文学を比較文学的な観点から論じた論考があり、アジア・アフリカ作家会議での活動や『小国の運命・大国の運命』における社会主義思想のほか、『路上の人』や『海鳴りの底から』『鬼無鬼島』などはキリスト教思想や神道思想にも及んでいて、まさに「世界を見据えた文学と思想」が堀田作品からはうかがえる。本書のサブタイトルは、このような多角的な諸論文によって導かれたものである。これら複数の視座によって、堀田文学の豊かな様相が了解されるであろう。そして、その豊かさの根底にあるのは、権力に対する鋭い批判精神であることも理解されるに違いない。

「堀田善衞の会」通信、『海龍』第19号(2024.5.17) の目次

堀田善衞「O博士会見記」[旧文再見3] …1

丸山珪一「堀田善衞とオッペンハイマー「解題」を兼ねて」…4

由谷裕哉「メノッキオの話(2)」…7

高橋誠一郎「高橋和巳の堀田善衞観と長篇『橋上幻像』」…18

野村剛「伏木震災報告記私記として」…29

後記…32 短信 (『堀田善衞研究論集』刊行など)

記念講演会のお知らせ「堀田善衛の会」のブログより一部省略して転載)

『堀田善衞研究論集 世界を見据えた文学と思想』の刊行を記念し、堀田善衛の会では執筆者の野村剛と竹内栄美子の講演会を行います。伏木が生んだ世界飛翔の文学者・堀田善衛の原点と思索を振り返る企画です。                                                              

日時  2024年6月30日(日) 13:30~16:00  (受付開始:13:00)
場所  高岡市伏木コミュニティセンター 大会議室(2階)            
                     プ ロ グ ラ ム
堀田善衞の会代表あいさつ         (丸山 珪一) 

講演 堀田善衞が語る「北国の小さな港町」  (野村 剛)          

講演 堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』から『方丈記私記』へ (竹内 栄美子)  

堀田の詩 “風はどこから吹いて来る”  

「北日本新聞」に『堀田善衛研究論集』刊行記念講演会・開催の記事が掲載される(6月20日)。

(書影は演劇ユニット「メメントC」のブログより)

「堀田善衞研究」の頁へ → http://www.stakaha.com/?page_id=3116

(2024/06/16、加筆 、06/20、07/16、 改訂・改題 )

都知事選――旧統一教会と裏金自民党に支持された小池都知事との対決

はじめに  「ソビエト蓮舫」というダジャレ風の誹謗

都知事選に先に名乗りを上げた蓮舫(れんほう)議員への批判や揶揄するような記事が目立ってきている。

たとえば、「東スポ」の7日付けデジタル版では「蓮舫参院議員について、「もう存在しない世界№2の国→ソビエト蓮舫」と、ソビエト連邦と引っかけてダジャレにした」デーブ氏のダジャレがSNSで大バズりと紹介している。

たしかに、デーブ氏のダジャレには面白いものもあるが、しかし、蓮舫氏の正式な読みが「れんほう」であることを考えるとこれはダジャレにもなっていないと思える。

ここでは沈黙を守ることで優位に立とうとしているように見える小池百合子氏の問題を少し整理して見たい。

1,「学歴詐称」疑惑

「2020年に刊行された『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋)では、カイロで小池氏と同居していた北原百代氏が匿名で、小池氏がカイロ大学の進級試験で落第し、卒業できずに帰国したことを具体的に証言。2023年刊行された文庫版では実名での告発に踏み切」った。

「小池氏が政治家になる前の自著『振り袖、ピラミッドを登る』(講談社、1982年)でも、『外国語をどう学んだか』(講談社現代新書、1992年)への寄稿でも、「(1年目に)落第した」と書いていますから、卒業は1977年以降でなければ辻褄が合いません」

日本外国特派員協会で記者会見した小島敏郎氏(2024年4月17日、記者撮影)

「今年4月、カイロ大学の声明文について、当時小池氏の側近だった小島敏郎弁護士が、小池氏の依頼で原案作成に携わったことを『月刊文藝春秋』5月号で告発」。

小池百合子一家のカイロ生活の面倒を見ていた朝堂院大楽氏が、小池氏の学歴詐欺問題について、都庁記者クラブで記者会見。
朝堂院大楽氏 「 政治家が嘘をつきまくると国が亡びる」

2,「銃剣道」と日本会議との強い繋がり

「日本会議国会議員懇談会」副会長

3,排除の論理と独裁的な議会運営

4,「七つのゼロ」と永遠の0

5,偽物の「ゴジラ」

画像

6,神宮外苑再開発の問題

2024/06/10、2024/06/13、 改題と追加

シオニスト的論者の飯山あかり氏を擁立した日本保守党の危険性


小説『永遠の0(ゼロ)』は、一見、旧日本軍を批判しているように見えながら、 巧妙に読者を誘導して最後は「美化」した戦前や戦時中の価値観へと導く構造を持っている。

日本保守党代表の百田尚樹氏と櫻井よしこ氏の「改憲」論

憎悪表現が多い百田尚樹氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年) がある安倍晋三元首相の「国葬」

日本保守党に擁立された飯山あかり氏は、ガザで集団虐殺を行っているシオニスト政権を擁護し、「”弱者は正義”病におかされたメディアと『専門家』にだまされてはいけない」と主張。

「(非宗教的な)シオニストのユダヤ人たちは」、「帝国の武力を背景にして」、「国を創るということをなんら怪しみませんでした」(岡真理『ガザとはなにか』、52頁)

日本のキリスト教シオニスト組織の 「キリストの幕屋」の信者 も イスラエルの前線部隊を「慰問」して砲弾に祈りの文言を記した。


キリスト教シオニズムと日本

武力を背景としたシオニズムの問題

2024/05/06、 05/12、 加筆

「『若き日の詩人たちの肖像』の考察から『堀田善衞とドストエフスキー』へ」の紹介

 2021年に書いた標記の記事にだいぶ手を入れて、スレッドの形で内容を紹介するようにした。それゆえ、ここでは冒頭の主なツイートとそのページにリンクできる二つのツイートを再掲する。

昭和初期と『白夜』の時代

(中略)

(中略)

当該ページへのリンク先のツイート

(2024/07/14、改訂)

国民の安全と経済の活性化のためにも、原発を過去のエネルギーに

1917年2月3日の「東京新聞」の朝刊は「廃炉費用 いつのまにか高くつく」と題した社説で「クリーンで安全で安い」と自公政権が宣伝してきた原発の問題を鋭く指摘していた。実際、能登半島震災でも志賀原発の危険性が明らかになった。ここでは原発の問題を投稿したツイートを通して確認したい。

大地震と原発の危険性→
《志賀原発クライシス》主電源喪失、燃料プールからは水が漏れ

福島原発事故の隠された悲惨さ

地震国での原発の危険性

志賀原発での24年前の事故の隠蔽

脱原発に踏み切ったドイ ツ

投稿を表示

大手電力会社の広告宣伝費

朗読劇「線量計が鳴る 元・原発技師のモノローグ」より

志賀1号機直下の「活断層」

輪島市の避難所で低体温症で1人死亡

大阪万博中止して被災地に回せ

ホームページへのリンク先のツイート

2024/01/08、2024/01/12、加筆

カジノのための万博中止して被災地に回せ――今ならやめられる大阪万博 

「無料招待」をめぐって火だるま

カジノのための夢洲と大阪万博

拡がる能登半島地震 の被害

万博のアンバサダー・松本人志に性加害疑惑

「業者9割が工事に無関心」、あふれるネガティブ情報

#今ならやめれる大阪カジノ

五輪や万博ってやめられないの? 歯止めが利かない裏側にあるものとは :東京新聞 TOKYO Web https://tokyo-np.co.jp/article/289081

◆建設費倍増2350億円、終わったら壊す施設だけど ◆イベント開催は目的への手段 ◆昭和の成功体験にすがっているだけ :東京新聞 TOKYO

2024/01/07、2024/05/12、加筆