高橋誠一郎 公式ホームページ

07月

「権力欲」と「服従欲」の考察――フロムの『自由からの逃走』を読む

1,「権威主義的な価値観」への盲従の危険性と「非凡人の理論」

自らがナチズムの迫害にあった社会心理学者のエーリッヒ・フロム(1900~1980)は、『自由からの逃走』(日高六郎訳、東京創元社、1985)において、ヒトラーの考えと社会ダーウィニズムとの係わりに注目して、ヒトラーが「自然の法則」の名のもとに「権力欲を合理化しよう」とつとめていたことを指摘していました。さらにフロムは、「種族保存の本能」に「人間社会形成の第一原因」を見るヒトラーの考えは、「弱肉強食の戦い」と経済的な「適者生存」の考え方を導いたと述べています*14。

注目したいのはフロムが、人間の歴史が個人の自由の拡大の歴史であることを確認しながら、それとともに、あまりに個人の自由が大きくなった時、獲得した自由が重みにもなり、人が自らそれを放棄することもあることを指摘しえていることです。

たしかに、近代以降、それまで土地や職業に縛られていた人間は、職業の選択の自由、移動の自由、さらには恋愛の自由など様々な個人の自由を拡大してきました。しかし、自由が大きくなればなるほど、どの道を選ぶかの選択の際の苦悩や不安は深まります。こうして、フロムは自らの道を選ぶことが難しい危機的な状況になればなるほど、人間は自らの自由の重みに耐えられずに、それをより強大な他の人物に譲り、彼に道を選んでもらうことで不安から逃れようとする傾向があることを明らかにしたのです。

この際にフロムはサディズムとマゾヒズムという心理学の概念を用いながら、人間の「服従と支配」のメカニズムに迫り得ています。すなわち、彼によれば、「権力欲」は単独のものではなく、他方で権威者に盲目的に従いたいとする「服従欲」に支えられており、自分では行うことが難しい時、人間は権力を持つ支配者に服従することによって、自分の望みや欲望をかなえようともするのです*15。

フロムは「神経症や権威主義やサディズム・マゾヒズムは人間性が開花されないときに起こるとし、これを倫理的な破綻だとした」(ウィキペディア)としていますが、彼の説明は第一次世界大戦の後で経済的・精神的危機を迎えたドイツにおいて、なぜ独裁的な政治形態が現れたかを解明していると言えるでしょう。

フロムは自分の分析をより分かり説明するために、ドストエフスキーの最後の大作『カラマーゾフの兄弟』から引用していますが*16、私たちにとって興味深いのは、このような問題がすでに『罪と罰』においても扱われていることです。

すなわち、ラスコーリニコフは「凡人」について「本性から言って保守的で、行儀正しい人たちで、服従を旨として生き、また服従するのが好きな人たちです。ぼくに言わせれば、彼らは服従するのが義務で」ある(三・五)と規定するのです。別な箇所でラスコーリニコフは「どうするって? 打ちこわすべきものを、一思いに打ちこわす、それだけの話さ。…中略…自由と権力、いやなによりも権力だ!」と語った後で、「ふるえおののくいっさいのやからと、この蟻塚(ありづか)の全体を支配することだ!」(四・四)と続けています。

この「おののく」という特徴的な言葉は、彼がナポレオンのことを想起しながら、路上に大砲を並べて「罪なき者も罪ある者も片端から射ち殺し」「言訳ひとつ言おう」しなかった者の処置こそ正しいと感じた時にも、「服従せよ、おののくやからよ、望むなかれ、それらはおまえらのわざではない」(三・六)と用いられていました。

創作ノートにはラスコーリニコフには「人間どもに対する深い侮蔑感があった」(一四〇)と書かれています。ドストエフスキーは自分の「権力志向」だけではなく、大衆の「服従志向」にも言及させることでラスコーリニコフのいらだちを見事に表現しえているのです。

こうして、ラスコーリニコフの「非凡人」の理念は、劣悪な状況におかれながらも、社会を改革しようとはせず、ただ耐えているだけの民衆に対するいらだちや不信とも密接に結びついていたのです。(中略)

しかも、ドストエフスキーは予審判事のポルフィーリイに「もしあなたがもっとほかの理論を考え出したら、それこそ百億倍も見苦しいことをしでかしたかもしれませんよ」とラスコーリニコフを批判させていました。

実際、世界を「生存闘争」の場ととらえるならば、かつての「イデオロギー」的な連帯から、「同種の文明国家」の連帯へと変わったと言っても、自らが「鬼」として滅ぼされないために、「圧倒的な力」を持つ文明に対抗して、他の文明も国力を挙げて軍備の拡大や「抑止力」としての核兵器の開発へと進まざるを得なくなるでしょう。

現在も「国益」や「抑止力」の名目で未臨界実験をも含む核実験や核兵器の保持が続けられていますが、多くの学者が指摘しているように、核兵器の使用は「核の冬」など地球環境の悪化による諸文明だけでなく、地球文明そのものの破滅をも意味するでしょう。

そのことをドストエフスキーは、ラスコーリニコフがシベリアの流刑地で見る「人類滅亡の悪夢」をとおして明らかにしていました。夢の中で彼は「知力と意志を授けられた」「旋毛虫」におかされ自分だけが真理を知っていると思いこんだ人々が互いに自分の真理を主張して「憎悪にかられて」、互いに殺し合いを始め、ついには地球上に数名の者しか残らなかったという光景を見るのです。

2,スピノザの「感情論」と『罪と罰』における感情の考察

興味深いのは、ドストエフスキーがこの「人類滅亡の悪夢」を描いた後でソーニャと再会したラスコーリニコフの「復活」を描いていたことです。

つまり、「だれが生きるべきで、だれが生きるべきじゃないか」などと裁くことが人間にできるのかとラスコーリニコフを鋭く問い質していたソーニャの考えには、論理化はされていないにせよ、存在や生命の尊厳に対する直感的な理解があると言えるでしょう。(中略)

貧しさのために大学を退学しなければならなくなり、「自尊心」を傷つけられた中で自分の専門的な知識で組み上げたラスコーリニコフの「論理」の矛盾を、ラズミーヒンが指摘しつつも彼に直接的な影響力を持てなかったのに対し、ソーニャの言葉は彼の感情に訴えかける力をもっていたのです。

この意味で注目したいのは、エーリッヒ・フロムが無意識的力に注目した思想家として、マルクスとフロイトの名を挙げながら、「西欧の思考的伝統の中で」、彼らに先立って「無意識についての明白な概念を持っていた最初の思想家は、スピノザであった」と書いていることです*7。

実際、スピノザは感情の分析をとおして「人間は、常に必然的に受動感情に屈従」するとし、「感情の力は、感情以外の人間の活動、あるいは、能力を凌駕することができる。それほどに感情は頑強に人間に粘着している」という事実を指摘しえています*8。

このような認識は自分が感情や他人の意見に左右されずに、主体的かつ理性的に行動していると考えていた人々にとっては苦痛でしょう。しかし、スピノザが指摘しているように、多くの場合「人々が自由であると確信している根拠は、彼らは自分たちの行為を意識しているがその行為を決定する原因については無知である」という理由に基づいているのです*9。

『未成年』の登場人物は、ある感情のとりこになった人間を正常に戻すには「その感情そのものを変えねばならないが、それには同程度に強烈な別な感情を代りに注入する以外に手はない」(六四)と語っています*10。この言葉は「感情は、それと反対の、しかもその感情よりももっと強力な感情によらなければ抑えることも除去することもできない」というスピノザの定理を強く思い起こさせます*11。

実際、ドストエフスキーが出版していた雑誌『時代』にはストラーホフの訳による「神に関するスピノザの学説」という論文が掲載されており、ドストエフスキーがスピノザの考えをある程度知っていたことは充分に考えられるのです*12。

つまり、評論家のシェストフは、ドストエフスキーが『地下室の手記』(一八六四)で「かつて、自分が拝跪していたものを…中略…泥の中に踏みつけてしまった」と記し、この作家をスピノザなどの哲学とは対立し、ニーチェとともに「理性と良心」を否定する「悲劇の哲学」の創造者と規定していましたが、ドストエフスキーにはスピノザ的な哲学にたいする深い理解があったと思えるのです。

私たちはスピノザの感情論を高く評価したフロムの考察をとおして『罪と罰』を読み解くことで、現代日本の問題点にも迫り得るでしょう。

*     *   *

エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』(東京創元社、1951)

序文

第一章  自由――心理学的問題か?

第二章 個人の解放と自由の多義性

第三章 宗教改革時代の自由

1、中世的背景とルネッサンス

2、宗教改革の時代

第四章 近代人における自由の二面性

第五章 逃避のメカニズム

1、権威主義

2、破壊性

3、機械的画一性

第六章 ナチズムの心理

第七章 自由とデモクラシー

1、個性の幻影

2、自由と自発性

付録 性格と社会過程

(拙著『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、初版1996年、新版2000年)、第8章「他者の発見――新しい知の模索」および、第9章「鬼」としての他者」より。

註の記述は省いたが、*7については、フロム著、阪本健二・志貴孝男訳『疑惑と行動』、東京創元社、1985年、167頁。*8については、スピノザ『エティカ』(『世界の名著』第二五巻)工藤喜作・斎藤博訳、中央公論社、1969年、273頁を参照)。

(2016年7月28日。「『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』』」を大幅に改訂して再掲)

19世紀の「自然支配の思想」と安倍政権の原発増設計画

今日(7月23日)の「東京新聞」(デジタル版)は、政府方針達成のために「原発の新増設必要」と電事連会長が語ったとする次のようなの記事と載せています。

「電気事業連合会の勝野哲会長(中部電力社長)は22日、共同通信のインタビューに応じ、2030年度の電源構成に占める原発比率を20~22%とする政府方針を達成するため「発電所の新増設や建て替えが必要だ」と語り、建設計画の前進に向け原発に対する信頼の回復に努めると強調した。」

しかし、地震や火山活動が活発化している日本で原発の増設を目標とする安倍政権とそれに追従して当面の利益を確保しようとする財界の方向性はきわめて危険でしょう。

日本の自然の上に成立した「伝統的な神道」は、今こそ、このような19世紀的な自然観を厳しく批判して、安倍政権や「日本会議」と決別すべきでしょう。

さらに、真の仏教徒も「国民」の生命を軽視して利権を重視する原子炉に、仏教の「文殊」と「普賢」の両菩薩の名前から「もんじゅ」や「ふげん」などと命名している自民党や安倍政権とは決別すべきでしょう。

なぜならば、日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉は、『文明論之概略』において「水火を制御して蒸気を作れば、太平洋の波濤を渡る可し」とし、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていたからです。

比較文明学者の神山四郎は、「これは産業革命時のイギリス人トーマス・バックルから学んだ西洋思想そのものであって、それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判していましたが、現在は次のように言い直さねばならないでしょう。

「バックルや福沢諭吉のような近代文明観が今日の経済大国をつくったのだが、また同時に1979年にアメリカ・スリーマイル島原発事故を、1986年と2011年にはチェルノブイリと福島でレベル7の原発事故をつくったのである」と。

年表、核兵器・原発事故と終末時計

山崎雅弘著『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)を読む

日本会議戦前回帰への情念 集英社新書(書影は「紀伊國屋書店のウェブ」より)

戦前の『国体の本義』などの分析をとおして「日本会議」と安倍政権の本質に肉薄した好著である。膨大な資料をもとに「日本会議」の「思想の原点」に迫るとともに、二〇一二年に発表された自民党の「日本国憲法改正草案」の内容や文言が、むしろ戦前の『国体の本義』を連想させるものであることを明らかにしている。

さらに、NHKの大河ドラマ《花燃ゆ》では「桂小五郎(木戸孝允)が果たした重要な役割」が、吉田松陰の妹・文が再婚した相手の小田村伊之助が行ったことになっているとの視聴者からの批判を紹介した著者は、安倍首相の地元ともゆかりの深い小田村四郎・日本会議副会長に注目することで、人間的なドラマをも描き出すことに成功している。

ここでは、第一章と第三章、および第五章を考察することで本書の内容を簡単に紹介しておきたい。

第一章「安倍政権と日本会議とのつながり」では、第一次安倍政権時代から安倍首相が「日本会議」に忠実だったことや、安倍首相の返り咲きが「日本会議」の「運動の大きな成果」だと総会で報告されていたことが紹介されている。第二節「重なり合う『日本会議』と『神道政治連盟』の議員たち」では、この二つの組織が「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」、「新しい時代にふさわしい新憲法を」、「日本の感性をはぐくむ教育の創造を」などの主要な三つの項目で両者の目標が一致しているばかりでなく、それ以外の活動方針にも対立するような点がないことが指摘されている。

「日本会議の「肉体」――人脈と組織の系譜」と題された第二章に続く、第三章「日本会議の『精神』――戦前・戦中を手本とする価値観」では、安倍首相が盛んに用いた「日本を取り戻す」というキャッチフレーズが、一九九七年に行われた「日本会議」の設立大会において小田村四郎・副会長が語った「かつての輝かしい日本に戻して参りたい」という言葉に由来することを明らかにしている。

さらに、日本会議の思想の原点を物語る書物」として『国体の本義』と『臣民の道』を挙げ、『国体の本義』の解説叢書の一冊として一九三九年に出版された『我が国体と神道』の冒頭では、「国体とは国がら」であると記され、「この皇国の本質を発揚すべく支持し奉っているものは、日本国民の信念」であり、「この国民的努力に励む心がすなわち、日本魂であり、日本精神である」と強調されていたことを指摘している。 さらに、アメリカとの全面戦争をも視野に入れた時期に出版された『臣民の道』では、「皇国の臣民は、国体の本義に徹することが第一の要件」であり、「実践すべき道は」、「抽象的な人道や観念的な規範ではなく…中略…皇国の道である」と続いていたことにも注意を促している。

これらを紹介して、戦前の「国体思想」「これは、当時の日本軍が、なぜ特攻や玉砕のような『非人道的』な戦法をくり返し行うことができたのか」についてのヒントを与えているように見えると続けていた山崎氏は、日本会議の活動方針が「戦前・戦中の思想と価値判断を継承」していると記している。

ついでながら、『風土・國民性と文學』と題された『国体の本義』解説叢書の一冊でも「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっていることは」、「日本の国体の精華であって、万国に類例が無いのである」とされ、「神道」を諸宗教の頂点においた「国体」の意義が強調されていた。 しかし、「暗黒の三〇年」と呼ばれる時代にもロシア皇帝ニコライ一世は、「自由・平等・友愛」の理念に対抗するために「ロシアにだけ属する原理を見いだすことが必要」と考えて、「正教・専制・国民性」の「三位一体」による愛国的な教育を行うことを命じるロシア版の「教育勅語」を発していた。このような時代に青春を過ごしたドストエフスキーは言論の自由を求める執筆活動を行っていたが、それすらも厳しく弾圧されるなど専制政治が続き格差が広がったために、ロシアはついに革命に至っていたのである。「教育勅語」が渙発された後の日本は、教育・宗教システムの面ではロシア帝国の政策にきわめて似ていたといえるだろう。

第四章「安倍政権が目指す方向性」では、安倍首相と日本会議の方向性を、「教育改革」、「家族観」、「歴史認識」、そして「靖国神社」の問題に絞って具体的に考察している。

そして、第五章「日本会議はなぜ『日本国憲法』を憎むのか――改憲への情念」では、それまでの考察を踏まえた上で、「特定秘密保護法案」や「安全保障法案」などの重要法案を短期間の審議で次々と強行採決した安倍政権が「国民」に突きつけた「改憲」の問題の本質にも迫っている。

注目したいのは、「はじめに」でも言及されていた小田村四郎・日本会議副会長の憲法観をとおして、「憲法改正運動の最前線に躍り出た」日本会議の憲法観が伝えられていることである。二〇〇五年六月号の『正論』に、小田村氏は「日本を蝕(むしば)む『憲法三原則』国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」というタイトルの記事を寄稿していた。

つまり、安倍首相を会長とする創生「日本」東京研修会で長勢甚遠・元法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」と語っている動画が最近話題となったが、これは小田村副会長の言葉のほとんど繰り返しにすぎなかったのである。

さらに、「自民党改善案では、日本国憲法にはまったく存在していない『第九章 緊急事態』という項目を、新たに創設して追加して」いることを指摘した著者は、「もし自民党の改憲案が正式な憲法となれば、時の政権は、自らを批判して退陣を求める反政府デモを鎮圧するために、この条文を使う可能性」があると書いている。

つまり、憲法学者の小林節氏は安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と『「憲法改正」の真実』(集英社新書)に書いているが、自民党の改憲案が採用されれば、首相がロシア皇帝と同じような独裁政治を行う権力を手にすることになると思える。

注目したいのは、「日本会議」の論客が「大東亜戦争」が「自存自衛の戦争であって侵略ではない」と主張していることに注意を促した著者が、「もし『大東亜戦争』が『侵略ではなく自衛戦争』であるなら、自民党の憲法改正案が実現した時、理論的には、日本は再び『大東亜戦争』と同じことを『自衛権の発動』という名目で行うことが可能になります」と指摘していることである。

敗戦七〇周年にあたる二〇一五年の「安倍談話」では日英の軍事同盟の締結(一九〇二)によって勝利した日露戦争の意義が強調されたが、日本はそれから四〇年足らずの一九四一年には、米英を「鬼畜」と罵りながら太平洋戦争に突入していた。 「報復の権利」を主張したアメリカのブッシュ元大統領が、イラク戦争を「正義の戦争」としていたことを考慮するならば、「日本会議」や安倍政権の方針に沿って教育された日本の若者たちは、早晩、「報復の権利」を主張してアメリカとの戦争にさえ踏み切る危険性があるといえるだろう。

*   *

緻密なインタビューによって、「強力なロビー団体」であり豊富な資金力を持つ神社などに支えられている「日本会議」の実態に迫った好著『日本会議の正体』(平凡社新書)の冒頭でジャーナリストの青木理氏は、イギリスの『エコノミスト』や『ガーディアン』、アメリカの『CNNテレビ』、オーストラリアの『ABCテレビ』、フランスの『ル・モンド』など多くの外国のメディアが「日本会議」について、「国粋主義的かつ歴史修正的な目標を掲げている」などと「かなり詳細な分析記事」を載せているのにたいして、日本の報道機関がほとんど沈黙を守っていたことを指摘していた。

「立憲主義」が存亡の危機に立たされた現在、ようやく「日本会議」についての充実した本が相次いで出版されるようになった。さまざまな戦史と紛争史を研究してきた山崎雅弘氏による本書も、『我が国体と神道』など過去の文献も読み込んだ歴史的な深みと世界史的な視野を持ち、分かりやすく説得力のある著作となっている。  

(2018年8月17日、改訂。書影を追加)

「日本会議」の憲法観と日本と帝政ロシアの「教育勅語」

最近になって、安倍政権にも強い影響力を持つ「日本会議」の実態に迫る書籍が次々と発行されたことにより、「日本会議」の憲法観が明らかになってきました。

たとえば、山崎氏雅弘は『日本会議 戦前回帰への情念』において、NHKの大河ドラマ《花燃ゆ》では吉田松陰の妹・文が再婚した相手の小田村伊之助がクローズアップされていたが、この人物こそは小田村四郎・日本会議副会長の曽祖父であることを指摘しています

その小田村氏は「日本を蝕(むしば)む『憲法三原則』国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」というタイトルの記事を寄稿していました。

つまり、安倍首相を会長とする創生「日本」東京研修会で長勢甚遠・元法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」と語っている動画が最近話題となりましたが、これは小田村副会長の言葉のほとんど繰り返しにすぎなかったのです。

ここでは拙著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)から、日本と帝政ロシアの「教育勅語」の類似性について記した箇所を引用しておきます。

*   *   *

「明治憲法」の発布によって日本では「国民」の自立が約束されたかにみえたのですが、その日の朝に起きた文部大臣有礼への襲撃によって暗転します。その日のことを漱石は、長編小説『三四郎』で自分と同世代の広田先生にこう語らせています*11。

「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。幾年(いくつ)かな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。僕は高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列すると云って、大勢鉄砲を担(かつ)いで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操の教師が竹橋内(たけばしうち)へ引っ張って行って、路傍(みちばた)へ整列さした。我々は其処へ立ったなり、大臣の柩(ひつぎ)を送ることになった。」

この出来事はその後の日本の歴史を理解するうえでも、きわめて重要だろうと考えています。なぜならば、森文部大臣が殺された後で山県有朋が内務大臣の時の部下であった芳川顕正を起用して作成を急がせたことで、憲法発布の翌年には「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」と明記された「教育勅語」が渙発されることになったからです。

文明史家としての司馬氏の鋭さは、『「昭和」という国家』において「教育勅語」は難しかったと記すとともに、その理由を文章が「日本語というよりも漢文」であり、「難しいというより、外国語なのです」とその模倣性を的確に指摘していることです*12。

実際、明六社にも参加した教育家の西村茂樹が書いた「修身書勅撰に関する記録」によれば、ここでは清朝の皇帝が「聖諭廣訓を作りて全國に施行せし例に倣ひ」、我が国でも「勅撰を以て普通教育に用ひる修身の課業書を作らしめ」るべきだと記されていました*13

しかも、「祖国戦争」の後で憲法などの制定を求めて一八二五年に蜂起したデカブリストの乱を厳しく処罰したニコライ一世は、ロシアの若者にも影響力をもち始めていた「自由・平等・友愛」の理念に対抗するために「ロシアにだけ属する原理を見いだすことが必要」と考えて、「愛国主義的な」教育をおこなうことを求める「通達」を文部大臣に出させていましたが、「教育勅語」がこのロシアの「通達」をも意識して作成されていた可能性があるのです。

たとえば、西村が編んだ「修身書勅撰に関する記録」は、「西洋の諸國が昔より耶蘇〔ルビ・キリスト〕教を以て國民の道徳を維持し来れるは、世人の皆知る所なり」とし、ことにロシアでは、形式的にはともかく実質的には皇帝が「宗教の大教主」をも兼ねているとし、「國民の其の皇帝に信服すること甚深く、世界無雙の大國も今日猶〔なお〕君主獨裁を以て其政治を行へるは、皇帝が政治と宗教との大權を一身に聚めたるより出たるもの亦多し」と書いています*14。

そして西村は、我が国でも「皇室を以て道徳の源となし、普通教育中に於て、其徳育に關することは 皇室自ら是を管理」すべきであると説いていたのです。

しかも、ロシア思想史の研究者の高野雅之氏は、「正教・専制・国民性」の「三位一体」を強調した「ウヴァーロフの通達」を「ロシア版『教育勅語』」と呼んでいますが、司馬氏が中学に入学した翌年の一九三七年には文部省から『國體の本義』が発行されました。

注目したいのは、「國體の本義解説叢書」の一冊として教学局から出版された『我が風土・國民性と文學』と題する小冊子では、「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっていることは」、「日本の国体の精華であって、万国に類例が無いのである」と強調されていたことです*15。

この「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっている」という文言は、「正教・専制・国民性」の「三位一体」による「愛国主義的な」教育を求めたウヴァーロフの通告を強く連想させます。「教育勅語」が渙発された後の日本は、教育システムの面ではロシア帝国の政策に近づいていたといえるでしょう。

(拙著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』人文書館、2015年、105~108頁より)

(2016年7月21日。青い字の箇所を追記)

 

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(四)、「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

いよいよ選挙の日が近づいてきましたが、いまだに新聞などの分析では「改憲」勢力が議席の三分の二を占める可能性が高いことが指摘されています。

できれば、選挙前に出版したかったのですが、全体の流れを紹介する序章をなんとか書き上げましたので、今回はその(四)を掲載します。より多くの人に安倍政権の反憲法的な危険性の一端が伝わり、一人でも多くの方が投票することを願っています。

*   *   *

第四節 「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

憲法学者の樋口陽一氏は、安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いている(『「憲法改正」の真実』)。

実際、八割を超える閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属しているだけでなく、自分の気に入らない質問に対してはきちんと答えない安倍首相の国会答弁や、問答無用という感のある「特定秘密保護法」や「戦争法」の強行採決などを見ていると同じような危惧の念を強く持つ。さらに問題は、年金の問題など国民に公表すべき重要な情報であっても、ことに政権に不利な情報は徹底的に隠蔽することである。

それは大地震や火山の噴火が続くにも関わらず、川内原発などの稼働を止めない安倍政権の非科学的な自然観についてもいえる。安倍政権の閣僚たちは中世と同じように日本が「国造り神話」によって出来たと考えているのかもしれないが、地球の地殻変動で形成された日本が地震大国であり、火山の国でもあることを忘れてはならない。安倍政権は「四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本」を強調しているが、その豊かな自然を放射能で汚染し、日本人の生命を危険にさらす原発政策を進めているのが安倍政権である。

たとえば、その意向を受けたNHKの籾井会長は、地震後の原発報道は「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」という指示を出していた。このような対応は核汚染の危険性の公表は国民を恐怖に陥れるとして報道規制をした政府の対応も描き出していた映画《ゴジラ》のことを思い起こさせる。

終戦直前の八月に広島と長崎にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が相次いで投下されてから二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、原爆争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前〇時になぞらえた「世界終末時計」の時刻が終末の七分前になったと発表した。さらに湯川秀樹博士ら著名な科学者は「第五福竜丸」の後の一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表して核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘したが、映画《ゴジラ》の公開はそれに先だっていたのである。

それゆえ、『ゴジラの哀しみ』の「第一部 映画《ゴジラ》から黒澤映画《夢》へ」では、本多監督と黒澤監督との交友にも注意を払いながら、「ゴジラ」の変貌の問題を「第五福竜丸」事件の後で撮影された映画《ゴジラ》からチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて製作された映画《夢》までの流れをとおして考察することにしたい。

すなわち、第一章「ゴジラの咆哮と悲劇の発生」では、映画《ゴジラ》と《ジョーズ》とを比較することでこの二つの映画では悲劇の発端が、重大な情報の隠蔽であることに注意を促す。

第二章「映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》(一九八四)へ」では、社会的・文化的な背景をも詳しく考察することで映画《モスラ》や《モスラ対ゴジラ》が、黒澤映画《用心棒》や《風の谷のナウシカ》とも深い関わりがあることを示した『モスラの精神史』を分析する。

第三章「映画《惑星ソラリス》から一九八四年版の映画《ゴジラ》へ」では、時間的には少し遡ることになるが、黒澤監督が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中にソ連のタルコフスキー監督の映画《惑星ソラリス》(一九七三)を見ていたことに注目することにより、黒澤が語ったソ連の若者の核戦争観が、一九八四年版の映画《ゴジラ》の筋に強い影響を与えている可能性を指摘する。さらに、映画《日本沈没》(一九七三)における日本海トラフの指摘に注目することにより、一九八四年版の映画《ゴジラ》が地震大国であり火山国でもある日本の自然環境をきちんとふまえて映画化されていることを指摘する。

第四章「「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》」では、序章でも簡単に見た「ゴジラシリーズ」での「ゴジラ」の変貌を追うとともに、チェルノブイリ原発事故が起きた年に亡くなったタルコフスキーの《サクリファイス》にも注意を払うことで、福島第一原子力発電所を予言したとも言われる本多監督が演出補佐として参加していた映画《夢》の「赤富士」のシーンの意味に迫る。

昨年の一月二二日に『原子力科学者会報』は、「終末時計」が冷戦期の一九四九年と同じく「残り3分」になったと発表した。

冷戦が終わり、二一世紀に入った現代においても、世界終末時計が米ソの二つの大国が激しく対立していた一九四九年と同じ「残り3分」になったことに衝撃を受けた。軍事的な超大国となったアメリカを初めとして多くの国が、武力によって「テロ」などが制圧できると信じているようだが、歴史をふりかえるならばそれは妄想にすぎないだろう。一方、岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していないだけでなく、「歴史修正主義」的な傾向を強く持つ安倍政権は、原発だけでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めているのである。

第二部「小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法」では、安倍首相との共著もある百田尚樹氏が二〇〇六年に出版した『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)を歴史的な事実をふまえて文学論的な手法で分析することにより、そこに秘められているイデオロギーの危険性を明らかにする。

すなわち、第一章「孫が書き記す祖父の世代の美しい物語」では、もう一人の主人公ともいえるほど影響力が大きい存在ながらあまり焦点が当てられないもう一人の「祖父」の役割などに注意を払うとともに、物語の骨格を定めている「取材という手法」と百田氏がノンフィクションと称する『殉愛』との類似性を指摘する。

第二章「地上での視線を欠いた『空』の戦いの物語」では、たしかにガダルカナル島での兵士の悲惨な状態や将軍たちの批判は為されてはいものの、それは伝聞の形で語られており、生の声で語られる体験としての迫力や説得力には欠けることを、国内の状況を具体的に描いた映画《少年H》や劇《闇に咲く花》との比較をとおして明らかにする。

第三章「高山という新聞記者――新聞の役割と『司馬史観』論争」では、小説のクライマックスともいえる高山と元一部上場企業の社長だった武田との対決やその前後の登場人物の言葉をとおして、この小説が一九九六年の司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観」論争に際して科学的な歴史観を「自虐史観」と呼んだ「つくる会」のイデオロギーを強く受け継いでいることを、一九九七年に公演された井上ひさし氏の劇《紙屋町さくらホテル》と比較することで明らかにする。

第四章「神話の捏造――英雄の創出と『ゼロ』の神話化」では、プロローグでは「悪魔のようなゼロ」と描かれていた「特攻」が、英雄の創出と零戦の神話化によって、エピローグでは正反対の価値観になっていることを具体的に示す。

私がはじめて宮崎駿監督の作品を意識したのは、《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときであった。そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じるとともに、映画《ゴジラ》の最も重要なテーマを受け継いでいると感じた。それゆえ、安倍政権が一九世紀的な「積極的平和主義」を掲げて、戦争のできる国を目指して「改憲」を掲げる中、宮崎駿監督の強い信頼を得ている庵野秀明監督が、どのような《シン・ゴジラ》を製作するのかを強い期待と不安を持って見守っている。

全体の終章にあたる「映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》へ」では、「神話の捏造」という言葉で『永遠の0(ゼロ)』を厳しく非難していた宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》までを分析することにより、専制政治と核戦争の岐路に立たされていると思える現在の日本の状況を明らかにする。

そして、最後に核エネルギーの悲惨さを知っている日本の「自衛隊」には、ブッシュ政権の「大義なき戦争」によって始まった二一世紀の混乱を収束させるためには憲法九条の理念に沿って戦争には参加せず、大地震の際の救助活動など平和的な目的に限って活動するとともに、核の廃絶を世界に訴えるという文明的な課題があることを示したい。

(2016年11月2日、改訂してタイトルを改題)

杉里直人氏の「 『カラマーゾフの兄弟』における「実践的な愛」と「空想の愛」――子供を媒介にして」を聞いて

第233回例会「傍聴記」

長年、『カラマーゾフの兄弟』に取り組んできた芦川進一氏の報告に続いて、今回の報告は6年間かけて『カラマーゾフの兄弟』の翻訳を終えたばかりの杉里氏による報告であった。芦川氏の考察は日本ではあまり重視されてこなかった『聖書』における表現との比較を通して『冬に記す夏の印象』や『罪と罰』などの作品を詳しく読み解いたことを踏まえた重層的なものであった。杉里氏の考察も1992年に発表された「語り手の消滅 -『分身』について」や「「書物性」と「演技」――『地下室の手記』について」(『交錯する言語』掲載)など初期や中期の作品の詳しい考察を踏まえてなされており説得力があった。ここでは当日に渡されたレジュメの流れに沿って感想を交えながらその内容を簡単に紹介する。

最初にアリョーシャが編んだ「ゾシマ長老言行録」に記されたゾシマ長老の「幼子を辱しめる者は嘆かわしい」という言葉には「子供の主題」が明確に提示されており、ドストエフスキー自身の声が響いていることが指摘された。次に主人公たちが「偶然の家族」の「子供」として描かれていることが、「腹の中で自殺するのも辞さない」と語ったスメルジャコフと養父グリゴーリイとの関係だけでなく、カラマーゾフの兄弟それぞれが「辱しめられた子供」であることが、あだ名や父称などの問題をとおして具体的に分析された。

さらに、子供が大好きだというイワンが「反逆」の章で「罪のない子供の苦しみ」に言及しながら、「不条理な涙は何によっても贖われることがない以上」、「神への讃歌《ホサナ》に自分は唱和しない」という決意を語るのは有名だが、それと対置する形で、父親殺しの容疑者として徹夜の取調を受けた後で眠り込んだドミートリーが火事で焼けだされた村落で泣く赤ん坊の夢を見て、「もう二度と童(ジチョー)が泣かずにすむように……中略…あらんかぎりのカラマーゾフ的蛮勇を発揮してどんなことでもやりたい」と思ったことが彼の新生への転回点となり、「徒刑地の鉱山の地底で神を讃えて悲しみに満ちた《讃歌(ギムン)》を歌うと宣言する」ことが描かれているとの指摘は新鮮であった。

そしてこのようなドミートリーの「人はみな、万人の行ったすべてのことに責任がある」という贖罪意識や認識が、イワンとを遠ざけるだけはなく、

ゾシマ長老、彼の夭折した兄マルケルへと近づけるという指摘は『カラマーゾフの兄弟』という長編小説の骨格にも深く関わっていると思える。また、ドミートリーにどこまでも寄り添おうとするグルーシェンカが、みずからも「虐げられた子供」の一人でありながら「一個のタマネギを恵む」女であることや、「苦しむ人へ寄り添う」人であり、「運命を決する人」としてのアリョーシャ像からは『白痴』のムィシキンが連想させられて私には深く納得できるものであった。ただ、会場からはコーリャやイリューシャなどとの関係についての質問も出たが、質疑応答も活発になされて時間が足りないほどであったので、機会があれば次は三世代の少年たちとの関係にも言及した報告をお願いできればと思う。

バルザックの作品とドストエフスキーの翻訳との比較をした「ドストエフスキーの文学的出発──『ウジェニー・グランデ』の翻訳について」(1987年)で研究者としての第一歩を踏み出した杉里氏は、2011年にはバフチンの大著『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(水声社)の翻訳を出版している。今回の報告からもドストエフスキーの言葉や文体の特徴に注意深く接しながら、地道な翻訳作業を続けてきた杉里氏の誠実な研究姿勢が強く感じられた。杉里訳『カラマーゾフの兄弟』の出版が今から待たれる。

ドストエーフスキイの会、第234回例会(合評会)のご案内

「第234回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.135)より転載します。

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第234回例会のご案内

今回は『広場』 25号の合評会となりますが、論評者の報告時間を10分程度とし、エッセイの論評も数分に制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。

日 時 2016年7月30日(土)午後2時~5時

 場 所神宮前穏田区民会館 第2会議室(2F)今回は会場が変更になりました。ご注意ください!

       ℡:03-3407-1807 (ドストエーフスキイの会」のHPの「事務局」だよりの案内をご覧ください)

 

掲載主要論文とエッセイの論評者

泊野論文:『カラマーゾフの兄弟』の対話表現方法が持つ意味について――国松夏紀氏

樋口論文:『死の家の記録』のカーニバル的な人々 ――木下豊房氏

冷牟田論文:『永遠の夫』と「地下室」      ――近藤靖宏氏

長瀬論文:ドストエフスキーとアインシュタイン  ――福井勝也氏

 エッセイなど:前田彰一、井桁貞義、大木昭男、西野常夫、岡田多恵子――フリートーク

司会:高橋誠一郎氏

 

*会員無料・一般参加者-500円

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木下豊房氏の「国際ドストエフスキー・シンポジュウム(スペイン・グラナダ)参加報告」と「会計報告」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

前回例会の「傍聴記」は、次のブログでアップします。