高橋誠一郎 公式ホームページ

11月

「正岡子規・夏目漱石関連年表(作成中)」を「年表」のページに掲載しました

最近はブログ記事で内務省の設置や新聞紙条例に関連して、子規や漱石について触れることが多くなっています。

それゆえ、まだ作成中の段階ですが、急遽、「正岡子規・夏目漱石関連年表」(1857~1910)を「年表」のページに掲載しました。

年表の開始となる年は、正岡子規の師ともいうべき陸羯南が生まれた1857年とし、終わる年はトルストイが亡くなり、大逆事件が起きた1910年にしました。

 いずれ子規と漱石関連の事柄は靑い字で、戦争や暗殺は朱で、戦争につながると思われる内務省や新聞紙条例などはオレンジの色で表記する予定です。

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題

前回のブログ記事「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」で、人々の生命をはぐくむ「大地」さえもが投機の対象とされていた時期に、「土地に関する中央官庁にいる官吏の人に会った」司馬氏がその官僚から、「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」という意味のことを告げられて、 「油断の横面を不意になぐられたような気がした」と書いていたことを紹介しました。

その後で司馬氏は、敗戦後も「内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」と続けていたのです(『翔ぶが如く』第10巻、文春文庫、「書きおえて」)。

晩年の司馬氏の写真からは、突き刺さるような鋭い視線を感じましたが、おそらく今日の日本の状況を予想して苛立ちをつのらせておられたのだと思います。

このように書くと、いわゆる「司馬史観」を批判する歴史家の方々からは甘すぎるとの反論があるでしょう。

しかしプロシアの参謀本部方式の特徴を「国家のすべての機能を国防の一点に集中するという思想である」と説明していた司馬氏は、このような方向性は当然教育にも反映されることとなり、正岡子規の退寮問題が内務官僚の佃一予(つくだかずまさ)の扇動によるものであったことを『坂の上の雲』において次のように記していたのです。拙著、 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年、74~75頁より引用します。

  *   *   *

 このような風潮の中で…中略…後に「大蔵省の参事官」や「総理大臣の秘書官」を歴任した佃一予のように、「常磐会寄宿舎における子規の文学活動」を敵視し、「正岡に与(くみ)する者はわが郷党をほろぼす者ぞ」とまで批判する者が出てきていたのです。

 そして司馬は「官界で栄達することこそ正義であった」佃にとっては、「大学に文科があるというのも不満であったろうし、日本帝国の伸長のためにはなんの役にも立たぬものと断じたかったにちがいない」とし、「この思想は佃だけではなく、日本の帝国時代がおわるまでの軍人、官僚の潜在的偏見となり、ときに露骨に顕在するにいたる」と続けたのです。

 この指摘は非常に重要だと思います。なぜならば、次章でみるように日露戦争の旅順の攻防に際しては与謝野晶子の反戦的な詩歌が問題とされ、「国家の刑罰を加うべき罪人」とまで非難されることになるのですが、ここにはそのような流れの根幹に人間の生き方を問う「文学」を軽視する「軍人、官僚の潜在的偏見」があったことが示唆されているのです。

   *   *   *

  残念ながら、「特定秘密保護法案に反対する学者の会」の記事がまだ産経新聞には載っていないとのことですが、産経新聞には司馬作品の真の愛読者が多いと思います。日本を再び、昭和初期の「別国」とさせないためにも、この悪法の廃案に向けて一人でも多くの方が声をあげることを願っています。

(2016年11月2日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(5)―― 内務官僚の文学観と正岡子規の退寮問題

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

「特定秘密保護法案に反対する学者の会」に賛同の署名を送りました

 

先ほど、「特定秘密保護法案に反対する学者の会」に賛同の署名を送りました。

「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」する性質が強く、「官僚の、官僚による、官僚と権力者のための法案」とでも名付けるべきものであることが明らかになってきています。

それゆえ私は、この法案は21世紀の日本を「明治憲法が発布される以前の状態に引き戻す」ものだと考えています。

  

本来ならば、私が理事を務めている学会などに緊急の動議として提出し、反対の決議をして頂きたいのですが(この記事の公表はその提案も含んでいます)、時間がないので、まずは個々の会員の方に賛同を呼びかけます。

以下に、その声明文のコピーなどを掲載します。(現時点では、「東京新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」などがこの記事を取り上げている事が報告されています)。

   *   *   *

 国会で審議中の特定秘密保護法案は、憲法の定める基本的人権と平和主義を脅かす立法であり、ただちに廃案とすべきです。
 特定秘密保護法は、指定される「特定秘密」の範囲が政府の裁量で際限なく広がる危険性を残しており、指定された秘密情報を提供した者にも取得した者にも過度の重罰を科すことを規定しています。この法律が成立すれば、市民の知る権利は大幅に制限され、国会の国政調査権が制約され、取材・報道の自由、表現・出版の自由、学問の自由など、基本的人権が著しく侵害される危険があります。さらに秘密情報を取り扱う者に対する適性評価制度の導入は、プライバシーの侵害をひきおこしかねません。
 民主政治は市民の厳粛な信託によるものであり、情報の開示は、民主的な意思決定の前提です。特定秘密保護法案は、この民主主義原則に反するものであり、市民の目と耳をふさぎ秘密に覆われた国、「秘密国家」への道を開くものと言わざるをえません。さまざまな政党や政治勢力、内外の報道機関、そして広く市民の間に批判が広がっているにもかかわらず、何が何でも特定秘密保護法を成立させようとする与党の政治姿勢は、思想の自由と報道の自由を奪って戦争へと突き進んだ戦前の政府をほうふつとさせます。
 さらに、特定秘密保護法は国の統一的な文書管理原則に打撃を与えるおそれがあります。公文書管理の基本ルールを定めた公文書管理法が2009年に施行され、現在では行政機関における文書作成義務が明確にされ、行政文書ファイル管理簿への記載も義務づけられて、国が行った政策決定の是非を現在および将来の市民が検証できるようになりました。特定秘密保護法はこのような動きに逆行するものです。
 いったい今なぜ特定秘密保護法を性急に立法する必要があるのか、安倍首相は説得力ある説明を行っていません。外交・安全保障等にかんして、短期的・限定的に一定の秘密が存在することを私たちも必ずしも否定しません。しかし、それは恣意的な運用を妨げる十分な担保や、しかるべき期間を経れば情報がすべて開示される制度を前提とした上のことです。行政府の行動に対して、議会や行政府から独立した第三者機関の監視体制が確立することも必要です。困難な時代であればこそ、報道の自由と思想表現の自由、学問研究の自由を守ることが必須であることを訴えたいと思います。そして私たちは学問と良識の名において、「秘密国家」・「軍事国家」への道を開く特定秘密保護法案に反対し、衆議院での強行採決に抗議するとともに、ただちに廃案にすることを求めます。
 
2013年11月28日

 

「強行採決に抗議する日本ペンクラブの声明」を「新着情報」に掲載しました

 

「東京新聞」の昨日の夕刊には、「特定秘密保護法案」が「時代に逆行」しており、「言論統制の第一歩」であるとの浅田次郎・日本ペンクラブ会長の談話が載っていました。

実際、国会での審議を軽視しただけでなく、地方の不安や報道機関の要請などを無視したこの強行採決は、戦前や戦中の「言論弾圧」につながっているといえるでしょう。

「平和」を党是としてきた与党の公明党が今回の暴挙ともいえる強行採決に際して、自民党の「ブレーキ」となるどころか、「アクセル」を踏んでいるようにも見えるのはなぜでしょうか。権力の側に身を置けば、戦時中のような「大弾圧」からは逃れられると考えているのかもしれません。

しかし、隣国のロシア革命での権力闘争を例に出すまでもなく、明治維新でも権力を握った薩長が今度は互いに激しく争ったことは、司馬遼太郎氏の長編小説『歳月』や『翔ぶが如く』の読者ならばよく知っていることです。

権力者の元にすべての情報が集まるような仕組みの危険性は、ジョージ・オーウェルの『1984』やザミャーチンの『われら』などの長編小説ですでに詳しく描かれています。

福島第一原子力発電所の大事故の状況をきちんと観察して、脱原発への道筋を作るだけでなく、若者たちを戦場へと兵士として送らないためにも、この法案は廃案にする必要があるでしょう。

日本ペンクラブの「特定秘密保護法案の衆議院特別委員会強行採決に抗議する声明」を「新着情報」に掲載しました

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

福島第一原子力発電所の大事故の後で、ドイツがいち早く脱原発に踏み切ったのに反して、チェルノブイリ原発事故と同程度の大事故を起こした日本では、政府レベルではそのような動きはあまり見られませんでした。

その時にまず感じたのは、チェルノブイリ原発事故の際にたいへんな危機感を感じていたドイツとは異なり、原発のさらなる増設に向けて動き始めていた日本ではおそらく報道の量も少なかったのだろうということでした。

さらに大きな違いとして私が考えたのは、ドイツ国民は「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたビスマルク的な国家観から脱却し、国民的なレベルでの議論の必要性を痛感していたのだろうということでした。

すなわち、ヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進んでいました。

しかし、ドイツ帝国は50年足らずで崩壊していましたが、第三帝国を目論んだヒトラー政権は、母国だけでなくヨーロッパ全域に甚大な被害を与えたあとで、あっけなく滅んでいたのです。

*    *   *

一方、日本ではどうだったでしょうか。すでにブログ記事「麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観」で紹介したように、『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は次のような厳しい批判をしていました。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

敗戦の原因と責任を議論してきちんと認識した本場のドイツとは異なり、日本では「プロシア風の政体」の危険性を敗戦後もきちんと議論しなかったために、認識していなかったのです。

その結果、『翔ぶが如く』の後書きで司馬氏が記しているようなことがおきました。

 *   *  *

  それは大蔵官僚の主導した「土地バブル」に多くの民衆が踊らされて、人々の生命をはぐくむ「大地」さえもが投機の対象とされていた時期のことでした。

 この問題で「土地に関する中央官庁にいる官吏の人に会った」司馬氏はその官僚から、「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」という意味のことを告げられたのです。

 「私は、日本の政府について薄ぼんやりした考え方しか持っていない。そういう油断の横面を不意になぐられたような気がした」と書いた司馬氏は、こう続けています。

「よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」(文春文庫、第10巻、「書きおえて」)

   *   *   *

福島第一原子力発電所の大事故のあとで、原子力産業を優遇してこのような問題を発生させた官僚の責任が問われずに、地震大国である日本において再び国内だけでなく国外にも原発の積極的なセールスがなされ始めた時、痛感したのは「書きおえて」に記された司馬氏の言葉の重みでした。

このような状態のまま「特定秘密保護法」が成立すると、政官財の癒着や国民の生命に関わる問題も「秘密の闇」に覆われることになる危険性が高いと思われます。   

(2016年11月1日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(4)――明治6年設立の内務省と安倍政権下の総務省

情報公開(グラースノスチ)と福島の原発事故

 

 

衆議院での「特定秘密保護法」の強行採決を受けて「良識ある」各新聞の朝刊は一斉に批判の記事を掲載しています。

ここでは「民主主義の土台壊すな」という副題を持つ毎日新聞の社説を引用しておきます。

   *   *   *。

「あぜんとする強行劇だった」という書き出しで始まるこの記事は、採決前に安倍晋三首相が退席していたこを指摘した後で、次のように続けています

 

 「与党すら胸を張れない衆院通過だったのではないか。採決前日、福島市で行った地方公聴会は、廃案や慎重審議を求める声ばかりだった。だが、福島第1原発事故の被災地の切実な声は届かなかった。

 審議入りからわずか20日目。秘密の範囲があいまいなままで、国会や司法のチェックも及ばない。情報公開のルールは後回しだ。

 国民が国政について自由に情報を得ることは、民主主義社会の基本だ。法案が成立すれば萎縮によって情報が流れなくなる恐れが強い。審議が尽くされたどころか、むしろ法案の欠陥が明らかになりつつある。」

   *   *   *

ここで注目したいのは、採決前日に福島市で行われた「地方公聴会」での意見が全く無視されていることを指摘した後で、この記事が「情報公開のルール」の必要性を説いていることです。

安倍政権の政策には、地方を無視してでも、中央の利権を確保しようとする姿勢が強く見られるのです。一方、ソ連ではチェルノブイリ原発事故以降に、「情報公開」の要求は強まり、原発事故の危険性の認識が高まっていました。

今回の「特定秘密保護法」の拙速な強行採決は、「特定秘密保護法」が当時のソ連の対応と比較しても明らかに遅れているだけでなく、「テロ」対策を前面に出すことで「原発事故」の問題を「秘密の闇に覆う」ことを密かにねらっているとさえ思えてきます。

少し古い記事になりますが、「グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故」と劇《石棺》から映画《夢》へ リンクしておきます。

    (リンク先を追加しました)。

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

先ほど、各新聞が一斉にネット版で、「与党が採決を強行」し「特定秘密保護法」が衆議院を通過したとの号外を報じました。

安倍首相は「この法案は40時間以上の審議がなされている。他の法案と比べてはるかに慎重な熟議がなされている」と答弁したとのことですが、首相の「言語感覚」だけでなく、「時間感覚」にも首をかしげざるをえません。

  *   *   *

11月13日付けのブログ記事「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)では、「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである」という『翔ぶが如く』の一節を引用しました。

また、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通が、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたことにも触れました(文春文庫、第1巻「征韓論」)。

*    *   *

内務省が設置されたのは、『新聞紙条例』(讒謗律)の発布の2年前の1873年(明治6年)のことでしたが、司馬氏は坂本龍馬の盟友であった木戸孝允(桂小五郎)の目をとおして次のように記しています。

「内務省がいかにおそるべき機能であるかということは、木戸には十分想像できた。内務省は各地方知事を指揮するという点で、その卿たる者は事実上日本の内政をにぎってしまうということになる。知事は地方警察をにぎっている。従って内務卿は知事を通して日本中の人民に捕縄(ほじょう)をかけることもできるのである。さらに内務卿の直轄機構のなかに、川路利良が研究している警視庁が入っている。警視庁は東京の治安に任ずるだけでなく、政治警察の機能ももち、もし内務卿にしてその気になれば、同僚の参議たちをも検束して牢にたたきこむこともできるのである。」(文春文庫、第1巻「小さな国」)。 

(2016年11月1日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(3)――「特定秘密保護法」とソ連の「報道の自由度」

「小林秀雄の『虐げられた人々』観と黒澤明作品《愛の世界・山猫とみの話》」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

戦時中の一九四三年一月に公開された映画《愛の世界・山猫とみの話》(青柳信雄監督)が黒澤明監督の映画ときわめて似た特徴を持つことは、黒澤明研究会の会員の間で以前から話題になっていたようで、研究上映会が昨年の七月二七日に行われました。

 その結果、この映画にはテーマだけでなく、映像の面でもその後の黒澤映画を予告するようなシーンが多く見られたことで、急遽、九月一日に研究例会の議題として取りあげられ、会員によるそれぞれの視点からの発表が行われました。

 この研究例会では原作が佐藤春夫の提案により、俳句の連歌的な趣向により合作という形で発表されたことや、その後、如月敏と黒川慎の脚本で高峰秀子の主演による映画化がなされたが、黒川慎という名前が黒澤明監督のペンネームであり、最終的には黒澤明がまとめていたことが、いくつもの資料をとおして明らかにされました。

 その詳しい内容については、いずれ黒澤明研究会の『会誌』に掲載されることになると思いますので、ご期待下さい。

 私も「映画《愛の世界》と長編小説『虐げられた人々』――黒澤明監督と「大地主義」」という題でドストエフスキー作品との比較をしました。そこでは時間的な都合もあり、小林秀雄の『虐げられた人々』観との比較はできなかったので、「映画・演劇評」のページでは映像的な面にも言及しながら、この問題を掘り下げることにしたいと思います。 

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化

先日、国際ペン会長の声明を「新着情報」に掲載しましたが、反響が大きかったので日本ペンクラブの声明とともにリンク先を再掲します。

2013.11.20国際ペン会長 日本政府の「特定秘密保護法案」に対する声明

2013.10.25「特定秘密保護法案の閣議決定に強く抗議する」

   *   *   *

 

周知のこととは思いますが、国際社会からの反応をいくつかあげておきます。

アメリカのニューヨーク・タイムズが、この法案が「国民の知る権利を土台から壊す」だけでなく、「東アジアでの日本に対する不信」をいっそう高めるとの厳しい批判を書いていました。

「国連人権理事会」もこの法案が「内部告発者やジャーナリストを脅かす」との懸念を表明していました。

さらに、元NSC高官のハンペリン氏がこの法案を「国際基準」を逸脱しており、「過剰指定 政府管理も困難」との指摘をしていることを伝えています(23日、毎日新聞)。

最も重要なのは「国連関係者を含む70カ国以上の専門家500人以上が携わり、2年以上かけて作成され」、今年の6月にまとまった「ツワネ原則」と呼ばれる50項目の「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」でしょう。

海渡雄一弁護士はじめ多くの有識者が指摘しているように、問題はすでにこのような国際原則が明らかになっているいもかかわらず、「特定秘密保護法案」にはこの「国際的議論の成果」が反映されていないことです。

   *   *   *

今朝の報道では、「特定秘密保護法」の全容や問題点の討議が十分に行われないまま、政府と与党は法案の衆議院通過をはかるとの記事が載っていました。

安倍政権は、アメリカからの「外圧」を理由にこの法案を強行採決をはかっているようですが、この法案が通った後ではそのアメリカからも強い批判が出て、国際社会から「特定秘密保護法」の廃止を求められるような事態も予想されます。

かつて「国際連盟」から「満州国」の不当性を指摘された日本政府は、国連から脱退をして孤立の道を選びました。「国際社会」から強く批判をされた際に孤立した安倍政権は、どのような道をえらぶのでしょうか。

この法案の廃止や慎重審議を求めている野党だけでなく、政権与党や自民党の代議士にも国際関係に詳しい人はいると思われますので、強行採決の中止を強く求めます。

「改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

 

「特定秘密保護法」の修正案についての「国会」での討議もほとんどないままに、政府・与党は明日25日にもこの法案の衆議院での通過を目論んでいるようです。

この記事を急いで書くことで「事実」を改竄したり隠したりすることをNHKに強いるような安倍政権には、この法案を提出する資格が欠けていることを示すことにします。

   *   *   *

『坂の上の雲』の大河ドラマ放映については、放映権を与えた遺族の方々を批判することになるとも考えて、書くことを控えてきました。

しかし、長編小説『坂の上の雲』が改竄されて放映されたことは、信頼して放映権を譲った遺族の方々へのNHK側の裏切りにもあたると思えます。

政権側に媚びているとしか思えないNHKの報道姿勢を問い質す意味でもやはり「映画・演劇評」のページに記事を掲載することにしました。