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10月

ドストエーフスキイの会「第230回例会のご案内」

ドストエーフスキイの会「第230回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.131)より転載します。

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第230回例会のご案内

 

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                      

日 時2015年11月21日(土)午後2時~5時      

場 所場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

 報告者:長瀬 隆 

 題 目: アインシュタインとドストエフスキー

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:長瀬隆(ながせ たかし)

1931年生 早大露文卒。日本原水協を経て商社に勤務ソ連中国を担当。要旨に記載のペレヴェルゼフ『ドストエフスキーの創造』(1989、みすず書房)、『ドストエフスキーとは何か』(2008、成文社)および『トリウム原子炉革命』(2014、展望社)以外に、下記著作が有る。『樺太よ遠く孤独な』、『ヒロシマまでの長い道』、『微笑の沈黙』、『松尾隆』(雑誌連載)、『日露領土紛争の根源』。詳しくは http://homepage2.nifty.com/~t-nagase/ に見られたい。

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アインシュタインとドストエフスキー

   長瀬隆

レオーノフ(1899~198?)は『スクタレフスキー』、『ロシアの森』(ともに米川訳がある)などの自他ともに認められたドストエフスキーの影響の色濃い作家であるが、1961年雑誌『ズヴェズダー』のインタビュー「作家の仕事」において「アインシュタインが愛好したのはドストエフスキーだった。ここに芸術理論家たちが取り組むべき課題がある」という発言をおこなった。これを私は記憶していて、2008年刊の拙著『ドストエフスキーとは何か』の結びの章でそれを紹介し、アインシュタインが関心をもったのは、『カラマーゾフ兄弟』の中のイワンの非ユークリッド幾何学に言及した言説であると述べている。

アインシュタイン全集の訳者にして編集者の一人だったクズネッオフ(1903~?)は1962年初版の大著『アインシュタイン』の全30章のうちの7章(表題は「ドストエフスキーとモーツァルト」)においてこの問題に触れた。もっともこれ以前に彼は「エピクロスとルクレツィー、ガリレイとアリストロ、アインシュタインとドストエフスキーについての覚書」を雑誌に発表しており、レオーノフの発言がこれを読んでの反応だったとも考えられる。

『アインシュタイン』は版を重ね1967年に第三版が公刊され、1970年に上下二巻の邦訳が出た。これは1973年までに第4刷が出ているが、このうちのドストエフスキーへの言及が日本の文学界で話題になったことは無い。

クズネッオフは三版後に全面的な改定をおこない、頁数もぐっと増大した『アインシュタイン――生涯、死と不滅』を公刊した。ここでは『アインシュタイン』の7章はそれぞれ「ドストエフスキー」と「モーツアルト」の二つに分割され、またそれぞれ倍以上の量と成っている。著者自身の立場はレーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』に立脚しつつの、それらの発展を目指したものとみなすことができる。レーニンはドストエフスキーとアインシュタインについては何も言及せずに逝っており、両者は、ペレヴェルゼフの『ドストエフスキーの創造』(1912~1921、1989年に長瀬訳がある)を唯一の例外として、旧ソ連ではマルクス主義の盲点を成していた。

『アインシュタイン』は各国語に翻訳されていたが、ドストエフスキーに係る章が特に注目されたようであって、『生涯、死と不滅』が刊行されたのと同じ1974年にロンドンで『アインシュタインとドストエフスキー』が公刊された。タイプされた露語原稿から英訳されたもののようである。小著であり、これが1985年に邦訳されている。しかしこれもまたわが国の文学界ではまったく話題にはならなかったのではなかろうか。

クズネツォフのそれまでの著作と論文は常にアインシュタインが主体であり、ドストエフスキーはこれに従属するものとして扱われてきた。この性格は量的には最大の『生涯、死と不滅』においても変っていない。これに対して英訳単行本の『アインシュタインとドストエフスキー』では両者は初めて対等な形で並置され論じられている。その本文に「ドストエフスキーをアインシュタインの目を通して見、アインシュタインをドストエフスキーの目を通して見る」という文言があることからも明らかなように、相互的にして対等であり、その革新的な試みは成功している。

問題は、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを体験してきた私たち日本人が今日この試みをどのように評価するかにあると思われる。私としては昨2014年刊の『トリウム原子炉革命――古川和男・ヒロシマからの出発』で少なからず行ったと考えている。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代(レジュメ)

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(高田屋嘉兵衛 (1812/13年)の肖像画。画像は「ウィキペディア」より)

〈「道」~ともに道をひらく~〉というテーマで、地球システム・倫理学会の第11回学術大会と 一般財団法人京都フォーラムとの共催で産学共働フォーラムが、11月2日と3の2日間、大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で開かれ、そこでは私も標記の題で一般発表を行います。

『菜の花の沖』については、すでに拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版、2002年)でも論じていました。しかし「採決不存在」という重大な疑義がありながらも、参院本会議で自民・公明両党などの賛成多数により、「安保関連法案」が可決された今、戦争状態にあった当時のヨーロッパと比較しつつ、商人・高田屋嘉兵衛の言動をとおして、江戸時代における日本の平和の意義を明らかにしたこの長編小説は改めて深く考察されるべきだと思われます。

以下にそのレジュメを掲載します。

  商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代

「国民作家」と呼ばれる司馬遼太郎(1923~96)の時代小説の魅力は、『竜馬がゆく』(1962~66)で主人公の坂本竜馬を剣に強いだけでなく経済にも詳しい若者として描くなど、主人公が活躍する時代の経済的な背景をきちんと描いていることにある。たとえば、『国盗り物語』(1963~66)で伊勢の油問屋から美濃の領主となった乱世の梟雄・斎藤道三を主人公の一人として描いていた司馬は、長編小説『菜の花の沖』(1979~82)では菜の花から作る菜種油を販売して財を成した江戸時代の商人・高田屋嘉兵衛を主人公として描いた。

比較という方法を重視した司馬の文明観の特徴は、日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』(1968~72)に顕著だが、勃発寸前までに至った日露の衝突の危機を背景とした『菜の花の沖』にも強く見られる。すなわち、高田屋嘉兵衛とナポレオンが同じ年に生まれていただけでなく「両人とも島の出身だった」ことに注意を促した司馬は、嘉兵衛がロシア側に捕らえられたのと同じ1812年にナポレオンがロシアに侵攻してモスクワを占領したことにもふれつつ、嘉兵衛に「欧州ではナポレオンの出現以来、戦争の絶間がないそうではないか」と語らせ、「扨々(さてさて)、恐敷事候(おそろしきことにそうろう)」と戦争を絶えず生み続けたヨーロッパの近代化を鋭く批判させていた。

司馬は黒潮に乗って北前船で遠く北海道まで乗り出した高田屋嘉兵衛に、「海でくらしていると、人間が大自然のなかでいかに無力で小さな存在かを知る」と語らせているが、そのような自然観は虐げられていたアイヌの人々と対等な立場で取引をしたばかりでなく、嘉兵衛が鎖国下の日本でロシア人とも言葉は通じなくとも人間として語り合い、説得力を持ちえたことにも通じているだろう。

本発表では広い見識と人間性を兼ね備えていた商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観に迫ることで、文明の岐路に立っているとも思える現代の日本人の生き方についても考察してみたい。

GolovninB&W

(『日本幽囚記』の著者ゴロヴニーン。図版は「ウィキペディア」より)。

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館のホームページより転載)

ISBN978-4-903174-33-4_xl(←画像をクリックで拡大できます)

装画:田主 誠/版画作品:『雲』

ジャンル[歴史・文学・思想]/四六判上製 245頁 /定価:本体2,700円+税

人文書館・HPより

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明治という激動と革新の時代のなかで

山茶花に新聞遅き場末哉 (子規 明治三十二年、日本新聞記者として)

司馬遼太郎の代表的な歴史小説、史的文明論である 『坂の上の雲』等を通して、近代化=欧化とは、 文明化とは何であったのかを、 比較文学・比較文明学的視点から問い直す!

「坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、 それのみをみつめてのぼってゆく」明治の幸福な楽天家たちとその後の 「時代人」たちは、「坂の上」のたかだかとした「白い雲」のむこうに 何を見たのであろうか。

陸羯南(くが・かつなん)が創刊した新聞『日本』の「文苑」記者であり、 歌人・俳人・写生文家・正岡子規の軌跡を辿り、生涯の友・夏目漱石、 そして新聞人でもあった司馬遼太郎の視線(まなざし)から、しなやかに読む。

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目次

 序章 木曽路の「白雲」と新聞記者・正岡子規

第一章 春風や――伊予松山と「文明開化」

第二章 「天からのあずかりもの」――子規とその青春

第三章 「文明」のモデルを求めて――「岩倉使節団」から「西南戦争」へ

第四章  「その人の足あと」――子規と新聞『日本』

第五章 「君を送りて思ふことあり」――子規の眼差し

終章 「秋の雲」――子規の面影

リンク→ 『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、目次詳細

〈ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立〉を「映画・演劇評」に掲載

昨年は映画《ゴジラ》が初めて公開されてから60周年ということで、原爆や原発に焦点をあてながら映画《ゴジラ》の特徴と「ゴジラシリーズ」の問題を4回にわたって考察した後で、〈映画《ゴジラ》の芹沢博士と監督の本多猪四郎の名前を組み合わせた芹沢猪四郎が活躍するアメリカ映画《Godzilla ゴジラ》は、映画《ゴジラ》の「原点」に戻ったという呼び声が高い〉ことを紹介し、下記のように結んでいました。

「残念ながら当分、この映画を見る時間的な余裕はなさそうだが、いつか機会を見て映画《ゴジラ》と比較しながら、アメリカ映画《Godzilla ゴジラ》で水爆実験や「原発事故」の問題がどのように描かれているかを考察してみたい」。

昨年は様々な事情からこの映画を観るのを控えていましたが、「安保関連法」が国会で「強行採決」された直後の9月25日夜に日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で地上波初放送されたので、「映画・演劇評」のページに感想を記すことにします。

 

映画《ゴジラ》関連の記事一覧

映画《ゴジラ》考Ⅴ――ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立

映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「反核」の理念

 映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐

映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

 

なぜ今、『罪と罰』か(3)――事実(テキスト)の軽視の危険性

一、家庭小説としての『罪と罰』

長編小説『罪と罰』にはラスコーリニコフの犯罪をめぐる主な筋の他に、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャをめぐる筋やマルメラードフ家の物語があると指摘した川端香男里氏は、この小説が「一家族の運命の浮沈を描く」イギリスの「『家庭小説』の伝統に由来」してもいると記しています。

この指摘は『罪と罰』を考察する上できわめて重要だと思われます。なぜならば、ラスコーリニコフは犯行後に妹のドゥーニャと話した後で「もしおれがひとりぼっちで、だれからも愛されることがなかったら、おれだってけっしてだれも愛しはしなかっただろうに! こんなことは何もなかったろうに!」(六・七)と考えているからです。

しかも、母親のプリヘーリヤは「ねえ、ドゥーニャ、わたしはおまえたちふたりをつくづく見ていたけど、ほんとにふたりとも瓜(うり)二つだねえ、顔がというより、気性がさ」(三・四)と語っているのです。

それゆえ、ラスコーリニコフの行動や「良心」観に迫るためには、ラスコーリニコフを厳しく追い詰める予審判事のポルフィーリイや、ラスコーリニコフの先行者ともいえるスヴィドリガイロフだけでなく妹ドゥーニャの言動をも詳しく分析する必要があるでしょう。

たとえば、ドストエフスキーは本編の終わり近くで「兄さんは、血を流したんじゃない!」と語った妹のドゥーニャに対してラスコーリニコフに、「殺してやれば四十もの罪障がつぐなわれるような、貧乏人の生き血をすっていた婆ァを殺したことが、それが罪なのかい、」と問わせたばかりでなく、さらに自分が犯した殺人と比較しながら、「なぜ爆弾や、包囲攻撃で人を殺すほうがより高級な形式なんだい」と反駁させていました。

この会話に注目するならば、ラスコーリニコフの「殺人」は単に犯罪としてだけでなく、「戦争」とも比較して考察する必要性がでてくると思われます。

二、テキストの自分流の解釈の危険性――小林秀雄の『罪と罰』論

一方、文芸評論家の小林秀雄は戦前に書いた「『罪と罰』について Ⅰ」において、「(非凡人には――引用者注)その良心に従つて血を流す事が許されてゐるといふ所謂超人主義の思想が、ラスコオリニコフの口から語られる時、何等浪漫的な色彩を帯びてゐない」と書き、「彼は己の思想に退屈してゐる」という解釈を示していました〔四三〕。

さらに「殺人はラスコオリニコフの悪夢の一とかけらに過ぎぬ」と書き、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と続けた小林は〔四五〕、「罪と罰とは作者の取り扱つた問題といふよりも、この長編の結末に提出されている大きな疑問である、罪とは何か、罰とは何か、と、この小説で作者が心を傾けて実現してみせてくれてゐるものは、人間の孤独といふものだ」と記して、『罪と罰』を「孤独」の問題に矮小化していたのです〔六一〕。

このような小林秀雄解釈は、満州事変以降に厳しい思想弾圧が始まり、不安に陥っていた知識人の間でたいへん流行しました。しかし、そのような解釈は、ドゥーニャなどとの関係を重視せずに殺人を犯したラスコーリニコフの自意識や心理に焦点をあてて『罪と罰』を読み解くことでのみ成立しえたのです。

ただ、検閲が厳しかった戦前の『罪と罰』論には同情の余地がありますが、問題は小林が戦後も同じような『罪と罰』の解釈をしていただけでなく、「評論の神様」のように祭り上げられた彼の評論が教科書や大学の入試でも取り上げられたことにより、テキストや小説の構造を軽視し小説を「主観的に面白く」読み解いてもそれが流行すればよいと思い込むような学生だけでなく研究者がでてきたことです。

「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と書き、「殺人」を犯したラスコーリニコフの深い後悔の念を否定した小林の解釈は、「戦争の問題」に対して軍人や政治家に弁解の余地を与えただけでなく、3.11の原発事故のあとでも政治家や財界人にこの問題を深く反省しなくともよいかのような幻想を与えていることにもつながっているのではないかと思えるのです。

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(序)――「安倍談話」と「立憲政治」の危機

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(1)――「立憲主義」の危機と矮小化された『罪と罰』

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(2)――「ゴジラ」の咆哮と『罪と罰』の「呼び鈴」の音

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(4)――弁護士ルージンと19世紀の新自由主義

リメンバー、9.17(3)――「安保関連法」の成立と「防衛装備庁」の発足

「安保関連法案」が「戦争法案」と呼ばれることを極端に嫌っていた安倍晋三氏は、国会での審議の際にもたびたび「レッテル貼り」と野党を批判していました。

しかし、「安保関連法案」が参議院で可決される前に、すでに経団連は「防衛産業を国家戦略として推進すべきだ」とする提言をまとめ、「新たに発足する防衛装備庁に対して、(1)装備品に関する適正な予算を確保し、人員の充実を図る(2)関係省庁を含めた官民による緊密な連携を基に、装備品や技術の海外移転の仕組みを構築する」などを具体的に要求していました。

リンク「安保法制」成立は防衛ビジネスのビッグチャンス 経団連のあからさまな(J-CASTニュース-2015/09/28)

こうして安倍政権下で発足した「防衛装備庁」について、「東京新聞」は〈「平和」名目に武器輸出促進〉という副題をつけた10月1日の夕刊記事で、「相手国が日本の事前同意なしに再輸出したり目的外使用したりする事例を認めており、日本製の武器や部品が知らない間に紛争地で使われる余地がある」だけでなく、「武器に関する権限が集中して防衛企業との関係が密接になり、汚職の温床になるとの指摘もある」と記し、さらにこの庁の発足が「軍拡競争」を助長する恐れについても次のように詳しく説明しています。

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防衛装備庁の設置は、安倍政権が「積極的平和主義」を名目に、海外への武器輸出に関する厳しいルールを緩和したのに合わせた対応だ。輸出促進だけでなく、軍事技術の面でも米国やオーストラリア、欧州諸国と共同開発などの連携を深める目的がある。自衛隊の海外活動の範囲を飛躍的に拡大させる安全保障関連法と連動しており、平和国家としてのこれまでの歩みと逆行する。

武器輸出解禁の背景には、経済界からの強い要請もある。武器や装備品の開発・生産企業は、同時に原発やインフラの海外輸出を行う企業が中心。海外で競争が激化する中、武器や装備品の部品などの輸出、他国との共同開発を増やすことで、体力や利益を高めたい思惑からだ。

安倍政権は、武器輸出拡大も成長戦略の一部だと主張する。だが、利益優先の武器輸出促進は安保法に盛り込んだ集団的自衛権行使容認や他国軍の支援などとともに、敵国とみなされた国々の警戒感を高め「軍拡競争」を助長しかねない。

防衛省は過去、官製談合事件を起こし、旧防衛施設庁を廃止した経緯がある。名称を変えて役所を「復活」させ、再び組織が肥大化することは、防衛産業との新たな癒着を生む危険性もはらんでいる。 (中根政人)

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これらの出来事は「安保関連法案」の実態が「戦争法案」であったことを雄弁に物語っているでしょう。

このブログでは、明治7年の台湾出兵や明治10年の西南戦争などでは利益をあげ、巨万の財を築くことになる政商・岩崎弥太郎を語り手とした大河ドラマ《龍馬伝》(2010)が、安倍政権の政策を宣伝する広報的な性格を強く持っていることを指摘してきました。

リンク→大河ドラマ《龍馬伝》と「武器輸出三原則」の見直し

リンク→大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

「J-CASTニュース」は、今回の「安保関連法」の成立を「三菱重工業など日本を代表する防衛産業が、安保法案の成立をビジネスチャンス拡大の好機ととらえている」との指摘をしています。

しかし、それは目先の利益に惑わされた軽薄な見方といわねばならないでしょう。帝政ロシアや大日本帝国の歴史が物語っているように、軍事費の増大は一部の政治家と防衛産業に一時的には莫大な利益をもたらすことはあっても国民は増税に苦しめられて貧しくなり、最終的には国家の破綻につながる危険性が大きいのです。

被爆という世界で初めての悲劇を経験した国民や与野党の議員が70年間の長い時間をかけて定着させてきた「平和国家」としての日本のイメージを、クーデター的な方法で破壊した危険な安倍政権に代わる政権を一日も早く打ち立てる必要があるでしょう。

リメンバー、9.17(2)――「法案審議の再開を求める申し入れ」への署名が32、000筆を超える

〈「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」への賛同のお願い〉を転載した9月22日のブログには多くの閲覧者がありました。

「東京新聞」は2015年9月26日の朝刊で、署名が開始から5日間で3万2千筆を超えたことを詳しく伝える記事を載せていましたので、ご報告に代えてその記事の一部を掲載します

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与野党議員がもみ合いになる混乱状態の下、参院特別委員会が十七日に可決を決めた安全保障関連法案は、「参院規則の表決の要件を満たしていない」などとして、議決がなかったことの確認と審議続行を求める賛同署名が二十五日締め切られ、署名開始から五日間で三万二千筆を超えた。この日、呼び掛け人の醍醐聡(だいごさとし)東京大名誉教授(会計学)らが、山崎正昭参院議長と鴻池祥肇(よしただ)特別委員長に申し入れた。

二十七日の会期末まで時間が切迫しているため署名はインターネットのみで受け付けていたのに対し、「ネットは使えないが、参加したい」という市民が独自に国会前などで九百四十筆余の紙の署名も集めた。

山崎、鴻池両氏とも議員会館で秘書が対応。山崎氏側には三万二千筆のうち整理済みの二万九千筆余の賛同署名と申し入れ書を手渡した。締め切り後に届いた署名を含め今月末をめどに追加提出する。鴻池氏の秘書は「議員が内容を確認してからでないと受け取れない」として署名簿は受け取らず、週明けに可否を回答するとした。

(中略)

参院規則や委員会先例録には、採決するときに委員長は議題を宣告した上で、賛成議員の挙手か起立で多数か少数かを認定し、結果を宣告するなどと規定されている。十八日に出された未定稿の速記録では「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」としか記載されていない。

醍醐氏は「ネット中継などをみる限り、委員長の議事進行の声を委員が聞き取れる状況になかったことは一目瞭然。委員長も動議提出の声を聞き取り各委員の起立を確認できる状況になかったことは明らか」と批判。二十五日の会見で「何らかの形でさらにしつこく追及していくことが必要ではないか」と訴えた。

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 国民の意思に反して国会で「戦争法案」の「強行採決」に踏み切った安倍晋三氏は、「国際社会」でもこのことが高く評価されると勘違いして国連の会議に臨んだようですが安倍演説に会場はまばらで、せめてオバマに直接報告したいと切望していたものの実現しなかったとも伝えられています。

こうして国連の会議は、安倍氏の「個人的な思い込み」と「国際社会の懸念」とのギャップを浮き彫りにしたように思えます。

立憲主義と平和主義と民主主義を瀕死の状態に追い込んだ安倍政権の問題点をさらに掘り下げていくことが必要でしょう。

なぜ今、『罪と罰』か(2)――「ゴジラ」の咆哮と『罪と罰』の「呼び鈴」の音

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1954年の3月1日にアメリカ軍による水爆「ブラボー」の実験が行われました。この水爆が原爆の1000倍もの破壊力を持ったために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、160キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員が被爆しました。

この事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督は「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて映画《生きものの記録》の脚本「死の灰」(黒澤明、橋本忍、小國英雄)を書き始めました。

水爆実験に同じような衝撃を受けた本多猪四郎監督が同じ年の11月に公開したのが映画《ゴジラ》でした。この映画を久しぶりに見た時に感じたのは、冒頭のシーンが第48回アカデミー賞で作曲賞、音響賞、編集賞などを受賞したスティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)を、映像や音楽の面で先取りしていたことです。

《ジョーズ(Jaws)》の内容はよく知られていると思いますが、観光地で遊泳していた女性が大型の鮫に襲われて死亡するが、事態を軽く見せるために「事実」を隠そうとした市長などの対応から事件の隠蔽されたために、解決が遠ざかることになったのです。

一方、映画《ゴジラ》の冒頭では、船員達が甲板で音楽を演奏して楽しんでいた貨物船「栄光丸」が突然、白熱光に包まれて燃え上がり、救助に向かった貨物船も沈没するという不可解な事件が描かれていました。伊福部昭作曲の「ゴジラ」のライトモチーフは、一度聴いたら忘れられないような強いインパクトを持っているが、その理由を作曲家の和田薫はこう説明しています。

「円谷英二さんから特に画を観させてもらったというエピソードがありますよね。あの曲は低音楽器を全て集めてやったわけですが、画を観なければ、ああいう極端な発想は生まれません」(『初代ゴジラ研究読本』、122頁)。

この言葉は映像と音楽の深い関わりを説明していますが、実は、長編小説『罪と罰』でも、若き主人公が「悪人」と見なした高利貸しの老婆のドアの呼び鈴を鳴らす場面も、あたかも悲劇の始まりを告げる劇場のベルのように響き、読者にもその音が聞こえるかのように描かれているのです。

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ゴジラはなかなかその姿をスクリーンには現わさず、観客の好奇心と不安感を掻きたてるのですが、遭難した漁師の話を聞いた島の老人は大戸島(おおどしま)に伝わる伝説の怪獣「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業ではないかと語り、昔はゴジラの被害が大きいときには若い女性を人身御供として海に捧げていたが、今はその代わりにお神楽を舞っているのだと説明します。

暴風雨の夜に大戸島に上陸して村の家屋を破壊し、死傷者を出した時にも「ゴジラ」はまだその全貌を現してはいないのですが、島に訪れた調査団の前に現れた「ゴジラ」の頭部を見た古代生物学者の山根博士(志村喬)は、国会で行われた公聴会で発見された古代の三葉虫と採取した砂を示しながら、おそらく200万年前の恐竜だろうと次のように説明します。

「海底洞窟にでもひそんでいて、彼等だけの生存を全うして今日まで生きながらえて居った……それが この度の水爆実験によって、その生活環境を完全に破壊された。もっと砕いて言えば あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります……」。

ここで注目したいのは、山根博士が古代の恐竜「ゴジラ」が水爆実験によって、安住の地を奪われたために出現したと説明していることです。その説明はビキニ沖での水爆実験によって、「第五福竜丸」事件を引き起こした後も、冷戦下で互いに核実験を繰り返す人間の傲慢さを痛烈に批判し得ているばかりか、黒澤監督が映画《夢》の第六話「赤富士」で予告することになる福島第一原子力発電所の大事故の危険性をも示唆していたと思えます。

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『罪と罰』のあらすじはよく知られていますが、「人間は自然を修正している、悪い人間だって修正したてもかまわない、あいつは要らないやつだというなら排除してもかまわない」という考え方を持っていた主人公が、高利貸しの老婆を殺害したあとの苦悩が描かれています。

現在の日本でも「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と解釈した文芸評論家・小林秀雄長編小説の『罪と罰』論が影響力を保っているようですが、ここで重要なのは、この時期のドストエフスキーが「大地主義」という理念を唱えていたことであり、ソーニャをとおしてロシアの知識人というのはロシアの大地から切り離された人たちだと批判をしていたことです。

たとえば、ソーニャは「血で汚した大地に接吻しなさい、あなたは殺したことで大地を汚してしまった」と諭し、それを受け入れた主人公は自首をしてシベリアに流されますが、最初のうちは「ただ一条の太陽の光、うっそうたる森、どこともしれぬ奥まった場所に湧き出る冷たい泉」が、どうして囚人たちによってそんなに大事なのかが分からなかったラスコーリニコフが、シベリアの大自然の中で生活するうちに「森」や「泉」の意味を認識して復活することになる過程が描かれているのです。

このような展開は一見、小説を読んでいるだけですとわかりにくいのですが、ロシア文学者の井桁貞義氏は、スラヴには古くから「聖なる大地」という表現があり、さらに古い叙事詩の伝説によって育った庶民たちは、大地とは決して魂を持たない存在ではなく、つまり汚されたら怒ると考えていたことを指摘しています。つまり、富士山が大噴火するように、汚された大地も怒るのです。

そして、ソーニャの言葉に従って、大地に接吻してから自首したラスコーリニコフはシベリアの大地で「人類滅亡の悪夢を」見た後で、自分が正当化していた「非凡人の理論」の危険性を実感するようになることです。

この意味で『罪と罰』で描かれている「呼び鈴」の音は、単にラスコーリニコフの悲劇の始まりを告げているだけではなく、「覚醒」と「自然観の変化」の始まりをも示唆しているように思えます。

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(序)――「安倍談話」と「立憲政治」の危機

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(1)――「立憲主義」の危機と矮小化された『罪と罰』

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(3)――事実(テキスト)の軽視の危険性

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(4)――弁護士ルージンと19世紀の新自由主義