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アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

Albert_Einstein_Head

(Oren J. Turnerによる写真1947年。「ウィキペディア」より)

 

アインシュタインのドストエフスキー観 

これまで5回にわたって文芸評論家・小林秀雄氏と数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社、1965年)にも注意を払いながら、1962年に発行された『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)における「良心」の問題を考察してきました。

読者の中にはここまでこだわらなくてもよいと考える方も少なくないと思われますので、最後にこの問題とドストエフスキー研究者としての私とのかかわりを簡単に確認しておきます。

アメリカの大統領にナチス・ドイツが核兵器の開発をしていることを示唆した自分の手紙が核兵器の開発と日本へ投下につながったことを知った物理学者のアインシュタインは、その後、核兵器廃絶と戦争廃止のための努力を続け、それは水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していました。

注目したいのは、そのアインシュタインがドストエフスキーについて、「彼はどんな思想家よりも多くのものを、すなわちガウスよりも多くのものを私に与えてくれる」と述べていたことです。(クズネツォフ、小箕俊介訳『アインシュタインとドストエフスキー』れんが書房新社、1985年、9頁)。

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』でイワンに非ユークリッド幾何学についても語らせていますので、アインシュタインの言葉はこの小説における複雑な人間関係や人間心理の鋭い考察から、彼が哲学的・科学的な強いインスピレーションを得たと考えることも可能です。

しかし、それとともに重視すべきと思われるのは、『カラマーゾフの兄弟』では自分の言葉がスメルジャコフに「父親殺し」を「教唆」していたことに気づいたイワンが、深い「良心の呵責」に襲われ意識混濁や幻覚を伴う譫妄症にかかっていたことです。

殺人を実行したわけではなく、言葉や思想による「使嗾」だけにもかかわらず苦しんだイワンの心理をこれほどに深く描いたドストエフスキーに私は倫理的な作家を見いだしていましたが、広島や長崎に原爆が投下されたことを知った後のアインシュタインの言動も、原爆パイロット・イーザリー少佐に重なる言動が少なくないと言えるでしょう。

一方、それまでの自分の『カラマーゾフの兄弟』観を覆して、「アリョーシャというイメージを創(つく)るのですが、あれは未完なのです。あのあとどうなるかわからない。また堕落させるつもりだったらしい」と語った小林氏の解釈は、イワンの「良心の呵責」という重たい倫理的なテーマをもあやふやにしてしまっていると思われます。

 

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

リンク→『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

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