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08月

ドストエーフスキイの会、第235回例会(報告者:金沢友緒氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、第235回例会のご案内を「ニュースレター」(No.136)より転載します。

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第235回例会のご案内

下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                       

 日 時201617日(土)午後2時~5        

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分) 第一会議室

報告者:金沢友緒氏

題 目: ドストエフスキーと「気球」

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:金沢友緒 (かなざわ ともお)

東京大学大学院博士課程修了、現在日本学術振興会特別研究員(PD)。専門は18 ・19世紀のロシア文学、文化。特にロシアにおけるドイツ受容、トゥルゲーネフ、А.К.トルストイを研究している。 「А.К.トルストイと 1840 年代ロシア-『アルテミイ・セミョーノヴィチ・ベルヴェンコフスキ イ』をめぐって-」(SLAVISTIKA 28号、2012)、 «О.П.Козодавлев и И.В.Гете. Межкультурное сопоставление (コゾダヴレフとゲーテ:異文化衝突をめぐって) » ( Русская литература № 2 , 2015) 他。

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第235回例会報告要旨

ドストエフスキーと「気球」

  文学作品は多様なジャンルの影響を受けて生まれたものであり、その中の一つが科学である。イギリス、フランス等、近代西欧先進諸国における科学技術開発の歴史の中で試みられた実験や生まれた発明に対して作家達は強い関心を示しており、ロシアの作家達もその例に漏れなかった。18世紀および19世紀を通じて近代ロシア文学は飛躍的な発展を遂げたが、そのプロセスには科学の発展もまた密接に関わりをもっていたのである。

今回の報告で注目するのはその一つである「熱気球」である。18世紀後半のフランスでモンゴルフィア兄弟がおさめた実験の成功は本国のみならず諸外国でも注目を集め、「気球 (воздушный шар)」は別名、すなわち実験者兄弟からとった「モンゴルフィア(Монгольфьер)」の名で各地に広まったのである。ロシアでも反響が大きく、フランスで実験が行われた1783年に既にペテルブルグで、また翌年にはモスクワでも同様に実験が行われた。以後、気球は飛行実験や新たな交通手段の開発の模索が繰り返される中、文学においても、伝統的な飛行のモチーフとの関わりの中で重要な役割を獲得していったのである。 本報告は18世紀から19世紀にかけての気球をめぐる科学の歴史を踏まえた上で、ドストエフスキーの作品の中では「気球」がどのような形で登場し、用いられていたかを取り上げたい。

19世紀に入って気球をめぐる技術は向上を続け、ロマン派の作家達の作品の中にしばしば登場していた。しかし写実主義への移行期には、新たな日常的交通手段としての鉄道が文学の中に登場し、大きな役割を果たすようになっていった。レフ・トルストイに繰り返し登場する『アンナ・カレーニナ』の鉄道の旅や駅の描写、ドストエフスキーの『白痴』冒頭のムィシキンとロゴージンの列車内での出会いの場面はその代表的な例であろう。無論19世紀後半にフランスで出版されたジュール・ヴェルヌの『気球に乗って』のように、「気球」を用いたファンタジー文学として西欧で大きな反響を得た作品もあったが、現実の風景としての気球飛行はさほど実用的ではないため、ロシア・リアリズム文学の中ではむしろ比喩的な表現として用いられることの方が目立っていたと思われる。

ドストエフスキーの文学の中でも数多くはないものの「気球」のモチーフは登場する。やはり「気球」を比喩的に利用したものが見られ、その中でも特に意図的な利用が明確であるのが、同時代の文壇の西欧派とスラヴ派の思想的論争の背景を踏まえて書かれた、チェルヌィシェフスキー等急進陣営に対する批判である。彼の批判に対し、他の作家もまた「気球」を踏まえて応酬したのであった。

本報告ではこの議論の他に、『罪と罰』や『賭博者』に登場する「気球」についても取り上げる。また、ロシア文学の中で「気球」のモチーフが果たしてきた役割を考慮し、例えば19世紀初めから同時代の19世紀半ばにいたる作家達、В.Ф. オドエフスキー、ブルガーリン、ゲルツェン等の作品についても比較の対象として取り上げながら、ドストエフスキーの「気球」をめぐる視点について紹介したい。

気球についての言及は、ドストエフスキーを含め、近代ロシアの作家達が科学技術の発展全般についてどのような関心をもち、また創作上、どのように利用しようとしていたかを明らかにする手がかりを提供してくれるであろう。

「新しい戦争」と「グローバリゼーション」(『この国のあしたーー司馬遼太郎の戦争観』の「はじめに」)を掲載

二〇〇一年は国際連合により「文明間の対話」年とされ、二一世紀は新しい希望へと向かうかに見えた。しかし、その年にニューヨークで「同時多発テロ」が起きた。むろん、市民をも巻き込むテロは厳しく裁かれなければならないし、それを行った組織は徹底的に追及されなければならないことは言うまでもない。ただ、問題はこれに対してアメリカのブッシュ政権が「報復の権利」の行使をうたって「文明」による「野蛮」の征伐を正当化して激しい空爆を行い、「野蛮」なタリバン政権をあっけないほど簡単に崩壊させた後には、イラクや北朝鮮だけでなく、タリバンへの空爆の際には協力を求めたイランをも「悪の枢軸国」と名付けて攻撃をも示唆したことである。このようなアメリカの論理にのっとってイスラエルのシャロン首相は、「自爆テロ」への「報復の権利」を正当化し、パレスチナ自治区への激しい武力侵攻を行い、お互いの「報復の応酬」によって中東情勢は混沌の色を濃くしたのである。

この意味で注目したいのは、なせ第一次世界大戦の敗戦後にヒトラーが政権を握りえたかを分析した社会学者の作田啓一が、「個人の自尊心」と「国家の自尊心」とは深いところで密接に結びついているとし、「個人主義」だけでなく「個人主義の双生児であるナショナリズムも、自尊心によって動かされて」きたと指摘したことである*1。このことは強い「グローバリゼーション」の流れの中でナショナリズムが燃え上がるようになったかをよく物語っている。すなわち、このような民族主義・国家主義の傾向は、イスラエルに限ったことではなく、インドとパキスタンが互いに核実験を行って世界から顰蹙(ひんしゅく)を買ったのはまだ記憶に新しいが、ヨーロッパでもオーストリアでハイダー党首率いる民族主義政党が躍進して政権を担うに至り、最近ではフランスでヒトラー的な反ユダヤ主義を標榜するルペン党首が率いる極右政党「国民戦線」への支持が急激に増えるなど、世界大戦前のような民族主義の台頭が世界的に見られるのである。このような理由について作田は社会学の視点から「大衆デモクラシーのもとでは、有権者の票の獲得にあたって、理性に訴える説得よりも、感情に訴える操縦のほうが有効であると言われるようになり、また事実、その傾向が強く」なったと説明している*2。

日本でも強い「グローバリゼーション」に対応するために低学年からの学習など英語教育の徹底する一方で、青少年における凶悪犯罪やモラルの低下が「自由と平等」を原則としたアメリカ的な原理に基づく戦後教育が原因だとして、愛国心や伝統の重要性が強調されるようになり、かつての強い「明治国家」を目指す「復古」的な主張や戦争を賛美するような言動も目だつようになってきている。しかも、このような過程でそれまでも高い評価を得ていた司馬遼太郎(一九二三~一九九六)の歴史小説が、司馬の死後には「国民的一大ブームといってよいほど」にもてはやされ、「神話化」され、「権威化」された「司馬史観」を背景にして、「公」としての「国家」を重んじることが、アジアで最初の「国民国家」である「明治国家」を讃えた司馬の遺志に適うかのような雰囲気が急速にかもしだされたのである*3。

しかし、はたして司馬遼太郎は「明治国家」や日露戦争の全面的な賛美者だったのだろうか。この意味で興味深いのは比較文明学的な視野から見るとき、「同時多発テロ」の発生以降、「同盟国」である超大国アメリカの「新しい戦争」を助けることが「常識」とされて、「グローバリゼーション」の圧力のもとに国会での議論もあまり行われないままに一連の「テロ関連法案」が通過し、さらに「有事法案」や「メディア規制法案」などにより「国権」の強化がはかられている「平成国家」日本の現状が、やはり「文明開化」という名の「欧化」の圧力のもとに、強い「国民国家」をめざして讒謗律、新聞紙条例、保安条例などの一連の法律を制定して国内の安定を保つとともに大国イギリスと同盟することで「日露戦争」へと突き進んだ「明治国家」の姿とも重なるように見えることである。

司馬遼太郎は日露戦争を主題として描いた『坂の上の雲』の前半では、すでに憲法を持っていた「国民国家」としての「明治国家」と専制政治下の「ロシア帝国」との戦いを「文明」と「野蛮」の戦いととらえていた。しかし、厖大な死傷者を出した近代戦争としての日露戦争の現実を「冷厳な事実」を直視して詳しく調べていくなかで司馬は、西欧列強に対抗するために日露両国が行った近代化の類似性に気付いて「国民国家」が行う戦争に対する疑問を強く持ち始め、一九三一年に起きた「満州事変」を「閉塞状態を、戦争によって、あるいは侵略によって解決しようとした」と鋭く批判するようになるのである(「何が魔法にかけたのか」『「昭和」という国家』ーー以下、『国家』と略す)。

つまり、『坂の上の雲』を書き上げた時、司馬は第一次世界大戦が生みだした戦争の惨禍を反省して大著『歴史の研究』を書き、西欧文明を唯一の文明として絶対的な価値を与えてきたそれまでの西欧の歴史観を「自己中心の迷妄」と断じて、近代の「国民国家」史観の克服をめざし、比較文明学の基礎を打ち立てたたイギリスの研究者トインビーに近い地点にいたのである。実際、ナポレオン戦争以降、「強国」は互いに自国を「文明」として強調しながら、「復讐の権利」を主張し合い、武器の増産と技術的な革新を競い合う中で戦争は拡大し、第二次世界大戦では原子爆弾が使用されて五千万以上ともいわれる死者を出すにいたったのである。

しかもトインビーは、古代ユダヤにおいてもローマ文明を「普遍的な世界文明として」認める考えと「ローマ化」を「文明の自己喪失として有害」とする「国粋」的な考えの鋭い対立があったことを記していたが*4、このような「周辺文明論」をさらに深めた山本新や吉澤五郎が指摘しているように、日本に先んじて「文明開化」を行っていたロシアでも「欧化と国粋」という現象は、顕著に見られたのである*5。

たとえば、ソ連崩壊後に「グローバリゼーション」の波に襲われたロシアではヒトラーの『わが闘争』のロシア語訳がいくつもの本屋で販売され、さらに過激な民族主義者ジリノフスキーの率いるロシアの自由民主党が選挙で躍進するなどの傾向が見られたが、このような現象は、クリミア戦争敗戦後の混乱の時期にも強く見られた。この意味で注目したいのは、激しい「欧化と国粋」の対立の中で、「血の復讐」を批判して「和解」の必要性を説く「大地主義」を唱えていたドストエフスキーが、「非凡人の理論」を生みだして「自己を絶対化」し、「悪人」と規定した「他者」の殺害を行った若者の悲劇を長編小説『罪と罰』(一八六六)において描き出していたことである。こうしてドストエフスキーは近代西欧社会に強く見られる「弱肉強食」の思想や「報復の権利」の行使が、際限のない「報復」の連鎖となり、ついには「階級闘争」や「国家間の戦争」となり「人類滅亡」にも至る危険性があることを明らかにしたのである*6。

比較文明学者の神川正彦は西欧の「一九世紀〈近代〉パラダイム」を根本的に問い直すには、「欧化」の問題を「〈中心ー周辺〉の基本枠組においてはっきりと位置づけ」ることや、「〈土着〉という軸を本当に民衆レベルにまで掘り下げる」ことの重要性を指摘した*7。方法論的にはそれほど体系化はされていないにせよ司馬遼太郎も、明治維新や日露戦争などの分析と考察を通して同じ様な問題意識にたどり着き、「辺境」に位置する沖縄の歴史の考察を行った『沖縄・先島への道』(一九七四)を経て、ナポレオンと同じ年に淡路島で生まれた高田屋嘉兵衛の生涯を描いた『菜の花の沖』(一九七九~八二)では、近代ロシアの知識人たちの人間理解の深さや比較文明学的な視野の広さに注意を払いつつ、日露の「文明の衝突」の危険性を防いだ主人公を生みだした「江戸文明」の独自性とその意味を明らかにしたのである。

こうして司馬遼太郎は戦後に出来た新しい憲法のほうが「昔なりの日本の慣習」に「なじんでいる感じ」であると語り、さらに、「ぼくらは戦後に『ああ、いい国になったわい』と思ったところから出発しているんですから」、「せっかくの理想の旗をもう少しくっきりさせましょう」と語り、「日本が特殊の国なら、他の国にもそれも及ぼせばいいのではないかと思います」と主張するようになるのである(「日本人の器量を問う」『国家・宗教・日本人』)。

この時の対談者であった作家の井上ひさしは、「憲法」という用語が「日常語」ではなかったために「なかなか私たちのふだんの生活の中に入って」こなかったが、司馬が『この国のかたち』において「統帥権」などの「法制度」や「倫理」の問題を通して「憲法」の重要性を分かりやすい言葉で考察していることを指摘している*8。

こうして「新しい戦争」が視野に入ってきている現在、敗戦による「傷ついた自尊心」から日本人としてのアイデンティティを求めて小説家となり、幕末の激動の時期を描いた『竜馬がゆく』以降の作品では急速な「欧化」への対抗としておこったナショナリズムの問題をも直視することにより「戦争」だけでなく、近代化における「法制度」や「教育」の意味についても鋭い考察を行った司馬遼太郎の歩みをきちんと考察することは焦眉の課題といえよう。なぜならば、トルストイが『戦争と平和』において明らかにしたように、戦争という異常な事態は突然に生じるのではなく、日常的な営みや教育の中で次第にその危険性が育まれるからである。

司馬遼太郎は大坂外国語学校での学生時代に「史記列伝」だけでなく「ロシア文学」にも傾倒していた*9。以下、本書では日本の「文明開化」において大きな役割を演じた福沢諭吉の教育観や歴史観と比較しながら、ロシア文学研究者の視点から司馬遼太郎の作風の変化に注意を払いつつ、『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』、『菜の花の沖』の三つの長編小説における彼の戦争観の深化を考察したい。

この作業をとおして私たちは「欧化と国粋」の対立の危険性を痛切に実感しつつ、日本のよき伝統や文化を踏まえたうえで、「日本人」の価値だけでなく新しい世紀にふさわしい「普遍的」な価値を求め、文明間の共存を可能にしうるような新しい文明観を示した司馬遼太郎の意義を明らかにすることができるだろう。

(2016年8月13日『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』より一部訂正の上、再掲。註は省略した)

 

稲田朋美・元防衛相の教育観と戦争観――『古事記と日本国の世界的使命』を読む(改訂版)

はじめに

「日本国憲法」にではなく、戦争を賛美した戦前版の『生命の実相』の教えに従った稲田朋美元防衛相の言動は、自民党右派や維新の危険性を示していると思われます。

少し古い記事ですので一部を削除し、その代わりにX(旧ツイッター)の投稿を添付します。

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「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という記述がある戦前版の『生命の實相』を「ずっと生き方の根本に置いてきた」と語っていた稲田朋美氏が安倍首相によって防衛大臣に任命されました。

それに対して海外のジャーナリズムは警鐘を鳴らしていますが、安倍内閣では何の異論も出なかったようですし、日本のマスコミもまだ沈黙しています。。

このような状況に強い危機感を覚えて、専門外であるにも関わらず、ともかく徴兵制や核武装など稲田氏の信念の中核を担っていると思われる谷口雅春著『古事記と日本国の世界的使命――甦る『生命の實相』神道篇』を急遽、読んでみました。

「編者はしがき」は、刊行の目的を「本書によって、一人でも多くの方が天皇国日本の実相と、その大いなる世界的使命について認識を新たにされるなら、編者として幸いこれに過ぐるものはない」と記しています(太字は引用者)。

「日本会議」研究のためのノートのような形で以下に感想を記します。新宗教に関しては素人ですので、間違いなどがあればご批判やご助言を頂ければ幸いです。

(なお、2008年にこの著書を刊行した光明出版社と現在の「生長の家」は別の組織です。宗教学者の島薗進氏によれば、宗教団体「生長の家」はエコロジー路線への転換をしており、旧生長の家の政治勢力とは対立しており、安倍政権に対しても「日本を再び間違った道へ進ませないために、明確に『反対』の意思を表明」しています)。

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最近、自民党の代議士の三原じゅん子氏が「神武天皇以来の憲法をつくらないといけない」と真顔で言ったことが話題になりましたが、本書の冒頭で「『古事記』とは何か」と問いかけた著者の谷口氏は「これが日本に於(お)ける最も古き正確なる歴史であるということになっているのであります」と書いていました(3頁)。

そして「歴史を研究する目的」として、「現象界(げんしょうかい)に実相(じっそう)が如何(いか)に投影し表現されて来るかということ」の大切さを説いた著者は、こう続けています。

「大宇宙に於(お)ける日本国の位置及びその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何(いか)に生きて行くべきものであるか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかということをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります」(4―5頁)。

驚いたのは、神道の説く「八百万の神々」とは異なり、ここでは『古事記』の「三柱(みはしら)の神は並(みな)独神(ひとりがみ)」という表現を「その儘(まま)素直に、絶対の神様を知っていた」と読むべきであると記されていたことです(7頁)。

そして「天照大御神」を「高天原」という「大宇宙の主宰者」と規定した著者は、「太陽神は天地万物一切所に在(いま)すと考えるのが本当であります。これを物質科学では太陽のエネルギーの変化したものであると云(い)っていることに当るのです」と記し(67頁)、さらに物理学をも視野に入れて教理を次のように説明しています。

「『生長の家』の実相観を修得していますと、生命の実相(ほんとうのすがた)は動(どう)であって静(せい)ではないという事が判(わか)って来るのであります」とし、「絶対は動(どう)である、ベルグソンの説いたように創造的進化の世界なのであります」とその説を展開しています(86-87頁)。

これらの箇所は、小林秀雄のベルクソン観や本居宣長観にも関わり、興味深いので機会を改めて考察することにします。

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その後、「夫唱婦和は日本が第一」から、「無限創造は日本が第一」、「一瞬に久遠を生きる金剛不壊の生活は日本が第一」、「無限包容の生活も日本が第一」「七德具足の至美至妙世界は日本が第一」と、ほほえましいようでナチスの「ドイツ民族優秀説」を思い起こさせるような節が続きます。

問題は「世界に真平和が起ころうとするには、先ず、大戦争が起る」と記していた著者が(62頁)、この後で須佐之男命(すさのおのみこと)の「八岐大蛇(やまたのおろち)退治」という神話の話と「黙示録」の「赤い龍」の話を結びつけた形で「世界戦が予言」されえていたばかりでなく、日本の勝利も約束されていると説いていることです。

すなわち、「殺人は普通悪いと考えていますが、戦争に出て敵兵を殲滅するのは善である。全ては地(ところ)を得た時にそれが初めて善となり、地(ところ)を得ない時にそれが悪となる」と書いて戦争の必然性を記した著者は、「皇国不敗」と「神州不滅」の考えをこう記しています(118頁)。

「如何(いか)なる時にもわが日本国は神に守られておるのでありますから、滅びるなどということはない、愈々(いよいよ)の時には元寇(げんこう)の役(えき)のようなことが、起る、愈々の時には宇佐八幡(うさまちまん)の神勅(しんちょく)が下される。日本の国は永遠に如何(いか)なる敵国の精兵も如何なる奸物(かんぶつ)の妖牙(ようが)も到底犯すことは出来ないのであります

そして、『古事記』に書かれている天照大御神(あまてらすおおみかみ)を「天野岩戸」から再引き戻したという記載を引用しながら、「暗黒苦痛の時が来たなら一層久遠の真理善き言葉の力を使って、その言葉の力によって光を招(よ)び出すようにしなければならない」(133頁)とし、「言霊」の働きを強調しながら、「どんなに悪い時にも、どんなに暗澹と暗い時にも愉快そうに笑っている…中略…そうして皇霊を遙拝し、祖先の霊魂を祀り、…中略…何でも『有難い、有難い』と感謝していますと、本当に有難くなって来る」と説いているのです(140頁)。

その後で、「世界戦」は「ユダヤ民族の守護神と日本民族の守護神との戦い」になると予言した著者は、「かく、世界各国互(たがい)に相(あい)戦って、さしも強大を誇った独逸(ドイツ)国の皇帝がなくなるとか、露西亜(ロシア)の皇帝がなくなるとか、或(あるい)は何処其処(どこそこ)の皇帝がなくなるという具合(ぐあい)に、唯物論は唯物論と相戦って自壊して総(すべ)て滅んでしまう」が、「最後に一つの国だけが滅びないのであります」と続け、その理由をこう説明しています(172頁)。

「草那藝神剣(くさなぎのしんけん)は三種(さんしゅ)の神器(しんき)の一つでであって、日本の国土をあらわすと共に、日本の皇位(こうい)の金剛不壊、永遠性をあらわしている」。

ただ、この戦いが厳しいものになることも予想していた著者は、「『今の一瞬に久遠(くおん)の生命を生きる』という事が日本精神であります」とし、「上海事変の爆弾三勇士」などに言及しながら、「戦場に於(お)ける兵士の如く死の刹那(せつな)に『天皇陛下万歳!』と唱えつつ死んで行く人が沢山あります」(205頁)が、「あれは死んだのではない、永遠に生きたのであります」と続けているのです(211頁)。

つまり、特攻隊員を描いた小説に百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』という作品がありますが、戦前に書かれた谷口雅春著『古事記と日本国の世界的使命』によれば、「神風特攻隊」のような「自己」を無(ゼロ)にした「特攻」による戦死は、個人の死ではなく「永遠に生きること」になるのです。

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その意味で重要と思われるのは、「榊(さかき)の枝や松の枝に白い御幣(ごへい)をつけて捧げる」、「玉串捧呈(たまぐしほうてい)」という神道の行事がこう説明されていることです。「玉串捧呈というのは、自分の霊を串にさして神様に捧げるというので全我(ぜんが)の抛棄(ほうき)を意味しています」(135頁)。

最後に再び『古事記』によりながら、「日本の皇位(こうい)というものは久遠永遠の昔から続くところの金剛不壊(こんごうふえ)の存在」であり、「日本の国土が全世界に拡(ひろ)がって日本の天皇陛下が久遠(くおん)の昔からこの世界を統治し給(たま)うべき御位(くらい)を持っていられる実相(じっそう)が明瞭になって来た」と記した著者は、こう強調しています(219頁)。

「神武(じんむ)天皇御東征(ごとうせい)の砌(みぎり)、東道(みちびき)として、御働き遊ばしたのも、盬椎の翁(しおつちのおきな)であります。この盬椎翁(しおつちのおきな)というのが生長の家の神様であります」(221頁)。

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GHQの検閲によって出版停止処分を受けた『生命の實相』(第16巻)神道編(昭和16年9月1日発行)の復刻版『古事記と日本国の世界的使命――甦る『生命の實相』神道篇』の内容を大急ぎで概観しました。

全体を読み終えて感じたのは、翌年には満州事変がおき、1933年にはナチスが政権を握るなど、日本が大戦争の危機に直面していた1930年に創立された当時の「生長の家」の性格をこの書がよく反映しているだろうということです。

「日本会議」の論客の主張に注意を促した山崎雅弘氏は、「もし『大東亜戦争』が『侵略ではなく自衛戦争』であるなら、自民党の憲法改正案が実現した時、理論的には、日本は再び『大東亜戦争』と同じことを『自衛権の発動』という名目で行うことが可能」になると指摘していました。

安倍政権の好戦性は、「戦争法」の強行採決や稲田氏の防衛大臣任命に顕著に表れています。このような安倍政権による憲法違反の「改憲」が行われ、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」の推す歴史教科書が用いられるようになれば、このような教育を受けた若者たちがテロとの戦いだけでなく、「報復の権利」を主張する時の政府によって、「ユダヤ民族の守護神と日本民族の守護神の戦い」に巻き込まれる可能性はきわめて高いように思われます。

稲田朋美議員と #統一教会 との繋がりを示す貴重な写真↓

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以下に、関連記事へのリンク先を記す。

稲田朋美・防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして(増補版)

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「安倍晋三記念小学校」問題――「日本会議」の危険性

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

 オーウェルの『1984年』で『カエルの楽園』を読み解く――「特定秘密保護法」と監視社会の危険性

(2016年8月15日、2017年3月19日、加筆改訂。2023年10月25日、改訂)

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

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昭和16年に谷口雅春氏が書いた『生命の實相』には、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という記述がありますが、この本を「ずっと生き方の根本に置いてきた」と語っていた稲田朋美氏が安倍首相によって防衛大臣に任命されました。

私が稲田氏の発言に関心を抱いたのは、この表現が『わが闘争』において、「闘争は種の健全さと抵抗力を促進する手段なのであり、したがってその種の進化の原因でありつづける」と主張していたヒトラーの言葉を思い起こさせたからです。

それは稲田氏ばかりではありません。麻生副総理も憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言して問題になっていましたが、明治政府は新しい国家の建設に際しては、軍国主義をとって普仏戦争に勝利したプロイセンの政治手法にならって内務省を設置していました。

その内務省の伝統を受け継ぐ「総務省」の大臣となり「電波停止」発言をした高市早苗氏も、1994年には『ヒトラー選挙戦略現代選挙必勝のバイブル』に推薦文を寄せていました。

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かつて、私は教養科目の一環として行っていた『罪と罰』の講義でヒトラーの「権力欲」と大衆の「服従欲」を考察した社会心理学者フロムの『自由からの逃走』にも言及しながら、高利貸しの老婆の殺害を正当化した主人公の「非凡人の理論」とヒトラーの「非凡民族の理論」との類似性と危険性を指摘していました。

10数年ほど前から授業でもヒトラーを讃美する学生のレポートが増えてきてことに驚いたのですが、それは『ヒトラー選挙戦略現代選挙必勝のバイブル』に推薦文載せた高市氏などが自民党で力を付け、その考えが徐々に若者にも浸透し始めていたからでしょう。

本間龍氏は『原発プロパガンダ』で「宣伝を正しく利用するとどれほど巨大な効果を収めうるかということを、人々は戦争の間にはじめて理解した」というヒトラーの言葉を引用しています。

ヒトラーが理解した宣伝の効果を「八紘一宇」「五族協和」などの美しい理念を謳い上げつつ厳しい情報統制を行っていた東条内閣の閣僚たちだけでなく、「景気回復、この道しかない」などのスローガンを掲げる安倍内閣もよく理解していると思われます。

安倍首相も「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張と同じように「日露戦争」の勝利を讃美していましたが、それも自国民の優秀さを示すものとして普仏戦争の勝利を強調していたヒトラーの『わが闘争』の一節を思い起こさせるのです。

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ヒトラーは『わが闘争』において「社会ダーウィニズム」的な用語で、「闘争は種の健全さと抵抗力を促進する手段なのであり、したがってその種の進化の原因でありつづける」と記していました。

ダーウィンの「進化論」を人間社会にも応用した「社会ダーウィニズム」は、科学的な世界観として19世紀の西欧で受け入れられたのですが、「進化」の名の下に「弱肉強食の思想」や経済的な「適者生存」の考え方を受け入れ、奴隷制や農奴制をも正当化していたのです。 たとえば、ピーサレフとともにロシアでダーウィンの説を擁護したザイツェフは一八六四年に記事を発表し、そこで「自然界において生存競争は進歩の推進機関であるから、それは社会的にも有益なものであるにちがいない」と主張し、有色人種を白人種が支配する奴隷制を讃えていたのです。

クリミア戦争後の混乱した社会を背景に「弱肉強食の思想」を理論化した「非凡人の理論」を生み出した主人公が、高利貸しの老婆を「悪人」と規定して殺害するまでとその後の苦悩を描いたドストエフスキーの長編小説『罪と罰』は、ヒトラーの「非凡民族の理論」の危険性を予告していました。

すなわち、ヒトラーは『わが闘争』において「非凡人」の理論を民族にも当てはめ、「人種の価値に優劣の差異があることを認め、そしてこうした認識から、この宇宙を支配している永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である」と高らかに主張したのです。

社会心理学者のフロムはヒトラーが世界を「弱肉強食の戦い」と捉えたことが、ユダヤ人の虐殺にも繋がっていることを示唆していました。 考えさせられたのは、日本でも障害者の施設を襲って19人を殺害した植松容疑者のことを、自民党のネット応援部隊が擁護して「障がい者は死んだほうがいい」などとネットで書いたとの記述がツイッターに載っていたことです。

この記事を読んだときに連想したのが、ユダヤ人だけでなくスラヴ人への偏見も根強く持っていたナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の考え方です。 すでにハフィントンポスト紙は2014年9月12日の記事で、「高市早苗総務相と自民党の稲田朋美政調会長と右翼団体『国家社会主義日本労働者党』代表の2ショット写真」が、「日本政府の国際的な評判を一気に落としてしまった」と指摘していました。

「内務省」を重視した戦前の日本は、過酷な戦争にも従順に従う国民を教育することを重視して国民の統制を強める一方で、外国に対して自国の考え方を発信して共感を得ようとするのではなく、考えを隠したことで外国からは疑われる事態を招き、国際的な緊張が高まり、ついに戦争にまでいたりました。

自分自身だけでなく、安倍内閣の重要な閣僚による「政治的公平性」が疑われるような発言が繰り返される中で、情報を外国にも発信すべき高市総務相が「電波停止」発言をしただけでなく、政権による報道への圧力の問題を調査した国連報道者のデビット・ケイ氏からの度重なる会見の要求を拒んだ高市氏が、一方で「国家神道」的な行事に出席することは国際社会からは「政治的公平性」を欠くように見えるでしょう。

最後に死後に起きた「司馬史観」論争において「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張によって矮小化されてしまった作家・司馬遼太郎氏の言葉をもう一度引用しておきます。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

(2016年10月1日、一部訂正。2019年1月8日、改訂)

「ゴジラ」の哀しみ――編集長・花森安治と『暮しの手帖』

NHKの朝のテレビ小説『とと姉ちゃん』の編集長花山のモデルとなった花森安治のすごいところは、広告費が結局は雑誌の骨格をも歪めることを知って、商業誌であるにもかかわらず、『暮しの手帖』でいっさい広告を取らなかったことだ。

徴兵されると「貴様らの代りは、一銭五厘の葉書でいくらでも来るんだ」と怒鳴られていた花森が、「ぼくはペンの力で、『あたりまえの暮し』を守る」と始めたのが雑誌『暮しの手帖』であった。

戦時下に大政翼賛会の宣伝部で活躍し、「屠れ! 米英/われらの敵だ/進め!一億/火の玉だ!」という標語のレイアウトも手がけていた花森は「ぼくは、確かに戦争犯罪をおかした」と認め、「これからは絶対だまされない、だまされない人たちを増やしていく」との決意を語っていた。

テレビ中毒者が増加することを案じた花森安治は、「テレビ放送は朝10時から夜10時まで」とも1965年に雑誌で提案していた(「花森安治と『暮しの手帖』の歩み」より)。それは受動的な視聴により「だまされる人たちが増える」ことを心配していたのだと思える。

ニュースや大河ドラマなど「事実」を伝えないNHKの放送はほとんど見なくなっているので、見ないだけでなく見ると苦痛を与えられるNHKに対しては、視聴料の返還運動でも起こそうとも考えたりしているこの頃だが、朝のドラマ『とと姉ちゃん』は面白い。

1969年に取材中に倒れて入院した花森安治は「これからの世の中、どう考えたって悪くなる。荒廃する」との見通しを記すとともに、「ぼくらこんどは後へひかない」とも伝えていた。

『暮しの手帖』の名編集長・花森安治にはその風貌と迫力から、「ゴジラ」というあだ名が付けられていたとのことである。しかし、その後の「ゴジラ」が激しく変貌しただけでなく、テレビや新聞などもかつての「大政翼賛会」の頃に近づいているように見える。映画《ゴジラ》の本多監督だけでなく、花森の「哀しみ」も深いだろう。

映画《ゴジラ》を撮った本多猪四郎監督は、「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です」と語っていた。

「ゴジラ」と呼ばれた花森安治もこう書いていたのである。「民主々義の<民>は 庶民の民だ/ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ/ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ/ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ/それがほんとうの<民主々義>だ」。

編集者としての花森のすばらしさは、そのような重いテーマが雑誌の前面に出ることを抑えて、温かく手作り感と読み応えのある雑誌を作り上げていたことだろう。

安倍政権に追随するようなニュースや大河ドラマを製作しているNHKだけでなく民放や大新聞も、日本だけでなく、世界中で再び「戦争」に向けた「プロパガンダ」と歯車が回り始めたと思える今こそ、「プロパガンダ」に侵されることを拒んで広告を取らなかった花森安治と『暮しの手帖』の精神を学んでほしい。

なお、本稿は『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』((『暮しの手帖』別冊、2016年7月、臨時増刊号)の4章「遺言――ぼくには一本のペンがある」を中心に感想を記した。1章「仕事――この国の暮らしを変えるために」、2章「美学――手からつくられるものの美しさ」、3章「横顔――人間・花森安治」でも、多彩で誠実な花森安治の人間的な魅力が伝えられている。