高橋誠一郎 公式ホームページ

「特定秘密保護法」

明治の藩閥政府と平成の安倍政権――『新聞紙条例』(讒謗律)と「特定秘密保護法」、「保安条例」と「共謀罪」との酷似

「日本に貴族をつくって維新を逆行せしめ、天皇を皇帝(ツァーリ)のごとく荘厳し、軍隊を天皇の私兵であるがごとき存在にし、明治憲法を事実上破壊するにいたるのは、山県であった。」(『翔ぶが如く』文春文庫)

現在、日本の「憲法」の形にも深くかかわる「共謀罪」の議論が拙速な形で行われていますので、征韓論から西南戦争に至る激動の時代を描いた『翔ぶが如く』で山県有朋を厳しく批判していた上記の文章をトップページの〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観に追加しました。

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今回は作家・司馬遼太郎の山県有朋観を簡単に考察することで、山県有朋の思想を強く受け継いでいると思われる安倍首相の危険性を明らかにしたいと思います。

1,山県有朋と政商との癒着と公金横領事件

現在、日本は安倍首相夫妻と「森友学園」や「加計学園」の問題で大きく揺れていますが、「征韓論」の発端となったのは、元奇兵隊の隊長で戊辰戦争の後に横浜で生糸相場を張るようになり「わずか一二年で横浜一の巨商」になった野村三千三〔みちぞう〕による山城屋事件でした。

元部下の野村から頼まれた山県有朋は、「兵部省の陸軍予算の半分ぐらいに」相当したかもしれぬ五十万円という巨額の公金を貸したばかりでなく、御用商人にも取り立てていたのですが、生糸相場に失敗して六四万九千円もの公金を返せないような事態に陥ったので野村は切腹し、山県も明治5年に辞職していました(『歳月』上・「長閥退治」)。

しかし、薩長のパワーバランスにより山県は翌年には初代陸軍卿として復職したばかりでなく、同じような横領がやはり旧長州藩の「井上馨を独裁者とする大蔵省」でも起きたのです。

「信じられぬほどの悪政がいま、成立したばかりの明治政府において進行している」ことに憤激し、太政官での議論でも「法の前では何人〔なんびと〕も平等である」と力説して受け入れられずに辞職した司法卿の江藤新平が明治7年に起こしたのが佐賀の乱でした。

司馬氏は『翔ぶが如く』ではフランス革命時の「フランス革命の闘士」でありながらも、利権で私腹を肥やしさらには、「王政の復活のために暗躍」したタレーランと山県有朋の類似性を指摘したあとでこう続けています。「『国家を護らねばならない』/と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した。」

2,薩長藩閥政府への批判の広がりと明治8年の「新聞紙条例」(讒謗律)

元司法卿の江藤新平が起こした佐賀の乱が鎮圧されたあとも、薩長藩閥政府の汚職と腐敗に対する国民の怒りは収まらず、燎原の火のように広がる薩長藩閥政府への批判を弾圧するために発布されたのが「新聞紙条例」でした。司馬氏はこの条例の問題点をこう指摘しています。

「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さ在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」。(太字は引用者、『翔ぶが如く』第5巻「明治八年・東京」)。

3、内務省の設置(明治6年)と保安条例の公布(明治20年)

「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通は、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしましたが、西南戦争の後で暗殺されます(『翔ぶが如く』第1巻「征韓論」、拙著『新聞への思い』、88頁)。

その内務省の大臣となった山県有朋(任期1885~90年)が、「憲法」公布前の明治20年に発布したのが、集会・結社の自由を規制していた「集会条例」を大幅に強化して、後の治安維持法を準備したといえる「保安条例」でした。

内務省がこの条例を拡大解釈することによって、民間で私擬憲法を検討する事も禁じていたことを考慮するならば、この条例は民主主義を否定するような形での「改憲」を目指す安倍政権が、なぜ国内だけでなく、国際社会からの強い批判にもかかわらず「共謀罪」を強行採決しようとしているかをも物語っているが分かるでしょう。

ISBN978-4-903174-33-4_xl

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年)

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「特定秘密保護法」強行採決への歩み(4)

戦車兵と戦争ーー司馬遼太郎の「軍神」観7月14日

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性7月14日

「改憲」の危険性と司馬遼太郎氏の「憲法」観7月19日

「特定秘密保護法」の危険性→「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)11月13日

「(国家そのものが)投網、かすみ網、建網、大謀網のようになっていた」→司馬遼太郎の「治安維持法」観11月14日

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」 11月24日

「司馬作品から学んだこと――新聞紙条例と現代」11月24日

改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」11月24日

司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代11月24日

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題  

司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概2013年12月6

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」12月7日

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規12月8日

「学問の自由」と「特定秘密保護法」――情報公開と国民の主権12月12日

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性12月18日

(山口県萩市の中央公園に立つ「山県有朋公像」、北村西制作、出典は「ウィキペディア」)

(2017年6月10日、改題し全面的に改定)

「表現の自由と情報へのアクセス」の権利と「差別とヘイトスピーチ」の問題――「特定秘密保護法」から「共謀罪」へ

現在、「共謀罪」の議論が国会で行われているが、6月2日の衆院法務委員会で金田法務大臣は、戦争に反対する人々を逮捕することを可能にした「治安維持法」を「適法」であったとし、さらに創価学会初代牧口会長も獄死するに至った「拘留・拘禁」などの「刑の執行も、適法に構成された裁判所によって言い渡された有罪判決に基づいて、適法に行われたものであって、違法があったとは認められません」 と答弁した。

一方、5月30日に最高裁は「サンデー毎日」(毎日新聞出版)が2014年10月5日号に掲載した「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」という記事を名誉毀損で訴えていた稲田朋美・防衛相の訴えが一審、二審判決につづいて稲田氏の上告を棄却する決定が出した。すなわち、稲田氏の資金管理団体「ともみ組」が2010年から12年のあいだに、ヘイトスピーチを繰り返していた「在特会」の有力会員や幹部など8人から計21万2000円の寄付を受けていたことを指摘したこの記事の正当性が最高裁でも認められたのである。

しかも、6月2日付の記事で「リテラ」が指摘しているように稲田氏は、〈元在特会事務局長の山本優美子氏が仕切る極右市民団体「なでしこアクション」が主催する集会に2012年に登壇しており、14年9月にはネオナチ団体代表とのツーショット写真の存在も発覚〉していた。それにもかかわらず、〈安倍首相は稲田氏をそれまでの自民党政調会長よりもさらに重い防衛相というポストにまで引き上げた。稲田氏と同じようにネオナチ団体代表と写真におさまっていた高市早苗総務相も据え置いたままである。〉

ヘイトスピーチ(写真の出典は「毎日新聞」)

なお、防衛相就任以前にも保守系雑誌などで「長期的には日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきではないでしょうか」「文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました」などと述べていた稲田氏が、最近も月刊誌「月刊Hanada」(7月号)に論文を寄稿して、「大東亜戦争」の意義を強調するような持論を展開していたことが判明した。

これらの人物を大臣に任命した安倍首相の責任はきわめて重たく、この問題は国連のデービッド・ケイ特別報告者の「対日調査報告書」ともかかわると思える。

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すでにみたようにピレイ国連人権高等弁務官は2013年に強行採決された「特定秘密保護法」について、12月2日にジュネーブで開かれた記者会見で「表現の自由と情報へのアクセスという二つの権利」に関わるこの法案については、人権高等弁務官事務所も注目しているが、「法案には明 確さが不十分な箇所があり、何が秘密かの要件が明確ではなく、政府が不都合な情報を秘密として特定できてしまう」と指摘し、次のように続けていた。

「政府および国会に、憲法や国際人権法で保障されている表現の自由と情報へのアクセスの権利の保障措置(セーフガード)を規定するまで、法案 を成立させないよう促したい」。

今回も「共謀罪」法案を衆議院で強行採決した日本政府に対して、国連人権高等弁務官事務所は、「メディアの独立性に懸念を示し、日本政府に対し、特定秘密保護法の改正と、政府が放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法四条の廃止を勧告した」、「対日調査報告書」を公表した。

一方、産経新聞によれば、高市早苗総務相は2日午前の閣議後の記者会見で、この「対日調査報告書」について「わが国の立場を丁寧に説明し、ケイ氏の求めに応じて説明文書を送り、事実把握をするよう求めていた。にもかかわらず、われわれの立場を反映していない報告書案を公表したのは大変、残念だ」と述べていた。

しかし、「言論と表現の自由」に関する調査のために来日した国連特別報告者・デービッド・ケイ氏が公式に面会を求めていたにもかかわらず、それを拒否していた高市早苗総務相がこのような形で国連特別報告者の「報告書」を非難することは、「日本会議」などの右派からは支持されても、国際社会の強い批判を浴びることになるだろう。

この意味で注目したいのは、5月31日に掲載された読売新聞の「報告書」では「差別とヘイトスピーチ」の項目もあるが、要旨が記された記事では略されており、日本政府の「反論書」要旨にもそれに対する反論は記されていないことである。そのことは「差別とヘイトスピーチ」にふれられることを安倍首相や閣僚が嫌っていることを物語っているようにも見える。

現在、国連と安倍内閣との間に生じている強い摩擦や齟齬は、「特定秘密保護法」案が強行採決された時から続いているものであり、今回の「勧告」は戦前の価値観を今も保持している「日本会議」系の議員を重用している安倍内閣の政権に対する強い不信感を物語っているだろう。

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「特定秘密保護法」強行採決への歩み(3)

私は憲法や法律、政治学などの専門家ではないが、主に専門のドストエフスキー作品の考察をとおして、強行採決された「特定秘密保護法」の問題点に迫った記事の題名とリンク先を挙げる。

なぜならば、「表現の自由と情報へのアクセスという二つの権利」が許されていなかったニコライ一世の治世下の「暗黒の30年」に、ドストエフスキーは作品を「イソップの言葉」を用いて書くことによって、「憲法」の発布や農奴制の廃止、言論の自由を強く求めていたからである。

彼の作品は戦時中にヒトラーの『わが闘争』を賛美していた文芸評論家・小林秀雄の解釈によって矮小化されたが、シベリアに流刑になった以降もさまざまな表現上の工夫をするとともに「虚構」という方法を用いて、重たい「事実」に迫ろうとしていた。

残念ながら、現在も文芸評論家の小林秀雄の影響が強い日本では、ドストエフスキーの作品を「父殺しの文学」と規定する刺激的な解釈をして「二枚舌」の作家と位置づけている小説家もいるが、それは作家ドストエフスキーだけでなく「文学」という学問をも侮辱していると思える。

ドストエフスキーの作品研究においても、「農奴の解放」や「裁判の公平」そして、「言論の自由」を求めていたドストエフスキーの姿勢もきちんと反映されねばならないだろう。

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 『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)

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「『地下室の手記』の現代性――後書きに代えて」(7月9日)

憲法96条の改正と「臣民」への転落ーー『坂の上の雲』と『戦争と平和』(7月16日)

TPPと幕末・明治初期の不平等条約(7月16日)

「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在(7月17日 )

「蟹工船」と『死の家の記録』――俳優座の「蟹工船」をみて(7月17日 )

「憲法」のない帝政ロシア司馬遼太郎の洞察力――『罪と罰』と 『竜馬がゆく』の現代性10月31日

ソ連の情報公開と「特定秘密保護法」→グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故(10月17日 )

現実の直視と事実からの逃走→「黒澤映画《夢》の構造と小林秀雄の『罪と罰』観」11月5日

小林秀雄のドストエフスキー観テキストからの逃走――小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」を中心に  

上からの近代化とナショナリズムの問題日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって11月8日

「特定秘密保護法案」に対する国際ペン会長の声明11月22日

「特定秘密保護法」の強行採決と日本の孤立化11月26日

(2017年6月3日、6月9日、11日、題名を変更し改訂、図版を追加)

「特定秘密保護法」強行採決への歩み(2)――チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の類似性

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

放射能汚染水の流出が発生していながら、その事故が隠蔽されたことによって参議院選挙に勝利した安倍自民党が、「国会」での十分な議論もなく進めたのが、核保有国のインドに対する原発の輸出交渉だった。

しかし、昭和49年日本の参議院はインドの地下核実験に対する抗議の決議を次のような文面で行っていた。

「本院は、わが国が唯一の被爆国であることにかんがみ、今日まであらゆる国の核実験に抗議し、反対する決議を行い、その禁止を強く要望してきた。  今回行われたインドの地下核実験は、たとえいかなる理由によるものにせよ、核実験競争を激化させ、ひいては人類滅亡の危機をもたらすものであつて、厳重に抗議するものである。  政府は、本院の主旨をたいし、すべての国の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用に反対し、全面的な禁止協定が締結されるよう努めるとともに、インド政府に対し、直ちに適切な措置を講ずべきである。 」

さらに1998年5月にインドとパキスタンが相次いで核実験を断行し、「ヒンドゥー核とイスラム核の悪夢」として世界を揺るがした際にも同様の抗議をインドとパキスタンに対して行っていた。

インドの地下核実験に抗議する決議(第142回国会):資料集:参議院

パキスタンの地下核実験に抗議する決議(第142回国会):資料集:参議院

これらの決議にもかかわらず安倍自民党が、核保有国のインドに原発を輸出しようとしていたことは、目先の利益にとらわれたこの政権が、2度に渡る被爆などの歴史的な重たい事実や「核実験競争を激化させ、ひいては人類滅亡の危機をもたらす」危険性にたいしては無関心であることを示しているだろう。

さらに、インドへの輸出によって将来日本の国民が蒙ることになる損害賠償の可能性を隠していたことは、福島第一原子力発電所の事故の責任の所在をも隠蔽することができる「特定秘密保護法」の制定にこの政権が動き出そうとしていた可能性すら示唆していたように思える。

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以下、安倍自民党の原発政策の危険性を考察したを考察した記事を掲げる。

チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の類似性「劇《石棺》から映画《夢》へ」(7月8日)

「映画《福島 生きものの記録》(岩崎監督)と黒澤映画《生きものの記録》」(7月11日)

「大地主義」と地球環境(8月1日 )

汚染水の深刻さと劇《石棺》(8月1日 )

汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(7月28日 )

原爆の危険性と原発の輸出2013年8月6日

「加害責任の反省」と「不戦の誓い」のない終戦記念日の式辞→終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ 8月15日

「汚染水流出事故」についての世界の報道機関の反応『はだしのゲン』の問題と「国際的な視野」の必要性8月27日

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機、写真は「ウィキペディア」より)

 

「特定秘密保護法」強行採決への歩み(1)――放射能汚染水の流出事故の隠蔽と2013年参議院選挙

昨日の記事で紹介したように、国連のデービッド・ケイ特別報告者は「対日調査報告書」を公表して、「メディアの独立性に懸念を示し、日本政府に対し、特定秘密保護法の改正と、政府が放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法四条の廃止を勧告した」(「共同通信」5月30日21時30分)。

法的な強制力を伴わないことから、日本ではこの「対日調査報告書」と「勧告」が軽く見られている傾向もあるように思われる。しかし、「特定秘密保護法」が2013年に強行採決された際には、日本新聞協会(会長・白石興二郎読売新聞グループ本社社長)も、「運用次第では憲法が保障する取材、報道の自由が制約されかねず、民主主義の根幹である国民の『知る権利』が損なわれる恐れがある」と指摘する声明を発表していた。

実際、それから4年経った現在、「読売新聞」は安倍首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」による獣医学部新設計画における安倍政権の教育行政の歪みが記されている文書がすべて「本物」であると証言した前川前文部次官のスキャンダルをリークした官邸からの情報を第一面に掲載した。このことは2013年に発表された日本新聞協会の声明がその後の「報道の自由」の変質を予見していたことを裏付けているだろう。

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この意味で注目したのは、2013年参議院選挙後の7月22日になって放射能汚染水の流出が発表されが、報道によれば「東電社長は3日前に把握」していたことが明らかになり、その後福島第一原発2号機のタービン建屋地下から延びるトレンチに事故発生当時とほぼ同じ高濃度の放射性セシウムが見つかったとの発表もされて、この事実の隠蔽に関わった社長を含む責任者の処分も発表されたことである。

海外における「放射能汚染水の流出事故」の報道については→『はだしのゲン』の問題と「国際的な視野」の必要性

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(2013年参議院選挙結果、©Monaneko – Jiji.com, NHK, asahi.com)

このことについてはブログ記事で言及するとともに、「日本人が眼をつぶっていても、いずれ事実は明らかになる」とも記した。→汚染水の流出と司馬氏の「報道」観2013年7月28日)

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しかし、ピレイ国連人権高等弁務官が12月2日にジュネーブで開かれた記者会見でこの法案の「成立を急ぐべきではない」と指摘していたにもかかわらず、安倍政権は「特定秘密保護法」を2013年12月6日に強行採決した。→国連人権高等弁務官、特定秘密保護法案に懸念 :日本経済新聞

「東京新聞」の「こちら特報部」は、「そもそも五輪招致段階のIOC総会で『汚染水は完全にコントロールされている』と事実に反するアピール」をした安倍首相が、「自らの責任も問われている福島原発事故も、五輪を機に『過去』のものにしたいようだ」と指摘した記事を発表したが、「特定秘密保護法」自体が原発事故の隠蔽に深く関わっていたと思える。

さらに、「報道の自由」特別報告者デビット・ケイ氏は「電波停止」発言を行いながら度重なる会見の要求を拒否していた高市総務大臣など、「日本会議」系の議員を重用している安倍内閣の政権の問題を指摘していた。

報道によれば、ケイ氏が「来月12日に人権理事会で調査報告について説明する予定」であることも同時に伝えられたが、このブログとツイッターでも時系列に沿って当時の記事をアップして「特定秘密保護法」から「共謀罪」への流れを追うことでこれらの法律の問題点を浮かび上がらせるようにしたい。

(2017年6月1日、改題して図版とリンク先を追加)

正岡子規の時代と現代(2)――「特定秘密保護法」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」(司馬遼太郎『翔ぶが如く』)

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民主党政権を倒した後で現政権が打ち出した「特定秘密保護法」が、軍事的な秘密だけでなく、沖縄問題などの外交的な秘密や原発問題の危険性、さらにはTPPをも隠蔽できるような性質を有していることが、次第に明確になってきました。司馬作品の研究者という視点から、倒幕後の日本の状況と比較しつつ、この法律の問題点をもう一度考えてみたいと思います。

国民に秘密裏に外国との交渉を進めた幕府を倒幕寸前までに追い詰めつつも「大政奉還」の案を出した理由について、司馬氏は『竜馬がゆく』において竜馬に、政権が変わっても今度は薩長が結んで別の独裁政権を樹立したのでは、革命を行った意味が失われると語らせて、明治初期の藩閥独裁政権の危険性を示唆していました。

実際、長編小説『歳月』(初出時の題名は『英雄たちの神話』)では佐賀の乱を起こして斬首されることになる江藤新平を主人公としていましたが、井上馨や山県有朋など長州閥の大官による汚職は、江藤たちの激しい怒りを呼んで西南戦争へと至るきっかけとなったのです。

そのような中、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通は、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立しよう」としました(第1巻「征韓論」、拙著『新聞への思い』、88頁)。

一方、政府の強権的な政策を批判して森有礼や福沢諭吉などによって創刊された『明六雑誌』は、「明治七年以来、毎月二回か三回発行されたが、初年度は毎号平均三千二百五部売れたという。明治初年の読書人口からいえば、驚異的な売れゆきといっていい。しかしながら、宮崎八郎が上京した明治八年夏には、この雑誌は早くも危機に在った」(第5巻「明治八年・東京」。『新聞への思い』、95~99頁)。

その理由を司馬氏はこう書いています。「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」。

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私は法律の専門家ではありませんが、この明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が、共産主義だけでなく宗教団体や自由主義などあらゆる政府批判を弾圧の対象とした昭和16年の治安維持法のさきがけとなったことは明らかだと思えます。

なぜならば、『翔ぶが如く』で『新聞紙条例』(讒謗律)の問題を深く掘り下げて司馬氏は、子規の死後養子である正岡忠三郎など大正時代に青春を過ごした人々を主人公とした長編小説『ひとびとの跫音』で、「学校教練」にも触れながら、大正14年に制定された最初の「治安維持法」について次のように厳しく規定していたからです。

国家そのものが「投網、かすみ網、建網、大謀網のようになっていた」/「人間が、鳥かけもののように人間に仕掛けられてとらえられるというのは、未開の闇のようなぶきみさとおかしみがある」。

いわゆる「司馬史観」論争が起きた際には司馬氏の歴史観に対しては、「『明るい明治』と『暗い昭和』という単純な二項対立史観」であり、「大正史」を欠落させているとの厳しい批判もありました。

しかし、『ひとびとの跫音』において司馬氏は、「言論の自由」を奪われて日中戦争から太平洋戦争へと続く苦難の時期を過ごした彼らの行動と苦悩、その原因をも淡々と描き出していたのです、

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『坂の上の雲』をとおしてナショナリズムの問題や近代兵器の悲惨さを描いた司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていました(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』)。

同じことは原発問題についてもいえるでしょう。近年中に巨大な地震に襲われることが分かっている日本では、本来、原発というものを建ててはいけないのだという「平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが必要でしょう。

戦争自体は体験しなかったものの病気を押して従軍記者となり、現地を自分の体と眼で体感した正岡子規が、『歌よみに与ふる書』で「歌は事実をよまなければならない」と記していました。この文章は『三四郎』を書くことになる親友の夏目漱石だけでなく司馬遼太郎氏の文明観にも強い影響を与えただろうと考えています。

何度も発行禁止の厳しい処罰を受けながらも、新聞『日本』の発行を続けた陸羯南や正岡子規など明治の新聞人の気概からは勇気を受け取りましたので、なんとか平成の人々にもそれを伝えたいと考えています。

(初出、2013年11月13日。改訂、2016年10月30日)

正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機

→人文書館のHPに掲載された「ブックレビュー」、『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』

正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機

 「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」(司馬遼太郎『翔ぶが如く』、文春文庫、第3巻「分裂」。拙著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』81頁)

isbn978-4-903174-33-4_xl装画:田主 誠/版画作品:『雲』

 

正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機

2013年11月13日のブログ記事で私は長編小説『翔ぶが如く』の上記の文章を引用して、「世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から『特定秘密保護法案』の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じる」と記しました。

その後の「安全保障関連法案」の強行採決から現在に至る安倍政権の手法は、薩長藩閥政権による独裁的な権力の成立と言論の弾圧にきわめて似ていると思われます。

たとえば、2013年12月6日の「東京新聞」(ネット版)は、「特定秘密保護法案が5日午後の参院国家安全保障特別委員会で、自民、公明両党の賛成多数により可決された」ことを伝え、〈官僚機構による「情報隠し」や国民の「知る権利」侵害が懸念される法案をめぐる与野党攻防は緊迫度を増した。〉と記していました。

「秘密保護法は党内で阻止する勇気が必要」、「党内議論がない総裁独裁が一番怖い」などの古賀誠元自民党幹事長の発言を掲載した翌日の「日刊 ゲンダイ」の文章を引用した私は、こう記しました。「現在の国会で圧倒的な議席を占める自民党や公明党の議員からも、これらの問題を指摘してさらなる慎重な審議を要求する声が出ても当然のように思えます。しかし、すでに自民党は『総裁』の『独裁』が確立し、与党内でも『言論の自由』が早くもなくなっているように見えます」。

そのことを裏付けるかのように日本の「報道の自由度」は一気に世界で72位まで落下し、今年10月25日の「東京新聞」は〈自民党は、党則で連続「2期6年」までと制限する総裁任期を「3期9年」に延長する方針を固めた〉ことを伝えています。

それゆえ、少し古い記事になりますが、明治の新聞人・正岡子規の視線をとおして、「特定秘密保護法案」や「安全保障関連法案」などの問題を、国内を二分した「西南戦争」から「日清・日露戦争」へと拡大していった明治時代における「教育勅語」や「新聞紙条例」と新聞報道などの問題を考察した記事を再掲します。

ただ、約3年前に書いた記事なので、関連する記事や新しい出来事などについての記述なども補った形で記すことにします。

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(目次

→人文書館のHPに掲載された「ブックレビュー」、新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』

安倍政権の危険性――日本の若者を「白蟻」視した歴史観の正当化

選挙が近づいてきました。

日本の今後を左右する重大な選挙になるので、少しでも発進力を高めるためにブログにツイッター・ボタンを追加しました。

自らを独裁者のように振る舞う安倍首相に「臣下」のように服従している現在の自公政権をなんとか代えるために非力ながら全力を尽くしたいと願っています。

読売新聞や産経新聞、さらにNHKなどのマスコミによって流される情報量に対抗するためにも、これからは同じことも繰り返すことで、安倍政権の危険性を訴えていかねばならないでしょう。

一昨年の総選挙に際して考えた標語とその説明のリンク先を再掲します。

〈若者よ 白蟻とならぬ 意思示せ〉

〈子や孫を 白蟻とさせるな わが世代〉

ここでことさらに「白蟻」という単語を用いたのは、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられ、戦後の歴史教育を見直す動きが始まった際に高く評価されたのが、「忠君愛国」的な視点から青年には「白蟻」のように勇敢に死ぬことを求めた徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』だったからです。

しかも蘇峰は、太平洋戦争の末期には「神祇を尊崇し、国体を維持」するとの誓約の下立ちあがった「神風連(じんぷうれん)の一挙」を、「大東亜聖戦」との関連で見れば「尊皇攘夷」を実行した彼らは「頑冥・固陋でなく、むしろ先見の明ありしといわねばならぬ」と記していました。

一方、『竜馬がゆく』において幕末の「神国思想は、明治になってからもなお脈々と生きつづけて熊本で神風連の騒ぎをおこし、国定国史教科書の史観」となったと記した司馬氏は、さらに「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していました(第三巻・「勝海舟」)。

そして、『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促していた司馬氏は、『坂の上の雲』を書き終えたあとでは「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いて、日露戦争の美化を厳しく批判していたのです。

徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』を高く評価して、日露戦争を「美化」する「変な酩酊者」たちによって支えられた現在の安倍政権にたいして司馬氏が存命ならば、きわめて厳しい批判を行ったことは確かだと思われます。

日本がさまざまな困難に直面している現在、「特定秘密保護法」や「戦争法」を強行採決して、国民の生命を危険にさらしている安倍政権には、早急な退陣をもとめねばならないでしょう。

(2016年5月20日。改題と加筆)

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)の目次を「著書・共著」に掲載

標記の拙著に関して昨年の10月に目次案を掲載しましたが、その後「秘密法・集団的自衛権」は「争点にならず」とした衆議院選挙が昨年末に行われ、その「公約」を裏切るような形で「安全保障関連法案」が提出されました。

「蟷螂の斧」とは知りつつもこの事態を「黙過」することはできずに、この法案の危険性を明らかにする記事を書き続けていました。そのため、6月27日に書いたブログ記事「新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚脱稿に向けて全力を集中する」と宣言したにもかかわらず、拙著の進展が大幅に遅れてしまい、読者の方々や人文書館の方々にはご心配をおかけしました。

ただ、「国会」や「憲法」を軽視して「報道」にも圧力をかけるような安倍政権の「独裁政治」を目の当たりにしたことで、今回の事態が「新聞紙条例」や「讒謗律」を発行し自分たちの意向に沿わない新聞には厳しい「発行停止処分」を下していた薩長藩閥政権ときわめて似ていることを痛感したことで、東京帝国大学を中退して新聞「日本」の記者となった正岡子規の生きた時代を実感することができました。

それゆえ、新著では明治維新以降の歴史を振り返ることにより、「戦争」や「憲法」と「報道」の問題との関わりをより掘り下げて、「安倍政治」の危険性を明らかにするだけでなく、「新聞記者」としての子規の生き方や漱石との友情にも注意を払うことで、若い人たちにも生きることの意義を感じてもらえるような著作にしたいと願っています。

目次に関しては微調整がまだ必要かも知れませんが、題名だけでなく構成もだいぶ改訂しましたので、新しい題名と目次案を「著書・共著」に掲載します。

リンク『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年

「安全保障関連法案」の危険性(4)――対談『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』

7月7日に書いた〈「安全保障関連法案」の危険性と小説『永遠の0(ゼロ)』の構造〉という記事では、6月25日に開催された「文化芸術懇話会」に講師として招かれた作家の百田直樹氏が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと発言したばかりでなく、現在の多くの住民は「周りは田んぼだらけだった」ところに、「飛行場の周りに行けば商売になるので住みだした」とも発言していたことが明らかになり、それまで謝罪を拒んでいた安倍首相が3日の「衆院特別委員会」で「心からおわび」との発言をしたことにふれて、こう記していました。

「心からおわび」という言葉が真心を込めて語られたのならば、このような「言論弾圧」的な発言も飛び出した「平和安全法制整備法案」の審議は、次の議会に延期するのが「情理」にかなった行動でしょう。

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しかし、安倍首相は10日の衆院平和安全法制特別委員会でも、「審議は深まった。決めるべき時には決めていただきたい」と答弁、15日の委員会での戦争法案強行採決をにおわせたのです。

このことを伝えた7月13日付けの『日刊ゲンダイ』は、2面で「採決を急ぐ理由は明らかで、審議をやればやるほど、議論が深まるどころか、ボロが出るのだ」と書き、そのような事例の一つとして民主党の辻元清美衆院議員との質疑応答を挙げています。

すなわち、これまで安倍首相は自衛隊が戦争に巻き込まれない根拠として「戦闘が起きれば、ただちに部隊の責任者の判断で一時中止、あるいは退避する」と繰り返していたのですが、辻元議員は『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)では、対談者の百田尚樹氏から「(そんなことは)国際社会では通用しませんね」と問われると、「(そんなことは)通用しません。そんな国とは活動したくないと思われて当然です」と語っていたことを質問で明らかにしたのです。

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『日刊ゲンダイ』はこの記事を「戦争法案のインチキ、ペテンは今や、誰の目にも明らかだ」と結んでいますが、このような安倍首相の言動からは、暴言で問題となる作家の百田氏は、首相の広報的な働きをしていたにすぎないように見えてきます。

2013年12月6日には世論の反撥がさらに高まるのを懸念した政府与党が、参院で審議が始まってわずか8日で「特定秘密保護法案」を参院特別委員会で強行採決していました。

今度もまた「国民」の反対が多い「安全保障関連法案」の危険性が議論をする中で明白になることを怖れた安倍首相が独裁的な権力をふるって、衆議院で多数を占める与党の自民・公明両党に強行採決させようとしているという構図が浮かび上がってくるのです。

 

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新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

昨日、「日本新聞博物館」で行われている「孤高の新聞『日本』――羯南、子規らの格闘」展に行ってきました。

チラシには企画展の主旨が格調高い文章で次のように記されています。

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1889(明治22)年に陸羯南(くが・かつなん)は新聞「日本」を創刊し、政府や政党など特定の勢力の宣伝機関紙ではない「独立新聞」の理念を掲げ、頻繁な発行停止処分にも屈することなく、政府を厳しく批判し、日本の針路を示し続けました。また、初めて新聞記者の「職分」を明確に提示し、新聞発行禁止・停止処分の廃止を求める記者連盟の先頭にも立ちました。

また、羯南の高い理想、人徳にひかれて日本新聞社には正岡子規ら大勢の俊英が集い、羯南亡き後、内外の主要新聞に散り、こんにちの新聞の基礎づくりに貢献しました。本企画展では、新聞「日本」の人々の、理想の新聞を追求した軌跡を200点を超す資料やパネルで紹介します。

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実際、1,新世代の記者たち、2,「日本」登場、3,新聞というベンチャー、4,子規と羯南、5,羯南を支えた人々、6,理念と経営のはざまで、7、再評価 の7つのコーナーから成る企画展はとても充実しており、「理想の新聞を追求した」新聞「日本」の軌跡を具体的に知ることができました。

ことに司馬作品の研究者である私にとっては、新聞『日本』の記者となる子規を主人公の一人とした長編小説『坂の上の雲』や『ひとびとの跫音』を書いただけでなく、産経新聞社の後輩で筑波大学の教授になった青木彰氏への手紙などで、「陸羯南と新聞『日本』の研究」の重要性を記していた司馬遼太郎氏の熱い思いを知ることが出来、たいへん有意義でした(なお、企画展は8月9日まで開催)。

また、常設展も幕末からの新聞の歴史が忠実に展示されており、「特定秘密保護法」の閣議決定以降、強い関心をもっていましたので、ことに治安維持法の成立から戦時統制下を経て敗戦に至る時期の新聞の状況が示されたコーナーからは現代の新聞の置かれている状況の厳しさも感じられました。

リンク→

「特定秘密保護法」と子規の『小日本』

「東京新聞」の「平和の俳句」と子規の『小日本』

ピケティ氏の『21世紀の資本』と正岡子規の貧富論

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それだけに帰宅してから見た下記のような内容のニュースには非常に驚かされました(引用は「東京新聞」デジタル版による)。

「安倍晋三首相に近い自民党若手議員の勉強会で、安全保障関連法案をめぐり報道機関に圧力をかけ、言論を封じようとする動きが出た」ばかりでなく、勉強会の講師を務めた作家の百田尚樹氏は「『沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない』などと述べた」。

この後でこのことを聞かれた百田氏は、ツイッターに「沖縄の二つの新聞社はつぶれたらいいのに、という発言は講演で言ったものではない。講演の後の質疑応答の雑談の中で、冗談として言ったものだ」などと弁解したようです。

このような無責任な記述は言論人としての氏の資質を正直に現しており、百田尚樹氏と共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を発行していた安倍首相の責任も問われなければならないでしょう。

今回の事態は「国会」や「憲法」を軽視する安倍政権が、「新聞紙条例」を発行して自分たちの意向に沿わない新聞には厳しい「発行停止処分」を下していた薩長藩閥政権ときわめて似ていることを物語っていると思えます。

この問題についてはより詳しく分析しなければならないとも感じていますが、今は新聞と憲法や戦争の問題を検閲の問題などの問題をとおしてきちんと検証するためにも、執筆中の拙著『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』の脱稿に向けて全力を集中することにします。

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リンク→『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「愛国」の手法