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05月

「予言的な」長編小説『罪と罰』と現代

(ヤースナヤ・ポリャーナでのトルストイ。出典は「ウィキペディア」)

ドストエフスキーとトルストイとは対立的に扱われることが多いのですが、日露戦争後にヤースナヤ・ポリャーナを訪れた徳冨蘆花から、ロシアの作家のうち誰を評価するかと尋ねられたトルストイは「ドストエフスキー」であると答え、『罪と罰』についても「甚佳甚佳(はなはだよし、はなはだよし)」と高く評価していました(徳冨蘆花「順禮紀行」)。

さらに、『破戒』と『罪と罰』の関係に言及していた評論家の木村毅は、『明治翻訳文学集』の「解説」で、『罪と罰』と『復活』の関係についてこう書いています。

「トルストイは、ドストイエフスキーを最高に評価し、殊に『罪と罰』を感歎して措かなかった。したがってその『復活』は、藤村の『破戒』ほど露骨でないが、『罪と罰』の影響を受けたこと掩い難く、(中略)女主人公のソーニャとカチューシャは同じく売笑婦で、最後にシベリヤに甦生するところ、同工異曲である。魯庵が『罪と罰』についで、『復活』の訳に心血を注いだのは、ひとつの系統を追うたものと云える。」

実際、『復活』翻訳連載の前日と前々日に「トルストイの『復活』を訳するに就き」との文章を載せた内田魯庵は、農奴の娘だったカチューシャと関係を持ちながら捨てて、裁判所で被告としての彼女と再会するまでは「良心の痛み」も感じなかった貴族ネフリュードフの甦生を描いたこの長編小説の意義を次のように記していました。

「社会の暗黒裡に潜める罪悪を解剖すると同時に不完全なる社会組織、強者のみに有利なる法律、誤りたる道徳等のために如何に無垢なる人心が汚され無辜なる良民が犠牲となるかを明らかにす」。

この文章はそのまま『罪と罰』の紹介としても通用するでしょう。しかも、ここで魯庵は「ラスコリニコフとネフリュードフ両主人公には、共通点があるとも無いとも見られる」と書いていましたが、農奴を殺し少女を自殺させても「良心」の痛みを感じなかったスヴィドリガイロフと貴族のネフリュードフと比較するならば類似性は顕著でしょう。

35700503570060(図版は「岩波文庫」より)。

『罪と罰』と『復活』との内的な関連に言及した木村の指摘は、領地では裁判権を与えられていたために自分を絶対的な権力者と考えて、民衆に対する犯罪をも平然と行っていた帝政ロシアの貴族たちの「良心観」の問題点にも鋭く迫っていたのです。

この意味で注目したいのは、この意味で注目したいのは、第五章で見るように森鷗外が小説『青年』において夏目漱石をモデルにした平田拊石に乃木希典の教育観を暗に批判させていたことです。そして、鷗外は大逆事件の後で書いた小説『沈黙の塔』において、鳥葬の習慣を持つ国の出来事として、そこでは社会主義ばかりでなく自然主義の小説など「危険な書物を読む奴」が殺されていると記し、さらに「危険なる洋書」を書いた作家としてトルストイとドストエフスキーの名前と作品を挙げていることです。

すなわち、『戦争と平和』では「えらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだ」と記されているので危険であり、ドストエフスキーも『罪と罰』で、「高利貸しの老婆」を殺す主人公を書いたから、「所有権を尊重していない。これも危険である」とされたと記しているのです。

ここではトルストイの『復活』については言及されていませんが、昭和七年に京都大学の滝川教授が「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」と題した講演を行うと翌年には著書『刑法読本』と『刑法講義』が発禁処分となったばかりでなく、休職処分にあったのです。

(なお、戦争で死刑を宣告された復員兵を主人公として映画化した長編小説『白痴』を昭和二六年に映画化することになる黒澤明監督は、終戦直後の昭和二一年に滝川教授をモデルの一人とした《わが青春に悔なし》を公開しています)。

そしてこの滝川事件は昭和一〇年の「天皇機関説事件」の先駆けとなり、復古的な価値観の復興を目指す「国体明徴運動」によって美濃部達吉の『憲法講義』も発禁処分となり、明治期から続いていた「立憲主義」が崩壊したのです。

この意味で注目したいのは、第一次世界大戦後に「ドイツの青年層が、自分たちにとってもっとも偉大な作家としてゲーテでもなければニーチェですらなく、ドストエフスキーを選んでいること」に注意を向けたドイツの作家・ヘルマン・ヘッセがドストエフスキーの作品を「ここ数年来ヨーロッパを内からも外からも呑み込んでいる解体と混沌を、これに先んじて映し出した予言的なものである」と指摘していたことです。

 実際、ポルフィーリイに「あの婆さんを殺しただけですんで、まだよかったですよ。もし別の理論を考えついておられたら、幾億倍も醜悪なことをしておられたかもしれないんだし」と語らせたドストエフスキーは、エピローグの「人類滅亡の悪夢」で「自己(国家・民族)の絶対化」の危険性を示していました。このことに留意するならば、ドストエフスキーの指摘は、危機の時代に超人思想を民族にまで拡大して、「文化を破壊する」民族と見なしたユダヤ民族の絶滅を示唆したヒトラーの出現をも予見していたとさえ思えます。

このように見てくる時、トルストイがドストエフスキーの作品を高く評価したのは、そこに「憲法」がなく権力者の横暴が看過されていた帝政ロシアの現実に絶望した主人公たちの苦悩だけでなく、制度や文明の問題も鋭く描き出す骨太の「文学」を見ていたからでしょう。

現在の日本ではこのような制度に絶望した主人公たちの過激な言動や心理に焦点があてられて解釈されることが多くなっていますが、それは厳しい検閲にもかかわらず自由や平等、生命の重要性などの「立憲主義」的な価値観の重要性を描いていたドストエフスキーの小説の根幹から目を逸らすことを意味します。

一方、黒船来航に揺れた幕末に国学者となった自分の父親をモデルとした長編小説『夜明け前』を昭和四年から断続的に連載し、昭和一〇年一〇月に完結した島崎藤村は、その翌月にロンドンの国際ペンクラブからの要請を受けて文学者たちが設立した「言論の自由を守る」日本ペンクラブの初代会長に就任していました。

こうして、北村透谷や島崎藤村など明治時代の文学者たちの視点で、トルストイの作品も視野に入れながら森鷗外が「危険なる洋書」と呼んだ『罪と罰』を詳しく読み直すことは、国会での証人喚問で「良心に従って」真実を述べると誓いながら高級官僚が公然と虚偽発言を繰り返すことがまかり通っている現代の日本で起きている「立憲主義」の危機の原因にも迫ることにもなるでしょう。

(2018年6月3日、加筆と改題。6月22日改訂、7月14日改題と更新)

権力者の横暴と「憲法」と「良心」の意義

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 (内田魯庵(1907年頃)、図版は「ウィキペディア」より)

「天皇機関説」事件で日本の「立憲主義」が崩壊する前年の昭和九年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で文芸評論家の小林秀雄は、「惟ふに超人主義の破滅とかキリスト教的愛への復帰とかいふ人口に膾炙したラスコオリニコフ解釈では到底明瞭にとき難い謎がある」と記し、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と断言していました(太字は引用者)。

しかし、「大改革の時代」に発表された長編小説『罪と罰』で注目したいのは、裁判制度の改革に関連して創設された司法取調官のポルフィーリイが、ラスコーリニコフに対して、「その他人を殺す権利を持っている人間、つまり《非凡人》というやつはたくさんいるのですかね」と問い質していたことです。

そして、「悪人」と見なした者を殺した人物の「良心はどうなりますか」という問いに「あなたには関係のないことでしょう」といらだたしげに返事したラスコーリニコフに対しては、「いや、なに、人道問題として」と続けて、「良心を持っている人間は、誤りを悟ったら、苦しめばいい。これがその男への罰ですよ」という答えを得ていました(三・五)。

 この返事に留意しながら読んでいくと本編の終わり近くには、「弱肉強食の思想」などの近代科学に影響されたラスコーリニコフの誤った過激な「良心」理解の問題を示唆するかのような、「良心の呵責が突然うずきだしたような具合だった」(六・一)と書かれている文章と出会うのです。

『罪と罰』では司法取調官のポルフィーリイとの白熱した議論や地主のスヴィドリガイロフとラスコーリニコフの妹・ドゥーニャとの会話だけでなく、他の登場人物たちの会話でもギリシャ語の「共知」に由来する「良心」という単語がしばしば語られています。

近代的な法制度を持つ国家や社会においては絶対的な権力を持つ王や皇帝の無法な命令や行為に対抗するためにも、権力者からの自立や言論の自由などでも重要な働きをしている「個人の良心」が重要視されているのです。

日本語には「恥」よりも強い語感を持つ「良心」という単語は日常語にはなっていませんが、この単語は近代の西欧だけでなくロシアでは名詞から派生した形容詞や副詞も用いられるなど、裁判の場だけでなく日常生活においても用いられています。

そして、「日本国憲法」では「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定められていますが、薩長藩閥政府との長い戦いを経て「憲法」が発布されるようになる時代を体験した内田魯庵も、この長編小説における「良心」の問題の重要性に気付いており、この長編小説の大きな筋の一つは「主人公ラスコーリニコフが人殺しの罪を犯して、それがだんだん良心を責められて自首するに到る経路」であると指摘していました。(「『罪と罰』を読める最初の感銘」、明治四五年)。

そして島崎藤村もドストエフスキーについて「その憐みの心があの宗教観ともなり、忍苦の生涯ともなり、貧しく虐げられたものの描写ともなり、『民衆の良心』への最後の道ともなったのだろう」と記していたのです(かな遣いは現代表記に改めた。『春を待ちつつ』、大正一四年)。

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(島崎藤村、出典は「ウィキペディア」。書影は「アマゾン」より)

この言葉も藤村の深い『罪と罰』理解の一端を示していると思えます。なぜならば、ラスコーリニコフを自首に導いた女性にソフィア(英知)という名前が与えられているからです。ドストエフスキーが自分の監獄体験を元に書いた『死の家の記録』において、「賢人たちのほうこそまだまだ民衆に学ばなければならないことが多い」と書いていたことを思い起こすとき、「教育らしい教育」を受けたことがないソフィア(愛称はソーニャ)が果たした役割はきわめて大きかったのです。

一方、正宗白鳥は「『破戒』と『罪と罰』とは表面に似てゐるところがあるだけで、本質は似ても似つかぬものである」と『自然主義文学盛衰史』で断言していました。しかし、「民衆の良心」という用語に注目して長編小説『破戒』を読み直すとき、使用される回数は多くないものの「良心」という単語を用いながら主人公の「良心の呵責」が描かれているこの長編小説が、表面的なレベルだけでなく、深い内面的なレベルでも『罪と罰』の内容を深く理解し受け継いでいることが感じられます。

すなわち、「非凡人の理論」を考え出して「高利貸しの老婆」の殺害を正当化していたラスコーリニコフの「良心」理解の誤りを多くの登場人物との対話だけでなく、彼の「夢」をとおして視覚的な形で示したドストエフスキーは、ソーニャの説得を受け入れたラスコーリニコフに広場で大地に接吻した後で自首をさせ、シベリアでは彼に「人類滅亡の悪夢」を見させていました。

 『破戒』において帝政ロシアで起きたユダヤ人に対する虐殺に言及していた島崎藤村も、自分の出自を隠してでも「立身出世」せよという父親の「戒め」に従っていた主人公の瀬川丑松が、「差別」の問題をなくそうと活動していた先輩・猪子蓮太郎の教えに背くことに「良心の呵責」を覚えて、猪子が暗殺されたあとで新たな道を歩み始めるまでを描き出したのです。

(2018年7月14日、改題と更新)

 

ドストエーフスキイの会総会と245回例会(報告者:泊野竜一氏)のご案内

ドストエーフスキイの会第49回総会と245回例会のご案内を「ニュースレター」(No.146)より転載します。

*   *   *  

 下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                          

日 時2018512日(土)午後1時30分~5時           

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   ℡03-3402-7854 

総会:午後130分から40分程度、終わり次第に例会

議題:活動・会計報告、運営体制、活動計画、予算案など

 例会報告者:泊野竜一 氏

題 目: 19世紀ヨーロッパ文学における沈黙する聞き手

   ホフマン、オドエフスキー、ドストエフスキーとの比較考察の試み                           

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:泊野竜一(とまりの りょういち

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程人文科学専攻ロシア語ロシア文化コース。研究テーマは、ドストエフスキー作品における対話表現としての長広舌と沈黙との問題、さらには19-20世紀ロシア文学における対話表現の問題の研究。2016年9月−2017年6月までモスクワ大学留学。具体的な研究内容として、ドストエフスキーの作品を中心として、その先駆となるもの、あるいは後継となるものとして、オドエフスキー、ゴーゴリ、アンドレーエフ、ガルシン、ブリューソフの作品を取り上げる。そして、それらの間での「分身」「狂気」「内的対話」の問題に取り組む予定。

 

245回例会報告要旨

19世紀ヨーロッパ文学における沈黙する聞き手ホフマン、オドエフスキー、ドストエフスキーとの比較考察の試み

2015年の225回例会では、ドストエフスキーが長編小説中、特に『カラマーゾフの兄弟』の《大審問官》で、一つの独特な対話表現を用いていると考えられること、それは、対話者の片方は長広舌を続け、もう片方は沈黙しそれを拝聴するという形式をもっていること、つまりこの対話は、見かけ上は、一方的なモノローグの様相を呈しているが、通常の相互通行の対話よりも、はるかに豊かな内的対話の表現となっていたのであったということについて発表した。

 しかしドストエフスキーに先行するE. T. A. ホフマンやV. F. オドエフスキーの作品にも《大審問官》の対話と少なくとも形式上は一致しているといえる対話が存在する。具体的にはまず、ホフマンの『砂男』に登場する学生のナターニエルとスパランツァーニ教授の令嬢オリンピアの対話が挙げられる。ナターニエルはふとしたことからスパランツァーニ教授の令嬢である美女オリンピアに恋をする。ところがオリンピアは教授の製作した自動人形であった。オリンピアは、彼女に恋したナターニエルの熱烈なアプローチに対してただ通り一遍の返答をすることしか出来ない。次に、オドエフスキーの〈ベートーベン晩年のカルテット〉に登場するベートーベンとその弟子のルイーザとの対話が挙げられる。〈ベートーベン晩年のカルテット〉は、若者たちが毎晩集まり、世を徹して語るという形式で書かれたオドエフスキーの額縁小説『ロシアン・ナイト』の第六夜で語られる物語である。この物語中でベートーベンはルイーザに対して芸術論を語るのであるが、ベートーベンの一弟子にすぎないルイーザは、ベートーベンの熱弁に対して一切返答することなく、ただひたすら彼の長広舌を拝聴しているのである。

 先行研究から、ドストエフスキーはホフマンやオドエフスキーからさまざまなかたちで影響を受けている作家であると考えられている。本発表では、長広舌を揮う話し手と、通常の対話では脇役としての役割を担うはずの、沈黙し長広舌を拝聴する聞き手という対話表現に注目する。これらの作品の対話の具体的な分析を行いつつ、《大審問官》との関連性について考察する。その上で、19世紀文学におけるこのような独特な対話表現の意義について検討していく。