高橋誠一郎 公式ホームページ

フィクションから事実へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(1)

フィクションから事実へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(1)

百田尚樹氏は『永遠の0(ゼロ)』の内容に関連して、「私は徹底して戦争を、特攻を否定している」と語っていました。この小説が読者の心に訴えかける力を持った一因は、「生命が大切」だと訴えた主人公・宮部久蔵の理念には、権力に幻惑されて「憎悪表現」を用いるようになる以前の百田氏の純真な思いが反映されていたからだと思われます。

それゆえ、今回は「生命が大切」というこの小説の主人公・宮部久蔵の理念を生かすためにはどうすべきなのかを、「臆病者」と題された第2章での長谷川の言葉を数回にわたって詳しく分析することで考えてみたいと思います。

*   *

戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だった長谷川は、開口一番に久蔵のことを「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」と決めつけ、さらに「奴はいつも逃げ回っていた。勝つことよりも己の命が助かることが奴の一番の望みだった」と語ります。

それに対して、「命が大切というのは、自然な感情だと思いますが?」と慶子が言うと長谷川は「それは女の感情だ」といい、「それはね、お嬢さん。平和な時代の考え方だよ」と続け、「みんながそういう考え方であれば、戦争なんか起きないと思います」という慶子の反論に対しては、小学生に諭すように次のように断言しているのです。

「人類の歴史は戦争の歴史だ。もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう…中略…だが誰も戦争をなくせない。今ここで戦争が必要悪であるかどうかをあんたと議論しても無意味だ。…中略…あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない。」

これに対して慶子は何も言えずに黙ってしまっていたのですが、祖父の「思い」を大切にするならば、「それは女の感情だ」と決めつけた長谷川に対してきちんした反論をすべきだったでしょう。以下に長谷川の特徴的な論理を3つほど抽出して問題点を明らかにすることにします。

*   *

「命が大切というのは、自然な感情」ではなく、「平和な時代の考え方だ」。

この論理の危険性については、『罪と罰』の読者には改めて繰り返す必要はないと思えますが「平和な時代」であれば、人を殺せば殺人罪に問われますが、戦時中では「敵を多く殺した者が英雄として讃えられ、勲章を与えられるのです。

それゆえ、古今のすぐれた政治家は、そのような「戦争の時代」にならないように叡智を働かせていたのです。

一方、〈武器輸出に支援金…安倍政権が「戦争できる日本」へ本格始動〉の見出しで「東京新聞は」、安倍政権が戦後の自民党政権でさえ制限していた「武器の輸出」に踏み切り、一気に軍事大国への道を進み始めていることを指摘しています。

「兵器を売ることで日本が世界に戦争の火だねをばらまいてしまうこと」になると指摘した埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏は、「日本は『死の商人』になってしまいます」との強い危惧を語っていたのです。

リンク→大河ドラマ《龍馬伝》と「武器輸出三原則」の見直し

*   *

前回は〈この小説のテーマは「約束」です。言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代の物語です〉との著者からのコメントに対して、読者からのコメントとして、次のような激しい言葉を記しました。

〈この小説のテーマは「詐欺」です。言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語です。〉

このとき私が想起していたのは小説『永遠の0(ゼロ)』の内容だけではなく、「大東亜共栄圏」の確立を目指して始めた「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」のことでした。

すでにこのブログでも何回か触れたように「満州国」などの実態は、それらの「美しいスローガン」とは正反対のものだったのです。

*   *

同じような響きは安倍政権が掲げる「積極的平和主義」からも聞き取れます。

語義からも感じられるように「積極的平和主義」という用語は、最初に唱えられた「平和学」の用法とは全く正反対の意味で用いられています。

すなわち、「ウィキペディア」によれば、【「積極的平和」は1942年、米国の法学者クインシー・ライトが消極的平和とセットで唱えたのが最初とされる。その後、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングは消極的平和を「戦争のない状態」、積極的平和を戦争がないだけではなく「貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態」と定義した。この定義が「積極的平和(主義)」の世界での一般的な解釈となって】おり、「日本でも平和学では20世紀から同様に解釈されて」いるとのことなのです。

つまり、「積極的平和主義」という用語からは、「攻撃は最大の防御」という用語と同じような危険な響きが感じられのです。

このように見てくるとき、「命が大切というのは、自然な感情」ではなく、「平和な時代の考え方だ」と決めつけた長谷川の考えは、「積極的平和主義」を謳う安倍政権の方向性を擁護する考えだったのです。

リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

リンク→百田尚樹氏の「ノンフィクション」観と安倍政治のフィクション性

(2016年3月9日。改題し、リンク先を追加)

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です