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百田尚樹氏の「ノンフィクション」観と安倍政治のフィクション性

百田尚樹氏の「ノンフィクション」観と安倍政治のフィクション性

百田氏は2014年11月にツイッターで、〈たかじん氏の娘が出版差し止め請求の裁判を起こしてきた。裁判となれば、今まで言わなかったこと、本には敢えて書かなかったいろんな証拠を、すべて法廷に提出する。一番おぞましい人間は誰か、真実はどこにあるか、すべて明らかになる。世間はびっくりするぞ。〉と記していました。

その百田氏がノンフィクションを謳った『殉愛』(百田尚樹/幻冬舎)の第9回口頭弁論が、3月2日に東京地裁で開かれたとのことです(「リテラ」3月3日)。

この裁判の模様を伝えた記事は、作者の証言からは「むしろ、百田氏自身の“ずさんな取材”の実態ばかりが露呈した」と記していましたが、3月5日には「リテラ」は次のように報じています。

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だが、百田氏は全く懲りていないらしい。4日に配信したメールマガジンで裁判報告をしているのだが、いきなりこう切り出したのだ。

〈その裁判は、私が書いた『殉愛』という小説に関係したものです。〉

え、小説!? この本は〈かつてない純愛ノンフィクション〉(『殉愛』帯の惹句)だったはずだが、小説だったの!? ……一応、百田氏はつづけて〈『殉愛』はやしきたかじん氏の最後の2年間を描いたノンフィクションです。〉とも書いているが、これは今後、「小説のつもり」とでも言い訳するための布石なのだろうか……。

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問題は、売るためには「事実」をも歪めて書くことも許されるという「ノンフィクション」観を持つ小説家の百田氏が、安倍政権によって、「事実」を報道することが求められている「公共放送」のNHKの経営委員に任命されていたことです。

このブログでは「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』」と題した一連の記事で、「この小説のテーマは「約束」です。 /言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代の物語です。」との「著者からのコメント」の付けられたこの小説の構造が、「オレオレ詐欺」の手法ときわめて似ていることを指摘し、「言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語」を美化したこの小説の「詐欺」性に注意を促してきました。

同じようなことは、『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)の共著者でもある安倍晋三氏の政治にも当てはまるでしょう、

百田氏の著作の「フィクション性」や関係者の人々への「誹謗」や「中傷」が焦点になっているこの裁判は、戦前の標語と同じように「威勢が良く」、「美しい」スローガンによって原発事故の「事実」から眼を逸らし、「アベノミクス」の負の側面を隠している安倍政治の危険性をも暴露するものになっていると感じます。

 リンク→百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

リンク→〈「昭和初期の別国」と『永遠の0(ゼロ)』〉関連記事一覧

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