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グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故(1988年)

グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故(1988年)

Chernobylreactor_1(←画像をクリックで拡大できます)

(4号炉の石棺、2006年。Carl Montgomery – Flickr)

ドストエフスキーの生誕175周年を記念して1996年にモスクワとペテルブルクで行われた国際会議の報告記事を探していたところ、1988年に研究例会で行った帰国報告の原稿を見つけました。

そこにはペレストロイカの状況だけではなく、ソ連の崩壊に至る一因としてのチェルノブイリ原発事故や2001年9月11日の米国同時多発テロ事件とも深く関わるアフガン戦争の問題についてもふれられていました。

福島第一原子力発電所事故による汚染水の流出が明らかになっている一方で、原子炉がどのような状態になっているのかも分からない中で、首相が「全体として制御されている」と断言している日本では、果たしてきちんと「情報公開」がなされているのかが不安になりますので、「グラースノスチとチェルノブイリ原発事故」という題名で報告の一部を再掲しておきます。

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今年は学生の引率として一ケ月半程ソ連に滞在し、現在進められているペレストロイカとグラースノスチ(情報公開)をかいま見たので、私のテーマとも関連し、東欧の諸国とも係わりがあると思われる民族問題を中心に現象的な側面から簡単な報告をしておきたい。

現象面で殊に目についたのは、モスクワの雰囲気が変ってきたということだ。たとえば赤の広場近くのゴーリキイ通りにインツーリストというホテルがあるが、その前には何軒ものペプシコーラの店が軒をつらね、客たちはパラソルの下のベンチでいこいながら談笑しているという西欧の国で見られるような光景がそこでも見られ、又それは単にこのホテルの前だけではなく、モスクワのあちこちの広場でこうした場面を見ることができた。そしてそれは最近協同組合形式の喫茶店やレストランがモスクワのあちこちに出来始めていることと相まって殊に外国人の旅行者には以前よりもはるかに住みやすくなったという印象を生みだしていた。

このような傾向はブレジネフの時代の停滞を打ち破り、経済を活性化させようとする試みであり、さらにはこれまでほとんどなかったサービスという概念(ソヴィエトに行くと驚かされるのは、買い物客ではなく店の売子が王様であることだ)を打ちたてるための働きをしていると言えるだろう。

そしてこのような経済の面での変革は文学や演劇の面とも深く連動している。というよりも文学の方がこのような変化を先取りし、個性と創造性の尊重を用意したと言った方がよいかもしれない。たとえばノーベル賞を受賞しながら長い間国内では発行されなかったパステルナークの長編小説、激しい革命の時期に愛と革命の間を揺れ動いた誠実な一知識人の生涯を描いた『ドクトル・ジバゴ』が雑誌に掲載されたのに続き、ザミャーチンの『われら』が掲載された。これは個性を全く奪われ、どんな個人的な会話も記録されるという未来の全体主義国家を舞台にした小説で、作者自身は「この小説は人類をおびやかしている二重の危険――機械の異常に発達した力と国家の異常に発達した力――に対する警告である」と語っているが訳者の川端香男里氏が説明しているように「アンチ・ユートピアというジャンルは、ソヴィエトにおいては社会主義に反する禁断のジャンルとされ」、この小説は「反ソ宣伝のもっとも悪質な代表的作品として、ソ連においては今日までいまだ陽の目を見ていな」かった。

今年の5月25日の「文学新聞」にはこの小説についての評がのり、そこで評者はこの小説がすべてのヨーロッパの言語で訳され出版されて多くの研究書を生む一方、ソ連では図書館の特別倉庫の金庫の中に完璧に閉じ込められていたことに注意をうながしながら「ついに長い間待たれていた芸術的に完成した作品で、ザミャーチンの最もすぐれた長編小説である『われら』の番が来た」としてこの小説が雑誌「ズナーミャー」誌上で二回にわたり五十万部出版されたことを紹介している。そしてこの小説『われら』が1922年に、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に先立って書かれオーウェルにも多くの影響を与えていることを確認しつつ、同時にこの小説と『カラマーゾフの兄弟』における人間の自由について論じた「大審問官」とのテーマの類似性を示して、ザミャーチンがドストエフスキーから影響を受けていることを指摘している。

ところでこのような個人的な面での個性や自由の見直しは、当然の事ながら民族意識の昂揚をもたらし民族自立を求める運動とも結びつくことになり、それは極端な場合にはアルメニア共和国とアゼルバイジャン共和国のように各民族間、共和国間の激しい対立や暴動をすら引き起すに至る。

このような共和国間の対立は、たとえばこれも多民族国家であるユーゴスラヴィアの場合には新聞にもたびたび報道されていたように顕著だが、それは一面言論の自由とも結びついていて、これまでソ連ではこのような問題が表面に出て来なかったのは様々な民族間の対立や矛盾が強引に押えつけられてきた結果にすぎなく、グラースノスチ(情報公開)の元ではこれまでたまってきた矛盾や問題点が次々と表面にでてこざるを得ないといえる。

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そのような例の一つが、ソ連軍がようやく撤退を始めたアフガンの問題である。これは主権国へ他の国が軍隊を派遣するということですでに法律的にも道義的にも問題なのだが、かりにそれを除外したとしても、ソ連にとってアフガン問題は単に対外問題としては片づけることの出来ない重要な内政上の民族問題として浮かび上ってくる。

というのも、始めソ連はアフガンに近隣の共和国から、アフガンに近い民族の兵士を送り、社会主義の正義によってアフガンの人々を説得させようとしたが、兵士達の内にはかえってイスラムの正義によって説得されてしまう者がでてきたからだ。

それにはいろいろな理由が考えられるが、その一つとしてソ連に住むイスラム教の人々には心の奥底に自分達は抑圧されているという意識があるように思える。というのもモスクワ市の紋章を元にしたバッチに関してロシア人の友人が興味深い事を語ってくれたからだ。

私達がモスクワに言って驚かされる事の一つにロシア人のバッチ好きがあり、土産物を売る店にはどこにも様々の大量のバッチがおいてあり、たとえばモスクワ大学のキオスクには二、三種類のモスクワ大のバッチを含めて、十数種類かのバッチが置かれ、その中に昔のモスクワ市の紋章を描いたバッチもある。それは、聖人ゲオルギーが竜あるいは蛇を殺しているという有名なイコン(宗教画)を元にしてデザインされたものなのだが、このバッチが販売され出た時に大変な論議が起きたというのである。それはイスラム教徒からの批判で、聖ゲオルギーに擬せられているのは正教徒のロシア人であり、蛇に擬せられているのはイスラム教徒であるというのだ。これは一見馬鹿らしいこじつけのようにも感じられるが、十字軍や露土戦争など政治的背景に目を向けるならばこういった不満もある程度理解できる。

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私達が今回訪れたリトアニアの首都ヴィリニュスでもそれ程激しい形ではないにせよ、民族意識の高まりは認められた。たとえば土曜日の見学でバスに乗っていた所、路上を旗をたなびかせた自家用車や後に旗をつんだバスなどが海の方向へと何台も何台も通り過ぎるのに気が付いたし、又ある場所では多くの生徒たちが道端に立って旗を振りながら、何かを叫んでいた。

同行のガイドに彼らは何をしているかと尋ねると、彼女はまず、この旗がリトアニア共和国の形式的な国旗ではなく、最近掲げることが許可されたソ連邦に加わる以前のリトアニアの旗であることに注意をうながし、さらにこれらの車はその旗を持ってバルト海へと向い、そこでバルト海の汚染に対する抗議運動をするのだと説明し、この日はリトアニア共和国の国民ばかりでなく、バルト三国の他の二国エストニア、ラトヴィアやポーランド、デンマーク等の国民さらにはレニングラードの市民等が一斉に手をつなぐのだとつけ加えた。

彼女の話で注目したいのは環境問題の件だが、この面では既にバイカル湖の汚染問題をめぐってシベリアの作家達が盛んに発言していたが、リトアニアで興味深かったのは、原子力発電所の問題だった。これまでソ連は公式的にはチェルノブィリの事故の後でも原発を廃止するという方向はとっていなかったように思う。ところが、ヴィリニュスで聞いた所によるとリトアニアには二基の原発が稼働中であり、さらに二基が建設される予定だったのが、一基は既に作らない事が決定し、残る一基についても、今議論が進められている最中だとのことであり、その理由として、リトアニアのエネルギー源としては二基だけで、充分であり、他の共和国に送るために危険を犯して原発をこれ以上作る必要はないというものだった。

ここにも民族の問題がからんできているが、その底を流れているのはエコロジー的な態度であり、自然と人間との関係の見直しであり、さらには自分の住む地域のことにかんしては上からの指示に単に従うだけではなく、自分達自身で考え、行動していかねばならないという草の根民主主義的な考えの芽ばえとその拡がりであると言えるだろう。

(東海大学「バルカン・小アジア研究会」で報告。公開、2014年11月22日。2016年10月30日、図版およびリンク先を追加)。

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