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トルストイ

自著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2019年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の書影とともに掲載されましたので転載致します。

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「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

若きドストエフスキーは帝政ロシアの政治体制に抗して、農奴解放や言論の自由、裁判制度の改革を訴えて逮捕され、一度は死刑の判決を受けていた。大逆事件の後でこのことに言及した夏目漱石をはじめ、内田魯庵や北村透谷、そして島崎藤村はその重みをよく理解していた。

本書では「教育勅語」渙発後の北村透谷や『文学界』の同人たちと徳富蘇峰の『国民之友』との激しい論争などをとおして、権力と自由の問題に肉薄していた『罪と罰』を読み解き、この長編小説の人物体系などを深く研究して権威主義的な価値観や差別の問題を描いた『破戒』の現代的な意義に迫った。

その一方で、「天皇機関説」事件で日本の「立憲主義」が崩壊する前年の1934年に著した『罪と罰』論で「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と主人公について解釈した小林秀雄の文学論の問題点を、彼の『破戒』論や『夜明け前』論を分析することで明らかにした。

さらに、徳富蘇峰の歴史観や英雄観との類似性に注目しながら小林秀雄の『我が闘争』の書評を分析することで、今も「評論の神様」と称賛されている彼の歴史認識の危険性も示唆した。本書が文学の意義を再認識するきっかけとなれば幸いである。

  高橋誠一郎(リベラルアーツ学群)

『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

はじめに 危機の時代と文学――『罪と罰』の受容と解釈の変容  

→あとがきに代えて   「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

新刊『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

(装丁:山田英春)

ISBN978-4-86520-031-7 C0098
四六判上製 本文縦組224頁
定価(本体2000円+税)
2019.02

→ http://www.seibunsha.net/books/ISBN978-4-86520-031-7.htm

〔青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解き、島崎藤村の『破戒』や『夜明け前』との関連に迫る。→  https://twitter.com/stakaha5/status/1087718612624764929

〔さらに、「教育勅語」渙発後の北村透谷たちの『文学界』と徳富蘇峰の『国民の友』との激しい論争などをとおして「立憲主義」が崩壊する過程を考察し、蘇峰の英雄観を受け継いだ小林秀雄の『罪と罰』論の危険性を明らかにする。→ https://twitter.com/stakaha5/status/1087720436148985856

 

目次

はじめに 危機の時代と文学――『罪と罰』の受容と解釈の変容   

 

第一章 「古代復帰の夢想」と「維新」という幻想――『夜明け前』を読み直す

はじめに 黒船来航の「うわさ」と「写生」という方法

一、幕末の「山林事件」と「古代復帰の夢想」

二、幕末の「神国思想」と「天誅」という名のテロ

三、裏切られた「革命」――「神武創業への復帰」と明治の「山林事件」

四、新政府の悪政と「国会開設」運動

五、「復古神道」の衰退と青山半蔵の狂死

 

第二章 一九世紀のグローバリズムと日露の近代化――ドストエフスキーと徳富蘇峰

はじめに 徳富蘇峰の『国民之友』と島崎藤村

一、人間の考察と「方法としての文学」

二、帝政ロシアの言論統制と『貧しき人々』の方法

三、「大改革」の時代と法制度の整備

四、ナポレオン三世の戦争観と英雄観

五、横井小楠の横死と徳富蘇峰

六、徳富蘇峰の『国民之友』とドストエフスキーの『時代』

 

第三章 透谷の『罪と罰』観と明治の「史観」論争――徳富蘇峰の影

はじめに 北村透谷と島崎藤村の出会いと死別

一、『罪と罰』の世界と北村透谷

二、「人生相渉論争」と「教育勅語」の渙発

三、「宗教と教育」論争と蘇峰の「忠君愛国」観

四、透谷の自殺とその反響

 

第四章 明治の『文学界』と『罪と罰』の受容の深化

はじめに 『文学界』と『国民之友』の廃刊と島崎藤村

一、樋口一葉と明治の『文学界』

二、『文学界』の蘇峰批判と徳冨蘆花

三、『罪と罰』における女性の描写と樋口一葉

四、正岡子規の文学観と島崎藤村――「虚構」という手法

五、日露戦争の時代と言論統制

 

第五章 『罪と罰』で『破戒』を読み解く――差別と「良心」の考察

はじめに 『罪と罰』の構造と『破戒』

一、「事実」の告白と隠蔽

二、郡視学と校長の教育観――「忠孝」についての演説と差別

三、丑松の父と猪子蓮太郎の価値観

四、「鬱蒼たる森林」の謎と植物学――ラズミーヒンと土屋銀之助の働き

五、「内部の生命」――政治家・高柳と瀬川丑松

六、『破戒』と『罪と罰』の結末

            

第六章 『罪と罰』の新解釈とよみがえる「神国思想」――徳富蘇峰から小林秀雄へ

はじめに 蘇峰の戦争観と文学観

一、漱石と鷗外の文学観と蘇峰の歴史観――『大正の青年と帝国の前途』

二、小林秀雄の『破戒』論と『罪と罰』論――「排除」という手法

三、小林秀雄の『夜明け前』論とよみがえる「神国思想」

四、書評『我が闘争』と『罪と罰』――「支配と服従」の考察

五、小林秀雄と堀田善衞――危機の時代と文学

あとがきに代えて   「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

初出一覧

参考文献

 

書評・紹介

(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

‘19.07.20 書評 『世界文学』129号(大木昭男氏)

‘19.06.30 書評 「長瀬隆のホームページ」(長瀬隆氏)新著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』に寄せて

‘19.04.06 書評 『図書新聞』04.13号(中山弘明氏)飛躍を恐れぬ闊達な「推論」の妙──「立憲主義」の孤塁を維持していく様相

      (成文社のHPより)

(2018年12月23日、改訂。2019年1月22日、カバーの写真を追加。2019年2月15日発行、7月29日、書評を追加)

新著の発行に向けて

 一ヵ月ほど前に目次案をアップしましたが、その後、何度も読み返す中でまだテーマが絞り切れていないことが判明しました。各章に大幅に手を入れた改訂版をアップし、旧版の「目次案」を廃棄しました。

 発行の時期は少し遅れるかも知れませんが、現在、日本が直面している困難な問題がより明確になったのではないかと思えます。専門外の方や若者にも分かり易く説得力のある本にしたいと考えていますので、もう少しお待ち下さい。(2018年6月22日)

 

目次案旧版。新版へのリンク先は本稿の文末参照)

〔青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解く〕

 

はじめに 

危機の時代と文学

→ 一、「国粋主義」の台頭と『罪と罰』の邦訳

 二、教育制度と「支配と服従」の心理――『破戒』から『夜明け前』へ

 

序章 一九世紀のグローバリズムと『罪と罰』

一、人間の考察と「方法としての文学」

二、帝政ロシアの言論統制と『貧しき人々』の方法

三、「大改革」の時代と法制度の整備

四、「正義の戦争」と「正義の犯罪」

 

第一章 「古代への復帰」と「維新」という幻想――『夜明け前』を読み直す

はじめに 黒船来航の「うわさ」と「写生」という方法

一、幕末の「山林事件」と「古代復帰の夢想」

二、幕末の「神国思想」と「天誅」という名のテロ

三、裏切られた「革命」――「神武創業への復帰」と明治の「山林事件」

四、新政府の悪政と「国会開設」運動

五、「復古神道」の衰退と半蔵の狂死

 

第二章 「『罪と罰』の殺人罪」と「教育と宗教」論争――徳富蘇峰の影

はじめに 徳富蘇峰の『国民之友』と『文学界』

一、『国民之友』とドストエフスキーの雑誌『時代』

二、北村透谷のトルストイ観と「『罪と罰』の殺人罪」

三、「教育勅語」の渙発と評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」

四、徳富蘇峰の『吉田松陰』と透谷の「忠君愛国」批判

五、透谷の死とその反響

 

第三章 明治の『文学界』と『罪と罰』の受容の深化――「虚構」という手法

はじめに 『文学界』と『国民之友』の廃刊――「立憲主義」の危機

一、民友社の透谷批判と『文学界』

二、樋口一葉の作品における女性への視線と『罪と罰』

三、正岡子規の文学観と島崎藤村

四、日露戦争の時代と『破戒』

 

第四章 『罪と罰』で『破戒』を読み解く――――教育制度と「差別」の考察

はじめに 『罪と罰』の構造と『破戒』の人物体系

一、「差別」の正当化と「良心」の問題――猪子蓮太郎とミリエル司教

二、郡視学と校長の教育観と「忠孝」についての演説

三、「功名を夢見る心」と「実に実に情ないという心地」――父親の価値観との対立

四、ラズミーヒンの働きと土屋銀之助の役割

五、二つの夢と蓮太郎の暗殺

六、『破戒』の結末と検閲の問題

            

第五章 「立憲主義」の崩壊――『罪と罰』の新解釈と「神国思想」

はじめに 「勝利の悲哀」

一、島崎藤村の『春』から夏目漱石の『三四郎』へ

二、森鷗外の『青年』と日露戦争後の「憲法」論争

三、小林秀雄の『破戒』論と『罪と罰』論

四、よみがえる「神国思想」と小林秀雄の『夜明け前』論

 

あとがきに代えて――「憲法」の危機と小林秀雄の『夜明け前』論

→ 一、小林秀雄の平田篤胤観と堀田善衛

→ 二、「神国思想」と司馬遼太郎の「別国」観

      (2018年7月14日、7月31日、8月18日、9月2日更新)

近刊『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

「予言的な」長編小説『罪と罰』と現代

(ヤースナヤ・ポリャーナでのトルストイ。出典は「ウィキペディア」)

ドストエフスキーとトルストイとは対立的に扱われることが多いのですが、日露戦争後にヤースナヤ・ポリャーナを訪れた徳冨蘆花から、ロシアの作家のうち誰を評価するかと尋ねられたトルストイは「ドストエフスキー」であると答え、『罪と罰』についても「甚佳甚佳(はなはだよし、はなはだよし)」と高く評価していました(徳冨蘆花「順禮紀行」)。

さらに、『破戒』と『罪と罰』の関係に言及していた評論家の木村毅は、『明治翻訳文学集』の「解説」で、『罪と罰』と『復活』の関係についてこう書いています。

「トルストイは、ドストイエフスキーを最高に評価し、殊に『罪と罰』を感歎して措かなかった。したがってその『復活』は、藤村の『破戒』ほど露骨でないが、『罪と罰』の影響を受けたこと掩い難く、(中略)女主人公のソーニャとカチューシャは同じく売笑婦で、最後にシベリヤに甦生するところ、同工異曲である。魯庵が『罪と罰』についで、『復活』の訳に心血を注いだのは、ひとつの系統を追うたものと云える。」

実際、『復活』翻訳連載の前日と前々日に「トルストイの『復活』を訳するに就き」との文章を載せた内田魯庵は、農奴の娘だったカチューシャと関係を持ちながら捨てて、裁判所で被告としての彼女と再会するまでは「良心の痛み」も感じなかった貴族ネフリュードフの甦生を描いたこの長編小説の意義を次のように記していました。

「社会の暗黒裡に潜める罪悪を解剖すると同時に不完全なる社会組織、強者のみに有利なる法律、誤りたる道徳等のために如何に無垢なる人心が汚され無辜なる良民が犠牲となるかを明らかにす」。

この文章はそのまま『罪と罰』の紹介としても通用するでしょう。しかも、ここで魯庵は「ラスコリニコフとネフリュードフ両主人公には、共通点があるとも無いとも見られる」と書いていましたが、農奴を殺し少女を自殺させても「良心」の痛みを感じなかったスヴィドリガイロフと貴族のネフリュードフと比較するならば類似性は顕著でしょう。

35700503570060(図版は「岩波文庫」より)。

『罪と罰』と『復活』との内的な関連に言及した木村の指摘は、領地では裁判権を与えられていたために自分を絶対的な権力者と考えて、民衆に対する犯罪をも平然と行っていた帝政ロシアの貴族たちの「良心観」の問題点にも鋭く迫っていたのです。

この意味で注目したいのは、この意味で注目したいのは、第五章で見るように森鷗外が小説『青年』において夏目漱石をモデルにした平田拊石に乃木希典の教育観を暗に批判させていたことです。そして、鷗外は大逆事件の後で書いた小説『沈黙の塔』において、鳥葬の習慣を持つ国の出来事として、そこでは社会主義ばかりでなく自然主義の小説など「危険な書物を読む奴」が殺されていると記し、さらに「危険なる洋書」を書いた作家としてトルストイとドストエフスキーの名前と作品を挙げていることです。

すなわち、『戦争と平和』では「えらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだ」と記されているので危険であり、ドストエフスキーも『罪と罰』で、「高利貸しの老婆」を殺す主人公を書いたから、「所有権を尊重していない。これも危険である」とされたと記しているのです。

ここではトルストイの『復活』については言及されていませんが、昭和七年に京都大学の滝川教授が「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」と題した講演を行うと翌年には著書『刑法読本』と『刑法講義』が発禁処分となったばかりでなく、休職処分にあったのです。

(なお、戦争で死刑を宣告された復員兵を主人公として映画化した長編小説『白痴』を昭和二六年に映画化することになる黒澤明監督は、終戦直後の昭和二一年に滝川教授をモデルの一人とした《わが青春に悔なし》を公開しています)。

そしてこの滝川事件は昭和一〇年の「天皇機関説事件」の先駆けとなり、復古的な価値観の復興を目指す「国体明徴運動」によって美濃部達吉の『憲法講義』も発禁処分となり、明治期から続いていた「立憲主義」が崩壊したのです。

この意味で注目したいのは、第一次世界大戦後に「ドイツの青年層が、自分たちにとってもっとも偉大な作家としてゲーテでもなければニーチェですらなく、ドストエフスキーを選んでいること」に注意を向けたドイツの作家・ヘルマン・ヘッセがドストエフスキーの作品を「ここ数年来ヨーロッパを内からも外からも呑み込んでいる解体と混沌を、これに先んじて映し出した予言的なものである」と指摘していたことです。

 実際、ポルフィーリイに「あの婆さんを殺しただけですんで、まだよかったですよ。もし別の理論を考えついておられたら、幾億倍も醜悪なことをしておられたかもしれないんだし」と語らせたドストエフスキーは、エピローグの「人類滅亡の悪夢」で「自己(国家・民族)の絶対化」の危険性を示していました。このことに留意するならば、ドストエフスキーの指摘は、危機の時代に超人思想を民族にまで拡大して、「文化を破壊する」民族と見なしたユダヤ民族の絶滅を示唆したヒトラーの出現をも予見していたとさえ思えます。

このように見てくる時、トルストイがドストエフスキーの作品を高く評価したのは、そこに「憲法」がなく権力者の横暴が看過されていた帝政ロシアの現実に絶望した主人公たちの苦悩だけでなく、制度や文明の問題も鋭く描き出す骨太の「文学」を見ていたからでしょう。

現在の日本ではこのような制度に絶望した主人公たちの過激な言動や心理に焦点があてられて解釈されることが多くなっていますが、それは厳しい検閲にもかかわらず自由や平等、生命の重要性などの「立憲主義」的な価値観の重要性を描いていたドストエフスキーの小説の根幹から目を逸らすことを意味します。

一方、黒船来航に揺れた幕末に国学者となった自分の父親をモデルとした長編小説『夜明け前』を昭和四年から断続的に連載し、昭和一〇年一〇月に完結した島崎藤村は、その翌月にロンドンの国際ペンクラブからの要請を受けて文学者たちが設立した「言論の自由を守る」日本ペンクラブの初代会長に就任していました。

こうして、北村透谷や島崎藤村など明治時代の文学者たちの視点で、トルストイの作品も視野に入れながら森鷗外が「危険なる洋書」と呼んだ『罪と罰』を詳しく読み直すことは、国会での証人喚問で「良心に従って」真実を述べると誓いながら高級官僚が公然と虚偽発言を繰り返すことがまかり通っている現代の日本で起きている「立憲主義」の危機の原因にも迫ることにもなるでしょう。

(2018年6月3日、加筆と改題。6月22日改訂、7月14日改題と更新)

小林秀雄の『罪と罰』論と島崎藤村の『破戒』

上海事変が勃発した一九三二(昭和七)年六月に書いた評論「現代文学の不安」で、「この絶望した詩人たちの最も傷ましい典型は芥川龍之介であつた。多くの批評家が、芥川氏を近代知識人の宿命を体現した人物として論じてゐる。私は誤りであると思ふ」と書いた文芸評論家の小林秀雄は、その一方でドストエフスキーについては「だが今、こん度こそは本当に彼を理解しなければならぬ時が来たらしい」と記しました〔『小林秀雄全集』〕。

しかし、二・二六事件が起きる二年前の一九三四年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で小林は、ラスコーリニコフの家族とマルメラードフの二つの家族の関係には注意を払わずに主観的に読み解き、「惟ふに超人主義の破滅とかキリスト教的愛への復帰とかいふ人口に膾炙したラスコオリニコフ解釈では到底明瞭にとき難い謎がある」との解釈を記したのです。

そして、小林は新自由主義的な経済理論で自分の行動を正当化する弁護士ルージンや司法取調官ポルフィーリイとの白熱した会話などを省いて「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と結論していました。

このような小林の解釈は、『罪と罰』では「マルメラードフと云う貴族の成れの果ての遺族が」「遂には乞食とまで成り下がる」という筋が、ラスコーリニコフの「良心」をめぐる筋と組み合わされていると指摘していた内田魯庵の『罪と罰』理解からは大きく後退しているように思えます。

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(書影は「アマゾン」より) (島崎藤村、図版は「ウィキペディア」より)

 この意味で注目したいのは、天皇機関説が攻撃されて「立憲主義」が崩壊することになる一九三五年に書いた「私小説論」で、ルソーだけでなくジイドやプルーストなどにも言及しながら「彼等の私小説の主人公などがどの様に己の実生活的意義を疑つてゐるにせよ、作者等の頭には個人と自然や社会との確然たる対決が存したのである」と書いた小林が、『罪と罰』の強い影響が指摘されていた島崎藤村の長編小説『破戒』をこう批判していたことです。

 

「藤村の『破戒』における革命も、秋声の『あらくれ』における爛熟も、主観的にはどのようなものだったにせよ、技法上の革命であり爛熟であったと形容するのが正しいのだ。私小説がいわゆる心境小説に通ずるゆえんもそこにある」。

日本の自然主義作家における「充分に社会化した『私』」の欠如を小林秀雄が指摘していることに注目するならば、長編小説『破戒』を「自然や社会との確然たる対決」を避けた作品であると見なしていたように見えます。

たしかに、長編小説『破戒』は差別されていた主人公の丑松が生徒に謝罪をしてアメリカに去るという形で終わります。しかし、そのように「社会との対決」を避けたように見える悲劇的な結末を描くことで、藤村は差別を助長している校長など権力者の実態を明確に描き出し得ているのです。

そのような長編小説『破戒』の方法は、厳しい検閲を強く意識しながら主人公に道化的な性格を与えることで、笑いと涙をとおして権力者の問題を浮き堀にした『貧しき人々』などドストエフスキーの初期作品の方法をも想起させます。

さらに、小林秀雄は「私小説論」で日本の自然主義文学を批判する一方で、「マルクシズム文学が輸入されるに至って、作家等の日常生活に対する反抗ははじめて決定的なものとなった」と書いていましたが、この記述からは独裁化した「薩長藩閥政府」との厳しい闘いをとおして明治時代に獲得した「立憲主義」の意義が浮かび上がってはこないのです。

Bungakukai(Meiji)

(創刊号の表紙。1893年1月から1898年1月まで発行。図版は「ウィキペディア」より)

これに対して島崎藤村は「自由民権運動」と深く関わり、『国民之友』の山路愛山や徳富蘇峰とも激しい論争を行った『文学界』の精神的なリーダー・北村透谷についてこう記していました。

「彼は私達と同時代にあつて、最も高く見、遠く見た人の一人だ。そして私達のために、早くもいろいろな支度をして置いて呉れたやうな気がする」。

実は、キリスト教の伝道者でもあった友人の山路愛山を「反動」と決めつけた透谷の評論「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」が『文学界』の第二号に掲載されたのは、「『罪と罰』の殺人罪」が『女学雑誌』に掲載された翌月のことだったのです。

「反動は愛山生を載せて走れり。而して今や愛山生は反動を載せて走らんとす。彼は『史論』と名(なづ)くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡(ひろ)めて、頻(しき)りに純文学の領地を襲はんとす」。

愛山の頼山陽論を「『史論』と名(なづ)くる鉄槌」と名付けた透谷の激しさには驚かされますが、頼山陽の「尊王攘夷思想」を讃えたこの史論に、現代風にいえば戦争を煽る危険なイデオロギーを透谷が見ていたためだと思われます。

なぜならば、「教育勅語」では臣民の忠孝が「国体の精華」とたたえられていることに注意を促した中国史の研究者小島毅氏は、朝廷から水戸藩に降った「攘夷を進めるようにとの密勅」を実行しようとしたのが「天狗党の乱」であり、その頃から「国体」という概念は「尊王攘夷」のイデオロギーとの強い結びつきも持つようになっていたからです。

つまり、北村透谷の評論「『罪と罰』の殺人罪」は「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」と深い内的な関係を有していたのです。

このように見てくる時、「教育勅語」の「忠孝」の理念を賛美する講演を行う一方で自分たちの利益のために、維新で達成されたはずの「四民平等」の理念を裏切り、差別を助長している校長など権力者の実態を明確に描き出していた長編小説『破戒』が、透谷の理念をも受け継いでいることも強く感じられます。

その長編小説『破戒』を弟子の森田草平に宛てた手紙で、「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也」と激賞していたのが夏目漱石でしたが、小林秀雄は「私小説論」で「鷗外と漱石とは、私小説運動と運命をともにしなかつた。彼等の抜群の教養は、恐らくわが国の自然主義小説の不具を洞察してゐたのである」と書いていました。

夏目漱石や正岡子規が重視した「写生」や「比較」という手法で、「古代復帰を夢みる」幕末の運動や明治における法律制度や自由民権運動にも注意を払いながら、明治の文学者たちによる『罪と罰』の受容を分析することによって、私たちはこの長編小説の現代的な意義にも迫ることができるでしょう。

(2018年4月24日、改訂。5月4日、改題)

高級官僚の「良心」観と小林秀雄の『罪と罰』解釈――佐川前長官の「証人喚問」を見て

 主な引用文献

島崎藤村『破戒』新潮文庫。

『小林秀雄全集』新潮社。    

「世界文学会」2017年度第4回研究会(発表者:大木昭男氏・高橋誠一郎)のご案内

夏目漱石生誕150年によせて「夏目漱石と世界文学」をテーマとした2017年度第4回研究会の案内が「世界文学会」のホームページに掲載されましたので、発表者の紹介も加えた形で転載します。

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日時:2017年7月22日(土)午後3時~5時45分

場所:中央大学駿河台記念会館 (千代田区神田駿河台3-11-5 TEL 03-3292-3111)

発表者:大木昭男氏(桜美林大学名誉教授)

題目:「ロシア文学と漱石」

発表者:高橋誠一郎(元東海大学教授)

題目:「夏目漱石と正岡子規の交友と作品の深まり」

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発表者紹介:大木昭男氏

1943年生まれ。早稲田大学大学院(露文学専攻)修了。世界文学会、日本比較文学会、国際啄木学会会員。1969年~2013年、桜美林大学にロシア語・ロシア文学担当教員として在職し、現在は桜美林大学名誉教授。主要著作:『現代ロシアの文学と社会』(中央大学出版部)、『漱石と「露西亜の小説」』(東洋書店)、『ロシア最後の農村派詩人─ワレンチン・ラスプーチンの文学』(群像社)他。

発表者紹介:高橋誠一郎

1949年生まれ。東海大学大学院文学研究科(文明研究専攻)修士課程修了。東海大学教授を経て、現在は桜美林大学非常勤講師。世界文学会、日本比較文学会、日本ロシア文学会などの会員。主要著作『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)、『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社)他。

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発表要旨「ロシア文学と漱石」

漱石は二年間の英国留学中(1900年10月~1902年12月)に西洋の書物を沢山購入して、幅広く文学研究に従事しておりました。本来は英文学者なので、蔵書目録を見ると英米文学の書物が大半ですが、ロシア文学(英訳本のほか、若干の独訳本と仏訳本)もかなり含まれております。ここでは、大正五年(1916年)の漱石の日記断片に記されている謎めいた言葉─「○Life 露西亜の小説を読んで自分と同じ事が書いてあるのに驚く。さうして只クリチカルの瞬間にうまく逃れたと逃れないとの相違である、といふ筋」という文言にある「露西亜の小説」とは一体何であったのかに焦点を当てて、漱石晩年の未完の大作『明暗』とトルストイの長編『アンナ・カレーニナ』とを比較考量してみたいと思います。

発表要旨「夏目漱石と正岡子規の交友と作品の深まり」

子規の短編「飯待つ間」と漱石の『吾輩は猫である』との比較を中心に、二人の交友と作品の深まりを次の順序で考察する。 1,子規の退寮事件と「不敬事件」 2,『三四郎』に記された憲法の発布と森文部大臣暗殺  3,子規の新聞『日本』入社と夏目漱石   4,子規の日清戦争従軍と反戦的新体詩  5,新聞『小日本』に掲載された北村透谷の追悼文と子規と島崎藤村の会見   6,ロンドンから漱石が知らせたトルストイ破門の記事と英国の新聞論   7、『吾輩は猫である』における苦沙弥先生の新体詩と日本版『イワンの馬鹿』   8、新聞『日本』への内田魯庵訳『復活』訳の連載  9、藤村が『破戒』で描いた学校行事での「教育勅語」朗読の場面   結語 「教育勅語」問題の現代性と子規と漱石の文学

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会場(中央大学駿河台記念会館)への案内図

案内図

JR中央・総武線/御茶ノ水駅下車、徒歩3分

東京メトロ丸ノ内線/御茶ノ水駅下車、徒歩6分

東京メトロ千代田線/新御茶ノ水駅下車(B1出口)、徒歩3分

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)のブックレビュー(2017年3月13日)を転載

『坂の上の雲』を材料に正岡子規の生涯を追い、

司馬遼太郎の魅力的な議論をコンパクトにまとめ、

分かりやすく読み解く。

 isbn978-4-903174-33-4_xl  装画:田主 誠/版画作品:『雲』

人文書館のHP・ブックレビューのページに木村敦夫・日本トルストイ協会理事の書評の抜粋が掲載されましたので、このHPでも紹介させて頂きます。

(人文書館のHPより) 新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」 

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正岡子規を太い経糸(たていと)、彼と親交のあった人々を細い経糸とし、 文明開化に浮かれ騒ぐ日本社会を緯糸(よこいと)として みごとなタペストリーに織り上げ、 明治期の日本の真の「姿」を再構築している。

木村敦夫

作者にとっては2冊目の『坂の上の雲』論である。本作では、「正岡子規を主人公として新聞『日本』を創刊した陸羯南(くがかつなん)との関わりや夏目漱石の友情をとおして」考察している。本書のタイトルに現れている通り、正岡子規論とは言え、新聞記者・正岡子規を通して語られる、日本全体はおろか、日露両国の比較考察さえも超えた、地球規模で俯瞰され提起される広い問題意識が、本書の特徴でもあり、醍醐味でもある。

作者が、読者の想像力を、読者の楽しみを刺激してくれるのは、それらの「ひと」にとどまらない。子規が生きた時代を、社会情勢を、日本に限らず、ヨーロッパ、ロシアをも視野に入れて活写し読み解いてくれている。

1889年、明治22年に議会主義と三権分立が明示された明治憲法が発布されたが、それに先立つ1882年、明治15年に山県有朋の意図のもと「軍人勅諭(ちょくゆ)」が出されていて、「民権」は制限された。その前年1881年、明治14年に明治政府は国会開設の詔勅を出している。「飴と鞭」政策なのかと思いきや、この「軍人勅諭」は反「民権」を全面に押し出している。明治政府にとって「国民」とは、法によって権利と義務を明解に規定するものというよりも、徴税、徴兵の対象というに過ぎなかったのである。さらに、この勅諭を盾に昭和期に「政治化した軍人が軍閥を作」り、明治憲法の精神を踏みにじり三権を超越する「統帥権」の存在を主張し始め、1945年、昭和20年の敗戦まで突っ走り、ついには「国家そのものを破壊する」にいたる。

といったように、作者は、司馬遼太郎の魅力的な議論をコンパクトにまとめ、分りやすく読み解いていく。本書は、正岡子規を狂言回しとした明治期の網羅的な歴史叙述の書だと言える。子規や漱石が身を置いていた社会情勢のみならず、文学、芸術にも読者の目を向けさせ、また、国内外の政治状況、日本の立場から見た国際情勢までも視野に入れさせてくれる。

作者の見識の高さ、洞察の鋭敏さ、視野の広さ、考察の柔軟さを物語るものだが、本書は、そしてまた作者、高橋誠一郎は、司馬遼太郎の作品を通して、司馬遼太郎の視線を通して正岡子規を見るという外枠を超えて、さまざまに読者の知的好奇心を刺激してくれる。

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木村敦夫(キムラ・アツオ、ロシア文学研究者。日本トルストイ協会理事。論文「トルストイの『復活』と島村抱月の『復活』」東京藝術大学音楽学部紀要など。)

『ユーラシア研究』(2017年、第55号、ユーラシア研究所編「書評」より部分的に抜粋)

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年〔目次と書評・紹介〕

トルストイ《戦争と平和》、NHK 総合で9月25日より放送

 

トルストイ《戦争と平和》、NHK 総合で9月25日より放送、毎週日曜日、夜11時

19世紀初頭のロシアは、ナポレオンによるロシアへの侵入とモスクワの占領という未曾有の危機を迎える。

長編小説『戦争と平和』はこのような中で真摯な生き方を模索する貴族の若者たちの思索や行動を通して貴族社会を活写するとともに、民衆の秘められた力や英知にも注意を注いで、当時のロシアの歴史を滔々とした流れの中で描きだし鮮烈な印象を読者に残す名作である。

現代の「戦争と平和」の問題を考える上でも参考になる。

トルストイ《戦争と平和》、BBC、2016年放送(全8回)

リンク →戦争と平和|NHK 総合 海外ドラマ

戦争と平和(2)「第2回」 若者たちの愛と葛藤を描く大型歴史ドラマ。大富豪となったピエールは、結婚を勧められる。一報、栄誉を求めて戦場に赴いたアンドレイは…。

2016年10月2日(日) 午後11時00分~11時46分(2)「第2回」

2016年10月9日(日) 午後11時00分~11時46分(3)「第3回」

2016年10月16日(日) 午後11時00分~11時45分(4)「第4回」

2016年10月23日(日) 午後11時00分~11時45分(5)「第5回」

2016年10月30日(日) 午後11時00分~11時45分(6)「第6回」

2016年11月6日(日) 午後11時00分~11時45分(7)「第7回」

2016年11月13日(日) 午後11時00分~11時45分(8)[終]

9月25日「第1回」

 1805年、ロシア・サンクトペテルブルクの貴族社会ではナポレオンがロシアに侵攻するのではないかとの懸念が広がっていた。そんな中、大富豪の伯爵の息子ピエールは友人と酒を飲んでは騒ぐ日々を送っていた。しかし、父が危篤との知らせを受け、モスクワへと向かう。一方、ピエールの親友で品行方正なアンドレイは生き方を模索していた。身重の妻を残し、軍人としてフランス軍と戦うことを決意する。
→ 「ロシア文学研究」

日露戦争の勝利から太平洋戦争へ(2)――「勝利の悲哀」と「玉砕の美化」

前回は「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析して、教育の問題にも注意を促した司馬遼太郎氏の記述を紹介したあとで、次のように結んでいました。

〈「歴史的な事実」ではなく、「情念を重視」した教育が続けば、アメリカに対する不満も潜在化しているので、今度は20年を経ずして日本が「一億玉砕」を謳いながら「報復の権利」をたてにアメリカとの戦争に踏み切る危険性さえあるように思われるのです。〉

この結論を唐突なように感じる読者もいると思われますが、1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、作家の林房雄は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」と「一億玉砕」を美化するような発言をしていたのです。

しかも、この鼎談でナポレオンを英雄としたばかりでなく、ヒトラーも「小英雄」と呼んで「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語った評論家の小林秀雄は、「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」という林の問いかけに「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と無責任な発言をしていました(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

『白痴』など多くの長編小説でドストエフスキーが「自殺」の問題を取り上げて厳しく批判していたことに留意するならば、当時からドストエフスキー論の権威と認められていた評論家の小林秀雄は、「玉砕」を美化するような林房雄の発言をきびしく批判すべきだったと思われます。しかし、鼎談では林のこのような発言に対する批判はなく、敗戦間際になると大本営発表などで「玉砕」と表現された部隊の全滅が相次いだのです。

(2016年4月30日。一部、削除)

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前回の論考の副題を「勝利の悲哀」としたのは、日露戦争が始まった時にはトルストイの反戦論「爾曹(なんじら)悔改めよ」に共感しなかった徳富蘆花が、戦後には近代戦争としての日露戦争の悲惨さやナショナリズムの問題に気づいて、終戦の翌年の明治三九年にロシアを訪れて、ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイのもとで五日間を過ごし散策や水泳を共にしながら、宗教・教育・哲学など様々な問題を論じた徳富蘆花が1906(明治39)年12月に第一高等学校で「勝利の悲哀」と題して講演していたからです。

リンク→『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)。

トルストイは蘆花に対して欧米を「腐朽せむとする皮相文明」と呼びながら、力によって「野蛮」を征服しようとする英国などを厳しく批判する一方で、墨子の「非戦論」を高く評価し、日本やロシアなどには「人生の真義を知り人間の実生活をなす」という「特有の使命」があると指摘していました。

蘆花も「勝利の悲哀」において、ナポレオンとの「祖国戦争」に勝利した後で内政をおろそかにして「諸国民の解放戦争」に参加した帝政ロシアをエピローグで批判していた長編小説『戦争と平和』を強く意識しながら、ロシアに侵攻して眼下にモスクワを見下ろして勝利の喜びを感じたはずのナポレオンがほどなくして没落したことや、さらに児玉源太郎将軍が二二万もの同胞を戦場で死傷させてしまったことに悩み急死したことにふれて、戦争の勝利にわく日本が慢心することを厳しく諫めていたのです。

そして、蘆花は日本の独立が「十何師団の陸軍と幾十万噸(トン)の海軍と云々の同盟とによつて維持せらるる」ならば、それは「実に愍(あは)れなる独立」であると批判し、言葉をついで「一歩を誤らば、爾が戦勝は即ち亡国の始とならん、而して世界未曾有の人種的大戦乱の原とならん」と強い危機感を表明して、「日本国民、悔改めよ」と結んでいました。

ここでは詳しく考察する余裕はありませんが、司馬氏は『坂の上の雲』を執筆中の昭和47年5月に書いた「あとがき五」で、幸徳秋水が死刑に処された時に行った徳冨蘆花の「謀反論」にふれて、蘆花は「国家が国民に対する検察機関になっていくことを嫌悪」したと書き、蘆花にとっては父や「父の代理的存在である兄蘇峰」が「明治国家というものの重量感とかさなっているような実感があったようにおもわれる」と書いていました。

しかも、『坂の上の雲』では旅順の激戦における「白襷隊(しろだすきたい」の「突撃」が描かれる前に南山の激戦での日本軍の攻撃が次のように描かれていました。

「歩兵は途中砲煙をくぐり、砲火に粉砕されながら、ようやく生き残りがそこまで接近すると緻密な火網(かもう)を構成している敵の機関銃が、前後左右から猛射してきて、虫のように殺されてしまう。それでも、日本軍は勇敢なのか忠実なのか、前進しかしらぬ生きもののようにこのロシア陣地の火網のなかに入ってくる」。

この記述に注目するならば、司馬氏がくりかえし突撃の場面を描いているのは、「国家」と「公」のために自らの死をも怖れなかった明治の庶民の勇敢さや気概を描くためではなく、かれらの悲劇をとおして、「神州不滅の思想」や「自殺戦術とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学」を広めた日露戦争後の日本社会の問題を根源的に反省するためだったと思えます。

「忠君愛国」の思想を唱えるようになった徳富蘇峰は、第一次世界大戦の時期に書いた『大正の青年と帝国の前途』においては、白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても、白蟻が「先頭から順次に其中に飛び込み」、その死骸でそれを埋め尽し、こうして「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」として、集団のためには自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを讃えるようになっていたのです。

前回もふれたように「『坂の上の雲』を書き終えて」というエッセイで司馬氏は、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判していました(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。

司馬氏が「“雑貨屋”の帝国主義」で、「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦」までの40年を「異胎」の時代と名付けたとき、「日本国民、悔改めよ」と結んでいた蘆花の講演「勝利の悲哀」ばかりでなく、「玉砕」を美化した蘇峰の思想をも強く意識していたことはたしかでであるように思われます。

(2016年4月30日。一部、削除)

トルストイ『ホルストメール』とトフストノーゴフの劇《ある馬の物語》

「グローバリゼーション」の強大な圧力下にますます状況が悪化している派遣社員などの問題を扱った〈「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在〉という記事を2013年7月17日に掲載しました。→ http://www.stakaha.com/?p=1190

それからほぼ3年が経ちましたが、現在の日本は「国民」の生命や安全、財産にも深く関わるTPPの資料が、選挙で選ばれた国会議員の集まる「国会」に、ほとんど黒塗りにされて提出されたという「国民」が馬鹿にされるような事態に至っています。

それにもかかわらず、新聞やテレビなどのマスコミがほとんど報じないという安倍政権下の日本の現状は、情報公開が行われていなかったソ連だけでなく、厳しい検閲下におかれて「農奴制」をも是認していた帝政ロシアの言論状況とさえも似ているように思われます。

それゆえ、今回は「見ることと演じること」の第五回で論じた、すぐれた才能を持ちながらもまだらの馬だったために馬鹿にされ、こき使われた馬の一生を描いたトルストイの『ホルストメール』を劇化した《ある馬の物語》の劇評の箇所を掲載することにします。

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劇場という限られた空間内での出来事ではあるにせよ、劇は想像の力を借りて舞台に一つの世界を作り挙げる。たとえてみればそれは、世界の箱庭のようなものかもしれない。しかし、読書とは異なり、舞台には耳で聞き目で確かめられる世界が厳然として存在し、観客は客席の多くの人々と共に舞台で起きる様々な出来事を目撃し体験できるのである。それは幻想のように数刻の後には消え去る。しかしすぐれた劇は描き出した一つの世界を確実に観客の心の中に残す。

去年はモスクワ芸術座とレニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場というソヴィエトを代表するような二つの劇団がそれぞれ三つの劇をたずさえて相次いで客演したが、私には殊に伝説的な劇『白痴』の演出家であるトフストノーゴフに率いられ、すでに世評の高い『ある馬の物語』と『ワーニャ伯父さん』の二本の他に話題作『アマデウス』を携えて来日したボリショイ・ドラマ劇場がどのような世界を作り出すのかに興味が持たれた。三つの劇はそれぞれ私に強い印象を残したが、わけても心に残ったのが『ある馬の物語』であった

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舞台は馬をつなぐ杭となる棒が数本立っているだけの簡素なものだったが(美術・コチェルギーン)、そこに綱が張られるだけで牝馬と牡馬を区別する馬小屋となり、あるいは競馬場ともなった。さらに馬を演じた役者たちは馬の形態をまねることなくその手に持ったしっぽ状の布切れを持つだけで馬になり切っていた。

トフストノーゴフはここで象徴的な事物の提示だけで細かい写実を捨て去り、残りを観客の想像力にゆだねることによって、より大きな舞台空間を創り出し得ているのだ。彼の演出は、小石やがらくたとも心を通わし得て、共通の世界を持ち得た子供の頃の想像力の拡がりと自由さを観客に与えている。

確かに『オペラ座の怪人』などの最近の劇には感嘆させられるような舞台芸術も少なくないが、しかしそれは言わば豪華なレストランでの食事のようなものに思える。一方、トフストノーゴフの演出は大自然の中での食事のように川のせせらぎが聞こえ、風の流れが感じられるのだ。

それと共にこの劇をきわ立たせるものとして馬の叫び声を挙げておきたい。

全体に、この劇ではすべての要素がお互いに支えあいながら、主題を盛り上げていたのである。トルストイの名作はトフストノーゴフという優れた演出家とレーベジェフという名優を得て、形を与えられその姿を示したと言えるだろう

ホルストメールの無邪気な鳴き声と若い牡馬としてのいななき、絶叫と心をかきむしるような悲しみの声、若い牝馬たちの性への渇望、人間として演じられたらあまりにも生々しいそれらの声は、馬の声ということで抵抗なく観客の中に入り込み、馬たちの荒々しい生の喜びと悲しみを伝え得ていた。

だが、トフストノーゴフと言えどもまだらの馬ホルストメールを演じた俳優レーベジェフなくしてはこの劇を作り得なかっただろう。劇が始まるとレーベジェフは生まれたばかりの仔馬ホルストメールが蝶とたわむれる演技で観客の心を奪ってしまう。観客はそれ以降、彼の身に振りかかる出来事に一喜一憂する――去勢される場面では身を切られるような痛みを覚え、彼が公爵に見出されて競馬に出場し一等になると我が事のように嬉しくなる。

だからホルストメールが「(人間の世界では)なるべく多くの者に『私の』という言葉をつけて言える人が幸せだということになっている。…中略…人間は良い事をしようという目的で人生を過していない。自分の物を増やそうとしているだけだ。人間と馬の違いはそこなんだ。我々の方が数段人間よりも上だ」と言う時、苦い思いを味わいながら考え込まされてしまうのである

『ある馬の物語』は1886年に発表されたトルストイの『ホルストメール』の劇化であり、すぐれた才能を持ちながらも、まだら馬だったために他の馬から馬鹿にされ、さらには去勢されてこきつかわれたあげく廃馬として殺される馬の一生が、五人編成のジプシー楽団の音楽の流れに乗って見事に描かれていた。

〈同人誌『人間の場から』(第14号、1989年)に掲載された初出時の題名は、「見ることと演じること(五)」である。再掲に際しては文体レベルの簡単な改訂を行った〉。