高橋誠一郎 公式ホームページ

「第五福竜丸」

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の「あとがき」を掲載

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あとがき

本書の発行に向けての思いをブログに記したのは、今年の六月二一日のことだった。七月一〇日に投開票が行われることになった参議院議員選挙が「改憲」の問題点が隠されたままで行われようとしていただけでなく、「原子力規制委員会が『四〇年廃炉』の原則をなし崩しにして、老朽原発に初の延長認可を出した」との報道に強い危機感を覚えたからである。

広島や長崎への原爆の投下や「第五福竜丸」の悲劇の後で原発の推進を進めた自民党の政策の破綻が明らかになったのが福島第一原子力発電所の大事故で、それは「徹底した人命軽視の思想」に基づいて戦争を遂行した「参謀本部」が、ミッドウェー海戦やガダルカナルの戦いに負けたのと同じような事態であると考えていた。

それにもかかわらず原発の稼働や推進を続けることは、すでに時代遅れとなった「大艦巨砲主義」によって建造された戦艦大和の力や、元寇の時に吹いたとされる「神風」のような奇跡が起こることを信じて、「一億玉砕」となるまで戦争を続けようとしたのと同じ間違いを繰り返すことになる危険性が高いと思われたのである。

幸い、原発の再稼働が焦点となった新潟県の知事選挙で脱原発派の米山隆一氏が、原子力ムラや安倍政権の恫喝に近い圧力にもかかわらず当初の予想を覆して圧勝した。さらに、一〇月二二日の朝日新聞・デジタル版は、ドイツなど西欧に続いて台湾政府が「脱原発」の閣議決定をしたと伝えている。

日本では安倍政権の厳しい情報統制や「原発プロパガンダ」にまだ多くの国民が惑わされているが、「フクシマ」の大事故の際には首都圏も被爆する可能性があったことが多くの関係者の証言から明らかになっている。原発の立地県とその周辺だけでなく、大阪や東京など大都市の住民も、原発の危険性だけでなく核の汚染物質の廃棄場所や廃炉にかかる費用などの問題を隠蔽している安倍政権の実態にそろそろ目覚めるべき時だろう。

映画などポピュラー文化との関係をとおして原爆や原発などの問題や歴史認識の問題を考察するという新しい試みでもあったので、本書の執筆は思った以上に難航したが、なんとか異なるテーマを扱った三部を有機的に結び付けることには成功したのではないかと考えている。

第一部は黒澤明監督の映画《夢》と本多猪四郎監督の映画《ゴジラ》との関係を中心にホームページに五回にわたって考察したブログ記事「映画《ゴジラ》考」をもとに、『黒澤明研究会誌』第三二号に発表した論考を大幅に加筆したものである。当初は「ゴジラ」の変貌に焦点をあてた映画論にしようと考えていたが、ポピュラー文化をも視野に入れながら「日本人の核意識」の変遷を考察した関連の書物を読み返す中で、文明論的な視点から「ゴジラ」の変貌を考察してみたいと思うようになった。ソ連やアメリカの映画や日露関係などにも言及したことにより、核の問題をより深く考えることができたと思う。

第二部は「オレオレ詐欺の手法と『永遠の0(ゼロ)』」という題でブログに連載した記事を全面的に書き直したものである。ブログでは宮部久蔵の孫・健太郎を作者の分身として解釈していたが、改訂版では最初の内は「臆病者」と非難された実の祖父の汚名を晴らそうとした健太郎が、取材を続ける中で次第に取り込まれて後半では積極的に作者の思想を広めるようになる若者として解釈した。

このことにより登場人物たちの人間関係や思想的背景にも迫ることができ、作者が証言者たちに語らせている歴史観が「日本会議」や「新しい歴史教科書をつくる会」の論客たちの歴史認識ときわめて似ていることを明らかにしえたのではないかと考えている。たとえば、作者は「一部上場企業の社長」であった武田に、新聞記者の高山を激しく批判させる一方で徳富蘇峰を高く評価させているが、蘇峰は『大正の青年と帝国の前途』において、「君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるもの」を献げるという精神の重要性を説いていた。このことに留意するならば、このような蘇峰の「忠君愛国」の思想こそが日本軍の「徹底した人命軽視の思想」に直結していると思われるのである。『永遠の0(ゼロ)』を詳しく分析することで、地震や火山の活動が活発化している日本で原発の再稼働を進める安倍政権の多くの閣僚が、戦前と同じような「徹底した人命軽視の思想」の持ち主であることをも浮き彫りにすることができだろう。

第三部も宮崎駿監督の映画《紅の豚》と《風立ちぬ》ついての感想を記したブログ記事を中心にまとめるつもりであったが、第一部や第二部での考察の対象が広がり、分析が深まったことにより、黒澤明監督の映画《七人の侍》から映画《夢》にいたる流れと比較しながら、《風の谷のナウシカ》から《もののけ姫》を経て映画《風立ちぬ》にいたる深まりを考察することになった。

私にとって思いがけぬ収穫となったのは、『発光妖精とモスラ』の作者の一人である堀田善衛などとの共著『時代の風音』を考察する中で、日本では「弥生式のころから引き継いでいる大地への神聖観というのをどうも失いつつある」という司馬遼太郎の指摘が、宮崎駿監督の《もののけ姫》や映画《夢》における「自然支配の思想」の批判とも結びついていることを確認できたことであった。

国民の健康にも深くかかわるTPP交渉を秘密裏に行い、その資料を公開しようともしない安倍政権は、「安全保障関連法案」を強行採決した後では武器の製造や輸出を奨励しているばかりでなく、沖縄の歴史や住民の意向を無視してジュゴンが住む辺野古の海にアメリカ軍のより恒常的な基地をつくろうとしている。ヤンバルクイナをはじめ多くの固有種が見られ、住民たちが「神々のすむ森」として畏敬してきた高江には多くの機動隊員が派遣されて住民を排除しながらヘリパッドの建設を進めている。

日本の大地や河川、そして海までも放射能で汚染した「フクシマ」の悲劇の後でも、原発の推進や軍事力の拡大など、一九世紀的な「富国強兵」策を行っている安倍政権を強く支持している「日本会議」や「神社本庁」は、すでに真の宗教心を失って政治団体化しているのではないかとさえ思われる。

執筆の際には多くの著書やネット情報から教えられることが多かったので、引用させて頂いた著者の方々にこの場を借りて感謝の意を表したい。また、日本ペンクラブ・環境委員会での活動や、黒澤明研究会、比較文明学会、世界システム倫理学会や国際ドストエフスキー学会での発表と質疑応答の機会を得ることができたのがありがたかった。ただ、急いで書いたこともあり、言及すべき資料にふれられていない箇所や思い違いや誤記などもあると思われるのでご指摘頂ければ幸いである。

本書の第二部では日露戦争を描いた長編小説『坂の上の雲』をめぐる「史観論争」にも言及したが、それは「教育勅語」の渙発後に北村透谷と山路愛山や徳富蘇峰との間で繰り広げられた「史観論争」とも深く結びついている。北村透谷の『罪と罰』論と自由民権運動との関連などについては、『絶望との対峙――「憲法」の発布から「鬼胎」の時代へ』(仮題、人文書館)の構想を進めていた。本書を書くために途中で中断していたので、なるべく早くに書き上げて上梓したいと考えている。

なぜならば、今年の正月には参拝客で賑わう多くの神社で政教分離の原則に反した「改憲」の署名運動が行われたことが報道されたが、自民党の「改憲」案にはヒトラーが独裁権を握ったときときわめて似た「緊急事態条項」が盛り込まれているからである。

このように危険な安倍政権を生み出すきっかけは、作家の司馬遼太郎が亡くなった後で起きた論争の際に、「自由主義史観」を唱える論客たちが、「司馬史観」と自分たちの情念的な歴史観との類似性を強調しつつ、客観的な歴史認識に「自虐史観」という差別的な「レッテル」を貼って非難したことにあったと私は考えている。

憲法学者の樋口陽一氏は最近亡くなった劇作家の井上ひさし氏との対談で、イラク戦争を「ブッシュの復讐」と呼び、「これは復讐ですから、戦争ですらないのです」と喝破していた(『日本国憲法を読み直す』岩波現代文庫)。

司馬遼太郎氏は一九〇二年の日英同盟から四〇年足らずで日本が英米との「大東亜戦争」に踏み切っていたことを指摘していたが、敗戦後から七〇年経った現在、沖縄の住民を「土人」と呼んで軽蔑した警官をねぎらうような大阪府知事や閣僚が出て来ている。そのことに注目するならば、「大東亜戦争」を正当化している「日本会議」的な理念によって教育された若い世代が、近い将来にアメリカを再び「鬼畜」と見なして「報復の戦争」を始める危険性は少なくないだろう。司馬氏が「鬼胎」の時代と呼んだ昭和初期の時代の再来を防ぐためにも、本書が少しでも役に立てれば幸いである。

二〇一六年一〇月二二日

(謝辞を省いた形で掲載。2016年11月6日、青い字の箇所を追加)。

「原水爆実験と原発事故」、および「ナショナリズムと歴史認識」の問題を考察した『ゴジラの哀しみ』関連年表を掲載

ようやく、『ゴジラの哀しみ』関連年表を作成しましたので、「年表とブログ・タイトル一覧」の頁に、これまでの年表8「核兵器・原発事故と終末時計」 (1945~2015)と差し替えて掲載します。

最初の案では映画《ゴジラ》関係の映画と原爆・原発事故のみに焦点を絞って、日本への原子爆弾投下から二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』の表紙絵で示された世界終末時計の時刻とともに記すというものでした。

それゆえ、小説『永遠の0(ゼロ)』を論じた第二部や、宮崎駿氏のアニメ映画と黒澤明の映画との関係を中心に論じた第三部をうまく年表に組み合わせることができるか少し心配でしたが、何とかまとめることができたように感じています。

年表には二つの大きな山場となる年代があります。最初は一九五四年にビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験で「第五福竜丸」などが被爆した年の一一月に公開された映画《ゴジラ》が大ヒットしたのに対して、黒澤映画《七人の侍》がヒットしていたにもかかわらず翌年に公開された映画《生きものの記録》が、興行的には大失敗に終わる流れです。

次は国民的作家と呼ばれた司馬遼太郎が亡くなった後で起きた一九九六年の「司馬史観」論争から一九九七年には「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」が設立される一方で、アニメ映画《もののけ姫》が公開され、小説『少年H』が発行されるという経過です。

この二つの山場に注目しながら、拙著を読んで頂ければ、二〇一三年以降の政治や文化の流れも理解しやすくなると思われます。

年表の開始を何年からにしようかと迷いましたが、日露戦争などについては拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の巻末に収録した年表でふれていましたので、二・二六事件が起きた一九三六年を年表開始の年にしました。

この年には堀辰雄が『風立ちぬ』の執筆を開始し、堀越二郎の九試単座戦闘機が採用になっていたたばかりでなく、映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督も二・二六事件を引き起こした陸軍第一師団第一連隊五中隊に所属していたために、三度も懲罰的な徴兵をされることになっていました。鼎談『時代の風音』で宮崎氏や司馬遼太郎と対談した作家・堀田善衛の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』でも、主人公の青年が大学受験のために上京した日に二・二六事件に遭遇したことも描かれていました。

核エネルギーの視点から、原水爆の実験や原発事故に注目しながら映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》に至る流れだけでなく、さらにはナショナリズムと歴史認識の問題にも踏み込んだこの年表が、核エネルギーの問題の深刻さとその克服の必要性の理解に役立てば幸いです。

(2016年10月24日。題名を変更)

リンク→年表8、『ゴジラの哀しみ』関連年表(1936~2016)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(三)、「オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観」を掲載 

三、オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観

オバマ大統領の広島訪問は、被爆者の方々との真摯な対話もあり、核廃絶に向けた一歩前進ではあったと思える。その一方で「菅直人が原子炉への海水注入をやめさせたというデマ」を安倍首相が「自身のメルマガに書き」込んでいた安倍首相とその周辺は、「トリチウム汚染水を除染しないまま薄めて海に流してしまうという」経産省の提案を同じ五月二七日に発表し、さらには大統領と同行の写真を選挙活動の広告として使っている。

この一連の流れを見ながら思い出したのは、二〇一三年の終戦記念日に安倍首相の式辞を聞いたあとで強い危機感を抱き、ブログ記事を書いた時のことであった。記念式典で安倍首相は「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切りひらいてまいります。世界の恒久平和に、あたうる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」と語った。しかし、そこではこれまで「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について」はふれられておらず、「不戦の誓い」や脱原発の文言もなかった*22。

一方、二〇一三年八月六日の「原爆の日」に広島市長は原爆を「絶対悪」と規定し、九日の平和宣言で長崎市長は、四月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える八〇カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待」を裏切り、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と厳しく批判していた。

つまり、安倍首相はこれらの痛切な願いを無視していたのである。それゆえ、初代のゴジラと同じ一九五四年生まれであるにもかかわらず安倍首相は、広島と長崎、「第五福竜丸」の三度の被爆や、「世界が破滅する」危機と直面していたキューバ危機、さらにはいまだに収束せずに汚染水など多くの問題を抱えている二〇一一年の福島第一原子力発電所の大事故のことをきちんと考えたことがあるのだろうかという強い危惧の念を抱いた。

事実、政府が「武器輸出三原則」の見直しを検討しているとの報道がなされたのは、二〇一四年二月一一日のことであったが、「特定秘密保護法」を強行採決して報道機関などに圧力をかけて、言論の自由を制限し、翌年には「戦争法」の疑いのある「安全保障関連法案」も強行採決した安倍政権は、「アベノミクス」という経済政策とともに「積極的平和主義」を掲げて、原発の輸出だけでなく武器の輸出にも積極的に乗り出したのである。

しかも、岸信介元首相は「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」との国会答弁をしていたが、このような方針も受け継いだ安倍首相も二〇〇二年二月に早稲田大学で行った講演会における質疑応答では、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」と発言して物議を醸していた*23。そして、ついに内閣法制局長官に抜擢された横畠裕介氏は二〇一六年三月一八日の参議院予算委員会で核兵器の使用についても「憲法上、禁止されているとは考えていない」という見解したのである。

最初にふれたように映画《ゴジラ》が封切られたのは「第五福竜丸」事件が起き無線長が亡くなった一九五四年のことであり、この映画が大ヒットした背景には、度重なる原水爆の悲劇を踏まえて核兵器の時代に武力によって問題を解決しようとすることへの強い批判や、軍拡につながりかねない強力な兵器を創造することを拒んだ科学者の芹沢への共感があったと思える。

安倍政権による一連の決定は、水爆実験により安住の地を奪われた「ゴジラ」に仮託して、「核のない世界」を願った日本国民の悲願をないがしろにし、再び世界を「軍拡の時代」へと引き戻すものであると言わねばならないだろう。

ただ、ゴジラが誕生したこの年の七月一日には警察の補完組織だった保安隊と警備隊を改組した自衛隊も誕生していた。予告編では「水爆が生んだ現代の恐怖」などの文字だけでなく、「挑む陸・海・空の精鋭」、という文字も「画面いっぱいに」広がって広告効果を上げていた*24。これら後半の文字は初代の映画《ゴジラ》やその後のゴジラの変貌を考えるうえできわめて重要だと思える。

なぜならば、映画《ゴジラ》が公開されたのは日本国憲法が公布されたのと同じ一一月三日のことであったが、創刊三一年を記念した二〇〇四年の『正論』一一月号に掲載された鼎談で、衆議院議員の安倍晋三氏は「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」と略す)第三代会長の高崎経済大学助教授・八木秀次氏(肩書きは当時)やジャーナリストの櫻井よしこ氏とともに「改憲」への意気込みを語ってもいたからである*25。

この号では石原慎太郎・八木秀次両氏による「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」という対談も行われており、ここで日露戦争の勝利を「白人支配のパラダイムを最初に痛撃した」と評価した石原氏は、「大東亜戦争」の正しさを教えられるような歴史教育の必要性を強調していた*26。

このような「憲法」の軽視と日露戦争の賛美の流れは、『坂の上の雲』では「健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」と描かれているとする一方で、科学的な歴史観を「自虐史観」と決めつけ、「司馬の小説と史論を組み合わせると」新しい歴史観をうち立てることができるとした藤岡信勝氏の論調を受け継いでいると思える*27。この論考が発表された翌年の一九九七年一月には「つくる会」が発足し、七月にはそれに連動して安倍晋三氏を事務局長とした「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられているのである。

しかし、作家の司馬遼太郎は『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促し*28、書き終えた後では「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いていた*29。

安倍政権の成り立ちと「日本会議」との関わりに注意を促した菅野完氏の著作に続いて『日本会議とは何か』(合同出版)、『日本会議の全貌』(花伝社)などが相次いで発行されたことで、反立憲主義的な「日本会議」と育鵬社との関わりが明らかになってきている。そのことに留意するならば「変な酩酊者」という用語で「歴史修正主義者」を批判した作家・司馬遼太郎の歴史観は、「事実」を軽視して自分のイデオロギーを正当化しようとする「つくる会」や「日本会議」の歴史認識とはむしろ正反対のものといわねばならない。

安倍首相が尊敬する岸元首相とも面識のあった憲法学者の小林節氏によれば、「彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は」、「普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期」である、「国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった」のである*30。

政治学者の中島岳志氏との対談で「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたもの」で、「明治維新の国家デザインの延長上に生まれた」ことに注意を促した宗教学者の島薗進氏も、「戦前に起きた『立憲主義の死』」と「安倍政権が引き起こした『立憲主義の危機』」の関連を考察する必要性を提起し、「宗教ナショナリズム」の危険性を指摘している*31。

実際、安倍首相は今年の「施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した」が、それは「神道政治連盟」の主張と重なっており、神社本庁が包括する初詣でにぎわう神社の多くには、改憲の署名用紙が置かれていた*32。

この意味で注目したいのは、映画《風立ちぬ》を製作した宮崎駿監督が、孫が記す祖父の世代の戦争の記録の形で著した百田尚樹氏の映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造をまだ続けようとしている」と厳しく批判していたことである*33。宮崎監督が前節で見た映画《モスラ》の脚本家の一人でもあった作家の堀田善衛と司馬遼太郎との鼎談を行っていたことを考えるならばこの批判は重要だろう*34。

『日本会議の研究』を著した菅野完氏は、作者の百田尚樹氏について「剽窃と欺瞞の多いこの人物について言及することは筆が汚れるので、あまり言及したくはない」と記している*35。そのことには同感だが、多くの読者が安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』もある百田氏の小説『永遠の0(ゼロ)』に感動してしまったのは、「事実」を直視することを忌避して、東条英機内閣の頃のように美しいが空疎なスローガンを掲げている安倍政権や「日本会議」の歴史認識にも遠因があると思われる。

最近は「テキスト」を「主観的に読む」ことが勧められ、「テキスト」という「事実」をきちんと読み解くことが下手になっていると思われるので、宮崎監督のアニメ映画や批判を視野に入れながら文学論的な手法でこの小説や映画をきちんと分析することが必要だろう。

 

*22 高橋誠一郎 ブログ記事「終戦記念日と『ゴジラ』の哀しみ」、二〇一三年八月一五日

*23 『サンデー毎日』(二〇〇二年六月二日号、参照。

*24 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、一一九頁。

*25 安倍晋三・八木秀次・櫻井よしこ「今こそ”呪縛”憲法と歴史”漂流”からの決別を」『正論』二〇〇四年一一月号、産経新聞社、八二~九五頁。

*26 石原慎太郎・八木秀次「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」『正論』、前掲号、五八頁。

*27 藤岡信勝『汚辱の近現代史』徳間書店、一九九六年、五一~六九頁。

*28 司馬遼太郎「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一一四~一一五頁。

*29 司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」『司馬遼太郎全集』第六八巻、評論随筆集、文藝春秋、二〇〇〇年、四九頁。

*30 樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』集英社新書、二〇一六年、三二頁。

*31 島薗進・中島岳志著『愛国と信仰の構造』集英社新書、二〇一六年、一三二頁、二三七頁。

*32 「東京新聞」朝刊、特集〈忍び寄る「国家神道」の足音〉、二〇一六年一月二三日。

*33宮崎駿、雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)。引用はエンジョウトオル〈宮崎駿が百田尚樹『永遠の0』を「嘘八百」「神話捏造」と酷評〉『リテラ』二〇一四年六月二〇日より。

*34 堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿『時代の風音』朝日文庫、二〇一三年参照。

*35 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、二〇一六年、一一七頁。

(2016年7月1日、加筆。2016年11月2日、タイトルを改題)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(二)、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》を掲載

二、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》

本多監督の盟友・黒澤監督は映画《ゴジラ》をすぐれた百本の映画の一つとして挙げていたが、「ゴジラ」の本場である日本でも、「ゴジラ」の哀しみや怒りは急速に忘れ去られたように思える。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろう」と指摘し、「あらゆる紛争問題の解決のための平和な手段をみいだすよう勧告する」という「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発せられたのは、「第五福竜丸」事件の翌年七月のことであった。

この事件から強い衝撃を受けて「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えた黒澤明監督も、映画《ゴジラ》から一年後に映画《生きものの記録》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)を公開した*11。

この映画では、映画《ゴジラ》で古生物学の山根博士の役を見事に演じていた志村喬が、度重なる水爆実験や「核戦争」などの危険性を心配して家族とともにブラジルへ移民しようとする主人公の老人の気持ちを理解する重要な知識人の役を演じている。

一方、息子たちの強い反対にあい、裁判で準禁治産の宣告を受けたことで、精神的にも追い詰められたこの老人は工場が燃えれば息子たちもあきらめるだろうと考えて放火する。しかし、従業員たちの深い苦悩を見て自分たちだけで逃げようとしたことの非を主人公が悟る場面も描かれている。ことに、精神病院に収容された主人公が夕日を見て核戦争で燃え上がった地球とみなし、「とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶシーンは圧巻である。ドストエフスキーの研究者である私には、そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると思えた*12。

映画《生きものの記録》が英語では《I Live In Fearと訳され、ロシア語でも«Я живу в страхе» (私は恐怖の中で生きている)と訳されていることもあり、いまだにこの主人公の老人・喜一は「恐怖」から逃げだそうとしたと誤解されることが多い。しかし、むしろ彼は「あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、「ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と批判していたのである。その意味でこの老人・喜一は自然の豊かさや厳しさを本能的に深く知っていた映画《デルス・ウザーラ》の主人公の先行者的な人物であったといえるだろう。

しかし、映画《七人の侍》の翌年に公開され、三船敏郎が見事な老け役を演じていたこの映画は営業的には大失敗に終わった。映画《ゴジラ》からわずか一年の遅れで公開された黒澤映画の失敗の原因についてはいろいろと指摘されているが、その遠因には一九五三年にアメリカ大統領のアイゼンハワーが、「原子力の平和利用」を国連で表明するとともに、被爆国の日本にたいして原子力発電所の建設を促す動きを強め、それに呼応して翌年の一九五四年一月一日から読売新聞による「ついに太陽をとらえた」とする原発推進の三〇回にわたる連載が始められていたことを挙げることができるだろう。この結果、一九五四年三月三日には、「国会に初めて原子炉予算として二億円あまり」を計上するという議案が提出され、数日後には成立していたのである。

広告研究家の本間龍氏は『原発プロパガンダ』 において、一九七〇年から福島第一原子力発電所の大事故が起きる二〇一一年までの大手電力会社の広告宣伝は二兆四千億円にも及び、政府広報予算も含めればさらに数倍にも膨れあがることや、二〇一三年からは安倍政権の意向に従って原発広告が復活し、ことに原発推進派だった読売新聞が「再び記事の中でも積極的に原発再稼働を唱え」始めていることを指摘している*13。同じようなことが「第五福竜丸」事件が起きた一九五四年から翌年までの間にもすでに起きていたのである。

「原子力基本法」を成立させた日本政府は、「原子力の平和利用」を謳いながら、経済面を重視して原子力発電の育成を「国策」として進めるようになり、原子力発電の危険性を指摘する科学者を徐々に要職から追放しはじめることになる。こうして、日本が地震大国という地勢的な条件や原爆の悲惨さから目をそらして原子力大国への道を歩み出し始めた翌一九五五年の『文學界』の七月号に掲載されたのが石原慎太郎氏の小説『太陽の季節』だった。「既成道徳に対する反抗」を描いたこの小説が同じ年に第一回『文學界』新人賞を受賞するとこの作品は一躍、脚光を浴びることとなり、「太陽族」という流行語も生まれた*14。

さらに、一九五五年に「原子力潜水艦ノーチラス号」を製造した会社の社長を「原子力平和利用使節団」として招聘した読売新聞社の正力松太郎社主は、映画《生きものの記録》が公開されたのと同じ一一月からは「原子力平和利用大博覧会」を全国の各地で開催し、「原子力発電」を「国策」とするための社運を賭けた大々的なキャンペーンを行った*15。

それは福島第一原子力発電所の大事故の前に広告会社の電通などによって行われた「原子力の安全神話」を広める広告の先駆けのようなものであったといえよう。このような大々的な宣伝により日本における「核エネルギー」にたいする見方はがらりと変わり、この映画が封切りされた頃には原子力エネルギーが「第二の太陽」ともてはやされるようになり、映画《生きものの記録》は「季節外れの問題作」と見なされて興行的には大失敗に終わったのである。

このような事態に際して、一九四八年の対談で太陽熱も原子力で生まれており、原子力エネルギーは「そうひどいことでもない」と湯川秀樹博士が主張したのに対して、「高度に発達する技術」の危険性を指摘して「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」と反論して、「原子力エネルギー」の危険性を正しく指摘していた文芸評論家の小林秀雄が、原発の推進が「国策」となると沈黙してしまったことも大きいと思われる*16。

一方、「ゴジラ映画三十年の変遷」を分析した浅井和康氏が一九七四年に公開された映画《ゴジラ対メカゴジラ》に言及して、ついには「贋者の」ゴジラが登場したと記していた*17。ましこ・ひでのり氏も一九八九年に公開された映画《ゴジラvsビオランテ》を考察して「〈憲法前文や9条の理念が邪魔で戦争が満足にできない〉といった好戦派のホンネがSFの形で露呈しているといえるのではないか」と書き、ここでは「先端技術をスマートに駆使して敵を撃破する“格好いい”自衛隊」が描かれていることを指摘している*18。

さらに、永田喜嗣氏は初期のゴジラ・シリーズでは、「文民統制」の原則が貫かれていたのに対し、《ゴジラvsビオランテ》では「ゴジラ映画初の自衛隊が人間を撃つ描写や、外国人を徹底的に悪人にし」、一九九一年に公開された《ゴジラvsキングギドラ》では、「日本企業が核ミサイル付き原潜を持つ」という設定がなされており、ゴジラ映画の右傾化であると批判した*19。

このことに言及した芹沢亀吉氏は、「ゴジラファンの間で原点回帰の傑作と評価されている」、二〇〇一年に公開された映画《ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃》を詳細に分析して、主人公の父親が終盤で「特殊潜航艇さつま」に乗って、海中にいるゴジラの口の中に突入する場面を、特攻をかっこよく見せる映画《永遠の0》の先駆けなのだと書き、「映画自体が大ヒットしたことで後続の東宝映画が特攻を肯定的に描く事を許容する前例になってしまった」と続けている*20。

これらの指摘はなぜ本多監督が、一九七五年に公開された映画《メカゴジラの逆襲》を最後に「ゴジラ・シリーズ」から去ったかということだけでなく、なぜ宮崎駿監督が「神話の捏造」という言葉で映画《永遠の0(ゼロ)》を厳しく批判したかをも説明していると思える。

最後に注意を払っておきたいのは、一九六一年に公開された映画《モスラ》(製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)のモスラの形象に注目した小野俊太郎氏が、「幼虫モスラと王蟲(オーム)の形状の類似」などを指摘していることである*21。

しかも、一九八四年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》が映画《モスラ》の理念を継承していることにも言及し、両者を繋ぐ働きを黒澤映画《生きものの記録》が担っていることを指摘している。本多監督が日米合作企画映画として製作したこの映画《モスラ》は一九六一年七月三〇日に公開されたが、この映画の脚本が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という著名な作家三人の原作『発光妖精とモスラ』(『週刊朝日』)を元にして関沢新一が脚本を書いていた。日東新聞記者である主人公の福田善一郎という名前は、これらの三人の作家の名前を組み合わせて出来ているが、ここにはシナリオを重視してたびたび共同で書いていた黒澤明と同じような姿勢が強く見られるだろう。

 

*11 西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄――風のように侍は――』筑摩書房、二〇〇五年、七七七頁。

*12 高橋誠一郎『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、二〇一四年、一三二頁。

*13 本間龍『原発プロパガンダ』 岩波新書、

*14 高橋誠一郎、前掲書、一三五頁。

*15 有馬哲夫『原発・正力・CIA――機密文書で読む昭和裏面史』新潮新書、二〇〇八年参照。

*16 高橋誠一郎、前掲書『黒澤明と小林秀雄』、一〇八~一〇九頁。

*17 浅井和康「ゴジラ映画三十年の変遷」、『モスラ対ゴジラ』講談社X文庫、一九八四年、二三九頁。

*18 ましこ・ひでのり『ゴジラ論ノート』三元社、二〇一五年、一〇八頁。

*19 永田喜嗣「ゴジラ ウルトラマン 怪獣平和学入門 ~怪獣映画にみる戦争~」、市民社会フォーラム第171回学習会、二〇一六年一月二三日、ライブ配信

*20 芹沢亀吉、ツイートまとめ「『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃(GMK)』は本当に原点回帰映画なのかを検証してみた」二〇一六年六月二五日。

*21 小野俊太郎『モスラの精神史』講談社現代文庫、二〇〇七年、二四八~二五一頁。

(2016年11月2日、タイトルを改題)

 

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日、(一)モスクワで観たゴジラとアメリカのゴジラ観を掲載

一、モスクワで観たゴジラとアメリカのゴジラ観

水爆大怪獣と名付けられた初代の「ゴジラ」がスクリーンに現れたのは、「第五福竜丸」事件が起き無線長の方が亡くなられた一九五四年のことであったが、予告編では「伊福部昭の曲ではなくて、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の不気味な曲」にあわせて、様々なシーンとともに「人類最後の日来る!」「水爆が生んだ現代の恐怖」などの文字が画面いっぱいに示されていた*1。

実際、オリバー・ストーンはその著書で原爆の研究者たちが「議論を重ねるうち、原子爆弾の爆発によって海水中の水素や大気中の窒素に火がつき、地球全体が火の玉に変わるかもしれないことに突如として気づいた」ので計画が一時中断された時期があったが、その確率が極めて低いことが分かって研究が再開され、広島や長崎に原爆が投下されることになったことを記している*2。

しかし、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験がビキニ沖の環礁で行われた時には、その威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われたのである。

それゆえ、三度も被曝した日本ではこの問題に対する関心がきわめて高く、水爆という重たいテーマを扱いながら「なるかゴジラ征服」という文字も示されていた刺激的な予告の効果や、その結末では日本を破壊し尽くしかねないゴジラに対してオキシジェン・デストロイヤーを使用することに同意した科学者の芹沢が、自分が発明した危険な兵器が悪用されないようにと自らもゴジラとともに滅ぶことを選んで亡くなるシーンを描いていたこともあり、この映画は「観客動員数九百六十九万人」に達する大ヒットとなった*3。

ゴジラが誕生してから六〇年を経て「ゴジラ」の還暦に当たる二〇一四年も、アメリカ映画の《Godzilla ゴジラ》も公開されるなどしたために、この年にはNHKのBSやテレビ東京で「ゴジラシリーズ」が放映されるなどゴジラの話題で盛り上がった。

単行本だけでなく雑誌でもゴジラ関連の特集が多く組まれており、『初代ゴジラ研究読本』(洋泉社MOOK)では、映画《ゴジラ》の脚本だけでなく、科学者の芹沢を演じた俳優の平田昭彦と本多監督との一九八一年の対談も掲載されていた。注目したいのは、その対談で黒澤監督が語ったソ連の若者たちが抱いている「核戦争への恐怖」を本多監督が伝えていたことである。

その対談を読みながら、かつてモスクワに留学していた時に映画《ゴジラ》を見たのは、かなり大きな映画観だったにもかかわらず満席で観客が真剣に見入っていたこと思い出した。映画《生きものの記録》で度重なる水爆実験や核戦争の恐怖を描いていた黒澤監督は、ソ連での生活が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中とその前後の短い期間だったにもかかわらず、ソ連の若者たちの不安を正確に認識していたといえよう。この言葉からは黒澤が広島の被曝についても語られている映画《惑星ソラリス》を撮ったタルコフスキーとも、核戦争の危機について語り合っていたのではないかと感じた。

映画《夢》などの作品でも黒澤を補佐することになる本多監督も黒澤明研究会の例会で映画《ゴジラ》と原爆との関連についてこう明確に語っていた。「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った。もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ、その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」*4。

さらに本多監督は、核兵器の開発に関わるような科学者を批判して、「ただ、水爆みたいなものを考えた人間というのは、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが完全に滅びる、自分たちだけじゃなくて、地球上のすべてのものを殺してしまうかもしれないほど人間というのは危険だ」とも語っていた*5。

ここには本多監督の鋭い原爆観だけでなく、戦争観も見られるが、それは二・二六事件を引き起こした陸軍第一師団第一連隊五中退に所属したために、一九三六年に徴兵で満州に派兵されたのをはじめとして、三度も懲罰的な徴兵をされていたのである。インパクトのあるゴジラの姿だけでなく、民衆が逃げ惑う迫力のあるシーンは、本多監督の苦しい実体験が反映されているだろう*6。実際、このような形で徴兵されたのは反乱軍の兵士のみならず、東条英機首相の方針に反対した丸山眞男などの学者や松前重義などの高級官僚も懲罰的な徴兵の対象とされていたのである。

本多夫人は夫と黒澤監督が「ドキュメンタリータッチの作品で有名な山本嘉次郎監督の門下生」で、互いにをクロさん、イノさんと呼び合う中であったことを紹介しながら二人の復員兵を主人公とした黒澤映画《野良犬》では、本多監督が「ファースト助監督」として迎えられ、「B班の撮影やロケ撮影を担当し」、「刑事役の三船さんがピストルを捜して東京の盛り場を歩き回る九分間、七十カットを撮り、戦後の荒廃した風俗の実像を生々しく描き出し」たと語っている*7。

さらに夫人は、映画《夢》についても言及して、「このなかで四つ目の ”トンネル”と題した十五分の物語は、クロさんには失礼かもしれませんが、間違いなくイノさん演出だったと思いますよ。戦争から帰って一年に数回、イノさんはうなされて大声で叫んで飛び起きる悪夢を見るのです」と証言している*8。

一方、アメリカにおける「ゴジラ」の受容については、『怪獣王ゴジラ』(GODZILLA KING OF MONSTERS!)と題した編集版が一九五六年にリリースされてから人気を得たことが指摘されている*9。

しかし、テリー・モース監督のもとで追加撮影と再編集がされたこの映画について、映画《ゴジラ》で主役を演じた宝田明氏は、「当時の時代背景に配慮した」ためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いたとし、「反核や反戦のテーマをこめた初代『ゴジラ』は米国にとって都合が悪く、大幅にカットしなければアチラで上映できなかった」と語っている*10。

実際、ましこ・ひでのり氏はアメリカでは「大衆にとって、ソ連との核戦争の不安も所詮は対岸の火事であり、ゴジラは核兵器で退治される怪物とするボードゲームのキャラクターにされた」と書き、次のようにこの映画を分析している。

すなわち、「初代ゴジラを『編集した』アメリカ版『怪獣王ゴジラ』では、水爆実験とゴジラとの関連性を否定し、ゴジラから被曝した被災者の存在を隠蔽、ゴジラが復活する可能性にふれた原作の被災者の最終場面のセリフをカットし、アメリカ版用にでっちあげた主人公に『脅威は去った』と断言させるなど、およそ『編集』の域をこえた破壊だった」のである。

小野氏が「オリジナルである日本版の『ゴジラ』を普通のアメリカの観客が観ることができたのはずっとあとで、二〇〇四年に数館で上映されたのみである」と書いていることに注目するならば、アメリカの観客はようやく二〇〇四年になって「水爆実験」によって生まれた「ゴジラ」の哀しみを知ったといえるだろう。

 

*1 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、一一九頁。

*2 オリバー・ストーン、ピーター・カズニック、鍛原多恵子他訳『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史1 二つの世界大戦と原爆投下』早川書房、二〇一三年、二九一~二九三頁。

*3ウィリアム・M・ツツイ『ゴジラとアメリカの半世紀』中央公論新社、二〇〇五年、四三頁。

*4 堀伸雄「世田谷文学館・友の会」講座資料「『核』を直視した四人の映画人たち――黒澤明、本多猪四郎、新藤兼人、黒木和雄」より引用。

*5 本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』ワニブックス、二〇一〇年、八七頁。

*6 切通理作『本多猪四郎 無冠の巨匠』洋泉社、二一四年、一八六~二一三頁。

*7 本多きみ『ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情』、宝島社、二〇一二年、九九頁。

*8 同上、一七七頁。

*8 小野俊太郎『ゴジラの精神史』、彩流社、二〇一四年、一四六頁。

*9 宝田明、「反戦がテーマのゴジラを国会で上映したい」『日刊ゲンダイ』二〇一五年六月三〇日。

*10 ましこ・ひでのり『ゴジラ論ノート 怪獣論の知識社会学』三元社、二〇一五年、六三頁。

(2016年11月2日、タイトルを改題)。

 

安倍政権の原発政策と映画《ゴジラ》

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

気象庁が「経験したことのない地震」と呼ぶ想定外の事態にもかかわらず、原発の稼働を止めない安倍政権の原発政策からは、1954年におきた「第五福竜丸」事件の後で政府が「原発」推進に踏み切っていた当時のことが思い起こされます。

そのことについてはツイッターでもふれましたが、ここでも以前に書いた〈終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ〉の記事へのリンク先を示すとともに、映画《ゴジラ》において核汚染の隠蔽の問題がどのように描かれているかを確認します。

リンク→終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ

*   *   *

安倍政権の原発政策と映画《ゴジラ》

映画《夢》などの作品でも黒澤を補佐することになる本多監督は黒澤明研究会の研究例会で映画《ゴジラ》と原爆との関連についてこう明確に語っていた。

「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した。その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った、もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ。その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」。

実は、広島・長崎の被爆の後にも、その惨状は日本を統治することになったアメリカ軍の意向で隠蔽されることになり、占領軍の意向に従った日本政府はその後もアメリカなどの大国が行う核実験などには沈黙をまもっただけでなく、「第五福竜丸事件」の際にも被害の大きさの隠蔽が図られ、批判者へのいやがらせなどが起きていた。

それゆえ、本多監督は核兵器の開発に関わるような科学者を批判して、「ただ、水爆みたいなものを考えた人間というのは、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが完全に滅びる、自分たちだけじゃなくて、地球上のすべてのものを殺してしまうかもしれないほど人間というのは危険だ」と語っていた。

実際、映画《ゴジラ》の素晴らしさは単なる娯楽映画に留まることなく、情報を隠蔽することの恐ろしさや科学技術を過信することへの鋭い警告も含んでいたことである、たとえば、「ゴジラ」が出現した際のシーンでは、核汚染の危険性について発表すべきだという記者団と、それにたいしてそのような発表は国民を恐怖に陥れるからだめだとして報道規制をしいて情報を隠蔽した政府の対応も描き出されていた、

研究例会での本多監督の言葉は映画《ゴジラ》における最後の場面の意味を見事に説明しているだろう、すなわち、「ゴジラ」を殺すことの出来るような兵器を開発した科学者は、その兵器が悪用されることを恐れて、兵器の制作方法を知っている自分も「ゴジラ」とともに滅ぶことを選んでいたのである。

こうして、科学者の自己犠牲的な精神をも描いた《ゴジラ》は、子供も楽しめる怪獣映画の要素も備え、見事な特殊撮影で撮られたことで、九六一万人もの観客を動員するような空前の大ヒット作品となった。

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社2014年、129~130頁より引用)。

「核の時代」と「改憲」の危険性

昨年9月に政府と自民・公明の与党は、日本国憲法の立憲主義をくつがえして、戦後の日本が培ってきた平和主義を破壊する戦争法(安保関連法)案を強行採決しました。

この強行採決が「無効」であったとの見解を法律家だけでなく多くの野党議員や「安全保障関連法に反対する学者の会」や学生組織・シールズ、そしてさまざまの市民団体が示してきました。

それにもかかわらず、「大義なきイラク戦争」を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官に「旭日大綬章」を贈るなど好戦的な姿勢をアメリカに示した安倍晋三首相は、その一方で現憲法を「占領時代につくられた憲法で、時代にそぐわない」と断罪し、衆議院予算委員会の審議においては連日のように「改憲」を明言しています。

しかし、広島・長崎の悲劇を踏まえて1947年5月3日に施行され、「第五福竜丸」の悲劇を経て深化した「日本国憲法」は、1962年のキューバ危機に現れたような「人類滅亡の危機」を救うすぐれた理念を明文化したものであり、世界の憲法の模範となるような性質のものと思われるのです。

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(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真。図版は「ウィキペディア」より)

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

*   *   *

原爆や原発の危険性に眼をつぶって安保関連法案を強行採決した安倍氏の歴史観が、日本とその隣国を悲劇に巻き込んだ東条英機内閣の閣僚を務めながらも、その問題を深く反省しないままに首相として復権した祖父・岸信介氏に近い危険なものであることについては、このブログでもたびたび言及してきました。

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(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

戦争法によって、これまでの政策を一変して武器や原発を売ることができるようにした安倍政権の政策は、世界を破滅寸前まで追い込んだ19世紀の「富国強兵」政策ときわめて似ているのです。

日本の報道機関や経済界は、このような危険性に気づきつつも目先の利益を優先して、「東京オリンピック」が終わるまでは安倍政権に権力を委ねることを選んでいるように見えます。

しかし、麻生副総理が「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた発言は内外に強い波紋を呼びましたが、ヒトラーがユダヤ人や第一次世界大戦の戦勝国への憎しみを煽りつつ戦争への具体的な準備を進めたのは、1936年のベルリン・オリンピックの時だったのです。

フクシマの被災地の現実を隠すようにして行われる「東京オリンピック」には強い疑問もありますが、せめて「平和なオリンピック」とするためには好戦的な本音を隠しつつ、「神社本庁」などの力を借りて「改憲」を目論む安倍政権を早期退陣に追い込むことが必要でしょう。

このHPでは「文学・映画・演劇」を中心的なテーマとして、あまり政治的なテーマは扱いたくはなかったのですが、安倍政権による「改憲」の危険性が差し迫ってきましたので、国民の生命を戦争や原発事故から守るために、「文明(地球環境・戦争・憲法)」(「書評・図書紹介」より変更)のページを設けて、原水爆や原発など原子力エネルギーの問題や戦争や憲法を決定する政治の問題を考察するようにしました。

また、〈「核の時代」と「日本国憲法」の重要性〉のペーともリンクしました。

リンク→「文明論(地球環境・戦争・憲法)」

リンク→〈「核の時代」と「日本国憲法の重要性〉

(2016年2月17日。図版を追加。3月9日、リンク先を追加)

講演「黒澤明監督の倫理観と自然観」の感想が桝谷裕氏のブログに

《生きものの記録》に関する記事をネットで探していたところ、「黒澤明監督とドストエフスキー」と題するブログ記事で俳優の桝谷氏が講演の感想を書かれていたのを見つけました。

そのブログ記事では私の講演の要点が適確にまとめられているだけでなく、その後の質疑応答や岩崎雅典監督の映画の紹介も記されていました。だいぶ時間が経ってはいますが、人名などの誤植を一部改めた形で、お礼の意味も込めてこのブログに転載させて頂くことにします。(行替えなどを変更させて頂いた箇所は/で示しています)。

リンク→「黒澤明監督の倫理観と自然観」

*   *   *

「黒澤明監督の倫理観と自然観――《生きものの記録》から映画《夢》へ」/という講演会に行きました。(「地球システム・倫理学会」研究例会)/高橋誠一郎氏(元東海大学教授、現桜美林大学非常勤講師)。

黒澤明監督がドストエフスキーの影響を強く受けていたことを中心に、黒澤明監督の自然観、倫理観について話されました。

1ドストエフスキーの「罪と罰」の人類滅亡の悪夢と、映画「夢」の「赤富士」と「鬼哭」

2原爆を描いた映画「生きものの記録」とその時代

3映画「デルス・ウザーラ」における環境倫理

4映画「夢」における黒澤明監督の倫理観と自然観

おわりに ラスコーリニコフの復活と映画「夢」の第八話「水車のある村」

「地下室の手記」で主人公は、弱肉強食の思想や統計学、さらには功利主義など、近代西欧の主要な流れの哲学と対決している、というイギリスの研究者(ピース)の指摘を紹介されました。殺害を正当化する(近代西欧の思想に影響されている)ラスコーリニコフに、流刑地のシベリアで人類滅亡の悪夢を見せることで、弱肉強食の思想や、自己を絶対化して自然を支配し他者を抹殺する非凡人の理論の危険性を示唆していると話されました。

黒澤明監督がドストエフスキーについて「生きていく上でつっかえ棒になることを書いてくれてる人です」と話していたこと。

第五福竜丸事件を受けて製作され、1955年に公開された「生きものの記録」を撮った黒澤明監督が、核の利用を鋭く批判していたこと。

「核っていうのはね、だいたい人間が制御できないんだよ。そういうものを作ること自体がね、人間が思い上がっていると思うの、ぼくは」 「人間は全てのものをコントロールできると考えているのがいけない。傲慢だ。」/と語り、まるで福島の出来事を予感していたかのよう。

1953年にアメリカatoms for the peaceということが言われ、それに呼応するかのように日本は原子力利用に向かって動き出し、/「生きものの記録」が公開された1955年は、日本で「原子力基本法」が成立した年(原子力元年といえる年)でした。「生きものの記録」は興行的には振るわなかったそうです。 「直視しない日本人」ということも黒澤明監督が言っていたとも紹介されました。

主に「夢」を中心に、シーンごとに、ドストエフスキーの思想、自然観、「罪と罰」、ラスコーリニコフとの対応を話されました。 正直言って「夢」は私にとってとらえどころのない作品ですが、新たな視点で見直してみたいです。

会場は主に研究者の方々。質疑応答で、核の問題からチェルノブイリ、福島へ。また映画「デルス・ウザーラ」から自然観、少数民族の問題、アイヌの話。宗教観まで話は広がりました。

福島のその後を映画に撮られている岩崎雅典監督も会場にいらして、撮影の中で見えてきた福島の様子問題をお話してくださいました。「福島 生きものの記録 シリーズ3~拡散~」が6月日比谷図書館で上映されるそうです。(6/25、26、29)

観念的な話ではなく、人間の本質と、今目の前で起きている具体的出来事が常に結びついた話でした。

*   *   *

筆者の桝谷裕氏のブログには、11月28日(土)に行われる「父と暮せば」(作井上ひさし)の一人語りなどの《公演予定》も記されていますので、以下にブログのアドレスも記載しておきます。

黒澤明監督とドストエフスキー 桝谷 裕 -yutaka masutani …

yutakamasutani.blog13.fc2.com/blog-entry-628.html

長崎でのパグウォッシュ会議と「核使用禁止」決議への日本の棄権

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(東宝製作・配給、1955年、図版は「ウィキペディア」より)。

米国のビキニ水爆実験によって「第五福竜丸」や周辺の島々の人々が被爆した悲劇の反省から湯川秀樹博士ら著名な科学者10人が署名した1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」を実現するために始まったパグウォッシュ会議が、原爆投下から七十年を迎える今年、約40カ国から200人近くが参加して、被爆地の長崎で開かれています。

しかし、このような中、核兵器の使用禁止や廃絶のための法的枠組みづくりの努力を呼び掛ける決議案が、国連総会第1委員会(軍縮)で2日、を賛成多数で採択されたにもかかわらず、原爆の容認と原発の推進政策をとり続けてきた日本政府はまたも、被爆国でありながら、棄権に回ったとの報道がなされました。

岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していない安倍政権は、そればかりでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めています。安倍政権の危険性をこれからもきちんと指摘していかねばならないでしょう。

リンク→第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》

リンク→映画 《福島 生きものの記録》(岩崎雅典監督作品 )と黒澤映画《生きものの記録》

なぜ今、『罪と罰』か(2)――「ゴジラ」の咆哮と『罪と罰』の「呼び鈴」の音

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1954年の3月1日にアメリカ軍による水爆「ブラボー」の実験が行われました。この水爆が原爆の1000倍もの破壊力を持ったために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、160キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員が被爆しました。

この事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督は「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて映画《生きものの記録》の脚本「死の灰」(黒澤明、橋本忍、小國英雄)を書き始めました。

水爆実験に同じような衝撃を受けた本多猪四郎監督が同じ年の11月に公開したのが映画《ゴジラ》でした。この映画を久しぶりに見た時に感じたのは、冒頭のシーンが第48回アカデミー賞で作曲賞、音響賞、編集賞などを受賞したスティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)を、映像や音楽の面で先取りしていたことです。

《ジョーズ(Jaws)》の内容はよく知られていると思いますが、観光地で遊泳していた女性が大型の鮫に襲われて死亡するが、事態を軽く見せるために「事実」を隠そうとした市長などの対応から事件の隠蔽されたために、解決が遠ざかることになったのです。

一方、映画《ゴジラ》の冒頭では、船員達が甲板で音楽を演奏して楽しんでいた貨物船「栄光丸」が突然、白熱光に包まれて燃え上がり、救助に向かった貨物船も沈没するという不可解な事件が描かれていました。伊福部昭作曲の「ゴジラ」のライトモチーフは、一度聴いたら忘れられないような強いインパクトを持っているが、その理由を作曲家の和田薫はこう説明しています。

「円谷英二さんから特に画を観させてもらったというエピソードがありますよね。あの曲は低音楽器を全て集めてやったわけですが、画を観なければ、ああいう極端な発想は生まれません」(『初代ゴジラ研究読本』、122頁)。

この言葉は映像と音楽の深い関わりを説明していますが、実は、長編小説『罪と罰』でも、若き主人公が「悪人」と見なした高利貸しの老婆のドアの呼び鈴を鳴らす場面も、あたかも悲劇の始まりを告げる劇場のベルのように響き、読者にもその音が聞こえるかのように描かれているのです。

*   *   *

ゴジラはなかなかその姿をスクリーンには現わさず、観客の好奇心と不安感を掻きたてるのですが、遭難した漁師の話を聞いた島の老人は大戸島(おおどしま)に伝わる伝説の怪獣「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業ではないかと語り、昔はゴジラの被害が大きいときには若い女性を人身御供として海に捧げていたが、今はその代わりにお神楽を舞っているのだと説明します。

暴風雨の夜に大戸島に上陸して村の家屋を破壊し、死傷者を出した時にも「ゴジラ」はまだその全貌を現してはいないのですが、島に訪れた調査団の前に現れた「ゴジラ」の頭部を見た古代生物学者の山根博士(志村喬)は、国会で行われた公聴会で発見された古代の三葉虫と採取した砂を示しながら、おそらく200万年前の恐竜だろうと次のように説明します。

「海底洞窟にでもひそんでいて、彼等だけの生存を全うして今日まで生きながらえて居った……それが この度の水爆実験によって、その生活環境を完全に破壊された。もっと砕いて言えば あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります……」。

ここで注目したいのは、山根博士が古代の恐竜「ゴジラ」が水爆実験によって、安住の地を奪われたために出現したと説明していることです。その説明はビキニ沖での水爆実験によって、「第五福竜丸」事件を引き起こした後も、冷戦下で互いに核実験を繰り返す人間の傲慢さを痛烈に批判し得ているばかりか、黒澤監督が映画《夢》の第六話「赤富士」で予告することになる福島第一原子力発電所の大事故の危険性をも示唆していたと思えます。

*   *   *

『罪と罰』のあらすじはよく知られていますが、「人間は自然を修正している、悪い人間だって修正したてもかまわない、あいつは要らないやつだというなら排除してもかまわない」という考え方を持っていた主人公が、高利貸しの老婆を殺害したあとの苦悩が描かれています。

現在の日本でも「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と解釈した文芸評論家・小林秀雄長編小説の『罪と罰』論が影響力を保っているようですが、ここで重要なのは、この時期のドストエフスキーが「大地主義」という理念を唱えていたことであり、ソーニャをとおしてロシアの知識人というのはロシアの大地から切り離された人たちだと批判をしていたことです。

たとえば、ソーニャは「血で汚した大地に接吻しなさい、あなたは殺したことで大地を汚してしまった」と諭し、それを受け入れた主人公は自首をしてシベリアに流されますが、最初のうちは「ただ一条の太陽の光、うっそうたる森、どこともしれぬ奥まった場所に湧き出る冷たい泉」が、どうして囚人たちによってそんなに大事なのかが分からなかったラスコーリニコフが、シベリアの大自然の中で生活するうちに「森」や「泉」の意味を認識して復活することになる過程が描かれているのです。

このような展開は一見、小説を読んでいるだけですとわかりにくいのですが、ロシア文学者の井桁貞義氏は、スラヴには古くから「聖なる大地」という表現があり、さらに古い叙事詩の伝説によって育った庶民たちは、大地とは決して魂を持たない存在ではなく、つまり汚されたら怒ると考えていたことを指摘しています。つまり、富士山が大噴火するように、汚された大地も怒るのです。

そして、ソーニャの言葉に従って、大地に接吻してから自首したラスコーリニコフはシベリアの大地で「人類滅亡の悪夢を」見た後で、自分が正当化していた「非凡人の理論」の危険性を実感するようになることです。

この意味で『罪と罰』で描かれている「呼び鈴」の音は、単にラスコーリニコフの悲劇の始まりを告げているだけではなく、「覚醒」と「自然観の変化」の始まりをも示唆しているように思えます。

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