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『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈(1、改訂版)テーマの継承と発展――『風の谷のナウシカ』から『天空の城ラピュタ』へ

『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈(1、改訂版)テーマの継承と発展――『風の谷のナウシカ』から『天空の城ラピュタ』へ

はじめに

「『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈」の考察が思いがけず長くなったので第一章を大幅に改訂して、題名と副題も「テーマの継承と発展――『風の谷のナウシカ』から『天空の城ラピュタ』へ」と変更し、最後に論考の〔目次〕を添付しました。

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8月30日に久しぶりにジブリのアニメ『天空の城ラピュタ』(1986)をテレビで観ました。これまでにも何回か見ているはずなのですが、主人公のパズーとシータと周りの個性的な登場人物たちの触れ合いをとおして文明論的な大きなテーマが軽快で雄大に描かれていました。『風の谷のナウシカ』で重要な役を担っていたキツネリスも出て来て、ロボットとの交流が描かれていました。

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また、『風の谷のナウシカ』(1984)と『罪と罰』のテーマとの係わりについては何回が記しましたが、ここでも主人公たちとムスカ大佐との係わりをとおして「科学と自然」や「非凡人と凡人」のテーマがいっそう深く掘り下げられていることを改めて感じました。

圧倒的な存在感のある「腐海の森」は描かれていませんが、その代わりに徐々に姿を現してくるのが「生命の樹」のテーマです。また、軍隊と空の海賊との戦いのシーンや空賊たちの描写からは、後の『紅の豚』に通じる要素が強く感じられました。

しかし、『天空の城ラピュタ』を見終わった後でツイッターの投稿記事を調べたところ、宮崎駿監督の意図とは正反対と思われる記述があり唖然としました。たとえば、破滅の呪文である「バルス」という言葉を用いて、「いよいよ、#令和最初のバルス祭り」などの記述があったのです。

「ポピュラー文化を分析することで、日本人の核意識と戦争観の変化を考察」した拙著『ゴジラの哀しみ』(2016)を書く際にも、1954年の映画『ゴジラ』の感想を中心にツイッターでの記述も調べて、核武装などを支持するような記述とも出会ってはいたのですが、 今回のハッシュタグなどには首をかしげてしまいました。

 しばらく考えこみましたが、このような感想には「評論の神様」と奉られた評論家・小林秀雄の文学作品や映画の解釈からの影響があり、その根底には「作者と作品との関係をどうとらえるか」という大きな問題が横たわっているだろうと思うようになりました。

この問題は日本のポピュラー文化だけでなく、ロシア文学の研究などにも深く関わるので、少し時間をかけて文学研究者の視点から考えて見たいと思います。結論を記すのではなく、考えながら書いていきますので、多少、話が前後する場合や内容が一部重複する箇所も出て来ると思いますが、ご了解下さい。

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『天空の城ラピュタ』の理解と主観的な文学解釈」の「目次」

(2)宮崎アニメの解釈と「特攻」の美化――隠された「満州国」のテーマ

(3、閑話休題)――丸山穂高氏のツイッターの手法と比較という方法の意義

(4,追加版)「満州国」のテーマの深化――『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』へ

(5)ムスカ大佐の人気と古代の理想化――『日本浪曼派』の流行と「超人の思想」

(6)「腐海の森」から「生命の樹」へ――「科学と自然」と「非凡人と凡人」の関係の考察

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