高橋誠一郎 公式ホームページ

「ドストエーフスキイの会」

『ドストエーフスキイ広場』発刊の頃――会発足50周年を迎えて

「ドストエーフスキイの会」は今年50周年を迎えます。

それを記念した『ドストエーフスキイ広場』(第28号)に標記のエッセーを寄稿しましたので、以下に転載します。

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(表紙/小山田チカエ)

   来年が「ドストエーフスキイの会」発足から五〇周年にあたるため、急遽、特集を組むことが決まったが、発刊当時は三号雑誌で終わることも危惧された『ドストエーフスキイ広場』(以下、『広場』と略す)も現在は第二八号に至っている。

それゆえ、ここでは『広場』発刊の頃から千葉大学で開催された国際ドストエフスキー・研究集会での主要論文の邦訳も掲載されている『広場』の第一〇号の時期までを簡単に振り返ることで「ドストエーフスキイの会」の歩みの一端を記すことにしたい。

一九八九年にユーゴスラヴィアのリュブリャーナで開かれた「国際ドストエフスキー・シンポジウム」に参加して、多くの著名な研究者たちから強い知的刺激を受けたばかりでなく、当時の東欧情勢にも強い関心を抱いた私は、日本からの情報の発信の必要性も痛感した。それゆえ、事務局の方々との相談を踏まえて、私は翌年の三月に発行された「会報」の一一二号に機関誌の発刊について次のような「提言」を記した(『場』第四号、二八八頁参照)。少し長くなるが、当時の会の状況が分かるので、読みやすいように改行をほどこした形で引用する。

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 〔「会報」が百号に差しかかる頃から「会報」の紙面の刷新や新しい試みが度々話題になり始めましたが、その十分な成果がなかなか表われないまま、予算的な状況から「ドストエーフスキイ研究」の続刊は難しくなり、またそれに伴って「場」4号の発行も見合わされる中で、「会も一応その役割を果たしたので会を閉じてもよいのではないだろうか」という意見も会員の間から聞こえてくるようになりました。

確かに「ドストエーフスキイの会」も約二十年を経て、新しい情報や新しい視点も一応一通り出ており、四ケ月毎に出す会報に新しい情報が満載されているというような状況は難しくなってきていると思えます。

しかし、「ドストエーフスキイの会」は既にその存在意義を失う程に老いたのでしょうか。いささか僭越な気もしますが、二次会の席で語り合い、また事務局の人々と相談する中である程度共通の意見が固まってきたようなので、以下にその概要を提言という形で述べさせて頂きたいと思います。

結論的に言えば、会は老いたのではなく、活発な青年期から壮年期へとさしかかって来ているのであり、問題の多くはやはり「会報」の性格にあるように思えます。確かに年に四回発行される「会報」は受け取った情報を素早く提供する点で、多くの長所を持っています。しかし、約二十年を経た現在、会は与えられた情報についてじっくりと考え、多少ともまとまった仕事をしていく段階に入ってきたと言えるのではないでしょうか。そして、その意味でも情報の速さが長所の会報の形から、少し遅くとも十分のスペースをとって発表できる年刊の機関誌の形へと脱皮する時期が来ていると思えるのです。

「研究」や「場」の続刊は当面難しいとすれば、両者の発展的解消として「機関誌」を創刊し、両者の試みを継承しながら、同時に、小説などの掲載も可能な「ドストエーフスキイの読者の自由なテーマの発表の場」としての側面も持てればと思います。

また、この会の研究動向は海外でもかなり注目を浴びているようです。外国との連携をいっそう深める意味でも、その年度のドストエーフスキイ関係の文献目録を載せるだけでなく、欧文の目次やレジュメなども載せられれば一層充実したものになると思います。少し調べましたところ、年誌の形態で、報告論文については四百字・二〇枚×五本、エッセー、小論は五枚×十二本程度までなら現行の会の予算でまかなえそうです。それを越える枚数は一定の割合での執筆者負担ということも考えられます。

 以上、いろいろと書き連ねましたが、勝手な思い込みもあるかも知れません。忌憚のないご意見をお聞かせ願えれば幸いです。〕

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幸い会員としては古参ではないにもかかわらず、私の提言は総会でも受け入れられて決議からあまり時間なかったが七本の論文と四本のエッセー、資料が集まり、「会報」と同じ「リコープリント」の印刷と製本で発刊にこぎつけることができた(注:資料参照)。『広場』の創刊号には次のような言葉で結ばれている「発刊の辞」が「発刊編集委員会」の名前で掲載された。

 「会発足の精神そのものが、『開かれた場』である以上、この会誌自体も『開かれた場』でなければならないだろう。これは私達にとってのペレストロイカである。試行錯誤を重ねながらも、新しい方向の定着を目指して、共同の努力をしたい。」

 ただ、残念なことに機関誌の編集に入った頃から暗雲を伴い始めていた湾岸情勢はさらに悪化して、一月一七日未明に戦争へと突入してしまった。このような情勢を受けて私は編集後記でこう記した。

〔「隣国を武力で併合したフセイン大統領の非は議論の余地無く明らかです。けれども、他国の武力併合に対する制裁として、武力行使の権利を与えた「国連決議」もまた論理的には矛盾していると言わなければならないでしょう。(……)ペレストロイカに連動して、新しい世紀への希望がふくらみかけていた世界は、暗い世紀末の様相すら示し始めているように思えます。ただ、このような困難な時代にこそ悲観的にならずに、冷静に現実を見つめ、ドストエーフスキイを媒介としながら根本的に問題を考えていくことが必要とされるのだと思います。

今回は大きな企画を立てることはできませんでしたが、冷牟田氏の協力で論文の題名の英訳を、安藤氏や本間氏の協力で資料を載せることができました。また、表紙には会員の小山田氏の絵を、そして装丁には渡辺氏の力をお借りすることができました。次回には「旧著新刊」のコーナーを設けて、会員の本を中心に図書の紹介もしたいと考えていますので、自薦他薦を問わず原稿をお届け頂ければと思っています。

機関誌の題名は「ドストエーフスキイの場」という案が有力でしたが、決定的なものに欠け、なかなか決まりませんでした。新谷先生も出席された最後の編集会議で「場」の代わりに「広場」ではどうかという案が出てようやく名前がつきました。

 初めは少し違和感もありましたが、何回も口に出してみるとだんだんと愛着がわいてくるよい名前だと思えます。ドストエーフスキイの「広場」に多くの人が集い、語り合い、時には互いに激しく論争し合うことによって、時代を模索し、少しでも何か新しいものを生み出せたらと思っています。(後略)」

 こうして、湾岸戦争後にソ連が崩壊し、東欧情勢も混迷の度合いを深める中で発刊された『広場』は発刊された。ただ、木下現代表が学務で忙しくなり、井桁貞義氏も学会などで多忙をきわめることになったために、私が事務局の代理を引き受けることになり池田和彦氏の助力と運営委員や多くの会員の方々の協力を得てなんとか毎年、欠かさずに発行することができた。

この時期の講演会や論文は「ドストエーフスキイの会」のホームページに掲載されている機関誌の目次からもうかがうことができるが、文芸講演会だけを拾っても川崎浹氏、新谷敬三郎氏、江川卓氏、井桁貞義氏などのドストエフスキー研究者だけでなく、評論家の富岡幸一郎氏や哲学者の中村雄二郎氏、夏目漱石の研究者・小森陽一氏の講演が毎年早稲田大学の会議室などで開かれた。

私自身にとって印象深かったのは、一九九六年に会員の横尾和博氏と作家の立松和平氏の講演会を、一九九八年にも作家・辻原登氏の講演会を東海大学松前記念館講堂で多くの聴衆を集めて開催することができたことである。

この時期の会の大きな活動の柱の一つになったのが、北海道大学教授の安藤厚氏を代表とし、木下豊房氏と望月哲夫氏を研究分担者とする共同研究会が立ち上げられて科学研究費による研究会が開かれ、国際ドストエフスキー・シンポジウムとも連動して活発な発表と交流が行われたことである(一九九六年~九八年)。その成果は二〇〇一年に木下豊房・安藤厚編著『論集・ドストエフスキーと現代――研究のプリズム』(多賀出版)として発行された。

また、一九九九年には懸案だった『場』の四号が発行され、未収だった一九八三年から一九九〇年までの「会報」すべてを収録することができた。

そのような活発な研究活動を反映して、二〇〇〇年には「二一世紀人類の課題とドストエフスキー」と題した国際ドストエフスキー研究集会が木下代表により千葉大学で開催された。その時の発表論文は『広場』だけでなく、«XXI век глазами Достоевского: перспективы человечества» という題名でモスクワでも発行された。

しかも、その際の経験はブルガリア・ドストエフスキー協会会長のディミトロフ教授が私に語ったように、昨年行われたブルガリア・ソフィア大学での国際ドストエフスキー・シンポジウムの開催に際しても活かされることになった。

以上、一九九〇年の『広場』創刊から約一〇年間を簡単に資料などに基づきながら振り返った。その後、今度は私が学務などに追われて次第に会の運営から遠ざかるようになり復帰したのは二〇〇九年のことであったが、その折にはネットの普及などにより編集方法が大幅に変わっていたことに驚かされた。それゆえ、この短い文章が呼び水となって当時の記憶を呼び戻し関心を高めて、会の創設期や二〇〇〇年以降の会の活動などに関する多くのエッセーや報告が次号で集まり、さらなる活発な研究へとつながることができれば幸いである。

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資料として『ドストエーフスキイ広場』(創刊号、1991年)の「目次」を以下に掲げておきます。

 

発刊の言葉

論文

『分身』の現在……横尾和博

キリーロフの分裂……――冷牟田幸子

『悪霊』について――神話的心理学的側面からの考察……清水正

エッセイ

ドストエフスキーとベケット……高堂要 

薄命の二つの死……小山田チカエ

発刊に際して……田中幸治 

トルストイとドスドフスキー……中曽根伝

論文

跳躍の失敗――『貧しき人びと』論……藤倉孝一純

ユートピアと千年王国――ドストエフスキーとベトラシェフスキー事件……一北岡浮

ドストエーフスキイのプーシキソ観――共生の思想を求めて……高橋誠一郎 

二葉亭四迷におけるドストエフスキー――『其面影』・『平凡』をめぐって……木下豊房

報告

札幌・小樽の「ドスドフスキー展」について……安藤厚

文献目録

ドストエフスキイ関係研究文献一1985~1990一 ……本間暁

規約、活動報告、編集後記

『悪霊』におけるキリーロフの形象をめぐって――太田香子氏の発表と西野常夫氏の論文

昨日、「ドストエーフスキイの会」の253回例会(報告者:太田香子氏)が行われました*1。司会者の熊谷のぶよし氏がメールで書いているように、「和室でやるのにちょうどいいぐらいの人数が集まって、充実した発表に対して、さまざまな意見が」出たよい例会でした。

実際、「『悪霊』の終盤で描かれているステパンの臨終の場面での彼の信仰告白の言葉」を「スタヴローギンの告白」とも比較しながら、人物の体系にも注意を払いながらテキストをきちんと読み込んだ発表は説得力に富むものでした。この発表については近く「傍聴記」が公表され、次号の『ドストエーフスキイ広場』には論文が掲載される予定です。

私にとってはキリーロフについての言及もたいへん興味深く、西野常夫氏の論文「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」の記述を思い起こしました*2。なぜならば、今年の5月に堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』についての発表をしました*3。その時は言及する時間的な余裕はありませんでしたが、そこで描かれている唐突な感じのキリーロフ論も椎名麟三の作品と深く関わっていると思われるからです。

今回の発表とは直接的な関係が無いので触れませんでしたが、2012年7月21日に行われた合評会での配布資料では椎名麟三のキリーロフ論こユニークさに触れていました。帰宅して調べて見るとホームページにもこの合評会の配布資料を掲載していなかったことが分かりました。

合評会での簡単な感想ですが、堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』におけるドストエフスキー作品の重要性を理解する上でも重要な考察でしたので、以下にアップします。

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椎名麟三の『悪霊』理解の深さとその意義――西野常夫氏の論文を読んで

はじめに

 私が論評することになったのは、九州大学の研究者・西野常夫氏の「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」という題名の論文です。

 木下豊房氏は椎名麟三論で「日本のドストエフスキー」と呼ばれた椎名が、「ドストエフスキーとの出会いとその影響を自ら『ドストエフスキー体験』と称して多くのエッセイで繰り返し語った」と書いていました*4。

 しかも、椎名は日本での上演のためにカミュの脚本をかなり短くした台本を書いていますが、2009年に出版されたアンジェイ・ワイダの訳書『映画と祖国と人生と‥・』(久山宏一、西野常夫、渡辺克義訳、凱風社)では、ほぼ同じ時期に上演されたカミュの台本による『悪霊』の上演についての記述があります。

 これらのことを視野にいれることにより、椎名麟三の二つの作品を比較してキリーロフ的人物像の深まりを明らかにしようとしたこの論文の意味に迫りたいと思います。

1,『死の家の記録』から『悪霊』への視野

 西野氏は独立運動に参加したために逮捕されて「鞭打ち刑二千回とシベリアでの強制労働が科せられ、1949年10月にオムスクの監獄送り」となったトカジェフスキが『監獄の七年』においてドストエフスキーについて、「自由と進歩のために囚われ人となったこの男が、すべての民族はロシアの支配下にはいる時こそ幸福になるのだと自説を開陳するのを聞くのは辛いことであった。彼は、ウクライナ、…中略…リトアニア、ポーランドなどが被占領国であるとは決して認めず、これらの土地はすべてもともとロシアのものなのだと主張」したことや、「世界で真に偉大な民族はすばらしい使命をおびたロシア民族だけ」と強調したと書いていることを指摘している*5。ここでまず注目しておきたいのは、このような理念が『悪霊』においてピョートルの手段を批判したために殺されたシャートフを想起させることである。

 一方、今回の論文では、昭和16年に脱稿されたものの未発表だった短編「小さな種族」では、「須巻」という主人公がキリーロフを彷彿とさせる人物であることを指摘した西野氏は、椎名が「数え年二十八のとき」に『悪霊』を読んで、「小説なるものの真実の意味」を知ったと書いていることを確認している*6。

 一方、木下氏はこのときに椎名がどのような状況であったかにも言及している。すなわち、椎名は「牢獄の経験はわずか二年たらずにすぎない。だが、この二年たらずの間に、私は精神的な危機というものを体験したのである」と書き、さらに「わが心の自叙伝」では、その理由について「一言で言えば、私の精神的土台の崩壊を見たといっていいだろう。一つは拷問のときの自己の無意味感である。何度か引き出されて拷問されたとき、今度は死ぬだろうと感じたとき、ふいに自分の一切が無意味に感じられたのである」と書いているのである。

 この椎名の言葉は『死の家の記録』の「病院」の章に記されている「いつもカトリック教の聖書を読んでいた」、「やせて背丈の高い、おどろくほど端正で、威厳さえある顔だちをした、もう六十近い老人」についての次のような文章を思い起こさせる。すなわち、その老人は、「いかにも心が美しく正直そうな目をしていた」が、その後「彼が何かの事件に関連して取調べを受けているという噂」を聞いてから、二年ほど後に再び彼と会った時には、「狂人として」、「わめきちらし、高笑いしながら病室へ入って」きたのである*7。

 人神論を考案して自殺したキリーロフにも要塞監獄でのドストエフスキー自身の苦悩が深く反映していると思われるが、「小さな種族」や「永遠なる序章」などの作品における椎名麟三の主人公たちにも、そのような極限的な苦悩を経験した者の刻印が深く刻まれているといえよう。

二、「小さな種族」から「永遠なる序章」へ ――キリーロフ的人物像の深まり

 短編「小さな種族」の「表層的なストーリーの次元」では、「のろまでお人好しの24歳の青年」須巻と、元同僚でニヒリストの来島、そして下宿屋の女主人で「整った美人型」の未亡人・三保子との三角関係が描かれているが、この短編では須巻と三保子との間で次のような会話が描かれている*8。

 「須巻はひどく度を失つて吃りながら云つた。『僕は、僕はただ、稲の葉の上を風が渡つて行きますね、ざわざわ揺れて日の匂さえしますね。いゝと思つたのです』/ 『それはどういふ意味なの?』三保子はいらだゝしげに呟いた。

 『それだけなんです、意味なんかないのです』」。

 この会話に注目した西野氏は、『悪霊』でもキリーロフとスタヴローギンとの会話が次のように描かれていることを指摘して、「小さな種族」の須巻は「キリーロフの世界観を念頭に置いて形成されたと考えて間違い無いであろう」と書いている。

 「『ぼくは十ばかりの頃、冬わざと耳をふさいで、葉脈の青々とくっきりとした木の葉を想像してみた。陽がきらきら照っているんです。それから目をあけて見たとき、なんだか本当にならないようでした。だって実にいいんですものね(後略)』

 『それはなんです、比喩ででもあるんですか?』

 『い……いや、なぜ? 比喩なんか。…中略…木の葉はいいもんです。何もかもいいです』」。

 一方、昭和23年に書かれた「永遠なる序章」では、「死への志向とニヒリズムを共有する点で、精神的同類であった」、「日本のスタヴローギン」ともいえる医者の銀次郎と、「余命いくばくもない」患者の安太との生き方を描いている。

 ここで主人公の安太は「生の喜びを知った後に、ほどなくして死んでしまう」が、西野氏は、「『五秒間に一つの生を生きるのだ。そのためには、一生を投げ出しても惜しくない。それだけの価値があるんだからね!』とキリーロフが言ったように、生の喜びを発見した安太は『明日は確実に自分にとって虚無であるにかかわらず、明日への激情』を体に感じ」たと描かれていることを確認している*9。

 それゆえ、西野氏は「安太にとって、ニヒリスト銀次郎の超克と生の賛美への到達が連動しているという構造は、『小さな人種』には欠けていた人物間の有機的関係を補充したものだと考えることができるのである」と結んでいる。

 この意味で注目したいのは、木下氏が「椎名によるドストエフスキー受容の最深地点」として、キリーロフがスタヴローギンに向かって、「すべてがよい」といい、後者が「少女を凌辱してもいいのか」と問い詰めると、キリーロフは「もちろんそうしてもいい。人間はすべていいからだ。しかしもし、それを悟ったら、娘っ子を辱めたりしないだろう」というくだりを挙げていることである。

 そして、椎名が「すべてはいい」ということと、「そうしないだろう」ということの間にある「矛盾」に椎名はある種の啓示を受けていることを指摘した木下氏は、「ここを読むたびに感動し、この矛盾した言葉の背後から、何かしら新鮮な自由をかんじさせる光が感じられてくるのであった」という椎名の言葉を紹介している。そして、その自由の光が「この矛盾の両項を成立させているイエス・キリストからやってきたものだ」と分かったと続けていることを紹介して、ここに「人間の全的な自由の宣言」とともに、そこから「個人的な自由として道徳を守る」という理想を、椎名は読みとっていると指摘している。

 たしかに、このような椎名の『悪霊』理解には、「白い手」の甘やかされた貴族の息子スタヴローギンのみを主人公として読み解くような昨今の読みを超える深さが感じられる。

 現在では言及されることの少ない二つの作品を比較することで椎名のキリーロフ理解の深まりを明らかにした西野氏の論文は一見地味だが、そこには明らかにワイダの映画『悪霊』も視野に入っており、『悪霊』論の本質的な意義にも迫っていると思える。

 

*1 太田香子「ステパンの信仰告白から読み解く『悪霊』」、高橋誠一郎ホームページ、http://www.stakaha.com/?p=8777 参照。

*2 西野常夫「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」『ドストエーフスキイ広場』(第21号、2012年)。

*3 高橋誠一郎「堀田善衞のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に」高橋誠一郎ホームページ、http://www.stakaha.com/?p=8513、参照。

*4 木下豊房「椎名麟三とドストエフスキー」『ドストエーフスキイ広場』(第12号、2003年)→「椎名麟三とドストエフスキー」(木下豊房ネット論集『ドストエフスキーの世界』)

*5 西野常夫「トカジェフスキの見たドストエフスキイ・『死の家』における二人の革命家の出会い」『ドストエーフスキイ広場』(第9号、2000年)

*6 椎名麟三「ドストエフスキーと私」『全集』冬樹社、第16巻、10頁。

*7 高橋誠一郎『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』刀水書房、120頁。

*8 椎名麟三『全集』冬樹社、第22巻、356~7頁。

*9 椎名麟三『全集』冬樹社、第1巻、425頁。

  (掲載に際しては一部改訂し、本文中の説明は注に移動した)

 

ドストエーフスキイの会、253回例会(報告者:太田香子氏)のご案内

「第253回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.154)より転載します。

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第253回例会のご案内

 

   下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

2019921(土)午後2時~5時

場所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分) 和室

                  ℡:03-3402-7854

報告者:太田 香子 氏

題 目: ステパンの信仰告白から読み解く『悪霊』

   *会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:太田香子(おおた きょうこ)

1986年生まれ。会社員。13歳で『罪と罰』を読んで以来、ドストエフスキー作品を読み続けている。ドストエフスキーの意図を丁寧に、正確に読み取ることに少しでも近づくことが変わらぬ目標。

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第253回例会報告要旨

ステパンの信仰告白から読み解く『悪霊』

 「ぼくにとって不死が欠かせないのは、神が不正を行うのを望まれず、またぼくの胸の中にひとたび燃え上がった神への愛の火をまったく消し去ることを望まれないという理由によるものです。愛より尊いものがあるでしょうか? 愛は存在よりも高く、愛は存在の輝ける頂点です。だとしたら、存在が愛に従わないなどということがありうるでしょうか? もしぼくが神を愛し、自分の愛に喜びをおぼえているとするなら―神がぼくの存在をも、ぼくの愛をも消し去って、ぼくらを無に変えてしまうなどということがありうるでしょうか? もし神が存在するとすれば、このぼくも不死なのです。コレガ・ボクノ・シンコウコクハクデス」(『悪霊』下巻 p.614 新潮文庫 江川卓 訳)

 今回の発表では、『悪霊』の終盤、ステパンの臨終の場面での彼の信仰告白の言葉(冒頭に掲げた台詞)を手掛かりに、『悪霊』で表現されようとしていたテーマを探りたいと思います。当該箇所は、『悪霊』の成立背景を考えたときに、「スタヴローギンの告白」で表現される内容と重なる部分があることから、ドストエフスキーが『悪霊』を通して表現しようとしていた考えの核心を捉えるには欠かせない場面であると思われます。また、発表者である私自身が、学生時代に読んで人生観を変えられるほどの衝撃を受け、その後も折に触れ繰り返し読み返してきた箇所でもあります。今回の発表を通して当該箇所の理解を深め、さらにそこで表現されているテーマが、いまを生きる人間にどのようにかかわりがあるのかを考えたいと思います。

 ステパンの信仰告白は抽象的な観念の表明となっています。また、『悪霊』全体を通してみたときに、それまでのステパンの人物像から予想される想定を上回る思考が表現されています。そのため、当該箇所のステパンの台詞の言い回し、言葉の選ばれ方に着目し、『悪霊』の全体を通してステパンの台詞の裏付けとなる箇所をいくつか取り上げ、比較検証を行うことで、ステパンの信仰告白で表現される概念が何と結びついているのか、またそれが意味するのはどのような思考なのかを検証します。

具体的には、「子ども」の概念をめぐるシャートフ、キリーロフ、スタヴローギンの立場の違いを切り口に、特にキリーロフの思想の特徴とそれに対するスタヴローギンの考えの違いを明らかにします。

また、マリヤ・レヴャートキナの回想、「スタヴローギンの告白」にあるスタヴローギンの夢の描写、ステパンの最後の台詞、の三つを比較検証することで、この三つの台詞相互の関連と、そこから読み取れるドストエフスキーが本作で表現しようとしていたと思われる考えについて考察を深めます。

そして、ステパンの最期の場面にある別の台詞にある、「左の頬を差し出せ」という言葉の意味が理解できたときほかにも会得することがあった、が何を意味しているのか、またなぜその台詞がステパンの人生の終わりに出てくるのかを考えます。

上記の考察を通して、冒頭に掲げたステパンの信仰告白から広がる、『悪霊』の読みの可能性を探っていきたいと思います。

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合評会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ドストエーフスキイの会、252回例会(合評会)のご案内

「第252回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.153)より転載します。

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252回例会のご案内

『広場』28号の合評会です。論評者の報告時間を10分程度と制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。                                        

日 時2019年7月27日(土)午後2時~5時         

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   03-3402-7854 

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掲載主要論文の論評者と司会者

川崎エッセイ:コンピューターアルゴリズムと地下室人 ―太田香子氏

五〇周年に寄せて:木下:会発足五〇周年にちなんで 福井:「感想」―会誌「研究Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」発刊の頃 高橋:「ドストエーフスキイ広場」発刊の頃 ―渡辺好明氏

清水論文:ドストエフスキイにおける癒しの人間学序説 ―近藤靖宏氏

冷牟田論文:ソーニャの愛と信仰、スヴィドリガイロフの「慈善」について ―菅原純子氏

野澤論文:残された憧憬を訪ねて ―熊谷のぶよし氏

泊野論文:ホフマンとドストエフスキー ―野澤高峯氏

赤渕論文:A.B.ルナチャルスキーにおけるドストエフスキー論 ―齋須直人氏

翻訳論文・D.L.リハチョフ:ドストエフスキーの年代記的時間 ―福井勝也氏

エッセイ、学会報告:フリートーク

司会:高橋誠一郎氏       

                              

*会員無料・一般参加者=会場費500円

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

堀田善衞のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

先ほど、「ドストエーフスキイの会」の例会発表が終わりましたので、配布したレジュメの一部をアップします。

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発表の流れ

序に代えて 島崎藤村から堀田善衞へ

a.島崎藤村の『破戒』と『罪と罰』

b.堀田善衞の島崎藤村観と長編小説『若き日の詩人たちの肖像』

c.『若き日の詩人たちの肖像』と島崎藤村の長編小説の類似点

 1、長編小説『春』における主人公と同人たちとの交友、自殺の考察

 2、明治20年代の高い評価

 3、『破戒』と同様の被差別部落出身の登場人物

 4、「復古神道」についての考察

d.「日本浪曼派」と小林秀雄

 

Ⅰ.「祝典的な時空」と「日本浪曼派」

a.「祝典的な時空」

b.「死の美学」と「西行」

c.大空襲と18日の出来事

d.『方丈記』の再認識

e.『若き日の詩人たちの肖像』の続編の可能性

 

Ⅱ.『若き日の詩人たちの肖像』の構造と題辞という手法

a. 卒業論文と「文学の立場」

b.『広場の孤独』と二つの長編『零から数えて』と『審判』

c.「扼殺者の序章」の題辞

「語れや君、若き日に何をかなせしや?」(ヴェルレーヌ)

 

Ⅲ、二・二六事件の考察と『白夜』

a. 第一部の題辞

「驚くべき夜であつた。親愛なる読者よ、それはわれわれが若いときにのみ在り得るやうな夜であつた。空は一面星に飾られ非常に輝かしかつたので、それを見ると、こんな空の下に種々の不機嫌な、片意地な人間が果して生存し得られるものだらうかと、思はず自問せざるをえなかつたほどである。これもしかし、やはり若々しい質問である。親愛なる読者よ、甚だ若々しいものだが、読者の魂へ、神がより一層しばしばこれを御送り下さるやうに……。」(米川正夫訳)

b. 河合栄治郎「二・二六事件の批判」

c.主人公の「生涯にとってある区分けとなる影響を及ぼす筈の、一つの事件」

d.「成宗の先生」の家の近くで『白夜』の文章を暗唱した後の考え

e.ナチス・ドイツへの言及

 

Ⅳ.アランの翻訳と小林秀雄訳の『地獄の季節』の問題

a. 第二部の題辞

「人を信ずべき理由は百千あり、信ずべからざる理由もまた百千とあるのである。人はその二つのあいだに生きねばならぬ」(アラン)。

「資本主義は、地上の人口の圧倒的多数に対する、ひとにぎりの先進諸国による植民地的抑圧と金融的絞殺とのための、世界体制へとまで成長し転化した。そしてこの獲物の分配は、世界的に強大な、足の先から頭のてつぺんまで武装した二、三の強盗ども(アメリカ、イギリス、日本)の間で行なはれてゐるが、彼らは自分たちの獲物を分配するための、自分たちの戦争に、全世界をひきずりこまうとしてゐるのだ。」(レーニン)

b. レーニンへの関心の理由

c.留置所での時間と警察の拷問

d.ほんとうの御詠歌と映画《馬》

e.アランの『裁かれた戦争』の訳と小林秀雄の戦争観

f.詩人プラーテンの「甘美な詩句」と小林秀雄訳のランボオの詩句

g.小林秀雄訳のランボオ『地獄の季節』の問題点

h.「人生斫断家」という定義と二・二六の将校たちへの共感

 

Ⅴ、繰り上げ卒業と遺書としての卒業論文――ムィシキンとランボー

a.第三部の題辞

「むかし、をとこありけり。そのをとこ、身をえうなき物に思ひなして、京にはあらじ」(『伊勢物語』作者不詳)。

「かくて誰もいなくなった」(アガサ・クリスティ)

b.時代を象徴するような題名と推理小説への関心

c.美しい『夢の浮橋』への憧れ

d.遺書としての卒業論文

e.真珠湾攻撃の成果と悲哀

f.小林秀雄の耽美的な感想

g.「謎」のような言葉

h.ムィシキンとランボーの比較の意味

i.長編小説における『悪霊』についての言及と小林秀雄の「ヒットラーと悪魔」

 

Ⅵ.『方丈記』の考察と「日本浪曼派」の克服

a.第四部の題辞

「羽なければ空をもとぶべからず。龍ならば雲にも登らむ。世にしたがへば、身くるし。いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし、たまゆらも、こころをやすむべき。」(鴨長明、『方丈記』)

「陛下が愛信して股肱とする陸海軍及び警視の勢力を左右にひつさげ、凛然と下に臨み、身に寸兵尺鉄を帯びざる人民を戦慄せしむべきである。」(公爵岩倉具視)

b.アリャーシャの『カラマーゾフの兄弟』論と「イエス・キリスト」論

c.国際文化振興会調査部での読書と国学の隆盛

d.「復古神道」とキリスト教

e.小林秀雄の『夜明け前』観と「近代の超克」の批判

f. 出陣学徒壮行大会での東条首相の演説と荘厳な「海行かば」の合唱

g.国民歌謡「海行かば」と保田與重郎の『萬葉集の精神-その成立と大伴家持』

h.審美的な「死の美学」からの脱出と『方丈記』の再認識

 

終わりに・「オンブお化け」と予言者ドストエフスキー

a.ドストエフスキーとランボーへの関心

b.『若き日の詩人たちの肖像』における「オンブお化け」という表現

「死が、近しい親戚か、あるいはオンブお化けのようにして背中にとりついている」

「未来は背後にある? 眼前の過去と現在を見抜いてこそ、未来は見出される」(『未来からの挨拶』の帯)。

c.過去と現在を直視する勇気

 

主な参考文献と資料

高橋誠一郎『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』

――「堀田善衞の『白痴』観――『若き日の詩人たちの肖像』をめぐって」『広場』

 ――狂人にされた原爆パイロット――堀田善衛の『零から数えて』と『審判』をめぐって(『世界文学』第122号、2015年12月)

――小林秀雄のヒトラー観、「書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって〕など。

『堀田善衛全集』全16巻、筑摩書房、1974年

堀田善衞・司馬遼太郎・宮崎駿『時代の風音』

竹内栄美子・丸山珪一編『中野重治・堀田善衞 往復書簡1953-1979』影書房

池澤夏樹, 吉岡忍, 宮崎駿他著,『堀田善衞を読む――世界を知り抜くための羅針盤』集英社

橋川文三『日本浪曼派批判序説』、講談社文芸文庫、2017年。

福井勝也「堀田善衞のドストエフスキー、未来からの挨拶(Back to the Future)」他。

山城むつみ「万葉集の「精神」について」など、『文学のプログラム』講談社文芸文庫、2009年。

ケヴィン・マイケル・ドーク著/小林宜子訳『日本浪曼派とナショナリズム』柏書房, 1999

松田道雄編集・解説『昭和思想集 2』 (近代日本思想大系36) 筑摩書房, 1974

鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』

鈴木昭一「堀田善衛諭――「審判」を中心として」『日本文学』16巻2号、1967

黒田俊太郎「二つの近代化論――島崎藤村「海へ」・保田與重郎「明治の精神」、鳴門教育大学紀要、『語文と教育』30観、2016年

中野重治「文学における新官僚主義」『昭和思想集』

井川理〈詩人〉と〈知性人〉の相克 ―萩原朔太郎「日本への回帰」と保田與重郎の初期批評との思想的交錯をめぐって」、『言語情報科学』(14)

ドストエーフスキイの会、第250回例会(報告者:福井勝也氏)のご案内

第250例会のご案内を「ニュースレター」(No.151)より転載します。

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第250回例会のご案内

    下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2019年3月16日(土)午後2時~5時

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分) 和室

                         ℡:03-3402-7854

報告者:福井勝也 氏

題 目: 堀田善衞のドストエフスキー、未来からの挨拶(Back to the Future

          *会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:福井勝也 (ふくい・かつや)

1954年東京都出身。1978年「ドストエーフスキイの会」入会、運営編集委員。

「全作品を読む会」世話人。「読書会著莪」会員(小森陽一講師)。「日本ドストエフスキー協会(DSJ)」研究会員。著書:ドストエフスキーとポストモダン』(2001)、『日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー』(2008)主要論考対象:ドストエフスキー、ベルクソン(前田英樹氏に師事)、小林秀雄、大岡昇平、三島由紀夫、安岡章太郎など

*   *   * 

第250回例会報告要旨

堀田善衞のドストエフスキー、未来からの挨拶(Back to the Future

 廻り合わせから、次回例会でお話をすることになった。会発足50周年(2019.2.12)を経て最初の、そして30年続いた「平成」最後の例会ということになる。だからといって特別な内容ではないが、自分なりの感慨も重なって発表を引き受けさせて頂いた。

今回論じようと思うのは、作家堀田善衞(1918~98年、大正7~平成10年)の文学、そのドストエフスキー文学との関連である。当方はこの4年程、多摩の読書会で堀田の主要作品を仲間と読み合って来た。ちなみに、2014~15年には『上海にて』(1959)『方丈記私記』(1971)『定家明月記私抄 (正・続)』(1986-88)、2016年には『若き日の詩人たちの肖像 (上・下)』(1968)、2017年には『ゴヤ(第1~4部)』(1974-77)、2018年には『ミシェル 城館の人(第1~3部)』(1991-94)というざっとそんな順であったと思う。そして昨年の堀田生誕100年・没後20年という記念の年を経て、今年の初めに、最初に読んだ『上海にて』に戻るかのように南京事件を扱った長編小説『時間』(1955)を読み始めている。

この多摩の読書会とのお付き合いは、かれこれ四半世紀余になる。講師は当会でもご講演頂いた近代文学研究者の小森陽一氏であるが、小規模な市民サークルで月一度の読書会にずっと参加させてもらって来た。その対象作品は、その時々の選択によるが、漱石から村上春樹までかなりの数になる。

そしてこの4年程は堀田作品を読み合って来た。はじめに断っておけば、当方は堀田善衞のそれ程良い読者ではないかもしれない。しかしここ数年間仲間と読んで来て、作家としてのスケールという点で、われらがドストエフスキーの系譜に連なる文学者であると確信するようになった。その点で、堀田は日本では珍しい世界文学者のタイプであって、これから評価が高まる作家だと感じる。その傍証になるかは不明だが、アニメーション作家の世界的巨匠、宮崎駿氏が堀田文学の愛読者であるということがある。氏は、そのwebサイト(堀田善衞「時代と人間」)の連載欄でこんな風に語っている。

この連載では、堀田氏の考え方たとえば「歴史は直線的に進むのではなく、多層的に存在している」というようなことを、既にあるもの、既に完成したものとして書き、それによって堀田氏を説明するというスタンスをとってきました。しかし、第8回のスペインの項でもわかる通り、堀田氏も最初から、そうした思想へと到達していたわけではありません。戦後、本格的に小説執筆を初め、そこにおいて、いかに自分の体験を消化(昇華)していくかという挑戦の果てに、自分なりの思想を掴み取ったのです。そしてその思想も年齢や時代を経るごとに、深化し、さまざまな側面を見せるようになります。

片や、最近号の「読書会通信」で当方は次の様に書いた。「これらの堀田の生涯をかけた文学作品を貫く「キイワード」を二つだけあげろと言われたら、当方今回の前置きで触れた、「天皇(制)」と「中国」と答えたいと思う。確かに『ゴヤ』のスペイ

ンが、『ミシェル』のフランスもあるわけだが、堀田にアジアからヨーロッパに向かわせる起点になったのは中国の「上海・南京」であり、そのさらに前提となった東京大空襲下で堀田が偶然に見かけた「昭和天皇」とそれを取り巻く戦火で家を焼かれた「日本民衆」の姿であった。」(「通信」No.172、web版もご参照ください。)

堀田文学の全体像を理解するためには、当方の「キイワード」ではおそらく<内向き>に過ぎるだろう。しかしこの間自分が堀田に絡めて、ドストエフスキーを再考するきっかけになったのが堀田の「天皇(制)」と「中国」であった。「通信(連載欄)」の「前書き」にも書いたが、「平成」が終わろうとしている時代の狭間にあって、現在日本人が直面する課題が、この「キイワード」と深く関係してくると思う。今回の発表は、堀田文学の視点から見た「ドストエフスキーと現代」であればとも思っている。

そして多摩の読書会(「著莪」)で考えたことを、その都度話題にして「感想」を書かせてもらって来たのが、われらが読書会「全作品を読む会」ということになる。今回例会でお話しする内容も、その辺からのもので「読書会」の成果だと考えている。

例えば、『若き日の詩人たちの肖像』(1968)の中で語られるドストエフスキー作品への言及、とりわけ当方が関心を抱いた「愛国者」に変貌してゆく一人の「若き詩人」が「アリョーシャ」と愛称されたこと。『ゴヤ』の描くスペイン戦争(対ナポレオン)での民衆をキリストに擬えて語る『五月の三日』の(宗教)絵画評。スペインとロシアをヨーロッパの西と東の「辺境」として語る堀田の地政学的知見。ミッシェル(モンテーニュ)の生きた宗教戦争の時代をドストエフスキーの言葉から見返す歴史的視線。さらに、作品に注目する契機にもなった堀田論考の、安岡章太郎の『果てもない道中記』(1995)に関連して読んだ「大菩薩峠とその周辺」(1959)の机龍之介論。これは日中戦争の時代まで書き継がれた中里介山作『大菩薩峠』(1913~1941)を、ドストエフスキーの作品(『罪と罰』『白痴』他)に言及し、その日本人の罪障観を天皇(制)の問題まで含めて論じようとした問題作だ。

さらには、宮崎氏指摘の堀田の「歴史を重層的なものとして見る見方」、さらにその視線を支えていると考えられる「時間論」「過去と現在が眼前にあって、未来が背後にあるもの」「未来からの挨拶」、今回新たな興味を抱かされたことなどもある‥‥。

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ドストエーフスキイの会、第249例会(報告者:熊谷のぶよし氏)のご案内

第249例会のご案内を「ニュースレター」(No.150)より転載します。

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第249回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                          

日 時2019年1月12日(土)午後2時~5時           

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)  

             ℡:03-3402-7854

報告者:熊谷のぶよし 氏

題 目: 「認知的共感」による『カラマーゾフの兄弟』の読解                       

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:熊谷のぶよし (くまがい・のぶよし)

61歳、妻有、子供二人 40歳の時にドストエーフスキイの会に参加。

過去に例会で発表した題目は次のとおり。

「ドミートリイ・カラマーゾフの二重性」「『永遠の夫』を読む」「戦士アリョーシャの誕生」「イワンの論理と感情」「「ネヴァ河の幻」出現の経緯」「ラスコーリニコフの深き欲望」 

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 第249回例会報告要旨

「認知的共感」による『カラマーゾフの兄弟』の読解

 共感は人が文学に接する上でもっとも重要な心の働きです。心理学では「共感」は一般的に「情動的共感」(emotional empathy)と「認知的共感」(cognitive empathy)に分けられます。「情動的共感」は他者との感情の共有のことで、普通に「共感」と言えば、こちらの意味で使われることが多いでしょう。一方「認知的共感」は、他者の心の知的な把握のことで、むしろ洞察や推論として理解される内容です。

 『カラマーゾフの兄弟』のなかで、共感という言葉にもっともふさわしい人物はアリョーシャでしょう。彼は、人の苦しみを自分の苦しみのように感じる能力を持つ「情動的共感」に優れた人物と思われがちです。しかし、改めてアリョーシャの共感能力が発揮される場面を見ると、彼がむしろ優れた「認知的共感」の持ち主であることが分かります。一例を挙げれば、イリョーシャの父、スネギリョフとのやりとりをリーザに説明する場面です。アリョーシャはスネギリョフに対して最善の対応をしましたが、それはスネギリョフの感情を自分のものとして共に苦しんだ結果ではありませんでした。アリョーシャの対応は、彼が、かつてゾシマから聞いた虐げられた人の心のあり方についての知識にもとづくものでした。ここで彼の行動を主導しているのは「認知的共感」の能力です。アリョーシャは「認知的共感」に基づいて「情動的共感」を働かせる人物といえるでしょう。この「認知的共感」に焦点を当ててこの小説を読んでみたいと思います。

 小説において「認知的共感」は二つのレベルで働きます。第一のレベルは、各登場人物が他の登場人物に対してどのように「認知的共感」を働かせているかということです。第二のレベルは、読者が各登場人物に対してどのように「認知的共感」を働かせるかということです。第二のレベルにおける視点がないと、第一のレベルでの各登場人物間の「認知的共感」を認知することはできません。第二のレベルの視点の獲得は、読者が小説にどのように向き合うかということにつながります。

 小説の向き合い方として、ある強烈な場面を全体の繋がりから切り離して深掘りしていく読み方や、統一的テーマを設定してその説明としてそれぞれの場面を解釈していく読み方がまずあるでしょう。こうした読み方は、読者の主観が投影されていて「情動的共感」にちかいところがあります。

 一方、登場人物を、小説の各場面の中だけに生きる者ではなく、描かれていない時空においても継続した人格を持って生きる者として捉える読み方もあります。その時登場人物は、読者が投影する主観とは異なる視野と内面を持つことになり、その理解のためには読者の「情動的共感」を保留した認知が必要となります。ドストエフスキーの小説は、そのような登場人物の人格の継続性と他者性を読者に認知させる手法によって書かれています。「認知的共感」はドストエフスキーの小説を読む上で適合性の高い観点といえるでしょう。

 今回の発表では、この観点によって作品の場面を検討するに当たって、「認知的共感」の一部をなす「心の理論」において、幼児の心理的発達を判定するために使用される「誤信念課題」<アンとサリー課題>をまず検討します。この<アンとサリー課題>は、ドストエフスキーの上述の手法を端的に表しているように私には思えます。

 その上で、『カラマーゾフの兄弟』の中での、前述のスネギリョフへの対応、「一本の葱」、スメルジャコフの遺書の意味、リーザの変心、ニーノチカとコーリャ、「あなたではない」のアリョーシャの発言、等々を「認知的共感」の観点から検討していきたいと思います。

 また、『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』ポール・ブルームも紹介したいと思います。この本は「情動的共感」に対する批判の書であると同時に、実行的愛と共感のあり方について新しい観点を提示しています。「認知的共感」と『カラマーゾフの兄弟』が結び付いたのはこの本によります。

 以前より、ドストエフスキーの小説における、描かれていない事実の系列と登場人物の内面の実在性に惹かれてきました。それを洞察や推論という言葉を使って考えてきました。「認知的共感」の概念を知ることによって、洞察や推論が共感の概念に取り込まれる可能性を見出しました。その上で「情動的共感」との関係性が主題化できることが分かりました。共感については、検討すべきことが山のようにあり、まだ暗中模索の状態です。発表プランが当日までに変わる可能性もあります。今回の発表は結論に落とし込むと言うより、仮説を提示する問題提起の場としたいと思います。

 

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ドストエーフスキイの会、第248例会(報告者:長縄光男氏)のご案内

第248例会のご案内を「ニュースレター」(No.149)より転載します。

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248回例会のご案内

   下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

 今回も前回同様に会場が変わります。要ご注意!                                          

20181117日(土)午後2時~5

場 所早稲田大学文学部戸山キャンパス31号館2階208教室

             地下鉄東西線・「早稲田」下車

報告者:長縄光男氏

題 目: ゲルツェンとドストエフスキー(序論)

    会場費無料

報告者紹介:長縄光男(ながなわ みつお)

1941年生。横浜国立大学名誉教授。専門は19世紀ロシア社会思想史。著書に『評伝ゲルツェン』(成文社、2012年)、『ゲルツェンと1848年革命の人びと』(平凡社、2015年)など。訳書にゲルツェン『過去と思索』(全3巻)(筑摩書房、1998-1999年)(金子幸彦との共訳)、ゲルツェン『向こう岸から』(平凡社、2013年)、最近の論文に「若いブルガーコフの回心の物語‐自伝的エッセーに即して」(科研費研究プロジェクト「競争的国際関係を与件とした広域共生の政治思想に関する研究」研究代表・大矢温、札幌大学、2014年、83-96pp.)、「若いゲルツェンと自然科学」(『ロシア思想史研究』第8号、2017年、19-30pp.)などがある。

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248回例会報告要旨

ゲルツェンとドストエフスキー(序論)

ドストエフスキーについてはすでに様々なことが書かれ、また語られ、今では書き尽くされ、語り尽されているといった感があるが、管見する限り、我が国ではドストエフスキーをゲルツェンとの関わりで論ずるという試みは、いまだなされていないように思われる。本日の報告がこの空白を埋めることになるならば幸いである。

ゲルツェン(1812年-1870年)とドストエフスキー(1821年-1881年)という十九世紀ロシアの思想界を代表する二人の知的巨人を併置して対論させるということの面白さは、二人が人間的にも、思想的にも、社会的にも、つまりは、あらゆる点で対照的な位置にありながら、しかしその立ち位置は微妙に交錯し、しかし、さらに精緻に見て行くと、その交錯の背後にやはり大きな隔たりを認めざるを得ない、という点にある。しかも、両者のロシアのロシア思想の歴史の中で果たす役割に大きさからして、この対立と交錯と離反という経緯には、思想史的に見ても極めて興味深いものがあるのである。

しかるに、我が国における両者の知名度には著しい差があり、ドストエフスキーに比べればゲルツェンはいまだ無名の域を出ていないようにすら見える。このことには、我が国の知的権威ともいうべきマルクスとドストエフスキーによる芳しからぬゲルツェン評が少なからざる役割を演じているのだろう。例えばマルクスは同じ時期(1850年代)にロンドンで亡命生活を送っていたにもかかわらず、一度としてゲルツェンと顔を合わせることはなく、亡命者たちの集会においてもゲルツェンと同席することを頑なに拒み続けていた。マルクスから見れば、ゲルツェンは「時代遅れのロマン主義者」「パン・スラヴ主義者」「ロシア政府の回し者」だったのである。又、ドストエフスキーから見ると、ゲルツェンは亡命することによって祖国を失った根無し草で、従って、神をも失った憐れな存在であった。ゲルツェンが我が国で無名を、あるいは不評を託ってきたのは、おそらく、そうした先入的知識のせいではないかと思うのである。しかし、ゲルツェンに親炙し、長年ゲルツェン研究に携わってきた者の目から見れば、これらの評価は著しい誤解と偏見に基づいていると言わざるを得ない。今日はドストエフスキーとの関係を論ずることを通じて、ゲルツェンの「汚名」をいささかなりとも雪ぐことができればうれしく思う。

そうした理由から、今日の報告はゲルツェンに軸足が置かれることになるだろう。標題が「ドストエフスキーとゲルツェン」ではなく、「ゲルツェンとドストエフスキー」となっていることに、その趣旨を読み取っていただきたい。

概して言えば、ゲルツェンとドストエフスキーという二人の大きさからして、両者の知的交流の跡を一時間半という短時間の中で十全に論じきることはほとんど不可能である。このテーマは今後とも深めて行くとして、今回の報告では、①両者の生きた19世紀中葉という時代がヨーロッパとロシアにとっていかなる時代であったか、そして、その中で両者はいかなる思想的課題を担っていたか、②両者の人間性にはどのような違いがあったか、③両者の出自にはどのような違いがあったのかなどを論じ、⓸両者の関係史をたどりながら論点を提示するにとどめ、両者の思想性の違いについては、その大まかな方向性を示すことで終わらざるを得ないことをご了承願いたい。標題に言う「序論」とはその謂いである。

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ドストエーフスキイの会、第236回例会(報告者:熊谷のぶよし氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、第236回例会のご案内を「ニュースレター」(No.137)より転載します。

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第236回例会のご案内

下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2016年11月19日(土)午後2時~5時         

場 所場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

報告者:熊谷のぶよし 氏

題 目: ラスコーリニコフの深き欲望

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:熊谷のぶよし (くまがい・のぶよし)

 59歳、妻有、子供二人 40歳の時にドストエーフスキイの会に参加。

過去に例会で発表した題目は次のとおり。

「ドミートリイ・カラマーゾフの二重性」「『永遠の夫』を読む」「戦士アリョーシャの誕生」「イワンの論理と感情」「「ネヴァ河の幻」出現の経緯」

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第236回例会報告要旨

ラスコーリニコフの深き欲望

三年前に『罪と罰』を再読したとき、センナヤ広場で身を投げ出すラスコーリニコフに圧倒的な解放感を体験した。彼のこの行為は、欲望に突き動かされたもので、その欲望と私は一体となり、自分もこの時このように身を投げ出すだろうと思った。この感想を人に話すと、「それではエピローグについてもわかったんですね」といわれて絶句してしまった。それ以来このつながりが気になっていて、今回の発表はこの宿題の回答である。ラスコーリニコフの深いところにある、人々とつながりたいという欲望を中心に小説を読んでいこうというものである。話す内容は以下の5章となる予定である。

1 最後の独白

『罪と罰』のエピローグにおける「彼女の信念がおれの信念となっていいはずではないのか?」というラスコーリニコフの独白は、ふつうソーニャの愛によってラスコーリニコフが信仰を得ることになったと解される。しかし、ラスコーリニコフの信念はソーニャの信念とはかけ離れたもので、それが容易に入れ替わるものとは思えない。この独白の中では、彼の信念とソーニャの信念は並立することになる。

こうした信念の持ち方は自己のあり方を不純なものにする。それは、独立した自己に重きを置く文学的な人間像からは受け入れがたいものであろう。しかし、この不純な自己のあり方を肯定的にとらえてみたい。囚人たちとの和解の契機ともなるこの信念の並立を、ラスコーリニコフが世界を肯定的に受け入れるあり方として考える。その結果、ラスコーリニコフの人々と繋がりたいという欲望が見えてくる。その欲望は、孤独や実存よりも深いものとしてある。その欲望にたどり着くために、その欲望の反転したものとしての彼の孤独について、以下の章で検討する。

2 ネワ川で体験したこと

ラスコーリニコフが犯行後に体験する孤独は、ロマン主義的な孤独とはまったく別物である。犯行前の孤独は彼が自ら選んだものであり、犯行後の孤独は人々の側から切りはなされたものだ。ラスコーリニコフのネワ川の体験の要諦は、犯行前に彼が体験した「唖、聾の鬼気」の異様な印象を、この時彼が体験していないということにある。かつて彼にとって貴重だったテーマはもはや意味を持たない。このことがふたつの孤独の断裂を示している。

3 警察署での孤独の体験

犯行後のラスコーリニコフの孤独とはどのようなものかを考える。

警察署でラスコーリニコフが体験した「せつない、無限の孤独と疎外の暗い感覚」は、人殺しによって、彼が人々とつながりたいという深い欲望を持つことができなくなったことに由来する。この感覚の発生の描写を引用し、下記の4点を中心に、ラスコーリニコフの人々と繋がりたいという欲望を探る。

①自意識の苦痛が消滅したこと、②嫌疑から解放されたことによる歓喜の体験を直前にし、それを忘れてしまっていること、③彼にとってどうでもいい人間達が貴重な存在となっていること、④そして彼らに話しかける理由を失ってしまったこと。

ラスコーリニコフの人々と繋がりたいという欲望は俗念にまみれたものであり、文学が避けてきたものでもある。あるべき自己イメージとかけ離れていて、この自覚は彼の自我を危うくする。この欲望はラスコーリニコフによって無意識に追いやられる。

4 センナヤ広場にて

ラスコーリニコフの深い欲望はセンナヤ広場で解放される。彼がセンナヤ広場で身を投げ出す時の感情の推移は、警察署で彼が経験した歓喜の感情から孤独という筋道の逆をたどる。ラスコーリニコフは、人々と繋がりたいという、深い欲望に突き動かされて身を投げ出した。しかし、この時においても、彼はその欲望が何かを自覚していない。

5 ソーニャの発見

流刑地において、ソーニャはラスコーリニコフに取ってどのような存在であったか。

彼は、病中に見た悪夢によって、すでに彼の側らにいるソーニャを再発見することになる。

悪夢の中心テーマは、前面に描かれている殺し合う人々ではなく姿の見えない「数人の清い、選ばれた人たち」である。彼らのあり方とソーニャとの関連性を明らかにする。

夢を覆う殺し合う者達は信念を持ちかつその信念を他者に押しつけようとしている。一方、「数人の清い、選ばれた人たち」が夢に姿を顕さないのは、彼らが殺し合う者達の持つ出現の要件を欠いているからだ。彼らは信念を持ちしかしその信念を他者に押しつけない。そのために夢に出現しないのだ。そう思えるのは、ラスコーリニコフが信仰を奨めないソーニャを驚きを持って見ているからだ。ソーニャがラスコーリニコフに信仰をすすめなかったのは、ラスコーリニコフが信仰を持つようになることを信じて疑わなかったからだ。あるいはもうすでに信仰を持っていると信じていたからであろう。そのことに気づいたラスコーリニコフは、「彼女の信念がおれの信念となっていいはずではないのか?」と思ったのだ。