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ヒトラー

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

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(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)――良心の問題と「アイヒマン裁判」

前回のブログ記事では触れませんでしたが、小林秀雄氏が『ヒロシマわが罪と罰』についての沈黙を守った最も大きな理由は、この書物ではこのころ世界を揺るがしていたアイヒマンの裁判のことにも言及されていたからではないかと私は考えています。

ドストエフスキーは『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフに、非凡人は「自分の内部で、良心に照らして、流血をふみ越える許可を自分に与える」(下線引用者)のだと説明させていました。

一方、著者の一人のG・アンデルスは、「何百万という人間、ユダヤ人、ポーランド人、ジプシーなどの、みな殺し計画にあずかり、この計画を実行にうつした人間」であるアイヒマンが、「自分は“テロの機構の中の一本の小さなネジ”にすぎなかった、そして、ヒトラーへの忠誠の誓いを誠実に実行したにすぎなかったのだと、“良心にかけて”証言しているのだ」と原爆パイロットのC・イーザリーに説明していたのです(244-5頁)。

さらにG・アンデルスは、ケネディ大統領に送った1961年1月13日付けの書簡で、アイヒマンの裁判のことにも言及しながら、原爆パイロットのC・イーザリーを次のように弁護していました。

「ちがいます。イーザリーは決してアイヒマンの同類ではありません。それどころか、まさにアイヒマンとはまったく対蹠的な、まだ望みのある実例なのです。自己の良心の欠如をメカニズムに転嫁しようとするような男とちがって、イーザリーは、メカニズムこそ良心にとっておそるべき脅威であるということを、はっきりと認めているのです。そして、そのことによって彼は、今日における道徳的な根本問題の核心を、ほんとうに突いているのです。」(218-9頁)

*   *

一方、「非凡民族」という思想にもつながるラスコーリニコフの「非凡人の理論」の危険性を軽視していた小林氏は、鼎談「英雄について」でヒトラーを「小英雄」と見なしていました。

さらに、1940年に書いた『わが闘争』の書評では「これは天才の方法である、僕はこの驚くべき独断の書を二十頁ほど読んで、もう天才のペンを感じた、僕には、ナチズムといふものが、はつきり解つた気がした、(以下略)」とヒトラーを賛美していたのです。

問題はこのような初出における記述が、『全集』に収められる際に変えられていることです。このことを果敢に指摘した菅原健史氏の考察を拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』から引用しておきます。

〈初出時と『全集』との文章の差異を克明に調べた菅原健史は、『全集』では「天才のペン」の前に、《一種邪悪なる》という言葉が加筆されていることを指摘し、そのために『全集』に依拠した多くの研究者が、戦時中から小林がヒトラーを「一種邪悪なる天才」と見破っていたとして小林の洞察力を賞讃していたことに注意を促している。

しかも菅原は、初出では引用した個所の直前には「彼(引用者注──ヒトラーのこと)は、彼の所謂主観的に考へる能力のどん底まで行く、そして其処に、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかり掴んでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる」という記述があったが、その部分は『全集』では削除されていることも指摘している。〉

数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社)について考察した〈「不注意な読者」をめぐって(2)〉では、小林秀雄氏が「ドストエフスキーという人には、これも飛び切りの意味で、狡猾なところがあるのです」と語り、小説の構造の秘密を「かぎ出さなくてはいけないのです。作者はそういうことを隠していますから」と主張していたことを紹介した後で、私は次のような疑問を記していました。

〈小林氏は本当に「作者」が「隠していること」を「かぎ出した」のだろうか、「狡猾なところがある」のはドストエフスキーではなく、むしろ論者の方で、このように解釈することで、小林氏は自分自身の暗部を「隠している」のではないだろうか。〉

「“テロの機構の中の一本の小さなネジ”にすぎなかった」と主張したアイヒマンの「良心」の問題にも鋭く迫っていた『ヒロシマわが罪と罰』は、小林氏の「良心」解釈の問題点をも浮かび上がらせているように感じます。

リンク→『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』(東京創元社)

リンク→『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

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「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

(2015年6月18日、写真と副題を追加。2016年1月1日、関連記事を追加)

 

「ワイマール憲法」から「日本の平和憲法」へ――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(2)

 

『永遠の0(ゼロ)』において次に注目したいのは、「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川が、「だが誰も戦争をなくせない」と続けていたことです。

この言葉からは絶望した者の苛立ちがことに強く感じられます。たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。

しかし、このような長谷川の認識には大きな落とし穴があります。それは広島・長崎に原爆が投下されたあとでは、世界の大国が一斉に核兵器の開発に乗り出していたことです。多くの科学者が「国益」の名のもとにその開発に従事するようになり、さらに強力な水爆や「原子力潜水艦」が製造され、1962年のキューバ危機では地球が破滅するような核戦争が勃発する危機の寸前にまでいたっていたのです。

つまり、「核兵器」を持つようになって以降においては、いかに「核兵器」の廃絶を行うかに地球の未来はかかっているのです。しかし問題はこのような深刻な事態にたいして、被爆国の政府である自民党政権が「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたことです。

さらに、1957年5月には満州の政策に深く関わり、開戦時には重要閣僚だったために、A級戦犯被疑者となっていたが復権した岸信介氏首相が「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁していたのです。

*   *

このような状況の下で、57年の9月には「日米が原爆図上演習」を行っていたことが判明したことを「東京新聞」は1月18日の朝刊でアメリカの「解禁公文章」から明らかにしています。

「七十年前、広島、長崎への原爆投下で核時代の扉を開いた米国は当時、ソ連との冷戦下で他の弾薬並みに核を使う政策をとった。五四年の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件で、反核世論が高まった被爆国日本は非核国家の道を歩んだが、国民に伏せたまま制服組が核共有を構想した戦後史の裏面が明るみに出た。 文書は共同通信と黒崎輝(あきら)福島大准教授(国際政治学)の同調査で、ワシントン郊外の米国立公文書館で見つかった。 五八年二月十七日付の米統合参謀本部文書によると、五七年九月二十四~二十八日、自衛隊と米軍は核使用を想定した共同図上演習「フジ」を実施した。場所は記されていないが、防衛省防衛研究所の日本側資料によると、キャンプ・ドレイク(東京都と埼玉県にまたがる当時の米軍基地)内とみられる。」

「核兵器」や「放射能」の危険性をきちん認識し得なかったという点で、岸信介元首相は、世界各国が「自衛」のために核兵器を持ちたがるようになった冷戦後の国際平和の面でも大きな「道徳的責任」があると言えるでしょう。

*   *

「核兵器」を用いても勝利すればよいとするこのような戦争観とは正反対の見方を示したのが、作家の司馬遼太郎氏でした。『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていたのです(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』、1972年)。

注目したのは、日本には原発が54基もあるという宮崎駿監督の指摘を受けて、作家の半藤一利氏が「そのうちのどこかに1発か2発攻撃されるだけで放射能でおしまいなんです、この国は。いまだって武力による国防なんてどだい無理なんです」と語っていることです。(『腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫)(68頁)。

*   *

この意味で注目したいのは、湾岸戦争後に「改憲」のムードが高まってくると、日本では敗戦後の「平和憲法」と第一次世界大戦の敗戦後のドイツの「ワイマール憲法」を比較して、揶揄することが流行ったことです。

リンク→麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

すでに引用したように、百田氏もツイッターで「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す」と記していました。互いに殺しあいを行う戦場では何を語っても無意味であり、声を上げる前に射殺されるだろうことは確実なので、「そこで戦争は終わる」ことはありえません。しかし、「もし、9条の威力が本物なら、…中略…世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」と書いていることの一端は真実を突いているでしょう。

イスラム教の国に十字軍を派遣したことがなく、アフガンや中東において医療チームなどが平和的な活動を続けてきた日本はそれなりに信頼される国になっており、交渉役としての重要な役を担えるようになっていたのです(安倍政権によって、これまでに積み上げられた信頼は一気にブルドーザーのような力で崩されていますが…)。

*   *

一方、『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、ヒトラーについて次のように書いていました。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか。…中略…政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

実際、「人種の価値に優劣の差異があることを認め(中略)、永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である」と主張して、「復讐」の戦争へと自国民を駆り立てた『わが闘争』においてヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦の責任をユダヤ人に押しつけるとともに、敗戦後にドイツが創った「ワイマール憲法」下の平和を軟弱なものとして否定しました。

さらにヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への新たな、しかし破滅への戦争へと突き進んだのです。

*   *

これまで見てきたことから明らかなように、第1次世界大戦後の「ワイマール憲法」と「核兵器」が使用された第2次世界大戦後に成立した日本の「平和憲法」では、根本的にその働きは異なっており、「核兵器」や「原発」の危険性をもきちんと視野に入れるとき「日本の平和憲法」が果たすべき役割は大きいと思われます。

私たちは「戦争」が紛争解決の手段だとする19世紀的な古く危険な歴史観から脱却し、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識すべき時期にきているのです。

「学徒兵・木村久夫の悲劇と映画《白痴》」を「主な研究」に掲載

 

強い関心を持っていた加古陽治著の『真実の「わだつみ」――学徒兵 木村久夫の二通の遺書』(東京新聞)が刊行されましたので、「戦犯」として処刑された学徒兵・木村久夫と、映画《白痴》の亀田欽司の人物像をとおして「植民地」と「戦争」との関連を新たな資料に基づいて考察しました。

拙著『黒澤明と小林秀雄』でも小林の歴史観に関連して触れましたが、『真実の「わだつみ」』を読みながら改めて強く感じたのは、「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたプロシア的な国家観から脱却しようとしたドイツと異なり、日本では未だに戦前の問題が残されているということです。

ヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進みました。私が危惧するのは、「日露戦争」での勝利を強調する政治家たちが日本を同じような道を歩ませようとしていることです。

復員兵の視点から戦後の日本を描いた黒澤映画《白痴》が提起している問題をきちんと考えなければならない時代にさしかかっていると思えます。

*   *

脱稿後に黒澤映画《醜聞(スキャンダル)》(1950)で主演した女優の山口淑子氏が亡くなくなられました。

黒澤明監督がなぜ彼女を選んでいたのかが気になっていたのですが、中国名・李香蘭で多くの映画に出演していたために祖国を裏切ったという罪で銃殺になるはずだった山口氏が、日本人であることが証明されて無罪となり、戦後は「贖罪」として平和活動をされていたことを報道特集で知りました。

論文では追記として記しましたが、「贖罪」という言葉は重く、映画《白痴》の亀田(ムィシキン)像を考える上でも重要だと思いますので、いつか機会を見て改めて考察したいと考えています。

リンク→学徒兵・木村久夫の悲劇と映画《白痴

リンク→「映画《醜聞(スキャンダル)》から映画《白痴》へ」を「映画・演劇評」に掲載

「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

文芸評論家の小林秀雄は、功利主義を主張するルージンとの対決などを省いた形で考察した1934年の「『罪と罰』についてⅠ」で、「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注――ラスコーリニコフ)には現れぬ」とし、エピローグは「半分は読者の為に書かれた」と解釈していました〔六・四五、五三〕。

そして、1936年に発表した「『罪と罰』を見る」と題した映画評で小林は、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》などを厳しく批判していたのです。

私は、スタンバーグ監督の映画を高く評価していた黒澤明が同じ年に、P・C・L映画撮影所(東宝の前身)に助監督として入社したことに注意を払うことで、黒澤映画《夢》が長編小説『罪と罰』と同じような「夢」の構造をしているのは偶然ではなく、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》の理解などをふまえて、エピローグや「良心」などについての小林秀雄の解釈を映像という手段で批判的に考察していた可能性が強いことを示唆しました(リンク先→「小林秀雄の映画《罪と罰》評と黒澤明」)。

 

昨日は憲法の意味を国民に説くべき「憲法記念日」でしたが、幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。

「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツがどのような事態を招いたかをきちんと認識するためにも1935年に公開されたスタンバーグ監督の映画《罪と罰》は重要でしょう。

この映画についてはあまり知られていないようなので、小林秀雄の映画評を簡単に紹介した後で、この映画の内容と現代的な意義を「映画・演劇評」で考察しました(リンク先→「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」

 

 

「『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』」を「書評・図書紹介」に掲載しました

 

文芸評論家・小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」についての考察を発表した際には、「テキストからの逃走」といういくぶん刺激的な題名を付けました。

その一番大きな理由は「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」と原作のテキストとは全く違う解釈をして、「自分の物語」を創作していたことによります。

もう一つの理由は、自らがナチズムの迫害にあった社会心理学者のエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』において、ヒトラーの考えと社会ダーウィニズムとの係わりに注目して、ヒトラーが「自然の法則」の名のもとに「権力欲を合理化しよう」とつとめていたことを指摘していたためです。

「神経症や権威主義やサディズム・マゾヒズムは人間性が開花されないときに起こる」としたフロムは、「これを倫理的な破綻だとした」(ウィキペディア)のですが、彼の説明は第一次世界大戦の後で経済的・精神的危機を迎えたドイツにおいて、なぜ独裁的な政治形態が現れたかを解明していると言えるでしょう。

このことに私が注目したのは、ドストエフスキーが『罪と罰』において行っていた主人公の「非凡人の理論」の批判が、「非凡民族の理論」の危険性をも示唆していたためです。

フロムが指摘した「自由からの逃走」という問題は、「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたプロシア的な国家観からいまだに脱却していないと思える現在の日本の政治状況にも重なっていると思えます。

(「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」参照)。

 

司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

 「特定秘密保護法案」に関する少し以前の記事をネットで探していたところ2013年11月28日の「毎日新聞」地方版に「やっぱりやってくれましたね、安倍首相…」という題名の記事が載っていたことが分かりました。

 衆院での強行採決を取り上げたこの記事は、安倍首相が就任当時の所信表明で「数の力におごることなく国民の声に耳を傾けたい」と語っていたのは「偽りだったようです」と指摘し、「秘密法案の是非を論じる以前に、国民の大半は『なぜ成立を急ぐのか』という疑問が解けていない、と思います」と続けています。

*    *   *

昨日のブログでは、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて石破茂幹事長が「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と自分のブログに記していたことに言及しました。

この石破茂幹事長の記述は「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と語っていた麻生副総理の発言を思い起こさせます。

毎日新聞の記事は、就任演説での所信表明を守らない安倍首相を批判していましたが、これらの発言に注目すると今回の強行採決は、「約束」を守るよりも自分の信じる「正義」を実行する勇気が大事であると安倍首相が考えているからではないかと思います。

なぜならば、安倍内閣の首脳たちの発言は、司馬遼太郎氏がその危険性を鋭く指摘していた「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとした明治期の国家観から今も脱却し得ていないことを示していると思われるからです。

それゆえ、このような安倍内閣によって提出された「特定秘密保護法案」に私は強い危機感を抱いており、今回の問題は単なる政治の問題ではなく、学問の根幹に関わる問題だと思っています。

*   *   *

拙著『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』では、フロムの『自由からの逃走』にも言及しながら、ラスコーリニコフの「非凡人の理論」と第一次世界大戦後のドイツにおける「非凡民族の思想」との関連をも考察していました。

ドイツが福島第一原子力発電所の大事故の後で、国民的な議論と民衆の「英知」を結集して「脱原発」に踏み切れたのは、ドイツ帝国やヒトラーの第三帝国の負の側面をきちんと反省していたからでしょう。

 青年の頃に「神州無敵」などのスローガンに励まされて学徒出陣した司馬氏も、イデオロギーを「正義の体系」と呼んでその危険性に注意を促していました。

 しかも政治的な問題には極力関わらないような姿勢を保持しながらも司馬氏は、日本が「昭和初期の別国」のような状態になることは、なんとしても防ぎたいとの強い覚悟も記していたのです。

(「司馬遼太郎の洞察力――『罪と罰』と 『竜馬がゆく』の現代性」参照)

   *   *   *

次回は社会心理学者フロムの『自由からの逃走』の考察をとおして、『罪と罰』の現代的な意義を再考察したいと思います。それは現代の日本の政治が抱えている「権威主義的な価値観」の問題にも迫ることにもなるでしょう。

(2016年2月10日。リンク先を追加)

関連記事一覧

司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題  

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

福島第一原子力発電所の大事故の後で、ドイツがいち早く脱原発に踏み切ったのに反して、チェルノブイリ原発事故と同程度の大事故を起こした日本では、政府レベルではそのような動きはあまり見られませんでした。

その時にまず感じたのは、チェルノブイリ原発事故の際にたいへんな危機感を感じていたドイツとは異なり、原発のさらなる増設に向けて動き始めていた日本ではおそらく報道の量も少なかったのだろうということでした。

さらに大きな違いとして私が考えたのは、ドイツ国民は「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたビスマルク的な国家観から脱却し、国民的なレベルでの議論の必要性を痛感していたのだろうということでした。

すなわち、ヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進んでいました。

しかし、ドイツ帝国は50年足らずで崩壊していましたが、第三帝国を目論んだヒトラー政権は、母国だけでなくヨーロッパ全域に甚大な被害を与えたあとで、あっけなく滅んでいたのです。

*    *   *

一方、日本ではどうだったでしょうか。すでにブログ記事「麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観」で紹介したように、『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は次のような厳しい批判をしていました。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

敗戦の原因と責任を議論してきちんと認識した本場のドイツとは異なり、日本では「プロシア風の政体」の危険性を敗戦後もきちんと議論しなかったために、認識していなかったのです。

その結果、『翔ぶが如く』の後書きで司馬氏が記しているようなことがおきました。

 *   *  *

  それは大蔵官僚の主導した「土地バブル」に多くの民衆が踊らされて、人々の生命をはぐくむ「大地」さえもが投機の対象とされていた時期のことでした。

 この問題で「土地に関する中央官庁にいる官吏の人に会った」司馬氏はその官僚から、「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」という意味のことを告げられたのです。

 「私は、日本の政府について薄ぼんやりした考え方しか持っていない。そういう油断の横面を不意になぐられたような気がした」と書いた司馬氏は、こう続けています。

「よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」(文春文庫、第10巻、「書きおえて」)

   *   *   *

福島第一原子力発電所の大事故のあとで、原子力産業を優遇してこのような問題を発生させた官僚の責任が問われずに、地震大国である日本において再び国内だけでなく国外にも原発の積極的なセールスがなされ始めた時、痛感したのは「書きおえて」に記された司馬氏の言葉の重みでした。

このような状態のまま「特定秘密保護法」が成立すると、政官財の癒着や国民の生命に関わる問題も「秘密の闇」に覆われることになる危険性が高いと思われます。   

(2016年11月1日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(4)――明治6年設立の内務省と安倍政権下の総務省

『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、2000年)を「著書・共著」に掲載しました

『罪と罰』はドストエフスキーがそれまでの自分の体験や当時の状況を踏まえて書いた渾身の長編小説です。

「主な研究(活動)」の前史でも書きましたが、都立広尾高等学校に在学中はベトナム戦争の時期だったこともあり、文学作品だけでなく宗教書や哲学書を夢中になって読みふけっていましたが、このころに「他者」を殺すことで、「自分」を殺してしまったという哲学的な言葉が記されているドストエフスキーの『罪と罰』と出会った時には、主人公の「非凡人の理論」の検証をとおして、功利主義的な考えや「弱肉強食の思想」、さらには自己の「正義」のためには大量殺戮も辞さない近代文明のあり方の根本的な考察がなされていると感じました。

ことにエピローグで主人公が見る「人類滅亡の悪夢」からは、すでにクリミア戦争の頃から急速に進歩を遂げるようになった機雷など最新の科学兵器の登場とその使用を分析することで、第二次世界大戦で使用され、世界を破滅させることのできる量が産み出された原子爆弾の使用とその危険性をも予告するとともに、近代的な自然観の見直しの必要性をも示唆していたことに強い感動を覚えました。

1992年に混乱のロシアを訪れたことで、『罪と罰』の世界を実感することがてきましたが、1994年から1年間、ブリストル大学のロシア学科で「ロシアと日本の近代化の比較」をテーマとして研究留学することができましたが、その際にリチャード・ピース(Richard Peace)教授の著作、Dostoevsky’s Notes from Undergroundを読む中で、日本では情念的な形で理解されることの多い主人公の言説には、イギリスで生まれた功利主義の哲学やイギリスの歴史家バックルが主唱した西欧中心的な文明観への強い反発が秘められていたことを確認することができました。

そのことは哲学的な視点と比較文学の手法を組み合わせた形で一般教養科目のための教科書『「罪と罰」を読む――「正義」の犯罪と文明の危機』(刀水書房、1996年)を書くことにつながりました。

職業的な作家であったドストエフスキーは、自分の作品がより多くの読者に読まれるように、悪漢小説や家庭小説の手法などさまざまな趣向を取り入れつつ、さらにエドガー・アラン・ポーのような推理小説的な手法で、主人公のラスコーリニコフが犯した「高利貸しの老婆」殺しの犯罪の「謎」に迫っていますが、そればかりでなく、近代的な知識人である主人公の「非凡人の思想」の批判的な検証をもきちんと行っていたのです。

この教科書を使った授業が好評でしたので、文明論的な視点をより強く出した新版『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、2000年)を発行しました。ただ、一般教養科目のための教科書として書かれたこともあり、授業での説明がないと分かりにくい点もあるので、もし改版の機会があれば、一般の読者にも読みやすく文学論としても興味深く読めるようなものにしたいとも考えています。

「《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影」を「映画・演劇評」に掲載しました

ブログの「アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』」にも記しましたが、作家・堀辰雄(1904~53)の小説『風立ちぬ』と同じ題名を持つ、宮崎駿監督の久しぶりのアニメ映画の主人公の一人が、戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎であることを知ったときに、このアニメ映画が政治的に利用されて「戦うことの気概」が賛美されて、「憲法」改正の必要性と結びつけられて論じられることを危惧しました。

しかし、その心配は《風立ちぬ》を見た後では一掃されました。なぜならば、この映画では堀越二郎と本庄季郎という2人の設計士の友情をとおして、「富国強兵」政策のもとに耐乏生活を強いられた「国民」の生活もきちんと描かれていたからです。

さらに『魔の山』に言及することで《風立ちぬ》は、当時の日本帝国とドイツ帝国との類似性を浮かび上がらせることにも成功していたと思えます。

私自身は作家トーマス・マンについて詳しく研究したことはないのですが、重要なテーマなので、今回は《風立ちぬ》論を「『魔の山』とヒトラーの影」と題して、「映画・演劇評」に掲載しました。

「著書・共著」に『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)を掲載しました

今日のブログに書いた「麻生副総理の歴史認識と司馬遼太郎氏のヒトラー観

という題名の記事で、司馬遼太郎氏の普仏戦争観やヒトラー観にふれましたので、

この問題を論じている標記の著作の「はじめに」の抜粋と「目次」を

「著書・共著」のページに掲載しました。