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「『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』」を「書評・図書紹介」に掲載しました

「『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』」を「書評・図書紹介」に掲載しました

 

文芸評論家・小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」についての考察を発表した際には、「テキストからの逃走」といういくぶん刺激的な題名を付けました。

その一番大きな理由は「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」と原作のテキストとは全く違う解釈をして、「自分の物語」を創作していたことによります。

もう一つの理由は、自らがナチズムの迫害にあった社会心理学者のエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』において、ヒトラーの考えと社会ダーウィニズムとの係わりに注目して、ヒトラーが「自然の法則」の名のもとに「権力欲を合理化しよう」とつとめていたことを指摘していたためです。

「神経症や権威主義やサディズム・マゾヒズムは人間性が開花されないときに起こる」としたフロムは、「これを倫理的な破綻だとした」(ウィキペディア)のですが、彼の説明は第一次世界大戦の後で経済的・精神的危機を迎えたドイツにおいて、なぜ独裁的な政治形態が現れたかを解明していると言えるでしょう。

このことに私が注目したのは、ドストエフスキーが『罪と罰』において行っていた主人公の「非凡人の理論」の批判が、「非凡民族の理論」の危険性をも示唆していたためです。

フロムが指摘した「自由からの逃走」という問題は、「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたプロシア的な国家観からいまだに脱却していないと思える現在の日本の政治状況にも重なっていると思えます。

(「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」参照)。

 

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