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2016年

「内務省の負の伝統」関連の記事一覧

先ほど、〈高市総務相の「電波停止」発言と内務省の負の伝統という記事をアップしました。

以下に、司馬遼太郎氏の作品をとおして考察した「内務省の負の伝統」関連の記事のリンク先を示しておきます。

 

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高市総務相の「電波停止」発言と内務省の負の伝統

昨日は安倍首相が国会答弁で「改憲」を繰り返した問題を取り上げましたが、「東京新聞」は今日(2月10日)の朝刊で、Q&Aの形で高市総務相が高市早苗総務相が八日に続き九日も衆院予算委員会で、テレビ局などが放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した」ことを報道していました。

*   *   *

A 心配なのは報道を萎縮させる動きだ。自民党は昨年四月、報道番組でやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが官邸批判したテレビ朝日のそれぞれの幹部から事情を聴取した。昨年十一月には、放送倫理・番組向上機構(BPO)が自民党によるNHK幹部の聴取を「圧力」と批判した。その後、看板キャスターらの降板決定が相次ぎ、報道のあり方を危ぶむ声もある。

Q やっぱり心配だね。

A 民主党の細野豪志政調会長は九日の記者会見で「放送法四条を振りかざして、メディアの萎縮をもたらすと非常に危惧する」と述べた。報道圧力と受け取られる政権側の発言は国会で議論になりそうだ。

*   *   *

この高市発言を読んで思い出したのは、昨年の夏に問題となった作家の百田尚樹氏の発言のことでした。

すなわち、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』があり、さらには元NHK経営委員を務めた作家の百田直樹氏が、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと自分が発言したことに関して、昨年、8月8日に東京都内で記者会見を行って「一民間人がどこで何を言おうと言論弾圧でも何でもない」と述べていたのです。

この発言に関して当初は百田氏を擁護していた安倍首相が3日の「衆院特別委員会」で「心からおわび」との発言をしたのに続き、菅官房長官も翁長知事との4日夜の会談で、沖縄をめぐる発言について「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と陳謝していました。

リンク→元NHK経営委員・百田尚樹氏の新聞観

しかし、安倍政権は陳謝する一方で陳謝させられたことに対する仕返しのように今度は閣僚が、上から目線で「放送や報道の萎縮につながる」発言を公然と始めたように思われます。

安倍政権の強圧的な姿勢については、〈安倍政権による「言論弾圧」の予兆〉(2014年12月13日)でも論じましたが、かつての内務省の流れを強く受け継いでいる総務省の大臣である今回の高市発言からは、ドイツ帝国にならって「内務省」の権限を強化し、「新聞紙条例」などで言論を厳しく弾圧した明治時代の「薩長藩閥政府」との類似性と危険性を強く感じます。

リンク→新聞記者・正岡子規関連の記事一覧

樋口一葉における『罪と罰』の受容(3)――「われから」をめぐって

今回は樋口一葉の最後の小説「われから」*(1896年5月)の主人公で「『赤鬼』と呼ばれる高利貸」となった与四郎の娘・お町と、『罪と罰』で描かれる高利貸しの老婆の義理の妹・リザヴェータとの簡単な比較をしてみたいと思います。

研究者の菅聡子氏は、ダイヤモンドに眼がくらんで自分を捨てたお宮に対する復讐として高利貸しとなった間貫一の話を描いた尾崎紅葉の『金色夜叉』(1897~1902)を紹介し、岩井克人氏の『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房)にも言及したあとで次のように記しています。

「高利貸は、人々の憎悪の対象であった。…中略…義理や人情といった〈情〉の論理にのっとっている共同体の内部の人々にとって、法律を見方につけ(もちろんそれを悪用してもいるのだが)、冷酷に取り立てを行う高利貸は、まさに共同体の外部の存在なのである」。

小説「われから」の筋で注目したいのは、下級官吏だった与四郎が、「赤鬼」と呼ばれる高利貸となったのは、貧しさに不満を持った美貌の妻・お美尾が、娘のお町を残して従三位という高い身分の軍人の元に出奔していたからであることを描いていたことです。

*   *   *

『罪と罰』ではラスコーリニコフとの次のような会話をとおして、高利貸の老婆の貪欲さが生々しく描かれています。

すなわち、ラスコーリニコフが父親の形見の時計を質に出して「ルーブリで四枚は貸してくださいよ」と頼み込んだときにも老婆は、「一ルーブリ半で利子は天引き、それでよろしければ」とつっけんどんに答えます(太字は引用者)。

突っ返されたラスコーリニコフは「腹だちまぎれに、そのまま出ていこう」としかけますが、怒りを圧し殺してかろうじて思い留まります。すると老婆は冷たく続けるのでした。

「月にルーブリあたり利子が十カペイカとして、一ルーブリ半だから十五カペイカ、一月分先に引かしてもらいますよ。それから、このまえの二ルーブリのほうも、同じ率で二十カペイカ。すると全部で三十五カペイカだから、あの時計であんたがいま受け取る分は、一ルーブリ十五カペイカの勘定になるね。さ、どうぞ」(第1部第1章)。

「天引き」というのは利子分を先に引いてしまうというやり方なのですが、ラスコーリニコフが後に入った安料理屋にたまたま居合わせた大学生は、高利貸の老婆アリョーナについて「たった一日でも期限をおくらしたが最後、さっさと質物を流してしまうとか、質草の値打の四分の一しか貸さず、利息は月に五分、いや、七分も取る」とも話し相手の若い将校に伝えていました(第1部第6章)。

1861年の農奴解放後に「農民が窮乏化したために、高利貸業が特にあくどい形態をとった」ようですが、この当時のロシアの平均的な「利息は二分ないし三分」だったことを考えれば、法外な利子であったといえるでしょう。

*   *   *

お町の父・与四郎が高利貸しになったのは、自分を捨てた妻への激しい恨みからでしたが、シェークスピアの『ヴェニスの商人』でも高利貸しのシャイロックがかねてから恨んでいた商人のアントニオに意趣返しをしようとして命を担保として金を貸したと描かれています。

船が期限までに戻らなかったために危機に陥った商人のアントニオは裁判官の大岡裁判のような見事な裁きによって救われるのですが、結末については直接、作品を読んでもらうことにして、ここではシャイロックの「金貸し」という職業が自ら望んで得たものではないことに注目したいと思います。

すなわち、イスラム教徒からの国土の奪還を目指したスペインのレコンキスタ(再征服運動)の余波で、スペインから追放されたユダヤ人には職業選択の自由がなく、生活するためにやむをえずに就いた職業だったのです。

『罪と罰』では「高利貸しの老婆」の非道さのみが描かれているようにも感じますが、しかしドストエフスキーは学生の言葉を伝える前に、さりげなく地の文で老婆が「十四等官未亡人」であるとの説明も記していました。

この説明だけでは日本の読者には分かりにくいと思いますが、ドストエフスキーが若い頃から敬愛し、第一作『貧しき人々』で詳しく言及もしていたプーシキンは短編「駅長」で、「そもそも駅長とは何者だろうか? 一四等官の官等をもつ紛れもない受難者で、この官位のおかげでわずかに殴打を免れているに過ぎず、それとても常に免れるものとは限っていないのである」と書いていました。

そのことに留意するならば、帝政ロシアの官等制度で最下級の官等であった一四等官の未亡人にとっては、「金貸し」という職業が生活のためには不可欠であったことも想像がつきます。

*   *   *

ラスコーリニコフが安料理屋であったその学生は老婆が義理の妹を「すっかり奴隷あつかいにしている」だけでなく、「ついこの間も、かっとなってリザヴェータの指に噛みついた」とも述べて、「ぼくは、あの糞婆さんなら、たとえ殺して金をとっても、いっさい良心の呵責を感じないね」語っていました(太字は引用者)。

この言葉を聞いたラスコーリニコフは、自分の他にも同じような考えを持つ者がいることを知って、密かにあたためていた「非凡人の理論」への確信を深めるとともに、老婆を殺害することはいじめられている義理の妹・リザヴェータを救うことにもなると考えたのです。

しかし、リザヴェータの不在となる時間をねらって老婆の殺害を企んだ筈だったラスコーリニコフが戻ってきた妹をも殺してしまったことを描いたドストエフスキーは、その後でリザヴェータがラスコーリニコフのシャツを繕ってくれていたことや、彼女がソーニャと十字架と聖像との交換をしていたこと、さらにはラスコーリニコフがシベリアで読むことになる『聖書』が、もともとは彼女がソーニャに与えていたものであることなどを明かしています。

ラスコーリニコフがリザヴェータを殺したあとで、彼女とのさまざまなつながりが『罪と罰』で描かれていることは重要でしょう。 尾崎紅葉の『金色夜叉』よりも一年前に「高利貸し」の問題を描いていた一葉も、お町の悲劇が「赤鬼」と呼ばれた高利貸の娘であったために起きたことも示唆していたのです。

*「われから」とは主に海藻の間にすむ甲殻類で、名前は乾くと体が割れることによる。和歌では多く「破殻 (われから) 」と掛け詞で「自分自身が原因で」という意味で用いられた(「デジタル大辞泉」)。

 

リンク→正岡子規の小説観――長編小説『春』と樋口一葉の「たけくらべ」

リンク→樋口一葉における『罪と罰』の受容(1)――「にごりえ」をめぐって

リンク→樋口一葉における『罪と罰』の受容(2)――「十三夜」をめぐって

「核の時代」と「日本国憲法」の重要性

リンク→文明論(地球環境・戦争・憲法)

ブログ記事を〈「核の時代」と「日本国憲法」の重要性〉と改題し、「文明論(地球環境・戦争・憲法)」のページとリンクします。

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(2016年3月9日。改題し、リンク先を追加)

「核の時代」と「改憲」の危険性

昨年9月に政府と自民・公明の与党は、日本国憲法の立憲主義をくつがえして、戦後の日本が培ってきた平和主義を破壊する戦争法(安保関連法)案を強行採決しました。

この強行採決が「無効」であったとの見解を法律家だけでなく多くの野党議員や「安全保障関連法に反対する学者の会」や学生組織・シールズ、そしてさまざまの市民団体が示してきました。

それにもかかわらず、「大義なきイラク戦争」を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官に「旭日大綬章」を贈るなど好戦的な姿勢をアメリカに示した安倍晋三首相は、その一方で現憲法を「占領時代につくられた憲法で、時代にそぐわない」と断罪し、衆議院予算委員会の審議においては連日のように「改憲」を明言しています。

しかし、広島・長崎の悲劇を踏まえて1947年5月3日に施行され、「第五福竜丸」の悲劇を経て深化した「日本国憲法」は、1962年のキューバ危機に現れたような「人類滅亡の危機」を救うすぐれた理念を明文化したものであり、世界の憲法の模範となるような性質のものと思われるのです。

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(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真。図版は「ウィキペディア」より)

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

*   *   *

原爆や原発の危険性に眼をつぶって安保関連法案を強行採決した安倍氏の歴史観が、日本とその隣国を悲劇に巻き込んだ東条英機内閣の閣僚を務めながらも、その問題を深く反省しないままに首相として復権した祖父・岸信介氏に近い危険なものであることについては、このブログでもたびたび言及してきました。

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(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

戦争法によって、これまでの政策を一変して武器や原発を売ることができるようにした安倍政権の政策は、世界を破滅寸前まで追い込んだ19世紀の「富国強兵」政策ときわめて似ているのです。

日本の報道機関や経済界は、このような危険性に気づきつつも目先の利益を優先して、「東京オリンピック」が終わるまでは安倍政権に権力を委ねることを選んでいるように見えます。

しかし、麻生副総理が「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた発言は内外に強い波紋を呼びましたが、ヒトラーがユダヤ人や第一次世界大戦の戦勝国への憎しみを煽りつつ戦争への具体的な準備を進めたのは、1936年のベルリン・オリンピックの時だったのです。

フクシマの被災地の現実を隠すようにして行われる「東京オリンピック」には強い疑問もありますが、せめて「平和なオリンピック」とするためには好戦的な本音を隠しつつ、「神社本庁」などの力を借りて「改憲」を目論む安倍政権を早期退陣に追い込むことが必要でしょう。

このHPでは「文学・映画・演劇」を中心的なテーマとして、あまり政治的なテーマは扱いたくはなかったのですが、安倍政権による「改憲」の危険性が差し迫ってきましたので、国民の生命を戦争や原発事故から守るために、「文明(地球環境・戦争・憲法)」(「書評・図書紹介」より変更)のページを設けて、原水爆や原発など原子力エネルギーの問題や戦争や憲法を決定する政治の問題を考察するようにしました。

また、〈「核の時代」と「日本国憲法」の重要性〉のペーともリンクしました。

リンク→「文明論(地球環境・戦争・憲法)」

リンク→〈「核の時代」と「日本国憲法の重要性〉

(2016年2月17日。図版を追加。3月9日、リンク先を追加)

樋口一葉における『罪と罰』の受容(2)――「十三夜」をめぐって

一葉の研究者である和田芳恵氏は、樋口一葉の婚約者だった渋谷三郎の兄で郵便局長だった渋谷仙二郎の家に、石阪昌孝を最高指導者とする自由民権運動の結社の事務所が置かれていたことを指摘しています(「樋口一葉 明治女流文学入門」『日本現代文学全集』第10巻)。

和田氏は一葉と渋谷三郎が会ったのが、大阪事件のあった明治18年で、この頃に三郎が自由民権運動から離脱していたことにもふれています。北村透谷の研究者には、よく知られていることと思われますが、一葉の経歴と透谷には、石阪昌孝という接点があったのです。

まだ奈津と結婚をするという覚悟の出来ていなかった三郎は、その後去っていったのですが、和田氏は顕真術者・久佐賀義孝に面会した後で一葉が記した激しい言葉に、「はじめて知ったころの、自由党の壮士渋谷三郎」との関わりを見ています。

*   *   *

樋口一葉が小説「十三夜」で描いたお関と『罪と罰』のドゥーニャとの簡単な比較は、「絆とアイデンティティ」という教養科目で用いた教科書『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』で行っていました。ここではそこでの考察を踏まえてもう少し掘り下げてみたいと思います。

研究者の菅聡子氏は「『十三夜』の闇」と題した章の冒頭で、こう記しています。

「『にごりえ』のお力が制度外の女性であったのに対して、『十三夜』で一葉が描いたのは、まさしく制度内の女--斎藤家の娘、原田の妻、太郎の母--としてのお関の姿であった」、「制度内の、あるいは家庭の中の女性にとって、〈娘・妻・母〉という制度内の役割以外の生は存在しないのだろうか」(『樋口一葉 われは女なりけるものを』NHK出版)。

正月の羽子板の羽が奏任官の原田の車に落ちるという偶然の出会いで原田勇に見初められ、身分の不釣り合いを超えて原田家に嫁いだお関は、初めの頃はちやほやされていたのですが、息子の太郎を出産した後は、教育のないことなどをさげすまれて、辛い毎日を送るようになっていたのです。

離婚を決意して戻ってきた娘の訴えを聞いた父親は、「お前が口に出さんとて親も察しる弟も察しる」と慰めるのですが、離縁という選択肢はほとんどありませんでした。このことについいて菅氏はこう説明しています。

「お関の父・斎藤主計(かずえ)は没落した士族であるらしい。その斎藤家の復興の望みが託されているのは、次期家長である亥之助(いのすけ)である。昼は勤めに出、夜は夜学に通う亥之助の、将来の立身出世がかなうか否かに斎藤家の将来もかかっているのだ。この彼の将来にとって、『奏任官』原田の力は絶大である」。

こうして一葉は「十三夜」で、勉強熱心な弟・亥之助や置いてきた幼い一人息子の太郎のことを持ち出されて説得され、「私の身体は今夜をはじめに勇のもの」と再び戻る決心をしたお関の苦悩を描き出していたのです。

このような「十三夜」の内容を詳しく知るとき、『罪と罰』で描かれているラスコーリニコフの妹・ドゥーニャの重い決心の理由もよく理解できるでしょう。

『罪と罰』で描かれることになる事件の発端は、ラスコーリニコフが母親からの手紙で、ドゥーニャが近くペテルブルクに事務所を開く予定の弁護士ルージンと婚約したことを知ったことにありました。

兄に送金するために「家庭教師として住みこむとき、百ルーブリというお金を前借り」していたドゥーニャは、雇用者のスヴィドリガイロフから言い寄られても、「この借金の片がつくまでは、勤めをやめるわけに」いかなかったのです。最初は、夫が誘惑されたと思い込んだ妻のマルファは悪い噂を広めたのですが、後にドゥーニャの潔白を知って、年配とはいえ立身出世していた自分の遠縁のルージンを結婚相手として紹介したのです。

ドゥーニャが婚約に至るまでのこのようないきさつを手紙で詳しく記した母のプリヘーリヤは、息子にやがてルージンの「共同経営者にもなれるのじゃないか、おまけにちょうどお前が法学部に籍を置いていることでもあるしと、将来の設計まで作っています」と書き、ドゥーニャについて「あの子が、おまえをかぎりもなく、自分自身よりも愛していることを知ってください」と書いた後で、「おまえは私たちにとってすべてです」と続けていました。

ここで注目したいのは、「十三夜」のお関の夫・原田が「明治憲法下の高等官の一種で、高等官三等から八等に相当する職とされていた」奏任官(そうにんかん)であったと記されていることです。弁護士のルージンも七等文官であると記されていますが、ロシアの官等制度のもとでは八等官になると世襲貴族になれたので、日本の制度に当てはめれば奏任官と呼べるような地位だったのです。

長編小説『罪と罰』の構成の見事さは、マルメラードフの家族の悲劇をきちんと具体的に描くことで、家族を養うために売春婦に身を落としたソーニャの苦悩をとおして、兄の立身出世のために中年の弁護士ルージンとの愛のない結婚を決意したラスコーリニコフの妹ドゥーニャの苦悩をも浮かび上がらせているにあると思います。

小説「にごりえ」でお力におぼれて長屋住いの土方の手伝いに落ちぶれた源七だけでなく、「自ら道楽者」と名乗る裕福な上客・結城朝之助も描いていた樋口一葉は、「十三夜」でも原田家に戻る途中のお関と「小綺麗な煙草屋の一人息子」であったが、おちぶれて「もっとも下層の職業の一つとされた」人力車夫に落ちぶれていた高坂録之助との出会いも描くことで、小説の世界に広がりを与えていたのです。

リンク→正岡子規の小説観――長編小説『春』と樋口一葉の「たけくらべ」

リンク→樋口一葉における『罪と罰』の受容(1)――「にごりえ」をめぐって

樋口一葉における『罪と罰』の受容(1)――「にごりえ」をめぐって

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映画《にごりえ》(今井正監督、1953年)*1。図版は「ウィキペディア」より。

前回は島崎藤村が長編小説『春』において樋口一葉と『文学界』同人たちとの関係をどのように描いていたかを見ましたが、北村透谷の『罪と罰』観の一端は、「一週間ばかり実家へ行っていた夫人」からその時期に何をしていたのかを尋ねられた青木(透谷)の答えをとおして描かれています。すなわち青木に『俺は考へて居たサ』と答えさせた藤村は、さらにこう続けていました。

「『内田さんが訳した「罪と罰」の中にもあるよ、銭とりにも出かけないで、一体何をして居る、と下宿屋の婢に聞かれた時、考へることをして居る、その主人公が言ふところが有る。ああいふ事を既に言つてる人があるかと思ふと驚くよ。考へる事をしてゐる……丁度俺のはあれなんだね。』」(『春』二十三)。

注で示した資料では同人たちによるドストエフスキーの作品やトルストイの『戦争と平和』、さらにユゴーの『レ・ミゼラブル』やエマーソンの論文などの翻訳を挙げることにより、内田魯庵の『罪と罰』訳やこの雑誌の精神的な指導者であった透谷の『罪と罰』論がいかに大きな影響を同人たちに与えていたかを確認しました。

リンク→正岡子規の小説観――長編小説『春』と樋口一葉の「たけくらべ」

比較文明学的な視点からの分析は、北村透谷の場合などを論じた「日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって」という論文で行っていましたが、ここでは比較文学論の視点から「樋口一葉における『罪と罰』の受容」についてもきちんと考察しておきたいと思います。

*   *   *

近代日本文学の研究者・平岡敏夫氏は論文〈「にごりえ」と『罪と罰』――透谷の評にふれて〉において、「この『罪と罰』が日本近代文学に及ぼした影響については、まだまだ言い尽くされているとは言いがたい。 その一例が樋口一葉の場合である」と記し、「奇跡の十四か月といわれる期間に」一葉はなぜこのような作品を生み出し得たのかと問い、「この〈奇跡〉はドストエフスキー『罪と罰』の影響抜きには考えられないというのが私などの立場である」と主張していました(『北村透谷――没後百年のメルクマール』、おうふう, 2009年)。

銘酒屋「菊の井」の人気酌婦・お力が、彼女におぼれて長屋住いの土方の手伝いに落ちぶれた元ふとん屋の源七に殺されるという「夕暮れの惨劇」を描いた小説「にごりえ」は、母親による男児殺しを描いた透谷の「鬼心非鬼心」と『罪と罰』における老婆殺しの影響を受けているとの見解を示した平岡氏は、マルメラードフ夫婦と源七夫婦との比較をした研究も紹介しています*2。

注目したいのは、その後で氏が「お力が、突然ラスコーリニコフ的歩行をするところに、この作品の深さと面白さがある」と書いた秋山駿氏の考察の重要性を指摘していることです。

「お力は一散に家を出て、行かれる物ならこのままに唐天竺《からてんぢく》の果までも行つてしまいたい、ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない処《ところ》へ行《ゆ》かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時《いつ》まで私は止められてゐるのかしら、これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だと道端の立木へ夢中に寄かかつて暫時《しばらく》そこに立どまれば、渡るにや怕し渡らねばと自分の謳ひし声をそのまま何処ともなく響いて来るに、仕方がないやつぱり私も丸木橋をば渡らずはなるまい(以下略)」

この文章を引用した秋山駿氏は「主人公が自分の心を直視しながら歩く。一葉がよくもこんなラスコーリニコフ的歩行の場面を採用したものだ」と感心するとともに、さらにこの後の文章も引用して「マルメラードフの繰り言」との類似や「身投げなど思うお力にはソーニャの面影がある」とも書いていることも指摘していたのです(『私小説という人生』新潮社)。

平岡氏が「一葉がことに翻訳小説が好きで、不知庵の『罪と罰』を借したときは、たいへんに悦び、くり返しくり返し数度読んだと『文学界』の同人戸川残花が語っている」ことにも言及していることに留意するならば、社会の底辺で生きる人々を描いた一葉の小説と『罪と罰』との類似性は明らかでしょう。

さらに木村真佐幸氏が「一葉”奇跡の十四ヶ月の要因」と題した章で*3、1894年に顕真術者・久佐賀義孝に面会して「一身をいけにえにして相場ということをやってみたい、教え給えと哀願」した一葉の言葉には「鬼気迫る壮絶観がある」と記していることを紹介した平岡氏はこう続けています。

「ラスコーリニコフと金貸しの老婆の存在、一葉と一葉が借金を申し込む久佐賀の存在とは、ある種の相似がありはしないか」。

 

*1 映画《にごりえ》は、「十三夜」「大つごもり」と「にごりえ」の3編を原作とした文学座・新世紀映画社製作、松竹配給のオムニバス映画。

*2 銘酒屋とは飲み屋を装いながら、ひそかに私娼を抱えて売春した店。

*3 木村真佐幸『樋口一葉と現代』翰林書房。

(続く)

リンク→日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって

安倍政権閣僚の「口利き」疑惑と「長州閥」の疑獄事件――司馬氏の長編小説『歳月』と『翔ぶが如く』

TPP秘密交渉を担当した甘利元経済再生相の「口利き」疑惑が一大疑獄事件へと発展しそうな気配になってきましたが、そんなか、今度は遠藤利明五輪相にも「口利き」の疑惑が発生しました。

リンク→アベノミクス」の詐欺性(4)――TPP秘密交渉担当・甘利明経済再生相の辞任

リンク→まとめ役は遠藤さん」…文科省職員証言毎日新聞)

*   *   *

このような事態は国内を揺るがした明治初期の汚職事件や疑獄事件を思い起こさせます。

まず発覚したのは、横浜で生糸相場を張るようになっていた元奇兵隊の隊長・野村三千三〔みちぞう〕から頼まれた山県有朋が「兵部省の陸軍予算の半分ぐらいに」相当するような巨額の金を貸したにもかかわらず、野村が生糸相場に失敗して公金を返せないという事態に陥った「山城屋事件」でした(『歳月』上・「長閥退治」)。

しかもこの事件の直後に、南部藩の御用商人・村井茂兵衛が得ていた尾去沢銅山の採掘権を、大蔵省の長官として「今清盛」とも呼ばれるような権力を握っていた井上馨によって没収されるという事件が起きたのです。前代未聞の汚職とその隠蔽の問題と直面した司法卿の江藤が、「信じられぬほどの悪政がいま、成立したばかりの明治政府において進行している」と憤激したことが、西南戦争につながったと司馬氏は指摘していました。

さらに、「フランス革命」の時期に利権で私腹を肥やし、「王政の復活のために暗躍」したタレーランと比較しながら「山県も似ている」と長編小説『翔ぶが如く』で記した司馬氏は、「『国家を護らねばならない』/と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した」と厳しく批判していたのです(二・「好転」)。

このような明治初期の考察を踏まえて、司馬氏が『坂の上の雲』で描いたのが、俳人・正岡子規が入社した新聞『日本』の記者たちの気概だったのです。

リンク→高橋『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』人文書館、2015年)

ことに第二次安倍政権に強く見られるようになった「おごり」や「腐敗」を厳しく追及する記事を書く気概を、現代の放送局や新聞社にも持って欲しいと願っています。

正岡子規の小説観――長編小説『春』と樋口一葉の「たけくらべ」

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(樋口一葉の肖像。図版は「ウィキペディア」より)

 

前回は〈正岡子規と島崎藤村の出会い――「事実」を描く方法としての「虚構」〉という記事を書きました。

そこでは1894(明治27)年に新聞『小日本』に掲載された北村透谷の追悼記事が正岡子規によって書かれていた可能性が高いことを確認するとともに、後に長編小説『春』で、北村透谷との友情やその死について描くことになる島崎藤村と子規との出会いの意味についても考えてみました。

長編小説『春』で描かれているのは、明治女学校を辞めた藤村(小説では岸本捨吉)が放浪から戻った1893(明治26)年の夏より、仙台の東北学院の赴任が決まって出発する1896(明治29)年の8月末までの時期で、1893年1月に創刊された『文学界』の同人たちとの交友も記されています。

注目したいのは、1893年3月に発表した「雪の日」から、「琴の音」、「花ごもり」、「やみ夜」「大つごもり」、そして「たけくらべ」など複数の作品を『文学界』に掲載していた樋口一葉(1872~96年。小説では堤姉妹の姉)の家庭についても次のように描かれていることです。

「『どうだね、これから堤さんの許(ところ)へ出掛けて見ないか。足立君も行ってるかも知れないよ』/こう菅が言出した。」

「そこには堤姉妹が年老いた母親にかしずいて、侘(わび)しい、風雅な女暮しをしていた。いずれも苦労した、談話(はなし)の面白い人達であったが、殊(こと)に姉は和歌から小説に入って、既に一家を成していた。この人を世に紹介したのは連中の雑誌で、日頃親しくするところから、よく市川や足立や菅がその家を訪ねたものである*」(百九)。

*   *   *

よく知られているように、森鷗外は7回にわたり連載された「たけくらべ」が1896年4月に『文芸倶楽部』に一括掲載されると、『めさまし草』の「三人冗語」で「吾はたとへ世の人に一葉崇拝の嘲を受けむまでも、此人に誠の詩人といふ称を惜しまざるなり」と一葉を称賛しました。

森鴎外と深い交友のあった正岡子規も、新聞『日本』に1896(明治29)年に連載していた随筆「松蘿玉液」(しょうらぎょくえき)の5月4日の回で「たけくらべ」を高く評価するのですが、注目したいのはその前段の「小説」という項目を次のように書き始めていたことです。

「文学者として小説を読めば世に小説程つまらぬ者はあらず、先ず劈頭(へきとう)より文章がたるみたり言葉が拙しとそれにのみ気を取られ、」「吾れ従来小説が好きながら小説を読むことは稀なり」としながらも、最後を「あれこれと読みもて行けばここに一物あり」と結んでいるのです。

そして、次の段で「たけくらべ といふ」と書き始めた子規は、「汚穢(おわい)山の如き中より一もとの花を摘み来りて清香を南風に散ずれば人皆其香に酔ふて泥の如しと」続けていました。

さらに「一行を読めば一行に驚き一回を読めば一回に驚きぬ。…中略…西鶴を学んで佶屈(きつくつ)に失せず平易なる言語を以て此緊密の文を為すもの未だ其の比を見ず。…中略…或は笑ひ或は怒り或は泣き或は黙する処に於て終始嬌痴(きようち)を離れざるは作者の技倆を見るに足る」と記した子規は、「一葉何者ぞ」と記していたのです。

1894年の末に「大つごもり」を発表してから「奇跡の十四か月」と言われる期間に「にごりえ」「十三夜」や「われから」など多くの佳作を残して、樋口一葉は1896年の11月に結核で亡くなるのですが、「松蘿玉液」における子規の記述は今もその意義を失っていないと思えます。

なお、島崎藤村の長編小説『春』には、内田魯庵の『罪と罰』訳のこともでてくるので、稿を改めて、次回は樋口一葉と『罪と罰』との関わりを簡単に考察することにします。

 

*注、足立のモデルは馬場孤蝶(1869-1940)、菅は戸川秋骨(1870 – 1939)、そして、市川は平田禿木(とくぼく、1873 – 1943)で、いずれも多くの翻訳書がある英文学者である。この雑誌たちの傾向を知る上でも興味深いので、以下に内田魯庵および『文学界』同人が1917年までに翻訳した作品の一部を掲載する。[]内は現代の題名。

内田魯庵:『罪と罰』内田老鶴圃、1892~93年、『損辱』[虐げられし人々]、『国民之友』、1894年5月~95年6月/『馬鹿者イワン』[イワンの馬鹿]、『学鐙』1902年/『復活』、新聞『日本』1905年4月5日-12月22日

馬場孤蝶(足立):「小児の心」[ネートチカ・ネズワーノワ]『明星』、1908年10月/「博徒」[賭博者]『明星』、1908年 11月/『戦争と平和』泰西名著文庫、1914年。

戸川秋骨(菅):ツルゲーネフ『猟人日記』(共訳・重訳)1909年/ 『エマーソン論文集』上下、玄黄社、1911-12年/ユゴー『哀史』(ああ無情)[レ・ミゼラブル]、泰西名著文庫、1915-16年。

 平田禿木(市川):サッカレー『虚栄の市』、国民文庫刊行会、1914–15年/『エマアソン全集 第1- 5巻』、国民文庫刊行会、1917年/デフォー『新譯ロビンソン漂流記』、冨山房、1917年。

注は井桁貞義・本間暁編『ドストエフスキイ文献年表・解説』(『ドストエフスキイ文献集成』第22巻、1996年7月、大空社)、榊原貴教編「ドストエフスキイ翻訳作品年表」デジタル版、および「ウィキペディア」などを参照して作成。

〈司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって〉を「主な研究」に掲載

先ほど、論文〈司馬遼太郎と小林秀雄――「軍神」の問題をめぐって〉を二つに分割しましたので、後半の部分も「主な研究」に掲載します。

「司馬遼太郎と小林秀雄(2)」の構成は以下のとおりです。

はじめに

一、司馬遼太郎の『殉死』と芥川龍之介の『将軍』

二、小林秀雄の『将軍』観と司馬遼太郎の「軍神」批判

 

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(1)――歴史認識とイデオロギーの問題をめぐって

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって