高橋誠一郎 公式ホームページ

日露戦争

「学徒兵・木村久夫の悲劇と映画《白痴》」を「主な研究」に掲載

 

強い関心を持っていた加古陽治著の『真実の「わだつみ」――学徒兵 木村久夫の二通の遺書』(東京新聞)が刊行されましたので、「戦犯」として処刑された学徒兵・木村久夫と、映画《白痴》の亀田欽司の人物像をとおして「植民地」と「戦争」との関連を新たな資料に基づいて考察しました。

拙著『黒澤明と小林秀雄』でも小林の歴史観に関連して触れましたが、『真実の「わだつみ」』を読みながら改めて強く感じたのは、「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたプロシア的な国家観から脱却しようとしたドイツと異なり、日本では未だに戦前の問題が残されているということです。

ヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進みました。私が危惧するのは、「日露戦争」での勝利を強調する政治家たちが日本を同じような道を歩ませようとしていることです。

復員兵の視点から戦後の日本を描いた黒澤映画《白痴》が提起している問題をきちんと考えなければならない時代にさしかかっていると思えます。

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脱稿後に黒澤映画《醜聞(スキャンダル)》(1950)で主演した女優の山口淑子氏が亡くなくなられました。

黒澤明監督がなぜ彼女を選んでいたのかが気になっていたのですが、中国名・李香蘭で多くの映画に出演していたために祖国を裏切ったという罪で銃殺になるはずだった山口氏が、日本人であることが証明されて無罪となり、戦後は「贖罪」として平和活動をされていたことを報道特集で知りました。

論文では追記として記しましたが、「贖罪」という言葉は重く、映画《白痴》の亀田(ムィシキン)像を考える上でも重要だと思いますので、いつか機会を見て改めて考察したいと考えています。

リンク→学徒兵・木村久夫の悲劇と映画《白痴

リンク→「映画《醜聞(スキャンダル)》から映画《白痴》へ」を「映画・演劇評」に掲載

「ぼく」とは誰か〈改訂版〉――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(2)

このシリーズの(1)では、「戦争体験者の証言を集めた本」を出版することになった新聞社の記者高山と、そのプロジェクトのスタッフに選ばれた「ぼく」の姉・慶子が、戦争についての深い知識を有していなければならないにもかかわらず、批判に対してきちんと反論ができなかったように描かれていることにまず注目しました。

次に、「物語の流れ」を分析して最初は誠実そうに見える新聞記者の高山という人物が、実は「オレオレ詐欺」のヒール(悪役)を演じる人物であり、慶子がその助手をしているのではないかという仮説を示しました。

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では、この小説で語り手をつとめている「「ぼく」とは誰でしょうか。

「スターウォーズのテーマで目が覚めた。携帯電話呼び出し音だ」という印象的な文章で始まる第1章では、30歳を過ぎてから弁護士となった「努力の人」である祖父の大石賢一郎にあこがれて弁護士を志していた「ぼく」が、司法試験に4年連続して不合格だったために、「自信もやる気も失せてしまい」仕事にも就かずぶらぶらと時間をつぶしていたことが記されています。

「亡霊」と題されたこの章では、「本当のおじいさんがどんな人だったのか、とても興味があるわ。だってこれは自分のルーツなのよ」と姉の慶子からアシスタントを頼まれたことで、実の祖父には「特別な感情」はなく、「突然、亡霊が現れたようなもの」と感じつつもこの企画に参加することになり、「最後」と題された第11章では「母に読ませるための祖父の物語」をまとめていると描かれているのです。

最初にブログに記した際にはこの小説における「書き手」の「ぼく」である宮部久蔵の孫・健太郎を作者の分身として解釈していましたたが、拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の第二部では、最初の内は「臆病者」と非難された実の祖父の汚名を晴らそうとした健太郎が、取材を続ける中で次第に取り込まれて後半では積極的に作者の思想を広めるようになる若者として解釈しました。

 普段は「売国奴」などの激しい「憎悪表現」を好んで用いる百田氏は、ここでは気の弱い若者を誘惑するような形で小説の構造を構築することにより、自分が宣伝したい「人物」の「正しさ」を強調するために、それとは反対の見方をする新聞記者・高山を徹底的にけなし追い詰めるというという手法により、読者をも第2次世界大戦へと引きずり込んだ「危険な歴史認識」へと誘っているのです。

そのように読み直したことにより、この小説の思想的な背景を、「新しい歴史教科書をつくる会」の「自由主義史観」や「日本会議」の神話的な歴史認識がなしていることをも明らかにしえたのではないかと考えています。

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『永遠の0(ゼロ)』は、ノンフィクションを謳った『殉愛』とは異なり、初めから小説として発表されているから問題はないと思う読者もいるかもしれません。

しかし、宮崎駿氏は『永遠の0(ゼロ)』を「神話の捏造」と批判しましたが、第二次世界大戦に際しては「鬼畜米英」といった「憎悪表現」だけでなく、「神州不滅」や「五族(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)協和」「八紘一宇(道義的に天下を一つの家のようにする)」などの「美しい神話」が語られて多くの若者がそれを信じたのです。

『永遠の0(ゼロ)』で蘇峰との関連で言及されている日露戦争の際にも、ポーランドやフィンランドを併合していた帝国ロシアと植民地を持たない日本との戦争は、「野蛮と文明の戦い」という「美しい物語」が作られていました。

しかし、夏目漱石は日露戦争後に書いた長編小説『三四郎』で、三四郎の向かいに坐った老人に「一体戦争は何のためにするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿気たものはない」と嘆かせていました。

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第2次世界大戦で敗色が濃厚になると日本では「一億玉砕」というスローガンさえ現れましたが、広島と長崎に原爆が投下されたあとも世界では核兵器の開発がすすみました。

地球が何度も破滅してしまうほど大量の核兵器を人類が所有した後で、戦争がどのような事態を招くかについては、政治家や軍人だけでなく一般の民衆も真剣に考えねばならない時期に来ていると思われます。

(2016年11月22日。青い字の箇所を改訂し、題名に〈改訂版〉を追加)

 

『永遠の0(ゼロ)』と「尊皇攘夷思想」

百田尚樹氏は小説『永遠の0(ゼロ)』の第9章で元特攻隊員だった武田に、新聞記者の髙山を「報国だとか忠孝だとかいう言葉にだまされるな」と怒鳴りつけさせ、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけさせて次のように語らせていました。

「日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた。」(太字引用者)

しかし、すでに記したようにそれは「大嘘」で、『蘇峰自伝』によれば蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたのです。

リンク→宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

それゆえ、戦争の状況を「国民」に正しく知らせないまま、戦争を煽っていた『国民新聞』は、政府の「御用新聞」とみなされて焼き討ちされていたのです。

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第一次世界大戦中の1916年(大正5年)に発行された『大正の青年と帝国の前途』の発行部数は当時としては異例の約100万部にのぼったのですが、そこで蘇峰は白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても「先頭から順次に」その中に飛び込み、「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」として、自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを褒め称えていたのです。

徳富蘇峰は、父の師で伯父にもあたる新政府の高官・横井小楠が明治2年に「専ら洋風を模擬し、神州の国体」を汚したとして暗殺され、そのような国粋主義に対する反発もあり、神風連の乱が起きた明治9年には熊本でのキリスト教への誓いに最年少で参加していました。

しかし、敗色が濃厚になった「大東亜戦争」の末期の一九四五年に最も激しく「神風」の精神を讃えたのが同じ蘇峰だったのです。

すなわち、『近世日本国民史』の「西南の役(二)――神風連の事変史」で蘇峰は、「神祇を尊崇し、国体を維持し」、「我が神聖固有の道を信じ、被髪・脱刀等の醜態、決して致しまじく」との誓約の下に団結して立ちあがった「神風連の一挙」を、「日本が欧米化に対する一大抗議であった」とし、「大東亜聖戦の開始以来、わが国民は再び尊皇攘夷の真意義を玩味するを得た」とし、「この意味から見れば、彼らは頑冥・固陋でなく、むしろ先見の明ありしといわねばならぬ」と高く評価したのです(太字引用者)。

リンク→『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)

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宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

前回の記事では『ビジネスジャーナル』の記事によりながら、「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている」と宮崎監督が厳しく批判したことや、百田氏が「全方位からの集中砲火」を浴びているようだと語ったことを紹介し、それはこの小説の「いかさま性と危険性」に多くの読者が気づき始めたからだろうという判断を記しました。

全部で12の章とプロローグとエピローグから成るこの小説については、小説の構成の意味など考えるべきことがいろいろありますが、今回はクライマックスの一つでも「歴史認識」をめぐる激しい口論のシーンを考察することで、『永遠の0(ゼロ)』の問題点を明らかにしたいと思います。

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小説の発端は語り手の「ぼく」が、「戦争体験者の証言を集めた本」を出版する新聞社のプロジェクトのスタッフに採用された「姉」を手伝うことになるところから始まります。

こうして、特攻隊員として死んだ実の祖父のことを知る「当時の戦友たち」をたずねて話を聞く中で、新聞記者・高山の影響もあり特攻隊員のことを「狂信的な愛国者」と思っていた「姉」の考えが次第に変わっていく様子が描かれているのです。

その最大の山場が新聞記者の高山隆司と「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則との対決が描かれている第9章です。

そこで、かつて政治部記者だった高山にわざと「特攻隊員は一種のテロリストだった」という単純で偏った「カミカゼ」観を語らせた百田氏は、その言葉に激昂した武田が「馬鹿者! あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか」、「報国だとか忠孝だとかいう言葉にだまされるな」と怒鳴りつけさせ、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけた武田の次のような言葉を描いています。

「日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた。」

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作家の司馬氏も「勇気あるジャーナリズム」が、「日露戦争の実態を語っていれば」、「自分についての認識、相手についての認識」ができたのだが、それがなされなかったために、日本各地で日本政府の弱腰を責めたてる「国民大会が次々に開かれ」、放火にまで走ることになったと記して、ナショナリズムを煽り立てる報道の問題を指摘していました(『「昭和」という国家』NHK出版、1998年)。

しかし、『蘇峰自伝』の「戦時中の言論統一と予」と題した節で德富蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたと書いていました。

自分の弟で作家の蘆花から「そうなら国民に事情を知らせて諒解させれば、あんな騒ぎはなしにすんだでしょうに」と問い質されると、蘇峰は「お前、そこが策戦(ママ)だよ。あのくらい騒がせておいて、平気な顔で談判するのも立派な方法じゃないか」と答えていたのです(徳富蘇峰『蘇峰自伝』中央公論社、1935年。および、ビン・シン『評伝 徳富蘇峰――近代日本の光と影』、杉原志啓訳、岩波書店、1994年参照)。

つまり、思想家・德富蘇峰の『国民新聞』が「焼き討ち」されたのは、彼が「反戦を主張した」からではなく、戦争の厳しい状況を知りつつもそれを隠していたからなのです。

司馬氏が『この国のかたち』の第一巻において、戦争の実態を「当時の新聞がもし知っていて煽ったとすれば、以後の歴史に対する大きな犯罪だったといっていい」と記していたことに留意するならば、司馬氏の鋭い批判は、蘇峰と彼の『国民新聞』に向けられていたとも想像されるのです。

さらに「カミカゼ」の問題とも深く関わると思われるのは、第一次世界大戦の最中の1916(大正5)年に書いた『大正の青年と帝国の前途』で德富蘇峰が、明治と大正の青年を比較しながら、「此の新時代の主人公たる青年の、日本帝国に対する責任は奈何」と問いかけ、「世界的大戦争」にも対処できるような「新しい歴史観」の必要性を強調していたことです(筑摩書房、1978年)。

リンク→  司馬遼太郎の教育観  ――『ひとびとの跫音』における大正時代の考察

司馬氏は日露戦争以降の日本で強まった「自殺戦術とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学」を長編小説『坂の上の雲』で厳しく批判していましたが、「忠君愛国」の思想の重要性を唱えるようになった蘇峰は、『大正の青年と帝国の前途』において白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても、白蟻が「先頭から順次に其中に飛び込み」、その死骸でそれを埋め尽し、こうして「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」として、集団のためには自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを大正の青年も持つべきだと記していたのです。

リンク→ 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)

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作家の司馬遼太郎氏が亡くなられた後で起きた1996年の「司馬史観」論争の翌年には、安倍晋三氏を事務局長とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられ、戦後の歴史教育を見直す動きが始まっていました。

これらのことを考慮するならば、安倍首相との対談で「百人が読んだら百人とも、高山のモデルは朝日新聞の記者だとわかります」と語って、朝日新聞の名前を挙げて非難したとき(『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』、66頁)、百田氏は厳しい言論統制下で記事を書いていた新聞記者よりも重大な責任を負うべき戦前の思想家や政治家など指導者たちの責任を「隠蔽」しているように見えます。

『永遠の0(ゼロ)』では語り手の姉が「来年の終戦六十周年の新聞社のプロジェクトのスタッフに入れたのよ」と語っていましたが、私自身は日露戦争勝利百周年となる2005年からは日本が軍国主義へと後戻りする流れが強くなるのではないかという怖れと、NHKの大河ドラマでは長編小説『坂の上の雲』の内容が改竄されて放映される危険性を感じて司馬作品の考察を集中的に行っていました。

しかし、太平洋戦争における「特攻隊員」を語り手の祖父としたこの小説に日露戦争のテーマが巧みに隠されていることには気付かず、いままで見過ごしてしまいました。

百田氏は先に挙げた共著の対談で、「安倍総理も先ほどおしゃっていたように、この本を読んだことによって、若い人が日本の歴史にもう一度興味を持って触れてくれることが一番嬉しいですね」と語っていました(67頁)。

司馬氏を敬愛していた宮崎監督が「神話の捏造」と百田氏の『永遠の0(ゼロ)』(単行本、太田出版、2006年。文庫本、講談社、2009年)を厳しく批判したのは、大正の青年たちに「白蟻」の勇敢さをまねるように教えた德富蘇峰の歴史認識を重要視する安倍首相が強引に進める「教育改革」の危険性を深く認識したためだと思えます。

今回は急で「大義のない」総選挙となりましたが、「親」や「祖父・祖母」の世代である私たちは、安倍政権の「教育政策」が「子供たち」や「孫たち」の世代にどのような影響を及ぼすかを真剣に考えるべき時期に来ていると思われます。

リンク→《風立ちぬ》と映画《少年H》――「《少年H》と司馬遼太郎の憲法観」

(続く)

 映画《風立ちぬ》関連の記事へのリンクは、「宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』」のシリーズが完結した後で、一括して掲示します。

 

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

経済学の専門家でない私が消費税の問題を論じても説得力は少ないだろうとの思いは強いのですが、この問題は「国民」の生活や生命にも重大な影響を及ぼすと思えますので、ここでは司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』にも言及しながら今回は武器の輸出入の問題を扱うことで、今は一時的にはうまくいっているように見えるアベノミクスが孕んでいる危険性を考察してみたいと思います。(HPの構成上、記事はトップに表示されますが、前回の記事「アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金」の続きです)。

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原発や武器の輸出と兵器購入の問題

アベノミクスにからむもう一つの大きな問題は、「原発問題」を隠すことで前回の選挙に勝った安倍政権が、原発の再稼働に積極的に行動しただけでなく、海外へも安倍首相自らがトップセールスを行っています。しかし、一時的には国内の企業に利益をもたらすかもしれませんが、輸出された国で事故が起きれば、企業や官僚、政治家に有利な今の法律ではその負担を日本国民がひき受けねばならなくなる可能性が強いことです。

リンク→原爆の危険性と原発の輸出

さらに武器の輸出を禁じていたにこれまでの自民党政権とは異なり、安倍政権は「経済活性化」のためという理由を掲げて、軍需が大きな比重を占めていた戦前のような経済体制への復帰を進めています。

素人の私にとってこの問題の象徴的な事柄と思えるのは、米軍基地を抱える沖縄などが「MV22オスプレイ」を持ち込ませないように強く求めていたにもかかわらず、防衛省が「来年度の概算要求に計上していた垂直離着陸機の機種選定」で正式決定し、「予算が認められれば2018年度に納入の予定」とのことが伝えられたことです。

しかし、今度の総選挙の費用が「過去の衆院選と同じ七百億円前後の経費が必要になる見通し」であることを伝えた「東京新聞」の11月22日の朝刊は、「国政選挙は一二年の衆院選、昨年の参院選と合わせて三年連続。この三年間で千九百億円程度の税金が選挙事務に費やされることになる」ことを明らかにしています。

政府は「中期防衛力整備計画」で、1機100億円以上とみられるオスプレイを18年度までに17機導入する方針を明記しているようですが、大幅な財政赤字が続いているだけでなく、「政府債務残高のGDP(国内総生産)比は財政破たんに追い込まれたギリシャをも上回る水準にあるとされる」にもかかわらず、消費税の増税分は「年金・医療・介護・少子化対策などの社会福祉」にあてるとの公約に反した大金の使い方がされているように感じます。

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オスプレイの購入と「日英同盟」

ブログ「ミリプロNews」は、オスプレイ6 機を購入することで合意していたイスラエルがオスプレイの購入をキャンセルするようだと報じたIsrael Hayom 紙の記事を伝えた後で、「イスラエルがキャンセルした場合、日本が最初の米国以外でオスプレイを導入する国になる可能性もある」と記しています。

これらの記事を読んで最初に思い出したのは、作家の司馬遼太郎氏が『坂の上の雲』で、日英同盟を結ぶことになる日本がイギリスから多くの最新の軍艦を購入していたことを詳しく描いていたことです。

公共放送であり国民からの「受信料」で運営されているNHKが3年間という長い期間にわたって放映したスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の影響で、多くの方が「日露戦争」を肯定的に考えるようになったと思われます。

しかし、太平洋戦争当時の指導者が「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断ったと指導者たちの「自国中心主義」をエッセー「石鳥居の垢」で厳しく批判していた司馬氏は、『昭和という国家』(NHK出版)でも、「日露戦争の終わりごろからすでに現れ出てきた官僚、軍人」などの「いわゆる偉い人」には、「地球や人類、他民族や自分の国の民族を考える、その要素を持っていなかった」と記しています。

このことを考慮するならば、司馬氏は政治家と高級官僚だけでなく軍需産業にも富をもたらした日露戦争が、一般の庶民からは富を奪うことになったと考えていたのではないでしょうか。

リンク→ 改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

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製艦費と「月給の一割」の天引き

司馬氏はシリーズ『街道をゆく』の『本郷界隈』の巻で、夏目漱石が日露戦争後に書いた長編小説『三四郎』で、三四郎の向かいに坐った老人が「一体戦争は何のためにするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿気たものはない」と嘆いたと描いていることに注意を促していたのです。

しかも司馬氏は、当時は「製艦費ということで、官吏は月給の一割を天引きされて」いたことに注意を向けて、「爺さんの議論は、漱石その人の感想でもあったのだろう」と続けていました(司馬遼太郎朝日文芸文庫、一九九六年、一九六頁、二七八~九頁)。

これらの文章に注目するならば、司馬氏は「憲法」を持たない「ロシア帝国」との国運を賭けた日露戦争にはかろうじて勝利したものの、この勝利がもたらした「道徳心の低下」だけでなく経済的な損失の面も、「勝利の悲哀」という題で講演した徳冨蘆花と同じようにきちんと認識していたと言えるでしょう。

このことについては急な総選挙のために執筆が遅れている拙著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』仮題)で明らかにしたいと考えています。

「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の失効

 

「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の喪失

 

昨年の10月25日に「特定秘密保護法案」を閣議決定し、その後、強行採決していた安倍内閣は、昨日、「集団的自衛権」を閣議で決定しました。

「集団的自衛権」の重大な問題点についてはすでに新聞などでも詳しく報道されていますが、「同時多発テロ」を理由にアメリカのブッシュ大統領が主導して行ったアフガンやイラクとの戦争には「大義」がなかったことが明白になっており、それが中東情勢やアフガンなどの混乱と直結しているのです。  

 安倍政権は中国などの脅威を強調して国民の不安を煽ることで、「国民の生命」を守るためには「集団的自衛権」が必要なことを強調しています。しかし、今回の法案は福島第一原子力発電所の大事故をまだ解決し得ていない日本が、国際的なテロに巻き込まれる危険性を増やし、「国民の生命」をより脅かすものだといえるでしょう。                     

「国民の生命」だけでなく、近隣諸国の安全にも関わる「集団的自衛権」の問題が、国会での十分な議論や国民への説明もほとんとないままに閣議で決定された2014(平成26)年7月1日を「昭和憲法」が実質的には失効した日として、記憶せねばならないでしょう。

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昨年の11月13日に私は、〈「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)〉というブログ記事で次のように書きました。

「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(『翔ぶが如く』、第3巻「分裂」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

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 「文明史家」とも呼べるような広い視野を有していた作家の司馬遼太郎氏は、日本が無謀な戦争へと突入することになる歴史的な経緯を、『坂の上の雲』や『翔ぶが如く』などの長編小説で描いていました。

 しかも司馬氏は、『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描き、その頃の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと歴史の連続性を指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していました(第2巻・「勝海舟」)。

「明治憲法」を有していた日本がなぜ、昭和初期の「別国」となったかについて司馬氏が明治を扱った長編小説で参謀本部や内務省の危険性に注意を促していたことに留意するならば、幕末の動乱を描きつつ司馬氏の視線が昭和初期の日本だけでなく、平成の日本にも向けられていたことは確かでしょう。

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昨日、「あとがきに代えて――小林秀雄と私」をブログにアップし、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』が私の手からは離れました。   

これからは積年の課題である『司馬遼太郎の視線(まなざし)』(仮題)に本格的に取り組むことで、「新聞記者としての正岡子規と漱石との友情」に注意を払いながら「憲法」の問題を分析することにより、「憲法」を持たなかったロシア帝国の滅亡を予告した秋山好古の言葉が終章で描かれている『坂の上の雲』の現代的な意義を解き明かすことにします。

   (7月4日、題名を〈「参謀本部の暴走」と「集団的自衛権の閣議決定」〉から変更し、記事を加筆)

 

「特定秘密保護法」と司馬遼太郎のナショナリズム観

特定秘密保護法」は国会できちんと議論されることなく政府与党によって強行採決されましたが、このことについてNHK新会長は、「一応(国会を)通っちゃったんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない。昔のようになるとは考えにくい」と会見で語りました。

ジャーナリストとしての自覚に欠けたこのような発言からは、国民の不安とナショナリズムを煽ることでこの法案の正当性を主張した政府与党の方針への追従の姿勢が強く感じられ、戦前の日本もこのような認識からずるずると戦争へと引き込まれていったのだろうと痛感しました。

今回は「自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている」瀬戸内寂聴氏への朝日新聞のインタビュー記事を引用し、その後で司馬氏のナショナリズム観を紹介することでこの法律の危険性を示すことにします。

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「朝日新聞」(1月11日)

 年内に施行される「特定秘密保護法」に対し、作家の瀬戸内寂聴さん(91)が「若い人たちのため、残りわずかな命を反対に捧げたい」と批判の声を上げた。10日、朝日新聞のインタビューに答え、自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている。

 表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。

 首相が集団自衛権の行使容認に意欲を見せ、自民党の改憲草案では自衛隊を「国防軍」にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。

 戦争に行く人の家族は、表向きかもしれませんが、みんな「うちもやっと、お国のために尽くせる」と喜んでいました。私の家は男がいなかったので、恥ずかしかったぐらいでした。それは、教育によって思い込まされていたからです。

 そのうえ、実際は負け戦だったのに、国民には「勝った」とウソが知らされ、本当の情報は隠されていました。ウソの情報をみんなが信じ、提灯(ちょうちん)行列で戦勝を祝っていたのです。

 徳島の実家にいた母と祖父は太平洋戦争で、防空壕(ごう)の中で米軍機の爆撃を受けて亡くなりました。母が祖父に覆いかぶさったような形で、母は黒こげだったそうです。実家の建物も焼けてしまいました。

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長編小説『坂の上の雲』において常に皇帝や上官の意向を気にしながら作戦を立てていたロシア軍と比較することで、自立した精神をもって「国民」と「国家」のために戦った日本の軍人を描いた司馬遼太郎氏は、その終章「雨の坂」では主人公の一人の秋山好古に、厳しい検閲が行われ言論の自由がなかったロシア帝国が滅びる可能性を予言させていました。

そして日露戦争当時のロシア帝国と比較しながら司馬氏は、「ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は潰滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)」と指摘していたのです(『この国のかたち』第一巻、文春文庫)。

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司馬氏は明治維新後の「征韓論」が藩閥政治の腐敗から生じた国内の深刻な対立から眼をそらさせるために発生していたことを『翔ぶが如く』(文春文庫)で指摘していました。

現在の日本でも参議院選挙の時と同じように、近隣諸国との軋轢については詳しく報道される一方で、国内で発生し現在も続いている原子炉事故の重大な危険性についての情報は厳しく制限されていると思えます。

今回のNHK会長の発言だけでなく、その発言を問題ないとした菅官房長官の歴史認識からは、戦争中に大本営から発表された「情報」と同じような危険性が強く感じられます。

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題

前回のブログ記事「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」で、人々の生命をはぐくむ「大地」さえもが投機の対象とされていた時期に、「土地に関する中央官庁にいる官吏の人に会った」司馬氏がその官僚から、「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」という意味のことを告げられて、 「油断の横面を不意になぐられたような気がした」と書いていたことを紹介しました。

その後で司馬氏は、敗戦後も「内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」と続けていたのです(『翔ぶが如く』第10巻、文春文庫、「書きおえて」)。

晩年の司馬氏の写真からは、突き刺さるような鋭い視線を感じましたが、おそらく今日の日本の状況を予想して苛立ちをつのらせておられたのだと思います。

このように書くと、いわゆる「司馬史観」を批判する歴史家の方々からは甘すぎるとの反論があるでしょう。

しかしプロシアの参謀本部方式の特徴を「国家のすべての機能を国防の一点に集中するという思想である」と説明していた司馬氏は、このような方向性は当然教育にも反映されることとなり、正岡子規の退寮問題が内務官僚の佃一予(つくだかずまさ)の扇動によるものであったことを『坂の上の雲』において次のように記していたのです。拙著、 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年、74~75頁より引用します。

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 このような風潮の中で…中略…後に「大蔵省の参事官」や「総理大臣の秘書官」を歴任した佃一予のように、「常磐会寄宿舎における子規の文学活動」を敵視し、「正岡に与(くみ)する者はわが郷党をほろぼす者ぞ」とまで批判する者が出てきていたのです。

 そして司馬は「官界で栄達することこそ正義であった」佃にとっては、「大学に文科があるというのも不満であったろうし、日本帝国の伸長のためにはなんの役にも立たぬものと断じたかったにちがいない」とし、「この思想は佃だけではなく、日本の帝国時代がおわるまでの軍人、官僚の潜在的偏見となり、ときに露骨に顕在するにいたる」と続けたのです。

 この指摘は非常に重要だと思います。なぜならば、次章でみるように日露戦争の旅順の攻防に際しては与謝野晶子の反戦的な詩歌が問題とされ、「国家の刑罰を加うべき罪人」とまで非難されることになるのですが、ここにはそのような流れの根幹に人間の生き方を問う「文学」を軽視する「軍人、官僚の潜在的偏見」があったことが示唆されているのです。

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  残念ながら、「特定秘密保護法案に反対する学者の会」の記事がまだ産経新聞には載っていないとのことですが、産経新聞には司馬作品の真の愛読者が多いと思います。日本を再び、昭和初期の「別国」とさせないためにも、この悪法の廃案に向けて一人でも多くの方が声をあげることを願っています。

(2016年11月2日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(5)―― 内務官僚の文学観と正岡子規の退寮問題

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

〈日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって〉を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

昨日、日本トルストイ協会での講演のレジュメを掲載しましたが、懇親会の席ではドストエフスキーの日本における受容についてのご質問がありましたので、「欧化と国粋のサイクル」という比較文明学会的な視点から、この問題を考察した標記の論考を「主な研究(活動)」に掲載しました。

この論文ではトルストイには言及していませんが、第3節で日露戦争の後で書かれた夏目漱石の長編小説『三四郎』における夏目漱石の考察に触れつつ、「日露戦争」と「祖国戦争」との類似性を指摘したことが、トルストイの『戦争と平和』と比較しながら『坂の上の雲』を分析した拙著 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)につながることになりました。

また、この論考では『罪と罰』の受容に絞ったために、それ以前のドストエフスキーの作品には言及していませんが、クリミア戦争敗北後の価値が混乱して西欧的な価値を主張する西欧派とロシア固有の価値を主張するスラヴ派の間で激しい議論が交わされていた時期に、ドストエフスキーは「大地主義」を唱えて、改革のゆるやかな前進の可能性を探っていました。

この試みは「欧化と国粋のサイクルの克服」という視点からはきわめて重要な試みでしたが、左右の思想の激しい対立の間で両派から批判され、検閲により発行停止にあったこともあり挫折してしまいました。そればかりでなく、その後もニーチェの哲学からの強い影響を受けて、ドストエフスキーは『地下室の手記』でそれまでの理想を捨てたとして、それ以前に書かれた作品を軽視したシェストフの解釈がロシアで広く受け入れられることになったのです。

そして、日本が国際連盟から脱退して国際社会からは孤立するようになっていた日本でも、「シェストフ的な不安」が広く受け入れられ、シェストフの解釈から強い影響を受けた文芸評論家の小林秀雄も、「大地主義」の時代に書かれた『虐げられた人々』や『死の家の記録』などの長編小説を軽視していました。

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー刀水書房、2002年)では、これらの長編小説や旅行記『冬に記す夏の印象』などの意義を詳しく考察しましたが、この著書を書いていた当時にも、日本が再び「国粋」のサイクルに入っているという強い危機感を抱いていましたが、その後の流れはますます加速しているようです。

ロシアや日本のように伝統が重んじられる国の大きな問題点は、司馬遼太郎氏が指摘していたように、特殊性が強調される一方で普遍性が軽視されて、冷静な議論がなされないためにブレーキがきかなくなって、情念に流され、革命や戦争のような破局にまで突き進んでしまう危険性が強いのです。

そのような危険性を回避するためにも、クリミア戦争敗戦後の混乱の時期にドストエフスキーが描いたこれらの作品はもう一度、真剣に読み直される必要があるでしょう。

「トルストイで司馬作品を読み解く」のレジュメを「主な研究(活動)」に掲載しました

 

2013年9月28日に昭和女子大学で、「トルストイで司馬作品を読み解く――『坂の上の雲』と『翔ぶが如く』を中心に」という題名の講演を行いました。

故藤沼貴前会長や川端香男里現会長はじめ著名な研究者を擁し、多くのすぐれた研究を積み重ねてこられたこの会で講演する機会を与えられたことを光栄に思っています。

最初は「『戦争と平和』で司馬作品を読み解く」という題名で発表しようと考えていました。しかし、大逆事件の前年に森鴎外は小説『青年』で、夏目漱石をモデルとした登場人物に、日本ではトルストイさえも「小さく」されていると語らせていましたが、それはドストエフスキーについてもあてはまると思えます。

『戦争と平和』のエピローグで「祖国戦争」の勝利のあとでたどるロシアの厳しい歴史を示唆したトルストイは、「日露戦争」の最中には敢然と戦争の惨禍を指摘していました。

一方、現在の日本ではきちんとした議論もないままに、「特定秘密保護法案」さえもが採択されそうな状況となり、福島第一原子力発電所の事故の状況さえも「国家的な秘密」とされたり、兵士が不足しているアメリカ政府の要請によって日本の若者が戦場へと送られる危険性が強くなってきています。

それゆえ講演ではまず、トルストイのドストエフスキー観をとおして日本の近代化のモデルとなったロシアの近代化の問題点を指摘し、その後で『戦争と平和』を強く意識しながら『坂の上の雲』を書いた司馬遼太郎の『翔ぶが如く』における「教育」と「軍隊」の制度や「内務省」と「法律」の問題の考察を明らかにすることで、トルストイの現代的な意義に迫ろうとしました。

ただ、長編小説『翔ぶが如く』はあまり有名な作品ではないので、司馬文学の愛読者以外の方にとっては少し難しい講演になってしまったと反省しており、論文化する際には、やはり『戦争と平和』と『坂の上の雲』の比較になるべく焦点を絞って書くようにしたいと考えています。

司会の労を執られた木村敦夫氏や事務局長の三浦雅正己氏はじめ、関係者の方々にこの場をお借りして感謝の意を表します。