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アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

経済学の専門家でない私が消費税の問題を論じても説得力は少ないだろうとの思いは強いのですが、この問題は「国民」の生活や生命にも重大な影響を及ぼすと思えますので、ここでは司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』にも言及しながら今回は武器の輸出入の問題を扱うことで、今は一時的にはうまくいっているように見えるアベノミクスが孕んでいる危険性を考察してみたいと思います。(HPの構成上、記事はトップに表示されますが、前回の記事「アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金」の続きです)。

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原発や武器の輸出と兵器購入の問題

アベノミクスにからむもう一つの大きな問題は、「原発問題」を隠すことで前回の選挙に勝った安倍政権が、原発の再稼働に積極的に行動しただけでなく、海外へも安倍首相自らがトップセールスを行っています。しかし、一時的には国内の企業に利益をもたらすかもしれませんが、輸出された国で事故が起きれば、企業や官僚、政治家に有利な今の法律ではその負担を日本国民がひき受けねばならなくなる可能性が強いことです。

リンク→原爆の危険性と原発の輸出

さらに武器の輸出を禁じていたにこれまでの自民党政権とは異なり、安倍政権は「経済活性化」のためという理由を掲げて、軍需が大きな比重を占めていた戦前のような経済体制への復帰を進めています。

素人の私にとってこの問題の象徴的な事柄と思えるのは、米軍基地を抱える沖縄などが「MV22オスプレイ」を持ち込ませないように強く求めていたにもかかわらず、防衛省が「来年度の概算要求に計上していた垂直離着陸機の機種選定」で正式決定し、「予算が認められれば2018年度に納入の予定」とのことが伝えられたことです。

しかし、今度の総選挙の費用が「過去の衆院選と同じ七百億円前後の経費が必要になる見通し」であることを伝えた「東京新聞」の11月22日の朝刊は、「国政選挙は一二年の衆院選、昨年の参院選と合わせて三年連続。この三年間で千九百億円程度の税金が選挙事務に費やされることになる」ことを明らかにしています。

政府は「中期防衛力整備計画」で、1機100億円以上とみられるオスプレイを18年度までに17機導入する方針を明記しているようですが、大幅な財政赤字が続いているだけでなく、「政府債務残高のGDP(国内総生産)比は財政破たんに追い込まれたギリシャをも上回る水準にあるとされる」にもかかわらず、消費税の増税分は「年金・医療・介護・少子化対策などの社会福祉」にあてるとの公約に反した大金の使い方がされているように感じます。

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オスプレイの購入と「日英同盟」

ブログ「ミリプロNews」は、オスプレイ6 機を購入することで合意していたイスラエルがオスプレイの購入をキャンセルするようだと報じたIsrael Hayom 紙の記事を伝えた後で、「イスラエルがキャンセルした場合、日本が最初の米国以外でオスプレイを導入する国になる可能性もある」と記しています。

これらの記事を読んで最初に思い出したのは、作家の司馬遼太郎氏が『坂の上の雲』で、日英同盟を結ぶことになる日本がイギリスから多くの最新の軍艦を購入していたことを詳しく描いていたことです。

公共放送であり国民からの「受信料」で運営されているNHKが3年間という長い期間にわたって放映したスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の影響で、多くの方が「日露戦争」を肯定的に考えるようになったと思われます。

しかし、太平洋戦争当時の指導者が「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断ったと指導者たちの「自国中心主義」をエッセー「石鳥居の垢」で厳しく批判していた司馬氏は、『昭和という国家』(NHK出版)でも、「日露戦争の終わりごろからすでに現れ出てきた官僚、軍人」などの「いわゆる偉い人」には、「地球や人類、他民族や自分の国の民族を考える、その要素を持っていなかった」と記しています。

このことを考慮するならば、司馬氏は政治家と高級官僚だけでなく軍需産業にも富をもたらした日露戦争が、一般の庶民からは富を奪うことになったと考えていたのではないでしょうか。

リンク→ 改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

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製艦費と「月給の一割」の天引き

司馬氏はシリーズ『街道をゆく』の『本郷界隈』の巻で、夏目漱石が日露戦争後に書いた長編小説『三四郎』で、三四郎の向かいに坐った老人が「一体戦争は何のためにするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿気たものはない」と嘆いたと描いていることに注意を促していたのです。

しかも司馬氏は、当時は「製艦費ということで、官吏は月給の一割を天引きされて」いたことに注意を向けて、「爺さんの議論は、漱石その人の感想でもあったのだろう」と続けていました(司馬遼太郎朝日文芸文庫、一九九六年、一九六頁、二七八~九頁)。

これらの文章に注目するならば、司馬氏は「憲法」を持たない「ロシア帝国」との国運を賭けた日露戦争にはかろうじて勝利したものの、この勝利がもたらした「道徳心の低下」だけでなく経済的な損失の面も、「勝利の悲哀」という題で講演した徳冨蘆花と同じようにきちんと認識していたと言えるでしょう。

このことについては急な総選挙のために執筆が遅れている拙著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』仮題)で明らかにしたいと考えています。

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