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〈日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって〉を「主な研究(活動)」に掲載しました

〈日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって〉を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

昨日、日本トルストイ協会での講演のレジュメを掲載しましたが、懇親会の席ではドストエフスキーの日本における受容についてのご質問がありましたので、「欧化と国粋のサイクル」という比較文明学会的な視点から、この問題を考察した標記の論考を「主な研究(活動)」に掲載しました。

この論文ではトルストイには言及していませんが、第3節で日露戦争の後で書かれた夏目漱石の長編小説『三四郎』における夏目漱石の考察に触れつつ、「日露戦争」と「祖国戦争」との類似性を指摘したことが、トルストイの『戦争と平和』と比較しながら『坂の上の雲』を分析した拙著 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)につながることになりました。

また、この論考では『罪と罰』の受容に絞ったために、それ以前のドストエフスキーの作品には言及していませんが、クリミア戦争敗北後の価値が混乱して西欧的な価値を主張する西欧派とロシア固有の価値を主張するスラヴ派の間で激しい議論が交わされていた時期に、ドストエフスキーは「大地主義」を唱えて、改革のゆるやかな前進の可能性を探っていました。

この試みは「欧化と国粋のサイクルの克服」という視点からはきわめて重要な試みでしたが、左右の思想の激しい対立の間で両派から批判され、検閲により発行停止にあったこともあり挫折してしまいました。そればかりでなく、その後もニーチェの哲学からの強い影響を受けて、ドストエフスキーは『地下室の手記』でそれまでの理想を捨てたとして、それ以前に書かれた作品を軽視したシェストフの解釈がロシアで広く受け入れられることになったのです。

そして、日本が国際連盟から脱退して国際社会からは孤立するようになっていた日本でも、「シェストフ的な不安」が広く受け入れられ、シェストフの解釈から強い影響を受けた文芸評論家の小林秀雄も、「大地主義」の時代に書かれた『虐げられた人々』や『死の家の記録』などの長編小説を軽視していました。

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー刀水書房、2002年)では、これらの長編小説や旅行記『冬に記す夏の印象』などの意義を詳しく考察しましたが、この著書を書いていた当時にも、日本が再び「国粋」のサイクルに入っているという強い危機感を抱いていましたが、その後の流れはますます加速しているようです。

ロシアや日本のように伝統が重んじられる国の大きな問題点は、司馬遼太郎氏が指摘していたように、特殊性が強調される一方で普遍性が軽視されて、冷静な議論がなされないためにブレーキがきかなくなって、情念に流され、革命や戦争のような破局にまで突き進んでしまう危険性が強いのです。

そのような危険性を回避するためにも、クリミア戦争敗戦後の混乱の時期にドストエフスキーが描いたこれらの作品はもう一度、真剣に読み直される必要があるでしょう。

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