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イェンドレイコ監督と黒澤映画――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(2)

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リンク映画・演劇評」タイトル一覧Ⅱ

イェンドレイコ監督と黒澤映画――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(2)

 4月29日に書いたブログ記事では「ドキュメンタリー映画なので手法は全く異なっていましたが、映像をとおして知識人の「責任」を鋭く問いかけていた黒澤監督の映画《夢》を見たあとのような重たい感銘が残りました」と記した。

  その時に考えていたのは、《パリ、テキサス》(1984年)や《ベルリン・天使の詩》(1987年)を撮ったドイツのヴィム・ヴェンダース監督が、長崎で原爆を被爆した祖母と孫達との心の交流を描いた《八月の狂詩曲(ラプソディー)》をきわめて高く評価していたことである。

映画《ベルリン・天使の詩》などの詳しい記憶はすでに薄れてしまったが、ドキュメンタリー的な手法で映画のストーリイを描いていたのが印象に残っていた。

そのヴェンダース監督は、1991年に行った黒澤監督との対談で、「黒澤映画に描かれる、木々の緑の美しさと雨のシーンは圧倒的だと、常々思っていましたが、今回も、雷に打たれた2本の木のシーンやラストの雨のシーンで黒澤映画の魅力が発揮されていました。映画史を振り返っても、黒澤さんほど美しく緑と雨を撮った監督はいないんじゃないかと思います」と語っていた(『03 Tokyo calling』6月号)。

 この言葉を受けて黒澤監督は「じつは、日本もいいロケ地がどんどんなくなっていてね、(中略)たとえば、川なんかでも護岸工事やっているから、自然の川はほとんどない」と語り、さらにヴェンダース監督の《夢の果てまで》にも出演した俳優の笠智衆にも言及していた(『大系 黒澤明』講談社、第4巻、524頁)。

*    *   *

イェンドレイコ監督も映画の後半で翻訳者のスヴェトラーナ・ガイヤーが久しぶりに故郷のウクライナに帰還したときのことを詳しく描き、そこで身体の弱った祖母をいたわりつつ同行した孫の目をとおして、祖母の体験の深い意味を描いている。

 そのようなシーンの一つが、かつてガイヤーが両親と過ごしたコウノトリの飛んでくる泉のあった別荘を探そうと孫娘と故郷の村を訪れるが、見つからなかったという場面である。

 その場面からは、かつてデルスが愛した森に彼の墓を作ったが、1910年に訪れたときには開発が進んで見つけることができなかったことが描かれていた映画《デルス・ウザーラ》の冒頭のシーンが思い起こされた。

 このシーンからはヴィム・ヴェンダース監督と同じようにイェンドレイコ監督も黒澤監督から強い影響を受けていたのではないかと感じられたのである。

 

タイトル一覧Ⅱ (ゴジラ関係、宮崎駿映画、演劇など)

リンク先タイトル一覧Ⅰ(黒澤映画、黒澤映画と関係の深い映画)

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)  

タイトル一覧Ⅱ (Ⅰ、映画、1,ゴジラ、2,宮崎映画、3,その他 Ⅱ、演劇関係)  

、映画

1,ゴジラ

映画《ゴジラ》考Ⅴ――ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立

映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「反核」の理念

 映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐怖

 映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

2、宮崎映画

黒澤明と宮崎駿(2)――《七人の侍》から《もののけ姫》へ

黒澤明と宮崎駿(1)――ロシア文学と民話とのかかわりを中心に

『罪と罰』のテーマと《風の谷のナウシカ》   ――ソーニャからナウシカへ 

アニメ映画《紅の豚》から《風立ちぬ》へ――アニメ映画《雪の女王》の手法 

 《風立ちぬ》Ⅱ――大地の激震と「轟々と」吹く風

 《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影 

《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志

映画《風立ちぬ》論Ⅴ――漱石の『草枕』と映画《風立ちぬ》(1)

映画《風立ちぬ》論Ⅵ――漱石の『草枕』と映画《風立ちぬ》(2)

『もののけ姫』の大ヒットと二一世紀の地球環境 

3,その他

黒澤明と手塚治虫――手塚治虫のマンガ『罪と罰』をめぐって

ブルガリアの歴史と首都ソフィア――黒澤映画《生きる》

映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観 

改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

大河ドラマ《龍馬伝》と「武器輸出三原則」の見直し

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

『白夜』の鮮烈な魅力――「甘い空想」の破綻を描く 

、演劇

想像力の可能性――もう一つのドストエフスキー劇

帝政ロシアの農民と安倍政権下の日本人――トルストイ原作《ある馬の物語》

安倍政権下の日本の言論状況とフォーキンの劇《語れ》

「忍び寄る『国家神道』の足音」と井上ひさし《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》

「記憶」の痛みと「未来」への希望 ――井上ひさし《きらめく星座――昭和オデオン堂物語》

井上ひさしのドストエフスキー観――『罪と罰』と『吉里吉里人』、『貧しき人々』と『頭痛肩こり樋口一葉』をめぐって

ドストエフスキー劇の現代性――劇団俳優座の《野火》を見る

現代の日本に甦る「三人姉妹」の孤独と決意――劇団俳優座の《三人姉妹》を見て 

蟹工船」と『死の家の記録』――俳優座の「蟹工船」をみて 

ブルガリアのオストロフスキー劇 

日本におけるオストロフスキー劇とドストエフスキー劇の上演 

詩人プレシチェーエフ――劇作家オストロフスキーとチェーホフをつなぐ者

劇《石棺》から映画《夢》へ モスクワの演劇――ドストエフスキー劇を中心に

 

タイトル一覧Ⅰ(黒澤映画、黒澤映画と関係の深い映画)

リンク映画・演劇評」タイトル一覧Ⅱ

Shubun_poster

(映画《醜聞(スキャンダル)》の「ポスター」、作成: Shochiku Company, Limited © 1950。図版は「ウィキペディア」による)

タイトル一覧Ⅰ(黒澤映画、黒澤映画と…)

1、黒澤映画

長編小説『罪と罰』の世界と黒澤映画――《野良犬》(1949)と《天国と地獄》(1963)

長編小説『白痴』の世界と黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(1960)

映画《静かなる決闘》から映画《赤ひげ》へ――拙著の副題の説明に代えて

黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎

「第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》

「黒澤明監督の倫理観と自然観」の要

小林秀雄の『虐げられた人々』観と黒澤明作品《愛の世界・山猫とみの話》 

映画《羅生門》から映画《白痴》へ

復員兵と狂犬――映画《野良犬》と『罪と罰』

映画《白痴》から映画《生きる》へ 

長編小説『罪と罰』と映画《罪と罰》 

映画《赤ひげ》と映画《白痴》――黒澤明監督のドストエフスキー観 

 黒澤映画《八月の狂詩曲(ラプソディー)》 

映画《醜聞(スキャンダル)》から映画《白痴》へ

 

2,黒澤映画と…

「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》

映画《惑星ソラリス》をめぐって――黒澤明とタルコフスキーのドストエフスキー観

映画《母と暮せば》を見て

 映画《この子を残して》と映画《夢》

スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》

イェンドレイコ監督と黒澤映画――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(2)

『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

ムィシキンの正確な映像化――ボルトコ監督のDVD《白痴》を見て

映画ポスター・三題――《白痴》、《ゴジラ》、《生きものの記録》

劇中歌「ゴンドラの唄」が結ぶもの――劇《その前夜》と映画《白痴》 

特集「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」と映画《生きものの記録》 

映画 《福島 生きものの記録》(岩崎雅典監督作品 )と黒澤映画《生きものの記録》

『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

はじめに

昨日の深夜に書いた映画《ドストエフスキーと愛に生きる》についてのブログ記事では次のように書いた。

〈ドキュメンタリー映画なので手法は全く異なっていましたが、映像をとおして知識人の「責任」を鋭く問いかけていた黒澤監督の映画《夢》を見たあとのような重たい感銘が残りました。〉

ドストエフスキー作品の重み――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て

この記述だけではわかりにくいと思えるので、今回は「贖罪」という訳語についての感想を記しておきたい。

一、『罪と贖罪』という訳

翻訳者ガイヤーが長編小説『罪と罰』という題名を『罪と贖罪』と訳しているとの説明からは、衝撃に近い感銘を受けた。なぜならば、「罰」というロシア語の単語を「贖罪」と訳すことは、一見、大学でロシア語を学び始めて間もない学生でも分かるような「誤訳」のように見えるからだ。

ガイヤー訳の『罪と罰』が日本ではまだきちんと紹介されてはいないので、断言することは難しい。しかし、ヴァディム・イェンドレイコ監督は、このドキュメンタリー映画に1923年に公開されたロベルト・ウイーネ監督の映画《ラスコーリニコフ》から主人公が「斧」を探す場面を挿入することで、外国人の観客にもガイヤーの『罪と罰』理解の深さを示唆しえていた。

この場面についてガイヤーは、多くの観客はここでラスコーリニコフが殺害のための「武器」である斧を見つけ出したことに「恐怖」ではなく、主人公の気持ちに寄り添って「ほっと」したのではないかと語り、ドストエフスキーが『罪と罰』で示唆した「非凡人の理論」の危険性が、きちんと伝わっていなかった可能性を指摘しているのである。

『罪と罰』のエピローグでは自分の理論に従って殺人を犯した主人公ラスコーリニコフのシベリアでの重たい時間や「人類滅亡の悪夢」が描かれていることに留意するならば、スターリンの粛正やナチスによるユダヤ人の虐殺、さらには原爆の二度にわたる投下などが行われた第二次世界大戦を踏まえるならば、「贖罪」という訳こそが「殺人者」ラスコーリニコフの心情に寄り添うだけでなく、原作の間違った理解を避ける「適訳」だと思える。

二、小林秀雄の二つの『罪と罰』論

このことを強く感じたのは、私が自分のドストエフスキー論の集大成とも考えている『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』をなんとか脱稿して、「あとがき」の文章をこの時期に考えていたためでもあるだろう。

「告白」の重要性に注意を払うことによって知識人の孤独と自意識の問題に鋭く迫った小林秀雄のドストエフスキー論からは、それまで高校の文芸部で小説のまねごとのような作品を書いていた私が評論という分野に移行するきっかけともなるほどの影響を受けた。

しかし、小林秀雄の『罪と罰』論や『白痴』のムィシキンの解釈を何度も読み返す中で、原作から多くの引用がされているがそこで記されているのは小林独自の「創作」ではないかという深刻な疑問を持つようになった。

たとえば、1934年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で小林秀雄は、「殺人はラスコオリニコフの悪夢の一とかけらに過ぎぬ」と書き、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と記していた〔四五〕。

この評論ががこれから日本が戦争に向かおうとしていた時期に書かれていることを考慮するならば、このような結論もやむを得なかったと思える。ラスコーリニコフが行った「正義の犯罪」をシベリアで悔いたと解釈することは、軍部に対する批判と見なされて逮捕され、拷問を受ける危険性もあったからである。

問題は戦後に書いた「『罪と罰』についてⅡ」でも、「物語は以上で終つた。作者は、短いエピロオグを書いてゐるが、重要なことは、凡て本文で語り尽した後、作者にはもはや語るべきものは残つてゐない筈なのである。恐らく作者は、自分の事よりも、寧ろ読者の心持の方を考へてゐたかとも思はれる」と、戦前と同じような見解を小林が記していることである〔二五〇〕。

 三、小林秀雄とガイヤーの歴史認識

「『罪と罰』についてⅡ」からはそのような認識の深まりは感じられなかったが、「歴史について」という題で評論家の河上徹太郎と1979年に行った対談で、「歴史をエモーショナルに掴む、と君は言うが、歴史の『おそろしさ』を知り抜いた上での発言と解していいのだな」と河上から確認されると、小林は「まさしく、そうだよ。歴史に向かってはこれとエモーショナルに合体できる道は開けている、と僕は信じている。それは合理的な道ではない。端的に、美的な道だと言っていいのだ」と断言していた。

しかし、まだ『全集』には収録されていないようだが 1940年に「英雄を語る」と題して行った鼎談で、同人の林房雄から「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問われた小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けると、この言葉を受けて林房雄は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる。天皇陛下を戴いて諸共に皆んな滅びてしまへば宣いと覚悟してゐる」と応じていた。

二人が語っていたような歴史認識が日本を無謀な戦争へと駆り立てたと思えるが、小林秀雄にはこのことの反省をしているようには見えないばかりか、「『白痴』をやってみるとね、頭ができない、トルソ(頭と手足を持たない胴体だけの彫像、編集部注)になってしまうんだな」とし、「「白痴」はシベリアから還ってきたんだよ」と強調している言葉からは、ドストエフスキーのテキストをきちんと読み解こうとするのではなく、あくまで自分が創作した「物語」を守ろうとする姿勢が感じられる。

《ドストエフスキーと愛に生きる》から私が深い感銘を受けた理由の一つは、小林秀雄の『罪と罰』論とのガイヤー訳の『罪と罰』における「罪」の認識の差を実感しただけでなく、ドイツ人に戦争への反省をも迫るような『罪と贖罪』という題名の訳を翻訳者のガイヤーが提案していたばかりでなく、そのようなあまり売れそうもない重たい題名の訳書の出版に踏み切った出版社の勇気と気概を知ったためでもあった。

そこには「国家」への「奉仕」が求められる一方で、「個人」の自立が切り捨てられたナチス・ドイツへの鋭い批判が感じられ、福島第一原子力発電所の大事故の後で、国民的な議論をふまえて脱原発に踏み切ったドイツと、未だに事故が収束しておらず、使用済み核燃料の問題が解決されていなにもかかわらず、政府や官僚の主導により原発の再稼働や輸出を始められようとしている日本との違いに現れているようにも感じられる。

fc2_2013-09-21_18-19-44-152(く黒澤映画《夢》「赤富士」)

(画像はブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」より。http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da039753df523c21dcd451020f1e99c …

 イェンドレイコ監督と黒澤映画――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(2)

ムィシキンの正確な映像化――ボルトコ監督のDVD《白痴》を見て

映画《白痴》、ボルトコ86l

(図版は「アマゾン」より)。(図版は「成文社」より)

2003年に全10回のシリーズとしてロシアのテレビで放映され、翌年にはモンテカルロ・テレビ祭テレビシリーズ・プロデューサーアワードや最優秀男優賞を受賞して話題となっていたボルトコ監督のテレビ映画《白痴》がDVDとして、2010年に日本でも販売された。

「ドストエフスキーの代表作を、忠実に再現した唯一無二の、完全再現ドラマ」と広告文でうたっているだけに、半分にカットされる前の黒澤映画《白痴》の倍以上の510分という長時間をフルに生かして、原作の複雑な人間関係を見事に映像化している。

ただ、「忠実に再現した」ことが強調されてはいるものの、長編小説のテーマを明確にし、観客を一気に『白痴』の世界に引き込むための工夫もなされている。たとえば、長編小説を読み親しんできた読者は、一瞬、冒頭のシーンに驚かされるだろう。なぜならば、DVDではナスターシヤの部屋を訪れたトーツキイは自分が彼女に犯した過ちを認めつつも、手切れ金代わりに莫大な持参金を提示することで新しい女性との結婚を望んでいることを伝える一方で、エパンチン将軍もオペラ《椿姫》の主人公の父親のように、娘たちの幸せのために身を退くようにと強く頼んだのである。

そして、ナスターシヤに密かに高価な真珠を贈っていたエパンチンをトーツキイがからかいながら去っていくシーンの後で、カメラは彼らを二階から見下ろした後で、ナスターシヤが鏡に十字を描く姿を映し出した。

こうして、このテレビ映画はトーツキイによる過去の記憶に苦しむだけでなく、今また、若い男との愛のない結婚を迫られる誇り高い女性の苦悩を、最初に分かりやすく観客に示すことでこの長編小説の主要なテーマを示し、なにゆえにムィシキンが彼女の写真を見たときに、激しい衝撃を受けたのかを説明し得ていたのである。

さらに、次のシーンでは一転してムィシキンがエパンチン将軍の屋敷を訪れる場面が描かれ、彼のみすぼらしい身なりを見た召使いが、本当に公爵なのかを疑いつつ、取り次ぐべきかどうかを迷っている場面から始まる。そして正式な待合室ではなく、召使いの部屋で話し込んだムィシキンが、ロシアの裁判と比較しつつ、フランスで見た死刑の光景を詳しく語りながら、「殺すなかれ」と語ったイエスの理念を熱っぽく語る姿が映し出される。

それゆえ、タイトル・バックで十字架にかけられたイエスの像を映し出しているこの映画をとおして、観客はナスターシヤの人物像がドストエフスキーがドレスデンの美術館で見て深い感銘を受けたティツィアーノの宗教絵画《懺悔(ざんげ)するマグダラのマリヤ》と結びついているばかりでなく、ムィシキンという主人公もエミリー・シニョールが描いた絵画《罪の女を赦すキリスト》とも結びついていることを視覚的に実感できるのである。

事実、ナスターシヤを演じたヴェレツェワは、暗い過去を背負った影のある絶世の美女を見事に演じているし、ムィシキン公爵を演じたミローノフも、瞑想がちではあるが、聞き手を引き込むような話し方をし、魅惑的な笑顔を浮かべる若者を熱演している。

こうして、面会を待っている間にタバコを吸い始めたムィシキンが吐く煙とともにペテルブルグに向かう列車での回想のシーンがようやく始まり、マシュコフが演じる激しい情熱を持ちつつもそのエネルギーを使う方向性を見いだせなかったロシアの商人ロゴージンや、「反キリスト」とも呼ばれるしたたかな官吏のレーベジェフとの出会いが描かれて、一気に原作の世界へと観客を引き込んでいくのである。

そして、エパンチン将軍との会見の際には、ムィシキンが何度もポケットに手を入れて手紙を取り出そうとするのを将軍が留めるシーンをとおして、雑事に巻き込まれまいとするやり手の実業家としてのエパンチンの性質だけでなく、ムィシキンもまたロゴージンと同じような莫大な遺産の相続者であることに注意を促して、二人の置かれている状況の類似性と、その後の遺産の使い方の比較をとおして、両者の違いを浮き彫りにしえている。

さらに、秘書のガヴリーラがアグラーヤへの手紙を書く場面も映像化することで立身出世を企む彼の意図や、そのような彼に対するボッティチェリの絵画《春》に描かれた「三美神」のように美しいエパンチン家の三人の娘たちや母親の反応をとおして彼女たちの個性もきちんと描かれている。さらに、原作では目立たないが、常に赤ん坊を抱いてる姿を強調することで、ロシアのイコン《ヴラジーミルの聖母》やラファエロの傑作《システィーナの聖母》を連想させるレーベジェフの娘ヴェーラの優しい眼差しも描写されている。

しかも、ムィシキンが相続した遺産を狙ったスキャンダルや、ホルバインの絵画《キリストの屍》とイッポリートが語る哲学的で重いテーマなど黒澤映画《白痴》では省略されていたエピソードや、さらには時間を圧縮するために少しエキセントリックな印象も呼び起こしたアグラーヤとナスターシヤの緊迫した関係もじっくりと描かれている。

そして、日本ではあまり注目されていないがこの長編小説では、教皇への復讐心を抱いた皇帝の「カノッサの屈辱」や、自分の「恩人」がカトリックに改宗したという知らせを聞いて激しく動揺したムィシキンによる厳しいカトリック批判の演説も描かれていた。

このように見てくるとき注目したいのは、この映画ではムィシキンが立ち止まって、権力や欲望に支配されるロシアから立ち去って、山に囲まれたスイスで静かな瞑想生活をおくるべきではないのかと考える場面がたびたび描かれていることである。

実は、長編小説『白痴』では劇作家グリボエードフの『知恵の悲しみ』からの引用が度々なされているが、長い外国生活から戻ったこの劇の主人公の若者は、旧態依然としたロシアの状況を西欧派的な視点から厳しく批判し、「発狂した」との噂を立てられて絶望し、再び外国へとすぐに戻ってしまっていたのである。

若い頃にこの劇から強い影響を受け西欧派の作家としてデビューしていたドストエフスキーは、シベリア流刑以降には、ロシアにある自分の領地からあがる税金によって外国で優雅な生活をおくりつつ、ロシアの政治制度を批判する貴族には、次第にきびしい眼をむけるようになる。

それゆえドストエフスキーは『白痴』で、「知恵」の問題を主題としつつ、グリボエードフの喜劇『知恵の悲しみ』の主人公とは正反対に、そのままロシアに留まれば自分が破滅することになるかもしれないことを深く知りつつも、最後までそこに留まってなんとか虐げられた女性を救おうとし、ついには再び精神を病んだ若者を描き出していたのである。その姿は自分の危険性を顧みずにエルサレムの神殿を訪れて、最後は生け贄の「子羊」のように十字架で処刑されたイエスとも重なる。

こうしてDVD《白痴》は、ロシアの「キリスト公爵」を創造しようとしたドストエフスキー自身の意図を、かなり忠実に映像化し得ているといえるだろう。

(『ドストエーフスキイ広場』第20号、2011年。2014年1月21日、副題など一部改訂。2017年5月7日、図版を追加)

小林秀雄の『虐げられた人々』観と黒澤明作品《愛の世界・山猫とみの話》

 

一、 《愛の世界・山猫とみの話》から《赤ひげ》へ

 戦時中の一九四三年一月に公開された映画《愛の世界・山猫とみの話》の脚本が主に黒澤明監督の手に成るものであったことは「ブログ」に記したが、この映画にはその後の黒澤明監督作品を予想させるような、テーマとシーンが見られた。

 ことに注目されたのは、例会発表でも指摘されたように、両親と七歳で死別して曲馬団に売られ、その後も様々な職業を転々とするなかで時には凶暴性を発揮したり、何ヶ月も口を利かずに「山猫」とみとあだ名された少女の形象には、映画《赤ひげ》で行われることになる『虐げられた人々』の少女ネリーの見事に映像化がすでになされたいたことである。

 私は映画《赤ひげ》(一九六五)におけるお粥の入った茶碗を少女おとよが壊すシーンと映画《白痴》におけるナスターシヤが花瓶を壊すシーンを比較して、心に傷を負った彼女たちの行動が見事に描き出されていることを指摘して、黒澤明監督の『虐げられた人々』と『白痴』理解の深さを指摘していた(拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』成文社、九三~九八頁)。 

 つまり、ワルコフスキー公爵の実の娘でありながら、母親を捨てて死に追いやった父親の援助を拒んで幼くしてなくなった少女ネリーの人物造形は、火事で孤児になった後で無理矢理に「貴族」トーツキーの妾とされていたが、莫大な持参金を拒んで自立しようとして苦しんだ長編小説『白痴』のナスターシヤ像の先駆的な役割を担っていると思われるのである。

 映画《赤ひげ》は一九五一年に公開された映画《白痴》から、はるか後年に撮られていることもあり、黒澤明監督の『虐げられた人々』の理解が深まったのは、映画《白痴》を撮った後であるという解釈も可能であった。しかし、映画《愛の世界・山猫とみの話》が一九四三年一月に公開されていたことは、映画《白痴》を撮ることになる黒澤明監督が、すでにこの時点で『虐げられた人々』のネリー像の重要性を理解していたことを強く示唆していると思われる。

 この点に留意するとき、なぜ映画《白痴》の後で撮られた映画《生きる》(一九五二)では余生がわずかなことを知った主人公の前に、メフィストフェレスを自称する作家が犬を連れて現れることが描かれているのかも理解できる。

二、『虐げられた人々』の構成と粗筋

 四部とエピローグからなる本格的な長編小説『虐げられた人々』(原題は『虐げられ、侮辱された人々』)でも、語り手である主人公のイワンがみすぼらしい老人とその老犬の死に立ち会うという印象的な場面から始まり、その孫娘ネリーの出生の謎をめぐって物語が展開されているのである。

 映画《愛の世界》や《赤ひげ》の理解にも関わるので、あまり知られていない『虐げられた人々』の粗筋をまず簡単に紹介しておきたい。

 この長編小説では少女ネリーをめぐる出来事と孤児となったイワンを養育したイフメーネフの没落と娘ナターシャをめぐる物語が並行的に描かれて行くが、物語が進むにつれて、しだいにこれらの悲劇の原因が、ネリーの父ワルコフスキー公爵の詐欺的な言動によるものであることがはっきりしてくる。

 すなわち、ネリーの祖父はイギリスで工場の経営者だったが、娘がワルコフスキー公爵にだまされて父の書類を持ち出して駆け落ちしたために全財産を失って破産に陥っていたのである。

 一方、一五〇人の農奴を持つ地主で主人公のイワンを養育したイフメーネフ老人の悲劇も、九〇〇人の農奴を所有する領主としてワルコフスキー公爵が隣村に引っ越してきて、イフメーネフ家を訪れて懇意になると自分の領地の管理を依頼し、さらに五年後には新たな領地の購入とその村の管理をも任せたことから始まる。

 積極的にイフメーネフに近付いて、自分の領地の管理を任せてその能力に満足したと語っていた公爵は、後に自分の領地の購入に際してイフメーネフが購入代金をごまかしたという訴訟を起こし、有力なコネや賄賂を使って裁判を有利に運んだ。そのために、裁判に敗けて一万ルーブルの支払いを命じられたイフメーネフ老人は自分の村を手放さねばならなくなったのである。

 こうして、少女ネリーの悲劇が描かれている長編小説『虐げられた人々』は、クリミア戦争敗戦後のロシアを揺るがせていた二つの大きな問題、農奴制の廃止と資本主義の導入の問題点を浮き彫りにして、混沌とした時代の雰囲気や「大改革」の時代の課題を描き出していたといえるだろう。

 

 

三、映画《愛の世界・山猫とみの話》における「鬱蒼とした森」の描写

 長編小説『虐げられた人々』が連載された雑誌『時代』は、農奴制の廃止や言論の自由を求めたために捕らえられて死刑の判決を受けた後でシベリア流刑へと減刑されていたドストエフスキーが、刑期を終えて首都に帰還してから兄ミハイルとともに創刊した雑誌である。

 クリミア戦争の敗戦により農奴制の問題が認識されて、農奴解放などが行われた「大改革」の時代に首都に戻ったドストエフスキーは、「われわれはこの上なく注目に値する重大な時代に生きている」とし、「欧化」でも「国粋」でもない、第三の道として「大地主義」の理念を掲げるとともに、文盲に近い状態におかれていた「農民」に対する教育の重要性とともに、「知識人」が「農民の英知」を学ぶ必要性も唱えていた。

 そのような「農民の英知」の一つは、「森や泉」に深い敬意を払う民衆の自然観だろう。たとえば、木下豊房氏は『貧しき人々』や『虐げられた人々』、さらに『百姓マレイ』などにも言及しつつドストエフスキー家の領地であったダロヴォーエの森について書いたエッセー「フェージャの森」で、「都会の作家といわれるドストエフスキーの深奥には、実は豊かなロシアの自然と大地(土壌)が横たわっている」と指摘している(『ドストエフスキー その対話的世界』、成文社、二〇〇二年、二九七~三〇〇頁)。

 さらに、論文「思い出は人間を救う――ドストエフスキー文学における子供時代の思い出の意味について」(『ドストエーフスキイ広場』、第一六号、二〇〇七年)では、具体的に『虐げられた人々』の文章にも言及しているので、《愛の世界》との関わりを具体的に示すためにも、まずはその文章を引用しておく。

 「ニコライ・セルゲーヴィチ(引用者注――イフメーネフのこと)が管理人であったワシリエフスコエ村の庭園や公園は何と素晴らしかったことか。私とナターシャはこの庭園へよく散歩にでかけたものだった。庭園の向こう側には、鬱蒼とした大きな森があって、私たち二人の子供は一度、道に迷ってしまったことがあった……美しい黄金時代! 人生がはじめて、秘密めいて、誘惑にみちた姿で現れ、それを知ることは、何とも甘美であった」。

 映画《愛の世界・山猫とみの話》から強い印象を受けた場面の一つは、少女救護院で自分をいじめた園児と激しい喧嘩をして脱走して、最初は歌を歌いながら自然の美しさに見とれ、自由を謳歌していた少女とみを描いた後で、次第に暗くなってくると道に迷って森から出られなくなったとみにとっては森が巨大な妖怪の住む無気味な世界へと一変したことが描かれていることである。

 この美しい森から無気味な森への変化は、自然の変化を深く理解して見事な道案内人の役を果たしたデルスが、眼を悪くしたあとでは自然を恐れるようになったことが描かれている映画《デルス・ウザーラ》をも思い起こさせる。

 しかも、畑仕事が厭で怠けていた少女とみは、映画の最後では畑仕事に喜んで従事している場面が描かれているが、それは文部大臣によって京都帝国大学の憲法学者滝川教授が罷免された事件を題材にして、敗戦直後の一九四六年に公開された映画《わが青春に悔なし》(脚本・久板栄二郎、黒澤明)のシーンを思い起こさせる。この映画でも父の教え子でジャーナリストになっていた野毛を敬愛して彼の元に走って同棲生活を送るようになった娘の幸枝が、野毛がスパイ容疑で逮捕され獄中で死亡した後では、野毛の実家へと行って彼の母親(杉村春子)を手伝って黙々と大地を耕すシーンがドキュメンタリー的な手法で描かれていたのである。

 農民を指導して野武士の群盗たちと戦い百姓たちを守った七人の侍の雄々しい戦いが描かれている映画《七人の侍》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)の最後のシーンでも、戦いに勝ったあとで百姓たちが行っていた田植えの場面がクローズアップされていた。そして「いや……勝ったのは……あの百姓たちだ……俺たちではない」と語った指導者の勘兵衛は、さらに「侍はな……この風のように、この大地の上を吹き捲って通り過ぎるだけだ……土は……何時までも残る……あの百姓たちも土と一緒に何時までも生きる!」と続けているのである(『全集 黒澤明』第四巻、九五頁)。

 映画《愛の世界・山猫とみの話》は「国策映画」として製作されたために、表現は制限されてはいるが、ここには一九五四年に公開された映画《七人の侍》に見られるような黒澤明監督の「大地主義」への深い理解がすでに現れているように思われる。

 

四、小林秀雄の『虐げられた人々』理解と映画《赤ひげ》

 『虐げられた人々』においては「庭園の向こう側には、鬱蒼とした大きな森」があったことが描かれていたが、「大地主義」の時期の代表的な作品である『罪と罰』では、本編におけるペテルブルグの「壮麗な眺望の謎」に対応するように、シベリアにおける「鬱蒼(うっそう)たる森林」の謎も読者の前に呈示されていた。

  映画《夢》の分析において詳しく考察することになるが、この「鬱蒼(うっそう)たる森林」の謎を理解したことが、『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフの精神的な「復活」へとつながることが『罪と罰』では示唆されている。

  しかし、今もドストエフスキー論の「大家」と見なされている文芸評論家の小林秀雄は一九三四年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で、『罪と罰』の「第六章と終章とは、半分は読者の為に書かれたのである」と書いて、ラスコーリニコフの「復活」を否定していた(『小林秀雄全集』第六巻、新潮社、一九六七年、五三頁。引用に際しては、旧漢字は新し漢字になおした)。

 このような小林秀雄の理解には、ドストエフスキーが『地下室の手記』(一八六四)で「かつて、自分が拝跪していたものを…中略…泥の中に踏みつけてしまった」と記し、ニーチェとともにドストエフスキーを「理性と良心」を否定する「悲劇の哲学」の創造者と規定したシェストフからの強い影響があるだろう(拙著、『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』、刀水書房、二〇〇二年、一二六頁参照)。

  しかも、ドストエフスキー自身は『虐げられた人々』について、後に次のような厳しい評価を下していた。

 「『虐げられし人々』の時もさうだつた。雑誌には是非長篇が要る。何を置いても成功させねばならぬ。そこで僕は四部から成る長篇を一つ提供したわけだ。プランはずつと前から出来てゐるから、わけなく書けるし、第一部はもう書き上げてあるなどと言つて兄を安心させてゐたが、みんな出鱈目だつた。僕は金が欲しくて働いたのだ。僕の小説中に動いてゐるのは人形であつて、生き物ではない」。

 『地下室の手記』によって前期と後期のドストエフスキー作品との間に深い断層を見たシェストフの見解を受け入れていた小林秀雄は、「ドストエフスキイの生活」で作家自身の言葉を引用することで、『地下室の手記』以前に書かれた『虐げられた人々』も失敗作とみなした。その一方で、ドストエフスキーを「理性と良心」を否定した作家と見なした小林は、『白痴』論では「たゞ確かなのはこの時ムイシュキンははや魔的な存在となつてゐる」とし、ナスターシヤを「この作者が好んで描く言はば自意識上のサディストでありマゾヒストである」と規定したのである(「『白痴』についてⅠ」)。

 たしかに、急いで書いたこともあり、主人公のイワンをはじめ多くの人物造形がそれほど成功裏に描かれているとは言えないだろう。しかし、ドストエフスキーは謙遜的に記してはいるものの、この小説では幼いながらも高い誇りを持った虐げられた少女ネリーの形象がきわめていきいきと描かれていたばかりでなく、大地主の横暴さや法律の問題など当時の問題を浮き彫りにしており、ここで提起された多くの問題は『罪と罰』以降の長編小説で深められており、ことに『白痴』では誇り高い少女ネリーとナスターシヤの間にはあきらかな連続性が認められるのである。

 しかし、映画《白痴》が一九五一年に公開された翌年の一九五二年から「『白痴』についてⅡ」を書き続けた小林は、長い間中断した後で一九六四年に付け加えた第九章では長編小説の結末について次のように記した。

 「作者は破局といふ予感に向かつてまつしぐらに書いたといふ風に感じられる。『キリスト公爵』から、宗教的なものも倫理的なものも、遂に現れはしなかった。来たものは文字通りの破局であつて、これを悲劇とさへ呼ぶ事はできまい」。そして小林は、「お終ひに、不注意な読者の為に注意して置くのもいゝだろう。ムイシュキンがラゴオジンの家に行くのは共犯者としてである」と続けていたのである(傍線引用者、三三九~三四〇頁)。

 このような小林の断定的な解釈について、私はエッセー「『不注意な読者』をめぐって」で、この時小林秀雄が強く意識していたのは、名指しをしてはいないが、映画《白痴》で病んだナスターシヤを看護しようとしたムィシキンに光をあてながら長編小説『白痴』の映画化をしていた黒澤明監督である可能性が高いという仮説を記した(『ドストエーフスキイ広場』、第二二号)。

 誌面の都合上、詳しい理由を記すことはできなかったが、私が注目したのは映画《白痴》を撮った黒澤明監督による映画《赤ひげ》の制作開始記念パーティが一九六三年一〇月六日に行われていたことである(『大系 黒澤明』第四巻、八二〇頁)。

 様々な事情のために映画《赤ひげ》の撮影は大幅に延びて、公開は一九六五年四月三日になったが、『虐げられた人々』の少女ネリーの形象が採り入れられているばかりでなく、精神的な医師としてのムィシキンの精神を受けついでいるとも思える医師「赤ひげ」とその若い弟子を主人公にした映画のことは、小林秀雄の耳にも入っていたと思える。

 自分の『白痴』論を真っ向から否定するような映画《白痴》を撮った黒澤明監督による新しい映画の公開が、自分のドストエフスキー論の土台を覆す危険性を含んでいることを敏感に感じた小林秀雄が、「不注意な読者」を批判する断定的な文章を加えて、急遽『白痴について』(角川書店、一九六四年)を上梓したのではないかと私は考えている。

 小林秀雄の『白痴について』を批判する評論を黒澤明監督は書いてはいない。しかし、一九七五年にロシアで撮った映画《デルス・ウザーラ》が日本で公開された後で、若者たちと行った座談会で黒澤明監督は、「小林秀雄もドストエフスキーをいろいろ書いているけど、『白痴』について小林秀雄と競争したって負けないよ」と語っているのである(黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと』共同通信社、二八八頁)。

 このような発言にはロシアで映画を撮ることになったことで、黒澤映画《白痴》をきわめて高く評価するとともに、自分でも映画《罪と罰》(一九六九年)を撮っていたクリジャーノフ監督などととの会話をとおして、自分の『白痴』理解の正しさと「大地主義」の時期の重要さを再確認したためと思われる。

 ただ、それはすでに新しいテーマなので稿を改めて書くことにしたい。

 

 (本稿は『黒澤明と小林秀雄――長編小説『罪と罰』で映画《夢》を読み解く』と題して来年の三月に発行する予定の著作の第四章〈映画《赤ひげ》から《デルス・ウザーラ》へ――黒澤明監督と「大地主義」〉(仮題)に収録する予定である)。

改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

 

二〇一一年の一二月に、長い歳月をかけて撮影され三年間という長い期間にわたって放映されたスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』が終了した。

 莫大な予算をかけて制作されたドラマのクライマックスにあたる旅順の攻防や日本海海戦のシーンは壮大で目を見張るものがあり、また戦争の悲惨さの一面も伝えられていた。

 私は毎回は見ていなかったのでよい視聴者とは言えないが、それでも『坂の上の雲』についての研究書を書いた者の責任として、重要な場面が放映される回は見たし、終わりの頃の数回は欠かさずに見た。

最終回を見終わって思いだしたのは、『坂の上の雲』を「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品」であると語り、その理由を「うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますからね」と説明していた司馬遼太郎の言葉である(司馬遼太郎『「昭和」という国家』、NHK出版、一九九八年、三四頁)。

 

   *   *   *

  強い違和感を覚えたのは、原作に付け加えた「子規庵点描」のシーンで、英国から帰国した夏目漱石に軍人となった秋山真之を讃えさせているところから完結に至るシーンであった。たとえば、「ポーツマス講和条約」のシーンでは、「坊さんになって戦没者を供養せにゃならん」とまで苦悩した真之が、子規の墓参をした後で、兄の好古と釣りをした際に「おまえはよくやった」と慰められるという場面が付け加えられている。

 一方、原作では戦後に秋山真之が「人類や国家の本質を考えたり、生死についての宗教的命題を考えつづけたりした。すべて官僚には不必要なことばかりであった」と司馬氏は書いていた。前述のシーンが付け加えられることで真之の苦悩の深さや戦争についての本質的な考察が和らげられてしまっていると思える。

 さらに、原作の構造との決定的とも思えるような違いは、この後でナレーターによって全六巻からなる単行本『坂の上の雲』の第一巻の「あとがき」に記されている次のような司馬の文章が朗々と読み上げられたことである。

 「維新後、日露戦争までという三十余年は、文化史的にも精神史のうえからでも、ながい日本歴史のなかでじつに特異である。/これほど楽天的な時代はない。/ むろん、見方によってはそうではない。庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう。しかし、被害意識でのみみることが庶民の歴史ではない」(下線引用者、司馬遼太郎『坂の上の雲』、単行本第一巻、文春文庫では第八巻)。

 そして、このナレーションはドラマの冒頭で毎回示される松山城の坂道を駆け上る若い主人公たちの姿とも重なり、視覚的な効果を生んでいた。それゆえ多くの視聴者は、長編小説『坂の上の雲』では戦争をも厭わなかった「日本人の気概」や「明治の栄光」が描かれていると理解したと思える。

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  注意を払わねばならないのは、この「あとがき」のある第一巻で描かれていたことと、第五巻以降で描かれている内容が大きく異なることである。

 すなわち、第一巻では江戸幕府の崩壊後に賊軍とされた松山藩士の息子として生まれたために、銭湯の風呂焚きや助教などをしつつ苦学して、士官学校に入って頭角を現した秋山好古や、兄の経済的な援助によって上京し、正岡子規といっしょに学んだあとで無料で学べる海軍兵学校に入って学ぶようになる秋山真之などの若々しい青春時代が描かれていた。

 一方、単行本第五巻の「あとがき」で「少年のころの私は子規と蘆花によって明治を遠望した」と記し、日露戦争の終結後に徳冨蘆花(一八六八~一九二七)が日露戦争の際に反戦論を唱えていたトルストイを訪ねていることを紹介した司馬は、次のように記していた。

 「明治十年代から日露戦争にいたる明治のオプティミズムはたしかに特異な歴史をつくりえたが、しかしどの歴史時代の精神も三十年以上はつづきがたいように、やがて終熄期をむかえざるをえない。どうやらその終末期は日露戦争の勝利とともにやってきたようであり、蘆花の憂鬱が真之を襲うのもこの時期である」(下線引用者、文春文庫、第八巻、「あとがき五」)。

 つまり、スペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の最終回にナレーターによって読み上げられた文章は、司馬自身のものではあってもまったく違う時代についての記述が引用されていたのである。

 そのことは『坂の上の雲』の主人公の一人であり、『歌よみに与ふる書』で「歌は事実をよまなければならない」と記した正岡子規の精神をも侮辱するものであるといえるだろう。

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  大河ドラマ《坂の上の雲》におけるナレーションは、「庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件」があっても、「国民」は国家に尽くしたことが「明治の栄光」につながったと視聴者に錯覚させる結果になり、それは選挙における自民党の勝利にも影響を与えたとさえ思える。

  「原作の改竄」の問題は現在にまで影響しており、多くの国民が今も「庶民は消費税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、福島第一原子力発電所の大事故とその後の事態に苦しんでいても」、「国民」が国家に尽くすことが「平成の栄光」につながると錯覚していると思えるのである。

  多くの国民が安くない視聴料を払って楽しむとともに正確な報道を期待しているNHKに、自分たちのイデオロギーにあったような番組を強要する安倍政権には、「特定秘密保護法案」を提出する資格には欠けると思えるがどうだろうか。

復員兵と狂犬――映画《野良犬》と『罪と罰』

 

映画《野良犬》(脚本・黒澤明、菊島隆三)が公開されたのは、第二次世界大戦が終わってから四年後で、日本がまだ連合国の占領下にあった一九四九年のことであった。

この映画と同じ年に生まれた私がまだ子供の頃には、手足を失った傷痍軍人が路上で金銭を乞う姿がときどき見られたので、終戦後間もない混乱した時期の都市を舞台にしたこの映画からは、敗戦直後の日本の状況が直に伝わってきた。

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 映画《野良犬》は「狂犬」のシーンで始まるが、それは日露戦争直後の一九〇六年一月に発表された夏目漱石の短編小説『趣味の遺伝』の冒頭の次のような文章を思い起こさせる。

 「陽気の所為で神も気違になる。『人を屠(ほふ)りて餓えたる犬を救へ』と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼(うご)かして満州の果迄響き渡った時、日人と露人ははつと応へて百里に余る一大屠場を朔北(満州)の野に開いた」。

そして漱石は、「狂った神が猛犬の群に『血を啜れ』、『肉を食(くら)へ!』と叫ぶと犬共も吠えたてて襲う」と続けていたのである。

 映画《野良犬》のシナリオで注目したいのは、満員のバスでピストルをすられた新人刑事(三船敏郎)と、そのピストルをピストル屋から買い取って次々と凶悪犯罪をかさねる遊佐(木村功)という若者の二人の復員兵が、ともに戦争から帰った日本で自分の全財産ともいえるリュックサックを盗まれていたという共通の過去を描いていることである。そのことが、二人の若者の息詰まるような対決をいっそう迫力のあるものとするとともに、混迷の時代には窮地に追い込まれた人間が、犯罪者を取り締まる刑事になる可能性だけではなく、「狂犬」のような存在にもなりうることを示していた。

 この映画の二年後に公開された映画《白痴》でも黒澤明監督は、ドストエフスキーの原作の舞台を日本に置き換えるとともに、主人公を沖縄で死刑の判決を受けるが冤罪が晴れて解放された復員兵としており、敵と見なした国を敗北させることで自国の「正義」を貫こうとする戦争の問題を復員兵の問題をとおして深く考察しようとしている。

 注目したいのは、ドストエフスキーが長編小説『白痴』の冒頭でも、思いがけず莫大な遺産を相続した二人の主人公の共通性を描くとともに、その財産をロシアの困窮した人々の救済のために用いようとした若者と、その大金で愛する女性を所有しようとした若者の二人の友情と対立をとおして、彼らの悲劇にいたるロシア社会の問題を浮き彫りにしていたことである。

 こうして、映画《野良犬》や映画《白痴》からはドストエフスキーの作品全体を貫く「分身」のテーマが色濃く感じられるが、そのテーマは後期の映画《影武者》(一九八〇)にも受けつがれている。

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 「分身」のテーマと方法は『白痴』だけでなく、『罪と罰』でも多用されていた。酔っぱらった娘のあとを追い回す紳士を妨げようとして途中で止め、「あんなやつらは、お互い取って食いあえばいい」と呟いた『罪と罰』のラスコーリニコフは、「狭苦しい檻」のような小部屋から抜け出して老婆を殺害する。

このようなラスコーリニコフの思想的な問題点は、現代の新自由主義的な経済理論の持ち主で、白を黒と言いくるめる狡猾な中年の弁護士ルージンや、自己の欲望を正当化して恥じない地主のスヴィドリガイロフなどとの対決をとおして、『罪と罰』では次第に暴かれていくのである。

 その意味で興味深いのは、映画《野良犬》が「それは、七月のある恐ろしく暑い日の出来事であった」という文章から始まるガリバン刷りの同名の小説をもとにして撮られていたことである(堀川弘通『評伝 黒澤明』、毎日新聞社、二〇〇〇年)。

 実は、クリミア戦争での敗戦から一〇年後の混迷の首都ペテルブルグを舞台にした長編小説『罪と罰』(一八六六)も次のような有名な文章で始まっていた。「七月はじめ、めっぽう暑いさかりのある日暮れどき、ひとりの青年が、S横丁にまた借りしている狭くるしい小部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした」(江川卓訳)。

 

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敗戦を喫して西欧の新しい思想がどっと入ってきたことで価値観が混乱したロシア社会では殺人事件も多発するようになったが、ドストエフスキーはこのような時代を背景に自分を「ナポレオン」のような「非凡人」であるとみなして、法律では罰することのできない「高利貸しの老婆」を殺害することをも正当化した『罪と罰』のラスコーリニコフの行動と苦悩を描き出していた。

  映画《野良犬》でも、ショーウインドウに飾られている服を見て、あんな美しい服を一度着てみたいと語った自分のせいで復員軍人の青年がピストル強盗まで思い詰めたことを明かした若い踊り子は、「ショーウインドウにこんな物を見せびらかしとくのが悪いのよ」と語り、若い刑事から戒められるとふて腐れて、「みんな、世の中が悪いんだわ」と言い訳していた。

 若い踊り子(淡路恵子)は、「悪い奴は、大威張りでうまいものを食べて、きれいな着物を着ているわ」とも語っているが、この言葉は一九六〇年に公開された《悪い奴ほどよく眠る》(脚本・久板栄二郎、黒澤明、小國英雄、菊島隆三、橋本忍)との繋がりをよく物語っているだろう。

映画《野良犬》を公開した後のインタビューで黒澤明監督は、父親の世代と息子たちの世代との対立を描いたツルゲーネフの『父と子』について、「はじめてバザロフがニヒリストとして文学史上に登場したが、むしろ実際にはそれ以後になってニヒリストがこの社会にあらわれた」と語り、ロシアにおけるニヒリズムの問題についての深い理解を語っていた(『体系 黒澤明』第一巻、講談社、二〇〇九年)。

  こうして映画《野良犬》は、個人の自由がほとんどなかった戦前から、個人の「欲望」が限りなく刺激される社会へと激しく変貌した日本の社会情勢の中で、価値観を失った若者たちのニヒリスティックな行動を、鋭い時代考察のうえに主人公たちの行動や考え方を描き出していたドストエフスキーの『罪と罰』の深い理解を踏まえて鮮やかに映像化していたと思える。

 『罪と罰』とは異なり、この映画では追われる側の遊佐(木村功)の内面描写は少ないが、ピストルを奪われるという負い目を背負った若者の激しい苦悩や行動は、三船敏郎の名演技で浮かび上がる。さらに、ラスコーリニコフを精神的に追い詰めていくだけでなく、彼に自首を勧めて、「復活」への可能性を示唆した名判事ポルフィーリイのようなしぶい佐藤刑事の役柄を、志村喬が好演して映画を盛り上げていた。

 しかも、黒澤映画における『罪と罰』のテーマは、当時は無給でしかも将来の身分的な保証もなかったインターン制度のもとで、貧民窟に住んでいた貧しい研修医の竹内(山崎努)が、高台の豪邸に住む富豪(三船敏郎)を憎んで、彼の息子の誘拐を図るが誤ってその運転手の息子を誘拐するという事件を描いた映画《天国と地獄》(一九六三)にも現れており、黒澤のドストエフスキー作品への関心の深さが感じられる。

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  黒澤明監督が晩年の一九九〇年に公開した映画《夢》(脚本・黒澤明)の第四話「トンネル」では、復員した将校の「私」が戻ってくると、トンネルの闇の中から突然に軍用犬だったらしいセパードが口からよだれを垂らし、眼を異様に光らせて飛び出してくるシーンが描かれている。

しかもこの狂犬は、「トンネル」から現れた死んだ兵隊たちが主人公の「私」に説得されて「トンネル」の彼方へと去ったあとでも、再び「トンネルの闇から飛び出して」来て、「すさまじい唸り声を上げて私に向って」身構えるのである。

 国民を戦争へと駆り立てた軍国主義の象徴であると思われる「狂犬」が、再び現れて主人公の復員兵を威嚇している場面で終わるこのシーンの意味はきわめてきわめて重い。

(2013年11月24日、改訂)

劇中歌「ゴンドラの唄」が結ぶもの――劇《その前夜》と映画《白痴》(改訂版)

この記事の副題を見て、「劇《その前夜》と映画《生きる》」の間違いではないかと思われた方が多いと思う。

たしかに、劇《その前夜》の劇中歌として歌われた「ゴンドラの唄」は、黒澤映画《生きる》で余命がわずかなことを宣告された初老の役人が、最後の力を振り絞って公園の設置を実現したあとで、ブランコに乗りながら歌うシーンを俳優の志村喬が演じたことによって再び、脚光を浴びた。

ただ、映画《生きる》はドストエフスキーの長編小説を映像化した映画《白痴》と内的な深い関連を持っており、そのことについては「映画・演劇評」に掲載した「映画《白痴》から映画《生きる》へ」で書いたので、ここではオペラ《椿姫》をとおして劇《その前夜》と映画《白痴》との関連を考察することにしたい。

→「映画《白痴》から映画《生きる》へ

黒澤明で「白痴」を読み解く

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拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』の終章「日本の近代化とドストエフスキーの受容」において私は、日露戦争後に上演された劇《復活》の反響の大きさと、芥川龍之介が翻訳に関わったロマン・ロランの『トルストイ』などとの関係にも言及していた(成文社、2007年)。

それゆえ、私は劇《復活》を上演した島村抱月主宰の劇団・藝術座と松井須磨子に焦点を当てて考察した今回のイベントに強い関心を抱いたが、黒澤映画の研究をしている私がことに強い興味を持っていたのは、「ゴンドラの唄」の歌詞とオペラ『椿姫』の歌詞との強いつながりについて語った山形大学教授・相沢直樹氏の講演であった。

講師の相沢氏は2008年の論文「『ゴンドラの唄』考」で、劇《その前夜》の劇中歌として歌われたこの名曲の歌詞とオペラ『椿姫』の歌詞との関連を詳しく記していた。

以前のブログ記事でも書いたように、祖国独立への理想に燃えるブルガリアからの留学生インサーロフと若い貴族の娘エレーナとの愛と悲劇を描いたこの長編小説はドストエフスキー作品の研究を志すようになった私が、ロシアへの留学が無理だった当時の状況下で、ともかく東スラヴの国ブルガリアへの留学を決意するきっかけになった小説であった。

拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)においても私は、オペラ《椿姫》とその内容が長編小説『白痴』のナスターシヤとトーツキーやエパンチン将軍との関係の描写に深く関わっていることを強調していた。 しかし、うかつにもツルゲーネフの長編小説『その前夜』でも、インサーロフがベニスで病死する前に見たオペラ《椿姫》が重要な役割を演じていたことを、失念していたのである。

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拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』では、長編小説『その前夜』を論じたドブロリューボフの評論『その日はいつくるか』にも言及することによって、「感傷的な物語」という副題を持つ『白夜』が、「センチメンタルな要素を多く持ちながらも、『謎の下宿人』を通して『格差社会』に苦しむロシアとは別の可能性があることを示唆しており、エレーナの決断をとおして若者たちに具体的な行動の必要性を訴えていたツルゲーネフの『その前夜』の構造を先取りしている可能性がある」との仮説を示していた(193~195頁)。

その仮説の最大の根拠は、ドストエフスキーが長編小説『白痴』の結末において、アグラーヤが亡命ポーランド人と駆け落ちしたと描いていたことである。同じくスラヴ人との結婚ではあるが、エレーナが親に秘密で結婚したインサーロフがブルガリアの正教徒であるのにたいして、アグラーヤの相手はカトリック国のポーランド人となっており、そこにはツルゲーネフの『その前夜』に対するドストエフスキーの複雑な思いが反映されていると思えるのである。

ただ、その著作ではまだ『白痴』を考察の対象としていなかったためにそのことには触れていなかった。上映時間に制限のある映画《白痴》において黒澤明監督もオペラ《椿姫》とその内容を描いてはいない。

しかし映画《白痴》では、破局が明白となる場面で綾子(アグラーヤ)が「椿姫」という表現を用いつつ「私達の間に割込むのはやめて下さい。犠牲の押売りは沢山です。それも本当の犠牲じゃなく、ただもう椿姫を気取っているだけなんですからね」と妙子(ナスターシヤ)を強く非難していた。 長編小説『白痴』を注意深く読んでいた読者ならば、綾子(アグラーヤ)のこの言葉がいかに妙子(ナスターシヤ)を傷つけ、絶望的な行動へと駆り立てたかを理解できるだろう。

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相沢直樹氏には「死と再生のバルカローラ――黒澤明の映画『生きる』における『ゴンドラの唄』をめぐる断章」という論文もあり、それは『甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(新曜社、2012年)に所収されている。

甦る「ゴンドラの唄」

最近、比較文学者の清水孝純氏(九州大学名誉教授)が、これまでの広範な研究を踏まえて『白痴』を読む――ドストエフスキーとニヒリズム』という著書を上梓された(九州大学区出版会、2013年)。

『白痴』を読む

ここにも付論として「黒澤明の映画『白痴』の戦略」が所収されている。 日本では不遇だった黒澤映画《白痴》が甦り、映画《生きる》とともに力強く世界へと羽ばたく時期が到来しているのではないかとの予感を抱く。  

(2019年3月27日、改訂)

日本におけるオストロフスキー劇とドストエフスキー劇の上演

 

オストロフスキー劇の上演

 

1936年 新協劇団『雷雨』(前進座)

1959年 東京芸術座『森林』

      ぶどうの会『雷雨』     

        訳  牧原純  出演 片岡藍子、石橋健治

1962年 劇団泉座『収入の多い地位』 

      演出 津留達児    訳  石山正三

      出演 泉よしこ、益田和江、岩塚献、雁坂彰、

                         玉川伊佐男

1974年 民藝『才能とパトロン』

      訳・演出 岡田よし子

                 配役 樫山文枝、荒木道子/入江杏子、清水将夫/

                        内藤安彦、鈴木智、新田昌玄、伊藤孝雄、里居正美、

                        大森義夫、山吉克昌、その他

 

   (参考  モスクワ上演一覧、1985~1986演劇年度)

    モスクワ芸術座      『どんな賢者にも抜かりはある』

    マールイ劇場       『どんな賢者にも抜かりはある』『森林』

    マールイ劇場支部   『バリザミーノフの結婚』『美男子』『無実の罪』

    モス・ソヴィエト劇場   『真理も結構だが、幸福の方がもっとよい』

    ソ連軍中央劇場      『森林』『無実の罪』

    諷刺劇場         『あぶく銭』

    エルモーロワ劇場     『ワシリーサ・メレーンチエワ』

    ゴーゴリ劇場       『俄か成金』

    映画俳優スタジオ     『無実の罪』

    中央児童劇場       『貧しさは罪ではない』『道化者たち』

    青年劇場         『持参金のない娘』

    青年劇場(モスクワ郊外) 『身内同士は後勘定』

    スフェラ         『春の物語』

    マーラヤ・ブロンナヤ劇場 『狼と羊』

    音楽劇場         『雪娘』

    マヤコフスキー劇場   『破産』

    ボリショイ劇場      『雪娘』

    (Театральная Москва,Издательство Московская правда,1985~1986を元に作成した)。

 

 

ドストエフスキー劇の上演

 

『白夜』

1981年8月 民藝

    脚色 ジル サンディエ  演出 若杉光夫 

                 訳 渾大防一枝

    出演 鈴木智(彼)樫山文枝(彼女)

 

『いやな話』

1981年7月 文芸座ル・ピリエ

    脚本・演出 ニコラ・バタイユ  訳 岡田正子

    出演 阿部六郎、金田龍之介、川島一平、鈴木敏彦、

                 奈木隆、西本裕行、山城賢士、山田登是、鷲巣輝文、

                 池田道枝、木村有里、佐藤みたま、白坂道子、

    長島亮子、中村恵子、井上幸子、山科志子

『罪と罰』

1916年 無名会

    脚色 ローレンス・アービング  訳・演出 坪内士行

1920年 新国劇(浪花座)  

    脚色 ローレンス・アービング  主演 沢田正二郎

1923年 新国劇(報知講堂) 

    脚色 ローレンス・アービング  主演 沢田正二郎

1947年 青年演劇人第一回合同公演

    脚色 パティ 演出 山川幸世  翻訳脚色 佐竹功

    配役 ラスコーリニコフ(豊田)ポルフィーリイ(志摩) 

       マルメラードフ(中川)

1947年 大阪合同公演(新劇団、学友座、神戸芸術座、大阪芸術

                          劇場、大阪放送劇団、知性座、前衛座)

     演出 岩田直二  翻訳脚色 佐竹功

1954年12月 制作座 演出 道井道次 

1965年 劇団雲

    脚色 福田恆存  演出 福田恆存・関堂一

    配役 高橋昌也(ラスコーリニコフ)岸田今日子(ドーニャ)、

    谷口香(ソーニャ)、芥川比呂志(ポルフィーリイ)他

1968年 テアトル・エコー

    脚色 キノトール  演出 熊倉一雄、納谷悟朗

    出演 池永通洋、高橋直子、鈴木利秋、沖順一郎、瀬能礼子、

    丸山裕子、峰恵研、市川治 島美弥子、大庭紀子

1973年 青俳

    脚本 レオポルド・アールゼン  訳・演出 岩淵達二

    配役 木村功(ラスコーリニコフ)、中野良子(ソーニャ)、

    織本順吉(ポルフィーリイ)、

1981年7月 木山事務所プロデュース

        『ペテルブルグの夢』(『罪と罰』に基づく)

    脚本 S・A・ラジンスキー  演出 藤原新平

    訳 中本信幸

    出演 松橋登、直井修、三谷昇、多田幸雄、江良潤、

       藤堂田貴也、風祭ゆき、大橋芳江、三好美智子、

       西乃砂恵、高瀬佳子、安田幸代

2006年10月 劇団俳優座

    脚色:Y・カリャーキン/Y・リュビーモフ

    訳:桜井郁子

    演出:袋正

    主演:小山力也(ラスコーリニコフ役)

   

『白痴』

1970年3月 劇団四季

    脚本 ゲオルギイ・A・トフストノーゴフ

    脚色・演出 宮島春彦 訳 山本一郎

    配役 松橋登(ムイシュキン)水島弘(ラゴージン)

    三田和代(ナスターシャ)、斎藤昌子(アグラーヤ)

 

『ナスターシャ』 1989年3月1日~4月25日

    脚本 アンジェイ・ワイダ、マチュイ・カルピンスキイ

    演出 アンジェイ・ワイダ

    配役 坂東玉三郎(ムイシュキン、ナスターシャ、二役)

       辻萬長(ラゴージン)

 

1989年10月7日~22日  俳優座

    脚本・演出 ワレーリィ・フォーキン

    翻訳 宮澤俊一

    配役 加藤剛(ムイシュキン)、河津左衛子(ナスターシャ)

       小笠原良知(ラゴージン)、寺杣昌紀(ガーニャ)、

       アグラーヤ(日下由美)、その他

 

2011年11月11日~11月13日 

                東京ノーヴイ・レパートリーシアター

    脚色:ゲオルギー・トフストノーゴフ

    翻訳:遠坂創三
    監修:加賀乙彦
    舞台美術デザイン:セルゲイ・アクショーノフ
 

『悪霊』

1974年2月  青年座+たねの会

    劇化 椎名麟三  演出 田中千禾夫・木村鈴吉

    配役 小山田宗徳(スタヴローギン)小沢弘治(キリーロフ)

    岩下浩(シャートフ) 早川保(ピョートル) 

                 柳川由紀子(リーザ)

1981年  文芸座ル・ピリエ

    脚本 アカキア・ヴィアラ  脚本・演出 ニコラ・バタイユ

    訳 岡田正子

    出演 高木均、西本裕行、伊井篤史、奥田啓二、上条慎吾、小島

                        孝夫、小山武宏、田中正彦、永田博文、加藤道子、木村有里、      

 

『カラマーゾフの兄弟』

1922年 舞台協会

    脚色 ジャック・コボー   演出 伊藤松雄

 

1966~67年、1971年 四季

    脚本 ジャック・コポー、ジャン・クルエ

    演出 浅利慶太  訳 宮島春彦

    配役 田中明夫(フョードル)、日下武史(ドミートリイ)

     水島弘(イワン)、池田鴻(スメルジャコフ) 

     石坂浩二、荻島真一(浜畑賢吉・1971)(アリョーシャ)

 

1982年11月~12月 木山事務所

    演出 末木利文  訳 宮島春彦

    出演 江角英明、鴨川てんし、小池幸次、田村正男、

                 本田次布、真井修、根岸光太郎、山口晃史、五十嵐弘、

                  伊東美那子、稲垣愛、咲村ゆうこ

 

2012年1月11日~22日 劇団俳優座

    脚本/八木柊一郎   演出/中野誠也

    出演:児玉泰次 田中美央 頼三四郎 松崎賢吾 河内浩

 

 

 

『ドストエフスキーの妻を演じる老女優』

1988年9月19日~10月5日 劇団民藝

    原作 エドワード・ラジンスキー

    演出 内山鶉

    配役 米倉斉加年(彼)、北林谷栄(彼女)

 

  (資料の作成に際しては、早稲田大学演劇博物館のお世話になった。日本の演劇に関してはほとんど素人なので調べもれや誤記もあると思われるので、ご指摘頂ければ幸いである。なお、論文の執筆に際しては日ソ図書館および浅川彰三氏から資料の貸出と提供を受けた)。

 「ドストエーフスキイとオストローフスキイ」(3)、東海大学外国語教育センター紀要、第11輯、1991年、2013年10月加筆