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映画ポスター・三題――《白痴》、《ゴジラ》、《生きものの記録》

映画ポスター・三題――《白痴》、《ゴジラ》、《生きものの記録》

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映画ポスター・三題――《白痴》、《ゴジラ》、《生きものの記録》

はじめに

今年三月の「ドストエーフスキイの会」例会は、「『創造は記憶である』 黒澤映画におけるドストエフスキーとバルザックの受容」という題名で槙田寿文会員に発表をお願いした。その際に発表者紹介のためにサイトを調べていたところ、二〇一〇年九月一四日付の日本経済新聞に掲載された「黒澤に喝采 海外ポスター 現地で製作、国際色豊かな一五〇枚収集」と題された槙田氏の文章と旧東ドイツ版の「羅生門」のポスターの載っている記事を見つけた*1。ポスターという切り口からの黒澤映画論から強い知的刺激を受けた。

その後、「黒澤明監督の倫理観と自然観――映画《生きものの記録》から映画《夢》へ」という題で講演をした際に、パワーポイントでポスターを映写したところ好評であったために、槙田氏のように苦労して蒐集した貴重なポスターではないが、「ウィキペディア」で「パブリック・ドメイン」となっているものを探して大学の講義の予習用に私のHPにも掲載するようにした。ここでは映画《白痴》、映画《ゴジラ》、そして映画《生きものの記録》の三点のポスターについての感想をエッセイ風に記してみたい。

一、原作との違和感――映画《白痴》のポスター*2

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映画《白痴》のポスターをHPに掲載していたが、このポスターを見ているうちに私の内にあった強い違和感の理由が、原作との解釈の違いにあることに気づいた。

ドストエフスキーについて「生きていく上につっかえ棒になることを書いてくれてる人です」と語っていた黒澤監督は、敗戦後間もない一九五一年に、激戦地・沖縄からの「復員兵」を主人公として、この長編小説の筋や人間関係を活かした映画《白痴》を公開した。

残念ながら、映画会社の意向で長すぎるとしてオリジナル版のほぼ半分にカットされたこともあり、日本ではあまりヒットしなかったが、日本やロシアの研究者だけでなく、「ドストエフスキーの最良の映画」として映画《白痴》を挙げたタルコフスキーをはじめとして本場ロシアの多くの映画監督からも絶賛された。

その理由はおそらく彼らが原作をよく知っていたために、カットされた後の版からでもこの映画が原作の本質を伝え得ていることを認識できたからだろう。実際、拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』で詳しく検証したように、上映時間が限られるために登場人物などを省略し、筋を変更しながらも、黒澤明監督はオリジナル版で驚くほど原作に近い映像を造りあげていた。

収益を重視した会社の意向でカットされた後の版でも、ナスターシャ(那須妙子)を妾としたトーツキー(東畑)や、さまざまな情報を握って人間関係を支配しようとしたレーベジェフ(軽部)、さらにエパンチン将軍(大野)やイーヴォルギン将軍(香山)の家族も制限されたかたちではあれ、きちんと描かれていたのである。

一方、文芸評論家の小林秀雄は一九三四年から翌年にかけて書いた「『白痴』についてⅠ」において、この長編小説について「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」と断定し、多くの重要な登場人物についてはほとんど言及せずに、主人公をめぐる激しい憎悪の末の悲劇的な結末に焦点をあてて解釈していた。

このような小林の『白痴』論に注目するとき、ナスターシャ(那須妙子)をめぐるムィシキン(亀田)とロゴージン(赤間)の三角関係を演じた三人の主要な俳優を並べ、その下に那須妙子の孤独な姿を大きく描いた黒澤映画《白痴》のポスターは、主要な登場人物の緊迫した関係を示唆するような構図を示し得ていない。

視覚に訴えることのできるポスターは、単なる文章よりも強い影響力を持ち得る。主役の亀田(ムィシキン)を復員兵とすることで原作の深い意義に迫っていた黒澤映画の独自性を反映していないこのポスターからは、むしろ小林氏の『白痴』論からの影響が強く感じられ、そのことがこの映画に対する理解を妨げたのではないかとさえ思えるのである。

二、水爆の危険性の告発――映画《ゴジラ》のポスター*3

ゴジラ

一九五四年に原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験がビキニ沖の環礁で行われたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、一六〇キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員が被爆した。この事件を契機に撮られた映画《ゴジラ》については、講義でも言及していたのでそのポスターを探していたが、日本語版の「ウィキペディア」にはないのであきらめかけていたが、念の為にロシア語版で探したところ、公開当時の大人と子供の入場料まで欄外に記されているポスターが見つかった。

興味深いのは「ゴジラ」という映画の題名の右には「水爆大怪獣映画」という文字が黒々と記されているばかりでなく、左側にも黄色い文字で「凄絶驚異!死の放射能を発する世紀の怪獣ゴジラ!!」とも書かれていたことである。

現在の日本でも「放射能」や原発の危険性について記した論文や講演には厳しい批判が浴びせられるので、このポスターからは危機を直視しようとする当時の映画人の勇気や胆力が感じられた。

映画《ゴジラ》で主役を演じた宝田明氏は、「反核や反戦のテーマをこめた初代『ゴジラ』は米国にとって都合が悪く、大幅にカットしなければアチラで上映できなかった」と語っている(「反戦がテーマのゴジラを国会で上映したい」二〇一五年六月三〇日、「日刊ゲンダイ」)。

実際、この映画では古代生物学者の山根博士(志村喬)が、国会で行われた公聴会で「ゴジラ」についておそらく二〇〇万年前の恐竜だろうと語り、「それがこの度の水爆実験によってその生活環境を完全に破壊され」、「安住の地を追い出された」ために姿を現したのではないかと推測し、与党議員の委員の詰問に対して「ガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチューム九〇の発見」によると語る場面が描かれていた。

さらに、その事実の公表を迫る野党の女性議員(菅井きん)に対して、公表は「国際情勢」にかかわるだけでなく「国民」を恐怖に陥れるので禁止すべきとした与党議員の激しい議論も描かれており、 これらのことを考慮するならば、このポスターは映画《ゴジラ》の主題を端的に表現していたといえるだろう。

三、「季節の先取り」――《生きものの記録》のポスター*4

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映画が公開されたのは、映画《ゴジラ》よりも約一年後のことあったが、この事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督も「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて、橋本忍や小國英雄とともに映画《生きものの記録》の脚本「死の灰」を書き始めた。

この映画は核戦争の恐怖からブラジルへの移住という行動を起こそうとした主人公の老人(三船敏郎)の動機に理解を示し、「準禁治産者」との判決を出したことに良心の痛みを感じていた知識人(志村喬)の視点から描かれている。ことに最後のシーンでは精神病院に入れられた主人公が窓に映った夕焼けの色を見て「とうとう地球が燃えてしまった」と叫ぶ場面が描かれており、そのシーンからは『罪と罰』のエピローグで主人公が見る「人類滅亡の悪夢」が連想される。

この映画の題名は《Я живу в страхе(私は恐怖の中で生きている)》とロシア語では訳されているが、本多監督は次のような黒澤明の言葉を紹介している。

「黒澤君と久しぶりに会って話したとき、ソビエトの若い人達の話を聞いてゾッとしたというんです。(中略)ソビエトの若い連中は世界の核弾頭はソ連の方を向いている、怖い怖い、あと一〇年保つか、なんてボソボソ話してる」(『初代ゴジラ研究読本』洋泉社MOOK、二〇一四年)。

「広島・長崎」に続いて「第五福竜丸」の被爆という悲劇的な体験をしたにもかかわらず、アメリカの「核の傘」に入ることを選んだ日本では「核戦争」への危機感が薄らいだが、アメリカに対抗して核実験を行っていたソ連の若者たちには、核戦争への危機感が強かったのである。

しかし、水爆実験で誕生した怪物をテーマとした映画《ゴジラ》は大ヒットしたのに反して、それから一年後に公開された映画《生きものの記録》は興行的には大失敗に終わった。

ある映画評論家はこの映画を「季節外れの問題作」と呼んだが、その理由はこの映画が公開された年には、「原子力の平和利用」を謳った博覧会が各地で開催され、この映画が公開された翌月の一二月には「原子力基本法」が成立していたことにあるだろう。

その映画《生きものの記録》のポスターでは、ゴッホの黄色を思い起こさせるような強烈な黄色を背景にして、主人公の老人の姿が大きく描かれている。しかし、石原慎太郎の小説「太陽の季節」が大ヒットしたこともあり、人類滅亡の危機をももたらすような危険な兵器とされていた原子力エネルギーは、わずか一年の違いで、日本で「第二の太陽」ともてはやされるようになっていた。

一方、白色で描かれた太陽がまがまがしいばかりに強烈な光を放っているように描かれ、この映画の主題を見事に示していたこの映画のポスターは、福島第一原子力発電所事故が起きた後で見直すとき、現在の「季節を先取り」していたようにさえ感じられる。

*1 「黒澤映画、国際色豊かな“バーチャル”ポスター展」 :日本経済新聞(2010/10/13)。ここではポスターが主に紹介されている記事のリンク先を記す。

*2 映画《白痴》のポスター(松竹製作・配給、一九五一年)。図版は「ウィキペディア」より。

*3 映画《ゴジラ》のポスター(東宝製作・配給、一九五四年)。図版は「ウィキペディア」より。

*4 映画《生きものの記録》のポスター(東宝製作・配給、一九五五年)。図版は「ウィキペディア」より。 

 

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