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ツルゲーネフ

劇中歌「ゴンドラの唄」が結ぶもの――劇《その前夜》と映画《白痴》(改訂版)

この記事の副題を見て、「劇《その前夜》と映画《生きる》」の間違いではないかと思われた方が多いと思う。

たしかに、劇《その前夜》の劇中歌として歌われた「ゴンドラの唄」は、黒澤映画《生きる》で余命がわずかなことを宣告された初老の役人が、最後の力を振り絞って公園の設置を実現したあとで、ブランコに乗りながら歌うシーンを俳優の志村喬が演じたことによって再び、脚光を浴びた。

ただ、映画《生きる》はドストエフスキーの長編小説を映像化した映画《白痴》と内的な深い関連を持っており、そのことについては「映画・演劇評」に掲載した「映画《白痴》から映画《生きる》へ」で書いたので、ここではオペラ《椿姫》をとおして劇《その前夜》と映画《白痴》との関連を考察することにしたい。

→「映画《白痴》から映画《生きる》へ

黒澤明で「白痴」を読み解く

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拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』の終章「日本の近代化とドストエフスキーの受容」において私は、日露戦争後に上演された劇《復活》の反響の大きさと、芥川龍之介が翻訳に関わったロマン・ロランの『トルストイ』などとの関係にも言及していた(成文社、2007年)。

それゆえ、私は劇《復活》を上演した島村抱月主宰の劇団・藝術座と松井須磨子に焦点を当てて考察した今回のイベントに強い関心を抱いたが、黒澤映画の研究をしている私がことに強い興味を持っていたのは、「ゴンドラの唄」の歌詞とオペラ『椿姫』の歌詞との強いつながりについて語った山形大学教授・相沢直樹氏の講演であった。

講師の相沢氏は2008年の論文「『ゴンドラの唄』考」で、劇《その前夜》の劇中歌として歌われたこの名曲の歌詞とオペラ『椿姫』の歌詞との関連を詳しく記していた。

以前のブログ記事でも書いたように、祖国独立への理想に燃えるブルガリアからの留学生インサーロフと若い貴族の娘エレーナとの愛と悲劇を描いたこの長編小説はドストエフスキー作品の研究を志すようになった私が、ロシアへの留学が無理だった当時の状況下で、ともかく東スラヴの国ブルガリアへの留学を決意するきっかけになった小説であった。

拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)においても私は、オペラ《椿姫》とその内容が長編小説『白痴』のナスターシヤとトーツキーやエパンチン将軍との関係の描写に深く関わっていることを強調していた。 しかし、うかつにもツルゲーネフの長編小説『その前夜』でも、インサーロフがベニスで病死する前に見たオペラ《椿姫》が重要な役割を演じていたことを、失念していたのである。

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拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』では、長編小説『その前夜』を論じたドブロリューボフの評論『その日はいつくるか』にも言及することによって、「感傷的な物語」という副題を持つ『白夜』が、「センチメンタルな要素を多く持ちながらも、『謎の下宿人』を通して『格差社会』に苦しむロシアとは別の可能性があることを示唆しており、エレーナの決断をとおして若者たちに具体的な行動の必要性を訴えていたツルゲーネフの『その前夜』の構造を先取りしている可能性がある」との仮説を示していた(193~195頁)。

その仮説の最大の根拠は、ドストエフスキーが長編小説『白痴』の結末において、アグラーヤが亡命ポーランド人と駆け落ちしたと描いていたことである。同じくスラヴ人との結婚ではあるが、エレーナが親に秘密で結婚したインサーロフがブルガリアの正教徒であるのにたいして、アグラーヤの相手はカトリック国のポーランド人となっており、そこにはツルゲーネフの『その前夜』に対するドストエフスキーの複雑な思いが反映されていると思えるのである。

ただ、その著作ではまだ『白痴』を考察の対象としていなかったためにそのことには触れていなかった。上映時間に制限のある映画《白痴》において黒澤明監督もオペラ《椿姫》とその内容を描いてはいない。

しかし映画《白痴》では、破局が明白となる場面で綾子(アグラーヤ)が「椿姫」という表現を用いつつ「私達の間に割込むのはやめて下さい。犠牲の押売りは沢山です。それも本当の犠牲じゃなく、ただもう椿姫を気取っているだけなんですからね」と妙子(ナスターシヤ)を強く非難していた。 長編小説『白痴』を注意深く読んでいた読者ならば、綾子(アグラーヤ)のこの言葉がいかに妙子(ナスターシヤ)を傷つけ、絶望的な行動へと駆り立てたかを理解できるだろう。

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相沢直樹氏には「死と再生のバルカローラ――黒澤明の映画『生きる』における『ゴンドラの唄』をめぐる断章」という論文もあり、それは『甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(新曜社、2012年)に所収されている。

甦る「ゴンドラの唄」

最近、比較文学者の清水孝純氏(九州大学名誉教授)が、これまでの広範な研究を踏まえて『白痴』を読む――ドストエフスキーとニヒリズム』という著書を上梓された(九州大学区出版会、2013年)。

『白痴』を読む

ここにも付論として「黒澤明の映画『白痴』の戦略」が所収されている。 日本では不遇だった黒澤映画《白痴》が甦り、映画《生きる》とともに力強く世界へと羽ばたく時期が到来しているのではないかとの予感を抱く。  

(2019年3月27日、改訂)

モスクワの演劇――ドストエフスキー劇を中心に

はじめに

今回は私が留学生の引率として1985年6月から10ヵ月間モスクワに滞在した時に見た演劇について記します。演劇の専門家ではないので、モスクワの演劇の全体像を描き出すことはできませんので、ここではドストエフスキー関係の劇を中心にモスクワ演劇の動向を簡単に紹介します。

一、

モスクワの演劇のレパートリーで、まず私の目を惹いたのは、想像以上に古典物が多く演じられていることであった。チェーホフの作品は相変わらず、人気が高いのは当然であるが、この他にもアレクセイ・トルストイの歴史劇、レフ・トルストイの三部作(この内『死せる屍』は三つの劇場で上演されていた)が演じられていた。また日本ではほとんど知られていないが、レフ・トルストイやチェーホフへの道を開いたA・オストロフスキーは18本の戯曲が上演され、しかもそれらの何本かは、同時に二箇所の劇場で演じられていた。

それとともに古典小説の劇化もまたかなり積極的になされていることが私の興味を惹いた。少し振り返っただけでもトルストイの『アンナ・カレーニナ』や、『クロイツェル・ソナタ』、ツルゲーネフの『その前夜』などが浮かんで来る。その他レスコフやシチェドリンの作品もまたレパートリーを飾っている。そしてもちろんドストエフスキーもその例外ではない。

私が大学院生の時に留学の機会を得て初めてソヴィエトを訪れた時、モスクワでは、ドストエフスキーの劇はザワートスキイの『ペテルブルクの夢』(『罪と罰』に基づく)が大当たりし、エーフロスの『兄弟アリョーシャ』(『カラマーゾフの兄弟』に基づく)が話題を呼んでいた。また『ステパンチコヴォ村とその住民』がモスクワ芸術座に掛かり、小さなスタジオでは『貧しき人々』が二人だけで演じられていた。

これらの劇ことに『ペテルブルクの夢』は、予想に反して私に強い印象を与えた。それまで小説の映画化などで原作が損なわれるのを何回も見てきた私は、あまり劇に期待をかけてもいなかったのだ。だがザワートスキイは、巧みな演出と鋭い問題意識で観客の心を捉え、それまでドストエフスキーの孤独な読者であった私は、見知らぬ多くの観客達と共通の気分に浸りながら、このような形でのドストエフスキーの受容もありえることを再確認していた。

確かに劇化や映画化に際しては、原作の著しい短縮は避けられえず、それゆえ原作を損なうこともありえる。だが演出家が深く作品を理解し、その主題を鋭く提示するとき、小説は舞台においてもそのリアリティーを主張しえるのである。そして私はその後、ドストエフスキー自身が若い時、演劇に凝り、戯曲を書き、自分でも演じたことがあることを知った。私のドストエフスキー理解には大きな欠落があったのである。

私が日本に帰ってからモスクワの舞台では、リュビーモフの『罪と罰』や、フォーキンの『俺も行く、俺も行く』(『地下室の手記』と『おかしな男の夢』に基づく)が人間存在の根底に迫る鋭い演出でソヴィエト演劇の枠を大きく広げた(なお、これらの劇に関しては、ルドニーツキイの論文「理念の冒険」に詳しい。残念ながら、リュビーモフはあれからモスクワを去り、以上の劇の内で現在も演じられているのは、『ペテルブルクの夢』一本になってしまった。

だが、ソヴィエト演劇界におけるドストエフスキーの受容は留まることなしに、これまでの成果を踏まえながら、更に新たなる模索をしているといえよう。たとえばモスソヴィエト劇場ではザワートスキイの業績を受け継いだホームスキイの『カラマーゾフの兄弟』が、十年以上のロング・ランを続ける『ペテルブルクの夢』と並んで上演されている。タガンカ劇場では『空想家の手記』(『白夜』と『地下室の手記』に基づく)が初演されており、モスクワ芸術座では『おとなしい女』が、そしてソヴィエト軍劇場の小舞台では『白痴』が演じられている。

二、

モスクワの友人がこの頃劇場の券を手に入れるのが大変むずかしくなったと言った。何故かと問うと恐らくテレビに飽きたらなくなって劇場に来る人々が増えたのだろうと言う。確かにモスクワの劇場は券が安いこともあって(高いものでも七〇〇円位)求め易く、少しよい劇になると、なかなか手に入らず、チケット売り場を求め歩いてもらちがあかず、キャンセルを期待して二時間程前から劇場の前に並ぶことになる。だが驚くべきことには、そこにも既に例の行列ができており、何枚でるかわからない券を延々と待っているのだ。ただこの行列だけは特別で元来劇好きの者ばかりが並んでいるので時には話に花が咲いたりもする。そして苦労して出会った劇との対面には感慨も深いのである。

大きな劇場が、最近いずれも小舞台を別に持つようになった理由の一つは、このような観客数の増加もあるだろう。だが演劇人に語らせると、小舞台の流行は、単に量の問題から来るのではなく、質の問題とも深く関わっていると言う。すなわち小舞台では多少、実験的なこともでき、そこで成功したものを大舞台に懸けることもできる。そしてそれとともに小舞台では俳優と観客の間に距離的なものから来る一種の緊張感も生まれるのだ。

ソヴィエト軍劇場における『白痴』もそうした劇の一つである。期待が大き過ぎただけに劇を見た後は、軽い失望感に襲われたが、それでもこの劇も小舞台の長所を生かしていたとは言える。例えばナスターシヤ・フィリポヴナの提言で、彼女の家に集まった面めんが、誰にも言えなかった心の秘密を語る場面では、単に舞台の上のことではなく観客の一人一人に問いかけるだけの鋭さを有していた。

同じことがタガンカ劇場の旧舞台で演じられた『空想家の手記』にも当てはまる。ここでも場内の空間的狭さは、欠点とはならず、舞台と観客とを結び付ける働きをしている。この劇は一見まったく異なっているように見える二つの作品を空想家という共通項によって統一したものだが、演出家はロマンチストと絶望者という全く相反する二人の主人公を、彼らの分身を登場させることによって説得力豊かに結び付けている。例えば、劇中で女主人公達が語る次のような言葉は、二人の主人公の同質性をまざまざと証明している。

「だって、あなたのお話はまるでご本でも読んでいらっしゃるようなんですもの」(『白夜』)、「あなたはなんだか……まるで本でも読んでいるような話し方をするんですもの」(『地下室の手記』、ともに米川正夫訳)。

さらにリュビーモフは劇『巨匠とマルガリータ』(ブルガーコフ作)や、トリーフォノフの『交換』において、悪魔や黒い服を着た仲買人の口をとおして、今あなた方は物質的には多少豊かになったかもしれないが、精神的にはどうかという鋭い問いを発していた。

そして、『空想家の手記』でも黒い服を着た分身も盛んに観客に話しかけてはいたが、残念ながらこの分身はことに第一部の『白夜』においては劇から浮いて、ロマンチックな恋を冷ややかに見つめる解説者に成り下がっていた。発想がユニークなだけに突っ込みの足りなさが惜しまれた。

モスクワ芸術座(支部)で演じられた『おとなしい女』は以前レニングラードで上演されていたものだが、主演のボリ-ソフのモスクワ移転に伴ってモスクワでも見られるようになった。

この劇も又、小舞台的な、と言うよりも、小舞台向きの劇だと思える。舞台は妻の自殺の場面が、観客に息を飲ませる位で、他には特に凝った装置はない。しかし初めはぼそぼそとしたボリーソフの声は、次第に力が入り、時には彼の話を直に聞かされていると錯覚する程の迫力を帯びた。

ところで私はこの劇場を見終わってから、なぜか劇『クロイツェル・ソナタ』を思い起こし、これらの劇が今モスクワの劇場で上演されることに興味を覚えた。周知のように『おとなしい女』は、自殺した若い妻の遺骸の脇での高利貸しの男の考えを記したものであり、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』もまた妻との精神的つながりを失い、嫉妬から彼女を殺した中年の男の告白である。これら両作品に共通しているのは、愛と性にたいする根本的な反省と洞察であると言えよう。これらの作品の劇化は、離婚が頻発するなかで新しい家族像を模索するソヴィエト社会を反映しているように思える。

三、

モスソヴィエト劇場で演じられた二つの劇は、大舞台のよさを十二分に生かしていた。『ペテルブルクの夢』では、舞台後方に金貸しの老婆が住む古びた建物が再現され、ラスコーリニコフの殺人に至る場面や逃走の場面では、実際に彼が階段を登ったり降りたりする状況がリアルに描かれ、緊迫感を盛り上げている。だがそれとともにザワートスキイもまた観客を単なる観客としてほおってはおかず、事件の目撃者に引きずりこむ。劇が始まる前に、真っ暗な場内に左右から差し込んだ光は、舞台ではなく観客席の真ん中に突き刺さる。舞台に現れたラスコーリニコフも、また舞台には留まらずに、丁度花道のように作られた道を通って、観客席の六列目まで入り込み、そこで自分の考えを述べるのである。更に殺人を犯す前にも彼は観客席に入り込み、そこで隠されていた斧を取り出す。こうししてザワートスキイは緊迫した劇づくりで観客を引き付け、彼らの前にラスコーリニコフの犯罪を暴露するのである。

ホームスキイの『カラマーゾフの兄弟』では、観客は客席に足を踏み入れた途端に劇の世界に入り込むことになる。すなわち舞台には既に居酒屋が存在し、そこでは或る者はギターを弾き、他の者は女を膝に抱いて口説いているのである。そしてホームスキイは、ザワートスキイの問題意識を更に押し進め、スメルジャコフにかなり焦点をしぼって殺すことの意味を問うている。

 舞台作りの上ではザワートスキイが最後のエピローグでは、たぎる霧の中に巨大な十字架をあたかも世界の救済のごとくに浮かび上がらせ、観客をあっと言わせたが、ホームスキイは、居酒屋の場面を一転させて僧院の一室に変えた。するとそれまで天井を形成していたすのこ状の板が半回転して壁となり、そこにはキリストを抱いたマリアの像が無彩色で描かれていた。少なくともこれらの劇を見た範囲では、ソヴィエトにおいても単に宗教を否定するのではなく、そのよい部分は吸収しようとする新しい流れを感じた。

なおこのことに関連して思い起こされるのは、ドストエフスキーの作品による劇『俺も行く、俺も行く』を演出したフォーキンの『語れ』である。この劇は党の在り方を問題にしているのだが、終わり近くで上からの指導を批判し、下からの意見がなければだめだと主人公に語らせながら、最後に相変わらず十年一日のごとくに決まりきった報告書を読みあげる女性のノートを取り上げ、「(自分の声で)語れ」と言った時には、観客の熱い共感が湧き起こった。これまでこのエルモーロワ劇場の券はほとんどいつでも取れたのだがこの劇については、券を手に入れるのがむずかしかった。また今回は見ることができなかったのだが、ロック・ミュージカルなどで若者達に絶大な人気を持つレン・コンソモール劇場が、『良心の独裁』を初演している。この劇は今モスクワで最も人気のある劇の一つであり、ここでは『悪霊』のスタブローギンが登場し、良心の在り方が問題になっているとのことである。

ドストエフスキー研究者のグラーリニクは、その論文で「ドストエフスキーを克服する」のがかつての課題であったが、今では「ドストエフスキーを理解する」ことが必要であると述べ、カリャーキンも『罪と罰』を分析しながら、「どんな『良心』も『知性』を欠いては、あるいはどんな『知性』も良心を欠いては、世界を理解し、改造することはできない」と結論しているが、極めて間接的ではあるが、これらの劇もまた現在のソヴィエトにおけるドストエフスキーの受容を物語っているように思える。

こうしてソヴィエトにおいてもドストエフスキー理解の深まりは、直接的に劇にも反映しドストエフスキー劇以外の劇にも影響を及ぼしていると言えよう、ソヴィエトのドストエフスキー劇がどのような地平を開くのかこれからも注意深く見つめたいと思う。(本稿では肩書きは省略した)。

初出は『人間の場から』第9号、1987年11月1日。その後『ドストエーフスキイの会 会報』第103号、1988年、および『場 ドストエーフスキイの会の記録』Ⅳに再掲。HPへの掲載に際しては人名と国名表記を一部変更した)。