高橋誠一郎 公式ホームページ

演劇

日本におけるオストロフスキー劇とドストエフスキー劇の上演

 

オストロフスキー劇の上演

 

1936年 新協劇団『雷雨』(前進座)

1959年 東京芸術座『森林』

      ぶどうの会『雷雨』     

        訳  牧原純  出演 片岡藍子、石橋健治

1962年 劇団泉座『収入の多い地位』 

      演出 津留達児    訳  石山正三

      出演 泉よしこ、益田和江、岩塚献、雁坂彰、

                         玉川伊佐男

1974年 民藝『才能とパトロン』

      訳・演出 岡田よし子

                 配役 樫山文枝、荒木道子/入江杏子、清水将夫/

                        内藤安彦、鈴木智、新田昌玄、伊藤孝雄、里居正美、

                        大森義夫、山吉克昌、その他

 

   (参考  モスクワ上演一覧、1985~1986演劇年度)

    モスクワ芸術座      『どんな賢者にも抜かりはある』

    マールイ劇場       『どんな賢者にも抜かりはある』『森林』

    マールイ劇場支部   『バリザミーノフの結婚』『美男子』『無実の罪』

    モス・ソヴィエト劇場   『真理も結構だが、幸福の方がもっとよい』

    ソ連軍中央劇場      『森林』『無実の罪』

    諷刺劇場         『あぶく銭』

    エルモーロワ劇場     『ワシリーサ・メレーンチエワ』

    ゴーゴリ劇場       『俄か成金』

    映画俳優スタジオ     『無実の罪』

    中央児童劇場       『貧しさは罪ではない』『道化者たち』

    青年劇場         『持参金のない娘』

    青年劇場(モスクワ郊外) 『身内同士は後勘定』

    スフェラ         『春の物語』

    マーラヤ・ブロンナヤ劇場 『狼と羊』

    音楽劇場         『雪娘』

    マヤコフスキー劇場   『破産』

    ボリショイ劇場      『雪娘』

    (Театральная Москва,Издательство Московская правда,1985~1986を元に作成した)。

 

 

ドストエフスキー劇の上演

 

『白夜』

1981年8月 民藝

    脚色 ジル サンディエ  演出 若杉光夫 

                 訳 渾大防一枝

    出演 鈴木智(彼)樫山文枝(彼女)

 

『いやな話』

1981年7月 文芸座ル・ピリエ

    脚本・演出 ニコラ・バタイユ  訳 岡田正子

    出演 阿部六郎、金田龍之介、川島一平、鈴木敏彦、

                 奈木隆、西本裕行、山城賢士、山田登是、鷲巣輝文、

                 池田道枝、木村有里、佐藤みたま、白坂道子、

    長島亮子、中村恵子、井上幸子、山科志子

『罪と罰』

1916年 無名会

    脚色 ローレンス・アービング  訳・演出 坪内士行

1920年 新国劇(浪花座)  

    脚色 ローレンス・アービング  主演 沢田正二郎

1923年 新国劇(報知講堂) 

    脚色 ローレンス・アービング  主演 沢田正二郎

1947年 青年演劇人第一回合同公演

    脚色 パティ 演出 山川幸世  翻訳脚色 佐竹功

    配役 ラスコーリニコフ(豊田)ポルフィーリイ(志摩) 

       マルメラードフ(中川)

1947年 大阪合同公演(新劇団、学友座、神戸芸術座、大阪芸術

                          劇場、大阪放送劇団、知性座、前衛座)

     演出 岩田直二  翻訳脚色 佐竹功

1954年12月 制作座 演出 道井道次 

1965年 劇団雲

    脚色 福田恆存  演出 福田恆存・関堂一

    配役 高橋昌也(ラスコーリニコフ)岸田今日子(ドーニャ)、

    谷口香(ソーニャ)、芥川比呂志(ポルフィーリイ)他

1968年 テアトル・エコー

    脚色 キノトール  演出 熊倉一雄、納谷悟朗

    出演 池永通洋、高橋直子、鈴木利秋、沖順一郎、瀬能礼子、

    丸山裕子、峰恵研、市川治 島美弥子、大庭紀子

1973年 青俳

    脚本 レオポルド・アールゼン  訳・演出 岩淵達二

    配役 木村功(ラスコーリニコフ)、中野良子(ソーニャ)、

    織本順吉(ポルフィーリイ)、

1981年7月 木山事務所プロデュース

        『ペテルブルグの夢』(『罪と罰』に基づく)

    脚本 S・A・ラジンスキー  演出 藤原新平

    訳 中本信幸

    出演 松橋登、直井修、三谷昇、多田幸雄、江良潤、

       藤堂田貴也、風祭ゆき、大橋芳江、三好美智子、

       西乃砂恵、高瀬佳子、安田幸代

2006年10月 劇団俳優座

    脚色:Y・カリャーキン/Y・リュビーモフ

    訳:桜井郁子

    演出:袋正

    主演:小山力也(ラスコーリニコフ役)

   

『白痴』

1970年3月 劇団四季

    脚本 ゲオルギイ・A・トフストノーゴフ

    脚色・演出 宮島春彦 訳 山本一郎

    配役 松橋登(ムイシュキン)水島弘(ラゴージン)

    三田和代(ナスターシャ)、斎藤昌子(アグラーヤ)

 

『ナスターシャ』 1989年3月1日~4月25日

    脚本 アンジェイ・ワイダ、マチュイ・カルピンスキイ

    演出 アンジェイ・ワイダ

    配役 坂東玉三郎(ムイシュキン、ナスターシャ、二役)

       辻萬長(ラゴージン)

 

1989年10月7日~22日  俳優座

    脚本・演出 ワレーリィ・フォーキン

    翻訳 宮澤俊一

    配役 加藤剛(ムイシュキン)、河津左衛子(ナスターシャ)

       小笠原良知(ラゴージン)、寺杣昌紀(ガーニャ)、

       アグラーヤ(日下由美)、その他

 

2011年11月11日~11月13日 

                東京ノーヴイ・レパートリーシアター

    脚色:ゲオルギー・トフストノーゴフ

    翻訳:遠坂創三
    監修:加賀乙彦
    舞台美術デザイン:セルゲイ・アクショーノフ
 

『悪霊』

1974年2月  青年座+たねの会

    劇化 椎名麟三  演出 田中千禾夫・木村鈴吉

    配役 小山田宗徳(スタヴローギン)小沢弘治(キリーロフ)

    岩下浩(シャートフ) 早川保(ピョートル) 

                 柳川由紀子(リーザ)

1981年  文芸座ル・ピリエ

    脚本 アカキア・ヴィアラ  脚本・演出 ニコラ・バタイユ

    訳 岡田正子

    出演 高木均、西本裕行、伊井篤史、奥田啓二、上条慎吾、小島

                        孝夫、小山武宏、田中正彦、永田博文、加藤道子、木村有里、      

 

『カラマーゾフの兄弟』

1922年 舞台協会

    脚色 ジャック・コボー   演出 伊藤松雄

 

1966~67年、1971年 四季

    脚本 ジャック・コポー、ジャン・クルエ

    演出 浅利慶太  訳 宮島春彦

    配役 田中明夫(フョードル)、日下武史(ドミートリイ)

     水島弘(イワン)、池田鴻(スメルジャコフ) 

     石坂浩二、荻島真一(浜畑賢吉・1971)(アリョーシャ)

 

1982年11月~12月 木山事務所

    演出 末木利文  訳 宮島春彦

    出演 江角英明、鴨川てんし、小池幸次、田村正男、

                 本田次布、真井修、根岸光太郎、山口晃史、五十嵐弘、

                  伊東美那子、稲垣愛、咲村ゆうこ

 

2012年1月11日~22日 劇団俳優座

    脚本/八木柊一郎   演出/中野誠也

    出演:児玉泰次 田中美央 頼三四郎 松崎賢吾 河内浩

 

 

 

『ドストエフスキーの妻を演じる老女優』

1988年9月19日~10月5日 劇団民藝

    原作 エドワード・ラジンスキー

    演出 内山鶉

    配役 米倉斉加年(彼)、北林谷栄(彼女)

 

  (資料の作成に際しては、早稲田大学演劇博物館のお世話になった。日本の演劇に関してはほとんど素人なので調べもれや誤記もあると思われるので、ご指摘頂ければ幸いである。なお、論文の執筆に際しては日ソ図書館および浅川彰三氏から資料の貸出と提供を受けた)。

 「ドストエーフスキイとオストローフスキイ」(3)、東海大学外国語教育センター紀要、第11輯、1991年、2013年10月加筆

モスクワの演劇――ドストエフスキー劇を中心に

はじめに

今回は私が留学生の引率として1985年6月から10ヵ月間モスクワに滞在した時に見た演劇について記します。演劇の専門家ではないので、モスクワの演劇の全体像を描き出すことはできませんので、ここではドストエフスキー関係の劇を中心にモスクワ演劇の動向を簡単に紹介します。

一、

モスクワの演劇のレパートリーで、まず私の目を惹いたのは、想像以上に古典物が多く演じられていることであった。チェーホフの作品は相変わらず、人気が高いのは当然であるが、この他にもアレクセイ・トルストイの歴史劇、レフ・トルストイの三部作(この内『死せる屍』は三つの劇場で上演されていた)が演じられていた。また日本ではほとんど知られていないが、レフ・トルストイやチェーホフへの道を開いたA・オストロフスキーは18本の戯曲が上演され、しかもそれらの何本かは、同時に二箇所の劇場で演じられていた。

それとともに古典小説の劇化もまたかなり積極的になされていることが私の興味を惹いた。少し振り返っただけでもトルストイの『アンナ・カレーニナ』や、『クロイツェル・ソナタ』、ツルゲーネフの『その前夜』などが浮かんで来る。その他レスコフやシチェドリンの作品もまたレパートリーを飾っている。そしてもちろんドストエフスキーもその例外ではない。

私が大学院生の時に留学の機会を得て初めてソヴィエトを訪れた時、モスクワでは、ドストエフスキーの劇はザワートスキイの『ペテルブルクの夢』(『罪と罰』に基づく)が大当たりし、エーフロスの『兄弟アリョーシャ』(『カラマーゾフの兄弟』に基づく)が話題を呼んでいた。また『ステパンチコヴォ村とその住民』がモスクワ芸術座に掛かり、小さなスタジオでは『貧しき人々』が二人だけで演じられていた。

これらの劇ことに『ペテルブルクの夢』は、予想に反して私に強い印象を与えた。それまで小説の映画化などで原作が損なわれるのを何回も見てきた私は、あまり劇に期待をかけてもいなかったのだ。だがザワートスキイは、巧みな演出と鋭い問題意識で観客の心を捉え、それまでドストエフスキーの孤独な読者であった私は、見知らぬ多くの観客達と共通の気分に浸りながら、このような形でのドストエフスキーの受容もありえることを再確認していた。

確かに劇化や映画化に際しては、原作の著しい短縮は避けられえず、それゆえ原作を損なうこともありえる。だが演出家が深く作品を理解し、その主題を鋭く提示するとき、小説は舞台においてもそのリアリティーを主張しえるのである。そして私はその後、ドストエフスキー自身が若い時、演劇に凝り、戯曲を書き、自分でも演じたことがあることを知った。私のドストエフスキー理解には大きな欠落があったのである。

私が日本に帰ってからモスクワの舞台では、リュビーモフの『罪と罰』や、フォーキンの『俺も行く、俺も行く』(『地下室の手記』と『おかしな男の夢』に基づく)が人間存在の根底に迫る鋭い演出でソヴィエト演劇の枠を大きく広げた(なお、これらの劇に関しては、ルドニーツキイの論文「理念の冒険」に詳しい。残念ながら、リュビーモフはあれからモスクワを去り、以上の劇の内で現在も演じられているのは、『ペテルブルクの夢』一本になってしまった。

だが、ソヴィエト演劇界におけるドストエフスキーの受容は留まることなしに、これまでの成果を踏まえながら、更に新たなる模索をしているといえよう。たとえばモスソヴィエト劇場ではザワートスキイの業績を受け継いだホームスキイの『カラマーゾフの兄弟』が、十年以上のロング・ランを続ける『ペテルブルクの夢』と並んで上演されている。タガンカ劇場では『空想家の手記』(『白夜』と『地下室の手記』に基づく)が初演されており、モスクワ芸術座では『おとなしい女』が、そしてソヴィエト軍劇場の小舞台では『白痴』が演じられている。

二、

モスクワの友人がこの頃劇場の券を手に入れるのが大変むずかしくなったと言った。何故かと問うと恐らくテレビに飽きたらなくなって劇場に来る人々が増えたのだろうと言う。確かにモスクワの劇場は券が安いこともあって(高いものでも七〇〇円位)求め易く、少しよい劇になると、なかなか手に入らず、チケット売り場を求め歩いてもらちがあかず、キャンセルを期待して二時間程前から劇場の前に並ぶことになる。だが驚くべきことには、そこにも既に例の行列ができており、何枚でるかわからない券を延々と待っているのだ。ただこの行列だけは特別で元来劇好きの者ばかりが並んでいるので時には話に花が咲いたりもする。そして苦労して出会った劇との対面には感慨も深いのである。

大きな劇場が、最近いずれも小舞台を別に持つようになった理由の一つは、このような観客数の増加もあるだろう。だが演劇人に語らせると、小舞台の流行は、単に量の問題から来るのではなく、質の問題とも深く関わっていると言う。すなわち小舞台では多少、実験的なこともでき、そこで成功したものを大舞台に懸けることもできる。そしてそれとともに小舞台では俳優と観客の間に距離的なものから来る一種の緊張感も生まれるのだ。

ソヴィエト軍劇場における『白痴』もそうした劇の一つである。期待が大き過ぎただけに劇を見た後は、軽い失望感に襲われたが、それでもこの劇も小舞台の長所を生かしていたとは言える。例えばナスターシヤ・フィリポヴナの提言で、彼女の家に集まった面めんが、誰にも言えなかった心の秘密を語る場面では、単に舞台の上のことではなく観客の一人一人に問いかけるだけの鋭さを有していた。

同じことがタガンカ劇場の旧舞台で演じられた『空想家の手記』にも当てはまる。ここでも場内の空間的狭さは、欠点とはならず、舞台と観客とを結び付ける働きをしている。この劇は一見まったく異なっているように見える二つの作品を空想家という共通項によって統一したものだが、演出家はロマンチストと絶望者という全く相反する二人の主人公を、彼らの分身を登場させることによって説得力豊かに結び付けている。例えば、劇中で女主人公達が語る次のような言葉は、二人の主人公の同質性をまざまざと証明している。

「だって、あなたのお話はまるでご本でも読んでいらっしゃるようなんですもの」(『白夜』)、「あなたはなんだか……まるで本でも読んでいるような話し方をするんですもの」(『地下室の手記』、ともに米川正夫訳)。

さらにリュビーモフは劇『巨匠とマルガリータ』(ブルガーコフ作)や、トリーフォノフの『交換』において、悪魔や黒い服を着た仲買人の口をとおして、今あなた方は物質的には多少豊かになったかもしれないが、精神的にはどうかという鋭い問いを発していた。

そして、『空想家の手記』でも黒い服を着た分身も盛んに観客に話しかけてはいたが、残念ながらこの分身はことに第一部の『白夜』においては劇から浮いて、ロマンチックな恋を冷ややかに見つめる解説者に成り下がっていた。発想がユニークなだけに突っ込みの足りなさが惜しまれた。

モスクワ芸術座(支部)で演じられた『おとなしい女』は以前レニングラードで上演されていたものだが、主演のボリ-ソフのモスクワ移転に伴ってモスクワでも見られるようになった。

この劇も又、小舞台的な、と言うよりも、小舞台向きの劇だと思える。舞台は妻の自殺の場面が、観客に息を飲ませる位で、他には特に凝った装置はない。しかし初めはぼそぼそとしたボリーソフの声は、次第に力が入り、時には彼の話を直に聞かされていると錯覚する程の迫力を帯びた。

ところで私はこの劇場を見終わってから、なぜか劇『クロイツェル・ソナタ』を思い起こし、これらの劇が今モスクワの劇場で上演されることに興味を覚えた。周知のように『おとなしい女』は、自殺した若い妻の遺骸の脇での高利貸しの男の考えを記したものであり、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』もまた妻との精神的つながりを失い、嫉妬から彼女を殺した中年の男の告白である。これら両作品に共通しているのは、愛と性にたいする根本的な反省と洞察であると言えよう。これらの作品の劇化は、離婚が頻発するなかで新しい家族像を模索するソヴィエト社会を反映しているように思える。

三、

モスソヴィエト劇場で演じられた二つの劇は、大舞台のよさを十二分に生かしていた。『ペテルブルクの夢』では、舞台後方に金貸しの老婆が住む古びた建物が再現され、ラスコーリニコフの殺人に至る場面や逃走の場面では、実際に彼が階段を登ったり降りたりする状況がリアルに描かれ、緊迫感を盛り上げている。だがそれとともにザワートスキイもまた観客を単なる観客としてほおってはおかず、事件の目撃者に引きずりこむ。劇が始まる前に、真っ暗な場内に左右から差し込んだ光は、舞台ではなく観客席の真ん中に突き刺さる。舞台に現れたラスコーリニコフも、また舞台には留まらずに、丁度花道のように作られた道を通って、観客席の六列目まで入り込み、そこで自分の考えを述べるのである。更に殺人を犯す前にも彼は観客席に入り込み、そこで隠されていた斧を取り出す。こうししてザワートスキイは緊迫した劇づくりで観客を引き付け、彼らの前にラスコーリニコフの犯罪を暴露するのである。

ホームスキイの『カラマーゾフの兄弟』では、観客は客席に足を踏み入れた途端に劇の世界に入り込むことになる。すなわち舞台には既に居酒屋が存在し、そこでは或る者はギターを弾き、他の者は女を膝に抱いて口説いているのである。そしてホームスキイは、ザワートスキイの問題意識を更に押し進め、スメルジャコフにかなり焦点をしぼって殺すことの意味を問うている。

 舞台作りの上ではザワートスキイが最後のエピローグでは、たぎる霧の中に巨大な十字架をあたかも世界の救済のごとくに浮かび上がらせ、観客をあっと言わせたが、ホームスキイは、居酒屋の場面を一転させて僧院の一室に変えた。するとそれまで天井を形成していたすのこ状の板が半回転して壁となり、そこにはキリストを抱いたマリアの像が無彩色で描かれていた。少なくともこれらの劇を見た範囲では、ソヴィエトにおいても単に宗教を否定するのではなく、そのよい部分は吸収しようとする新しい流れを感じた。

なおこのことに関連して思い起こされるのは、ドストエフスキーの作品による劇『俺も行く、俺も行く』を演出したフォーキンの『語れ』である。この劇は党の在り方を問題にしているのだが、終わり近くで上からの指導を批判し、下からの意見がなければだめだと主人公に語らせながら、最後に相変わらず十年一日のごとくに決まりきった報告書を読みあげる女性のノートを取り上げ、「(自分の声で)語れ」と言った時には、観客の熱い共感が湧き起こった。これまでこのエルモーロワ劇場の券はほとんどいつでも取れたのだがこの劇については、券を手に入れるのがむずかしかった。また今回は見ることができなかったのだが、ロック・ミュージカルなどで若者達に絶大な人気を持つレン・コンソモール劇場が、『良心の独裁』を初演している。この劇は今モスクワで最も人気のある劇の一つであり、ここでは『悪霊』のスタブローギンが登場し、良心の在り方が問題になっているとのことである。

ドストエフスキー研究者のグラーリニクは、その論文で「ドストエフスキーを克服する」のがかつての課題であったが、今では「ドストエフスキーを理解する」ことが必要であると述べ、カリャーキンも『罪と罰』を分析しながら、「どんな『良心』も『知性』を欠いては、あるいはどんな『知性』も良心を欠いては、世界を理解し、改造することはできない」と結論しているが、極めて間接的ではあるが、これらの劇もまた現在のソヴィエトにおけるドストエフスキーの受容を物語っているように思える。

こうしてソヴィエトにおいてもドストエフスキー理解の深まりは、直接的に劇にも反映しドストエフスキー劇以外の劇にも影響を及ぼしていると言えよう、ソヴィエトのドストエフスキー劇がどのような地平を開くのかこれからも注意深く見つめたいと思う。(本稿では肩書きは省略した)。

初出は『人間の場から』第9号、1987年11月1日。その後『ドストエーフスキイの会 会報』第103号、1988年、および『場 ドストエーフスキイの会の記録』Ⅳに再掲。HPへの掲載に際しては人名と国名表記を一部変更した)。