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〈司馬遼太郎と小林秀雄(1)――歴史認識とイデオロギーの問題をめぐって〉を「主な研究」に掲載

先日、論文〈司馬遼太郎と小林秀雄――「軍神」の問題をめぐって〉を「主な研究」に掲載しました。

しかし、論文のテーマを明確にするために、その後、節の題名を変更するとともに、〈司馬遼太郎と小林秀雄(1)――歴史認識とイデオロギーの問題をめぐって〉と〈司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって〉の二つに分割しました。

今回は、まず「司馬遼太郎と小林秀雄(1)」を「主な研究」に掲載します。

構成/ はじめに

1,情念の重視と神話としての歴史――小林秀雄の歴史認識と司馬遼太郎の批判

2、小林秀雄の「隠された意匠」と「イデオロギーフリー」としての司馬遼太郎

 

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(1)――歴史認識とイデオロギーの問題をめぐって

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって

リンク→「様々な意匠」と隠された「意匠」

リンク→作品の解釈と「積極的な誤訳」――寺田透の小林秀雄観

リンク→「不注意な読者」をめぐって(2)――岡潔と小林秀雄の『白痴』観

リンク→(書評)山城むつみ著『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』(新潮社、2014年)

 

〈司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって〉を「主な研究」に掲載

先ほど、論文〈司馬遼太郎と小林秀雄――「軍神」の問題をめぐって〉を二つに分割しましたので、後半の部分も「主な研究」に掲載します。

「司馬遼太郎と小林秀雄(2)」の構成は以下のとおりです。

はじめに

一、司馬遼太郎の『殉死』と芥川龍之介の『将軍』

二、小林秀雄の『将軍』観と司馬遼太郎の「軍神」批判

 

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(1)――歴史認識とイデオロギーの問題をめぐって

リンク→司馬遼太郎と小林秀雄(2)――芥川龍之介の『将軍』をめぐって

〈司馬遼太郎による「戦後日本」の評価と「神国思想」の批判〉をトップページに掲載

本日(17日)、衆院憲法審査会での実質審議が再開されました。

→東京新聞〈公明「押し付け憲法」否定、自民との違い鮮明 衆院憲法審再開〉 

少し安心したのは公明党の北側一雄氏が、現行憲法が連合国軍総司令部(GHQ)による「押し付け」だとする「日本会議」や自民党の見解について「賛同できない」との意見を明確にしたことです。

民進党の武正公一氏は安倍晋三首相が各党に改憲草案の提出を要請したことに対し「行政府の長からの越権と考える」と批判し、共産党の赤嶺政賢氏は安倍政権の政治手法を「憲法無視の政治だ」と非難し、社民党の照屋寛徳氏も護憲の立場を強調したとのことです。

それらのことは高く評価できるのですが、安倍自民党が圧倒的な数の議席を有していることや、これまでの「「特定秘密保護法」や「戦争法」に対する公明党の対応の変化を考えると不安は残ります。

それゆえ、今回はトップページに司馬遼太郎氏の「戦後日本」観と「神国思想」の批判を掲げることにより、ほとんどの閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に属している安倍自民党の危険性に注意を促すことにします。

なぜならば、「神国思想」が支配した戦前の日本に回帰させないためにも、近代に成立した国家の統治体制の基礎を定める「憲法」を古代の神話的な歴史観で解釈する安倍政権と「日本会議」による「改憲」の危険性を国会の憲法審査会だけではなく、一人一人が検証して徹底的に明らかにすべき時期に来ていると思われるからです。

〈司馬遼太郎の「神国思想」の批判と憲法観〉の項目に〈坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判〉を追加

ISBN978-4-903174-23-5_xl(←画像をクリックで拡大できます)

靖国神社には坂本龍馬が「英霊」として祀られているだけでなく、戦争の歴史や武器・兵器を展示している「遊就館」にも大きく龍馬の写真が展示されています。

そのために「神国思想」の危険性の鋭い分析をした小島毅氏も、「龍馬がここまでのし上がってきたのは、司馬遼太郎の小説のおかげであろう」と書き、さらに「これは別段『靖国史観』とわざわざ言うまでもなく、司馬遼太郎のような明治維新礼賛派の歴史小説家が好んで描く図式」であると断言して、長編小説『竜馬がゆく』の歴史観も「靖国史観」の亜流であるかのような記述をしています(『増補 靖国史観』ちくま学芸文庫、103~109頁)。

それゆえ、そのような誤解を解くために坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判〉と題した下記の短い引用を〈司馬遼太郎の「神国思想」の批判と憲法観〉の項目に追加しました。

*   *   *

3,坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判

坂本竜馬が「船中八策」で記した「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛(さんたん)せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」という「第二策」を、「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したものといっていい」と位置づけるとともに、「他の討幕への奔走家たちに、革命後の明確な新日本像があったとはおもえない」と書いた司馬は、「余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている」と続けていた。

司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観

*   *   *

《ただ、竜馬はこのような広い視野を偶然に得たわけではなかった。すなわち、高知の蘭学塾でのオランダ憲法との出会いに注意を促しながら司馬は、「勝を知ったあと、外国の憲法というものにひどく興味をもった」竜馬が、「上院下院の議会制度」に魅了されて「これ以外にはない」と思ったと説明している。

つまり、「流血革命主義」によって徳川幕府を打倒しても、それに代わって「薩長連立幕府」ができたのでは、「なんのために多年、諸国諸藩の士が流血してきた」のかがわからなくなってしまうと考えた竜馬は、それに代わる仕組みとして、武力ではなく討論と民衆の支持によって代議士が選ばれる議会制度を打ち立てようとしていたのである。》

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年、325頁)。

 

〈大河ドラマ《坂の上の雲》から《花燃ゆ》へ――改竄された長編小説『坂の上の雲』Ⅱ〉

はじめに

太平洋戦争における「特攻」につながる「自殺戦術」の問題点と「大和魂」の絶対化の危険性を鋭く指摘した長編小説『坂の上の雲』と子規や漱石の作品との関係については、昨日、拙著の該当部分(第5章第4節)をアップしました。

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』第5章より、第4節〈虫のように、埋め草になって――「国民」から「臣民」へ〉

しかし、「政治的・時代的な意図」によってこの長編小説を解釈した大河ドラマ《坂の上の雲》が三年間にわたって放映されたことで、著者の司馬遼太郎だけでなく正岡子規や夏目漱石への誤解も広がっているようです。

『坂の上の雲』を「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品」であると作者の司馬が記していた(『「昭和」という国家』、NHK出版、一九九八年)作品を、大河ドラマとして放映したことの問題については、既にブログ記事で論じていました。

改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

それを書いた時点では私がまだ俳人・正岡子規にあまり詳しくなかったために、漱石と子規の妹律の発言をめぐる問題点にはふれていませんでした。ツイッターでは大河ドラマ《坂の上の雲》の最終回で描かれた創作されたエピソードについて考察しましたが、字数の関係で抜かした箇所などがありましたので、今回はその箇所や子規の新体詩や島崎藤村との関係、さらに新聞『日本』にトルストイの『復活』が載っていたことなどを補った追加版をアップします。

*   *   *

ヤフーの「知恵袋」というネット上の質問コーナーには、2012年2月に「司馬遼太郎と夏目漱石」という題で次のような質問が載っていました。

「昨年NHKでやっていた『坂の上の雲』の最終回で、夏目漱石役の人が『大和魂』を茶化すような発言をして正岡子規の妹役に諌められ、『すみません』といって謝っていたのですが、あそこのところは原作にもあるんでしょうか?どのような意図が込められているんでしょうか?

夏目漱石といえば近代日本の批判者というイメージですが、『坂の上の雲』や一般に司馬遼太郎その人にとって、漱石はどういう位置づけというか、どういう存在だったのでしょうか。」

この質問に対するベストアンサーには次のような回答が選ばれていました。

「確か原作にはなかったと思います。漱石はその著書『こころ』で、明治天皇の崩御と乃木将軍の殉死を悼み、『明治という時代が終わった。』と登場人物の『先生』に言わせていたと思います。  確か「坊ちゃん」だったと思いますが(引用者註――『三四郎』)、日露戦争後の日本について「日本は滅びるね。」と登場人物に言わせています。

そこら辺の機微をNHKが創作したものだと推測します。『坂の上の雲』では、漱石は子規のベストフレンド(文学的にも)という位置づけだったように思います。」

*   *   *

回答者の「確か原作にはなかったと思います」という指摘は正確なのですが、「夏目漱石役の人が『大和魂』を茶化すような発言をして正岡子規の妹役に諌められ、『すみません』といって謝っていた」というシーンについて回答者は、「NHKが創作した」と解釈することは、子規への誤解を広めることになるでしょう。

この場面は「大和魂(やまとだましい)! と叫んで日本人が肺病みの様な咳をした」という文章で始まる新体詩を主人公の苦沙弥先生が朗読するという『吾輩は猫である』の場面を受けて創作されていたと思えます。

しかし、漱石が主人公にこのような新体詩を読ませたのは、盟友・子規が「大和魂」を絶対化することの危険性を記していたことを思い起こしていたためだと思えます。

俳人・子規は、日清戦争に従軍した際に創作した「金州城」と題された新体詩で、杜甫の詩を下敷きに「わがすめらぎの春四月、/金州城に来て見れば、/いくさのあとの家荒れて、/杏の花ぞさかりなる。」と詠んでいました。さらに子規は「髑髏」という新体詩では「三崎の山を打ち越えて/いくさの跡をとめくれば、此処も彼処も紫に/菫花咲く野のされこうべ。」と詠んでいたのです。

評論家の末延芳晴氏が『正岡子規、従軍す』(平凡社、二〇一〇年)で指摘しているように、子規の従軍新体詩が「反戦詩」へとつながる可能性さえあったのです。

新聞記者としても活躍していた子規は、事実を直視する「写生」の大切さを訴え、政府の言論弾圧も批判していたことだけでなく、後に『破戒』を書くことになる島崎藤村との対談で話題となっていたように短編『花枕』などの小説を書き、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の部分訳をも試みていました。

日露戦争の最中に新聞『日本』がトルストイの反戦的な小説『復活』を内田魯庵の訳で連載していたことも考慮するならば(拙著『新聞への思い』、191~192頁)、子規がもし健康で長生きをしたら漱石にも劣らない長編小説を書いていたかもしれないとさえ私は考えています。

なお、回答者は「漱石はその著書『こころ』で、明治天皇の崩御と乃木将軍の殉死を悼み、『明治という時代が終わった。』と登場人物の『先生』に言わせていたと思います」とも記していました。

夏目漱石の乃木観の問題は、乃木大将の殉死をテーマとした司馬遼太郎の『殉死』でも記されていますので、この問題については現在、執筆中の『絶望との対峙――憲法の発布から「鬼胎」の時代へ』(仮題)で詳しく考察したいと考えています。

*   *   *

NHKは大河ドラマ《坂の上の雲》を三年間にわたって放映しばかりでなく、その間には政商・岩崎弥太郎を語り手として幕末の志士・坂本竜馬の波乱の生涯を描いた《龍馬伝》も放映していました。

うろ覚えな記憶ですがこの大河ドラマの脚本家は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』から強い影響を受けたことに感謝しつつ、それを踏まえて新しい『龍馬伝』を書きたいとの心意気を語っていました。

しかし、この大河ドラマでは、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の「過激派」の人々が美しく描き出されており、結果としては『竜馬がゆく』で描かれた「思想家」としての竜馬像を否定するような作品になっていたと言わねばなりません。

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

さらに2015年には吉田松陰の妹・文を主人公とした大河ドラマ《花燃ゆ》が放映されましたが、文が再婚した相手の小田村伊之助こそは、山崎氏雅弘が指摘しているように「日本を蝕(むしば)む『憲法三原則』国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」というタイトルの記事を寄稿していた小田村四郎・日本会議副会長の曽祖父だったのです(『日本会議 戦前回帰への情念』)。

このように見てくる時、莫大な予算をかけて製作されているNHKの大河ドラマ大河ドラマ《坂の上の雲》、《龍馬伝》、《花燃ゆ》などが安倍自民党のイデオロギーの宣伝となっていることが分かります。

「日本会議」の憲法観と日本と帝政ロシアの「教育勅語」

本来ならば、自民党の広報が製作すべきこれらの番組の製作費が、国民からなかば強制的に徴収されている視聴料によってまかなわれていることはきわめて問題であり、これから国会などでも追究されるべきだと思います。

〈子や孫を 白蟻とさせるな わが世代〉

%e7%99%bd%e8%9f%bb(イエシロアリ、図版は「ウィキペディア」より)

昨日、若者に向けたスローガン風のメッセージをアップしました。

一方、「特定秘密保護法」が正規式に施行される以前の11月末に「法律事務所員などを名乗る複数の男から『あなたは国家秘密を漏らした。法律違反で警察に拘束される。金を出せば何事もなかったようにする』などと電話で脅された女性が、2500万円をだまし取られたという事件が発生していました(「東京新聞」、11月23日)。

私もすでに年金をもらう年齢になりましたが、同世代の中には成人に達した孫がいる人もいます。それゆえ、子や孫たちの世代を戦前のような悲惨な目に遭わせないためにも、〈「オレ、オレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』〉のシリーズをもう少し続けることで、被害者の数が増えないようにしたいと思います。

少し大げさに言えば、それが司馬遼太郎氏の作品から比較文明学的な視野の重要性を学んだ研究者としての私の責務だと考えています。

*   *

第一次世界大戦中の1916年に発行された『大正の青年と帝国の前途』で若者たちに「白蟻」の勇気をまねるように諭した徳富蘇峰は、敗色が濃厚となった1945年には「尊皇攘夷」を主張した「神風連の乱」を高く評価していしました。

このことを思い起こすならば、平成の若者を子や孫に持つ世代は、戦前の価値観や旧日本軍の「徹底した人命軽視の思想」を受け継いでおり、十分な議論もなく「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を閣議決定した安倍政権にNOを突きつけねばならないでしょう。

(2017年1月7日、図版と蘇峰の文章を追加)

〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉を「主な研究」に掲載

 

文芸評論家・小林秀雄は太平洋戦争の直前の一九四〇年八月に林房雄や石川達三と「英雄を語る」という題名で鼎談を行っていました。日本の近代を代表する「知識人」の小林が行っていたこの鼎談は、『罪と罰』におけるラスコーリニコフの「非凡人の理論」や「良心」の問題とも深く関わっていると思えます。

しかし、この重要な鼎談の内容は研究者にもまだあまり知られていないようです。                    拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)では、小林の「原子力エネルギー」観の問題についても詳しく論じたので、〈小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観〉という題でそれらの問題点を簡単に考察し、「主な研究」のページに掲載します。

〈忍び寄る「国家神道」の足音〉関連記事一覧

本ブログの記事では、「大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官」の二人にたいして勲一等「旭日大綬章」を贈った安倍政権が行う「改憲」方針の裏に隠されている「復古」の姿勢の危険性を指摘していました。

*   *   *

忍び寄る「国家神道」の足音〉を特集した今日の「東京新聞」朝刊は「こちら特報部」でこう記しています。

「安倍首相は二十二日の施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した。夏の参院選も当然、意識していたはずだ。そうした首相の改憲モードに呼応するように今年、初詣でにぎわう神社の多くに改憲の署名用紙が置かれていた。包括する神社本庁は、いわば「安倍応援団」の中核だ。戦前、神社が担った国家神道は敗戦により解体された。しかし、ここに来て復活を期す空気が強まっている。」

そして、記事は次のように結ばれています。

「神道が再び国家と結びつけば、戦前のように政治の道具として、国民を戦争に動員するスローガンとして使われるだろう。」

*   *   *

宗教学者の島薗進氏の今日のツィッターでも、【疑わしい20条改正案 政教分離の意義再認識を】という題の「中外日報」(宗教・文化の新聞)の12/18社説が紹介され、その理由が記されていました。

http://www.chugainippoh.co.jp/editorial/2015/1218.html …

〈明治維新は「祭政一致」を掲げ、やがて「万世一系の天皇をいただく国体」の教説と一体のものとなった。これを抑えられず、立憲政治と良心の自由を掘り崩した〉。

 

関連記事一覧

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〈日本における『罪と罰』の受容――「欧化と国粋」のサイクルをめぐって〉を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

昨日、日本トルストイ協会での講演のレジュメを掲載しましたが、懇親会の席ではドストエフスキーの日本における受容についてのご質問がありましたので、「欧化と国粋のサイクル」という比較文明学会的な視点から、この問題を考察した標記の論考を「主な研究(活動)」に掲載しました。

この論文ではトルストイには言及していませんが、第3節で日露戦争の後で書かれた夏目漱石の長編小説『三四郎』における夏目漱石の考察に触れつつ、「日露戦争」と「祖国戦争」との類似性を指摘したことが、トルストイの『戦争と平和』と比較しながら『坂の上の雲』を分析した拙著 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)につながることになりました。

また、この論考では『罪と罰』の受容に絞ったために、それ以前のドストエフスキーの作品には言及していませんが、クリミア戦争敗北後の価値が混乱して西欧的な価値を主張する西欧派とロシア固有の価値を主張するスラヴ派の間で激しい議論が交わされていた時期に、ドストエフスキーは「大地主義」を唱えて、改革のゆるやかな前進の可能性を探っていました。

この試みは「欧化と国粋のサイクルの克服」という視点からはきわめて重要な試みでしたが、左右の思想の激しい対立の間で両派から批判され、検閲により発行停止にあったこともあり挫折してしまいました。そればかりでなく、その後もニーチェの哲学からの強い影響を受けて、ドストエフスキーは『地下室の手記』でそれまでの理想を捨てたとして、それ以前に書かれた作品を軽視したシェストフの解釈がロシアで広く受け入れられることになったのです。

そして、日本が国際連盟から脱退して国際社会からは孤立するようになっていた日本でも、「シェストフ的な不安」が広く受け入れられ、シェストフの解釈から強い影響を受けた文芸評論家の小林秀雄も、「大地主義」の時代に書かれた『虐げられた人々』や『死の家の記録』などの長編小説を軽視していました。

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー刀水書房、2002年)では、これらの長編小説や旅行記『冬に記す夏の印象』などの意義を詳しく考察しましたが、この著書を書いていた当時にも、日本が再び「国粋」のサイクルに入っているという強い危機感を抱いていましたが、その後の流れはますます加速しているようです。

ロシアや日本のように伝統が重んじられる国の大きな問題点は、司馬遼太郎氏が指摘していたように、特殊性が強調される一方で普遍性が軽視されて、冷静な議論がなされないためにブレーキがきかなくなって、情念に流され、革命や戦争のような破局にまで突き進んでしまう危険性が強いのです。

そのような危険性を回避するためにも、クリミア戦争敗戦後の混乱の時期にドストエフスキーが描いたこれらの作品はもう一度、真剣に読み直される必要があるでしょう。

〈樋口一葉と『罪と罰』〉関連記事一覧

〈樋口一葉と『罪と罰』〉の関連記事一覧を、ブログと「主な研究」の「タイトル一覧Ⅱ」に掲載します。

正岡子規と島崎藤村の出会い――「事実」を描く方法としての「虚構」

 正岡子規の小説観――長編小説『春』と樋口一葉の「たけくらべ」

樋口一葉における『罪と罰』の受容(1)――「にごりえ」をめぐって

樋口一葉における『罪と罰』の受容(2)――「十三夜」をめぐって

樋口一葉における『罪と罰』の受容(3)――「われから」をめぐって