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日本会議

「立憲主義」の重要性が確認された2017年の総選挙

安倍政権の政治手法の危険性と「立憲主義」の重要性が確認された総選挙

「モリカケ」問題にたいして丁寧に答えると語っていた安倍首相が、北朝鮮情勢などを理由に突然の解散に踏み切った今回も異様な総選挙だった。

私自身は政治学が専門ではないが、日本の未来を左右することになる2017年の今回の選挙について、安倍政権下で行われた以前の選挙も簡単に振り返ることでその問題点と成果を確認しておきたい。

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安倍政権における政治家・官僚・財界の癒着の問題が国政を揺るがすようになってきた段階で、民進党の党首を選ぶための選挙が行われるという野党の乱れを突くかのように、安倍首相は何の説明責任も果たさないままに奇襲攻撃のような形で国会での冒頭で解散を宣言した。

このような首相の小手先の選挙戦術の裏をかくように小池百合子都知事が自ら代表となって「希望の党」を旗揚げすると、さらに驚かされる事態が起きた。

野党第一党の党首となったばかりの前原代表が「民進党」を解体して「希望の党」に合流すると発表したのである。 東京都銃剣道連盟の現会長でもある小池氏は、かつて「日本会議国会議員懇談会」の副会長を務めていたこともあるので、今度の選挙で日本の社会は戦前の価値観へと回帰してしまうのかと暗澹たる気持ちに襲われた。しかし、この奇策は当初は成功したかに見えたが、この党の実態が徐々に明らかになるにつれて、「希望の党」への追い風は止み、むしろ風当たりが強くなった。

銃剣道2(「ウィキペディア」より)。

このような日本の民主主義の危機に際して、人々の深く熱い思いを受けて枝野氏が一人で呼びかけ、「たった6人」で旗揚げしたのが、薩長藩閥政府の横暴や汚職に対抗するために設立された明治の伝統を受け継いだ立憲民主党であった。すなわち、自由民権運動の盛り上がりの中で立ち上げられた立憲改進党(1882~1896)や立憲自由党(1890~1898)などは、明治憲法の発布や国会の開設など「立憲主義」の重要性を深く理解していたのである。

そして、安倍自公政権の横暴などを批判する人々の期待を真正面から受け止めた「立憲民主党」は、前原・民進党代表がそれまで協議してきたプランをひっくり返したにもかかわらず、野党共闘に前向きに取り組んだ共産党や社民党の協力もあり野党の統一候補を出すことで、時代の風をつかみ上昇気流に乗って55名もの当選者をだすことができた。

立憲民主党

一方、2014年の12月に行われた総選挙について書いた記事では、〔総選挙と「争点」の隠蔽〕の問題を取り上げていたが、選挙中のテレビや新聞を使った大宣伝により議席を減らしながらも全体的には多くの議席数を確保したあとでは、今回も安倍首相は自分の考えが選挙民に受け入れられたと主張して、「改憲」の問題を早速、声高に主張し始めている。

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しかし、「立憲民主党」のあまりの勢いにおびえたように選挙の終盤には、今後の「改憲」の流れや政局にも大きくかかわるような事態が自公両党で起きた。

その一つは山口公明党代表が、「叩き潰せ、立民、共産。敵に渡すな、大事な議席」と仏教徒とは思えないような「鉄人28号」の替え歌を歌ったことである。しかも、三木鶏郎氏の歌詞では「あるときは 正義の味方/あるときは 悪魔のてさき」とも記されており、「正義の味方」だった者が「悪魔の手先」に「変節」する危険性もこの歌は示唆している。このような替え歌は仲間内では受けるだろうが、強い批判を浴びた小池都知事の「排除します」という言葉と同じように山口代表の視野の狭さを暴露してしまっている。

一方、批判を怖れてなるべく少ない聴衆を相手に語っていた安倍首相が、前回の「リベンジ」を謳って選挙戦の最終日に秋葉原で演説会を行ったことで自民党はそれを上回るような失態を犯した。

ものものしい警護の中で行われた秋葉原に集まったのは、「おとなの塚本幼稚園」や「おとなの森友学園」というハッシュタグが立つような聴衆の応援と乱立する「日の丸」であり、文字ではなく写真や映像で示されたこの事実は、「百聞は一見にしかず」のことわざのように、徐々に国民に深く認識されるようになるだろう。

あきはばら(出典blogimg.goo.ne.jp)

総選挙、秋葉原 つまり、翌日の産経新聞でさえこの写真を用いることをためらったように、「日本会議国会議員懇談会」の特別顧問を安倍首相と麻生副首相が務める安倍政権が、これまでの自由民主党とはまったく異なる極右的な政権であることを、多くの写真や映像は全国民の前に明らかにしてしまったのである。

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私自身の専門は比較文学なので、インパクトのある主張は難しいが、専制政治を国是としていた帝政ロシアで書かれたドストエフスキーやトルストイの作品と比較しながら日本の近代文学を考察することにより、日本では軽視されてきた「立憲主義」の重要性を明らかにしていきたい。

それとともに『我が闘争』の解釈などをとおして、ヒトラー的な見方を日本に広めてきた評論家・小林秀雄のキリスト教観の危険性を分析することで、「復古神道」の流れを汲む「日本会議」の問題点にも迫り、学問としての文学の意義をも明らかにすることができるだろう。

(2017年10月25日、改訂)

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なお、今回の総選挙が終わったので、これまでトップ・ページに掲載していた「総選挙に向けて――東アジアの人々の生命を守り、世界を放射能汚染から防ぐために」の欄を、「総選挙に向けて(2017年)」と改題して「文明論(地球環境・戦争・憲法)」に移動した。

総選挙に向けて(2017年)

 

「核兵器禁止条約」と「長崎平和宣言」

「東京新聞」は、8日の朝刊一面に「ニュージーランドではヒロシマ、ナガサキに原爆が投下された時期を平和週間にして、学校などで原爆の悲惨さを学ぶ時期になっています」との平和団体代表ケイト・デュースさんの寄稿を掲載している。

平和週間があるニュージーランドと比較するとき、ひるがえって日本ではどうだろうか。私が高校生の時におきたベトナム戦争以降、戦争を真剣に考える機会は確実に減り続けているように思える。

このような中で発せられた今日の「長崎平和宣言」は、「核兵器禁止条約」の意義を冒頭で語り、「被爆者が声をからして訴え続けてきた『長崎を最後の被爆地に』という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します」と結ばれている。この宣言は地域から発せられたものでありながら、世界的な視野を持っており説得力があると感じた。

http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html …

1899年のハーグ万国平和会議から2017年の核兵器禁止条約へ

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一方、広島の「平和式典」で安倍首相は、「唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を絶え間なく積み重ねていくこと。それが今を生きる私たちの責任です」と語り、「国際社会を主導していく決意です」との決意を述べていた(「産経新聞」)。

しかし、安倍首相が日本会議国会議員懇談会の特別顧問であることはよく知られているが、日本会議広島「日本の誇りセミナー」実行委員会は、この式典と同じ日にヘイト的な発言で知られる放送作家の百田尚樹氏を講演者として招いて「第9回 8.6 広島平和ミーティング」を開催していた。

72回目の「広島原爆の日」と「第9回 8・6 広島平和ミーティング」

産経新聞社の雑誌『正論』(2004年)の「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」という対談で、日露戦争を賛美した「日本会議」代表委員の石原慎太郎氏は、「いっそ北朝鮮からテポドンミサイルが飛来して日本列島のどこかに落ちればいい。そうすれば日本人は否応もなく覚醒するでしょう」と北朝鮮に対して戦争を挑発するような発言をしていた。

安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』』(ワック株式会社、2013年)がある百田尚樹氏も「世界激変、問われる日本の覚悟! ~国際秩序の崩壊、露わになった『平和の危機』への提言」と題されたこの講演で、「『平和』と唱えていれば平和になるという夢想から脱却しよう」と訴えていたのである。

さらに、百田氏はこの講演で、広島の「平和式典」を誹謗するかのように、「原爆慰霊碑に記された『過ちは繰返しませぬから』という言葉に違和感を覚えるかどうかが、自虐史観から脱却できているかのリトマス試験紙だ」と声高に主張していた(「産経新聞」デジタル版)。

前回の記事では日本会議広島「日本の誇りセミナー」実行委員会が主催する「8.6 広島平和ミーティング」の常連の講演者だった田母神俊雄・元航空幕僚長や、「もんじゅ」の推進者・櫻井よしこ氏には放射能の危険性に対する知識がまったく欠けていることを示したが、それは百田氏にも通じるように思われる。

「平成29年 長崎平和宣言」に賛同される方は 賛同ボタンをクリックしてください。

http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html …

 

72回目の「広島原爆の日」と「第9回 広島平和ミーティング」

8月6日に行われた平和記念式典で松井一実市長は、7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約に触れて核廃絶への取り組みをさらに前進させるよう各国に提唱した。

一方、安倍晋三首相は条約には一言も触れなかったが、このような首相の姿勢と呼応するかのように、広島へ原爆が落とされたこの日に日本会議広島「日本の誇りセミナー」実行委員会が主催する「第9回 8.6 広島平和ミーティング」が開かれ、安倍首相と共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』があり、ヘイト的な発言で知られる放送作家の百田尚樹氏が講師として招かれていた。

今年の講演については機会があれば考察したいが、「広島」と「平和」を冠した日本会議広島の集会の様子については、編集者の早川タダノリ氏が昨年「櫻井よしこ刀自の演説観察記」と題したツイッターを連続投稿している。

早川タダノリの、日本会議広島主催「広島平和ミーティング」櫻井よしこ刀自の演説観察記

『神国日本…』(書影は「アマゾン」より)

注目したいのは、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表・櫻井よしこ氏がそこで「私たちは2/3を手にしているのですッ」と4、5回会場を煽ったとの記述であり、そこからは一時的でも権力を握れば「すべてが許される」という危険な考えが感じられる。

なぜならば、「すべてが許される」という思想は、ドストエフスキーが問題視して作品で何度も取り上げていたが、文芸評論家の小林秀雄は1960年に「ヒットラーと悪魔」で、「革命の真意は、非合法を一挙に合法となすにある。それなら、革命などは国家権力を合法的に掌握してから行えば沢山だ」というヒトラーの言葉を紹介していたからである。

小林秀雄のヒトラー観(2)――「ヒットラーと悪魔」をめぐって(2)

小林秀雄は「日本を守る会」や「日本会議」などで代表委員も務めた小田村寅二郎に招かれて「全国学生青年合宿所」と銘打たれた研修会で5回も講演していたが、櫻井氏からの用語からは小林秀雄の影響が強く感じられる。

→「大きな嘘」をつく才能の評価 ttp://www.stakaha.com/?p=7478

さらに、「日本の誇りセミナー」実行委員会が掲げていた〔世界は再び弱肉強食の時代へ。/平和を願えば戦争も紛争もないと妄信した/「空想平和」活動の成果が今の世界だ!〕という言葉が、安倍政権の「積極的平和主義」の危険な実態をも暴いているようにみえる。

以下、第1回以降のこの集会の歩みを簡単に追ってみたい。

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2009年に核武装論者として有名な田母神俊雄元航空幕僚長を講師として行われた「第1回 8.6 広島平和ミーティング」は、当時の広島市長から開催日程変更要請を受けたことで全国的話題となったようで、翌年にも「ふたたび ヒロシマの平和を疑う!」という題名で田母神氏が講演していた。

なお、「ウィキペディア」によれば、航空自衛隊の隊内誌『鵬友』に「東京裁判は誤りであった」との主張を掲載していた田母神氏を2007年3月に幕僚長に任命したのは第1次安倍内閣の安倍首相であったが、歴史認識の問題を扱った論文が問題となり田母神氏は2008年に免職となっていた。

「三たびヒロシマの平和を疑う!」と題して福島第一原子力発電所大事故が起きた2011年に行われた「広島平和ミーティング」には田母神俊雄氏とともに原子力委員会原子力防護専門部会専門委員の青山繁晴氏が講師として加わったことで参加者も大幅に増えたようだ。

このように見てくるとき、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)に対抗するような形で開催されてきた日本会議広島主催の「8.6広島平和ミーティング」が、当時は抜群の知名度を誇っていた核武装論者の田母神俊雄氏を核として行われていたことがよく分かる。

さて、2012年の「第4回 広島平和ミーティング」でも「ヒロシマの平和は本当か ~なぜ世界は「ヒロシマの声」を無視するのか」と題して常連の田母神俊雄氏(頑張れ日本! 全国行動委員会会長)と日下公人氏(評論家・日本財団特別顧問)の講演が開催されていた。

ヒロシマ反核平和の終焉 ~現実的な防衛を求める広島市民のために!」と題して行われた2013年の第5回「広島平和ミーティング」のポスターの写真は防衛大臣政務官の要職にある佐藤正久参議院議員と前防衛相の森本敏氏の顔写真が載っている。しかし、ユーチューブなどを見ると実際には森本氏の代わりに田母神氏が講演していたと思われる。

2014年に行われた「広島平和ミーティング」でも、〔世界は再び「力による支配と利益獲得」の舞台へ〕という好戦的な文章が掲げられて、「ヒロシマ反核平和の終焉Ⅱ ~9条盲従平和主義で日本は守れるか!?」と題して田母神俊雄氏と軍事ジャーナリストの井上和彦氏の講演が行われている。

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それまで「日本会議広島」が称賛していた田母神氏の講演は2015年からぱったりと無くなる。内情はよく分からないが、その前年の東京都知事選に立候補したことやその後で選挙に絡む不祥事が起きたことが原因ならば、「森友学園」問題における籠池泰典氏の状況と似ているかもしれない。

田母神氏の後を受けて2015年に講演「反核平和70年の失敗~憲法9条は中国軍拡も北の核兵器も止められなかった!~」を行ったのが、田久保忠衛「日本会議」会長との連名で〈「もんじゅ」の活用こそ日本の道です〉と新聞広告を掲載することになる原発推進論者の櫻井よしこ氏であった。

本稿の冒頭で言及したように、櫻井氏は翌年も被爆地・広島で「世界漂流、日本の針路は? ~反核平和の無力、広島は現実平和に舵を切れ~」と題した講演を行っている。しかし、そこからはすでに世界的な流れとなっている脱原発への視野や「核禁止条約」に向けた熱意も感じられない。彼らの核認識は、広島・長崎への原爆投下以前の段階で止まっている。

「日本会議広島」が「世界は再び弱肉強食の時代へ」という強い危機感を有しているならば、核戦争による世界の終末を阻止するためにも、日本国民として「核兵器」の非人道性と危険性を核兵器の所有国により積極的に訴えるべきだろう。

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

1899年のハーグ万国平和会議から2017年の核兵器禁止条約へ

 

小林秀雄のヒトラー観(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって

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はじめに

ドストエフスキー論もあるフランス文学者の寺田透は『文学界』に寄稿した1983年の「小林秀雄氏の死去の折に」という記事で、「男らしい、言訳けをしないひととする世評とは大分食ひちがふ観察だと自分でも承知してゐるが」と断った上で、小林秀雄の「隠蔽という方法」を示唆していた。

すなわち、「戦後一つ二つと全集が出、その中に昔読んで震撼を受けた文章が一部削除されて入つてゐるのを見たり、たしかに読んだ筈の警句がどこからも見出されない経験をしたりしてゐるうち、僕はかれを、後世のために自分の姿を作つて行くひとと思ふやうになつた」のである。

「陶酔といふ理解の形式」と隠蔽という方法――寺田透の小林秀雄観(2)

寺田透が指摘したこのような方法を用いた顕著な例がヒトラーを「天才」と称賛していた1940年の書評『我が闘争』の『全集』への収録の際の改竄だろう。

→ 〔小林秀雄 「我が闘争」初出 『朝日新聞』1940(昭和15)年9月12日の画像 菅原健史氏の「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」より〕 – Yahoo!ブログ

この問題を指摘した菅原健史氏のブログ記事は拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)でも引用した(211~212頁)。

ここで注目したいのは、それから20年後に記された1960年の「ヒットラーと悪魔」(『考えるヒント』収録)におけるヒトラーの革命観やプロパガンダ観などの手法についての詳しい記述が、「日本会議」の実務を担う「日青協」の「改憲」に向けた手法ときわめて似ていることである。

本稿では書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」の二つの記述の比較やドストエフスキー論との関連などをとおして、小林秀雄のヒトラー観と革命観やプロパガンダ観に迫ることで、その思想の危険性を明らかにしたい

一、書評『我が闘争』(1940年)

1923年11月のミュンヘン一揆の失敗後にヒトラーが獄中で書き上げた『我が闘争』は、第1部が1925年に第2部が翌年に発行されたものの当初はそれほどではなかったが、1932年にナチ党が国会の第一党となり、翌年にヒトラーの内閣が成立するとこの本はドイツ国民のバイブル扱いを受けるようになり、終戦までに1000万部を売り上げたとされる。

日本がヒトラーのナチス・ドイツと日独防共協定を結んだのは1936年11月のことであったが、この本の訳はすでに1932年に内外社から『余の闘争』と題して刊行され、それ以降も終戦までに大久保康雄訳(三笠書房、1937年)、真鍋良一訳(興風館)(ともに日本の悪口を書いてある部分を削除しての出版)、東亜研究所特別第一調査委員会の訳などが刊行された(「ウィキペディア」の記述などを参考にした)。

ヒトラーと松岡洋右

(ドイツ総統府でアドルフ・ヒトラーとの会談に臨む松岡洋右、写真は「ウィキペディア」より)

 小林秀雄が書いた室伏高信訳の『我が闘争』(第一書房、1940年6月15日)の短い書評が朝日新聞に掲載されたのは9月12日のことであり、それから間もない9月27日には日独伊三国同盟が締結された。雑誌『文藝春秋』(1960年5月)に掲載した「ヒットラーと悪魔」で小林秀雄はこの記事についてこう書いている。

「ヒットラーの『マイン・カンプ』が紹介されたのはもう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速短評を書いた事がある。今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。『この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは一種の邪悪な天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。むしろ燃え上がる欲望だ。その中核はヒットラーという人物の憎悪にある。』」。

大筋においては小林の記憶は正しいが、「天才」の前に「一種の邪悪な」を追加する一方で、重要な一文が削除されているなど一部に大きな変更がある。それほど長い書評でもないので、まずは全文を菅原健史氏のブログ記事によりながら一部を現代的表記に改めて引用している「馬込文学マラソン」のサイトによって全文を紹介しておきたい(太字は引用者)。

ナチズムと日本、馬込文学マラソン(大田区にゆかりある文学を紹介)。

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“我が闘争” 小林秀雄

ヒットラーの「我が闘争」といふ有名な本を、最近僕ははじめて室伏高信氏の訳で読んだ。抄訳であるから、合点の行かぬ箇所も多かったが、非常に面白かつた。何故、もつと早く読まなかったか、と思つた。やはり、いろいろな先入観が働いてゐたが為である。

ヒットラーの名は、日に何度も口にしながら、何となく此本には手を付けなかった僕の様な人は、世間に存外多いのではないかと考える。

これは全く読者の先入観など許さぬ本だ。ヒットラー自身その事を書中で強調している。先入観によつて、自己の関心事の凡てを検討するのを破滅の方法とさへ呼んでゐる。

そして面白い事を言つてゐる。さういふ方法は、自己の教義に客観的に矛盾する凡てのものを主観的に考えるといふ能力を皆んな殺して了ふからだと言ふのである。彼はさう信じ、そう実行する。

彼は、彼の所謂主観的に考へる能力のどん底まで行く。そして其処に、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかり掴んでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる。

これは天才の方法である。僕は、この驚くべき独断の書を二十頁ほど読んで、もう天才のペンを感じた。

僕には、ナチズムといふものが、はつきり解つた気がした。それは組織とか制度とかいう様なものではないのだ。寧ろ燃え上る欲望なのである。

ナチズムの中核は、ヒットラ-といふ人物の憎悪のうちにあるのだ。毒ガスに両眼をやられ野戦病院で、ドイツの降伏を聞いた時のこの人物の憎悪のうちにあるのだ。

ユダヤ人排斥の報を聞いて、ナチのヴァンダリズムを考えたり、ドイツの快勝を聞いて、ドイツの科学精神を言つてみたり、みんな根も葉もない、たは言だといふ事が解つた。形式だけ輸入されたナチの政治政策なぞ、反古同然だといふ事が解つた。

ヒットラーといふ男の方法は、他人の模倣なぞ全く許さない。

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仲良し三国

(「仲良し三国」-1938年の日本のプロパガンダ葉書。写真は「ウィキペディア」より)

  「馬込文学マラソン」の筆者は、小林の書評について「これは、手放しの賞賛といっていいのではないでしょうか。否定的な言辞が見当たりません」と書き、「『ヒトラー(ナチス)の手口』が透けて見えます」と続けている。

実際、迫力のある小林秀雄の書評ではドイツで政権を握ったヒトラーへの強い共感だけでなく、ヒトラーの「方法」も賛美されているのである。

さらに大きな問題は書評『我が闘争』を『全集』に再録する際に小林が、「天才のペン」の前に「一種邪悪なる」を加筆していたことである。その加筆によってこの書評の印象が一変しているのは、「言葉の魔術師」とも言える小林秀雄の才能だろう。ただ、それだけでは全体の主旨を「隠蔽」することはさすがに出来ず、小林はヒトラーの「決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚」に関する下記の記述を大幅に削除していた。

「彼は、彼の所謂主観的に考へる能力のどん底まで行く。そして其処に、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかり掴んでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる」(太字は引用者)。

この削除された文章の前半は小林秀雄の歴史観や文学観にも深く関わっているが今回はそれに言及する余裕がないので、ヒトラーの「感傷性の全くない政治の技術」が詳しく紹介されている「ヒットラーと悪魔」と現代の日本の政治状況との関わりを次に分析することにしたい。

関連記事一覧

小林秀雄のヒトラー観(2)――「ヒットラーと悪魔」とアイヒマン裁判をめぐって

「ヒットラーと悪魔」をめぐって(3)――PKO日報破棄隠蔽問題と「大きな嘘」をつく才能

「ヒットラーと悪魔」をめぐって(4)――大衆の軽蔑と「プロパガンダ」の効用

(2017年9月17日、関連記事のリンク先を追加)

「共謀罪」はテロの危険性を軽減せず、むしろ増大させる悪法――国連特別報告者の批判を踏まえて

前回の記事で記したように、プライバシーの権利に関するケナタッチ国連特別報告者は18日付の安倍晋三首相宛て書簡で、〈法案にある「計画」や「準備行為」の定義があいまいで、恣意(しい)的に適用される可能性があると指摘。いかなる行為が処罰の対象となるかも明記されておらず問題がある〉との強い懸念を示していた。

これに対して日本政府はジュネーブ日本政府代表部の職員を介して抗議の文書を渡し、さらに菅官房長官が記者会見で政府の見解を明らかにしたが、国連特別報告者は電子メールでの「東京新聞」の取材に答えて、日本政府の抗議の内容は本質的な反論になっておらず「プライバシーや他の欠陥など、私が多々挙げた懸念に一つも言及がなかった」と指摘した。

そして、日本政府が国際組織犯罪防止条約の締結に法案が必要だと述べた点については、「プライバシーを守る適当な措置を取らないまま、法案を通過させる説明にはならない」と強く批判し、次のように訴えた。

「日本政府はいったん立ち止まって熟考し、必要な保護措置を導入することで、世界に名だたる民主主義国家として行動する時だ」。

「東京新聞」の記事は国連特別報告者・ケナタッチ氏の指摘と日本政府の反論を分かり易く図示することで「共謀罪」の問題点を浮かび上がらせているので、以下に転載する。

共謀罪、東京新聞3

革命に至った帝政ロシアの研究者の視点から見ても「言論の自由」を奪う危険性の高い「共謀罪」に対する国連特別報告者の指摘は説得力がある。

なぜならば、農奴制の廃止や裁判の改革、そして言論の自由などを主張したことで捕らえられ、偽りの「死刑宣告」を受けた後でシベリアに流刑となっていたドストエフスキーが『罪と罰』においてラスコーリニコフの行動をとおして明らかにしたように、政府を批判する「言論や報道の自由」を厳しく制限することは、絶望した若者をかえってテロなどに走らせることになる危険性が高いからである。

さらに、帝政ロシアやソ連邦の歴史が示しているように、権力者に対する批判が許されない社会では公平な裁判も行われずに腐敗が進んでついには崩壊に至っていたが、同じことが「治安維持法」を公布した後の大日本帝国でも起きていた。

戦前の価値観の復活を目指す「日本会議」に牛耳られた安倍政権が続けば、日本はかつて国際連盟から脱退したように、国際連合からも脱退せざるをえなくと思える。悲劇を繰りかえさないようにするためにも、安倍政権には国連特別報告者の指摘を率直に受け止めさせて、「共謀罪」法案を廃案とさせることが必要だろう。

トップページを改訂し、〈目次〉と〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉の頁などを追加

トップページの構造が複雑になりましたので、新たに〈目次〉と〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉、および〈黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観〉のページを追加しました。

目次

司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

安倍首相は伊勢神宮への参拝の後で、「国民の皆さまとともに、新しい国づくりを本格的に始動してまいります」と発言しましたが、「改憲」を目指すことを明言した安倍首相の意向にそって、今年も憲法改正署名簿が、多くの人々が初詣に訪れる各地の神社に置かれているようです(太字は引用者、憲法改正署名簿の写真はKei氏の2015年12月30日のツイッターを参照)

しかも、安倍首相とともに訪れた真珠湾で平和のメッセージを発していた稲田防衛相は帰国して靖国神社を参拝した後では「神武天皇の偉業に立ち戻り」と語っていました。

すなわち、彼らが重視しているのは「国民の意見」ではなく、戦前の価値観への回帰を目指している「日本会議」や「神社本庁」の意向であるのは明白であると思えます。

それゆえ、『マクベス』の名台詞(セリフ)――「きれいはきたない、きたないはきれい」をもじってツイッターには次のように記しました。「戦争法」を強行採決したばかりでなく危険な原発の再稼働を進め、神社で改憲の署名を集めている「安倍政権」と「日本会議」の「標語」の実態は、「美しいはあやしい、新しいは古い」、危険なものであると考えています。

実際、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という『生命の実相』の記述を「ずっと生き方の根本に置いてきた」と語っていた稲田朋美氏を防衛大臣に任命した安倍自公政権は、「戦争法」に続いてオリンピックを名目として、「共謀罪」なども視野に入れて動き始めています。

安倍自民党だけでなく公明党もこの「共謀罪」を強くは批判していないようですが、創価学会はかつて治安維持法によって徹底的に弾圧された歴史を持っています。さらに安倍政権が明治維新150周年に向けて「明治維新の映画支援検討」との報道も伝えられていますが、「神武天皇の偉業に立ち戻る」ために明治維新の際して行われたのは「廃仏毀釈」の運動で、大切な仏像などが破壊されたのです。

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(破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。写真は「ウィキペディア」より)

リンク→日本国憲法施行70周年をむかえて――安倍首相の「改憲」方針と〈忍び寄る「国家神道」の足音〉関連記事を再掲

司馬遼太郎は長編小説『翔ぶが如く』で、山県有朋について「『国家を護らねばならない』/と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した」と書いていましたが、それは「日本会議」を基盤とした「安倍政権」にも当てはまるでしょう。

「安倍政権」と「日本会議」の思想の危険性については、拙著『ゴジラの哀しみ』の第二部ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」  ――『永遠の0(ゼロ)』の構造と隠された「日本会議」の思想〉で考察しましたが、私のホームページのトップページでも〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉のページを独立させました。

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また、「神国思想」の影響下にあった政治家や軍部は、太平洋戦争での敗戦が明らかになっても、元寇の際に「神風」が吹いたような奇跡が起きて敵国は負けると信じていたように、安倍政権の危険性は、福島第一原子力発電所の事故が、ガダルカナル島の玉砕のような事態であったにもかかわらず、「大本営」の発表と同じように事故を軽微にみせることで、原発の稼働を押し進めています。

1280px-Castle_Bravo_Blast(←画像をクリックで拡大できます)

(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真)

それゆえ、トップページには〈黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観〉のページも独立させて、映画をとおして核エネルギーの危険性を強く訴えていた初代の映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督と映画《夢》の黒澤明監督の核エネルギー観をまとめました。

(2017年1月23日、改訂)

 

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「安倍晋三記念小学校」問題――「日本会議」の危険性

「首相年頭所感を読み解く」と題した東京新聞の1月6日の「こちら特報部」は、「日本を、世界の真ん中で輝かせる」という文言に注意を促して、「まず国内に目を向けて」と批判する文章を掲載していました。

ただ、安倍首相がすでにヘイト的な発言を繰り返す作家との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)を出版していたことを考えるならば、この言葉は安倍首相の思想と深く結びついていると思えます。

*   *

たとえば、下記のツイッターは、国定教科書「日本ヨイ国 強イ国 世界ニカガヤク エライ国」の表現が、「世界の真ん中で輝く日本を」と語った安倍首相の思考方法と「完全に一致」と指摘していました。

 →https://twitter.com/Mightyjack1/status/816284529535000576

この指摘を受けて次のように記しました。

〈「日本ヨイ国、 キヨイ国、 世界ニ 一ツノ神ノ国」という文章も「神の国」発言をした森喜朗元首相だけでなく、「日本会議」の影響下にある安倍政権の思想と完全に一致していると思えます。〉

〈日本が「世界の真ん中」という認識も、本居宣長から「日本が『漢国(カラクニ)』などとは比較できないすぐれた国」であると教えられて、「もっともすぐれた国は天地生成のときから位置が違う」ことを示す図を『古事記伝』の附録に描いた服部中庸の世界認識に似ています〉。

そして、日本を礼賛した文章が続いている国定教科書の右頁の文章からも稲田防衛相が精読している『生命の實相』の記述――「夫唱婦和は日本が第一」、「無限創造は日本が第一」、「一瞬に久遠を生きる金剛不壊の生活は日本が第一」、「無限包容の生活も日本が第一」「七德具足の至美至妙世界は日本が第一」などが浮かんでくることを指摘しました。

*   *

一方、共同通信は1月1日の記事で「安倍晋三首相は1日、昭恵夫人や実弟の岸信夫外務副大臣らと共に作家百田尚樹氏のベストセラー小説が原作の映画「海賊とよばれた男」を東京・六本木の映画館で観賞した」ことを報じていました。

安倍首相と夫人との考えの違いが報道されることが多かったので、安倍夫人は「家庭内野党」を自称しているものの、実態は「家庭内離婚」に近いのではないかと考えていたので、この時は二人が一緒に映画「海賊とよばれた男」を見たとのこの記事には違和感がありました。

しかし、2月17日に「東京新聞」の「こちら特報部」は、【国有地払い下げ】問題を特集して、「幼稚園では『教育勅語』 差別問題も」「保護者『軍国』じみている」などの見出しとともに、HPに掲載された安倍夫人の挨拶や、手紙、寄付の払い込み取扱書などの写真を掲載していました。

https://twitter.com/jdroku/status/832742847749042176

日本会議の幹部が経営し、「教育勅語」を教えることで有名な塚本幼稚園を訪れた安倍首相夫人が、この幼稚園の方針を讃えたばかりでなく、「安倍晋三記念小学校」の名誉校長にも就任していたことをロイターなどのマスコミも取り上げ始めています。

このことであきらかになったのは、「家庭内野党」を自称していた安倍夫人が、戦前的な価値観の復活を目指す「日本会議」の「国会議員懇談会」特別顧問を務める安倍首相の熱心な支援者だったことです。

以下に、そのことを示す写真の掲載されたツイッターのリンク先を示しておきます。

https://twitter.com/Reuters/status/806953007245979648

https://twitter.com/noiehoie/status/833114976415993856

https://twitter.com/shinsato0130

 

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拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)では、「反戦小説」を謳いながら戦前の価値観への回帰を促すような小説『永遠の0(ゼロ)』の危険な構造を詳しく分析していました。それゆえ、以下にまず第二部の構成を再掲し、その後で関連記事へのリンク先を示しておきます。

第二部 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」  

  ――『永遠の0(ゼロ)』の構造と隠された「日本会議」の思想

序章 「約束」か「詐欺」か

一、「言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語」

二、義理の祖父・大石賢一郎の謎

第一章 孫が書き記す祖父の世代の戦争の物語――「オレオレ詐欺」的な小説の構造

一、取材者としての佐伯健太郎と姉の慶子

二、祖父・宮部久蔵の「命は大切という思想」

三、もう一つの祖父と孫の物語

四、巧妙に配置された証言者たちの順番

第二章 「徹底した人命軽視の思想」の批判と戦後の「道徳」批判

一、「使い捨てられた兵と下士官」と「情報の隠蔽」

二、学徒出陣の記述と司馬遼太郎の体験

三、映画《少年H》と戦時中の内地

四、戦後の「道徳」批判と隠された「日本会議」の思想

五、「エリート官僚」の批判と隠された「自由主義史観」

第三章 「巧みな『物語』制作者」徳富蘇峰と「忠君愛国」の思想

一、「テロ」と「特攻」の考察と新聞報道の問題

二、「自殺戦術」の正当化と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』

三、沖縄戦の正当化とナチズムの考察の欠如

四、「国家滅亡の危機」と大石の「一億玉砕」の思想

終章 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」

一、「英雄」の創出と「ゼロ」の神話化

二、「正義」の戦争と「報復の連鎖」の危険性

*   *

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

百田尚樹氏の『殉愛』裁判と安倍首相の手法

「日本会議」の歴史観と『生命の實相』神道篇「古事記講義」

(2017年2月21日、全面的に改稿し題名を変更)

〈大河ドラマ《坂の上の雲》から《花燃ゆ》へ――改竄された長編小説『坂の上の雲』Ⅱ〉

はじめに

太平洋戦争における「特攻」につながる「自殺戦術」の問題点と「大和魂」の絶対化の危険性を鋭く指摘した長編小説『坂の上の雲』と子規や漱石の作品との関係については、昨日、拙著の該当部分(第5章第4節)をアップしました。

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』第5章より、第4節〈虫のように、埋め草になって――「国民」から「臣民」へ〉

しかし、「政治的・時代的な意図」によってこの長編小説を解釈した大河ドラマ《坂の上の雲》が三年間にわたって放映されたことで、著者の司馬遼太郎だけでなく正岡子規や夏目漱石への誤解も広がっているようです。

『坂の上の雲』を「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品」であると作者の司馬が記していた(『「昭和」という国家』、NHK出版、一九九八年)作品を、大河ドラマとして放映したことの問題については、既にブログ記事で論じていました。

改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

それを書いた時点では私がまだ俳人・正岡子規にあまり詳しくなかったために、漱石と子規の妹律の発言をめぐる問題点にはふれていませんでした。ツイッターでは大河ドラマ《坂の上の雲》の最終回で描かれた創作されたエピソードについて考察しましたが、字数の関係で抜かした箇所などがありましたので、今回はその箇所や子規の新体詩や島崎藤村との関係、さらに新聞『日本』にトルストイの『復活』が載っていたことなどを補った追加版をアップします。

*   *   *

ヤフーの「知恵袋」というネット上の質問コーナーには、2012年2月に「司馬遼太郎と夏目漱石」という題で次のような質問が載っていました。

「昨年NHKでやっていた『坂の上の雲』の最終回で、夏目漱石役の人が『大和魂』を茶化すような発言をして正岡子規の妹役に諌められ、『すみません』といって謝っていたのですが、あそこのところは原作にもあるんでしょうか?どのような意図が込められているんでしょうか?

夏目漱石といえば近代日本の批判者というイメージですが、『坂の上の雲』や一般に司馬遼太郎その人にとって、漱石はどういう位置づけというか、どういう存在だったのでしょうか。」

この質問に対するベストアンサーには次のような回答が選ばれていました。

「確か原作にはなかったと思います。漱石はその著書『こころ』で、明治天皇の崩御と乃木将軍の殉死を悼み、『明治という時代が終わった。』と登場人物の『先生』に言わせていたと思います。  確か「坊ちゃん」だったと思いますが(引用者註――『三四郎』)、日露戦争後の日本について「日本は滅びるね。」と登場人物に言わせています。

そこら辺の機微をNHKが創作したものだと推測します。『坂の上の雲』では、漱石は子規のベストフレンド(文学的にも)という位置づけだったように思います。」

*   *   *

回答者の「確か原作にはなかったと思います」という指摘は正確なのですが、「夏目漱石役の人が『大和魂』を茶化すような発言をして正岡子規の妹役に諌められ、『すみません』といって謝っていた」というシーンについて回答者は、「NHKが創作した」と解釈することは、子規への誤解を広めることになるでしょう。

この場面は「大和魂(やまとだましい)! と叫んで日本人が肺病みの様な咳をした」という文章で始まる新体詩を主人公の苦沙弥先生が朗読するという『吾輩は猫である』の場面を受けて創作されていたと思えます。

しかし、漱石が主人公にこのような新体詩を読ませたのは、盟友・子規が「大和魂」を絶対化することの危険性を記していたことを思い起こしていたためだと思えます。

俳人・子規は、日清戦争に従軍した際に創作した「金州城」と題された新体詩で、杜甫の詩を下敷きに「わがすめらぎの春四月、/金州城に来て見れば、/いくさのあとの家荒れて、/杏の花ぞさかりなる。」と詠んでいました。さらに子規は「髑髏」という新体詩では「三崎の山を打ち越えて/いくさの跡をとめくれば、此処も彼処も紫に/菫花咲く野のされこうべ。」と詠んでいたのです。

評論家の末延芳晴氏が『正岡子規、従軍す』(平凡社、二〇一〇年)で指摘しているように、子規の従軍新体詩が「反戦詩」へとつながる可能性さえあったのです。

新聞記者としても活躍していた子規は、事実を直視する「写生」の大切さを訴え、政府の言論弾圧も批判していたことだけでなく、後に『破戒』を書くことになる島崎藤村との対談で話題となっていたように短編『花枕』などの小説を書き、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の部分訳をも試みていました。

日露戦争の最中に新聞『日本』がトルストイの反戦的な小説『復活』を内田魯庵の訳で連載していたことも考慮するならば(拙著『新聞への思い』、191~192頁)、子規がもし健康で長生きをしたら漱石にも劣らない長編小説を書いていたかもしれないとさえ私は考えています。

なお、回答者は「漱石はその著書『こころ』で、明治天皇の崩御と乃木将軍の殉死を悼み、『明治という時代が終わった。』と登場人物の『先生』に言わせていたと思います」とも記していました。

夏目漱石の乃木観の問題は、乃木大将の殉死をテーマとした司馬遼太郎の『殉死』でも記されていますので、この問題については現在、執筆中の『絶望との対峙――憲法の発布から「鬼胎」の時代へ』(仮題)で詳しく考察したいと考えています。

*   *   *

NHKは大河ドラマ《坂の上の雲》を三年間にわたって放映しばかりでなく、その間には政商・岩崎弥太郎を語り手として幕末の志士・坂本竜馬の波乱の生涯を描いた《龍馬伝》も放映していました。

うろ覚えな記憶ですがこの大河ドラマの脚本家は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』から強い影響を受けたことに感謝しつつ、それを踏まえて新しい『龍馬伝』を書きたいとの心意気を語っていました。

しかし、この大河ドラマでは、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の「過激派」の人々が美しく描き出されており、結果としては『竜馬がゆく』で描かれた「思想家」としての竜馬像を否定するような作品になっていたと言わねばなりません。

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

さらに2015年には吉田松陰の妹・文を主人公とした大河ドラマ《花燃ゆ》が放映されましたが、文が再婚した相手の小田村伊之助こそは、山崎氏雅弘が指摘しているように「日本を蝕(むしば)む『憲法三原則』国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」というタイトルの記事を寄稿していた小田村四郎・日本会議副会長の曽祖父だったのです(『日本会議 戦前回帰への情念』)。

このように見てくる時、莫大な予算をかけて製作されているNHKの大河ドラマ大河ドラマ《坂の上の雲》、《龍馬伝》、《花燃ゆ》などが安倍自民党のイデオロギーの宣伝となっていることが分かります。

「日本会議」の憲法観と日本と帝政ロシアの「教育勅語」

本来ならば、自民党の広報が製作すべきこれらの番組の製作費が、国民からなかば強制的に徴収されている視聴料によってまかなわれていることはきわめて問題であり、これから国会などでも追究されるべきだと思います。

『「諸君!」「正論」の研究』を読む(3)――清水幾太郎の核武装論と「日本会議」

上丸洋一(図版はアマゾンより)

三、清水幾太郎の核武装論と「日本会議」

「日本核武装論――清水幾多郎と西村真悟の間」と題された第三章では、1960年には「日米安保条約改定反対運動をリードした」社会学者・清水幾多郎が、1980年に『諸君!』7月号に載せた論文「核の選択」とそれについての反響が紹介されている。

その第一部「日本よ国家たれ」で「国家の本質は軍事力である」と書いた清水は、「世界はすでに核兵器という平面にのぼってしまっている」とし、「被爆国」の「日本こそが真先に核兵器を製造し所有する特権を有している」と記したのである(85~86)。

さらに「自衛隊の元最高幹部といっしょに組織」していた「軍事科学研究会」の名で書かれていた第二部では、「ソ連の脅威が強調され」、「航空・海上・陸上各方面の大幅な軍事増強」を提案していた。

興味深いのはこの論文が『諸君!』に掲載される経緯を清水自身が10月号で書いており、自費で3000部出版した「核の選択」を防衛庁長官と同庁幹部に送っただけでなく、右派団体の日本青年協議会にも2000部を送っていたと明らかにしていたことである(87)。

なぜならば、菅野完が『日本会議の研究』で明らかにしたように、学生運動で左翼と激しく戦った右翼の学生組織を母体とした「日本青年協議会」は現在、安倍政権を支える「日本会議」の「中核」となっており(同書、87頁)、かつては「日本の核武装をも検討すべき」と主張していた稲田朋美氏が防衛相に任命されているからである。

1960年には「反戦・平和の旗を掲げていた」清水の変貌に対しては「猪木正道、野坂昭如などさまざまな立場の知識人が反論」を書き、作家の山口瞳も清水の言説を「デマゴギー」と批判し、その頃はまだ「日本の核武装について総じて否定的な姿勢をとってきた」雑誌『正論』も、翌年には清水には「思想的主体」がないと批判した松本健一の論文などを集めた特集を組んでいた(91~92頁)。

軍事に関しては素人なので専門的な考察はできないが、広島や長崎での「被爆」だけでなく、広島型原爆の1000倍もの威力を持つ水爆ブラボーの実験で被爆した「第五福竜丸」事件だけでなく、前年の1979年にはアメリカでスリーマイル島原発事故が起きていた。

拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の第一部では映画《ゴジラ》や《生きものの記録》などポピュラー文化との関連に注意を払いながら、「日本人の核意識の変化」について考察したが、水爆実験や原発事故なども踏まえて総合的に判断するならば、清水的な政策は19世紀には有効でありえたかもしれないが、核の時代にはむしろきわめて危険な思想に見える。

地殻変動によって国土が形成されて今も地震や火山の噴火が続いている日本においては、核兵器ばかりでなく、核エネルギーの危険性に対する認識の深まりと世界に反核の流れを作り出すことこそが、日本人の本当の意味での「安全保障」につがると思える。

一方、清水はすでに1963年に『中央公論』に論文を発表して、時代の変化に応じた「新しい歴史観」の必要性を唱えていたが(90)、「核武装の必要性」が声高に論じられて戦争の危機が煽られたことで、日本が行った「大東亜戦争」の評価などにも強い影響を及ぼしたようだ。

「空想と歴史認識」と名付けられた第9章で詳しく論じられているように、徐々に復古的な思想が強まる中で、文藝春秋の社長・池島信平が高く評価していた気骨のある歴史学者・林健太郎(1913~2004)は、1994年には雑誌『正論』誌上で「大東亜戦争は解放戦争だった」と主張する「日本会議」の小田村四郎や小堀桂一郎に「侵略戦争だった」との反論を行い、さらに「解放戦争」論者の中村粲(あきら)とも論争していた(380~388)

しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」が活動を始めた1996、97年ごろから『諸君!』『正論』両誌の論文では、「反日」という言葉やレッテルをはりつけることが目立つようになったと指摘した著者は、1997年3月に「『自虐史観』を超えて」というテーマで開かれた「自由主義史観」を唱える「新しい歴史教科書をつくる会」の設立記念シンポジウムの模様を「完全収録」した『正論』は、その後は「つくる会の機関誌の様相」を呈するようになったと記している(389頁)。

本書の第2章では、「事実」を「報道」する新聞社でありながら、「産経新聞社には社史がない」ばかりでなく、「縮刷版もない」ことが指摘されていた。1962年の社説で「古い価値体系はくずれさり」と書いていたこの新聞の変質の一因は、「歴史」の軽視によるものであると思える。

1999年に「日本の核武装を国会で議論すべきだ」という発言を行った西村真悟が防衛政務次官を更迭されると産経新聞と『正論』はさらに復古的な論調を強めることとなった。

すなわち、西村真悟の発言に対しては自民党首脳だけでなく、朝日、毎日、読売の各紙も厳しい批判をしたが、産経新聞は「引責責任はやむを得ない」としながらも「憂国の思い」への理解を示した。西村を擁護した『諸君!』と『正論』の両誌は、「さらに熱心に西村を誌上に登場」させたのである(99~100)。

著者は2002年の「阿南大使、腹を切れ! 今こそ興起せよ、大和魂」など「『諸君!』に掲載された一連の対談の過激な題名を挙げているが、2008年に日本の国防を担う航空自衛隊制服組のトップにいた元航空幕僚長・田母神俊雄が「日本は侵略国家であったか」と題する論文で、「日本軍の軍紀が他国に比較して」も「厳正であった」などと書いたことが原因で更迭される波紋は『諸君!』『正論』両誌の論調にも及んだ。

著者によれば、この問題に対する「姿勢は対照的」であり、「「『諸君!』が田母神の主張を相対化してとらえ」、「田母神から距離をおいた」のに対し、『正論』は「田母神を全面的に擁護」していた(370)。

たとえば、2009年4月号の『諸君!』は、ニーチェの専門家でもある「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二が「彼の論文には一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」と弁護したことに対して、対談者の現代史家・秦郁彦が「やはり、そうはいかんのですよ。田母神さんは私の著書からも引用しているが、趣旨をまったく逆に取り違えている」と厳しい批判をしていたことももきちんと掲載していた。

一方、『正論』は問題となった田母神の受賞論文をそのまま載せるとともに「朝日新聞の恐るべきダブルスタンダード」と題した論文で、「『思想』そのものを問題とし罷免にまで追い込むことになれば、これは明らかに、『思想信条の自由』の侵害であり、憲法違反である」と記した日本会議の常任理事で憲法学者・百地章の論文を載せていた(370)。

しかし、その批判は権力を振りかざして「電波停止」発言をして、「報道の自由」を脅かした高市総務相にこそ当てはまると思える。『正論』の読者投稿欄でデビューした稲田朋美・防衛相も、2005年の演説では「売国奴」という「憎悪表現」を用いて朝日新聞社を壇上から非難したが(第8章「朝日新聞批判の構造」)、その翌年に小説『永遠の0(ゼロ)』でデビューした百田尚樹も小説において新聞記者の高山をあからさまに貶し、後に安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック、2013年)に収められた対談ではそれが朝日新聞の記者であると明かしていた。

拙著『ゴジラの哀しみ』では、『永遠の0(ゼロ)』の思想的骨格には「自由主義史観」からの影響が強く見られることを具体的に示したが、その百田は田母神俊雄が2014年都知事選に出馬すると、NHK経営委員という立場でありながら複数回にわたって応援演説を行い、「この人は男だ」、「本当にすばらしい歴史観、国家観をおもちです」などと大絶賛したのである。

「カリスマの残影」と題された第7章「岸信介と安倍晋三を結ぶもの」では、『諸君!』や『正論』と安倍首相との関わりだけでなく岸元首相の「大東亜戦争観」が分析されており、『永遠の0(ゼロ)』で描かれている義理の祖父・大石と孫・健太郎との関係に注目しながら、この小説を読み解いていた私にとってことに興味深かった。

結語

以上、司馬遼太郎の研究者の視点から本書を読み解いてみた。できれば『諸君!』『正論』両誌における原発問題についての論文にもふれてもらいたかったが、政治史にはうとかった私にとっては両誌の論調の変遷をたどる過程で「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」との関係にもふれられている本書からは多くのことを知ることができた。

本書の第4章では「靖国神社と東京裁判」が、第5章では「A級戦犯合祀」などの重たい問題が考察された後で、第6章「永遠の敵を求めて」では論争のパターンが分析されている。それらは「国家神道」の問題とも深く関わるので機会を改めて考察したい。

 

〈司馬遼太郎による「戦後日本」の評価と「神国思想」の批判〉をトップページに掲載

本日(17日)、衆院憲法審査会での実質審議が再開されました。

→東京新聞〈公明「押し付け憲法」否定、自民との違い鮮明 衆院憲法審再開〉 

少し安心したのは公明党の北側一雄氏が、現行憲法が連合国軍総司令部(GHQ)による「押し付け」だとする「日本会議」や自民党の見解について「賛同できない」との意見を明確にしたことです。

民進党の武正公一氏は安倍晋三首相が各党に改憲草案の提出を要請したことに対し「行政府の長からの越権と考える」と批判し、共産党の赤嶺政賢氏は安倍政権の政治手法を「憲法無視の政治だ」と非難し、社民党の照屋寛徳氏も護憲の立場を強調したとのことです。

それらのことは高く評価できるのですが、安倍自民党が圧倒的な数の議席を有していることや、これまでの「「特定秘密保護法」や「戦争法」に対する公明党の対応の変化を考えると不安は残ります。

それゆえ、今回はトップページに司馬遼太郎氏の「戦後日本」観と「神国思想」の批判を掲げることにより、ほとんどの閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に属している安倍自民党の危険性に注意を促すことにします。

なぜならば、「神国思想」が支配した戦前の日本に回帰させないためにも、近代に成立した国家の統治体制の基礎を定める「憲法」を古代の神話的な歴史観で解釈する安倍政権と「日本会議」による「改憲」の危険性を国会の憲法審査会だけではなく、一人一人が検証して徹底的に明らかにすべき時期に来ていると思われるからです。