高橋誠一郎 公式ホームページ

2016年

日露戦争の勝利から太平洋戦争へ(1)――「勝利の悲哀」と「玉砕の美化」

IS(イスラム国)によると思われるテロがフランスやベルギーで相次いで起きたことで、21世紀は泥沼の「戦争とテロ」の時代へと向かいそうな気配が濃厚になってきています。こうした中、安倍政権が「特定秘密保護法案」や「安全保障関連法案」を相次いで強行採決したことにより、度重なる原水爆の悲劇を踏まえて核兵器の時代に武力によって問題を解決しようとすることの危険性を伝えるべき日本が、原発や武器の輸出に踏み出しました。

しかも、「戦後70年」の節目として語られた昨年の「談話」で安倍首相は、それよりもさらに40年も前の「日露戦争」の勝利を讃える一方で、「憲法」や「国会」の意義にはほとんどふれていませんでした。

一方、『坂の上の雲』で日露戦争を描いた作家の司馬遼太郎氏は、「『坂の上の雲』を書き終えて」というエッセイでは「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判し、さらに「“雑貨屋”の帝国主義」では、「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦」までの40年を「異胎」の時代と名付けていました(『この国のかたち』第1巻、文春文庫)。

日露戦争を始める前の1902年に大英帝国を「文明国」と讃えて「日英同盟」を結んでいた日本は、1941年には今度はアメリカとイギリスを「鬼畜米英」と呼んで、太平洋戦争に突入していたのです。なぜ、日英同盟からわずか40年で太平洋戦争が起きたのでしょうか。

*   *   *

ここで注目したいのは、日露戦争の勝利を讃えた「安倍談話」と、普仏戦争に勝ったドイツ民族の「非凡性」を強調し、ユダヤ人への憎しみをかき立てることで第一次世界大戦に敗れて厳しい不況に苦しむドイツ人の好戦的な気分を高めることに成功していたヒトラーの『わが闘争』の類似性です。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」と問いかけた作家の司馬遼太郎氏は、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判していました(「『坂の上の雲』を書き終えて」『歴史の中の日本』中公文庫)。

リンク→「安倍談話」と「立憲政治」の危機(2)――日露戦争の賛美とヒトラーの普仏戦争礼賛

「特定秘密保護法」や「安全保障関連法」が強行採決で可決されたことにより、アメリカは日本の軍事力を用いることができることに当面は満足するでしょう。しかし、注意しなければならないのは、アメリカの要請によって日本の「平和憲法」を戦争のできる「憲法」へと改憲しようとしている安倍首相が、神道政治連盟と日本会議の2つの国会議員懇談会で会長と特別顧問を務めており、憲法学者の樋口陽一氏が指摘しているように自民党の憲法草案は、〈明治の時代よりも、もっと「いにしえ」の日本に向かっている〉ことです。

リンク→樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む

今日(4月23日)の新聞によれば、高市総務大臣に続いて、国家の法律を担当する「法務大臣」の岩城氏も靖国神社に参拝したとのことですが、「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたもの」とした宗教学者の島薗進氏は、靖国神社は「国家神道が民衆に浸透するテコの役割も果たしました」と指摘しています。「みんなで渡れば怖くない」とばかりに多くの国会議員が「靖国神社」に参拝することの危険性は大きいでしょう。

 リンク→中島岳志・島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) を読む

一方、参謀本部の問題を鋭く指摘していた司馬氏は、「日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた」とし、自分もそのような教育を受けた「その一人」だと認めて、「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析して、教育の問題にも注意を促していました(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。

すなわち、一つの世代はほぼ20年で代わるので、英米との戦争を準備するころにはイギリスを「文明国」視した世代はほぼ去っていたことになるのですが、安倍政権は教育行政でも「新しい歴史教科書を作る会」などと連携して、「歴史」や「道徳」などの科目をとおして戦前への回帰を強めています。

「歴史的な事実」ではなく、「情念を重視」した教育が続けば、アメリカに対する不満も潜在化しているので、今度は20年を経ずして日本が「一億玉砕」を謳いながら「報復の権利」をたてにアメリカとの戦争に踏み切る危険性さえあるように思われるのです。

(2016年4月30日。改題と改訂)

「安倍首相の政治手法と小説家・百田尚樹氏のノンフィクション観」関連記事一覧

安倍晋三氏には作家の百田尚樹氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)があります。

安倍首相の政治手法を考えるうえでも重要なので小説家・百田尚樹氏のノンフィクション観について考察したブログ記事の一覧もアップします。

 

百田尚樹氏の『殉愛』裁判と安倍首相の手法

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

「安全保障関連法案」の危険性と小説『永遠の0(ゼロ)』の構造

日本における「報道の自由」と国際社会

国際NGO「国境なき記者団」が2016年4月20日に発表した16年の「報道の自由度ランキング」によれば、日本は15年より11位低い72位に急落し、台湾や韓国下回ることになったようです。

また、来日して政権による報道への圧力の問題を調査した国連報道者のデビット・ケイ氏は、「電波停止」発言をした総務大臣の高市早苗氏が会見を拒んだ点や多くのジャーナリストが「匿名」を希望して答えた点などについて指摘していました。ツイッターで考察したことを踏まえて、加筆・訂正したものをアップします。

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1,自国民に対しては居丈高に振る舞う一方で、国際報道官との面会は拒むような高市氏の姿勢は日本の「国益」をも損なうものです。自分の発言に自信があるならば、堂々と会って主張すべきでしょう。

2,ニュースを伝えるジャーナリストが「匿名」を希望するのは、国際社会から見れば、「異常な事態」と言わざるをえません。

3、大きな問題は「電波停止」発言をした高市氏自身の大臣としての資質です。多くのジャーナリストからそのように怖れられている高市氏は、よく知られているように、1994年に出版された『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』と題された本に推薦文を寄せていました。

4,2014年9月12日の記事でもハフィントンポスト紙が、「高市早苗総務相と自民党の稲田朋美政調会長と右翼団体『国家社会主義日本労働者党』代表の2ショット写真」が、「日本政府の国際的な評判を一気に落としてしまった」と指摘していました。

5,2013年7月29日、東京都内で行われたシンポジウムに出席した麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正問題に関連し、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と発言していたことがわかり、内外に強い波紋を呼びおこしていました。

6,自分自身だけでなく、安倍内閣の重要な閣僚による「政治的公平性」が疑われるような発言が繰り返される中で、ヒトラー的な選挙戦略を推奨した高市氏が「電波停止」発言をしたことが国際社会にとって重大な問題なのです。日本ではいまだに同盟国であったナチス・ドイツの問題が深く認識されていないようです。

7、最後に権力の問題を指摘し、鋭い批判をしていた作家・司馬遼太郎氏の言葉を引用しておきます。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか。政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」ていたのです(「『坂の上の雲』を書き終えて」『歴史の中の日本』中公文庫)。

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追記:安倍政権の手法の危険性は、「弱肉強食の理論」を正当化し「復讐の情念」を利用したナチス・ドイツの手法と似ている点にあると思われます。ただ、この点についてはより詳しく説明する必要があると思われますので、〈日本における「報道の自由」と安倍政権のナチス的手法〉を改題します。

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

「安倍談話」と「立憲政治」の危機(2)――日露戦争の賛美とヒトラーの普仏戦争礼賛

(2017年5月24日、リンク先を追加)

書評 大木昭男著『ロシア最後の農村派作家――ワレンチン・ラスプーチンの文学』(群像社、 2015年)

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中編『生きよ、そして記憶せよ』(一九七四)と『火事』(一九八五)でソ連邦国家賞を二度受賞し、二〇〇〇年にはソルジェニーツィン賞を受賞した農村派の作家ラスプーチンが昨年の三月に亡くなった。 その報を受けて、 作家とは個人的にも旧知の間柄であり、『病院にて ソ連崩壊後の短編集』(群像社、二〇一三)の訳書もある大木昭男氏がこれまでの論稿をまとめたのが本書である。

作家の小説だけでなく、ルポルタージュや「我がマニフェスト」をも視野に入れた本書は、作家の全体像を把握できるような構成になっている(本稿では著者の表記「ドストエーフスキイ」で統一した)。

第一章 ロシア独自の道とインテリゲンチヤ

第二章 モスクワ騒乱事件直後のラスプーチン

第三章 ドストエーフスキイとラスプーチン――「救い」の問題試論

第四章 ラスプーチン文学に現れた母子像

第五章 ロシア・リアリズムの伝統とラスプーチン文学

第六章 失われた故郷への回帰志向―小説のフィナーレ

第七章 ラスプーチン文学に見る自然 エピローグ――「我がマニフェスト」翻訳とコメント

ドストエーフスキイとの関連で注目したいのは、「わたしはここ十年間ドストエーフスキイを何回も読み返しています」と一九八六年に語ったラスプーチンが、「ドストエーフスキイはわたしにとってどういう作家であるかといえば、気持ちの上で一番近い存在であり、精神的にもっとも影響を受けた作家であるという答えが一番正しい答えになると思います」と続けていたことである(第三章)。

この言葉を紹介して、ラスプーチンの「精神の中核にはやはり正教の人間観が厳然と在る」と指摘した大木氏は、「ドストエーフスキイの提唱した『土壌主義』は、『母なる大地』と融合したプーシキン文学の伝統を継承したもの」であり、「その伝統を現代において受け継いだ作家こそワレンチン・ラスプーチンなのである」と主張している(第四章)。

ただ、本書に収録されている作家の略年譜によれば、ラスプーチンが洗礼を受けたのは中編『マチョーラとの別れ』(一九七六)の後の一九八〇年のことだったことがわかる。では、なぜラスプーチンはこの作品の後で正教徒となったのだろうか。ここでは中編『火事』(一九八五)とドストエーフスキイの作品との関係を詳しく分析した第三章を中心に、この作品に至るまでとその後の作品を分析した著者の考察を追うことで、ラスプーチンのドストエーフスキイ観に迫ることにしたい。

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一九三七年三月に今はダムの底に沈んだシベリアの小さな村に生まれたラスプーチンは、ナチス・ドイツとの「大祖国戦争」の苦しい時期に少年時代を過ごし、大学卒業後は新聞記者として勤めながら小説も書き始めた。 「ソ連崩壊後、国民の実に六〇%が貧困層に転落し、とりわけ年金生活者の多くが医療にもかかれないまま路頭に迷った。

ラスプーチンはそのような悲惨な現実をよく見据えている」と指摘した大木氏は、彼の作品を貫く方法について、ドストエーフスキイの第一作『貧しき人々』にも言及しながら、「ここにわたしは、一九世紀以来のロシア・リアリズムの伝統を感ずる」と書いている(第五章)。

「小説のフィナーレ」に注目しながらラスプーチンの主な作品を分析した第六章は、現実をしっかりと見つめて描くリアリズムが初期の段階からあったことを示すとともに、ドストエーフスキイの「土壌(大地)主義」への理解の深まりをも示していると思える。

すなわち、中編『マリヤのための金(かね)』(一九六七)では、コルホーズ議長の要請で小売店の売り子として勤めたが、決算時になって千ルーブルもの不足金があることが判明するという事件が発生し、不正などするはずのない純朴な農婦マリヤとその夫が苦境に陥るという出来事をとおして、「昔ながらの共同体的な相互扶助の精神」が廃れつつある状態が描かれている。

中編『アンナ婆さんの末期』(一九七〇)でも、村で百姓として一生を過ごしたアンナ婆さんの臨終の場面をとおして、村に残った子供と村を出て行った子供たちとの関係が描かれており、「夜中、婆さんは死んだ」という最後の文章に注意を促した大木氏は「寿命のつきた一個人の死ではあるが、もっと大きなものの死を暗示しているように思われる」と記している。

そのテーマは「大祖国戦争」で勇敢に戦って負傷したグシコフが、快復したあとで再び戦場に送られることを知って脱走したために、「故郷への回路」を断ち切られてしまうという悲劇を描いた中編『生きよ、そして記憶せよ』(一九七四)や、壮大なダム建設のために水没させられることになったためにアンガラ河の中州の島退去を迫られた農民たちの悲劇を描いた中編『マチョーラとの別れ』(一九七六)でも受け継がれている。

注目したいのは、島の名前の「マチョーラ」が「母」を意味する「マーチ」という単語から作られた固有名詞であると指摘した大木氏が、『マチョーラとの別れ』という題名は、「母なる大地」との別れも示唆していることに注意を促していることである。

ラスプーチンが洗礼を受けた後で書かれた中編『火事』(一九八五)では、ダムの建設によって水没した故郷の村を去り林業に従事することになった主人公イワンが、林業場倉庫の火事の現場で目撃した出来事が描かれている。 この 作品が「『マチョーラとの別れ』の続編とも言うべきもの」であると指摘した大木氏は、火事場で見た「無秩序な光景」について考え始めたイワンの思索が、「自分の内部の無秩序についての内省へと移っていく」ところに、ドストエーフスキイの手法との類似性を見ている。

注目したいのは、この小説のラストシーンで描かれている、「彼は今小さな林の陰に回り、永遠に姿を消してしまうのだ」という「謎めいた表現」は、「主人公の別世界への新たな旅立ちを意味するシーンである」と著者が解釈していることである。 訳出されている「あたかも夜の災厄のために苦しんでいたかのように、静かでもの悲しい秘められた大地がやわらかな雪の下に横たわっていた」という文章から、最後の「大地は沈黙している。/おまえは何であるのか、無言の我が大地よ、おまえはいつまで沈黙しているのか?/本当におまえは沈黙しているのか?」という詩的な文章に至る箇所は、ラスプーチンにおける「土壌(大地)主義」の重みを象徴的に物語っているように思える。

『罪と罰』のエピローグでも「一つの世界から他の世界への漸次的移行」が示唆されていることに注目した著者は、『カラマーゾフの兄弟』でも「ガリラヤのカナ」の章では、「天地を眺めて神の神秘にめざめ、大地を抱擁し、泣きながら接吻する」というアリョーシャの体験が描かれていることを指摘して、中編『火事』の結末においても、「キリスト教的な『過ぎ越し』」が描かれていると主張しているの である(第三章)。

残念ながら日本ではドストエーフスキイ作品を自分の主観でセンセーショナルに解釈する著作の人気が高いが、ドストエーフスキイが一八六四年に書いたメモで人類の発展を、一、族長制の時代、二、過渡期的状態の文明の時代、三、最終段階のキリスト教の時代の三段階に分類していたことを指摘した大木氏は、『白痴』における「サストラダーニエ(共苦)」や「美は世界を救う」という表現の重要性を強調している。

実際、著者が指摘しているように、『白痴』の創作ノートでもムイシキンが「キリスト教的愛の感情に従って行動することを、ナスターシャ・フィリポヴナの救済と彼女の世話と見なして」おり、「長編における三つの愛」が「情熱的直接的愛――ロゴージン」、「虚栄心からの愛――ガーニャ」、そして「キリスト教的愛――公爵」であると明確に定義されているのである。

それゆえ、ラスプーチンが「魂の動きにおいては、ロシア的スタイルは、沢山の苦しみをなめた人へのサストラダーニエであり、思いやりであり」、「共同性である」と書いていることに注意を促した大木氏は、「この認識はドストエーフスキイの民衆観を継承している」と記している。

本書の構成は論文の執筆順になっているので最初に置かれているが、「ロシア独自の道とインテリゲンチヤ」と題された章では、一九九二年のインタビューで「今は検閲がなく、自由がありますが、文学がありません」と語ったラスプーチンの言葉を紹介しつつ、「欧米流マス文化」の氾濫による「精神的空虚と不安定の兆候」を指摘した大木氏は、異文化に対しても排他的な態度を取らない「文化的民族主義」を唱える作家の立場を「新スラヴ派」と位置づけている(第一章)。

短編『同じ土の中に』(一九九五)で「ソ連崩壊後のロシアは、またしても革命前の現実とほとんど同様の貧困と格差の社会になってしまった」ことを描き出したラスプーチンが、一九九七年に「我がマニフェスト」で『カラマーゾフの兄弟』にも言及しながら、「ロシアの作家にとって、再び民衆のこだまとなるべき時節が到来した。痛みも愛も、洞察力も、苦悩の中で刷新された人間も、未曾有の力をもって表現すべき時節が」と宣言したのは、このような時代的な背景によるものだったのである(エピローグ)。

最後の中編『イワンの娘、イワンの母』(二〇〇三)を考察した論文の冒頭で「ロシアの『母子像』といえば、先ず思い浮かべるのは、幼児イエスとその母マリヤの二人が描かれている聖母子イコンであろう。それは慈愛のシンボルであり、キリスト教的『救い』のイメージと結びついている」と記した大木氏は、「イワン」という名前が「ヨハネ」に由来しており、「イワンの日」と呼ばれる民衆的な祭りがあるほどこの名前はロシア人の間ではきわめてポピュラーで、ロシア正教会ではこの日が「洗礼者ヨハネの誕生日」とされていることも説明している(第四章)。

そして、「ロシア社会の重要な、最も救済力に富んだ革新は、勿論、ロシア人女性の役割に属する」とドストエーフスキイが『作家の日記』に書いていたことを紹介した著者は、「ロシア人女性の大胆さ」が描かれているこの小説は「『我がマニフェスト』の意欲的実践の作として評価されるべき」と書いている。 ラスプーチンの小説を高く評価した文化学者のリハチョーフが「文化環境の保護も自然環境の保護に限らず本質的な課題です」と書いていたことに関連して、ドストエーフスキイの「美は世界を救う」という表現にも言及した大木氏は、「その『美』とは、人間の精神的な美を意味する言葉であるが、自然環境の美が保たれてこそ、人間精神の美も育まれてゆくものであろう。ラスプーチンはそのような認識にもとづいて『バイカル運動』をはじめとする自然保護運動を積極的に展開してきたのであった」と続けている(第七章)。

中編『マチョーラとの別れ』論で大木氏は、経済的な観点からの「ダムの建設は環境破壊をもたらし、そこで暮らしている住民たちの土地と結びついた過去の記憶を奪うことになる」と指摘していたが、それは三・一一の大事故による放射能で故郷から追われた福島の人々にもあてはまるだろう。

国民には秘密裏に行われて成立したTPPの交渉では農業分野で大幅な譲歩をしていたことが明らかになり、近い将来日本でも農村の疲弊と大地の劣化が進む危険性が高い。 ラスプーチンの「民族主義」的な主張には違和感を覚えるところもあるが、シベリアの小さな村の出来事などとおしてロシアの厳しい現実を丹念に描き出したラスプーチンの小説が、「土壌(大地)主義」を唱えたドストエーフスキイの精神を受け継いでいることを明らかにした本書の意義は大きい。

(『ドストエーフスキイ広場』第25号、2016年、108~112頁)。

映画《生きものの記録》――原水爆の脅威と知識人のタイプ

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

映画《生きものの記録》では、都内で鋳物工場を経営して成功し、妻と三人の妾とのあいだに多くの子供をもうけているワンマンな経営者の中島喜一(三船敏郎)が、「核実験」や「核戦争」の被害から家族を守るために、海外に移住しようとするが、自分たちの財産が無くなってしまうことを恐れた長女や息子たちから裁判に訴えられた出来事を、裁判所の調停委員として関わることになった歯科医・原田の眼をとおして描いている。

すなわち、「(沈鬱に)死ぬのはやむを得ん……だが殺されるのはいやだ!!」と語った喜一は、受け身的な形で「核の不安」に対処しようとすることを拒否して移住計画を進めるが、そのことを知った息子たちの要請で予定より早く二回目の審判が開かれた。

興味深いのはどのような結論を出すべきかの調停員の会議で、移住という手段をとってでも愛する家族たちの生命を守ろうとする喜一の行動力に感心もしていた調停員の原田が、「原水爆に対する不安は我々だって持っている」、「日本人全部に、強弱の差こそあれ、必ず有る気持ちです」と弁護していることである。

審判室に呼び出された喜一も「儂(わし)は、原水爆だって避ければ避けられる……あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、さらに「(昂然と)ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と続けていた。

しかし、「準禁治産者」の判定を下された後で工場に放火した喜一は、ついには精神病院に収容されることになる。注目したいのは、自分が加わった調停で心ならずも喜一に厳しい判決を下した歯医者の原田が、放火事件の後で喜一が収監された精神病院を訪れる場面で、原田と長女よしの夫・山崎の反応をとおして二つのタイプの「知識人」が見事に描き出されていたことである。

すなわち、病院に見舞いに訪れていた中島家の家族が病室から出てきた場面で、「しかし、何だな……結局……お父さんにとってはあれが一番倖せなんじゃないかな」と語った長女よしの夫・山崎に、喜一の家族全員が「無言の反撥を示す」ことが描かれたあとで偶然に出会った原田も、「私……どうも……気がとがめまして……」と見舞いの理由を説明し、「……いやそもそもあの裁判が間違っていたんじゃないか……と……」と続ける。

すると山崎は、苛立ちながら「大体、父の事を裁判所へ持ち込んだのが間違いなんです……最初から、ここへ連れてくればよかったンですよ」と断言し、「国策」に従わずに移住しようとする反抗的な喜一を「法律の手」で束縛したほうがよいと説明していた裁判所の参与と同じ見解を語ったのである。

個人的な印象になるが、私には最初、妻の父親の裁判にも積極的に参加しようとしていた長女の夫・山崎という人物像がよくわからなかった。しかし、映画《生きものの記録》の公開後に文学者の武田泰淳や後に「四騎の会」を共に起ち上げることになる木下恵介監督との鼎談で、「あの作品のなかでね、武田さん、僕は山崎という男ですよ」と語った黒澤が、「フランス文学者の……?」と武田から質問されると「ウン、あのくらいですよ」と答えているのを読んだ時に少し理解できたかと感じた。

すなわち、このやり取りからは山崎が、「国策」として遂行された「戦争」には保身のために反対しなかった黒澤自身の戯画であるとともに、戦後も「原子力エネルギー」の危険性も認識しながらも、原発が「国策」となると沈黙してしまうようなタイプの「知識人」全体の戯画でもあると思えたのである、

そのような「国権」に従順なタイプの「知識人」への批判は、喜一の治療にあたっていた精神科の医師の次のような言葉をとおして強調されている。「この患者を診ていると……なんだか……その……正気でいるつもりの自分が妙に不安になるんです……狂っているのは、あの患者なのか……こんな時世に正気でいられる我々がおかしいのか」。

ここにはチェーホフの短編『六号室』を思い起こさせるような深い考察があるが、この精神科医の言葉の後に置かれている映画《生きものの記録》の最後のシーンでは、『罪と罰』の主人公がシベリアの流刑地で見る「世界滅亡の悪夢」のような圧巻とも呼べるような光景が描かれている、

澄み切った明るい顔で鉄格子の病室に座り、地球を脱出して安全な星に居ると思いこんでいた喜一は、窓の外の燃えるような落日を見て、「燃えとる!! 燃えとる!! とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶのである。

主役の老人の役を三船敏郎が見事に演じただけでなく、前作の映画《七人の侍》と同じように黒澤明、橋本忍、小國英雄の共同脚本による映画《生きものの記録》は話題作となりヒットすることは確実だとも思われた。

しかし、脚本の共同執筆者であった橋本忍が書いているように、「『七人の侍』では日本映画開闢以来の大当たり、それに続く黒澤作品であり、ポスターも黒澤さん自身が斬新でユニークな絵を描き、宣伝も行き届いていた」にもかかわらず、「頭から客の姿は劇場にはなく、まったくの閑古鳥なのだ、まるで底なし沼に滅入り込むような空恐ろしい不入り」だったのである。

その理由は黒澤明と小林秀雄との「対談記事」が消えたことにも深くかかわっていると思えるので、稿を改めて考察することにしたい。

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、2014年より、第2章の当該箇所を再構成して引用)。

安倍政権の原発政策と映画《ゴジラ》

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

気象庁が「経験したことのない地震」と呼ぶ想定外の事態にもかかわらず、原発の稼働を止めない安倍政権の原発政策からは、1954年におきた「第五福竜丸」事件の後で政府が「原発」推進に踏み切っていた当時のことが思い起こされます。

そのことについてはツイッターでもふれましたが、ここでも以前に書いた〈終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ〉の記事へのリンク先を示すとともに、映画《ゴジラ》において核汚染の隠蔽の問題がどのように描かれているかを確認します。

リンク→終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ

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安倍政権の原発政策と映画《ゴジラ》

映画《夢》などの作品でも黒澤を補佐することになる本多監督は黒澤明研究会の研究例会で映画《ゴジラ》と原爆との関連についてこう明確に語っていた。

「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した。その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った、もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ。その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」。

実は、広島・長崎の被爆の後にも、その惨状は日本を統治することになったアメリカ軍の意向で隠蔽されることになり、占領軍の意向に従った日本政府はその後もアメリカなどの大国が行う核実験などには沈黙をまもっただけでなく、「第五福竜丸事件」の際にも被害の大きさの隠蔽が図られ、批判者へのいやがらせなどが起きていた。

それゆえ、本多監督は核兵器の開発に関わるような科学者を批判して、「ただ、水爆みたいなものを考えた人間というのは、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが完全に滅びる、自分たちだけじゃなくて、地球上のすべてのものを殺してしまうかもしれないほど人間というのは危険だ」と語っていた。

実際、映画《ゴジラ》の素晴らしさは単なる娯楽映画に留まることなく、情報を隠蔽することの恐ろしさや科学技術を過信することへの鋭い警告も含んでいたことである、たとえば、「ゴジラ」が出現した際のシーンでは、核汚染の危険性について発表すべきだという記者団と、それにたいしてそのような発表は国民を恐怖に陥れるからだめだとして報道規制をしいて情報を隠蔽した政府の対応も描き出されていた、

研究例会での本多監督の言葉は映画《ゴジラ》における最後の場面の意味を見事に説明しているだろう、すなわち、「ゴジラ」を殺すことの出来るような兵器を開発した科学者は、その兵器が悪用されることを恐れて、兵器の制作方法を知っている自分も「ゴジラ」とともに滅ぶことを選んでいたのである。

こうして、科学者の自己犠牲的な精神をも描いた《ゴジラ》は、子供も楽しめる怪獣映画の要素も備え、見事な特殊撮影で撮られたことで、九六一万人もの観客を動員するような空前の大ヒット作品となった。

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社2014年、129~130頁より引用)。

想像力の可能性――もう一つのドストエフスキー劇

「見ることと演じること(五)」には、エドワルド・ラジンスキーの《ドストエーフスキイの妻を演じる老女優》についての短い劇評も掲載されていました。

今、読み返すと記述には深みが欠けている一方で冗漫な箇所もありますが、一部を省略し文体的な改訂を行った上で1988年に観た当時の感想として掲載することにします。

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ドストエフスキーは文士劇で『検察官』の郵便局長の役を演じたばかりでなく、中年の絵かきに託してアーニャにプロポーズしたり、実生活でも『伯父様の夢』の主人公の老人の口調で妻アーニャに語りかけたりしていた。

私がこの劇に関心を持った理由の一つは、この長い題名にはドストエフスキーと「演じる」こととの間に深い結び付きを見ようとする作者の視点が現れているように思えたからだ。作者エドワルド・ラジンスキーの作品は世界中できそって上演され、モスクワ芸術座でも今この劇の稽古が行われていると言われる。

ほとんどすべての作品が劇化されているドストエフスキー劇にこの戯曲がどのような新しい地平を開くのかに強く好奇心をそそられた。

劇が始まると、一人の老女(北林谷栄)が現れ、興味深そうに四方を見まわしてから、疲れたように椅子に腰かけた。片方の靴を脱いで素足になり、ゆっくりと足首をもみ、それからもう片方の靴を脱いで足首をもんだ。この時の印象は鮮烈だった。この何気ない所作によって孤独な老女の疲労感が浮彫りにされ、陽気な笑い声と共に女主人公の形象が鮮やかに描き出された。

そこへ天才画家を名のり、ドストエフスキーを自称する男の謎めいた声がソファーの下から響き、哲学の思索を妨げるなと威嚇しながら毒舌をあびせて、休息室に迷いこんだ彼女を追い出しにかかった。ソファーの下の哲学者という想定は、どこか「地下室の逆説家」を連想させ興味深かったが、元女優と思われるこの老女は、「リーザ」とは異なって陽気な笑い声を響かせながら、時には手厳しく反撃したりもした。しかし、自分の孤独を指摘されると思わず我を忘れて、手に持っていた本を声に向かって投げつけた。すると、本の題名が『賭博師』であることに気付いた男は、二人でドストエフスキーと恋人の劇を演じようと申し出るのだった。

この間、男(米倉斉加年)はソファーの下で声だけで演じていたが、毒舌だけでなく皮肉、恫喝、驚愕、懇願といった様々の声の色彩を微妙に使い分けて声の演技だけで充分に観客を引き込み、さらに想像力の刺激という点では身体的な演技以上の効果を生みだしていた。

こうして物語は、老女にポリーナの役をやらせようとする男と妻アーニャの役を望む老女とのやりとりや彼女自身の回想をもはさみながらアーニャの「回想」等を基に構成された劇の稽古へと進んでいった。

ただ、男が姿を現わして以降は、「声」の神秘性が失われる一方、男の過去は相変わらず秘められたままなので男の存在は「神秘性」と「現実性」の両方を欠き中途半端なものとなったようにも思われた。

だが老女を引き立てる黒子と見れば男の存在は、それでも充分だったと言えるかも知れない。既にドストエフスキーを自称した彼には心理的な揺れはない。

一方、老女は演じることで次第にアーニャのリアリティを獲得していく。まず彼女には魅惑的なポリーナの存在に激しい嫉妬心を抱く若い乙女の気持を表現することが課されるが、彼女はそれを見事に演じてみせる。そして、ドストエフスキーとの出会い、彼のプロポーズの回想などの場面を演じていく中で、徐々に自分の中の貞淑で控え目なアーニャ像に近づき、ついにはアーニャになりきってドストエフスキーに対する熱烈な愛を語るのである。

劇の幕切れ近くで作者は、実は「いかさま師」だったと男にラスコーリニコフと同様の告白をさせ、さらに老女に対しても女優を装っているが実は女優の付け人ではないかと問い質させている。

この転換は幾分唐突で劇の効果を弱めているようにも見える。しかし「さあ、急いで仮面を一枚はがすんだ、べつの仮面が見えるようにな」と語り、「想像は――現実よりもはるかに現実的である」と述べる男の言葉を思い起こすなら、よどんだ現実から可能性への飛翔を目指していると思われる作者には、主人公たちを謎のままに止めておくことが必要だったのかも知れない。

〈ドストエーフスキイの会「会報」106号、および、『場 ドストエーフスキイの会の記録Ⅳ』、237頁に掲載。再掲に際しては、地の文のドストエーフスキイの表記をドストエフスキーに改めた〉。

トルストイ『ホルストメール』とトフストノーゴフの劇《ある馬の物語》

「グローバリゼーション」の強大な圧力下にますます状況が悪化している派遣社員などの問題を扱った〈「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在〉という記事を2013年7月17日に掲載しました。→ http://www.stakaha.com/?p=1190

それからほぼ3年が経ちましたが、現在の日本は「国民」の生命や安全、財産にも深く関わるTPPの資料が、選挙で選ばれた国会議員の集まる「国会」に、ほとんど黒塗りにされて提出されたという「国民」が馬鹿にされるような事態に至っています。

それにもかかわらず、新聞やテレビなどのマスコミがほとんど報じないという安倍政権下の日本の現状は、情報公開が行われていなかったソ連だけでなく、厳しい検閲下におかれて「農奴制」をも是認していた帝政ロシアの言論状況とさえも似ているように思われます。

それゆえ、今回は「見ることと演じること」の第五回で論じた、すぐれた才能を持ちながらもまだらの馬だったために馬鹿にされ、こき使われた馬の一生を描いたトルストイの『ホルストメール』を劇化した《ある馬の物語》の劇評の箇所を掲載することにします。

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劇場という限られた空間内での出来事ではあるにせよ、劇は想像の力を借りて舞台に一つの世界を作り挙げる。たとえてみればそれは、世界の箱庭のようなものかもしれない。しかし、読書とは異なり、舞台には耳で聞き目で確かめられる世界が厳然として存在し、観客は客席の多くの人々と共に舞台で起きる様々な出来事を目撃し体験できるのである。それは幻想のように数刻の後には消え去る。しかしすぐれた劇は描き出した一つの世界を確実に観客の心の中に残す。

去年はモスクワ芸術座とレニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場というソヴィエトを代表するような二つの劇団がそれぞれ三つの劇をたずさえて相次いで客演したが、私には殊に伝説的な劇『白痴』の演出家であるトフストノーゴフに率いられ、すでに世評の高い『ある馬の物語』と『ワーニャ伯父さん』の二本の他に話題作『アマデウス』を携えて来日したボリショイ・ドラマ劇場がどのような世界を作り出すのかに興味が持たれた。三つの劇はそれぞれ私に強い印象を残したが、わけても心に残ったのが『ある馬の物語』であった

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舞台は馬をつなぐ杭となる棒が数本立っているだけの簡素なものだったが(美術・コチェルギーン)、そこに綱が張られるだけで牝馬と牡馬を区別する馬小屋となり、あるいは競馬場ともなった。さらに馬を演じた役者たちは馬の形態をまねることなくその手に持ったしっぽ状の布切れを持つだけで馬になり切っていた。

トフストノーゴフはここで象徴的な事物の提示だけで細かい写実を捨て去り、残りを観客の想像力にゆだねることによって、より大きな舞台空間を創り出し得ているのだ。彼の演出は、小石やがらくたとも心を通わし得て、共通の世界を持ち得た子供の頃の想像力の拡がりと自由さを観客に与えている。

確かに『オペラ座の怪人』などの最近の劇には感嘆させられるような舞台芸術も少なくないが、しかしそれは言わば豪華なレストランでの食事のようなものに思える。一方、トフストノーゴフの演出は大自然の中での食事のように川のせせらぎが聞こえ、風の流れが感じられるのだ。

それと共にこの劇をきわ立たせるものとして馬の叫び声を挙げておきたい。

全体に、この劇ではすべての要素がお互いに支えあいながら、主題を盛り上げていたのである。トルストイの名作はトフストノーゴフという優れた演出家とレーベジェフという名優を得て、形を与えられその姿を示したと言えるだろう

ホルストメールの無邪気な鳴き声と若い牡馬としてのいななき、絶叫と心をかきむしるような悲しみの声、若い牝馬たちの性への渇望、人間として演じられたらあまりにも生々しいそれらの声は、馬の声ということで抵抗なく観客の中に入り込み、馬たちの荒々しい生の喜びと悲しみを伝え得ていた。

だが、トフストノーゴフと言えどもまだらの馬ホルストメールを演じた俳優レーベジェフなくしてはこの劇を作り得なかっただろう。劇が始まるとレーベジェフは生まれたばかりの仔馬ホルストメールが蝶とたわむれる演技で観客の心を奪ってしまう。観客はそれ以降、彼の身に振りかかる出来事に一喜一憂する――去勢される場面では身を切られるような痛みを覚え、彼が公爵に見出されて競馬に出場し一等になると我が事のように嬉しくなる。

だからホルストメールが「(人間の世界では)なるべく多くの者に『私の』という言葉をつけて言える人が幸せだということになっている。…中略…人間は良い事をしようという目的で人生を過していない。自分の物を増やそうとしているだけだ。人間と馬の違いはそこなんだ。我々の方が数段人間よりも上だ」と言う時、苦い思いを味わいながら考え込まされてしまうのである

『ある馬の物語』は1886年に発表されたトルストイの『ホルストメール』の劇化であり、すぐれた才能を持ちながらも、まだら馬だったために他の馬から馬鹿にされ、さらには去勢されてこきつかわれたあげく廃馬として殺される馬の一生が、五人編成のジプシー楽団の音楽の流れに乗って見事に描かれていた。

〈同人誌『人間の場から』(第14号、1989年)に掲載された初出時の題名は、「見ることと演じること(五)」である。再掲に際しては文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

日本の言論状況とフォーキンの劇《語れ》

「国民」の健康や安全、さらは財産にも深く関わるTPP交渉について議論すべき国会に黒塗りにされた資料が出されても不思議に思わない自民党や公明党の議員には唖然とさせられました。

さらに、それを批判すべき新聞やテレビなどのマスコミさえもが口をつぐんでいる現在の日本の状況に強い危機感を覚えています。

そこで思い出したのが権力者の汚職などが蔓延していたソ連の末期のペレストロイカの時期に、エルモーロワ劇場で上演されたフォーキンの劇《語れ》のことです。

ここでは同人誌『人間の場から』(第13号、1989年)に掲載した劇評「見ることと演じること(4)――記憶について」から引用することによってこの劇を紹介します。グラースノスチ(情報公開)を求める「国民」の声によってソ連全体が変わり始める時期の劇です。

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最近ソヴィエトの演劇が変わりつつある。そんな実感を一ケ月程前にモスクワのエルモーロワ劇場で見たベケットの劇『ゴドーを待ちながら』でも感じた。この劇場はかつてはいつでも券が手に入れられるような劇場だったのだが、最近は以前とは雰囲気が違うのだ。観客はすでに「何か」を期待して集まり、その期待が観客席に一種の緊張感を生み出す。

幕はなく、舞台には両端に黒い屏風と中央に枯木そしてその木の下に黒いマットレスがあるばかりだ。次第にホールが暗くなり、一瞬闇がホールを包む。だが闇の中でも舞台に向って観客の視線が突き刺さるのが感じられた。そして舞台に一本のローソクがともり、劇が始まった。劇は「待つ」という行為を象徴にまで高め、殊に第二幕では他者の記憶の喪失を通して人間の孤独感、断絶感を浮きぼりにしていた。

雰囲気を変えたもの、それは恐らく首席演出家フォーキンの存在と彼の問題意識だろう。彼は自分が演出した劇『語れ』の中で、十年一日のように型通りの報告をしていた人間が、自分の声で語り出そうとするその一瞬を見事にとらえていた。

彼は劇の一登場人物ばかりでなく、劇場自体にも「自分の声」で語ることを要求しているかのように見える。そしてそのような「声」を期待する観客の視線は俳優をも変えたように見えた。

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福島第一原子力発電所のレベル7の大事故がまだ完全には収束していないにもかかわらず原発の再稼働が行われ、危険な「戦争法」でさえもがきちんとした議論もないままに強行採決されるような日本で、今、必要なのは一人一人が自分の「声」で語る勇気とグラースノスチ(情報公開)のように思えます。

「忍び寄る『国家神道』の足音」と井上ひさし《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》

闇に咲く花、アマゾン(図版は「アマゾン」より)

忍び寄る「国家神道」の足音〉という題名は今年1月23日付けの「東京新聞」朝刊「こちら特報部」の特集記事から引用したものですが、そこで「安倍首相は二十二日の施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した。夏の参院選も当然、意識していたはずだ」と書いた特集記事はこう続けていました。

「そうした首相の改憲モードに呼応するように今年、初詣でにぎわう神社の多くに改憲の署名用紙が置かれていた。包括する神社本庁は、いわば『安倍応援団』の中核だ。戦前、神社が担った国家神道は敗戦により解体された。しかし、ここに来て復活を期す空気が強まっている。」

そして記事は「神道が再び国家と結びつけば、戦前のように政治の道具として、国民を戦争に動員するスローガンとして使われるだろう」と結んでいたのです。「戦争法」だけでなく「改憲」さえも強行しようとしている安倍政権の危険性を、井上ひさし氏の劇《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》はすでに予告していたように思えます。

30年ほど前に書いた井上ひさし氏の《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》について書いた劇評を再掲します。

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「昭和庶民伝・第二部」にあたるこまつ座の劇《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》(井上ひさし作)もやはり記憶の喪失をテーマにしていた。

この劇では戦争が終った直後の一神社を舞台に物語は進んでいく。主人公の一人である神主の牛木公麿はかつては境内に捨てられていた赤ん坊をひろってわが子として育て、今も近所の主婦達の内職の場を提供するだけでなく、糊口を凌ぐためには神社の品を売り払ってヤミ米を買い、彼女達にも与える程、人が好く、心やさしい人物であるが、戦時中は国の政策を素朴に信じ、若者達を戦場へと送り出す役割を担っていたのだった。

この人物設定は前作の登場人物である実直で愛国的な傷痍軍人の源一郎を想起させるが、しかし大きな違いの一つは、前の劇が太平洋戦争に突入する直前だったのに対し、ここでは戦後の混乱がようやく収まり再び秩序が戻りつつある時期に設定されていることである。それゆえ、劇では源一郎と脱走兵正一の対立とは別の、しかし現在に生きる我々に直接係わってくる次元で神主の公麿と息子健太郎との対立が描かれている。

劇はヤミ米の買い出しから戻った主婦達と神主のやりとりで観客を笑わせたり、戦死した健太郎が実は捨子だったと彼の友人に語る神主の言葉でほろっとさせたりしながら進んでいくが、南方で戦死した筈の健太郎が戻って来るところから佳境に入っていく。彼は戦場で傷を負い、記憶喪失に陥って治療を受けていたのだ。名ピッチャー健太郎の帰還は父ばかりではなく、友人や知り合いの人々すべてを歓喜させる。だが彼の到着を追うようにして、無実の彼にC級戦犯の容疑がかけられていることが知らされ、それを聞いた健太郎は再び記憶を失う。

父はこのまま治療せずに審理から逃れさせようとするが、しかし彼と元バッテリーを組んだ医者の稲垣は、ともかく治してから山奥に隠すと請け合い、治療に専念して再び彼の記憶を呼び戻すことに成功する。

だが、父が「記憶を失って赤ン坊になるか、正気に返って怯えながら生きるか、そのどっちかしかないんだから、可哀想な子だ」と嘆きながら、山奥へ隠そうとしている所に捜査官が録音機を持って現れスイッチを入れると、語られたばかりの健太郎の言葉が再び発せられる。

「父さん、ついこのあいだおこったことを忘れただめだ、忘れたふりをしちゃなおいけない。……」「……過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね。神社は花だ。道ばたの名もない小さな花……」。

ここでもまた記憶のテーマが語られているのだが、井上氏は録音機という手段を用いることによってこのテーマを無理なく繰り返し、強調することに成功しているが、さらにそれは自分の声を聞く健太郎の心理と結びつけられて悲劇的だが感動的な結末へと導かれているのだ。

すなわち、最初健太郎は健忘症を装おおうとするが、しかし自分の声に励まされるようにして、自分の考えを最後まで述べるのである。

「花は黙って咲いている。人が見ていなくても平気だ。…中略…花と向かい合っていると、心がなごんで、たのしくなる、これからの神社はそういう花にならなくちゃね。花は心を落ちつかせる色をしているよ。(一瞬の、微かな怯え。しかし立ちなおって浄く明るく)ぼくは正気です」。

こうして健太郎は無実でありながら戦時中の日本人の罪を背負ってグアムで死刑になるのだが、この劇を『闇に咲く花』と名付けた井上氏は、健太郎のうちに人間の罪を背負って十字架に架けられたとされるキリストのイメージがだぶっていたのかもしれない。

見終えた後の印象は重苦しいものであったが、それはこの作品の持つテーマが現在に生きる我々とも深く結び付くものだったからだろう。殊に最近の日本の報道や風潮は、都市の外観だけをそのままに、一気に大正末へとタイムスリップしてしまったような感すら抱かせる。

劇団「夢の遊眠社」主宰の野田秀樹氏は「日本は主権在民といいながらも、この四十年間で天皇制にかわる思想の核というものをつくりきれなかったことが明らかになった、という気がします」と語っているが確かにそうだろう。一度の強い風でメッキは剥げ落ち、借り物の衣装や地表を覆っていたかに見えた根のない草木は吹き飛んだのだ。

だが、少なくとも「明らかになった」ことはよいと思える。私たちは飾り立てた自分の姿だけではなく、裸の自分の姿もしっかりと見据えておく必要があるのだ。盆栽や鉢植えの草木ではなく、戸外の自然の中で、激しい風雨や厳しい冬の寒さの中で大地に根を張るような草木をこそじっくりと育てるべきなのだろう。その時にこそ草木は美しい「花」を咲かせるだろう。

〈この劇評は同人誌『人間の場から』(第13号、1989年)に掲載された「見ることと演じること(4)――記憶について」の前半の箇所である。なお、本稿では文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

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30年前に書いたこの劇評を読み直して感じたのは、自然を愛する心優しい神主とその息子の苦悩を描いたこの劇が、宗教学者の島薗進氏と政治学者の中島岳志氏が、現在の日本の危機的な状況を踏まえて、熱く深く語り合った対談『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) のテーマと深く関わっていることです。

来る選挙での野党の統一を求めている多くの方々だけでなく、自然を愛する心やさしい神主の方々や仏法を信じる公明党の党員の方々に、いまこそ観て頂きたい劇です。

(2017年2月22日、一部改訂して図版を追加、2023年5月3日、ツイートを追加)