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ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

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昭和16年に谷口雅春氏が書いた『生命の實相』には、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という記述がありますが、この本を「ずっと生き方の根本に置いてきた」と語っていた稲田朋美氏が安倍首相によって防衛大臣に任命されました。

私が稲田氏の発言に関心を抱いたのは、この表現が『わが闘争』において、「闘争は種の健全さと抵抗力を促進する手段なのであり、したがってその種の進化の原因でありつづける」と主張していたヒトラーの言葉を思い起こさせたからです。

それは稲田氏ばかりではありません。麻生副総理も憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言して問題になっていましたが、明治政府は新しい国家の建設に際しては、軍国主義をとって普仏戦争に勝利したプロイセンの政治手法にならって内務省を設置していました。

その内務省の伝統を受け継ぐ「総務省」の大臣となり「電波停止」発言をした高市早苗氏も、1994年には『ヒトラー選挙戦略現代選挙必勝のバイブル』に推薦文を寄せていました。

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かつて、私は教養科目の一環として行っていた『罪と罰』の講義でヒトラーの「権力欲」と大衆の「服従欲」を考察した社会心理学者フロムの『自由からの逃走』にも言及しながら、高利貸しの老婆の殺害を正当化した主人公の「非凡人の理論」とヒトラーの「非凡民族の理論」との類似性と危険性を指摘していました。

10数年ほど前から授業でもヒトラーを讃美する学生のレポートが増えてきてことに驚いたのですが、それは『ヒトラー選挙戦略現代選挙必勝のバイブル』に推薦文載せた高市氏などが自民党で力を付け、その考えが徐々に若者にも浸透し始めていたからでしょう。

本間龍氏は『原発プロパガンダ』で「宣伝を正しく利用するとどれほど巨大な効果を収めうるかということを、人々は戦争の間にはじめて理解した」というヒトラーの言葉を引用しています。

ヒトラーが理解した宣伝の効果を「八紘一宇」「五族協和」などの美しい理念を謳い上げつつ厳しい情報統制を行っていた東条内閣の閣僚たちだけでなく、「景気回復、この道しかない」などのスローガンを掲げる安倍内閣もよく理解していると思われます。

安倍首相も「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張と同じように「日露戦争」の勝利を讃美していましたが、それも自国民の優秀さを示すものとして普仏戦争の勝利を強調していたヒトラーの『わが闘争』の一節を思い起こさせるのです。

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ヒトラーは『わが闘争』において「社会ダーウィニズム」的な用語で、「闘争は種の健全さと抵抗力を促進する手段なのであり、したがってその種の進化の原因でありつづける」と記していました。

ダーウィンの「進化論」を人間社会にも応用した「社会ダーウィニズム」は、科学的な世界観として19世紀の西欧で受け入れられたのですが、「進化」の名の下に「弱肉強食の思想」や経済的な「適者生存」の考え方を受け入れ、奴隷制や農奴制をも正当化していたのです。 たとえば、ピーサレフとともにロシアでダーウィンの説を擁護したザイツェフは一八六四年に記事を発表し、そこで「自然界において生存競争は進歩の推進機関であるから、それは社会的にも有益なものであるにちがいない」と主張し、有色人種を白人種が支配する奴隷制を讃えていたのです。

クリミア戦争後の混乱した社会を背景に「弱肉強食の思想」を理論化した「非凡人の理論」を生み出した主人公が、高利貸しの老婆を「悪人」と規定して殺害するまでとその後の苦悩を描いたドストエフスキーの長編小説『罪と罰』は、ヒトラーの「非凡民族の理論」の危険性を予告していました。

すなわち、ヒトラーは『わが闘争』において「非凡人」の理論を民族にも当てはめ、「人種の価値に優劣の差異があることを認め、そしてこうした認識から、この宇宙を支配している永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である」と高らかに主張したのです。

社会心理学者のフロムはヒトラーが世界を「弱肉強食の戦い」と捉えたことが、ユダヤ人の虐殺にも繋がっていることを示唆していました。 考えさせられたのは、日本でも障害者の施設を襲って19人を殺害した植松容疑者のことを、自民党のネット応援部隊が擁護して「障がい者は死んだほうがいい」などとネットで書いたとの記述がツイッターに載っていたことです。

この記事を読んだときに連想したのが、ユダヤ人だけでなくスラヴ人への偏見も根強く持っていたナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の考え方です。 すでにハフィントンポスト紙は2014年9月12日の記事で、「高市早苗総務相と自民党の稲田朋美政調会長と右翼団体『国家社会主義日本労働者党』代表の2ショット写真」が、「日本政府の国際的な評判を一気に落としてしまった」と指摘していました。

「内務省」を重視した戦前の日本は、過酷な戦争にも従順に従う国民を教育することを重視して国民の統制を強める一方で、外国に対して自国の考え方を発信して共感を得ようとするのではなく、考えを隠したことで外国からは疑われる事態を招き、国際的な緊張が高まり、ついに戦争にまでいたりました。

自分自身だけでなく、安倍内閣の重要な閣僚による「政治的公平性」が疑われるような発言が繰り返される中で、情報を外国にも発信すべき高市総務相が「電波停止」発言をしただけでなく、政権による報道への圧力の問題を調査した国連報道者のデビット・ケイ氏からの度重なる会見の要求を拒んだ高市氏が、一方で「国家神道」的な行事に出席することは国際社会からは「政治的公平性」を欠くように見えるでしょう。

最後に死後に起きた「司馬史観」論争において「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張によって矮小化されてしまった作家・司馬遼太郎氏の言葉をもう一度引用しておきます。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

(2016年10月1日、一部訂正。2019年1月8日、改訂)

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