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12月

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

私は法律家ではないので具体的な比較はできませんが、「今世紀最大の悪法」と思える「特定秘密保護法」が、十分な審議もなされないまま、審議の過程で修正を重ねるという醜態を示しながらも、これまでの国会での手続きや法案が抱える多くの欠陥を無視して、昨日、強行採決されました。

この事態を受けて、日本新聞協会(会長・白石興二郎読売新聞グループ本社社長)が、「運用次第では憲法が保障する取材、報道の自由が制約されかねず、民主主義の根幹である国民の『知る権利』が損なわれる恐れがある」と指摘する声明を発表しました。

日本ジャーナリスト会議は「法律の廃止と安倍内閣の退陣」を要求し、日本雑誌協会日本書籍出版協会の委員会も「取材・記事作成に重大な障害となることを深く憂慮する。法案の可決成立に断固抗議する」と声明を出しました。

この法律の問題点を早くから指摘していた日本ペンクラブも、「特定秘密保護法案強行採決に抗議する」という声明を出しました。(リンク 日本ペンクラブ声明「特定秘密保護法案強行採決に抗議する」

特定秘密保護法に反対する学者の会」も3181名の学者と746名の賛同者の名前で、右記の「抗議声明」を発表しました(リンクhttp://anti-secrecy-law.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7.html

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一方、安倍政権はこの「特定秘密保護法」が審議されているさなかに、国民の生活や国家の方向性に深く関わる重要な事柄を決めていました。

いくつかの新聞記事によりながら3点ほどを指摘しておきます。まず、5日には「武器輸出を原則として禁ずる武器輸出三原則」を見直して、「武器輸出管理原則を作ること」が決められ、その一方で民主党政権が打ち出していた「2030年代に原発をゼロとする」目標が撤回されました。

さらに、6日の閣議では「特定秘密の廃棄について『秘密の保全上やむを得ない場合、政令などで(公文書管理法に基づく)保存期間前の廃棄を定めることは否定されない』とする答弁書が出されました。

「特定秘密保護法」の強行採決は、原発事故や基地問題などの重要な「情報」を国民に知らせることを妨げ、官僚や権力者には都合の悪い「事実」を破棄する一方で、国民の「言論の自由」を奪うという安倍政権の危険な方向性を具体的に国民の前にさらしたといえるでしょう。

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アニメ映画《風立ちぬ》で示唆され、映画《少年H》で具体的に描かれたような、自分の考えていることも言えない息苦しい時代が、目の前に来ているようにも思われます。

しかし、司馬遼太郎氏が描いていたように、危機の時代に強権的な手法を用いた江戸幕府を倒し、さらに「坂本竜馬」が危惧したような圧倒的な力で他の勢力を抑圧した「薩長連立幕府」にたいして「憲法」の必要性を認めさせた自由民権運動のような輝かしい歴史を日本は持っています。(前回のブログ記事司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」参照)。

これまで政治的な視点で矮小化されてきたと思える長編小説『坂の上の雲』については、「新聞紙条例」から「明治憲法」の発布に至る過程や、自由民権運動と陸羯南の新聞『日本』との関係にも注意を払いながら、新聞記者としての正岡子規に焦点を当てて来春から本格的に再考察したいと考えています。

(2016年2月10日。リンク先を追加)

リンク→新聞記者・正岡子規関連の記事一覧

 

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

今も、国会の前では「特定秘密保護法案」の慎重審議や廃案を求めて、忙しい時間を割いて1万5千にも達する人々が寒空の下で「声」を挙げているとの報道がなされています。

自民党が6月に発表した選挙公約には「特定秘密保護法」の文字もなく、首相が国会冒頭の所信表明でも言及していませんでした。その「法案」は、国家の未来をも左右するような重要性を持つにもかかわらず、原発事故の「隠蔽」など問題のある報道もあって参議院選挙に勝った与党は、数の力で強引に押し通そうとしているのです。

政府与党の政治家たちの言動からは、人々の切実な「声」をも「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と記すなど、「民」の心の痛みを思いやる姿勢を失ってしまっているかのようにも見えます。

一方、そのような現在の政治家たちを見て想起するのは、 長編小説『竜馬がゆく』において「歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し開けた」と描かれている坂本龍馬(以下、竜馬と記す)の勇気と行動力のことです。

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 司馬遼太郎氏との対談で作家の海音寺潮五郎氏は、孔子が「戦場の勇気」を「小勇」と呼び、それに対して「平常の勇」を「大勇」という言葉で表現していることを紹介しています。そして海音寺氏は日本には命令に従って戦う戦場では己の命をも省みずに勇敢に戦う「小勇」の人は多いが、日常生活では自分の意志に基づいて行動できる「大勇の人」はまことに少ないと語っていました(『対談集 日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年)。

 司馬氏が長編小説『竜馬がゆく』で描いた坂本竜馬は、そのような「大勇」を持って行動した「日本人」として描かれているのです。

 たとえば、勝海舟から国際情勢を詳しく聞いていた竜馬は、「砲煙のなかで歴史を回転させるべきだ」という中岡慎太郎の方法に対しては強い危惧を、「いまのままの情勢を放置しておけば、日本にもフランスの革命戦争か、アメリカの南北戦争のごときものがおこる。惨禍は百姓町人におよび、婦女小児の死体が路に累積することになろう」と想像したと書いています(五・「船中八策」)。

 そのような事態を日本でも起こさないようにと苦慮していた竜馬が思いついたのが「船中八策」であり、司馬氏はその策を聞いて憤慨した亀山社中の若者・中島作太郎(信行)との対話をとおして「時勢の孤児になる」ことを選んだ竜馬の「大勇」を次のように描いています。

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  「坂本さん、あなたは孤児になる」という指摘に対して、「覚悟の前さ」と竜馬に答えさせていた司馬は、別れ際に「時勢の孤児になる」と批判したのは言いすぎだったと詫びた中島作太郎に対して、「言いすぎどころか、男子の本懐だろう」と竜馬に夜風のなかで言わせたのである。

 そして、「時流はいま、薩長の側に奔(はし)りはじめている。それに乗って大事をなすのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲のなかに孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る。」と説明した司馬は、竜馬に「おれは薩長人の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人だと思っている。おれの立場はそれだけだ」と語らせていた(下線引用者、五・「船中八策」)。

 司馬が竜馬に語らせたこの言葉には、生まれながらに「日本人である」のではなく、「藩」のような狭い「私」を越えた広い「公」の意識を持った者が、「日本人になる」のだという重く深い信念が表れていると思える。子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を再び引用すれば、「自己を確立」するとともに、「他人の痛みを感じる」ような「やさしさ」を、「訓練して」、「身につけ」た者を司馬は、「日本人」と呼んでいるのである。

  「時勢の孤児」

 興味深いのはこの前の場面で、「もし天がこの地上に高杉を生まなかったならば、長州はいまごろどうなっていたかわからない。」という感慨を抱いた竜馬に、二ヵ月前に亡くなった高杉晋作のことを思い出させながら、「面白き、こともなき世を、おもしろく」という辞世の上の句を晋作が詠んで苦吟していると、看病していた野村望東尼(もとに)が、「住みなすものは心なりけり」と続けたことを紹介した司馬が、おりょうに、「思い出したときが供養だというから、今夜は高杉の唄でもうたってやろう」と、竜馬が「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」という晋作の唄を三味線をひきながら歌ったことも描いていることである。

 晋作が攘夷派の同志たちによって暗殺される危険性を熟知しながら、「大勇」を発揮して、長州藩の滅亡の危機を救うために藩代表の使節として四国艦隊との講和交渉に臨んでいたことを思い起こすならば、この場面は日本を内戦から救うために竜馬が重大な覚悟をしたことをも暗示していると思われる。事実それは、かつて竜馬が北添を諫めたように時勢という強烈な流れに逆らって船出をするような決断であり、「時勢の孤児」になるような危険な道でもあった。

 しかも、高杉晋作や桂小五郎、井上聞多などと下関の酒亭で酒を飲んだ際に、「世が平いだあと、どう暮らす」ということが話題になった際に、「両刀を脱し、さっさと日本を逃げて、船を乗りまわして暮らすさ」と答えた竜馬が、高杉がくびをかしげたのを見て、すかさず「君は俗謡でもつくって暮らせ」と語ったことも描いていた司馬は、「はるか下座に伊藤俊輔、山県狂介らがいた。みな維新政府の顕官になり華族に列した連中である。」と続けていたのである。

 つまり、薩摩藩や幕府に対する影響力を強めているイギリスやフランスの思惑にはまって、悲惨な内戦を起こさないように、「戦争によらずして一挙に回天の業」を遂げられる策を必死に探して、「日本を革命の戦火からすくうのはその一手しかない」として竜馬が出したのが、大坂へ行く船中で書き上げた、いわゆる「船中八策」であった。

 (中略)

  さらに、「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛(さんたん)せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」という「第二策」について司馬は、「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したものといっていい。」と位置づけ、「余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている。」と続けている(下線引用者)。

 そして、「他の討幕への奔走家たちに、革命後の明確な新日本像があったとはおもえない。」と書いた司馬は、「この点、竜馬だけがとびぬけて異例であったといえるだろう。」と続けている。(中略)

 つまり、「流血革命主義」によって徳川幕府を打倒しても、それに代わって「薩長連立幕府」ができたのでは、「なんのために多年、諸国諸藩の士が流血してきた」のかがわからなくなってしまうと考えた竜馬は、それに代わる仕組みとして、武力ではなく討論と民衆の支持によって代議士が選ばれる議会制度を打ち立てようとしていたのである。

          (『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年、322~325頁)。

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このブログ記事を書き終えてテレビを見たところ、「特定秘密保護法」が自民党と公明党の賛成多数により可決されたとの報道がされていました。

「テロ」への対策などを目的に、これまでの国会での手続きを無視して強引に可決されたこの法律は、原発事故や基地問題などの重要な「情報」を国民に知らせることを妨げ、国民の「言論の自由」を奪うことになるでしょう。

一部の政治家と高級官僚によって秘密裏に進められることになるこの国の政治は、近隣諸国の疑心をも生んで、東南アジアに緊張関係を作り出すことにもなると思われます。

*   *   *

私たちに求められているのはこのような事態に絶望することなく、竜馬のような「大勇」をもって、盟友・桂小五郎をはじめ多くの日本の「民」によって受け継がれた真の「国民国家」の理念を粘り強く実現することでしょう。

それは「核兵器の拡散」が進む一方で、地震多発国でも原発建設が進んでいる現在の危険な世界のあり方をも変革することにつながると思えます。

 

(2016年2月10日。リンク先を追加)

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近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概(増補版)

16時過ぎに帰宅してパソコンを立ち上げたところ、「東京新聞」(ネット版)に下記の記事が掲載されていました。

「機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法案は5日午後の参院国家安全保障特別委員会で、自民、公明両党の賛成多数により可決された。(中略)

官僚機構による「情報隠し」や国民の「知る権利」侵害が懸念される法案をめぐる与野党攻防は緊迫度を増した。」

*   *   *

本日の「日刊 ゲンダイ」は古賀誠元自民党幹事長の発言を21面に掲載しています。

「石破幹事長の発言は与党トップとしてあってはならないことです」

秘密保護法は党内で阻止する勇気が必要」

「党内議論がない総裁独裁が一番怖い」

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これまでの短い審議をとおしても、「テロ」の対策を目的とうたったこの法案が、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」して、国民の「言論や表現の自由」を大幅に制限する可能性が強い性質のものであることが明らかになってきています。

現在の国会で圧倒的な議席を占める自民党や公明党の議員からも、これらの問題を指摘してさらなる慎重な審議を要求する声が出ても当然のように思えます。

しかし、すでに自民党は「総裁」の「独裁」が確立し、与党内でも「言論の自由」が早くもなくなっているように見えます。

*   *   *

司馬作品の愛読者であった安倍首相は、「国民作家 司馬遼太郎の謎」という特集で、「高杉晋作の生涯を生きいきと描いた『世に棲む日日』がもっとも好きですね」と語っていました(『ダカーポ』2005年、9月7日号)。

たしかに司馬氏はこの長編小説で、九州への留学をへて江戸で師・佐久間象山と出会って世界を己の眼で見ることの大切さを学び、当時の大罪を犯して二度の密航を試みて捕まり故郷で松下村塾を開くまでの言動の描写をとおして、若き吉田松陰の国際的な視野の広さと人間的なやさしさや高杉晋作の生涯を生き生きと描き出していました。

しかし、司馬氏がそこで強調したのは上海の状況を自分の眼で見ていた晋作は、「租借」という言葉の概念をよく理解できないながらも、「租借とはその上海になることかと直感し」、彦島という小さな島をも租借はさせないという独立の気概であり、革命戦争に勝利した後では「艱難ヲトモニスベク、富貴ヲトモニスベカラズ」と語って、勝利に驕った「奇兵隊」から身を引いた晋作の潔さでした。

そのような高杉晋作の生き方と比較すると、「特定秘密保護法」や「戦争法」さらに「共謀罪」など「立憲主義」を危うくするような法案を次々と強行採決する一方で、「森友学園」や「加計学園」では自分と「お仲間」の利益を重視して、証拠を隠している安倍首相の生き方では天と地の違いがあり、晋作から取ったという晋三という名前が泣いていると思えます。

産経新聞や「つくる会」などによって間違った解釈が広がってしまいましたが、司馬氏は「日本防長国」と称していた幕末の長州藩や土佐藩などの考察をとおして、現在の日本が直面している「憲法」の危機につながるような非常に重たい課題を示唆していたのです。

以下、高杉晋作の決断と独立の気概を見事に描いていると思われる箇所を引用しておきます。 『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年、243~247頁より、文章のつながりを示すために一部改訂しました)。

9784903174235-B-1-L

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「転換へ」という章の冒頭で司馬は、「われわれは日本人――ことにその奇妙さと聡明さとその情念――を知ろうとおもえば、幕末における長州藩をこまかく知ることが必要であろう」と書き、「日本史における長州藩の役割は、その大実験であったといっていい」と書いている(傍点引用者、二・「転換へ」)。

そして、(イギリスの留学から急遽、帰国して開国を説いたために)「変節」した「腰抜け降伏派」と見られていた井上聞多と伊藤俊輔が、「売国の奸物」を「攘夷の血祭り」にすると喚(わめ)く暗殺団に狙われていたことに注意を促した司馬は、「『売国』ということばが、日本においてその政敵に対して投げられる慣用語(フレーズ)としてできあがったのは、記録の上ではおそらくこのときが最初にちがいない」と書いていた(下線引用者、二・「暗殺剣」)。(中略)

「国際環境よりもむしろ国内環境の調整のほうが、日本人統御にとって必要であった」と分析した司馬は、「このことはその七十七年後、世界を相手の大戦争をはじめたときのそれとそっくりの情況であった」とし、さらに「これが政治的緊張期の日本人集団の自然律のようなものであるとすれば、今後もおこるであろう」という重たい予測をしているのである(二・「暗殺剣」)。

このことを想起するならば、このとき司馬が幕末の「日本防長国」と昭和初期の「別国」との類似性を強く意識していたことは確実だと思える。

(中略)

「英・仏・米・蘭という四カ国が十七隻の連合艦隊」を組んで長州に向かっているという情報が入ってきたのは、七月二二日のことであった。さらに、敵艦隊によって逆封鎖され、沿岸も「敵の陸戦隊の占領下」におかれた段階になって、ようやく「講和しかない」という決断を下した藩の上層部は、高杉晋作を「獄中からひきだして、『臨時家老』のような役目にしたててすでに焦土化しつつあるこの藩を救済させる」ことを決めたのである。

この時期の井上聞多と伊藤俊輔、さらに高杉晋作の三人を「政党とすれば、三人党とでもいうべき存在で、藩の上層部とも下層部とも政見を異にし、そのために生命まであぶなくなっており、うかうか人前にも出られない」と書いた司馬は、「『政治』という魔術的な、つまりこの人間をときに虐殺したり抹殺したり逆賊として排除したりする集団的生理機能のふしぎさとむずかしさを、この時期のかれらほど身にしみて知った者はないであろう」と続けていた(『世に棲む日日』二・「壇ノ浦」)。

そして、「数万という藩の下部層は、あくまでも、『藩の山河を灰にしても攘夷戦争をつらぬくべきである』という攘夷原理のもとに、ほとんど万人が万人、発狂同然の状態になって」おり、皮肉にも晋作がつくった奇兵隊の隊士はことにこの三人党を「姦徒」と見なしていたと描いた。

そのような状況下で晋作は、長州藩の筆頭家老である宍戸家(ししどけ)の養子刑馬という名前で、藩代表の降伏の正使として長烏帽子と陣羽織を着、二人の副使と通訳を務めることになった伊藤俊輔を従えて英国軍艦にのりこんだ。

この交渉を司馬は、晋作を「魔王のように傲然とかまえていた」と感じた英国側の通訳官アーネスト・サトーの目をとおして描いている。宍戸刑馬を名乗った晋作は、副使の手を通じて例の「日本防長国王」という名による「媾和書」というものをさしだした」が、そこには「外国艦船の下関海峡通過は以後さしつかえない」と記されていたものの、降伏するとは書かれていなかった(『世に棲む日日』三・「談判」)。

しかも、連合艦隊側からは「横浜から下関まで艦隊がやってくることに要した薪炭費(しんたんひ)、船の消耗についての費用、兵員の給料、八人の戦死者と三十人の戦傷者についての賠償、撃った砲弾」などの賠償金が要求された。これに対して、「朝廷と幕府の攘夷命令書」を前もって用意していた晋作は、「三百万ドルは、幕府が支払うべきものである」と主張しそれを認めさせてしまったのである 。

(中略)

二度目の会見で英国艦隊提督のクーパーは、賠償金の保障として「彦島を抵当として当方が租借したい」と提案したが、これにたいして上海の状況を自分の眼で見ていた晋作は、「租借」という言葉の概念をよく理解できないながらも、「租借とはその上海になることかと直感し」、彦島という小さな島をも租借はさせないという独立の気概を示していたのである。

*   *   *

こうして司馬氏は、『世に棲む日日』において外国との交渉についての「情報」国民から「隠蔽」し、さらに安政の大獄に際しては「言論の自由」を奪って幕末の志士を弾圧した大老・井伊直弼の政策を激しく批判して処刑された師・松陰の志を受け継いで高杉晋作が立ち上がったと描いていました。

先にも見たように、今回の「法案」には修正された後もまだまだ多くの問題が残っています。

『世に棲む日日』に描かれた高杉晋作を尊敬すると語った安倍首相には、党内から「変節」した「腰抜け妥協派」と見られようとも、海外からも強い批判の声が出ているこの「特定秘密保護法案」を、「国家」と「国民」のために廃案とし、次回の国会で慎重に審議することを決断すべきでしょう。 

(2016年2月10日。リンク先を追加。2017年8月4日、論旨を明確にするために一部改訂し、書影を追加)。

 

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「リレートーク 表現の自由が危ない!」を「新着情報」に掲載しました

「日本ペンクラブ×自由人権協会×情報公開クリアリングハウス」の共催で、「シンポジウム国家秘密と情報公開第3弾」としてリレートーク 表現の自由が危ない!」が12月6日に行われます。

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「特定秘密保護法案」に対する反対の機運がここにきて急速に盛り上がってきており、今朝の「東京新聞」朝刊ではノーベル賞受賞者を含む国内の著名学者らが結成した「特定秘密保護法案に反対する学者の会」は三日、法案の廃案を求める声明に賛同する学者が、呼び掛けから一週間で二千六人に達したと発表したことが掲載されています。

高畑勲、山田洋次の両監督ら五人が連名で、「映画を愛する皆さんが反対の声を上げてくださるよう、心から呼びかけます」との文章を作成し、「日本の映画監督や俳優ら二百六十九人が三日、特定秘密保護法案に反対するよう、映画人やファンに求める呼びかけ文を発表した」との記事も載っています。

また、「特定秘密保護法案に反対する医師と歯科医師の会」や、「特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会(略称:表現人の会)」も声を上げています。

*   *   *

このような国民の反対運動の高まりに対して、政府与党は聞く耳を持たないどころか、むしろこの「法案」の実態が一般のサラリーマンや若者に知られて批判が高まることを恐れるかのように、さらに急いで強行採決をする姿勢を見せています。

なぜこれほどに政府与党は採決を急がねばならないのでしょうか。

明治初期の「新聞紙条例」や「治安維持法」だけでなく、戦後の脱原発運動に対する水面下の弾圧と隠蔽工作を考慮するならば、「テロ」対策を口実にしたこの「法案」が目指しているのは、政府与党が国民の税金による莫大な予算をつぎこんで行ってきた原発問題の失態を「隠蔽」することも大きな目的の一つではないかとさえ思えます。

「権力者」に情報が集中するように作成されている今回の法案では、「国家秘密」だけでなく「与党」の腐敗も隠蔽できるような「与党秘密保護法案」の性格も持っているように感じます。

政府与党は国民の疑念と不安をきちんと解消したうえで、採決にのぞむべきでしょう。 

「『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』」を「書評・図書紹介」に掲載しました

 

文芸評論家・小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」についての考察を発表した際には、「テキストからの逃走」といういくぶん刺激的な題名を付けました。

その一番大きな理由は「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」と原作のテキストとは全く違う解釈をして、「自分の物語」を創作していたことによります。

もう一つの理由は、自らがナチズムの迫害にあった社会心理学者のエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』において、ヒトラーの考えと社会ダーウィニズムとの係わりに注目して、ヒトラーが「自然の法則」の名のもとに「権力欲を合理化しよう」とつとめていたことを指摘していたためです。

「神経症や権威主義やサディズム・マゾヒズムは人間性が開花されないときに起こる」としたフロムは、「これを倫理的な破綻だとした」(ウィキペディア)のですが、彼の説明は第一次世界大戦の後で経済的・精神的危機を迎えたドイツにおいて、なぜ独裁的な政治形態が現れたかを解明していると言えるでしょう。

このことに私が注目したのは、ドストエフスキーが『罪と罰』において行っていた主人公の「非凡人の理論」の批判が、「非凡民族の理論」の危険性をも示唆していたためです。

フロムが指摘した「自由からの逃走」という問題は、「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたプロシア的な国家観からいまだに脱却していないと思える現在の日本の政治状況にも重なっていると思えます。

(「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」参照)。

 

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化Ⅱ

今朝の「朝日新聞」(ネット版)は国連のピレイ人権高等弁務官が2日に行われたジュネーブでの記者会見で、「特定秘密保護法案」について「国内外で懸念があるなかで、成立を急ぐべきではない」と語った以下の記事を掲載しています。

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 ピレイ氏は同法案が「政府が不都合な情報を秘密として認定するものだ」としたうえで「日本国憲法や国際人権法で保障されている表現の自由や情報アクセス権への適切な保護措置」が必要だとの認識を示した。

同法案を巡っては、国連人権理事会が任命する人権に関する専門家も「秘密を特定する根拠が極めて広範囲であいまいだ」として深刻な懸念を示している。

*   *   *

 

参議院選挙の公約には掲げられておらず、「寝耳に水」のような「奇襲」ともいえる形で公表されたこの「法案」に対する国内の宗教界からの批判もようやく強まっています。

たとえば、「真宗大谷派(東本願寺)」や「日本カトリック正義と平和協議会」、プロテスタント諸派の「日本キリスト教協議会」などがすでにこの「法案」への強い危惧の念を表明しています。

このHPでは11月20日に国際ペン会長の「日本政府の「特定秘密保護法案」に対する声明」を載せた後、26日には「「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化」という題の記事を掲載していました。

なぜ「孤立化」という題名を付けたかの理由を記した箇所を再掲しておきます。

*   *   *

安倍政権は、アメリカからの「外圧」を理由にこの法案の強行採決をはかっているようですが、この法案が通った後ではそのアメリカからも強い批判が出て、国際社会から「特定秘密保護法」の廃止を求められるような事態も予想されます。

かつて「国際連盟」から「満州国」の不当性を指摘された日本政府は、国連から脱退をして孤立の道を選びました。「国際社会」から強く批判をされた際に孤立した安倍政権は、どのような道をえらぶのでしょうか。

この法案の廃止や慎重審議を求めている野党だけでなく、政権与党や自民党の代議士にも国際関係に詳しい人はいると思われますので、強行採決の中止を強く求めます。

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

「特定秘密保護法案」の「廃案」に向けた先日の呼びかけに非常に多くの方の閲覧があったばかりでなく、いくつかの学会からは真摯で誠実な対応がありました。深く感謝します。

むろん、学会という大きな組織にはさまざまな意見の人がいますし、私も比較文明学的な視点から生態学における「多様性」を重要視しています。

しかしその多様性ばかりでなく生命や民主主義の原則をも脅かすような「悪法」には、それぞれの場からきちんと反対の意見をのべることが必要だと考えています。

呼びかけの文章をもう一度、記しておきます。

*   *   *

「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」する性質が強く、「官僚の、官僚による、官僚と権力者のための法案」とでも名付けるべきものであることが明らかになってきています。

それゆえ私は、この法案は21世紀の日本を「明治憲法が発布される以前の状態に引き戻す」ものだと考えています。

*   *   *

ただ、ブログに掲載した後で、現在の官僚の実情を知らない者が書く文章にしては少し語調がきつかったかとも思いましたが、11月30日付けの朝日新聞のネット版には前中国大使・丹羽宇一郎氏の「秘密増殖、官僚の性」と題された記事が載っていました。それを読んで私の記述が間違ってはいなかったとほっとすると同時に、改めてこのような「悪法」を強行採決した現政権に対する怒りがわいてきました。

以下にその一部を引用しておきます。

「民主主義国家の日本で、こんなことが本当にまかり通るのか、と白昼夢をみる思いです。福島県の公聴会で、意見を述べた7人はみな慎重な審議を求めました。その翌日に衆議院で強行採決とは、茶番劇です。問題点を指摘する国民の声が、民主主義のプロセスが、無視されています。」

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司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』を書くのと同時に幕末の長州藩に焦点を当てて『世に棲む日日』を描き、そこで蘭学者・佐久間象山の元で学び国際的な視野を獲得していく若々しい松陰を描き出すとともに、「革命の第三世代」にあたる山県狂介(有朋)を、「革命集団に偶然まぎれこんだ権威と秩序の賛美者」と位置づけていました(第3巻、「ともし火」)。

ここでは拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』人文書館、2009年)より、第7章の「『幕藩官僚の体質』の復活」の節を引用しておきます。

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注目したいのは、『世に棲む日日』の第二巻で司馬が竜馬の親友で革命後の政界で巨頭となる桂小五郎が、「いまの政府にときめいている大官などはみな維新前後のどさくさに時流にのった者ばかりだ。かれらには維新の理想などがわからず、利権だけがある。」と痛烈に批判し、「こういう政府をつくるためにわれわれは癸丑以来粉骨したわけではない。死んだ同志が地下で泣いているに相違ない」と語ったと描いていたことである(二・「長州人」)。

 そして、長州藩の重役たちの官僚的な体質を分析した箇所で、一八五三年に来日して幕府の役人と交渉した経験から、幕府の「ヤクニン」を「責任回避の能力のみ」が発達していると厳しく批判したロシアの作家ゴンチャローフの考察を紹介した司馬は、「当時のヨーロッパの水準からいえば、帝政ロシアの官僚の精神は多分に日本の官僚に似ていた。」と書いていた(三・「ヤクニン」)。

 さらに司馬は、「この徳川の幕藩官僚の体質は、革命早々の明治期にはあまり遺伝せず」、「昭和期にはその遺伝体質が顕著になった。」と続けていたが、なぜそうなったかの理由については幕末を扱ったこの長編小説ではあまり考察していない(傍線引用者)。

 しかし、高杉から決起を呼びかけられた諸隊の隊長たちの会議で沈黙を守っていた山県について、「かれはいつの場合でも自分の意見を言わないか、言っても最小限にとどめるというやりかたをとっていた。」と指摘した司馬は、「山県のずるさ」と責任回避能力の高さを厳しく批判していた(三・「長府屯営」)。

 それゆえ『坂の上の雲』の第一巻において、司馬は旧長州奇兵隊士の出身であった山県にとって幸運だったのは、大村益次郎が「維新成立後ほどなく兇刃にたおれたこと」で、「『長の陸軍』は山県有朋のひとり舞台になった。」と書いているのである(一・「馬」)。そして司馬は、「山県に大きな才能があるとすれば、自己をつねに権力の場所から放さないということであり、このための遠謀深慮はかれの芸というべきものであった」とし、ことに「官僚統御がたれよりもうまかった。かれの活動範囲は、軍部だけでなくほとんど官界の各分野を覆った」と厳しい評価を記している。

 この記述に注意を払うならば、昭和初期に顕著になる、自分の意見は語らずに権威に追従することで保身をはかろうとする「幕藩官僚の体質」は、山県有朋によって復活されたと司馬が考えていたと言っても過言ではないだろう。(再掲に際しては、文章の簡単な改訂を行った)。

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「テロ」の対策を目的として掲げつつ、きちんとした議論もないままに衆議院で強行採決された「特定秘密保護法案」は、この 「幕藩官僚の体質」を平成において復活させることになるでしょう。

 

(2016年2月10日。リンク先を追加)

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司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

 「特定秘密保護法案」に関する少し以前の記事をネットで探していたところ2013年11月28日の「毎日新聞」地方版に「やっぱりやってくれましたね、安倍首相…」という題名の記事が載っていたことが分かりました。

 衆院での強行採決を取り上げたこの記事は、安倍首相が就任当時の所信表明で「数の力におごることなく国民の声に耳を傾けたい」と語っていたのは「偽りだったようです」と指摘し、「秘密法案の是非を論じる以前に、国民の大半は『なぜ成立を急ぐのか』という疑問が解けていない、と思います」と続けています。

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昨日のブログでは、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて石破茂幹事長が「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と自分のブログに記していたことに言及しました。

この石破茂幹事長の記述は「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と語っていた麻生副総理の発言を思い起こさせます。

毎日新聞の記事は、就任演説での所信表明を守らない安倍首相を批判していましたが、これらの発言に注目すると今回の強行採決は、「約束」を守るよりも自分の信じる「正義」を実行する勇気が大事であると安倍首相が考えているからではないかと思います。

なぜならば、安倍内閣の首脳たちの発言は、司馬遼太郎氏がその危険性を鋭く指摘していた「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとした明治期の国家観から今も脱却し得ていないことを示していると思われるからです。

それゆえ、このような安倍内閣によって提出された「特定秘密保護法案」に私は強い危機感を抱いており、今回の問題は単なる政治の問題ではなく、学問の根幹に関わる問題だと思っています。

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拙著『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』では、フロムの『自由からの逃走』にも言及しながら、ラスコーリニコフの「非凡人の理論」と第一次世界大戦後のドイツにおける「非凡民族の思想」との関連をも考察していました。

ドイツが福島第一原子力発電所の大事故の後で、国民的な議論と民衆の「英知」を結集して「脱原発」に踏み切れたのは、ドイツ帝国やヒトラーの第三帝国の負の側面をきちんと反省していたからでしょう。

 青年の頃に「神州無敵」などのスローガンに励まされて学徒出陣した司馬氏も、イデオロギーを「正義の体系」と呼んでその危険性に注意を促していました。

 しかも政治的な問題には極力関わらないような姿勢を保持しながらも司馬氏は、日本が「昭和初期の別国」のような状態になることは、なんとしても防ぎたいとの強い覚悟も記していたのです。

(「司馬遼太郎の洞察力――『罪と罰』と 『竜馬がゆく』の現代性」参照)

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次回は社会心理学者フロムの『自由からの逃走』の考察をとおして、『罪と罰』の現代的な意義を再考察したいと思います。それは現代の日本の政治が抱えている「権威主義的な価値観」の問題にも迫ることにもなるでしょう。

(2016年2月10日。リンク先を追加)

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見えてきた「政権担当者」の本音――幕末の言論弾圧と「特定秘密保護法案」

 

ここのところ自分の仕事をする時間がなく、焦っています。

しかし、衆議院で明治8年に成立した『新聞紙条例』(讒謗律)にも勝るような「悪法」と思われる「特定秘密保護法案」が強行採決されてから国会の会期末までの時間は、これからの国家の行く末をも左右することになります。

それゆえ、なんとか時間を捻出してブログ記事を書き続けることにします。

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今朝の新聞各紙は、自民党の石破茂幹事長が11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と記していたことを報じています。

これらの新聞記事が厳しく批判しているようにこれは本末転倒であり、彼らが自分の忙しい時間を割いてデモをしているのは、民主党政権を倒した後で現政権が打ち出した「特定秘密保護法案」が、軍事的な秘密だけでなく、沖縄問題などの外交的な秘密や原発問題の危険性、さらには権力者の不正をも隠蔽できるような性質を有していることが、次第に明確になってきているからです。

今回の石場幹事長の記述は、国際的ないくつもの機関が指摘していたように、政権の担当者が「政権を厳しく批判する言動」をも「テロ行為」とみなすようになることを端的に示しているでしょう。

ブログ記事「「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)で書いたことの一部を再掲することで、司馬遼太郎の研究者の視点からこの法案の危険性を再度、訴えたいと思います。

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「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(第3巻「分裂」)。

 そして司馬氏は、「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」と書いています(下線引用者、第5巻「明治八年・東京」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

司馬氏はここで「旧幕以上の厳格さ」と書いていますが、「国民」には秘密裏に外国との交渉を進めた幕府の大老井伊直弼は、幕末の志士からの批判を押さえるために大弾圧を行い、それが激しい討幕運動を呼び起こしたのです。

そのような井伊直弼の政策と比較することで、司馬氏は明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が西南戦争を引き起こす原因の一つになったことを示唆していたと思えます。

急に提出されて、きちんとした国民的な議論もないままに強行採決された「特定秘密保護法案」もこのような危険性をはらんでいます。

一昨日の当ブログでは研究者の方々に廃案を訴えましたが、戦争の悲惨さを知っている自民党の良識ある代議士や、平和を党是としてきた与党公明党の代議士にも、この法案が内在している危険性を認識して頂き、廃案にすることを強く訴えたいと思います。