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見えてきた「政権担当者」の本音――幕末の言論弾圧と「特定秘密保護法案」

見えてきた「政権担当者」の本音――幕末の言論弾圧と「特定秘密保護法案」

 

ここのところ自分の仕事をする時間がなく、焦っています。

しかし、衆議院で明治8年に成立した『新聞紙条例』(讒謗律)にも勝るような「悪法」と思われる「特定秘密保護法案」が強行採決されてから国会の会期末までの時間は、これからの国家の行く末をも左右することになります。

それゆえ、なんとか時間を捻出してブログ記事を書き続けることにします。

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今朝の新聞各紙は、自民党の石破茂幹事長が11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と記していたことを報じています。

これらの新聞記事が厳しく批判しているようにこれは本末転倒であり、彼らが自分の忙しい時間を割いてデモをしているのは、民主党政権を倒した後で現政権が打ち出した「特定秘密保護法案」が、軍事的な秘密だけでなく、沖縄問題などの外交的な秘密や原発問題の危険性、さらには権力者の不正をも隠蔽できるような性質を有していることが、次第に明確になってきているからです。

今回の石場幹事長の記述は、国際的ないくつもの機関が指摘していたように、政権の担当者が「政権を厳しく批判する言動」をも「テロ行為」とみなすようになることを端的に示しているでしょう。

ブログ記事「「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)で書いたことの一部を再掲することで、司馬遼太郎の研究者の視点からこの法案の危険性を再度、訴えたいと思います。

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「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(第3巻「分裂」)。

 そして司馬氏は、「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」と書いています(下線引用者、第5巻「明治八年・東京」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

司馬氏はここで「旧幕以上の厳格さ」と書いていますが、「国民」には秘密裏に外国との交渉を進めた幕府の大老井伊直弼は、幕末の志士からの批判を押さえるために大弾圧を行い、それが激しい討幕運動を呼び起こしたのです。

そのような井伊直弼の政策と比較することで、司馬氏は明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が西南戦争を引き起こす原因の一つになったことを示唆していたと思えます。

急に提出されて、きちんとした国民的な議論もないままに強行採決された「特定秘密保護法案」もこのような危険性をはらんでいます。

一昨日の当ブログでは研究者の方々に廃案を訴えましたが、戦争の悲惨さを知っている自民党の良識ある代議士や、平和を党是としてきた与党公明党の代議士にも、この法案が内在している危険性を認識して頂き、廃案にすることを強く訴えたいと思います。

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