高橋誠一郎 公式ホームページ

11月

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」

 

8月6日に書いたブログ記事消えた「時論公論」(?)で、8月2日(金)の深夜に原発汚染水危機 総力対応をとのタイトルで、汚染水への緊急の対策の必要性を訴えた解説委員・水野倫之氏の放送についての文字情報がインターネット上の「NHK解説委員室」に示されていないことを指摘していました。

本日、念のために確認したところ掲示されていました。素人の私以外にも多くの報道関係者がすでに知っていたようなので「復活」したのでしょう。重要な情報なのでリンクしておきます。時論公論 「原発汚染水危機へ総力対応を」2013年08月02日 (金)

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「汚染水問題」が深刻化していたことも参議院選挙で自民党が大勝した後で公になっていましたが、情報の正確さはもちろんのこと、その情報が出される時期も非常に重要です。ことに「公共放送」であるべきNHKが伝える情報の質は重大なので、その時の記事をそのまま再掲しておきます。

なぜならば、「『原発ホワイトアウト』(講談社)を推す」というブログ記事でも書きましたが、このような国民の生命に関わる重要な情報を知ろうとしたり伝えようとすることさえも、今回のずさんな「特定秘密保護法」では罪に問われる危険性が出てくると思われるからです。

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「映画・演劇評」に書いた「劇《石棺》から映画《夢》へ」という記事にも書いたことですが、「ロシア帝国」の厳しい検閲のもとに作品を書いていた作家ドストエフスキーの研究をしているので、「検閲」のことにどうしても敏感になります。

汚染水の危機と黒澤映画《夢》」と題した8月4日のブログ記事で、8月2日(金)の深夜午前0時から10分間、「原発汚染水危機 総力対応を」とのタイトルで、汚染水への緊急の対策の必要性を訴えた解説委員・水野倫之氏の放送の内容をお伝えしました。

ただ、その時点ではまだ詳しい文字情報が出ていなかったので、(副題などについては、後日確認します)と記していました。

ブログを書いた8月4日の時点では土日を挟んでいるので、まだ記事が掲載されないのだと考えていたのですが、その後、インターネット上の「NHK解説委員室」にある「最新の解説」欄や「最新の解説30本」という欄を見ても、記事が見つからないので気になっています。

8月1日付けの時論公論 「日韓関係に司法の壁」出石直・解説委員)の次に出てくるはずの水野氏の解説記事がなく、

8月3日付けの時論公論 「”夢の降圧剤”問われる臨床研究」(土屋敏之・解説委員)へと飛んでいるのです。

なぜなのでしょうか。私のホームページ上の問題で、私だけが検索ができないのならばよいのですが…。

「国民の生命」にも関わる問題への勇気ある解説だったので、ぜひ再放送をしていただきたいと願っています。

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 私がHNHKというテレビ局の姿勢に強い疑問を持つようになった理由については、近いうちに「改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》をめぐって」(仮題)という記事を書きたいと考えています。

「映画《野良犬》と『罪と罰』」を「映画・演劇評」に掲載誌ました

 

先日、『黒澤明研究会誌』第30号が届きました。

「白熱教室」と題して行われた映画《野良犬》についての討議の記録を中心に、本号にも様々な視点からの充実した内容の論考が満載されていますが、「巻頭言」から「編集後記」にいたるまでどの記述からも黒澤明監督に対する深い敬愛の念が感じられました。

私自身は、現在執筆中の『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を読み解く』の核となる論文の一つ「科学者(知識人)の傲慢と民衆の英知――映画《生きものの記録》と長編小説『死の家の記録』」と、エッセーを投稿しています。

ここでは「復員兵と狂犬」と題した「映画《野良犬》と『罪と罰』」論を「映画・演劇評」に掲載しました。

司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代

「第五福竜丸」事件から60年目にあたる来年の3月には発行したいと考えている『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を読み解く』の執筆がここのところ遅れがちなので、しばらくは「特定秘密保護法」についての記述は控えるようにしようかと考えていました。

しかし、今朝の「東京新聞」には、修正案の「国会」での討議もほとんどないままに、与党がこの法案の衆議院での通過を考えているとの記事が載っていました。このことは民主主義の根幹である「国会」をないがしろにしてでも、政府・与党が権力を絶対化することのできるこの法案の成立を狙っていることを物語っていると思います。

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「ブログ」に書いた〈司馬遼太郎の「治安維持法」観〉と〈「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)〉 を読んだ知人の方から下記のようなメールを頂きました。

「確かに新聞紙条例なんていう悪法もありましたね。
21世紀にもなるというのに、秘密保護法の次には新聞紙条例、なんていうことになるのでしょうか。
言論の自由があるうちに、きちんと発言しておかなければ、気がついたらなんの自由もなくなっていた、ということになってしまうかもしれません。」

実際、現在の政府・与党のやり方からは、まずは国民の「言論の自由」を制限し、その後で「改憲」を行おうとする意図が前面に出てきていると思えます。

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司馬氏の歴史観については、これまでも矮小化された形で論じられることが多かったのですが、『坂の上の雲』が3年間にわたり、司馬氏の遺志に反して放映されたこともあり、きわめて評判が悪くなっています。

しかし、前記の「ブログ」記事などでも引用したように、司馬氏が『翔ぶが如く』で詳細に記した「新聞紙条例」(讒謗律)や内務省についての考察からは、幕末から現代の状況をも予見するような視野の広さが感じられます。

「言論の自由」を奪われる前に、「記事」のようなまとまったものにはならない場合もありますが、時間の合間を縫って考えたことや感じたことや少しずつでも掲載することで、司馬作品の多くの愛読者にも「特定秘密保護法」の危険性を伝えていきたいと考えています。

 (2016年2月10日。改題し、リンク先を追加。2016年11月1日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機

正岡子規の時代と現代(2)――「特定秘密保護法」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

 

「特定秘密保護法案」に対する国際ペン会長の声明を「新着情報」に掲載

 

日本政府が提出した「特定秘密保護法案」が軍事や外交の問題点を隠すことになるだけでなく、政治家や官僚の腐敗の問題点をも隠蔽する危険性があることは、国内の報道陣や諸機関から強く指摘されていました。

国外からも国際ペン会長の声明が届きましたので、「新着情報」に掲載しました。

日本政府の「特定秘密保護法案」に対する声明

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私が研究の対象としているドストエフスキーは、「言論の自由」の価値をよく知っていましたが、、それは厳しい検閲制度が敷かれると、国民が萎縮して考えている事を正直に語れなくなってしまうことを深く認識していたからです。

提出した法案が正しいと胸をはれるならば、政府と与党は法案の通過を急ぐことなく、国民に開かれた形で堂々と議論した後で、この法案を通すべきでしょう。

日本ペンクラブも10月25日に「特定秘密保護法案の閣議決定に強く抗議する」との声明を出していましたので、再掲しておきます。

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本日、政府は特定秘密保護法案を閣議決定した。日本ペンクラブはこの決定に対し、深い憤りを込めて抗議する。

 私たちはこの法案について、

1.「特定秘密」に指定できる情報の範囲が過度に広範であること

2. 市民の知る権利、取材・報道・調査・研究の自由が侵害されること

3. 行政情報の情報公開の流れに逆行すること

4.「適性評価制度」がプライバシー侵害であること

5. このような法律を新たに作る理由(立法事実)がないこと

等を指摘し、繰り返し反対を表明してきたところである。

 

これらは、私たちにとどまらず、広く法曹、アカデミズム、マスメディア等の団体からも明確に指摘され、また過日募集されたパブリック・コメントの大多数においても、懸念されてきた点である。

 政府が、こうした指摘に真摯に答えることなく、今回の決定に至ったことに対し、私たちは厳しく反省を迫りたい。

 今後、国会がこの法案を審議することになるが、私たちは議員諸氏に対し、上に指摘したような法案の問題点を慎重に考慮し、「特定秘密保護法案」を廃案に追い込むよう強く期待する。

 

20131025

一般社団法人日本ペンクラブ

会長 浅田次郎

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(2017年6月6日、リンク先を追加)

 

『原発ホワイトアウト』(講談社)を推す

 

知人からの強い勧めで「現役キャリア官僚」が書いたとされる『原発ホワイトアウト』(講談社)を購入した。

サスペンス・タッチで原発産業と政官との癒着の構造に迫る内容で、強い説得力とエンターテイメント性もあり、一気に最後まで読み終えた。

11月15日の「東京新聞」に載った広告では、「大反響 10万部突破」の文字が大きく躍っていたが、読み終えた後では現在の日本が抱えている危険性を再確認させられて、しばらく席を立てなかった。

国民的な議論もなく進められている原発の輸出や再稼働の問題をもう一度考えるよい機会に本書はなるだろう。

詳しい内容を記すのは控えたいが、サスペンス感を高めるために本書ではテロリズムの視点から原発の危険性が指摘されている。

日本という国土が地殻変動の結果として形成され、その後も強い地震活動が続いている自然環境を考慮するならば、一刻も早く「脱原発」に踏み切ることが、長い目で見た場合、「国民の生命」だけではなく「経済的な利益」にも叶っていると思われる。

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「現役キャリア官僚」による「リアル告発ノベル」とのうたい文句も売り上げには貢献していると思われる。

しかし、問題はきちんとした国民的な議論もなく「特定秘密現保護法案」の審議が進んでいる現在、この法律がとおると著者の「現役キャリア官僚」も、「国家機密の暴露」の罪に問われて10年間の刑罰を受ける危険性さえあると思われることである。

 『竜馬がゆく』で「維新政府はなお革命直後の独裁政体のまま」であったと書いた司馬氏は、ことに「言論の自由」を封殺した「新聞紙条例」を厳しく批判していたが、政権についた権力者は自分たちが「国策」として進める政策の欠点を正確に批判する官僚や報道関係者をも、このような法律によって厳しく罰してきたのである。

本書は「原発」の問題だけでなく、「情報」の問題についても考えさせられるような知的刺激に富む本である。

「詩人プレシチェーエフとチェーホフ」の考察を「主な研究活動」に掲載しました

 

来る11月23日に「ドストエーフスキイの会」の例会で、著名なチェーホフ研究者の中本信幸氏による「チェーホフとドストエフスキー」という発表があります。(「ドストエーフスキイの会、第218回例会報告要旨のお知らせ」参照)。

「チェーホフとドストエフスキー」というテーマでの発表は最近なされていなかったのですが、『死の家の記録』との関係も深いのではないかと私が感じていたチェーホフの『サハリン島』にも言及されるとのことで、今からたいへん楽しみにしています。

なぜならば、ドストエフスキーは「農奴解放」や「言論の自由」を求めたためにシベリアに流刑されることになったのですが、その頃にきわめて親しかった詩人のプレシチェーエフが、劇作家オストロフスキーからチェーホフへの橋渡しをもしていたと思われるからです.

 

「ムィシキンの観察力とシナリオ『肖像』」を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

3月に行われた「ドストエーフスキイの会」の第214回例会で私は、「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」という小林秀雄の解釈を中心に「テキストからの逃走」と題して小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」を考察しました。発表後の質疑応答の際には「Ⅰ」だけでなく、「『白痴』についてⅡ」にもふれた方が分かり易かったとの感想も頂きました。

 また、『ドストエーフスキイ広場』の第22号には、「『見る』という行為――ムイシュキン公爵とアデライーダ」と題された川崎浹氏の論考が掲載されており、この号の合評会では木下豊房氏が「ドストエフスキーのリアリズムの深さ、独自性」という視点から川崎氏の論考を高く評価しています。

 これら二つの点は小林秀雄と黒澤明監督のムィシキン観とも深く関わっていると思われるので、「ムィシキンの観察力とシナリオ『肖像』」を「主な研究(活動)」に掲載しました。

司馬遼太郎の「治安維持法」観

現在、審議されている「特定秘密保護法案」の危険性について指摘した昨日のブログ記事では、司馬遼太郎氏の長編小説『翔ぶが如く』に言及しながら、「この明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が、共産主義だけでなく宗教団体や自由主義などあらゆる政府批判を弾圧の対象とした昭和16年の治安維持法のさきがけとなったことは明らかだと思えます」と記しました〈「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)〉。

このように断定的に書いたのは、『翔ぶが如く』で『新聞紙条例』(讒謗律)を取り上げていた司馬氏が、『ひとびとの跫音』では大正14年に制定された最初の「治安維持法」について次のように厳しく規定していたからです。

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国家そのものが「投網、かすみ網、建網、大謀網のようになっていた」。

「人間が、鳥かけもののように人間に仕掛けられてとらえられるというのは、未開の闇のようなぶきみさとおかしみがある」。

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いわゆる「司馬史観」論争が起きた際には司馬氏の歴史観に対しては、「『明るい明治』と『暗い昭和』という単純な二項対立史観」であり、「大正史」を欠落させているとの厳しい批判もありました。

しかし、『ひとびとの跫音』において司馬氏は、子規の死後養子である正岡忠三郎など大正時代に青春を過ごした人々を主人公として、「言論の自由」を奪われて日中戦争から太平洋戦争へと続く苦難の時期を過ごした彼らの行動と苦悩、その原因をも淡々と描き出していたのです、

司馬氏はこの長編小説で「学校教練」にも触れていますが、治安維持法と同じ年に全国の高校や大学で軍事教練が行われるようになったことに注意を促した立花隆氏の考察は、この法律が「革命家」や民主主義者だけではなく、「軍国主義」の批判者たちの取り締まりをも企てていたことを明らかにしているでしょう(『天皇と東大――大日本帝国の生と死』下巻、文藝春秋、2006年、41~51頁)。

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日本の自然を破壊する原発の推進や核兵器の拡散にもつながると思える原発の輸出にも積極的なだけではなく、安倍政権が「徴兵制」への視野に入れて準備を進めているように見える現在、国民の眼から国家の行動を隠蔽できるような危険な「特定秘密保護法案」の廃案に向けて、司馬作品の愛読者は声を上げるべきだと思います。

 正岡子規の時代と現代(2)――「特定秘密保護法」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

(2016年11月1日、リンク先を変更) 

「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(『翔ぶが如く』、第3巻「分裂」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

福島第一原子力発電所の事故後に起きた汚染水や燃料棒取り出しの問題の危険性が高まっているので、急遽、執筆中の著作を先送りして黒澤明監督の映画《夢》や《生きものの記録》をとおして、「第五福竜丸」事件や原発の問題を考察する著作を書き進めています。

しかし、民主党政権を倒した後で現政権が打ち出した「特定秘密保護法案」が、軍事的な秘密だけでなく、沖縄問題などの外交的な秘密や原発問題の危険性をも隠蔽できるような性質を有していることが、次第に明確になってきています。

この法律については10月31日付けのブログ記事「司馬遼太郎の洞察力――『罪と罰』と 『竜馬がゆく』の現代性」でも触れましたが、衆議院通過の期限が迫ってきているので、司馬作品の研究者という視点から、倒幕後の日本の状況と比較しつつ、この法律の問題点をもう一度考えてみたいと思います。

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国民に秘密裏に外国との交渉を進めた幕府を倒幕寸前までに追い詰めつつも、坂本龍馬が「大政奉還」の案を出した理由について、政権が変わっても今度は薩長が結んで別の独裁政権を樹立したのでは、革命を行った意味が失われると、『竜馬がゆく』において龍馬に語らせていた司馬氏は。明治初期の薩長政権を藩閥独裁政権と呼んでいました。

実際、長編小説『歳月』(初出時の題名は『英雄たちの神話』)では佐賀の乱を起こして斬首されることになる江藤新平を主人公としていましたが、井上馨や山県有朋など長州閥の大官による汚職は、江藤たちの激しい怒りを呼んで西南戦争へと至るきっかけとなったのです。

そのような中、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通は、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立しようと」しました(第1巻「征韓論」)。

一方、政府の強権的な政策を批判して森有礼や福沢諭吉などによって創刊された『明六雑誌』は、「明治七年以来、毎月二回か三回発行されたが、初年度は毎号平均三千二百五部売れたという。明治初年の読書人口からいえば、驚異的な売れゆきといっていい。しかしながら、宮崎八郎が上京した明治八年夏には、この雑誌は早くも危機に在った」(第5巻「明治八年・東京」)。

なぜならば、「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」のです。

私は法律の専門家ではありませんが、この明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が、共産主義だけでなく宗教団体や自由主義などあらゆる政府批判を弾圧の対象とした昭和16年の治安維持法のさきがけとなったことは明らかだと思えます。

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『坂の上の雲』をとおしてナショナリズムの問題や近代兵器の悲惨さを描いた司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていました(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』)。

同じことは原発問題についてもいえるでしょう。近年中に巨大な地震に襲われることが分かっている日本では、本来、原発というものを建ててはいけないのだという「平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが必要でしょう。

発行は春になると思いますが、執筆中の拙著『司馬遼太郎の視線(まなざし)ーー「坂の上の雲」と子規と』(仮題、人文書館)では、文学者・新聞記者としての正岡子規に焦点を当てて、『坂の上の雲』を読み解いています。

戦争自体は体験しなかったものの病気を押して従軍記者となり、現地を自分の体と眼で体感した子規が、『歌よみに与ふる書』で「歌は事実をよまなければならない」と記したことは、『三四郎』を書くことになる親友の夏目漱石の文明観にも強い影響を与えただろうと考えています。

さらに、何度も発行禁止の厳しい処罰を受けながらも、新聞『日本』の発行を続けた陸羯南や正岡子規など明治人の気概からは勇気を受け取りましたので、なんとか平成の人々にもそれを伝えたいと考えています。

正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機

(2016年11月1日、リンク先を追加)

「著書・共著」の『この国のあした』の紹介にも、索引(事項、作品名、人名)と訂正を付けました

 

「著書・共著」の『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』に掲載した事項索引に続いて、『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』の紹介のページにも、索引(事項、作品名、人名)と訂正を付けました。

 

移動のお知らせ(2014年10月13日)

『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』の索引(事項、作品名、人名)を「索引」のページに移動しました。

 リンク先 

『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(事項索引)

『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(書名索引)

『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(人名索引)

               

        

なお、『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』の事項索引はカテゴリーごとに分類しましたので、司馬氏の広い歴史観の一端がより明白になったと思います。

戦争のカテゴリーは項目が多いので、ここでは憲法と法律の場合を例に挙げておきます。

 

憲法

オランダ~  33

恩寵の~ 178,180

恢復の~  178

帝国~ 66,67

明治~ 13,172,180,181

フィンランド~ 74,81

平和~ 13,180,181,182

ポーランド~  74

ワイマール~ 108

 

法制度  8

裁判  90,114

犯罪  4,114,115,180

賊子(乱臣)  79,80,174,181

不敬  78,79

大逆 90

刑罰  79,90

刑死  44

拷問  43,44,45

死刑  90

切腹  52

自然法  68

法律  8,42,90,163

讒謗律  8,60,62

新聞紙条例  8,60

断髪令  61,72

治安維持法  173

徴兵令  60

メディア規制法 8

保安条例  8

有事法 8