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01月

〈忍び寄る「国家神道」の足音〉関連記事一覧

本ブログの記事では、「大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官」の二人にたいして勲一等「旭日大綬章」を贈った安倍政権が行う「改憲」方針の裏に隠されている「復古」の姿勢の危険性を指摘していました。

*   *   *

忍び寄る「国家神道」の足音〉を特集した今日の「東京新聞」朝刊は「こちら特報部」でこう記しています。

「安倍首相は二十二日の施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した。夏の参院選も当然、意識していたはずだ。そうした首相の改憲モードに呼応するように今年、初詣でにぎわう神社の多くに改憲の署名用紙が置かれていた。包括する神社本庁は、いわば「安倍応援団」の中核だ。戦前、神社が担った国家神道は敗戦により解体された。しかし、ここに来て復活を期す空気が強まっている。」

そして、記事は次のように結ばれています。

「神道が再び国家と結びつけば、戦前のように政治の道具として、国民を戦争に動員するスローガンとして使われるだろう。」

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宗教学者の島薗進氏の今日のツィッターでも、【疑わしい20条改正案 政教分離の意義再認識を】という題の「中外日報」(宗教・文化の新聞)の12/18社説が紹介され、その理由が記されていました。

http://www.chugainippoh.co.jp/editorial/2015/1218.html …

〈明治維新は「祭政一致」を掲げ、やがて「万世一系の天皇をいただく国体」の教説と一体のものとなった。これを抑えられず、立憲政治と良心の自由を掘り崩した〉。

 

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「アベノミクス」の詐欺性(3)――公的年金運用の「ハイリスク」の隠蔽

2014年11月25日に書いた「株価と年金」というブログ記事では、安倍内閣が価対策として、「127兆円規模の公的年金を運用する世界最大級の機関投資家である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」に、「年金の運用額を引き上げるという改革案」を打ち出させたことに対しては、当初から厳しい批判があったことを紹介していました。

すなわち、松井克明氏は「GPIF改革が年金を破壊? 巨額損失の危険も 株価対策に年金を利用という愚策」という題名の記事(『Business Journal』7月2日)を、前GPIF運用委員の小幡績慶氏は「寄稿 GPIF改革四つの誤り 政治介入で運用は崩壊する」という記事(「週刊ダイヤモンド」ダイヤモンド社/6月21日号)を書いていたのです。

こうして、「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、年金の運用額を引き上げるという改革案を打ち出したこと」に対しては、当初から経済学者から強い批判が出ていました。

しかし、これに対して安倍政権は何らの対策もとらず、国民への説明もしていなかったのですが、2016年1月19日付け「日刊ゲンダイ」(デジタル版)は、6日連続で下落した日経平均株価の異常事態を受けて、16日のTBS「報道特集」でGPIFの損失リスクに対する感想を問われた「アベノミクスの“生みの親”とされる浜田宏一・米エール大名誉教授」が、〈損をするんですよと(国民に)言っておけと、僕はいろんな人に言いました〉が、〈でも(政府側は)それはとてもおっかなくて、そういうことは言えないと〉と語っていたと報じて、次のように結んでいます(朱色は引用者)

〈浜田教授が「ハイリスク・ハイリターン」について国民に説明しろ、と指摘していたにもかかわらず、安倍政権は頬かむりしたワケだ。…中略…国民を愚弄するにもホドがある。〉

*   *   *

「株価と年金」というブログ記事では、〈昔から「素人は相場には手を出すな」という格言がありますが、株の素人の私から見ると現政権全体が「相場師」化している〉ように感じますと批判しました。

それから一年以上が過ぎた現在、状況は一層厳しくなっているように見えます。

安倍首相はこのような事態をむかえても「改憲」に前のめりのようですが、道義的に最初にしなければならないのは、自民党が抱え込んでいる疑惑のある議員の問題や、「ハイリスク」についての説明を果たしてこなかった自分の責任を明らかにすることでしょう。

ことに、「国民の生命や財産」にも深く関わるマイナンバー制度やTPP交渉の責任者である甘利明・内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に、金銭授受の疑惑が浮かんできたことは経済界との癒着が目立つ安倍内閣の体質を物語っており、安倍首相は任命責任を取って一刻も早くに退陣すべきだと思われます。

(2016年1月22日。青字の箇所を訂正、追加。副題を変更)

 

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「アベノミクス」の詐欺性(2)――TPP秘密交渉と「公約」の破棄

「自主憲法を日本人の手で作り上げなければいけない」」として、「改憲」を目指す安倍自民党が昨年提出した「戦争法」が、日本政府に軍国化を迫った「第3次アーミテージ・リポート」の内容ときわめて近いものであったことが国会の質疑応答で明らかになりました。

同じように安倍政権はアベノミクスの一環として、それまでの自民党の「公約」に反してTPP秘密交渉への参加も決めていましたが、これも「日本の原発再稼働やTPP参加、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃」を求めた「第3次アーミテージ・リポート」の要求に沿うものであったことも明らかになっています。

アメリカの要求に従って、一部の大企業と軍需産業の利益にはなるが、大多数の「日本国民」には犠牲を強いる安倍政治は、ドイツの作家シラーなどが戯曲『ウィリアム・テル』(ヴィルヘルム・テル)で描いた14世紀の悪代官ヘルマン・ゲスラーの暴政に似ていると思われます。

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(アルトドルフのマルクト広場にあるウィリアム・テル記念碑。写真は「ウィキペディア」より)

経済学に関しては素人ですが、素人でも分かるような「TPP」の危険な点を以下に記した後で、最後に正岡子規が編集主任をしていた新聞『小日本』における「秘密主義」批判の記事を再掲しておきます。

明治に書かれたこの記事は、「秘密主義」を貫く一方で、報道機関への圧力を強めている安倍政権と「薩長藩閥政府」との類似性を示唆していると思えるからです。

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TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の秘密交渉の結果が一部、明らかになりましたが、やはり農業や牧畜などに限っただけでも大幅な譲歩を強いられていたことが明らかになりました。

「東京新聞」の記事によれば、この結果を受けてようやく民主党が中間報告案で「国益守れず」と明記し、TPPへの政府承認案に反対する方向を示したとのことです。

これに対して与党からは「選挙目当てで方針を変えるのか」などの批判が出ているようですが、原発の危険性に気づいた小泉元首相が脱原発に転換したように、その政策の間違いに気づいた時にはすばやく対応することが重要でしょう。

ことに、これから世界的な食糧危機が予想される中で、国民の生命や健康に深くかかわる「食料自給率」の低下は、「国家の安全保障」をも脅かすと思えるからです。

*   *   *

これまでは外国からの圧力により「規制緩和」が、あたかも絶対的な正義のように見られていましたが。最近起きた痛ましいバス事故の遠因は、バス事業への参加への「規制緩和」にあったことが指摘されています。

現状でのTPPへの政府承認案は農業の衰退をまねくばかりでなく、「食品添加物・遺伝子組み換え食品・残留農薬などの規制緩和」により、食の安全を脅かし、「医療保険の自由化・混合診療の解禁により、国保制度の圧迫や医療格差が広がりかねない」危険性があるのです。

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)では、自由貿易が謳われていますが、その反面、著作権の大幅な延長に見られるように、「規制強化」の側面も強く持っているようです。

ことに「ISDS条項(ISD条項)」は、「当該企業・投資家が損失・不利益を被った場合、国内法を無視して世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターに提訴することが可能」としています。この条項は、グロ-バル産業には有利でも、国内産業には不利益であり、日本の独自性をも損なう危険性があるように思われます。

また、「一度自由化・規制緩和された条件は当該国の不都合・不利益に関わらず取り消すことができない」という21世紀の規定とは思えない不思議なラチェット規定を、安倍政権が一方的に認めてしまったことにも問題があるでしょう。

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明治27年4月29日に子規が編集主任を務めていた新聞『小日本』は第一面に掲載された「政府党の常語」という題名の記事で、「感情」、「譲歩」、「文明」、「秘密」などの用語を取り上げていました。

ことに「藩閥政府」の問題点を鋭く衝いた「秘密」は、原発事故のその後の状況や、国民の健康や生命に深く関わるTPPの問題など多くが隠されている現代の「政府党の常語」を批判していると思えるほどの新鮮さと大胆さを持っているように思えます。以前のブログ記事でも引用しましたが、再び全文を引用しておきます。

秘密秘密何でも秘密、殊には『外交秘密』とやらが当局無二の好物なり、如何にも外交政策に於ては時に秘密を要せざるに非ず、去れどそは攻守同盟とか、和戦談判とかいふ場合に於て必要のみ、普通一般の通商条約、其条約の改正などに何の秘密かこれあらん、斯かる条項は成るべく予め国民一般に知らしめて世論の在る所を傾聴し、国家に民人に及ぼす利害得喪を深察するこそ当然なれ、去るに是れをも外交秘密てふ言葉の裏に推込(おしこ)めて国民の耳目に触れしめず、斯かる手段こそ当局の尊崇する文明の本国欧米にては専制的野蛮政策とは申すなれ、去れど此一事だけは終始(しじう)一貫して中々厳重に把持せらるゝ当局の心中きたなし卑し」(青字は引用者)。

 

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「アベノミクス」の詐欺性(1)――「トリクルダウン」理論の破綻

〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――「欧化と国粋」のねじれの危険性〉と題した1月16日のブログ記事では、〈次回からは少し視点をかえて、1902年にはイギリスを「文明国」として「日英同盟」を結んだ日本が、なぜそれから40年後には、「米英」を「鬼畜」と罵りつつ戦争に突入したのかを考えることで、安倍政権の危険性を掘り下げることにします〉と書いていました。

しかし、「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」を連呼して「国民」を悲惨な戦争へと導いた、かつての東条英機内閣のように「大言壮語」的なスローガンの一つである「アベノミクス」のという経済方針の詐欺的な手法が明らかになってきました。それゆえ、〈日本が、なぜそれから40年後には、「米英」を「鬼畜」と罵りつつ戦争に突入したのか〉という問題は宿題として、しばらくは「アベノミクス」の問題を考えることにします。

*   *   *

今回、取り上げる「トリクルダウン(trickle-down)」理論とは「ウィキペディア」によれば、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)する」という経済理論で、「新自由主義の代表的な主張の一つ」であるとのことです。

「アベノミクス」という経済政策については、経済学者ではないので発言を控えていましたが、ドストエフスキーは1866年に書いた長編小説『罪と罰』で、利己的な中年の弁護士ルージンにこれに似た経済理論を語らせることで、この弁護士の詐欺師的な性格を暴露していました。

リンク→「アベノミクス」とルージンの経済理論

一方、敗戦後の一九四六年に戦前の発言について問い質されて、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない」と語り、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と居直っていた小林秀雄は、意外なことに重要な登場人物であるルージンについては、『罪と罰』論でほとんど言及していないのです(下線は引用者)。

このことは「僕は無智だから反省なぞしない」と啖呵を切ることで戦争犯罪の問題を「黙過」していた小林が、「道義心」の視点から「原子力エネルギー」の問題点を一度は厳しく指摘しながらも、原発の推進が「国策」となるとその危険性を「黙過」するようになったことをも説明しているでしょう。

より大きな問題は、自民党の教育政策により小林氏の著作が教科書や試験問題でも採り上げられることにより、「僕は無智だから反省なぞしない」という道徳観が広まったことで、自分の発言に責任を持たなくともよいと考える政治家が議会で多数を占めるようになったと思えることです。

そのことは国民の生命や安全に直結する昨年の「戦争法案」の審議に際しての安倍晋三氏の答弁に顕著でしたが、今年も年頭早々に「トリクルダウン」理論の推進者から驚くべき発言が出ていたようです。

*   *   *

2016年1月4日 付けの「日刊ゲンダイ」(デジタル版)は、〈「トリクルダウンあり得ない」竹中氏が手のひら返しのア然〉との見出しで、これまで「トリクルダウンの旗振り役を担ってきた」元総務相の竹中平蔵・慶応大教授が、テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」で、〈アベノミクスの“キモ”であるトリクルダウンの効果が出ていない状況に対して、「滴り落ちてくるなんてないですよ。あり得ないですよ」と平然と言い放った〉ことを伝えているのです(朱色は引用者)。

そして記事は、経済学博士の鎌倉孝夫・埼玉大名誉教授の次のような批判を紹介しています。

「以前から指摘している通り、トリクルダウンは幻想であり、資本は儲かる方向にしか進まない。竹中氏はそれを今になって、ズバリ突いただけ。つまり、安倍政権のブレーンが、これまで国民をゴマカし続けてきたことを認めたのも同然です」

つまり、安倍政権全体が『罪と罰』で描かれていた中年の弁護士ルージンと同じような詐欺師的な性格を持っていることが次第に明らかになってきているのです。

国民が自分たちの生命や財産を守るためには、「戦争法」を廃止に追い込み、一刻も早くにこの内閣を退陣させることが必要でしょう。

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司馬作品の読者として「宜野湾デモクラシー」を支援

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いよいよ今年、最初の選挙が宜野湾市で行われます。

1974年に連載した『沖縄・先島への道』(『街道をゆく』第6巻)の冒頭近くにおいて作家の司馬遼太郎氏は、「住民のほとんどが家をうしない、約一五万人の県民が死んだ」太平洋戦争時の沖縄戦にふれて、「沖縄について物を考えるとき、つねにこのことに至ると、自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲って」くると書いています。

一方、 このブログで記してきたように安倍政権は、軍拡によって国力を伸ばそうとし、「国民」には服従を強いた山県有朋的な「国家」観を強く受け継いでおり、いまのままでは日本の各地が第二、第三の沖縄や「フクシマ」となる危険性がきわめて高いと思われます。

「環境権」や「地方分権」を積極的に進めるためにも、今回の選挙では司馬作品の愛読者として「宜野湾デモクラシー」に遠く関東から支援の意を送ります。

リンク→安倍政権による新たな「琉球処分」と司馬遼太郎の沖縄観

「司馬遼太郎の戦争観」を「主な研究」に掲載 

リンク→司馬遼太郎の戦争観――『竜馬がゆく』から『菜の花の沖』へ

8月14日の安倍談話は日英の軍事同盟によって勝利した日露戦争の意義を強調することで故郷の先輩政治家・山県有朋の政治姿勢を評価した安倍氏は、国会でも十分な審議を行わずに戦争への参加を可能とする「安全保障関連法案」を「強行採決」して、祖父の岸信介氏と同じように軍拡路線を明確にしました。

一方、きわだった個性を持った吉田松陰とその弟子高杉晋作の悲劇的な生涯を生き生きと描いた長編小説『世に棲む日日』(1969~70年)で、「革命は三代で成立するのかもしれない」と分類した司馬氏は、三番目に現れる世代を「初代と二代目がやりちらした仕事のかたちをつけ、あたらしい権力社会をつくりあげ、その社会をまもるため、多くは保守的な権力政治家になる」と位置づけ、山県狂介(有朋)を「その典型」として挙げていました(三・「御堀耕助」)。

そして、長編小説『坂の上の雲』(1968年~72年)の第四巻の「あとがき」で、「日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、別の集団になったとしか思えない」と書いた司馬氏は、「長州系の軍人だけでも二一人」を「華族」などに昇格させた「日露戦争後の論功行賞」の理由は、山県有朋を「侯爵から公爵に」のぼらせるためだったと説明していました(「『旅順』から考える」『歴史の中の日本』)。

つまり、明治維新に際しては「四民平等」の理念が強調されていましたが、1884年に成立した華族令で爵位が世襲とされたことにより、日本の社会は貴族階級のみが優遇される一方で、農民などの一般の民衆が過酷な税金と徴兵制度によって苦しんだ帝政ロシアと似た相貌を、急速に示すようになっていたのです。

(拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』人文書館、2009年、277~278頁より。引用に際しては、文体を変更した)。

それゆえ、明治期に作られた「新しい伝統」に深い疑問を抱いた司馬氏は、世界でも誇りうる「江戸文明」に次第に関心を向けるようになり、江戸時代にロシアとの戦争を防いでいた町人・高田屋嘉兵衛を主人公とする長編小説『菜の花の沖』(1979~82年)を描くことになったのです。

この長編小説の意義については、昨年、学会で発表しましたが(リンク→「「商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代」、昨年末には「司馬遼太郎の戦争観――『竜馬がゆく』から『菜の花の沖』へ」と題するエッセイを『全作家』に投稿しましたので、「主な研究」に掲載します。

(2016年1月18日。記事を差し替え)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離

isbn978-4-903174-33-4_xl  装画:田主 誠/版画作品:『雲』

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離

このブログの読者のなかには、ロシア文学や比較文学の研究者である私が、政治や神道の問題にまで踏み込むことに眉をひそめる方もおられるかもしれません。

しかし、歴史や文学作品の分析をとおして、「日露の近代化」を考察してきた私からみると、現在起きている多くの事態は、欧米列強が「文明開化」の名のもとに「開国」を強要した時期ときわめて似た危険な様相を示していると思われるのです。

たとえば、同時多発テロへの「報復の権利」を主張したブッシュ政権がアフガン戦争を始めた前後に開かれたある学会で、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力の「タリバン」がバーミヤン石仏を破壊したことを理由にその戦争を正当化する研究者がいたことに驚いたことがあります。

しかし、国宝クラスの重要な仏教寺院や仏像が明治初期の「廃仏毀釈」運動で破壊されていたことに注意を促した記事では、「仏教を邪教として否定し、先祖の建立した馬籠の永昌寺本堂に放火しかけて取り押さえられ」、「狂人として」座敷牢に幽閉された島崎藤村の父・正樹が、単なる「狂人」ではなく、「苦境にあえぐ村びと」を救おうと骨を折っていた真面目な人物であったことを指摘していました。

かつては長州藩の過激な「攘夷派テロリスト」であった高杉晋作や伊藤博文たちが、品川の海を見おろせる御殿山に幕府の経費で建設され、九分どおり完成していた英国公使館の焼討ちを行ったこともよく知られていますが、他国の文化や政治を武力によって強引に変え ようとするグローバリゼーション(欧化)の圧力は、かえって、それに対する強い反撥を呼びナショナリズム(国粋)を高揚させるのです。

強いグローバリゼーション(欧化)の圧力に押されて、アメリカの政策に追従している安倍政権が抱えているのも、このようなナショナリズム(国粋)の問題なのです。

*   *   *

前回の記事で指摘した神社本庁や日本会議の主張する「改憲」の署名集めのための次のような記述には、私も全面的に賛成します。

〈憲法の良い所は守り…中略…、美しい国土を守り、家族が心豊かに生活できる社会をつくりましょう。誇りある日本と子供たちの未来のために…〉

ただ、〈美しい国土を守り、家族が心豊かに生活できる社会〉を作るためならば、「神道政治連盟」がまずしなければならないのは、「公約」を反故にした安倍政権の打倒を強く国民に訴えかけることでしょう。

なぜならば、放射能で祖国の大地や河川、そして海を汚染した「福島第一原子力発電所の大事故の後でも、安倍政権はそのことをきちんと反省せずに、原発の再開だけでなく海外への輸出を試み、さらに日本の農業を疲弊させ、日本の大地を劣化させる可能性の高いTPPの交渉を国民に秘密裏に行い締結していたからです。

「神道政治連盟」が〈〈誇りある日本と子供たちの未来のため〉と謳うならば、イラク戦争を主導したアーミテージ副長官などの意向に追随して、七〇年間、戦争で他国の人間を殺さなかったというも日本の独自性を投げ捨てようとしている安倍政権をもっとも強く批判すべきだと思えるのです。

*   *   *

つまり、欧米列強の圧倒的な軍事力に屈して「文明開化」に踏み切ったために、当初から「欧化と国粋」の問題を抱えていた新政府の「ねじれ」が噴出したのが、「国家神道」というイデオロギーによって政治が動かされていた昭和初期の時代であり、岸信介氏を深く尊敬する安倍晋三氏が目指している「改憲」の危険性もそこにあるのです。

次回からは少し視点をかえて、1902年にはイギリスを「文明国」として「日英同盟」を結んだ日本が、なぜそれから40年後には、「米英」を「鬼畜」と罵りつつ戦争に突入したのかを考えることで、安倍政権の危険性を掘り下げることにします。

(2017年1月4日、副題を変更)

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(4)――「神道政治連盟」と公明党との不思議な関係

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(写真はKei氏の2015年12月30日のツイッターより引用)

 

〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」(1)〉では、「改憲」姿勢を明確にした安倍首相の政治姿勢を「傲慢(ごうまん)だ」と厳しく批判する一方で、いまだに安倍政権の与党に留まることの正当性を訴えている公明党幹部の不思議さを指摘しました。

ようやく、島崎藤村の長編小説『夜明け前』において「復古神道」の仏教観がどのように描かれているかを考察したことで、公明党幹部の政治姿勢の危険性をも指摘できる地点に来たと思えます。

なぜならば、「神道政治連盟」は「神社本庁」を母体として1969年に結成されましたが、その「国会議員懇談会」の会長を勤めているのが現在首相の職にある安倍晋三氏であり、「神道政治連盟」の綱領の冒頭には、「神道の精神を以て、日本国国政の基礎を確立せんことを期す」と明記されているからです。

つまり、安倍首相の政治姿勢は一般の「国民」からみれば「独裁」的な手法で「憲法」を無視しているきわめて「傲慢」な姿勢と言えるのですが、「神道政治連盟」の側から見ると「綱領」の趣旨にそった「誠実」な発言なのです。

*   *   *

このような安倍首相の政治姿勢は、昨年11月10日に日本武道館で開かれた「今こそ憲法改正を!1万人大会」でもみられました。この大会は「神道政治連盟」と志を同じくする、保守系団体・日本会議や「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などによって行われたとのことですが、舞台上の巨大スクリーンに映し出されたビデオのメッセージで、安倍氏は「日本の国づくりの国民的議論を盛り上げていただいており、大変心強く思います」と語りかけていたのです。

大きな問題はいくつかの報道機関が伝えているように、神社本庁や日本会議の意向を受けて全国各地の神社が初詣客を狙って「改憲」の署名集めるという“政治運動”を行っていたことです。

たとえば、「リテラ」の梶田陽介氏の記事(2016年1月5日の)によれば、「乃木神社」では〈入り口に足を踏み入れると、たちまち、「誇りある日本をめざして」「憲法は私たちのもの」などと書かれた奇妙なのぼり旗が目に飛び込む。さらにその付近に設置されたテントでは、額縁に入った櫻井よしこ氏のポスターが鎮座! 「国民の手でつくろう美しい日本の憲法」「ただいま、1000万人賛同者を募集しています。ご協力下さい」なる文言とともに…中略…A4の署名用紙と箱が置かれていた。〉

そして、〈現行憲法は宗教団体“が”「政治上の権力を行使」することを禁じているが、自民党案20条1項では、その部分を削除している。つまり、宗教団体が「政治上の権力を行使」することが可能になるのだ。また、3項の「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」というのも、神道にのみ政治活動への一体化を容認するものだ〉と安倍自民党の「改憲」案の危険性を伝えた記事はこう続けています。

〈もうお分かりだろう。安倍政権による改憲は、まさに祭政一致と国家神道の復活を宿願とする神社本庁の意向を反映したものなのだ。…中略…しかも、卑劣なことに、くだんの署名用紙には、上述した祭政一致、国家神道復活の目的などは一切書かれていない。それどころか、現在の憲法がどのように変わる可能性があるのか自体、まったく記述がないのである。…中略… 日本らしさ、美しい国土、家族が心豊かに……そんな抽象的な美辞麗句を並べ立て、なんとなくポジティヴな印象だけ与えて署名を募っているのだ。〉

この記事は〈そもそも、神社本庁という宗教法人が政権と一体化するかたちで改憲というあきらかな政治運動をしていること自体、憲法20条に反している可能性もある〉と指摘して結ばれているのです。

*   *   *

つまり、「憲法」を無視するような手法で「戦争法案」を強行採決した安倍政権とは、これまでの自民という政権とは大きく異なるきわめてイデオロギー的な政権であり、「平和」を守りたいと願う「仏教」的な理念とも大きくかけ離れているのです。

このことは昨年の「戦争法案」の国会審議に際してもすでに明らかになったと思われるのですが、日頃から安倍政権の閣僚と親しく懇談する機会の多いと思われる公明党の幹部の人達は、なぜ安倍政権の目指す「改憲」の危険性から目をつぶっているのでしょうか。

(2017年1月4日、図版を追加)

 

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

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(書影は相馬正一著『国家と個人 島崎藤村「明け前」と現代』、人文書館)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりましたが、安倍政権の「改憲」方針の危険性を認識している人がまだ少ないようです。

それゆえ、昨日は『坂の上の雲』の解釈に対する司馬氏の不安と長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判を確認しました。

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イデオロギーを「正義の大系」と呼んで、その危険性に注意を促していた司馬氏が、「征韓論」で国論が割れたころから西南戦争にいたる明治初期の激動の時期を描いた長編小説『翔ぶが如く』で、神道原理主義とも呼べるような「廃仏毀釈」運動に言及していたのは偶然ではないと思えます。

なぜならば、この問題についてはすでに島崎藤村が、馬籠宿の本陣・問屋・庄屋の三役を務めていた自分の父親をモデルとした長編小説『夜明け前』で詳しく分析していたからです。

平田派の国学を学んだ藤村の父・正樹は「復古神道の立場から仏教を邪教として否定し、先祖の建立した馬籠の永昌寺本堂に放火しかけて取り押さえられ」、「狂人として旧本陣裏に特設した座敷牢に幽閉され」、そこで生涯を閉じていました(相馬正一『国家と個人 島崎藤村『夜明け前』と現代』、人文書館、2006年、203頁)。

ここで注目しておきたいのは、明治7年に教部省考証課の雇員となり、水無神社の宮司となった藤村の父・正樹が単なる「狂人」ではなく、尾張藩の役人と交渉してなんとか「苦境にあえぐ村びと」を救おうと骨を折っていた馬籠島崎氏の17代目の庄屋で、村人のことを考える真面目な人物であったことです。

近代日本文学研究者の相馬正一氏は、長編小説『夜明け前』を「読み解くキー・ワード」として、「街道」とともに「黒船」を挙げていますが、島崎藤村の父・正樹の生き方をかえるきっかけになったのが、「黒船」の来港でした(相馬正一、前掲書、219頁)。

藤村はこの長編小説で黒船を、「人間の組織的な意志の壮大な権化、人間の合理的な利益のためにはいかなる原始的な自然の状態にあるものをも克服し尽そうというごとき勇猛な目的を決定するもの」と規定していました(『夜明け前』第一部第三章)。

「街道」や「黒船」というキー・ワードから連想される作品には、司馬氏の歴史小説『世に棲む日日』があります。ここでは、二隻の黒船が空砲を射撃すると、「遠雷のようなとどろきが湾内にひびきわたり、沿岸の山々にこだました」と描かれ、それを聞いた松陰は「西洋の巨大な文明に」、日本という「小さな文明が、あの砲声とともに砕かれたようにおもった」と記されています(一・「浦賀へ」)。

そして司馬氏は、幕末に「尊皇攘夷」思想が広まった理由を、「ペリーとその艦隊の威喝的な態度や意図」に幕府の官僚は脅えたが、「在野世論はこれに大反発をきたし、対外敵愾心が日本列島の津々浦々に澎湃として」起こったと説明しているのです。(詳しくは拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)を参照してください)。

問題は倒幕に成功したことで、正樹の夢が叶ったかに見えた「明治維新」の後で、村びとたちの暮らしがいっそう悪化したことです。『夜明け前』では疲弊した宿村を救うために、伐採を禁じられてきた「停止木(ちょうじぼく)の解禁」を訴えて、「五箇条の誓文から『旧来ノ弊習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基ヅクベシ』の一節を引用し」ていた請願書は取り上げられず、訴えようとしていた主人公・半蔵が、それまでの庄屋にかわる「戸長」をも免職になるという出来事が描かれています。

「王政復古」を唱えて「民生の福利増進が図られるはずであった維新政府の政策は、いつのまにか欧米型の資本主義を取り入れた殖産産業・富国強兵策へと転じていた」のです(相馬正一、前掲書、120頁)。

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(2017年1月3日、副題を追加)

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

ISBN978-4-903174-23-5_xl(←画像をクリックで拡大できます)

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりましたが、安倍政権の「憲法」観の危険性を認識している人がまだ少ないようです。

それゆえ、昨日は〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」〉と題して、安倍首相の「改憲」の本音に対する公明党・山口代表の不思議な批判について考察した記事を掲載しました。

戦後70年を迎えて語った「安倍談話」で、安倍氏が「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます」と未来志向を語っていたので、このような批判は当たらないと思う人が少なくないかもしれません。

しかし、このように語り始めた安倍氏が「歴史の教訓」の例として取り上げたのは、明治時代における「立憲政治」の樹立と日露戦争の勝利でした。

昨年の「戦争法案」の強行採決に際しては安倍政権が「立憲政治」を尊重していないことが明らかになりましたが、長編小説『坂の上の雲』のクライマックスで描かれている日露戦争についても、安倍氏は「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と語っていたのです。

司馬氏の『坂の上の雲』は秋山兄弟など軍人に焦点が当てられることで、保守的な政治家や武器の輸出を目指していた大企業の幹部から高く評価されていましたが、『坂の上の雲』の映像化について司馬氏は「この作品はなるべく映画とかテレビとか、/そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品であります」と明確に記していました(『「昭和」という国家』日本放送出版協会、1998年)。

しかも、イデオロギーを「正義の大系」と呼んで、その危険性に注意を促していた司馬氏は、『坂の上の雲』執筆中の1970年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促していました(「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、1974年、114~115頁)。

そして、この長編小説を書き終えた後では、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いて、政治家やマスコミの歴史認識を厳しく批判していたのです(「『坂の上の雲』を書き終えて」『司馬遼太郎全集』第六八巻、評論随筆集、文藝春秋、2000年、49頁)。

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司馬氏が「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦の時間」を「異胎」と呼び、そのことがマスコミなどで広がり、司馬が昭和初期を「別国」と呼んだこともよく知られており、そのために司馬氏が「明治国家」の讃美者であるかのように思っている読者は今も少なくないようです。

しかし、『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬氏は、その頃の「神国思想」が、「国定国史教科書の史観」となったと歴史の連続性を指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していたのです(二・「勝海舟」)。

この記述に留意するならば、幕末の動乱を描きつつ司馬氏の視線が昭和初期の日本に向けられていたことは確かでしょう。〈拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)、「序」参照〉。

しかも『翔ぶが如く』で、明治元年に「神事(祭祀(さいし)、大嘗(だいじょう)、鎮魂、卜占(ぼくせん)」をつかさどる奈良朝のころの「神祇官(じんぎかん)」が再興されていたことを説明した司馬氏は、「仏教をも外来宗教である」とした神祇官のもとで行われた「廃仏毀釈」では、「寺がこわされ、仏像は川へ流され」、さらに興福寺の堂塔も破壊されたことを紹介していたのです。

 

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