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司馬遼太郎の戦争観――『竜馬がゆく』から『菜の花の沖』へ

司馬遼太郎の戦争観――『竜馬がゆく』から『菜の花の沖』へ

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(『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』、のべる出版企画)

司馬遼太郎氏の長編小説『竜馬がゆく』(一九六二~六六)と出会ったのは、ベトナム戦争が泥沼化する一方で、日本でも学生運動が過激化していた時期であった。

この長編小説に熱中して読むようになった一因は、自己と他者との関係の考察をとおして「殺すこと」の問題を根源まで掘り下げたドストエフスキーの『罪と罰』や『白痴』などの作品を、著名な文芸評論家の小林秀雄がテキストに忠実に読み解くのではなく、自分の主観によって矮小化していることに気づいたからだと思える。

小林は犯罪者の心理や主人公たちの三角関係のもつれに焦点をあてて扇情的な読み方をしているが、「暗黒の三〇年」と呼ばれるニコライ一世の治世下に青春を過ごし、言論の自由や農奴の解放を求める運動に参加して捕らえられたドストエフスキーには、その表現方法や歴史観などの変化がシベリア流刑後には認められるものの「憲法」や「良心」の重要性の認識においては、揺るぎはなかったのである。

一方、ペリー提督の艦隊が「日本人をおどすためにごう然と艦載砲をうち放った」ことに触れて、これは「もはや、外交ではない。恫喝であった」と記し、「近代日本の出発も、この艦載砲が、火を吐いた瞬間からであるといっていい」と続けていた司馬氏は、そのような厳しい状況下で攘夷思想を持つようになった竜馬が、勝海舟などとの出会いによって「憲法」の重要性に目覚める過程を描き、竜馬が記した「船中八策」を「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したもの」と位置づけていた。

しかも、二〇一〇年に放映されたNHKの大河ドラマ《龍馬伝》が、明治七年の台湾出兵や明治一〇年の西南戦争などで利益をあげて巨万の財を築くことになる岩崎弥太郎を語り手としていたが、『竜馬がゆく』で政商となる岩崎の負の面も描いていた司馬氏は、『坂の上の雲』(一九六八~七二)では戦争と経済の問題点を次のように鋭く指摘していた。

「日本の戦時国民経済がほぼ平時とかわらなかったのは、主として外国の同情によって順調にすすんだ外債のおかげであった。結果としての数字でいえば日露戦争は十九億円の金がかかった。このうち外債が十二億円であったから、ほとんどが借金でまかなった戦争といっていい」(五・「奉天へ」)。

司馬氏はさらに「自国の東アジア市場」を守るためにイギリスが同盟国の日本に求めたのは、「ロシアという驀進(ばくしん)している機関車にむかって、大石をかかえてその前にとびこんでくれる」ことであったと指摘して、軍事同盟の危険性も指摘していたのである(七・「退却」)。

それゆえ、『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』から、『菜の花の沖』に至る司馬作品を分析した拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、二〇〇二年)を急いで発行したのは、「ならず者」国家に対しては、核兵器による先制攻撃も許されるとしたブッシュ・ドクトリンに引きずられて、日本が戦争に参加するようになることを危惧したためであった。

しかし、残念ながらそれは単なる杞憂には終わらなかった。八月一四日の安倍談話では日英の軍事同盟によって勝利した日露戦争の意義が強調され、国会でも十分な審議がなされないままに、戦争への参加を可能とする「安全保障関連法案」が「強行採決」によって可決された。その直後には武器の輸出を促進する「防衛装備庁」が発足したが、それに先だって経団連は「防衛産業を国家戦略として推進すべきだ」とする提言をまとめていたことが判明した。

この意味で注目したいのは、『坂の上の雲』において一九世紀末を「地球は列強の陰謀と戦争の舞台でしかない」と規定していた司馬氏が、江戸時代に起きた日露の衝突の危機を救った商人・高田屋嘉兵衛を主人公とした『菜の花の沖』(一九七九~八二)では、一八一二年の「祖国戦争」にもふれつつ、嘉兵衛に「欧州ではナポレオンの出現以来、戦争の絶間がないそうではないか」と批判させていたことである。

そして嘉兵衛が、日本と帝政ロシアとの軍制の違いにふれて「日本の場合、どういう怨みがあっても、自国を固めることはあっても、不法に他国を攻めるようなことがない」と語ったと描いた司馬氏は、嘉兵衛が「愛国心を売りものにしたり、宣伝や扇動材料につかったりする国はろくな国ではない」と説いたことに注意を促して、「こういうことを大見得でもって言えたのは、江戸期の日本だったればこそであったろう」と続けている。

日本はアメリカとの軍事同盟により再び軍事大国への道を歩み始めているように見えるが、兵器の輸出などは一時的な景気の上昇にはつながっても長い目で見れば、国家経済を破綻へと導くことになるだろう。原爆の悲劇を体験した日本は、伝統的な平和観に基づく「憲法」の精神を再評価すべき時期に来ているように思われる。

(『全作家』第100号、2015年12月、132-133頁。表現を一部訂正して掲載)

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