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ドストエーフスキイの会「第230回例会のご案内」

ドストエーフスキイの会「第230回例会のご案内」

ドストエーフスキイの会「第230回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.131)より転載します。

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第230回例会のご案内

 

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                      

日 時2015年11月21日(土)午後2時~5時      

場 所場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

 報告者:長瀬 隆 

 題 目: アインシュタインとドストエフスキー

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:長瀬隆(ながせ たかし)

1931年生 早大露文卒。日本原水協を経て商社に勤務ソ連中国を担当。要旨に記載のペレヴェルゼフ『ドストエフスキーの創造』(1989、みすず書房)、『ドストエフスキーとは何か』(2008、成文社)および『トリウム原子炉革命』(2014、展望社)以外に、下記著作が有る。『樺太よ遠く孤独な』、『ヒロシマまでの長い道』、『微笑の沈黙』、『松尾隆』(雑誌連載)、『日露領土紛争の根源』。詳しくは http://homepage2.nifty.com/~t-nagase/ に見られたい。

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アインシュタインとドストエフスキー

   長瀬隆

レオーノフ(1899~198?)は『スクタレフスキー』、『ロシアの森』(ともに米川訳がある)などの自他ともに認められたドストエフスキーの影響の色濃い作家であるが、1961年雑誌『ズヴェズダー』のインタビュー「作家の仕事」において「アインシュタインが愛好したのはドストエフスキーだった。ここに芸術理論家たちが取り組むべき課題がある」という発言をおこなった。これを私は記憶していて、2008年刊の拙著『ドストエフスキーとは何か』の結びの章でそれを紹介し、アインシュタインが関心をもったのは、『カラマーゾフ兄弟』の中のイワンの非ユークリッド幾何学に言及した言説であると述べている。

アインシュタイン全集の訳者にして編集者の一人だったクズネッオフ(1903~?)は1962年初版の大著『アインシュタイン』の全30章のうちの7章(表題は「ドストエフスキーとモーツァルト」)においてこの問題に触れた。もっともこれ以前に彼は「エピクロスとルクレツィー、ガリレイとアリストロ、アインシュタインとドストエフスキーについての覚書」を雑誌に発表しており、レオーノフの発言がこれを読んでの反応だったとも考えられる。

『アインシュタイン』は版を重ね1967年に第三版が公刊され、1970年に上下二巻の邦訳が出た。これは1973年までに第4刷が出ているが、このうちのドストエフスキーへの言及が日本の文学界で話題になったことは無い。

クズネッオフは三版後に全面的な改定をおこない、頁数もぐっと増大した『アインシュタイン――生涯、死と不滅』を公刊した。ここでは『アインシュタイン』の7章はそれぞれ「ドストエフスキー」と「モーツアルト」の二つに分割され、またそれぞれ倍以上の量と成っている。著者自身の立場はレーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』に立脚しつつの、それらの発展を目指したものとみなすことができる。レーニンはドストエフスキーとアインシュタインについては何も言及せずに逝っており、両者は、ペレヴェルゼフの『ドストエフスキーの創造』(1912~1921、1989年に長瀬訳がある)を唯一の例外として、旧ソ連ではマルクス主義の盲点を成していた。

『アインシュタイン』は各国語に翻訳されていたが、ドストエフスキーに係る章が特に注目されたようであって、『生涯、死と不滅』が刊行されたのと同じ1974年にロンドンで『アインシュタインとドストエフスキー』が公刊された。タイプされた露語原稿から英訳されたもののようである。小著であり、これが1985年に邦訳されている。しかしこれもまたわが国の文学界ではまったく話題にはならなかったのではなかろうか。

クズネツォフのそれまでの著作と論文は常にアインシュタインが主体であり、ドストエフスキーはこれに従属するものとして扱われてきた。この性格は量的には最大の『生涯、死と不滅』においても変っていない。これに対して英訳単行本の『アインシュタインとドストエフスキー』では両者は初めて対等な形で並置され論じられている。その本文に「ドストエフスキーをアインシュタインの目を通して見、アインシュタインをドストエフスキーの目を通して見る」という文言があることからも明らかなように、相互的にして対等であり、その革新的な試みは成功している。

問題は、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを体験してきた私たち日本人が今日この試みをどのように評価するかにあると思われる。私としては昨2014年刊の『トリウム原子炉革命――古川和男・ヒロシマからの出発』で少なからず行ったと考えている。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

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