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商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代(レジュメ)

商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代(レジュメ)

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(高田屋嘉兵衛 (1812/13年)の肖像画。画像は「ウィキペディア」より)

〈「道」~ともに道をひらく~〉というテーマで、地球システム・倫理学会の第11回学術大会と 一般財団法人京都フォーラムとの共催で産学共働フォーラムが、11月2日と3の2日間、大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で開かれ、そこでは私も標記の題で一般発表を行います。

『菜の花の沖』については、すでに拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版、2002年)でも論じていました。しかし「採決不存在」という重大な疑義がありながらも、参院本会議で自民・公明両党などの賛成多数により、「安保関連法案」が可決された今、戦争状態にあった当時のヨーロッパと比較しつつ、商人・高田屋嘉兵衛の言動をとおして、江戸時代における日本の平和の意義を明らかにしたこの長編小説は改めて深く考察されるべきだと思われます。

以下にそのレジュメを掲載します。

  商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代

「国民作家」と呼ばれる司馬遼太郎(1923~96)の時代小説の魅力は、『竜馬がゆく』(1962~66)で主人公の坂本竜馬を剣に強いだけでなく経済にも詳しい若者として描くなど、主人公が活躍する時代の経済的な背景をきちんと描いていることにある。たとえば、『国盗り物語』(1963~66)で伊勢の油問屋から美濃の領主となった乱世の梟雄・斎藤道三を主人公の一人として描いていた司馬は、長編小説『菜の花の沖』(1979~82)では菜の花から作る菜種油を販売して財を成した江戸時代の商人・高田屋嘉兵衛を主人公として描いた。

比較という方法を重視した司馬の文明観の特徴は、日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』(1968~72)に顕著だが、勃発寸前までに至った日露の衝突の危機を背景とした『菜の花の沖』にも強く見られる。すなわち、高田屋嘉兵衛とナポレオンが同じ年に生まれていただけでなく「両人とも島の出身だった」ことに注意を促した司馬は、嘉兵衛がロシア側に捕らえられたのと同じ1812年にナポレオンがロシアに侵攻してモスクワを占領したことにもふれつつ、嘉兵衛に「欧州ではナポレオンの出現以来、戦争の絶間がないそうではないか」と語らせ、「扨々(さてさて)、恐敷事候(おそろしきことにそうろう)」と戦争を絶えず生み続けたヨーロッパの近代化を鋭く批判させていた。

司馬は黒潮に乗って北前船で遠く北海道まで乗り出した高田屋嘉兵衛に、「海でくらしていると、人間が大自然のなかでいかに無力で小さな存在かを知る」と語らせているが、そのような自然観は虐げられていたアイヌの人々と対等な立場で取引をしたばかりでなく、嘉兵衛が鎖国下の日本でロシア人とも言葉は通じなくとも人間として語り合い、説得力を持ちえたことにも通じているだろう。

本発表では広い見識と人間性を兼ね備えていた商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観に迫ることで、文明の岐路に立っているとも思える現代の日本人の生き方についても考察してみたい。

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(『日本幽囚記』の著者ゴロヴニーン。図版は「ウィキペディア」より)。

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