山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』について論じた書評の注で、大岡昇平の『野火』を舞台化した劇団俳優座の《野火》を論じた劇評に言及しました。
『ドストエーフスキイ広場』第16号に掲載された短い劇評を「映画・演劇評」のページに掲載します。
山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』について論じた書評の注で、大岡昇平の『野火』を舞台化した劇団俳優座の《野火》を論じた劇評に言及しました。
『ドストエーフスキイ広場』第16号に掲載された短い劇評を「映画・演劇評」のページに掲載します。
拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の公刊は、私が予期していなかったような様々な反応を呼びましたが、昨日、発行された『ドストエーフスキイ広場』には、小林秀雄のドストエフスキー論をめぐる論考などが収められています。
比較文学者の国松夏紀氏には、論点が多く書評の対象としては扱いにくい拙著を書誌学的な手法で厳密に論じて頂きましたが、同じ頃に公刊された山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』の書評は私が担当しました。
『ドストエフスキイの生活』で「ネチャアエフ事件」に言及した文章を引用しながら、小林秀雄の『悪霊』論と「日中戦争の展開」との関係に注意を促しつつ、「急速にテロリズムに傾斜していった」ロシアのナロードニキの運動と、「心の清らかで純粋な人々が、ほかならぬアジアを侵略し植民地化して、まさしくスタヴローギンのように『厭はしい罪悪の遂行』に誘惑されて」いった「昭和維新の運動」との類似性の指摘は重要でしょう。
ただ、私が物足りないと観じたのは、フランス文学者であるだけでなくロシア文学にも通じており比較の重要性を認識していたはずの小林秀雄が、なぜ日本語の「正しく美しきこと」は「万国に優」るとして比較を拒絶し、「異(あだし)国」の「さかしき言」で書かれた作品を拒否した本居宣長論に傾斜していくようになるかが見えてこないことです。
また、「コメディ・リテレール」での「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」という小林秀雄の発言にも言及されていますが、同じような問題は、湯川秀樹博士との対談では、「道義心」の視点から「原子力エネルギー」の問題を鋭く指摘していた小林が、数学者との岡潔との対談では、核廃絶を実践しようとしたアインシュタインをなぜか批判的に語っていることにも見られるでしょう。
「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と断言していた小林秀雄の「富と罰」の意識は、原爆や原発事故の問題に対する日本の知識人の対応を考えるうえでも重要だと思われます。
福島第一原子力発電所事故後の日本を考える上でも重要な著作ですので、一部を注で補うような形で書評を掲載します。
長編小説『坂の上の雲』において、戦時中の新聞報道の問題を指摘していた司馬氏は、「この不幸は戦後にもつづく」と続け、「もし日本の新聞が、日露戦争の戦後、その総決算をする意味で、『ロシア帝国の敗因』といったぐあいの続きものを連載するとすれば」、ロシア帝国は「みずからの悪体制にみずからが負けた」という結論になったであろうと書いていました(六・「大諜報」)。
注目したいのは、その司馬氏が後に自分の後輩でもあるジャーナリストで筑波大学の教授となった青木彰氏に、新聞『日本』において「中道主義の言論活動を展開した」陸羯南についての「講座」を設けてはどうかという提案をしていたことです。
実は新聞『日本』は、日露戦争がまだ終結する前の明治三八(一九〇五)年四月五日から一二月二二日まで約九ヵ月にわたって、農奴の娘カチューシャを誘惑して捨てた貴族の主人公の苦悩をとおしてロシアの貴族社会の腐敗を厳しく暴いた内田魯庵訳によるトルストイの長編小説『復活』を連載していたのです。
しかも、ドストエフスキーの『罪と罰』も訳していた魯庵は、「元来神経質なる露国の検閲官」という注釈を付けながら「抹殺」、「削除」された箇所も具体的に指摘していました。
* *
昨年の3月に「日本トルストイ協会」で行われた講演会では、内田魯庵訳の『復活』への二葉亭四迷の関わりが詳しく考察され、12月にはトルストイの劇《復活》を上演した島村抱月主宰の劇団・藝術座百年を記念したイベントも開かれました。
さらに、夏には藤沼貴・日本トルストイ協会前会長による長編小説『復活』の新しい訳が岩波文庫から出版され、「解説」には『罪と罰』の結末との類似性の指摘がされていました。その記述からは「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」とした文芸評論家の小林秀雄の『罪と罰』解釈の問題点が改めて浮き彫りになりました。
『復活』とその訳に注目することによりドストエフスキーとトルストイの作品の内的な深い関係を考察したエッセーを書きましたので、「主な研究」のページに掲載します。
2016年に第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムが、『罪と罰』の出版150周年を記念してスペインのグラナダで開催されます。
論文「『罪と罰』と二〇世紀後半の日本」などが収められている井桁貞義著『ドストエフスキイ 言葉の生命』 (群像社、2003年)の書評を、ご紹介が遅くなりましたが「書評・図書紹介」のページに掲載しました。
本書に収録されていなかった映画《白痴》論は、『ドストエフスキイと日本文化――漱石・春樹、そして伊坂幸太郎まで』(教育評論社、2011年)の第4章「ドストエフスキイと黒澤明」に収められています。
安倍政権は沖縄で再び住民の意思を全く無視した形で辺野古の基地建設を強引に進めていますが、本日の「東京新聞」朝刊は1962年の「キューバ危機」の際には、沖縄が核戦争の戦場になる危険性があったという衝撃的な事実を伝えています。
冷戦下、米沖縄部隊に核攻撃命令 元米軍技師ら証言
2015年3月14日 「東京新聞」
冷戦下の1962年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが14日、同部隊の元技師らの証言で分かった。
キューバ危機で、核戦争寸前の事態が沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、62年初めに米国施政下の沖縄に配備された。運用した米空軍第873戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。(共同)
2月4日に書いたブログ記事「小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計」では、世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」の時刻が、「残り3分」になったと発表されたことに関連して、小林秀雄の原子力エネルギー観の問題を指摘しました。
1948年の湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で、「原子力エネルギー」を産み出した「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら批判していた小林秀雄は、日本を取り巻く核廃絶の運動が衰退する流れに沿うかのように原子力エネルギーの危険性に対する指摘をパッタリとやめていたのです。
ことに核戦争が勃発する寸前にまで至っていた1962年の「キューバ危機」から3年後に行われた数学者の岡潔との対談では哲学者ベルグソンの視点に立ってアインシュタインを批判していました。
しかし、日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識したアインシュタイン(1879~1955)は、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指し、それは「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していたのです。一方、哲学者ベルグソン(1859~1941)は原爆の危険性を知らずに亡くなっていました。
「原子力エネルギー」の問題を「道義心」の視点から批判していた小林秀雄は、当然、アインシュタインが持った危機感を共有していたと思えるのですが、1965年の対談からはその危機感のかけらも感じられないのです。
日本の代表的な知識人である小林秀雄の現実の危険性を直視しない姿勢が、今日の原発大国・日本にもつながっていると思われます。
(2016年2月17日。リンク先を追加)
福島第一原子力発電所での大事故の後では、この事故の大きさに衝撃を受けたドイツやイタリアなどでは脱原発という大きな決断がなされました。
しかし、火山の噴火が続いているだけでなく、近い将来に大地震が起こることが予測されている日本で、安倍政権は国民レベルでの議論や国会での討議もないままに、原発の再稼働を強引に進めて、原発の輸出さえも決めました。
しかも、安倍首相は「汚染水はアンダーコントロール」と国際社会に公言しましたが、先月の24日には「東京電力が、福島第一原発の排水溝から高濃度の放射性物質を含む水が外洋に漏れ続けるのを放置していたこと」が判明しました。東京電力は「外洋への継続的な漏出を昨年四月に把握しながら公表せず、排水溝を専用港内に付け替えるなどの対策も取っていなかった」のです(「東京新聞」2月25日)。
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福島第一原子力発電所の大事故から4年目を迎えた3.11の直前に来日したドイツのメルケル首相は、国際社会を困惑させていると思われる安倍政権の二つの政策について、オブラートにつつんだ形ではありましたが明確に指摘していました。
第一点はドイツが第二次大戦後「過去ときちんと向き合った」ことで、国際社会に受け入れられたとの考えを示して、安倍政権の「歴史認識」の問題点を指摘したことです。
さらに、目先の利益に囚われて「国民の生命」だけでなく世界の安全を危険にさらしているとも思われる安倍政権の原発政策についても、「日本という高い技術水準の国でも予期しない事故が起こりうると分かったからこそ、自国での『脱原発』を決めた」と発言して、政策の転換を暗に求めていたのです(「東京新聞」、3月9日)。
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籾井会長のもとで安倍政権の「御用放送」と化した観のあるNHKのニュースからでは伝わらなくなっていますが、私は日本の孤立化が深まっているのではないかという危惧の念を強めています。
外国の要人からの指摘や「国民」の考えを無視して強引に自分の考えを推し進める安倍政権の政策については、戦前の日本と同じような悲劇の再現とならないようにこれからも注視していかなければならないでしょう。
2016年の6月7日から10日にかけて第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムがスペインのグラナダで開催されます。詳しい内容についてはリンク先で情報をご確認ください。
第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムの情報
リンク→http://www.ugr.es/~feslava/ids2016/index.html
国際ドストエフスキー学会(IDS)の情報
リンク→ http://www.dostoevsky.org/
今回も多くの研究者の方に参加して頂けることを願っています。
(これまでのシンポジュウムについては、下記の著作の第3部を参照してください)。
リンク→ドストエフスキー その対話的世界
現在、ホームページの改訂作業を行っています。
今回の大きな目的は講義の予習や復習にも役立つように、〈「不思議の国」ロシア〉のページを開設したことです。
それに関連していくつかのページの合併などを行いました。改訂作業が終わるのは3月末になるものと思われます。
ドストエーフスキイの会「第226回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.127)より転載します。
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第226回例会のご案内
下記の要領で例会を開催いたします。今回は会場が変更になりました。ご注意ください!
皆様のご参加をお待ちしています。
日 時:2015年3月21日(土)午後2時~5時
場 所:神宮前穏田(おんでん)区民会館第3会議室(2F)
℡03-3407-1807
報告者:槙田寿文 氏
題 目: 「創造は記憶である」 黒澤映画におけるドストエフスキーとバルザックの受容
*会員無料・一般参加者=会場費500円
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報告者紹介:槙田寿文(まきたとしふみ)
1959年(昭和34)生まれ。商社、外資系メーカーを経て、現在、NPO法人映像産業振興機構所属。黒澤明研究会会員。黒澤明研究家&資料収集家。主な論文『黒澤明とバルザック』『黒澤明の青春』『謎解き「七人の侍」』(「黒澤明研究会会誌」所収)。『生誕百年 映画監督黒澤明展』(フィルムセンター)への資料協力とギャラリートーク。『イノさんのトランク~黒澤明と本多猪四郎 知られざる絆~』(NHKBS)の企画・監修。新資料発見に貢献。
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「創造は記憶である」 黒澤映画におけるドストエフスキーとバルザックの受容
槙田 寿文
映画監督黒澤明のドストエフスキーへの傾倒ぶりは隠れもないことであるが、実は黒澤明のバルザックへの傾倒ぶりも深いものがあったことが最近明らかになりつつある。一方、ドストエフスキーのバルザックへの深い敬愛も明らかな事実である。黒澤明、ドストエフスキー、バルザックの相互の関連性と影響度を黒澤明の終戦直後の二つのエッセイを起点として考察を展開するのが今回の発表の概要である。
二つのエッセイとは、一つは雑誌『芸苑』の昭和21年(1946年)7‐8月合併号に掲載された『わが愛読書』という題名の一文で、当時三十六歳の黒澤明が自身の愛読書に関して約二千五百字に亘って率直に述べている。もう一つは、雑誌『シナリオ』昭和23年(1948年)2月号に掲載された『シナリオ三題』というシナリオに関する当時の黒澤明の考えを述べたものである。
当時、戦後第1作『わが青春に悔いなし』を製作中であり、まだまだ、新進気鋭という枕詞がついて回る時期だった黒澤明は、『わが愛読書』の中で、「先ず、一番始めに『悪霊』という名前と『戦争と平和』という名前が浮かんできました。そして、それに続いて『カラマーゾフの兄弟』『アンナ・カレーニナ』『死の家の記録』『虐げられし人々』『白痴』と云う名前が次々に飛び出してきました。それから、少し間を置いて『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』『セザール・ビロトー』『幻滅』と云う名前が続きます。(中略)だから、僕はやっぱり一番の愛読書はトルストイとドストエフスキーとバルザックのそれぞれの代表作であると申し上げる外はありません。(中略)何故なら、僕はこれ等の本を愛すると申すより、その前に跪づいていると申した方が適当だからです。云はば、僕にとってこれ等の本は聖書の様なものだからです。」と述べている。
一方、『シナリオ三題』の中では、「ひとつ、社会的に大きな波紋を投ずる程の人物が創造出来ないものだろうか。例えば、今の日本では、ヴォートランやスタブローギンやバザロフの様な人物の創造は不可能なのだろうか。」と述べている。この時期は、黒澤明の評価を決定づけた傑作『酔いどれ天使』の撮影開始直前である。つまり、二つのエッセイは巨匠黒澤明としてではなく、終戦後、日本人が生き方を模索していた時期に、同様に映画作家としての方向性を模索していた黒澤明として書かれたものであり、昭和20年代の黒澤映画と黒澤明の思想的発展を解くカギの一つとなりうると私はみなしている。
発表の前半では、この二つのエッセイを起点として、バルザックが各界に与えた様々な影響、ドストエフスキーのバルザックへの敬愛、そしてアンドレ・ジイドと寺田透によるドストエフスキーとバルザックの比較を通して黒澤作品への影響を考察してみたい。また、バルザック作品のドストエフスキーへの影響や、黒澤作品におけるポリフォニーとカーニバルに関しても再考したい。
発表の後半では、「戦後思想と黒澤明」を大きなテーマとして、「戦後の作家」である黒澤作品が昭和20年代に辿った精神・思想の成長過程と破綻をバルザックとドストエフスキーからの影響である自我の確立、ヒューマニズム、ニヒリズムといった切り口を交えながら見ていきたい。そこでは、最近、黒澤明がゴーストライターであったことが確認された戦中の映画『愛の世界』におけるドストエフスキー的ヒューマニズムの源流や、戦後の黒澤映画に登場するドストエスキー的人物を語ることになるだろう。また、『シナリオ三題』で挙げられたヴォートランやスタヴローギンへの強い関心や憧れはどこから来て、どのように消えたのかも類推してみたい。
多田道太郎は黒澤明の戦後の歩み(昭和20年代)を「黒沢明はずい分遠い道を歩いたものだ。(中略)しかし通してずっとみてみると、それは戦後の、芸術分野での、最高の歩みの一つである。」と述べているが、それを上記のような様々な切り口で追体験できればと考えている。
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例会の「傍聴記」と「事務局便り」など会の活動については、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。
なお、HPにはスペインのグラナダで2016年6月7日から10日に開催される国際ドストエフスキー・シンポジュウムの情報も掲載されました。
高畑勲監督作品の《かぐや姫の物語》が3月13日の「金曜ロードSHOW!」でテレビ初放送されることがわかりました。「ねとらぽ」によれば、通常から放送を1時間繰り上げ、午後7時56分より完全ノーカット版となるとのことです。
。「ねとらぽ」より
2013年に公開されたこの作品についてはこのブログでも取り上げていましたが、私が高畑勲監督作品が国際的に高い評価を受けていることを実感したのは、モスクワに行く留学生の引率の際にロシアの新聞で《ホーホケキョとなりの山田くん》についてのほぼ一面を費やした解説記事を読んだ時でした。
《かぐや姫の物語》は残念ながら受賞こそ逃したものの、米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門にも昨年の《風立ちぬ》に続いて2年連続でノミネートされ、ロサンゼルス映画批評家協会賞、ボストン映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞を受賞しています。
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注目したいのは、「リテラ」(2015.02.21)の記事によれば、元旦に神奈川新聞に掲載されたインタビューで、1988年に日本で公開されて海外でも高い評価を受けた《火垂るの墓》について高畑監督が、「反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」と答え、「為政者」は「惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」からだと説明し、次のように語っていたとのことです。
「私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです」
筆者の酒井まど氏は、高畑監督の次のような言葉でこの記事を結んでいます。「(先の戦争について)いやいや戦争に協力させられたのだと思っている人も多いけれど、大多数が戦勝を祝うちょうちん行列に進んで参加した。非国民という言葉は、一般人が自分たちに同調しない一般人に向けて使った言葉です。(中略)古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に踏み込んでいったのです。私はこれを『ズルズル体質』と呼んでいますが、『空気を読む』なんて聞くと、これからもそうなる危うさを感じずにはいられません。」
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アニメ映画《かぐや姫の物語》が、米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門にノミネートされたばかりでなく、数々の国際的な章を受賞していることは、日本最古の物語が持つ普遍性を明らかにしてといえるでしょう。
一方、福島第一原子力発電所の大事故が実際には今も完全には収束しておらず、日本の大地や海が汚染されており、地震や噴火の危険性が続いているにもかかわらず、安倍首相をはじめとする現代の「大臣(おおおみ)」たちは、国民」の関心をその危険性から逸らすかのように、自衛隊を海外に派兵するための法律を次々に閣議決定しています。
日本の庶民が持っていた自然観や宇宙観が繊細なタッチで見事に描き出されるとともに、当時の「殿上人」の価値観を痛烈に批判していたこの作品が多くの人々に鑑賞されることを望んでいます。
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