高橋誠一郎 公式ホームページ

ドストエーフスキイの会「第226回例会のご案内」を掲載

ドストエーフスキイの会「第226回例会のご案内」を掲載

ドストエーフスキイの会「第226回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.127)より転載します。

*   *   *

第226回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。今回は会場が変更になりました。ご注意ください!

皆様のご参加をお待ちしています。                 

日 時2015年3月21日(土)午後2時~5時         

場 所神宮前穏田(おんでん)区民会館第3会議室(2F)

℡03-3407-1807

 報告者:槙田寿文 

 題 目: 「創造は記憶である」 黒澤映画におけるドストエフスキーとバルザックの受容

*会員無料・一般参加者=会場費500円

*   *   *

報告者紹介:槙田寿文(まきたとしふみ)

1959年(昭和34)生まれ。商社、外資系メーカーを経て、現在、NPO法人映像産業振興機構所属。黒澤明研究会会員。黒澤明研究家&資料収集家。主な論文『黒澤明とバルザック』『黒澤明の青春』『謎解き「七人の侍」』(「黒澤明研究会会誌」所収)。『生誕百年 映画監督黒澤明展』(フィルムセンター)への資料協力とギャラリートーク。『イノさんのトランク~黒澤明と本多猪四郎 知られざる絆~』(NHKBS)の企画・監修。新資料発見に貢献。

*   *   *

「創造は記憶である」 黒澤映画におけるドストエフスキーとバルザックの受容

槙田 寿文

 

映画監督黒澤明のドストエフスキーへの傾倒ぶりは隠れもないことであるが、実は黒澤明のバルザックへの傾倒ぶりも深いものがあったことが最近明らかになりつつある。一方、ドストエフスキーのバルザックへの深い敬愛も明らかな事実である。黒澤明、ドストエフスキー、バルザックの相互の関連性と影響度を黒澤明の終戦直後の二つのエッセイを起点として考察を展開するのが今回の発表の概要である。

二つのエッセイとは、一つは雑誌『芸苑』の昭和21年(1946年)7‐8月合併号に掲載された『わが愛読書』という題名の一文で、当時三十六歳の黒澤明が自身の愛読書に関して約二千五百字に亘って率直に述べている。もう一つは、雑誌『シナリオ』昭和23年(1948年)2月号に掲載された『シナリオ三題』というシナリオに関する当時の黒澤明の考えを述べたものである。

当時、戦後第1作『わが青春に悔いなし』を製作中であり、まだまだ、新進気鋭という枕詞がついて回る時期だった黒澤明は、『わが愛読書』の中で、「先ず、一番始めに『悪霊』という名前と『戦争と平和』という名前が浮かんできました。そして、それに続いて『カラマーゾフの兄弟』『アンナ・カレーニナ』『死の家の記録』『虐げられし人々』『白痴』と云う名前が次々に飛び出してきました。それから、少し間を置いて『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』『セザール・ビロトー』『幻滅』と云う名前が続きます。(中略)だから、僕はやっぱり一番の愛読書はトルストイとドストエフスキーとバルザックのそれぞれの代表作であると申し上げる外はありません。(中略)何故なら、僕はこれ等の本を愛すると申すより、その前に跪づいていると申した方が適当だからです。云はば、僕にとってこれ等の本は聖書の様なものだからです。」と述べている。

一方、『シナリオ三題』の中では、「ひとつ、社会的に大きな波紋を投ずる程の人物が創造出来ないものだろうか。例えば、今の日本では、ヴォートランやスタブローギンやバザロフの様な人物の創造は不可能なのだろうか。」と述べている。この時期は、黒澤明の評価を決定づけた傑作『酔いどれ天使』の撮影開始直前である。つまり、二つのエッセイは巨匠黒澤明としてではなく、終戦後、日本人が生き方を模索していた時期に、同様に映画作家としての方向性を模索していた黒澤明として書かれたものであり、昭和20年代の黒澤映画と黒澤明の思想的発展を解くカギの一つとなりうると私はみなしている。

発表の前半では、この二つのエッセイを起点として、バルザックが各界に与えた様々な影響、ドストエフスキーのバルザックへの敬愛、そしてアンドレ・ジイドと寺田透によるドストエフスキーとバルザックの比較を通して黒澤作品への影響を考察してみたい。また、バルザック作品のドストエフスキーへの影響や、黒澤作品におけるポリフォニーとカーニバルに関しても再考したい。

発表の後半では、「戦後思想と黒澤明」を大きなテーマとして、「戦後の作家」である黒澤作品が昭和20年代に辿った精神・思想の成長過程と破綻をバルザックとドストエフスキーからの影響である自我の確立、ヒューマニズム、ニヒリズムといった切り口を交えながら見ていきたい。そこでは、最近、黒澤明がゴーストライターであったことが確認された戦中の映画『愛の世界』におけるドストエフスキー的ヒューマニズムの源流や、戦後の黒澤映画に登場するドストエスキー的人物を語ることになるだろう。また、『シナリオ三題』で挙げられたヴォートランやスタヴローギンへの強い関心や憧れはどこから来て、どのように消えたのかも類推してみたい。

多田道太郎は黒澤明の戦後の歩み(昭和20年代)を「黒沢明はずい分遠い道を歩いたものだ。(中略)しかし通してずっとみてみると、それは戦後の、芸術分野での、最高の歩みの一つである。」と述べているが、それを上記のような様々な切り口で追体験できればと考えている。

*   *

 例会の「傍聴記」と「事務局便り」など会の活動については、「ドストエーフスキイの会」のHPhttp://www.ne.jp/asahi/dost/jdsでご確認ください。

なお、HPにはスペインのグラナダで2016年6月7日から10日に開催される国際ドストエフスキー・シンポジュウムの情報も掲載されました。

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です