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終末時計の時刻と回避された「核攻撃命令」

終末時計の時刻と回避された「核攻撃命令」

安倍政権は沖縄で再び住民の意思を全く無視した形で辺野古の基地建設を強引に進めていますが、本日の「東京新聞」朝刊は1962年の「キューバ危機」の際には、沖縄が核戦争の戦場になる危険性があったという衝撃的な事実を伝えています。

 

冷戦下、米沖縄部隊に核攻撃命令 元米軍技師ら証言

2015年3月14日 「東京新聞」

冷戦下の1962年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが14日、同部隊の元技師らの証言で分かった。

キューバ危機で、核戦争寸前の事態が沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、62年初めに米国施政下の沖縄に配備された。運用した米空軍第873戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。(共同)

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2月4日に書いたブログ記事「小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計」では、世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」の時刻が、「残り3分」になったと発表されたことに関連して、小林秀雄の原子力エネルギー観の問題を指摘しました。

1948年の湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で、「原子力エネルギー」を産み出した「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら批判していた小林秀雄は、日本を取り巻く核廃絶の運動が衰退する流れに沿うかのように原子力エネルギーの危険性に対する指摘をパッタリとやめていたのです。

ことに核戦争が勃発する寸前にまで至っていた1962年の「キューバ危機」から3年後に行われた数学者の岡潔との対談では哲学者ベルグソンの視点に立ってアインシュタインを批判していました。

しかし、日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識したアインシュタイン(1879~1955)は、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指し、それは「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していたのです。一方、哲学者ベルグソン(1859~1941)は原爆の危険性を知らずに亡くなっていました。

「原子力エネルギー」の問題を「道義心」の視点から批判していた小林秀雄は、当然、アインシュタインが持った危機感を共有していたと思えるのですが、1965年の対談からはその危機感のかけらも感じられないのです。

日本の代表的な知識人である小林秀雄の現実の危険性を直視しない姿勢が、今日の原発大国・日本にもつながっていると思われます。

(2016年2月17日。リンク先を追加)

リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

リンク→自民党政権の「核の傘」政策の危険性――1961年に水爆落下処理

リンク→岸・安倍両政権と「核政策」関連の記事一覧

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