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山城むつみ著『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社、2014年)を「書評・図書紹介」に掲載

山城むつみ著『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社、2014年)を「書評・図書紹介」に掲載

拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の公刊は、私が予期していなかったような様々な反応を呼びましたが、昨日、発行された『ドストエーフスキイ広場』には、小林秀雄のドストエフスキー論をめぐる論考などが収められています。

比較文学者の国松夏紀氏には、論点が多く書評の対象としては扱いにくい拙著を書誌学的な手法で厳密に論じて頂きましたが、同じ頃に公刊された山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』の書評は私が担当しました。

『ドストエフスキイの生活』で「ネチャアエフ事件」に言及した文章を引用しながら、小林秀雄の『悪霊』論と「日中戦争の展開」との関係に注意を促しつつ、「急速にテロリズムに傾斜していった」ロシアのナロードニキの運動と、「心の清らかで純粋な人々が、ほかならぬアジアを侵略し植民地化して、まさしくスタヴローギンのように『厭はしい罪悪の遂行』に誘惑されて」いった「昭和維新の運動」との類似性の指摘は重要でしょう。

ただ、私が物足りないと観じたのは、フランス文学者であるだけでなくロシア文学にも通じており比較の重要性を認識していたはずの小林秀雄が、なぜ日本語の「正しく美しきこと」は「万国に優」るとして比較を拒絶し、「異(あだし)国」の「さかしき言」で書かれた作品を拒否した本居宣長論に傾斜していくようになるかが見えてこないことです。

また、「コメディ・リテレール」での「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」という小林秀雄の発言にも言及されていますが、同じような問題は、湯川秀樹博士との対談では、「道義心」の視点から「原子力エネルギー」の問題を鋭く指摘していた小林が、数学者との岡潔との対談では、核廃絶を実践しようとしたアインシュタインをなぜか批判的に語っていることにも見られるでしょう。

「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と断言していた小林秀雄の「富と罰」の意識は、原爆や原発事故の問題に対する日本の知識人の対応を考えるうえでも重要だと思われます。

福島第一原子力発電所事故後の日本を考える上でも重要な著作ですので、一部を注で補うような形で書評を掲載します。

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