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ドストエーフスキイの会、第248例会(報告者:長縄光男氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、第248例会(報告者:長縄光男氏)のご案内

第248例会のご案内を「ニュースレター」(No.149)より転載します。

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248回例会のご案内

   下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

 今回も前回同様に会場が変わります。要ご注意!                                          

20181117日(土)午後2時~5

場 所早稲田大学文学部戸山キャンパス31号館2階208教室

             地下鉄東西線・「早稲田」下車

報告者:長縄光男氏

題 目: ゲルツェンとドストエフスキー(序論)

    会場費無料

報告者紹介:長縄光男(ながなわ みつお)

1941年生。横浜国立大学名誉教授。専門は19世紀ロシア社会思想史。著書に『評伝ゲルツェン』(成文社、2012年)、『ゲルツェンと1848年革命の人びと』(平凡社、2015年)など。訳書にゲルツェン『過去と思索』(全3巻)(筑摩書房、1998-1999年)(金子幸彦との共訳)、ゲルツェン『向こう岸から』(平凡社、2013年)、最近の論文に「若いブルガーコフの回心の物語‐自伝的エッセーに即して」(科研費研究プロジェクト「競争的国際関係を与件とした広域共生の政治思想に関する研究」研究代表・大矢温、札幌大学、2014年、83-96pp.)、「若いゲルツェンと自然科学」(『ロシア思想史研究』第8号、2017年、19-30pp.)などがある。

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248回例会報告要旨

ゲルツェンとドストエフスキー(序論)

ドストエフスキーについてはすでに様々なことが書かれ、また語られ、今では書き尽くされ、語り尽されているといった感があるが、管見する限り、我が国ではドストエフスキーをゲルツェンとの関わりで論ずるという試みは、いまだなされていないように思われる。本日の報告がこの空白を埋めることになるならば幸いである。

ゲルツェン(1812年-1870年)とドストエフスキー(1821年-1881年)という十九世紀ロシアの思想界を代表する二人の知的巨人を併置して対論させるということの面白さは、二人が人間的にも、思想的にも、社会的にも、つまりは、あらゆる点で対照的な位置にありながら、しかしその立ち位置は微妙に交錯し、しかし、さらに精緻に見て行くと、その交錯の背後にやはり大きな隔たりを認めざるを得ない、という点にある。しかも、両者のロシアのロシア思想の歴史の中で果たす役割に大きさからして、この対立と交錯と離反という経緯には、思想史的に見ても極めて興味深いものがあるのである。

しかるに、我が国における両者の知名度には著しい差があり、ドストエフスキーに比べればゲルツェンはいまだ無名の域を出ていないようにすら見える。このことには、我が国の知的権威ともいうべきマルクスとドストエフスキーによる芳しからぬゲルツェン評が少なからざる役割を演じているのだろう。例えばマルクスは同じ時期(1850年代)にロンドンで亡命生活を送っていたにもかかわらず、一度としてゲルツェンと顔を合わせることはなく、亡命者たちの集会においてもゲルツェンと同席することを頑なに拒み続けていた。マルクスから見れば、ゲルツェンは「時代遅れのロマン主義者」「パン・スラヴ主義者」「ロシア政府の回し者」だったのである。又、ドストエフスキーから見ると、ゲルツェンは亡命することによって祖国を失った根無し草で、従って、神をも失った憐れな存在であった。ゲルツェンが我が国で無名を、あるいは不評を託ってきたのは、おそらく、そうした先入的知識のせいではないかと思うのである。しかし、ゲルツェンに親炙し、長年ゲルツェン研究に携わってきた者の目から見れば、これらの評価は著しい誤解と偏見に基づいていると言わざるを得ない。今日はドストエフスキーとの関係を論ずることを通じて、ゲルツェンの「汚名」をいささかなりとも雪ぐことができればうれしく思う。

そうした理由から、今日の報告はゲルツェンに軸足が置かれることになるだろう。標題が「ドストエフスキーとゲルツェン」ではなく、「ゲルツェンとドストエフスキー」となっていることに、その趣旨を読み取っていただきたい。

概して言えば、ゲルツェンとドストエフスキーという二人の大きさからして、両者の知的交流の跡を一時間半という短時間の中で十全に論じきることはほとんど不可能である。このテーマは今後とも深めて行くとして、今回の報告では、①両者の生きた19世紀中葉という時代がヨーロッパとロシアにとっていかなる時代であったか、そして、その中で両者はいかなる思想的課題を担っていたか、②両者の人間性にはどのような違いがあったか、③両者の出自にはどのような違いがあったのかなどを論じ、⓸両者の関係史をたどりながら論点を提示するにとどめ、両者の思想性の違いについては、その大まかな方向性を示すことで終わらざるを得ないことをご了承願いたい。標題に言う「序論」とはその謂いである。

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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