高橋誠一郎 公式ホームページ

09月

 「国会」と「憲法」、そして「国民」の冒涜――「民主主義のルール」と安倍首相

CO3YQyuUAAACtyS

空からのニュース映像〔NHK〕

 

「東京新聞」の今朝の朝刊の記事によれば、14日の安全保障関連法案に関する参院特別委員会で、安倍晋三首相は法案に国民の支持が広がっていないことを認める一方で、「熟議の後に決めるべき時には決めなくてはならない。それが民主主義のルールだ」と早期の採決を促し、法案が成立した後には国民の理解が広がるとの見方も示したとことです(太字は引用者)。

これは本末転倒で「民主主義のルール」に従うならば、時間をかけた議論の後でも国民の支持が広がっていない場合には、その法案は廃案とすべきでしょう。

しかも熟議の中で、この法案の問題点や首相の資質などが問われる発言が多発しているのです。「民主主義のルール」を強調するならば、混乱を招いた自らの政治姿勢を恥じて安倍首相は潔く辞任すべきでしょう。

*   *   *

一方、昨日のデモではプラカードも「廃案」の文字などを記したものだけでなく、ペットボトルで作られた提灯のようなものを掲げた人などさまざまな意見や創意工夫がなされており、ペンライトもかざされて印象的でした。

デモは整然と行われており、狭い歩道に人があふれて将棋倒しになり、怪我人がでる危険性が強くなったときに、車道を解放せよとの声があがったのも自然だったでしょう。

先の総裁選ではっきりしたことは、江戸時代には民衆のことを考えない政治をする暴君に対しては、厳しい処罰を覚悟してでもそれを諫める家老がいましたが、現在の自民党には「独裁的な傾向」を強めている安倍首相を諫める勇気ある議員がほとんどいないということです。与党の公明党にも、安倍首相の「国会」を冒涜した発言に苦言を呈する議員がほとんどいないということも明らかになりました。

国会の会期末は近づいていますが、民主主義の危機に際して声を上げ始めた昨日のデモからは、幕末から明治初期にかけて示された「国民」の「行動力」が彷彿とさせられます。

「暴君」を代えるまでにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、昨日のデモからは今回の運動が確実に政治を変えていくだろうという思いを強くしました。

9月14日18時半 国会正門前に! ――自分の思いを表現すること

9.14

昨年末の総選挙では「秘密法・集団的自衛権」は、「争点にならず」と公言していたにもかかわらず、安倍政権は参議院で「違憲」の疑いが濃く、「戦争法案」を衆議院で強行採決しました。

この暴挙に対する批判が高まり、過半数の「国民」が慎重な審議を求めているにもかかわらず、自民・公明両党は参議院でも「国民」の理解とはかかわりなく採決を強行する方針を確認しました。

この法案の一連の審議を通じて明らかになったのは、「国民」の「生命」や「財産」を軽視する一方で、一部の大企業や「お友達」の利益を重視する安倍政権の独裁的な手法です。

この法案が通ると「日本」は再び「統帥権」が大手を振っていた戦前や、さらには「憲法」がなく「薩長藩閥政治」が国政を牛耳っていた明治初期の状況にまで後退してしまう危険性が強いと思われます。

明治の俳人・正岡子規は俳句の改革をとおして、「国民」の一人一人が自分の思いを自分の声で表現できる文芸の形式を確立しました。今の私たちに求められているのは、自分のできる範囲で自分の思いを為政者に伝えることでしょう。

リンク→「戦争法案」に反対する学生のアピールを転載――自分の声で語ること

リンク→「大義」を放棄した安倍内閣

リンク→「大義」を放棄した安倍内閣(2)――「公約」の軽視

(2015年9月15日。副題とリンク先を追加)

映画《静かなる決闘》から映画《赤ひげ》へ――拙著の副題の説明に代えて

800px-Shizukanaru_ketto_poster

(《静かなる決闘》のポスター、図版は「ウィキペディア」より)

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』を公刊したのは昨年のことになりますが、副題の一部とした黒澤映画《静かなる決闘》があまり知られていないことに気づきました。

ドストエフスキーの長編小説『白痴』を原作とした黒澤映画《白痴》の意義を知るうえでも重要だと思えますので、ここでは映画《赤ひげ》に至るまでの医師を主人公とした黒澤映画の内容を簡単に紹介しておきます。

*   *   *

1965年に公開された映画《赤ひげ》((脚本・井手雅人、小國英雄、菊島隆三、黒澤明)では、長崎に留学して最先端の医学を学んできた若い医師の保本登(加山雄三)と「赤ひげ」というあだ名を持つ師匠の新出去定(三船敏郎)との緊迫した関係が「患者」たちの治療をとおして描かれていることはよく知られています。

しかし、黒澤映画において「医者」と「患者」のテーマが描かれたのはこの作品が最初ではなく、戦後に公開された黒澤映画の初期の段階からこのテーマは重要な役割を演じていました。

たとえば、映画《白痴》(1951年)では沖縄で戦犯とされ死刑になる寸前に無実が判明した復員兵が主人公として描かれていましたが、1949年に公開された映画《静かなる決闘》(原作・菊田一夫『堕胎医』、脚本・黒澤明・谷口千吉)でも、軍医として南方の戦場で治療に当たっていた際に悪性の病気に罹っていた兵士の病気を移されてしまった医師・藤崎(三船敏郎)を主人公としていたのです。

しかも、最初の脚本では『罪なき罰』と題されていたこの映画では、自殺しようとしていたところを藤崎に助けられ見習い看護婦となっていた峰岸(千石則子)の眼をとおして、最愛の女性との結婚を強く願いながらも、病気を移すことを怖れて婚約を解消した医師が苦悩しつつも、貧しい人々の治療に献身的にあたっている姿が描かれていました。

さらに、その前年の1948年に公開された映画《酔いどれ天使》(脚本・植草圭之助・黒澤明)でも、どぶ沼のある貧しい街を背景に、闇市に君臨しつつも敗戦によって大きな心の傷を負って虚無的な生き方をしていたヤクザの松永(三船敏郎)と、「栄達に背を向けて庶民の中に」根をおろした開業医の真田(志村喬)との緊張した関係が描かれていました。

医師の真田は暴力的な脅しにも屈せずに、肺病に冒されていた松永の心身を治療して何とか更生させようとしていたのですが、真田の願いにもかかわらず、組織のしがらみから松永は殺されてしまいます。

しかし、《酔いどれ天使》の結末近くでは、肺病に冒されてこの病院に通っていた若い女子学生(久我美子)が、「ねえ、先生、理性さえしっかりしてれば結核なんてちっとも怖くないわね」と語り、医師の真田が「ああ、結核だけじゃないよ、人間に一番必要な薬は理性なんだよ!」と応じる場面があり、未来への希望も描かれていたのです。

長編小説『白痴』の主人公は、小林秀雄の解釈などではその否定的な側面が強調されていますが、ドストエフスキーはムィシキンに「治療者」としての性質も与えていました。それゆえ、医師を主人公としたこれらの映画は、長編小説『白痴』をより深く理解する助けにもなると思われます。

(2015年12月9日、図版を追加)

リンク→『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

「映画《惑星ソラリス》をめぐって」を「映画・演劇評」に掲載

黒澤監督とタルコフスキー監督のドストエフスキー観に迫った堀伸雄氏の二つの論文に強い知的刺激を受けて書いた論文「映画《惑星ソラリス》をめぐって――黒澤明とタルコフスキーのドストエフスキー観」が、黒澤明研究会の『会誌』第33号に掲載されました。たいへん遅くなりましたが、「映画・演劇評」のページに転載します。

この論文では映画《惑星ソラリス》とドストエフスキーの『罪と罰』との関係だけでなく、『おかしな男の夢』とのつながりにも言及しました。

注では記しませんでしたが、その考察に際しては「ドストエーフスキイの会」第215回例会で「ドストエーフスキイとラスプーチン ――中編小説『火事』のラストシーンの解釈」という題で発表された大木昭男氏の考察からも強い示唆を受けています。

ドストエフスキーが1864年に書いたメモで、人類の発展を「1,族長制の時代、2,過渡期的状態の文明の時代、3,最終段階のキリスト教の時代」の三段階に分類していたことを指摘した大木氏は、『火事』とドストエフスキーの『おかしな男の夢』の構造を比較することで、その共通のテーマが「己自らの如く他を愛せよ」という認識と「新しい生」への出発ということにあると語っていたのです。

この指摘は長編小説『白痴』の映画化にも強い関心をもっていたタルコフスキーのドストエフスキー観を理解するうえでも重要でしょう。

 

リンク→映画《惑星ソラリス》をめぐって――黒澤明とタルコフスキーのドストエフスキー観

リンク→大木昭男氏の「ドストエーフスキイとラスプーチン」を聴いて

リンク→《かぐや姫の物語》考Ⅱ――「殿上人」たちの「罪と罰」

「安倍談話」と「立憲政治」の危機(1)――明治時代の「新聞紙条例」と「安全保障関連法案」

今回は8月14日に発表された「安倍談話」の問題を取り上げます。

なぜならば、「戦後70年」の節目として語られたはずにもかかわらず、その談話ではそれよりもさらに40年も前の「日露戦争」の勝利が讃えられる一方で、「憲法」や「国会」の意義にはほとんどふれられていいなかったからです。その文章を以下に引用したあとで、それらの問題点を具体的に考察することにします。

*   *   *

「終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。」

こう語り始めた安倍氏が「歴史の教訓」の例として取り上げたのが、「立憲政治」の樹立と日露戦争の勝利でした。

「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」(太字は引用者)

*   *   *

日露戦争の勝利を讃美することの危険性については、次に考察したいと思いますが、今回はまず「明治憲法」と「国会」開設の問題を取り上げます。

自分の祖父である岸信介氏を理想視する安倍首相は、「立憲政治」の意義についてはさらりと言及しただけでしたが、日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』で司馬氏が比較という手法をとおして力を込めて描いていたのは、皇帝による専制政治のもとで言論の自由がなかった帝政ロシアと、「憲法」を持ち、「国民」が自立していた日本との違いでした。

しかも、俳句の革新を行っただけでなく、新聞記者としても活躍していた正岡子規を主人公の一人としたこの長編小説では、権力におごっていた薩長藩閥政府との長く厳しい戦いをとおして、「明治憲法」が発布され、「国会」の開設に至ったことも描かれていました。

そのことは西南戦争に至る明治初期の日本を描いた長編小説『翔ぶが如く』とあわせて読むことで、いっそう明白となるでしょう。『坂の上の雲』が終わる頃から書き始められたこの長編小説では、「讒謗律(ざんぼうりつ)」や「新聞紙条例」を発布することで、江戸幕府以上に厳しく言論の自由を制限していた薩長藩閥政府の問題がくっきりと描かれているのです。

*   *   *

一方、多くの憲法学者や元最高裁長官が指摘しているように「憲法」に違反している可能性の高い「安全保障関連法案」を安倍内閣は推し進め、自民・公明両党も衆議院でこの法案を強行採決しました。

特徴的なのは、この法案を審議する特別委員会で、「ヤジ」を飛ばしたりして厳しく諫められた首相が、今度は国会での審議中にもかかわらず、民間のテレビ局で自説を述べるなど、「国会」の軽視がはなはだしいことです。

さらに、参議院での議論をとおして問題がより明確になってきたにもかかわらず、自民党の高村副総裁も国民の理解が「十分得られてなくても、やらなければいけない」と述べて、「国民」の意向を無視してでも、参院でも「戦争法案」を強行採決する姿勢を明確に示しています。

その一方で高村氏は、「選挙で国民の理解が得られなければ政権を失う」と話し、次の衆議院選挙で国民の審判を仰ぐ意向を示したとのことですが、それは順序が逆で、選挙を行う前に「公約」として掲げていなかったこの法案を廃案とし、改めて次の国会で議論すべきでしょう。

なぜならば、このHPでも何度も取り上げてきたように、昨年末の総選挙の前に菅官房長官は「秘密法・集団的自衛権」は、「争点にならず」と発言していました。そして自民党も「景気回復、この道しかない」というスローガンを掲げ、「アベノミクス」を前面に出して総選挙を戦っていたからです。

安倍首相も「さきの衆院選では昨年七月の閣議決定に基づき、法制を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民から支持を頂いた」と、安保法案は選挙で公約済みと強調しましたが、「東京新聞」の記事が具体的に指摘したように、昨年の選挙での自民党公約では、安保法制への言及は二百七十一番目だっただけでなく、「集団的自衛権の行使容認」は見出しにも、具体的な文言にもなかったのです。

*   *   *

このように「憲法」と「国会」をとおして現在の日本の政治を見るとき、安倍首相などの言動は「70年談話」で語られた「アジアで最初に立憲政治を打ち立て独立を守り抜きました」という日本の歴史を否定し、日本の民主主義を「存亡」の危機に立たせているように感じます。

このような「憲政」の危機に際して、「心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵」を学ぶためにも、これまで誤解されてきた長編小説『坂の上の雲』をもう一度丁寧に読み直す必要があると思えます。

正岡子規を主人公として、新聞『日本』を創刊した恩人・陸羯南との関わりや夏目漱石との友情をとおして『坂の上の雲』を読むとき、これまでの解釈とはまったく違った光景が拓けてくることでしょう。

*   *   *

残念ながら、「国民の生命や安全」に深く関わるいわゆる「戦争法案」が、9月17日に民主主義の根幹を揺るがすような方法で「強行採決」されたことにより、現在の日本は「憲法」が仮死状態になったような状態だと思われます。

それゆえ、次回からは「憲法」がなく言論の自由が厳しく制限されていた帝政ロシアで書かれた長編小説『罪と罰』が、なぜ法学部で学んだ元大学生を主人公とし、弁護士との激しい論戦が描かれているのかを考察することにします。

そのことにより日本では矮小化されて解釈されることの多い長編小説『罪と罰』が現代の日本に投げかけている問題が明らかになるでしょう。

リンク→「安倍談話」と「立憲政治」の危機(2)――日露戦争の賛美とヒトラーの普仏戦争礼賛

(2016年1月28日。改題と改訂。リンク先を変更)。

 

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』を脱稿。

si 1 田主版 新聞

装画:田主 誠。版画作品:『雲』

ようやく『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の「第五章」と「終章」の校正を終えて、先ほど校正原稿をポストに投函してきました。

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)を刊行したのが2009年のことでしたので、6年に近くかかってしまったことになります。

この間に福島第一原子力発電所の大事故が起きたにもかかわらず、自然の摂理に反したと思える原発の再稼働に向けた動きが強まったことから、急遽、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』を書き上げたことが、執筆が大幅に遅れた一因です。

ただ、多くの憲法学者や元最高裁長官が指摘しているように「憲法」に違反している可能性の高いにもかかわらず、政府与党は前回の選挙公約にはなかった「安全保障関連法案」を強行な手段で成立させようとしています。このような状況を見ていると、原発の問題は後回しにしてでも日英同盟を結んで行った日露戦争の問題点に迫った本書を先に書き上げるべきだったかもしれないとの後悔の念にも襲われます。

しかし、前著での問題意識が本書にも深く関わっているので、私のなかではやはり自然な流れでやむをえなかったのでしょう。

*   *   *

一方、昨日の講演で自民党の高村副総裁は、国民の理解が「十分得られてなくても、やらなければいけない」と述べて、「国民」の反対が強いにもかかわらず、自公両党の議員により参院でも「戦争法案」を強行採決する姿勢を明確に示しています。

それゆえ、「なぜ今、『坂の上の雲』」なのかについて記した短い記事を数回に分けて書くことにより、この長編小説における新聞記者・正岡子規の視点をとおしてこの法案の危険性を明らかにしたいと思います。

 

 

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)

2023/10/29, X(旧ツイッター)を投稿

〈「学者の会」アピール賛同者の皆様へ緊急のお願い 〉を掲載

sho_f-1

佐藤学(「安全保障関連法案に反対する学者の会」発起人・事務局代表)氏より、〈緊迫した国会情勢のもと、「学生と学者の共同行動」を大成功させましょう〉との文言と共に、今後の行動日程を記したメールが届きましたので以下に転載します。

 リンク→http://anti-security-related-bill.jp

このブログの記事でもたびたび指摘してきましたが、「この国のかたち」を決めた「憲法」をないがしろにする安倍政権の独裁的な手法は、「日本」の民主主義を根底から覆して、戦前の軍国主義的な国家体制を「復古」させることにつながるでしょう。一人でも多くのかたが「反対」の声をあげられることを願っています。

*   *   *

(1)9月6日(日)は午後3時から午後5時半、新宿伊勢丹前の歩行者天国で、「学生と学者の共同街宣行動」を行います。歩行者天国を埋め尽くしましょう。

この街宣行動では、学生と学者のスピーチの他、蓮舫民主党代表代行、志位和夫日本共産党委員長、吉田忠智社会民主党党首、二見伸明公明党元副委員長が、スピーチを行います。(他の野党は返答まち)

重要な時期の重要な街宣になるので、ぜひ、ご参加ください。当日のフライヤーを添付します。なお、雨天の場合は、歩行者天国は行われないので、新宿駅東口で街宣行動を行います。

(2)9月11日(金)は学生と学者の共同行動第3弾として、午後7時半から国会前の抗議行動を行います。こちらも、こぞって参加してください。

(3)以下のように各地方でSEALDsの行動が展開されます。地方ごとにSEALDsを支援し共に闘いましょう。

*   *   *

【SEALDs】

9/4(金) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/6(日) 15:00~17:30 安全保障関連法案に反対する学者と学生による街宣@新宿 9/10(木) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/11(金) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/12(土) S4LON vol.3[この国で生きる―経済 憲法 安保法制―]第1部 15:00~ 第2部 19:00~

9/14(月)~9/18(金) 戦争法案強行採決に反対する国会前緊急抗議行動

【TOHOKU】

9/4から 毎週金曜街宣 9/5(土) SALON(詳細未定)

(9/6(日) 弁護士大集会) 9/10 緊急アピール(詳細未定)

【KANSAI】

9/4 (金) 18:30~20:00 戦争法案に反対する金曜街宣アピール@大阪梅田ヨドバシカメラ前

9/11 (金) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/13 (日) 16:00~18:30 戦争法案に反対する関西大行動@大阪 靭公園

【RYUKYU】 9/12(土) 10:00~12:00 サロンvol.2トポセシア(沖縄県宜野湾市我如古2-12-6)

9/19(土) 「沖縄のことは沖縄で決める緊急アピール」(場所未定)

ドストエーフスキイの会「第229回例会のご案内」

掲載が遅くなりましたが、ドストエーフスキイの会「第229回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.130)より転載します。

*   *   *

第229回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。今回は火曜日の開催ですので、ご注意ください!                                    

日 時2015年9月22日(火)午後2時~5時            

場 所場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

 報告者:冷牟田幸子 

題 目 :『永遠の夫』と「地下室」 

*会員無料・一般参加者=会場費500円

*   *   * 

報告者紹介:冷牟田幸子(ひやむた さちこ)

1937年生。早稲田大学第一文学部英文科卒業。

著書;『ドストエフスキー―無神論の克服』(近代文芸社、1988年)

訳書;ワッサーマン編『ドストエフスキーの「大審問官」』(ヨルダン社、小沼文彦、冷牟田訳 1981年)

*   *   *

『永遠の夫』と「地下室」

冷牟田 幸子

『永遠の夫』(l869年秋完成、70年『黎明』1,2月号に発表)には、後期諸作品に共通する思想性も宗教性もなく、格別魅力的な人物も見当たりません。風采のあがらない実直な「永遠の夫」トルソーツキーと軽薄才子の「永遠の情夫」ヴェリチャニーノフという、対照的な一見分かりやすい二人の中心人物の間で繰り広げられる、謎めいた心理戦を読んで楽しめば事足りるような『永遠の夫』を、なぜ取り上げる気になったのか。ひとえに、ドストエフスキーの手紙(小沼文彦訳)にあります。1869年3月18日、ストラーホフに宛てて次のように書いています。

この短篇(『永遠の夫』)は今から4年前の兄が亡くなった年に、小生の『地下生活者の手記』を褒めてくれ、そのとき小生に「君はこういったふうのものを書くといいよ」と言ったアポ(ロン)・グリゴーリイェフの言葉に答えて書いてみようと思い立ったものです。しかしこれは、『地下生活者の手記』ではありません。これは形式の上からは、まったく別なものです。もっとも本質は──同じで、小生のいつもながらの本質です。ただし貴兄が、ニコライ・ニコラーイェヴィッチ、作家としての小生の中に、多少とも独自の、特殊な本質があると認めてくださるならばの話ですがね。

つまり、『永遠の夫』の登場人物たちと「地下室者」との関連性、さらにいえば、ドストエフスキーのいう「いつもながらの本質」を探りたいと思ったのです。

ここに注目すべき、作品からの引用があります。モチューリスキイ著『評伝ドストエフスキー』(松下裕・松下恭子訳)における『永遠の夫』からの引用です。

1 「情夫はかっとなって夫に叫ぶ。『捨ててしまうんだ。君の地下室のたわごとは。君自身が地下室のたわごと、がらくたなんだから』」(第九章)

2 「ヴェリチャニーノフはトルソーツキーに『われわれは二人とも堕落した醜悪な地下室の人間です』と白状している。」(第十三章)

ここからモチューリスキイは、ヴェリチャニーノフとトルソーツキーを「地下室者」と結びつけます。一方、代表的な日本語の訳書(a)河出版(米川訳)と(b)筑摩版(小沼訳)は、先の二つの文章に該当する部分を次のように訳しています。

1(a)「床下から引っぱり出したようなけがらわしい話をもってとっとと出てうせろ!それに第一、あんた自身からして床下のねずみみたいなやくざ者だ。」

(b) 「その床下のがらくたみたいなものを引っかついで、どこへなりと出て失せろ!第一あんたからして床下のがらくたみたいな代物じゃないか。」

2(a) 「われわれはお互いにけがらわしい床下のねずみみたいな胸くその悪くなるような人間なんです。」

(b)「われわれはふたりとも実に罪深い、床下でうごめいているような、なんとも汚らわしい人間なんですよ。」

これらの訳書で用いられている「床下のねずみみたいな」、「床下」、「床下でうごめいている」が、原典の「地下室の」(подпольный)に当たりますが、さきの文脈の中で何ら違和感なく読めて、そこに敢えて「地下室」を読み取るのは難しいでしょう。モチューリスキイは、ストラーホフに宛てた手紙を念頭において読んでいますので、ドストエフスキーがここにさりげなく忍び込ませた「地下室の」という単語を、『地下生活者の手記』の「地下室」と結びつけることができたのだと思います。

訳書の「床下」に当たる原語は何かを原典にあたって調べようとしたとき、偶然に『永遠の夫』の「創作ノート」(準備資料)を見つけました。それは、『永遠の夫』と「地下室」の関連性を考えるうえで、さらに先のドストエフスキーの書簡を理解するうえで大きなヒントを与えてくれるものでした。(一)作品論と(二)『永遠の夫』と「地下室」の関連性の二部構成でお話しします。

*   *   *

例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。