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 「国会」と「憲法」、そして「国民」の冒涜――「民主主義のルール」と安倍首相

 「国会」と「憲法」、そして「国民」の冒涜――「民主主義のルール」と安倍首相

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空からのニュース映像〔NHK〕

 

「東京新聞」の今朝の朝刊の記事によれば、14日の安全保障関連法案に関する参院特別委員会で、安倍晋三首相は法案に国民の支持が広がっていないことを認める一方で、「熟議の後に決めるべき時には決めなくてはならない。それが民主主義のルールだ」と早期の採決を促し、法案が成立した後には国民の理解が広がるとの見方も示したとことです(太字は引用者)。

これは本末転倒で「民主主義のルール」に従うならば、時間をかけた議論の後でも国民の支持が広がっていない場合には、その法案は廃案とすべきでしょう。

しかも熟議の中で、この法案の問題点や首相の資質などが問われる発言が多発しているのです。「民主主義のルール」を強調するならば、混乱を招いた自らの政治姿勢を恥じて安倍首相は潔く辞任すべきでしょう。

*   *   *

一方、昨日のデモではプラカードも「廃案」の文字などを記したものだけでなく、ペットボトルで作られた提灯のようなものを掲げた人などさまざまな意見や創意工夫がなされており、ペンライトもかざされて印象的でした。

デモは整然と行われており、狭い歩道に人があふれて将棋倒しになり、怪我人がでる危険性が強くなったときに、車道を解放せよとの声があがったのも自然だったでしょう。

先の総裁選ではっきりしたことは、江戸時代には民衆のことを考えない政治をする暴君に対しては、厳しい処罰を覚悟してでもそれを諫める家老がいましたが、現在の自民党には「独裁的な傾向」を強めている安倍首相を諫める勇気ある議員がほとんどいないということです。与党の公明党にも、安倍首相の「国会」を冒涜した発言に苦言を呈する議員がほとんどいないということも明らかになりました。

国会の会期末は近づいていますが、民主主義の危機に際して声を上げ始めた昨日のデモからは、幕末から明治初期にかけて示された「国民」の「行動力」が彷彿とさせられます。

「暴君」を代えるまでにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、昨日のデモからは今回の運動が確実に政治を変えていくだろうという思いを強くしました。

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